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悪魔がカレンにわらうとき  作者: 久保 雅
第5章〜氷界の覇者〜
177/201

激戦

早く終わらせたい第5章……

 深く裂けた傷口へと真紅の一刀が振り下ろされる。


 氷界竜からすれば小さなその傷口は、例え直接斬られたとしても大したダメージにはなり得ない。だが、それは肉体だけ斬られた場合に限る。


 今回は肉体のみならず、根源まで深く、深く斬り裂かれている。大した事ない訳がない。


 空間を震わす程の悲痛な大絶叫がムエルト大森海全域へとこだまする。


「ガギャァァァァァァァァァァァァァッ!!」


 氷の鎧も、堅牢な外殻も無い。

 直接傷口へ叩き込む無条件の一撃は、解放状態の根滅剣の力を存分に発揮し、氷界竜の根源を深々と抉り、破壊する。

 割合として表すなら、約二十パーセントもの根源が破壊されたのである。氷界竜(ひょうかいりゅう)にとっては痛恨の一撃であった。


 血飛沫が飛ぶ。肺を痛めつける極寒の中、むせかえる血の匂いが充満する。


「お前、頭に血が上りすぎなんだよ」


 根源が破壊されたことにより、パックリと裂けた傷口は当分の間治る事はない。加えて、根源を破壊されたダメージは凄まじく、全身を駆け巡る激痛は氷界竜(ひょうかいりゅう)の思考を乱す。


 カレンは間髪入れずに二撃目に入るが、それよりも早く氷界竜(ひょうかいりゅう)が自身の背中に向かって竜砲撃(ブレス)を放つ。


 この時、ノーモーションで放たれた竜砲撃(ブレス)に反応できたのは奇跡だった。

 カレンは白銀の光が自身を飲み込む前にその場から離れ、氷界竜(ひょうかいりゅう)の真正面へ着地する。


「ちっ!」


 放たれた竜砲撃(ブレス)はカレンに命中する事はなかったものの、代わりに裂けた傷口を分厚い氷で護る鎧となってしまった。

 氷自体は根滅剣の力を持ってすれば簡単に消し去れるが、そこまでの過程が問題である。

 根源を破壊された氷界竜(ひょうかいりゅう)の警戒心は先程の比ではない。しかも、魔剣の力でかなりのダメージを負わされると知って、今まで以上の猛攻が始まるだろう。そんな中攻撃を躱して背中まで行き、氷の鎧を引っ剥がして傷口に攻撃を叩き込むなど、最早奇跡が起きようとも不可能である。

 加えてカレンも根滅剣に自身の根源を四十パーセントも喰わせている。その為、常に叫び、転げ回りたくなるような痛みが全身を襲っていた。冷静に戦っているように見えるが、その実思考は乱れに乱れており、寧ろここまで取り乱さずに戦えているのが奇跡だ。


「さて、どうしたもんか……」


 カレンは平静を装い、全身を襲う激痛に耐える。


 一方、氷界竜(ひょうかいりゅう)は血走った眼でカレンを睨みつけ、低い唸り声を上げる。

 新たに氷の鎧を形成し、最初よりも刺々しく、攻撃的な氷の鎧を纏う。それに比例するように、叩きつける殺気は強さを増し、眩暈を起こしそうなほど強烈になってゆく。

 標的はカレン一人に絞られ、最早他は眼中にない。相当頭にきているらしい。


「カレン!」


 バーカンティーをクラリス達に預け、カレンに駆け寄る。


「主!」


「殿!」


 ルミナスに続き、ロロン、ゼルが駆けつける。この殺意の暴風雨の中よく平気だと感心する中、確認を取る。意識と警戒は氷界竜(ひょうかいりゅう)に向けたままだ。


「お前ら魔力残量はどれぐらいだ?」


「私は残り僅かだ。あ、でもカレンから貰った魔力回復薬があるからまだ戦えるぞ!」


 そう言ってカレンから手渡された魔力回復薬を一気にあおる。


「俺は半分と言ったところだ」


「拙者はまだまだ余裕でござる!」


「なるほど……」


 ルミナスは魔力がほぼ枯渇状態。カレンが渡した魔力回復薬を用いたとしても、せいぜい三分の一回復して良いところだ。もう役には立たない。

 ロロンは魔力残量的にはまだ戦えるだろうが、【絶対防御】の効果がそろそろ切れる頃だ。このまま戦い続行は危険である。一方でゼルはピンピンしている為、まだ馬車馬のように働いてもらう事は確定である。


