超激戦
早く終わってくれ、第5章……わしゃ、第6章が早よ書きたいんじゃぁ!
銀に煌めく星が昇る。
禍々しい真紅の一刀が迎え撃つ。
「終わりだ……転生者」
銀が爆ぜる。
大陸全土にその衝撃と閃光が広がる。
竜王最強の必殺技ーー"破晄ノ星"。魔力を二百万以上消費して発動可能な一撃必殺。文字通り星を破壊する威力を誇る。
視界が光で潰れ、雲が失せ。音が失せ。静けさだけが残る。
小さな、小さな氷の粒が太陽の光に当てられて、キラキラと幻想的な世界を映し出す。
そこへ、真紅の魔剣が一つ、空からその鈍い輝きを放ちながら地面に突き刺さる。側には片腕を失い、胸から臍あたりまでパッカリと大穴が開き、内臓が丸見えのカレンが横たわっていた。
「………ゴフッ」
「主!!」
「殿!!」
ロロンとゼルが駆け寄り、その見るも無惨な姿に息を呑む。生きているのが不思議なその痛々しい姿は、ロロンとゼルを動揺させるには十分な威力だった。
「こ、これは……!」
(駄目だ。俺とゼルは治癒系統の魔法は使えん。このままでは主が……!)
「ゼル、炎劫竜殿のところへ行け!」
「ロロン、何を……!」
「"ココノエ"を連れて来るんだ。急げッ!!」
「…………すぐに戻る。ロロン、殿を頼む!」
後ろ髪を引かれながらも、ゼルは金糸を空に伸ばして大気中の魔素に引っ掛けると、あっという間に遠くの空へと消えて行った。
残されたロロンはカレンを護るように壁となって氷界竜と相対する。
「そこを退け。さもなくば貴様も死ぬ事になるぞ」
「本望ッ!!」
"破晄ノ星"を撃った氷界竜の魔力は残り百万程度。しかし、残存魔力が三分の一にまで減ったとて、肉体能力までも下がるわけではない。
疲弊し切ったロロンと瀕死のカレンを殺すのは容易である。おまけにロロンはカレンを護らなくてはならない故に、上手く立ち回る事が出来ない。となれば、氷界の一撃を一発撃てば全てにかたが付く。
「転生者よ、聴こえているか?」
朦朧とする意識の中、カレンは頭の横に突き立った根滅剣に眼をやる。あれだけ大規模な一撃を受けてカレン自身は死にかけだというのに、根滅剣には傷も汚れも無い。羨ましい限りだった。
「……クソが!」
根滅剣から目を離し、こちらを静かに見下ろす氷界竜に視線を向ける。
憎たらしい。死にかけている今の状態でもその感情は消える事はなかった。寧ろこれだけの深傷を負わされ、カレンの憎悪は増す一方であった。
「見下ろし……てん、な……カスがァ!!」
真紅の染まった眼光は衰えぬ戦意と殺意を生み出し、溢れ出る真紅の魔力は憎悪を滾らせる。
「主よせ! 無理をすると死んでしまうぞ!」
心臓が脈を打つ度に赤黒い血がどろりと湧き出し、白い氷上を染める。このまま行けばとどめを刺される前に出血多量で死に至る。
「"破晄ノ星"をまともに食らって生きているとはな……貴様には驚かされる。驚嘆に値するぞ!」
氷界竜の何千年という記憶の中で、今まで"破晄ノ星"を受けて生きていたのは"神殺狼"ただ一体のみ。
氷界竜は当時まだ若い竜であったが、それでも他の竜を圧倒しうる力を持っていた。
同じ"天災級"の魔物を軽く一蹴する力と強さを持ち合わせていたが、それでも"神殺狼"には敵わず。それどころか、切り札の"破晄ノ星"でさえ全く通用せず、寧ろ返り討ちにあう程であった。だがそれも仕方のない事だと、今となっては納得する。昔も今も、そしてこれから先も"神殺狼"は氷界竜よりもずっと格上だ。だから、仕方がない。しかしカレンは違う。ずっと格下であり、魔力値で言えば二百万以上も差がある。これだけ差があれば例え奇跡が起きようとも死は確実だ。だが、カレンは生き残った。奇跡でも、運でもなく、その力で。実力で生き残ったのだ。こうして敵同士で相対していなければ、迷いなく万雷の喝采を浴びせたであろう。カレンはそれだけの偉業を成し遂げたのだ。
「マグダウェルが気に入るわけだ。強いな、転生者よ」
「今言うと嫌味だぞ!」
