烈戦
その内修正入れます
開戦して間もないが、やはり竜王と呼ばれるだけの事はある。
カレンは既に全力全開で戦っているというのに、氷界竜はまだまだ余力を残している様子だった。
「やれやれ……」
先に動いたのはカレンだった。どっしりと構える氷界竜へと駆け、次々と降り続く――直径十メートルを超える――巨大な氷塊を前に視線を鋭く獰猛に表情を染める。
真紅の刀が鈍く優艶な光の線を描く。
氷塊は切断されたわけでもなく、ましてや砕け散る事もなかった。ただ塵と化し、この世から完全に姿を消す。
カレンに負けじと、ゼル、ロロンが続く。同じく降り注ぐ氷塊を金糸で斬り刻み、拳で撃ち砕く。どれもこれも魔力を込められた氷塊は硬い。こうして処理するだけでも一苦労である。
「細かな攻撃をして来ないな。厄介だ」
小さな攻撃。例えば氷の槍を放った場合、その攻撃範囲はその質量に伴い狭く、対処しやすい。しかし、今氷界竜が生み出している氷塊は質量、範囲、威力共に絶大な効力を発揮し、単純な力が無ければ対処は難しい。
羽虫を殺すのに、わざわざ小石を投げる必要はない。そんなものは例え命中したとしても軽くて大したダメージにはならない。確実に仕留めるならば、広範囲で高威力の攻撃を浴びせるのが合理的である。
「どおりぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ゼルとロロンが進む後方から裂帛の咆哮がする。肩越しに振り返れば、バーカンティーとルミナスを先頭にクラリス、ローリエ、マイン、アレンが続いていた。
バーカンティーが落ちて来る氷塊を乖離剣で斬る。それだけで氷塊は無数の細かなキューブ状に分断され、それをルミナスとマインが処理してゆく。
「あらホントにすごいわねぇ、目を疑っちゃうわ!」
「本当に魔剣ってデタラメなんですね……!」
「ハッハッハ! バーカンティー殿、魔剣の力とは素晴らしいものでござるな!」
嘘のような魔剣の力を前にゼルが愉快に笑う。
「竜の王様には効かへんかったけどな!」
「いやいや……ところでバーカンティー殿、一つお願いしたい事が――」
降ってきた氷塊を金糸で両断し、それを更に両断。四つに分断されたそれを、ロロンがその場から拳を振り、拳圧で破壊する。
「――ござる。先頭を走って、降って来る氷塊を処理してはくださらぬか? その魔剣ならば、苦にはならぬ筈でござる」
「なんやそんな事か……ええで、ウチが前行ったるわ。但し言っとくけど、物質は斬れても魔力なんかの非物質は斬れへんからな」
「十分にござる。かたじけない!」
バーカンティーはゼルとロロンの間を通り抜け、先頭に躍りでると、乖離剣で氷塊を細切れにする。
「魔力の含有量に関係なく、こうも簡単に分解するか……恐ろしいな、魔剣とは」
「然り。だが、殿の魔剣はもっと恐ろしいでござる。あれで斬られては一溜まりもござらん!」
バーカンティーの更にその前。たった一人で斬り進むカレンは氷塊を塵にし、その元凶たる氷界竜の真正面にまで来ていた。
根滅剣を肩に担ぎ、不敵に睥睨する。
一方の氷界竜は不遜な態度で見下す。
「単刀直入に聞く。オレの始末を誰に頼まれた?」
「………」
「黙んまり決め込んでないで何か言ったらどうだ?」
「貴様に答える必要性を感じないな……どうせすぐに死ぬ」
「だったら尚更教えてくれてもいいだろ。これからオレはお前に殺されるんだ。出した情報は紙と一緒にゴミ箱だ」
「そうやって簡単に吐くとでも? 舐められたものだ」
翼を広げ目を細める。その途端、氷界竜の纏う重圧が増す。更に纏っていた氷の鎧が厚く刺々しく攻撃的な形へと変貌する。いよいよ本腰を入れるという表れだ。
「貴様に恨みは無いが、この世から消えてもらう」