「……ルミナス、お前あそこの連中連れて降りろ」


 顎をしゃくってクラリス達と下山するように指示を出す。英断であった。だが、やはりと言うべきか、ルミナスは素直に応じてはくれなかった。


「カレン、私はまだ戦える。一緒に戦うぞ!」


 ルミナスはとっくに限界が来ている。魔力残量という面でもそうだが、精神的な面でも限界だ。それに伴って体力も残り少ないだろう。

 この緊張状態の中では、体力の減りは精神的な体力と共に減るのが早い。しかも、ここは超高高度の山頂だ。酸素濃度も薄く、カレン自身想像以上に体力の減りが早い。カレンより体力がないルミナスなら尚のこと。しかし、興奮状態のルミナスは自身の体の限界が近い事に気づいておらず、まだ自分の体力が有り余っていると錯覚していた。このまま戦いを続行すれば死ぬだろう。


「黙れ。いいからとっとと降りろ。これ以上は邪魔だ」


 キツイ言葉を投げかけて突き放す。正直死んだところでなんとも思わないが、周りをうろつかれては気が散って戦いに集中出来ない。そもそも、バーカンティーはともかくとして、ルミナスとその他は場違いである。今迄で巻き込まれて死なかったのが奇跡なのだ。だが、もうその奇跡も起きない。

 氷界竜(ひょうかいりゅう)が血眼になって殺しに来るからだ。

 冗談抜きで早く降りてくれ、と内心吐き捨てる。


「お前に出来る事はもう何も無い」


 鷹揚のない声で素っ気なく言い放つ。


「カレン、お願い。私も戦わせてくれ!」


 ルミナスは食い下がる。せめて最後までカレンと共に、そう願って頼み込む。だが、その想いはカレンには届かない。寧ろ――根源の痛みも相まって――カレンを苛立たせるだけだった。


「死にたくなかったら今すぐ降りろ……!」


 右の白目が黒く染まる。目元から顳顬(こめかみ)にかけて赤黒い血管模様が浮き上がり、怒気と殺気が濁流のように広がった。


「っ?!!」


「もう一度言う。今すぐ、降りろ!」


 有無を言わせない。拒否権はない。


 必要とされていない事実に、ルミナスは酷く胸が痛んだ。

 一緒にいたいというルミナスの願いは、カレンにとって邪魔以外の何者でもない。

 理解はしていた。でも、それでも一緒に戦いたいという願いが、想いがルミナスをこの場に踏みとどまらせていた。だが、もうこれ以上はここにいられない。カレンがそれを望んでいないから。今カレンが望んでいるのは、ルミナス達がこの場からいなくなることだった。


「……わかった。降りる」


 力なく応える。


 ルミナスは降りることを決意する。これで、少しでもカレンの役に立てるなら、そう思い、無理やり自分を納得させた。


「あそこの連中忘れるなよ」


「うん……」


 ルミナスは気力が抜けたように歩き、クラリス達の元へ行く。


「ルミナス殿……」


「すまないロロン。私達は先に降りる。カレンの事、守ってくれ。私には………出来ないから」


「ああ、任せてくれ!」


 後ろ髪を引かれながらも、ルミナスはバーカンティー達を連れて特に何事もなく氷山を下りて行った。


「さてと……待たせたな氷界竜(ひょうかいりゅう)


「今生の別れを邪魔するほど無粋ではない」


「言ってろクソ野郎……それにしても、お前も大概甘い奴だな。何故攻撃しなかった?」


 随分呆気なくルミナス達を見送ったものだと疑問に思う。

 少しでもルミナス達へ攻撃を仕掛けるそぶりを見せたら喉元掻っ捌いてやろうと思っていたカレンだが、当てが外れてしまった。せっかく囮に使えると思っていたのに残念である。

 そんなカレンの思惑とは裏腹に氷界竜(ひょうかいりゅう)は淡々と答える。


「元々貴様以外は標的ではないからな。自ら退いてくれるのであれば殺す必要はない」


「あっそ。オレはその依頼者に随分嫌われてるらしいな。腹立たしくてぶっ殺したくなる」


 途端、竜砲撃(ブレス)が飛んで来る。


「うおっ?!」


 最早話をする暇すら与えないようだ。いや、正確には氷界竜(ひょうかいりゅう)に余裕が無いから焦って早く終わらせようとしているのかもしれない。その証拠に、攻撃の威力がさっきよりも強く、そして荒い。根源へのダメージはかなり効いているようだった。