カレンは憎悪の籠った眼で氷界竜を睨みつけ、体に力を込めて立ちあがろうとする。だが、体は動かない。まるで神経が遮断されたようにピクリともしない。力も入らず、傷も治らない。どうやら肉体と根源は限界を迎えているようだ。
「私にいたぶる趣味はない……もう、楽になれ!」
顎門を大きく開き。その奥に白銀の光が灯る。
「させん!!」
腰を落とし、カレンを死守しようと身構えるロロン。もう後がない。魔力残量は全体の半分。一発ぐらいならどうにか相殺出来るかもしれないが、二発目は絶望的だった。
どう対策を取るか悩む中、背後から異様な気配を察知する。
「…………な!」
白い天井がフラッシュバックする。
よく知る景色が窓の外に見え、胸糞悪い二人の顔を思い出す。
「主?」
また白い天井が視界に映る。
意識が遠のき、体が冷たくなっていくあの感覚を思い出す。
「……け……んな!」
"千石 夏憐"が死んだあの日を思い出す。そしてそれが今の自分と重なり、どうしようもない嫌悪感と敗北感、絶望感、そしてそれ以上の不快感に襲われる。
その時、カレンの中で何かが弾けた。
「ふザけンなァァァァァァァァッ!!」
カレンの体からドス黒い靄が噴き出し、蛇のように蠢く。その禍々しさは今迄の比ではなかった。最早それは形容し難い何かであった。
そのあまりに異様で禍々しい波動を前に気圧されたロロンは数歩後ずさる。
「あ、主……!!」
氷界竜でさえ、氷界の一撃への充填をやめ、食い入るようにカレンを見る。
怒りと殺意と憎悪の嵐。真紅の魔力とドス黒い靄が混じり合い、空に紅黒い稲妻が走る。それは次第に広がって行き、半径数百キロ圏内を完全に支配してしまう。
「楽ニナれダぁ……?」
黒い瞳孔の中に紅い光が灯る。黒目は充血し、眼から血が流れる。
体内の魔力を使って無理やり体を動かし、壊れた機械の様なぎこちない動きで立ち上がる。パックリ開いた胸部からはボタボタと赤黒い粘性の強い血が心臓の鼓動に合わせて滴り落ち、内臓が無造作にぶら下がる。
「クソ野郎が、調子ニのルナよ……!」
深い闇の底から響く様な声を発し、黒い靄がカレンの体に纏わりつく。
突き立った根滅剣の柄を握り、重くぎこちない一歩を踏み出す。最早痛みなど沸き出す怒りと憎悪の前では些細ものだった。
「凄まじい妄執だな……」
強烈な"生"への執着がカレンを動かす。それは転生者であるカレンだらこそ抱える執着であり感情である。
一度死んでいるが故のその想いは同情に値する。しかし、同時に哀れでもあった。
("欲"への渇きに苦しみ"生命"への渇望に支配されている……)
氷界竜は憐れむ眼をカレンに向ける。
「転生者よ」
「あァ?」
「貴様の望みはなんだ……この世界で貴様は何を求める?」
「決マってンだろ……!」
カレンはあらかじめ持っていた答えを叫ぶ。それが至極当前かの様に。
「"力"だッ!!」
「"力"だと……」
「強さコそガ全テだ。ダカら、オレは"力"が欲シい……もっと"力"を!!!」
求めるものは"絆"でも、"愛"でもない。カレンにとってそんなものは不純物に過ぎない。
求めるのも求められるのもうんざりだ。特に、望んでもいない"愛"を押し付けられるのは不愉快極まりない。
"力"が全て。"力"こそ絶対。カレンが信じているのは"力"のみだ。
「死ね!」
幽鬼の様にふらついていたかと思えば、パックリと空いた胸の前で黒い球体が生まれる。魔力とも違うエネルギーの塊。それは黒い稲妻の様なものをバチバチと音を立てながら見る見る内に大きくなり、人の頭サイズまで成長する。そして臨界点に到達した黒い球体はその力を解放し、黒い閃光となって氷界竜へと襲いかかる。
この時、氷界竜を悪寒が襲う。得体の知れないエネルギーの塊は強烈な殺気と威圧を含み、氷界竜に死を予感させた。そしてこの戦いで初めて、氷界竜は全力で回避行動をとった。
「ッ?!」
黒い閃光は標的を撃ち抜く事はなく、ドス紅黒い空を突き破り、宇宙の彼方へと消えてゆく。
(なんだ……今のは?!)