「上等だ。やれるもんならやってみろカス!」
カレンの眼が一瞬で真紅に変色する。体から溢れる気配は禍々しく、先程とはまるで別人のようだ。
肩に担いだ根滅剣はカレンに呼応するように刀身から赤黒い靄を立ち上らせる。
「まったく、マグダウェルは貴様のどこを気に入ったのだろうな……」
「知るか、んな事!」
氷界竜目掛けて跳ぶ。狙いは全ての生物に共通する急所の一つ、首だ。
「愚か者め……!」
カレンの進行方向に無数の――直径一メートル程の――氷の球体が現れた、かと思えば、球体は突如としてその形を変え、鋭い氷の棘を生やす。
眼前は棘に覆われて道がない。カレンは舌打ちを鳴らし、構えた根滅剣から手を前に伸ばす。
「邪魔だ――〈拡散魔導衝撃波〉」
放たれた音の衝撃は氷針の球を全て砕き、道を作る。しかし、その先に待っていたのは尾を高々と振り上げた氷界竜の姿だった。
「ちっ! 忙しいこった!」
大上段に構えられた氷刃尾は、予想を遥かに上回る速度で振り下ろされる。
根滅剣で受け流そうとするが、銀に輝くその刃尾はカレンに到達するその刹那、一瞬にして氷が覆い、連なる剣山を作り上げる。
「っ?!」
剣山の棘はどれも細かく、入れるような隙間も無い。おまけにかなり範囲も広く、今更逃げようがなかった。
障壁を張った所で地面に叩きつけられて、あとは質量で押しつぶされる。故に、カレンの取る手段は攻撃の一択だった。
再度魔力を込め、剣山の壁を睨みつける。
広範囲はいらない。必要なのは一点突破だ。
「〈一天破壊波〉!」
〈一天破壊波〉。一点集中型の上一級魔法。衝撃波を広範囲にではなく、一点に集中する事により、威力と貫通力を上げた魔法である。
カレンの手の平から、音の波動が放たれる。〈一天破壊波〉は空気の壁を突き抜け、剣山の壁に到達すると、その中心を見事に撃ち砕く。
道が出来た。だが、氷刃尾の勢いは止まらない。〈一天破壊波〉など初めから無かったかのように振り下ろされる。
カレンは〈魔力障壁〉で足場をつくり、氷刃尾を迎え撃つ。が、圧倒的質量と力の前に足場の障壁は簡単に砕け散り、カレンは氷地へと叩き落とされる。
「カレン!!」
遅れてやって来たルミナスがカレンの元へと駆け寄る。すると氷地が爆ぜ、カレンが姿を現す。
「ちっ、馬鹿力が!」
なかなか近づけない事にイライラが募る。
「カレン、大丈夫か?」
「ほっとけ! ロロン、ゼル、オレと来い!」
「カレン、私も――」
「黙れ、お前は邪魔だ!」
真紅の眼光がルミナスを射抜く。
肌が粟立つ。
「カ、カレン……?!」
カレンから漏れ出す怒りや殺気がその眼光に乗せられ、まるで自分に向けられているような錯覚を覚える。
一方、カレンはカレンで思い通りにいかない事実にかなり苛ついており、ルミナスに八つ当たりをする。しかし、邪魔、というのは苛立ち以前に事実だ。この場において、ルミナスは邪魔でしかない。先の〈神罰の炎〉がいい証拠だ。
カレンに射すくめられ、ルミナスは萎縮してしまう。
怯えている場合ではない。今は戦いの真っ只中だ。しかも相手は竜王。一瞬の隙が命取りだ。だが、カレンからこういった負の感情を向けられると胸が締め付けられるように痛み、戦いどころでなくなってしまう。だけど、逃げてはいけない。怖がっていてはいけない。今のカレンは、とても危ういから。
「私も行く!」
「邪魔だって言ってんだろうがカス!」
「嫌だ、私も行――」
突如、影が二人を覆う。氷界竜の前脚による振り下ろしだ。
「人が話してる時は大人しく待ってろクソが!」
前脚を迎え撃つ形で根滅剣を全力でぶつける。途端、金属とも違う重くどっしりとした轟音と衝撃波が生まれ、足元を中心に一気に氷の塵を巻き上げて亀裂を走らせる。
(やっぱそう簡単には斬れないか……!)