 氷刃尾が横薙ぎに振るわれる。重く空気を押し退けるその光景は、最早剣ではなく破城槌の如き様である。

 カレンは氷刃尾を根滅剣で受け止める。が、当然圧倒的な質量の差で吹き飛ばされる。


「おわっ?!」


「主!」


「よそ見とは余裕だな」


 吹き飛ばされたカレンに気を取られたその隙に、氷界竜(ひょうかいりゅう)は前脚を振り上げ、ロロンへと勢いよく振り下ろす。

 ロロンは後ろは大きく飛び退く。直後、先ほどまでロロンのいた場所に前脚が叩き下ろされ、氷の大地を簡単に砕く。途端、地面から氷の槍が次々と生え、飛び退いたロロンを串刺しにせんと追いかけ回す。


「くっ!」


 矢継ぎに襲う氷の槍を尻尾と脚を使って砕き凌ぐ。

 その間に復帰したカレンが氷界竜(ひょうかいりゅう)に斬りかかった。同時に死角からゼルが忍び寄り、金糸で紡いだ槍を頭めがけて投擲し、その後を追うように自分も飛び掛かった。


「無駄なことを……」


 投擲した槍は氷界竜(ひょうかいりゅう)に睨まれると一瞬にして凍り砕け散る。そして、氷界竜(ひょうかいりゅう)は氷刃尾を構え、挟撃する二人を薙ぎ払うように体を一回転。大回転斬りを繰り出す。


「ちッ!」


 氷を纏ったその斬れ味は金属を紙切れのように切断する。覚醒を果たしたカレンの肉体であろうと真っ二つは免れない。

 カレンは氷刃尾が当たる寸前で〈魔力障壁〉を足場に跳躍し、辛うじて避ける。しかしそれも束の間、カレンに向かって速射性の竜砲撃(ブレス)が放たれる。


「クソったれが!」


 予備動作なく放たれる銀の閃光。視認した時にはもう遅い。

 カレンは防御体制に入るが、おそらく意味はないだろう。直撃すればバーカンティーと同じ運命を辿るのは明白だった。そんな時、「うおっ?!」体が引っ張られる。


 ゼルが金糸をベルトに引っ掛けて引っ張ったのだ。


 ゼルは金糸を巧みに扱い、自身とは正反対の場所にカレンを下ろす。直後、後ろからロロンが駆け寄る。


「主は?」


「無事にござる。しっかし、拙者達の攻撃がまるで通じませぬな。ハッハッハッ!」


「笑い事ではないぞ、ゼル」


「何を言う。拙者達"第二覚醒者"二人がいても全く歯が立たぬのだぞ。これが笑えないと言うのであれば、いつ笑うと言うのだ。ハッハッハッハッハッ!!」


「はぁ……流石は"第三覚醒者"か」


「しかしながら、"第一覚醒者"の殿がここまで喰らいたくとは拙者、驚き尊敬感激でござる!」


「当たり前だ。俺達の主だぞ!」


「ハッハッハッハ――へぶっ?!」


 上機嫌に笑うゼルの横っ面に拳大の氷の塊が直撃する。ロロンが飛んできた方向を見てみれば、カレンが鬼の形相でこちらを睨んでいた。


「喋ってる暇があんなら手ェ動かせカス! その無駄に多い腕はなんの為にあんだ、あァ!!」


「殿、拙者の腕が多いのは、拙者が蜘蛛人(アラクノイド)だからであります!」


 キレのある敬礼を返す。それが余計にカレンを苛立たせる。


「んな事は知ってんだよ。ぶっ飛ばすぞ!」


了解(ラ〜ジャ)ッ!!」


 この緊迫した状況でされると普通に腹が立つ。加えて会話が微妙に噛み合っていないのもその腹立たしさに拍車をかけた。


 ゼルは強いが、人の話を聞かないところがあり、初めて会った時からカレンを苛立たせることが多い。しかもタチの悪い事に、本人は全くの自覚無しである。最早手に負えない。

 隣ではロロンが頭を抱えてため息をつく。これも昔から変わらない光景だ。


 そんなやり取りを眺めていた氷界竜(ひょうかいりゅう)がその騒がしい空気を破る。


「随分と余裕だな、転生者よ」


「余裕? まさか、ギリギリだ。そう言うテメェも随分と余裕だな。それとも根源を壊された痛みで神経が死んだか?」


「この程度で弱音を吐くほど柔ではない」


「だろうな」その言葉を残し、駆け出す。当然、近づかせまいと氷界竜(ひょうかいりゅう)から速射性竜砲撃(ブレス)が何発も飛んでくる。どれも即死級という悪夢のような光景だ。しかし、カレンは脚を止めず、尚も地を蹴り、時折根滅剣で竜砲撃(ブレス)を殺す。