血の気が引いた。黒い閃光を前に死の予感がした。それは一体何百年ぶりだろうか。
死にかけの体の一体どこにあれだけの力があるというのか。
驚愕と困惑の表情をカレンに向ける。
百年。いや、数十年もあれば本当に自分達竜王を凌駕するかも知れない。僅かな期待と興味が湧く。しかし、それ以上の恐怖が氷界竜に襲いかかる。
「グルルルルルルルッ!」
低い唸り声をあげ、殺気が膨れ上がる。それは大森海より遠く離れた人間界にまで伝染する。
♢♢♢♢♢
場所は変わり王国最南端のフルール村。
「あっ……」
「セド、リッ……ク様……」
「シーマさん! エルザ!」
突如襲った殺気に当てられ、シーマを含めた村の人間が次々に意識を手放してゆく。
極寒の冷気の次は身の毛もよ立つ殺気の暴風雨。手放しそうになる意識をギリギリのところで繋ぎ止めながら、エリックは悪態をつく。
「クソッ、次から次へとどうなってやがんだ!」
押し寄せる冷気の嵐。空に咲く氷の大輪。強烈な白銀の閃光。絶望に染まった紅黒い空。一つ一つに目を瞬かせ、驚愕に顔を歪めた。そして、最後にやって来たのは、純粋な殺意。
「とにかく、みんなを一ヶ所に集めねぇと!」
最早フルール村で立っているのはエリックだけだった。セラとユルト、マグノリアは救助の為に別の村に行っておりこの場にはいない。だが、きっと別の村でもこの村と同じ様な光景が広がっているだろう。ユルトはギリギリ意識を保っているかも知れないが、セラとマグノリアは分からない。おそらく他の村人同様に意識を失っているもしれない。
「これが竜王の力ってか? 笑えねぇぜ……」
遠く離れたこの地でこの有様だというのに、中心地にいるカレン達は一体どれほどの重圧を浴びているのだろうか。エリックには想像も出来ない。
「カレン……お前、無事なんだろうな!」
カレン達が向かった方角を見つめ、ただ無事を祈る。
♢♢♢♢♢
場所は戻り大森海、氷山の頂上。
「避ケンなクソがッ!」
根滅剣を杖代わりに体を支える。呼吸が出来ているのかすら怪しい荒い呼吸をする。膝がわらい、視界もぼやけ、時折ブラックアウトする。それでもカレンは地を蹴り、氷界竜へと突貫する。
ロロンが咄嗟に止めに入ろうとする。これ以上の無茶は本当に危険だ。そう思っての行動だったが、カレンがそれ視線でやめさせる。言外に「余計な事はするな!」と言っていた。
「オレを見クだスなァ!」
相変わらず胸から臍辺りまで大きくパックリと開き、内臓が丸見えの状態にも関わらず無茶をする。
肺は両方合わせて三分のニが潰れており、その他心臓以外の臓器はほぼ壊滅状態だ。
死んで当たり前のその状態で生きていられるのは、ひとえに"悪魔"という再生能力と生命力に優れた種族故でもあるが、"覚醒者"としての体の丈夫さが起因している。
死なない、と言うよりかは体が丈夫すぎて死ねない、と言うのが本当のところかも知れない。どちらにしろ、今のカレンには有難い話だ。
何がなんでも死にたくないというのが、カレンの本心なのだから。
「クたバれカス!!」
濃い血を撒き散らし、根滅剣を振り上げる。
死にかけとは思えぬ動きに、流石の氷界竜も驚きを隠せない。もう後がない故か、極限にまで研ぎ澄まされた集中力により、カレンの技のキレは実力以上のものだった。
閃紅が走り、氷刃尾が受け止める。火花が散り、硬質な音が衝撃波と共に鳴り響く。
途端、上空から巨大な氷槍の弾幕がカレンを襲う。
「チッ!」舌打ちを鳴らし、降ってくる氷の雨を次々と斬り捨て、最後に残った氷槍を氷界竜へ蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされた氷槍は氷界竜が予め展開しておいた氷の粒に捉えられ、吸収される様に巨大な氷塊の材料となる。そうして出来上がった氷塊は次の瞬間に砕け散り、氷の弾丸となって乱射された。弾丸と言っても一つが二メートルクラスの氷の塊だ。当たったら肉が弾け飛ぶ。