カレンは根滅剣の当たった箇所を睨みつけ、悪態をつく。仮にも解放状態の根滅剣の一撃だ。数ミリ程度の傷を負ってくれても良いものだが、乖離剣同様、やはりそう簡単にはいかないようであった。
「こ、のっ……!」
真っ向から受け止めたは良いものの、やはり力の張り合いとなると分が悪い。徐々に押され始める。このままでは中身をぶちまけて圧殺だ。
「あれだけ吠えておきながらその程度か? 聴いて呆れるな……」
「ほざけクソヤロウ!」
「ふん、口だけは達者か」
氷界竜の脚に更に力が篭る。ご丁寧にカレンの足元を魔力で強化しており、多少のクッションとしての役割も期待できない。
「ぐっ……!!」
体のあちこちから骨の軋む音が鳴る。一度覚醒を遂げたカレンの肉体強度は相当なものだが、それでも氷界竜と比べれば羽虫同然である。
〈身体強化〉を使うという手もあるが、ハッキリ言って魔力値が百万を超えた時点で〈身体強化〉はあまり意味をなさない。魔力値百万を超えた覚醒者の体内では、莫大な魔力が肉体を強化しており、魔力消費をしなくても――本人の意思に関わらず――既に肉体は強化されている状態なのだ。結論を述べるなら、現状〈身体強化〉の魔法はなんの解決にもならない上、効果はほぼ皆無。魔力の無駄使いでしかない。
『苦戦しておるな、お前様よ』
「……!」
『助けは必要か?』
カレンの額に青筋が浮き上がる。紅姫の余裕な態度が癪に障る。
「テメェは黙って見てろ!」
「?」
『まったく素直ではないのう。可愛げが無い奴じゃ。まぁ、そういうところも愛おしいのじゃがのう!』
「無駄話に付き合ってる暇は無い。要がないなら引っ込んでろ!」
「カ、カレン、さっきから誰と――」
「テメェもさっきから地べたでケツ冷やしてないで何かしろ!!」
「?!」
カレンに余裕は無い。ゼルやロロンも、氷界竜から攻撃を受け、そちらで手一杯だ。そんな余裕無い状況でのんびりされていては腹立たしくて思考がまとまらない。
正直ルミナスに何か出来るとは思ってはいない。しかし、期待はしていなくとも、猫の手でも借りたいというのが本音である。
(それはつまり………私を頼りにしてるということか?!!)
あながち間違いではないが、違う。期待などされていない。しかし、ツッコむ者はこの場に誰一人としていないのもまた事実だった。
カレンから頼りにされていると勘違いしたルミナスは嬉しくてしかたないのか、グッと拳を握り、今日一番の眩しい笑顔を見せる。
「分かった! 私に任せろ!!」
勢いよく立ち上がり、握った拳を更に固め、後ろに引く。拳に魔力が集まり、白金の光を纏う。
半端な攻撃は一切通用しない。それは今迄のカレンの攻撃をものともしない光景から学習していた。
魔力の残量など考えても仕方がない。この状況を打破するには、全力をぶつけるのみだ。
「いっけぇぇぇぇぇ!!」
白金の光を纏った拳で、氷界竜の脚を全力で殴る。
拳が直撃したその瞬間、〈拡散魔導衝撃波〉が発動。鼓膜を破る程の凄まじい爆音を鳴らし、大気を一瞬震わせる。そして、氷界竜の脚がほんの僅かに押し戻される。
「良い意味で期待を裏切るなテメェは!」
刹那の隙を見逃さず、カレンはルミナスを掻っ攫い、電光石火でその場を離脱する。途端、前脚が氷地を踏みしだき、氷山を揺らす。
「ほう……」
自分と比べれば魔力値が圧倒的に劣るルミナスが、僅かとはいえ押し返した事実に興味を持つ。
目を細め、【氷天の竜眼】でルミナスを覗く。
深く、深く、根源まで覗く。しかし、これといって特別な何があるようには見えなかった。いくつか特殊能力を持ち合わせてはいるようだが、それだけだ。それ以外はその他多数と同じ、普通の天使だった。
(ふむ、魔力の使い方が上手いのか……なるほど)
「よそ見厳禁!」
気合の入った声に眼を背後に動かせば、ゼルが此方に跳んで拳を突き出していた。だが、当然ゼルの存在に気付いていた氷界竜は冷静に対処する。
「余所見などした覚えは無い」