 カレンに負け時とロロンとゼルも動く。


 氷山の頂上に巨大な氷の花が咲く。直後、紅い閃光が走り、眼前の花を散らす。

 足元から氷の槍が串刺しにせんと天に向かって穿たれる。しかし、それをものともせず、必殺の拳と蹴りが全て打ち砕く。

 天からは――直径三十メートル――氷塊が落下し、全てを押し潰さんと落とされる。その時、輝く金糸がその美しさとは裏腹に氷塊を無惨に切断してゆく。


 もう無茶苦茶だった。


「ロロン!」


 カレンは手の平を根滅剣で斬り、その傷口から溢れた血をロロンに向かって飛ばす。


 ロロンは口を開け、飛んできた血を飲み込む。すると、体内の魔力が一気に充填されてゆく。


「なんでもいい、ぶっ放せ!」


「分かった!」


 矢継ぎに押し寄せる攻撃を躱しながら、魔力を溜める。同時に、真上に落ちて来た氷塊を殴り、氷界竜(ひょうかいりゅう)に飛ばす。が、周りの空気を巻き込みながら飛んいった氷塊を氷刃尾で一刀両断されてしまう。すると、お返しとばかりに氷界竜(ひょうかいりゅう)は、その大きな翼をはためかせ、氷鱗を飛ばす。


 雨のように降ってくる氷鱗を何発か被弾しながらも避け、砕く。そしてその直後に気づく。全方位にキラキラと細かい氷の粒が舞い、太陽の光を浴びて幻想的な光景を生み出していた。

 それは、細氷(ダイヤモンドダスト)と呼ばれる自然現象であったが、そこに僅かだが魔力が込められていた。


(何を始めるつもりだ?)


 突然の激しい攻撃から一変。まるで凪いだような静けさにカレン達は訝しげな顔を作り、脚が止まってしまう。


「む?」


「何事でござる?」


 警戒を強める。氷界竜(ひょうかいりゅう)の行動になんの意味もない、なんて事はまずあり得ない。何かしら仕掛けて来るはずだ。


 そしてそれは正解だった。


 空中を漂う細かな氷が強く煌めいたかと思えば、突然体の自由を奪われる。


(な、なんだこりゃッ?!)


「む、これは?!」


「動けない!」


 カレン達は体を動かそうとしても、全くと言っていいほどに動かない。氷で固定されているわけでもなく、ましてや魔法を使った形跡もなかった。


「何しやがったクソヤロウ!」


「簡単だ。大気中に漂う魔素を凍らせて一部の空間を完全に固定しただけだ」


「……!」


 カレンは眼を動かし、周囲を見渡す。


 ロロンは走る体勢で止まっており、ゼルに至って言えば空中に浮かんでいる状態だ。舞い上がった周りの細かな氷の粒も同じく止まっていた。


 まるで時を止めたような世界がそこにはあった。


「なんだぁ? 実は根源が無傷だったりすんのか」


 ()()()()()()()()を凍らせるなど特定の髪の毛に針を刺すようなものだ。根源を傷つけられていない通常時であっても神技だと言うのに、それを根源に深傷を負った状態でしてしまうのだから、本当に根源にダメージが入っているのか疑いたくなってしまう。


「根源にダメージが入っているのは本当だとも。かなり手酷くやられたからな。久方ぶりだぞ、ここまで根源を砕かれたのは……!」


「どういたしまして。喜んでくれて何よりだ」


「ふん、減らず口を……!」


 氷界竜(ひょうかいりゅう)の口腔内に白銀の光が灯る。今までの比ではない魔力量。その影響か、氷界竜(ひょうかいりゅう)の体のあちこちから光が漏れる。角も。爪も。翼膜も。氷刃尾も。眼球すら白銀に光っていた。


 周囲の気温が急激に下がる。


 莫大な魔力の奔流が大気を震わせ、氷山を囲うように大規模な細氷(ダイヤモンドダスト)を引き起こす。キラキラと輝く氷の粒はオーロラのような幻想的な光景を生み出すと、やがては吸い寄せられるように氷界竜(ひょうかいりゅう)へと集まってゆく。