カレンは横殴りの氷弾の雨を巧みな足捌きで躱す。躱しきれない氷弾は根滅剣で斬り捨て塵と変え無力化する。そうして、氷の弾が切れると、カレンは一瞬にして距離を潰し、氷界竜の喉元目掛けて一閃する。が、根滅剣の刃が喉元に触れるより早く、左右より――十メートル四方の――氷の壁が押し寄せる。
氷壁は呆気なくカレンを押し潰し、一ミリの隙間もなく完全に閉ざしてしまう。すると、カレンを押し潰した氷塊の中心が鈍く紅い光を放つ。かと思えば、中から真紅の光線が飛び出す。魔力色は違うが、カレンの〈轟天金螺旋砲〉だ。
氷界竜は頭に飛んできたそれを易々と避け、お返しとばかりに〈轟天金螺旋砲〉によって開いた穴に向かって竜砲撃を撃ち込む。
並々注がれるが如く撃ち込まれる竜砲撃により、許容オーバーした氷塊は弾ける様に花を咲かせる。直後、氷を砕いて――体の所々が凍った――カレンが飛び出し、氷界竜へ殴りかかる。
固めた拳を大きく振りかぶり、渾身の一撃を放つ。だが、拳は〈氷天障壁〉に阻まれてしまい届くことはなかった。
カレンの拳を受けた障壁は粉々に砕け散り、その場に崩れ去る。カレンは間髪入れずに〈双龍穿撃波〉を放つ。双頭の龍が顎門を開き、氷界竜に喰らいつくが、その瞬間、双頭の龍は一瞬にして凍りつき、粉々に砕け散ってしまう。
直後、カレンの頭上から氷のレンズが何重にも展開される。真上には太陽が爛々と輝く。
「チッ!」
そのレンズがどういう意味を成すのか、瞬時にそれ理解したカレンはその場から飛び退く。途端、カレンのいた場所に目を逸らしたくなる程の強烈な光が照射され、この氷山の頂上に底の見えない大穴を開けた。
レンズを利用する事で太陽の光を一点に集中し、天然の光線を作り上げたのだ。しかも何重にもレンズを作る事でその威力は金属を一瞬で溶かし、固体を昇華させるレベルだ。
「ウザったイ野郎だ!」
カレンの姿がブレた。かと思えば氷界竜の背後、その真上にまわり。体を高速回転させながら落下する。
当然カレンに気づいている氷界竜は、翼を大きく広げ、翼膜に氷鱗を生成し、それをカレンに向けて一斉に放つ。
串刺しは免れなそれを、カレンは避けない。何発も被弾し、肉と血を飛ばしながら、尚も回転をやめない。
「死に晒せカスッ!!」
カレンに応える様に、根滅剣が絶叫を上げる。
真紅の輝きがより一層増し、物々しい重圧を放つ。おそらく狙いは氷界竜唯一の弱点。バーカンティーが傷を負わせた場所だろう。
「無駄なことを」
根滅剣が自身を斬るより早く、氷刃尾の腹でカレンを叩き落とす。カレンは受け身を取り直ぐに走り出すが、その直後にはダメ出しとばかりに速射性の竜砲撃を五発撃つ。
だが、その竜砲撃は黒い閃光によって掻き消される。
「ッ?!」
一瞬動揺するも、すぐに気を取り直し、竜砲撃で迎え撃つが、氷界竜の竜砲撃は十分に魔力を充填出来ていなかった為に、簡単に押し返さてしまう。
黒い閃光は竜砲撃を押し潰し、氷界竜の右角を塵に変えた。
これが頭だったらと思うと背筋が凍る。なかなかどうして、想像以上に厄介な相手だと嘆息する。
だが、それもこれまでである。何故なら――
「ゴフッ……クソが……!」
吐血し、膝をつく。倒れそうになる体を根滅剣で支える。
――カレンに限界が来たからである。
「主ッ!!」
ロロンが慌てて駆け寄る。
とてもボロボロ、なんて言葉で済ませられない無惨な姿が痛々しい。
生きているのが不思議で。正気を保っているのが不思議だった。いや、とっくに正気など保っていないだろう。でなければこんな状態で戦ある筈がない。