少し呆れを含んだ言葉を返し、氷刃尾でゼルを叩き落とす。ついでに反対側下から同じく攻撃を仕掛けるロロンを氷塊で牽制する。
牽制の意味で放たれた氷塊はどれも一撃で戦闘不能になる攻撃ばかり。流石に一人で突っ込むのは無謀だ。ロロンは後退を余儀なくされる。
「やはりダメか!」
おそらくゼルは囮。本命はロロンだったのだろう。単純だが、ゼルやロロンクラスの強者が行う戦法としては悪くない。しかし、相手が悪かった。
「ハッハッハッハッ! 盛り上がってきたぁぁぁぁぁ!!」
叩き落とされた筈のゼルが拳を天に向けて歓喜に叫ぶ。
「うるさい、カスが」
カレンがツッコミの意味を込めてゼルの頭を軽く叩く。ルミナスは隣でびっくり顔だ。
「何してんだお前は」
「いやはや、ここ数年は全力で戦う事がなかったゆえ。拙者、これ以上なく高揚しているのであります!!」
「そうか、だったら行ってこいバカ」
「承知っ!!」
キレのある敬礼を残し、高笑いを上げながら氷界竜へと突っ込んでゆく。どうやら本当に楽しいらしい。高笑いをするゼルにロロンが驚いた顔する姿はこんな状況でも少し可笑しく思え、幾らか心が落ち着く。そこで気がつく。
「バーカンティーとオカマ共はどこ行った?」
「そう言えばさっきから姿が見えないぞ」と真顔で言いながら、〈神罰の炎〉を三連発する。着弾した〈神罰の炎〉は、強烈な熱量と爆風を撒き散らし、二発、三発と続けて大爆発を起こす。
見事な地獄絵図だ。
『無茶苦茶じゃの……』
『同感だ……』
サラッととんでもない事をするものだと思いながら、カレンもゼルに続き氷界竜へと突っ込んで行く。
「あ、カレン私も!」
置いて行かれるわけにはいかない。ルミナスも慌てて続く。
「ロロン、クソ野郎の注意を引け!」
「了解した!」
カレンの指示に従い。ロロンは高威力の水属性魔法、〈水鋼斬刃〉を牽制として撃つ。極限まで薄く研がれた水の刃が氷界竜を襲う。だが、水刃は氷界竜に当たる直前で一瞬で凍りつき、儚く砕け散る。
〈水鋼斬刃〉。水属性の上一級魔法。極限まで圧縮した水を薄く刃状に形成し放つ単純な魔法。しかしその威力は凄まじく、オリハルコンクラス程度なら豆腐のように切断が可能だ。
(当然のように効かないか……だが、目的は注意を引きつける事だ。効かなくても問題はない!)
氷界竜が落としてくる氷塊同様、牽制で放つような魔法ではないが、氷界竜相手には丁度良いのかもしれない。
「ゼル、なんとかして傷を負わせろ。その後はオレがやる!」
「承知!」
「ルミナス!」
「なんだ、カレン?」
「お前もロロンと一緒だ。とにかくなんでもいいから氷界竜の注意を引け。それとコレ持っとけ」
胸ポケットから薄赤色の液体が入った小瓶を取り出し、それをルミナスへ投げ渡す。
「コレは?」
「……魔力回復薬だ。使い時を間違えるな」
「分かった、私に任せろ!」
妙にやる気を漲らせたルミナスは剣をしまい、炎属性の魔法を撃ちまくる。
「てりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃッ!!」
爆音と熱風の嵐。情け容赦ない連爆の花は、ロロンの放つ〈水鋼斬刃〉と時折重なり、水蒸気爆発を起こし、視界を遮る。
「拙者も負けてはいられませぬな!」
金糸を大気中の魔素に引っ掛け、上へ、上へと登って行く。そして氷山より百メートルの高さまでやって来ると、金糸の両端を魔素に引っ掛け、ゴムのような反発する力を利用して氷界竜目掛けて急速落下する。
しかし氷界竜のことだ。きっとゼルの存在には気付いているだろう。この奇襲も簡単に対処されてしまう筈である。
「ハッハッハッハッハッ!! 滾る! 漲る! 迸る!」
ゼルは背から伸びた四本の腕全てから金糸を出し、無造作に引っ掛けまくる。そうして出来上がった蜘蛛の巣を足場に、ゼルは縦横無尽に駆ける。
「ちょこまかと鬱陶しい!」
ロロン達の攻撃など意に返さず、意識はゼルへと向く。
翼を大きく広げた。すると、翼膜に銀の尖った鱗のようなものが形成されてゆく。