「チッ! 底無しの魔力め!」


「くっ、体が動かん!!」


「流石に絶対絶命である! ハッハッハッハッハッ!」


「笑い事か!」


 必死にもがく。が、気持ちだけが先走り、体は全く動かない。脳から体に信号が伝わっているのか疑わしく思うほどにピクリともしない。

 完全に固定されたこの状況は、まさに詰みの状態だった。


 次第に焦りが生まれ、カレン達の顔が険しく歪む。


「このクソが……!」


 そうしてカレン達がもがいている間にも、氷界竜(ひょうかいりゅう)の口腔内で灯っていた白銀の光に変化が現れる。


 いつしか周りを漂っていた細かな氷の粒も消え、音すらも消える。そして、小さな、小さな、白く銀色に輝く球だけが残った。


 見るも美しく。見るも悍しいその光の球は、例えるなら"星"だ。暗い夜空に浮かぶ、あの美しい星。

 遠く離れたこの世界にまでその存在を堂々と見せつける、莫大なエネルギーの塊。


 その"星"が今、目の前に在った。


「……んだ、ありゃ!!」


 人の拳ぐらいの小さな銀の星は、周りを虹色の光で囲い、鈴の音のような澄んだ音を等間隔で鳴らす。


 次の瞬間、カレン達は自分達の死を幻視する。圧倒的エネルギーを前になす術もなく包まれ、跡形もなく消え去る。そんな光景が脳裏に焼きつく。途端、そんなクソみたいな未来に言いようのない怒りが込み上げる。


 何故こんな目に遭わなければならない。何故殺されなければならない。何故死ななければならない。何故生きていてはいけない。


 考えれば考えるほどこの理不尽な世界に腹が立って仕方ない。


「舐ァめるなァァァァァァッ!!」


 怒りの咆哮と共に、赤黒い(もや)のようは魔力が爆発したように大量に噴き出す。

 体は動かせずとも、体内魔力は自在に動かせるのだ。

 体外に排出した膨大な魔力は氷界竜(ひょうかいりゅう)によって固めまれた魔素領域を侵し、徐々にその支配力を解いてゆく。そして、カレン達を捉えていた魔素領域は噴き出す魔力に耐えきれず、甲高い音を鳴らして粉々に砕けちった。


「流石は殿、拙者感服いたし――」


「すまない」


 かなりの強行手段で体の自由を奪い返したカレンに、ゼルが感謝と畏敬の念を抱いたのも束の間。背後から謝罪の言葉が飛んでくる。急な事でつい「なにが?」と素っ頓狂に言葉を返したゼルは背後に顔を向ける。


 謝罪の言葉を述べたのは案の定ロロンだった。そして非常に申し訳なさそうな顔を向けていた。


「すまん………時間切れだ」


「ワオ………」


 その言葉の意味するところは特殊能力(スキル)【絶対防御】の時間切れだった。だが、カレンにとってそれは最早重要ではなかった。例え【絶対防御】の効果が切れていなくとも、それに頼るつもりはなかったからだ。


 カレンはその場を後に、ゼルとロロンのところまで一瞬にして移動する。最早どこにいても同じだ、バラける必要はないと判断したのだ。


「主、すまない……【絶対防御】の効果が切れた。だから――」


「謝罪する暇があるなら何か考えろカス!」


 謝罪を口にしようとするロロンの言葉を遮る。そんなものは後で聞けばいい。今は生存方法が知りたいのだ。


「殿、やはりここは相殺でどうですかな?」


「アレ相殺出来ると思うか? つかな、仮に相殺なんかしたら結局巻き込まれて死ぬだろうが、この脳筋!」


「ではもう無理でござる!」


「簡単に諦めんなクソが!」


 ツッコミの意味を込めて頭を殴る。なかなか鈍く重い音が鳴る。すると痛かったのか、殴られた箇所をさすりながら「ではどうしろと?」とゼルが聞き返す。


「だからそれを今考えてんだろうが、殺すぞカス!」


「主、魔剣で対処は?」


「無理だな。四十パーセント程度の解放状態じゃ流石に限度がある。これ以上力の解放も出来ん。それこそオレが死ぬ」


「ふむ、本末転倒か……」


「ではやはり、ここは単純な策がよろしいかと」


 顎をしゃくって先を促す。


氷界竜(ひょうかいりゅう)殿のあの攻撃は何がなんでも撃たせてはならない。しかし、撃たせないというものは現時点の我々では不可能でござる。よって、考えの逆転でござる。阻止が不可能なら撃たせれば良い。ただし、殿が囮となって上空にて迎え撃つ必要がございますが!」


 要は地上に撃たれた場合だと、例え避けたとしても地面に着弾した途端にその莫大な魔力の衝撃でお陀仏となるが、上空に撃たせればその心配はない、という事だ。実にシンプルな策だが、現状一番生き残れる可能性が高い。