だが、カレンの戦意は微塵も無くなっておらず、寧ろまだ戦う気満々だった。
「主、もう動くな。頼む! 本当に死んでしまう!!」
「大人しく殺されろてか? もっと、マシな冗談言ったら、どうだ!」
「主、せめてゼルが戻って来るまで――」
「ゴフッゴフッ!」
激しく吐血する。
咳き込むごとに空いた穴から粘性のある赤黒い血が噴き出し、白い大地を濡らしす。
呼吸は徐々に浅くなり、今にも目を閉じてしまいそうだ。
顔も蒼白となり、死人のそれだった。
「主ッ!!」
当然だ。開戦と同時に魔剣解放の為に根源を根滅剣に喰わせ、その上"破晄ノ星"をまともに受けたのだ。付け加えて限界の体で無理を通しての戦闘。寧ろここまで良く耐えた。良く生きていた。
「呼吸が浅い。クソッ、ゼル達はまだか!」
治癒系の魔法が使えないロロンはどうする事も出来ず、ただカレンが弱っていくのを見ている事しか出来ない。
「ヒュー……ヒュー……」
「主、しっかりしろ! 主ッ!!」
ロロンの声がくぐもって聞こえる。視界もぼやけ、何も考えられない。なんとなくそばにいるロロンが必死なのはわかった。今も耳元で叫んでいるからだ。
ぼやける視界の中眼を動かし、氷界竜を見つける。見えるのは大雑把な輪郭だけだが、纏っている重圧でわかる。
氷界竜は何もしてこない。ただ見下ろしているだけだ。理由は簡単だ。最早自分が手を下さなくともカレンが死ぬと判断したからに他ならない。
だが、カレンは意地でも倒れない。死にかけとなっても尚、その眼に宿る戦意と殺意は揺るぎない。億劫になる思考の中で、カレンの強烈なプライドだけが戦うことを強要する。
「う……ご、けェ!!」
強い意志だけが先走る。体は立ち止まったまま動かない。
まったく役に立たない体に罵声の一つでと飛ばしたいところだ。しかし、最早言葉を発する気力すら残っていない。そんな時だ。今まで静かに傍観していた紅姫がカレンに話しかけた。
『死にかけじゃのう、お前様よ』
「べ、に……姫ェ……!」
唸る様に声を絞り出す。
『まったく無理をしよって。相変わらず自殺願望でもあるのか、この戯け』
「……!!」
『喋る体力も無いか……もってあと三分といったところじゃな。これじゃとゼルも間に合わんか』
声に焦りがない。
危機的状況であっても一切取り乱した様子も無い。カレンはそこに違和感を覚える。氷界竜との戦闘時でも随分と大人しかった。いつもの紅姫ならもっとうるさい筈だ。
紅姫は何か隠している。
そんな疑問を抱くが、次の瞬間には氷解する。
『仕方のない……交代じゃ、お前様』
その言葉を皮切りに、意識が切り替わる。
途端、カレンの体がビクンッと跳ね、次の瞬間には力が抜けた様に動かなくなる。
カレンが纏っていた戦意と殺意は凪の如く消え去り、空もいつのまにか鮮やかな青天を取り戻していた。
「主………」
カレンの心臓が完全に機能を停止していた。【水刻の魔眼】で根源を除けば、カレンの根源がどこにも見当たらない。それどころか、紅姫の根源すら見つけることが出来なかった。
氷界竜もそれを確認したのだろう。「逝ったか……」と言う呟きが聴こえてくる。
ロロンの顔が絶望に染まる。
そのタイミングで「カレンッ!!」ルミナスが頂上にやって来る。
他には目もくれず、膝をついた状態で固まったカレンに飛び込む様に駆け寄る。
そこでルミナスは信じられないものを目にする。
「カレン……?」
一瞬呼吸が止まった。俯いたまま動かないカレンを除いた瞬間、ルミナスの思考は停止する。
胸部に大きな穴が空いていた。臓器は丸見えで、心臓は動いていない。当然ながら呼吸もしていない。
「カ……レン……」
震える手で恐る恐る触れる。
「あ………」
氷のように冷たい。肌のぬくもりが感じられない。
「そ、そん……な……!」
理解した途端、ルミナスの眼から涙が流れる。
「い、いやだ……いやだ……カレン……!」
嘆き悲しむその涙は、両手ですくうほどたくさん流れる。
「カレン、カレン!!」
抱き寄せる。力いっぱい抱き寄せる。眼を覚ましてと叫びながら。
慟哭が虚しく青空に消えてゆく。
空はあんなにも綺麗なのに、ここは悲しみであふれる。
カレン・アレイスターは、死んだ――
「喧しい。このアホタレ!」
――はずだった。
女の声が悲しみをぶち壊し、天使の涙をとめる。
「え……?」
「え? じゃないわい。いつまで抱きしめとるんじゃ。立てんじゃろうが!」
何がなんだか理解らず、手を離す。すると、カレンは怪我を気にも留めず、軽やかな動きでスムーズに立ち上がる。
胸がポッカリと開いたまま、心臓は鼓動を刻む。生きている証拠だった。
カレンは自身の体を見下ろし、顔を顰める。
「ふむ、いつまでもこのままというわけにもいかんの。ほれ」
その言葉を皮切りに、上半身に開いた大穴は瞬く間に再生し、傷口を塞いでしまう。
ロロンも氷界竜も唖然とする。
「やれやれ、旦那様め最後まで抵抗しよってからに……おかげで隔離空間に押し込むのに随分手間取ったわい」
カレンはグッと体を伸ばす。
(カレン? いや、違う。だれだ?!)
姿は確かにカレンだ。だが、声が違う。綺麗な女の声だ。声だけではない。纏う雰囲気がそもそも違う。
目の前にいるカレンは、カレンであってカレンではなかった。
別人だ。
「だ、誰だ! カレンは……カレンはどうしたんだ!!」
泣きっ面から一変。ルミナスは警戒を顕に、カレンの姿をした誰かを睨みつける。
「何を言って…………あぁ、そうじゃ、そうじゃ。儂のことは秘匿されておったのじゃったな。ルミナスは儂の事を知らなんだ。これはすまんのう。久々の肉体に夢中ですっかり忘れておったわ!」
「……?」
「では改めて。儂の名は"紅姫"。"魔帝 サタン"の成れの果てじゃ。よろしくの、ルミナス」
自己紹介を終えた後も、ルミナスの眼には困惑の色が窺える。大方、何故カレンの中に別人がいるのだ、そんな事を考えているのだろう。
「紅姫って……根滅剣 紅姫?」
「違う。名は同じじゃが、全くの別物じゃ」
「………」
開いた口が塞がらない。意味がわからない。目の前の光景について行けない。
「なんじゃその間抜け面……」
カレンの姿で女の声を発し、別の名前やら成れの果てやら言われて冷静でいられる方がどうかしている。寧ろ、ルミナスのこの反応は正常と言えた。
紅姫は「ま、無理もないか……」と軽くため息をつく。
「今は突然の事でついてこれまい。取り敢えずは儂の名前だけ憶えていれば良い。説明は後じゃ……さて、ロロン」
「は、はっ!」
名前を呼ばれ、ロロンは反射的に返事を返す。
「儂はちとこれから暴れる。ルミナスを護ってやれ。それと、根滅剣を預かっとれ。儂ではこのじゃじゃ馬姫は扱えん」
紅姫は地面から引っこ抜いた根滅剣をロロンに預ける。
「あ、ああ……」
「どうした、歯切れが悪いのう」
「ほ、本当に、奥方様……なのか?」
信じられないものを見る様に、恐る恐る尋ねる。
「うむ、間違えておらんよ。儂は紅姫じゃ。嘘偽りはない」と、答えたものの。やはり目の前の光景が信じられないのか、ロロンは固まったままだ。
「この姿ではややこしいか……仕方のない」
紅姫は一つ指を鳴らす。すると、短く切り揃えていた漆黒の髪は腰まで伸び、顔つきも変わり、女のそれとなる。
切れ長の眼には紅玉が鎮座し、カレン同様に縦に割れた瞳孔が覗く。鼻や口元もカレンとは違い、少し小さく、柔らかな感じである。
肩幅も縮まり、胸には豊かな双丘が現れる。腰も細く締まり、長い脚も相まって抜群のスタイルだ。