「それしかないか……」


 元々考えていたことではあったが、いざ自分が囮となると渋ってしまう。なにせ、"氷界の一撃(ジュデッカ)"以上の魔力量だ。死ぬ確率は極めて高い。しかし、逆にカレンが囮とならずこのまま地上で構えてしまえば、それはそれでアウトである。

 無駄に殺すつもりはないと言っていたことから、その確率は低そうであるとも考えらるが、万が一がある。

 気乗りはしないが、やるしかなかった。


「お前らは一時退避。それでもヤバそうなら各自好きに動け」


「承知」


「了解した」


「さてと……」


 カレンは脚をバネに空高く跳躍し、青空を背に〈天翔〉でその場に止まる。すると、氷界竜(ひょうかいりゅう)もカレンを追って、その首を上へと回す。どうやら、地上に撃たれる心配はなさそうだ。


「馬鹿みたいに同じこと繰り返しやがって、この早漏野郎が!」


 そうして忌々しく顔を歪め、悪態をつく。

 これまでの氷界竜(ひょうかいりゅう)攻撃は主に竜砲撃(ブレス)を撃つという単純な繰り返しだ。聞くだけなら対処しやすいと思うかもしれないが、どれも即死レベルの一撃故にそんな生やさしいものではない。おかげで精神的体力がごっそりと持っていかれていた。

 カレン達の集中力もそう長くは続かない。そんな中の"一撃必殺"だ。もう腹が立つとか、そんなレベルではない。


 憎い。


 カレンの心を憎悪が埋め尽くす。


「このクソ野郎が。調子に乗るなよ。昔サタンが何したかなんざ知らないがな、テメェらのくだらない都合でこのオレを巻き込むな。不快だぞ!」


 額に青筋が走る。


 白目がドス黒く染まり、眼は紅く鈍く光る。目尻から顳顬(こめかみ)にかけて赤黒い血管模様が走り、体のあちこちから限りなく黒に近い紅い魔力が漏れ出す。


 その間にも、白銀の球は更に強烈な光を放つ。それは暗き空に浮かぶ星のようだ。


「テメェの汚い汁なんざ紙と一緒に宇宙(ゴミ箱)行きだ!」


 根滅剣を胸の高さに構え、真紅に染まった刃に左手を添える。


「頼むぞ、紅姫。お前だけが頼りだからな」


 カレンの強烈な"生"への――妄執にも近い――想いに、紅姫が応える。真紅の刀身が鼓動のように明滅する。


 カレンの纏うドス紅黒い靄が蛇のように蠢く。あんなに美しかった青空はいつしか真紅に染まり、まるでこの世の終わりを告げるようにその空模様(かお)を変える。


「主……」


「殿……」


 ロロンとゼルは命令通り一時退避する。出来るだけ遠くに離れ、遥か上空に一人待ち構えるカレンを見守る。

 本来ならば自分達が盾とならねばならないのだが、カレン曰く、自分達を失った時の損失が大きいらしく死なせたくないとの事だ。

 ロロン達はその言葉を素直に嬉しく思うが、逆に歯痒く思う。護らねばならない立場の者が逆に護られるなどお笑い草だ。本来ならあってはならない。


 カレンが命の危機に立たされているというのに何も出来ない。仮に今氷界竜(ひょうかいりゅう)に攻撃を仕掛けたとするなら、当然標的はロロンとゼルになる。そうなった場合の未来は想像に難くない。この場の全員あの世行きだ。


「役に立てぬとは苦しいものよ……」


「ああ……」


「もしもの時の覚悟は?」


「無論、この命に変えても……」


「フハハッ、拙者もでござる!」


 銀の輝きを押し退け、真紅が空を侵食する。根滅剣はカレンに呼応するように絶叫をあげた。


「………来い、クソ野郎。ぶっ殺してやる!」


 地獄から響くような低い声を発し、眼が険しく、鋭く細まる。

 危機的状況にあっても、その殺意に一変の揺らぎはなかった。

 寧ろ増していく一方であった。


 そして氷界竜(ひょうかいりゅう)もまた、大瀑布の如き殺気を浴びつつも、心は凪のようにただ冷静だった。


 銀の星が臨界点を突破する。虹色の光をオーロラのように纏い、触れるもの全ての時間を止める極寒の冷気を撒き散らす。


 この星を名付けるとするなら――"破晄ノ星"


「さらばだ、転生者!」


 全てを滅する破壊の星が今、昇る。




 ♢♢♢♢♢


 氷山を降りるルミナス一行。戦いの余波に巻き込まれない為にも、降りる速度は早足だ。

 クラリスの背には手足を失ったバーカンティー。アレンの腕の中には、魔力切れを引き起こしぐったりと寄りかかるマイン。


「バーカンティーちゃん、大丈夫?」


「まぁ、なんとかな……根源砕かれてめちゃくちゃ痛いけど、死にはせえへん……」


「その失った手足は……元に戻るんですか?」


 もしもの時を考えて聞きにくいのか、ローリエが少し申し訳なさそうに尋ねる。しかし、その心配も杞憂に終わる。


「根源が治ったらそれに伴って手足も元に戻る。心配あらへん」


「そうですか、良かった……!」


 ほっと安堵の息を吐く。が、ルミナスはいい顔はしなかった。カレンが以前根源にダメージを負った時はかなり寝込んだのだ。

 当時、カレンは十パーセント程度根源を負傷していた。

 聞くところによると、根源は指先を少し切るだけで全身に激痛が走るらしい。となると、手足を失い、その分の根源も砕かれたバーカンティーの今の状態はきっととんでもなく苦しい筈だ。おそらく意識を保っているのですら奇跡的だろう。だが、彼女はしっかり意識を保っている。額から滴る脂汗がその苦しさを物語っているようだが、それでも受け答えもしていた。

 とんでもなく強い精神力だ。正直ルミナスは羨ましいとさえ思う。


「どうしたの、シェイバちゃん?」


「ううん……なんでもない……」


「ですが、さっきからお元気が無いようですが?」


「そうかな?」


「ええ……もしかして怪我でもしてるの?」


「怪我という怪我はしていない。全部かすり傷程度だったし、もう治った……」


「そういえばシェイバ、君傷が一つもないじゃないか。どうなってるんだ?」


 アレンの疑問にバーカンティーが答える。


特殊能力(スキル)【再生】の力やろ。大抵の怪我は元通りに治る特殊能力(スキル)や。ウチも(おんな)じような特殊能力(スキル)持っとるから、多分それや」


「へぇ〜、便利じゃないか!」


 怪我が一つもないのが特殊能力(スキル)の力だと知り、アレンはキラキラした目で羨ましそうにシェイバを見つめる。

 場の空気を少しでも良くしようとしているのだろう。


「はは……そうだな」


 力なく笑う。元気がないのを誤魔化そうとしているのが見え見えだった。いや、誤魔化せてすらいなかった。

 様子がおかしいのは明白だ。そんな時、空気を変えようとしたのか知らないが、バーカンティーが爆弾を落とす。


「なぁ、シェイバ……自分、アレイスターに惚れとんのか?」


 落ちて来た爆弾に驚き、急停止する。後ろを歩いていたローリエが自分にぶつかった事にも気づかず、ルミナスの顔は耳まで真っ赤に染まる。


「なんッ、なっななななっな、なん、なっ?!」


 燃え上がるように頭から湯気を立ち上らせ、あからさまに挙動不審になる。


「うわ、わかりやす……」


(可愛いわねぇ、シェイバちゃん……)


「で、そこんところどうなん?」


「わ、わわわっわ、私は……べ、べ別に……!」


「あー……わかった、わかった、惚れとんやな。聞いたウチがバカやったわ」


「そ、そんなんじゃ……!」


「あら、別に否定しなくてもいいじゃない。悪い事じゃないんだから……好きなんでしょ。カレンちゃんのこと?」


「わ、私は……」


 今までそんな事を考えたこともなかったルミナスは戸惑う。


 そもそも"好き"とか"惚れた"とかはどういう感情なのだろうか。

 ルミナスがカレンに思うのは、ただいっぱい話をしたいとか、もっと側にいたいとか、優しく笑いかけて欲しいとか、頭を撫でて欲しいとか、側にいると安心するとか、心が温まるとか、そんなことぐらいである。


「いや、それを"好き"って言うんじゃないの?」


「えっ! そうなのか?!」


「えぇ……そっから?」


「もしかして、初恋的なやつですか?」


「えっ……あ……!」


 熱った顔に手を当て、顔を伏せる。驚きと戸惑いで心の整理がつかない様子だった。


「で、結局のところどうなのかしら?」


「それは……」


 正直まだわからない。

 仮にこの気持ちに名前をつけるなら、確かに"恋"というものなのかもしれない。だが、本当にそうだろうか。ルミナスは、ただ自分はカレンに依存しているだけなのではと考える。

 強者のそばにいればそれだけ生存率が高まる。それはこの弱肉強食の世界でそれは賢い判断と言えた。だから、自分はそれを狙ってカレンといるんじゃないか、とつい考えてしまう。勿論ルミナスはそんな事を考えた事はない。だが、深層心理では何を考えているかわからないのが人の性である。