身に付けているスーツも男物から女物に変わり。その出来る女オーラがどこか近寄り難い雰囲気を醸し出す。
「ふむ、こんなところか……これで良いか、ロロン?」
「あ、ああ……」
「そうか、そうか!」と満足そうに笑む。
ルミナスが絶世の美女なら、紅姫は傾国の美女。その言葉以外に言い表しようのない存在がそこにいた。
「お、女になった……」
「外だけじゃ。この姿はあくまで幻術でそう見せているだけで、中身は旦那様のものじゃ」
この姿は紅姫が幻術魔法で見せている偽物だ。長い髪も実際はそこに存在せず、触れることは出来ない。
「出来るだけ生前の姿を模してみたが。儂は鏡をあまり見んでな。上手く出来ておのるか分からん。が、今はどうでも良いか………さて、待たせたのう氷界竜殿」
氷界竜は眼を細める。会話からして正体は分かっているが、それでも念のために【氷天の竜眼】で根源を覗く。すると、真っ黒だった根源は艶やかな真紅へと変わっており、逆に真っ黒の根源は真紅の根源の奥深くにて眠っていた。
おそらく切り替わった、というのが妥当な線であろう。
「貴様が魔帝 サタンか」
「正確には成れの果てじゃ。今は紅姫という名がある。そっちで呼んでもらおうかのう」
不敵な笑みを浮かべながら返事をする。
「……よかろう」
「さて、氷界竜殿よ。暴れる前に一つ相談、もといお願いがある。出来るなら聞き入れてくれると儂としては有難い話なのじゃが」
「なんだ?」
「大人しく退いてはくれぬかのう」
「………………なんだと?」
「聴いとらんかったのかのう。退いてくれ、と言ったのじゃ」
「それは出来ない相談だ」
途端、肌を凍刺すオーラが爆発した様に広がる。氷界竜を中心に極寒の暴風が吹き荒れる。臨戦態勢に入ったようだ。
極寒の暴風に巻き込まれないように、ロロンがルミナス諸共〈魔力障壁〉で囲う。
「依頼されたからか? よっぽどその者に恩を感じておるようじゃのう。やれやれ、難儀な性格をしておる」
手をヒラヒラと軽い調子で零す。氷界竜の重圧をものともしない。
「交渉は決裂じゃのう。せっかくのチャンスじゃと言うのに」
紅姫は諦めた顔をする。
「ならば無駄な話などせず逃げれば良いものを。愚かな奴だ」
その言葉に紅姫は眼を白黒させ、次の瞬間には堪えきれんとばかりに笑い始める。
「何がおかしい……?」
「いやすまん、すまん……少し勘違いをしておるようでな」
「勘違い、だと?」
「氷界竜殿。儂は今回寛大な申し出をおぬしに提案したのじゃが、そこは理解しておるのかのう?」
「………?」
「ふむ、理解っとらなんだか………」
ため息を一つ零す。途端、握る拳から骨の軋む音がなる。額に青筋が浮き上がり、白目は黒く染まる。目元から顳顬からにかけて紅黒い血管模様が現れ、全身から"怒り"が爆発したように噴出する。
「見逃してやると言ったんじゃこのクソガキ! よくも儂の愛しい旦那様をズタボロにしよって、覚悟は出来とるんじゃろうなァ!!」
重くのしかかる、地獄から鳴り響く声。怒りで震え、空は再び真紅に染まる。
「よいか、儂は世の均衡の為、渋々貴様を逃してやろうと譲歩してやったんじゃ。仮にも貴様は竜王じゃ。一体が欠片れば魔物の世界が大きく動く。そうなると人間界もただではすまん。それは旦那様にとってまだ都合が悪いのじゃ。じゃから儂は自分の感情を押し殺して貴様を逃してやると提案してやったのじゃ。じゃが、貴様はそれを拒んだ。これがどういう意味か理解るか青二才!!」
寒さとは違う肌を突き刺す空気が充満する。
「もう我慢せん。貴様をじわじわと嬲り殺しにしてくれるわ!!」
息が詰まる程の重圧を放ち、氷界竜に緊張と恐怖を与える。
「さぁ、血祭りじゃ!」