「私にも、よくわからないんだぞ……」


 ルミナスは迷う。カレンを本当に"好き"になっていいのか、と。

 ルミナス自身大袈裟なのではと考える。しかし、カレンの姿を思い浮かべる度に思ってしまう。


 この気持ちは罪なのではないか、と。


 魔族は世界の敵対者。カレンと行動を共にするようになってからや、リュウガが魔導国から留学生として人間の国にやって来てからは、そんな認識は無くなりつつあった。だが、こう考えてしまうのだ。


 自分は良くても、果たして周りがどんな視線をぶつけてくるのかと。


「確かに私は魔族に対して悪い印象を抱いてはいない。でも……何処かで線引きしてしまっている自分がいるんだ」


「私はそんな自分が嫌いだ……」そう吐き捨て、ルミナスは背中を向けて歩き出す。


 要は、自分がかわいい卑怯者なのだ。そんな自分が、果たして他人を好きになる資格があるのだろうか。そんな思いを抱えていた。

 くだらないと吐き捨てしまうのは簡単だ。だが魔族を敵と定めている今の世界があるのは事実であるが故に、軽々しく一蹴は出来ない。

 実際、カレンが魔族と知られ、ルミナスが想いを伝えたら、周りの目は敵意に満ちるだろう。


 自分が納得しても、周りが納得しなければ、その想いは辛いものとなる。物語のように「例え周りが反対しても、私は君を想う。ずっと側にいる!」なんてものは、現実では不可能なのだ。


 人は他者の視線を気にせずにはいられない。それが"感情"というものである。


「シェイバちゃん……」


「なるほどな……」


 場を盛り上げようと軽い気持ちで聞いたらかなり重い話になってしまった。

 バーカンティーはどうしたものかとぎこちなく表情(かお)を崩して思い悩む。そんな時、強烈な銀の光が世界を照らす。光源は氷山の山頂だ。


「こ、この光は……?!」


氷界竜(ひょうかいりゅう)竜砲撃(ブレス)。いや、それ以上の何か!」


 氷界竜(ひょうかいりゅう)の発する強烈な光。今迄の比ではない莫大な魔力の奔流を感じ取り、アレンは険しく顔を歪める。


「急いで降りた方がいい。この様子だと巻き込まれたら終わりだ!」


 アレン達はペースを上げ、早足で山を下りる。


「カレン……!」


 ルミナスは嫌な予感を覚える。胸がざわつき、肌が気持ち悪く粟立つ。

 その場から動けない。視線は山頂に釘付けだ。


「シェイバさん、何してるんですか、早く!」


 そう呼びかけるローリエの声も届かず、ルミナスは背中を向けたままだ。ローリエはルミナスまで駆け寄り「早く下りましょう。ここは危険です!」手を引っ張る。その途端、空が真紅に染まる。同時に、濁流のような勢いの殺気がルミナス達を飲み込む。


 何百、何千という死を幻視する。

 ローリエとクラリス達はその場に腰を抜かす。だが、ルミナスだけは立っていた。ただ、静かに上を見上げていた。


「シェ、シェイバさん……」


 ローリエは縋るようにルミナスの服の裾を掴む。恐怖のあまり、助けて、と懇願してしまいそうになるが、振り返ったルミナスの顔を見て、その言葉も引っ込む。


「ロリちゃん先輩……」


「……!!」


 ルミナスは眉を八の字に曲げ、優しく笑んでいた。


「私、カレンのところに行ってくる」


「?!!」


 どうかしている。ルミナスの力では氷界竜(ひょうかいりゅう)には一切が通用しない。ましてや今の状況で山頂に行く事は死を意味している。だが、ルミナスは優しく笑う。迷いのない眼をしていた。


「私、カレンのそばにいたいんだ……!」


 ローリエは引き留めようと手を伸ばす。だが、その手は空気を掴むだけで、ルミナスを引き溜める事は出来なかった。


(カレン、すぐに行くから。だから、待ってて!)


 氷山を駆け上がる。最期はせめて、"愛しい"人のそばで。



 特殊能力【水神】ーー発現した際に全ての水属性魔法の情報を頭に叩き込まれ、使用可能になる。

 【水神】発動中は水に関する事ならほぼ自由自在になんでも出来る。魔力を消費せずに水を操ることも可能。しかしその場合、威力は半減する。反対に魔法として水属性魔法を使用した場合は威力が向上。五倍以上の効果と威力になる。魔力の消費も水属性に関しては三十パーセントカットする。

 

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