当然の如く氷で出来たものだ。
一つ一つが二メートルを超える白銀の槍は最早数え切れない。そんな膨大な数の槍が一斉に上へ向く。途端、、空気の弾ける音と共に全弾発射される。
白銀の槍はその全てが即死級の威力を誇り、当たったら最後、体がバラバラに弾け飛ぶ。
決して当たるわけにはいかない。
ゼルは金糸を駆使して避けるが、飛んでくる白銀の槍はゼルが張り巡らせた糸を悉く断ち切り、逃げ場を奪ってゆく。
「まさに絶体絶命! しかし、拙者に後退の二文字はござらん!」
全ての指から金糸を飛ばす。足場を作り。自身の体を引っ張っり。槍に引っ掛けて投げ返し、相殺する。刹那の世界で異常な身のこなしを魅せる。
「存外しぶといものだな……」
豪を煮やした氷界竜は首をゼルヘと向け、その顎を大きく開く。途端、口腔内、その最奥に白銀の光が灯る。氷界の一撃だ。
「まずい!!」
「させないぞ!」
上空へ向けての氷界の一撃。おそらく地上へ放つものとは段違いの威力だろう。しかし、ゼルの前進は止まらない。尚も加速する一方だ。
ロロンとルミナスは血相を変え、自身の中で最も強力な魔法の準備に入る。最早牽制射撃などしている場合ではなかった。
ルミナスは〈神罰の炎〉。ロロンは〈一白水星〉という極滅級魔法だ。
手の中に小さな太陽が。もう一方の手には小さな海が。
どちらも加減を知らないのか、莫大な魔力の奔流が起こる。
特にルミナスに至っては残りの魔力を全てつぎ込む勢いだ。魔力値にして約五十万以上。ロロンに関しては百万近くの魔力を込めていた。
これには流石の氷界竜もルミナス達に意識を向けざるをえない。
「次から次へと!」
当初予定していたより手こずっている事実に多少の苛立ちを覚える。
氷界竜は標的をゼルからルミナスとロロンへと変える。ゼルよりもルミナスとロロンの方が脅威と見なしたのだ。
いくら氷界竜とは言え、それだけ膨大な魔力の塊をまともに受ければタダでは済まない。危険な芽は先に摘むのが定石である。
銀の光が今までにない程輝きを増す。
地上に撃てば大陸が全て氷漬けとなり、氷河期へと変貌してしまうが、それでカレン諸共始末出来るのであれば重畳である。
その際に人間が絶滅しても、氷界竜にとっては差したる問題ではない。
炎劫竜は怒るだろうが、それさえ問題ではない。
今は目の前の掃除が優先だ。
「ちっ! 早漏野郎が!」
確実な死の予感。例えロロンの【絶対防御】を駆使したとしても、即死は免れない。カレンの脳は警報を鳴らし、体は生きる為に全力で動く。だが、次の瞬間にはカレンの脚は徐々に動きを止め、最後には完全に立ち止まってしまう。
『何故止まるのじゃお前様?』
「必要無くなった」
『?』
カレンは顎をしゃくって向かい側へ視線を促す。すると、そこには五つの影。バーカンティー達だ。
殆ど足手まといのクラリス達だが、直感で任せても問題ないと判断する。理由はないが、何故か先程まであった焦燥感は消えていた。
「よっしゃ、いくぜアレン!!」
「クラリス、ローリエ、バーカンティー、後は任せたよ!」
「任せなさい!」
「いつでもいけます!」
「行ってこい、根性見せてみろや!!」
バーカンティーは別として、氷界竜の意識から完全に外されているマイン、アレン、クラリス、ローリエ。それは戦力外であると告げられているのと同意であった。
正直、悔しい気持ちなどはない。寧ろ竜王という世界の頂点に君臨する化物に、ちっぽけで矮小な自分達が相手にされないのは当然だと思っていた。しかし、それが功を奏した。
相手にされなかったからこそ、好きに行動できる。相手にされなかったからこそ、潜り込めたのだ。
氷界竜の腹の下に。
「アレン、アタシの体任せたぜ!」
「うん!」
マインは一人加速し、腹の下に滑り込むと、間髪入れずに魔法を放つ。
「〈硫溶解滅消〉!!」
狙うはガラ空きの腹、ではなく、氷界竜の足元。加えて付け足すなら、後脚の足元だ。
今マイン達のいるこの氷山は氷界竜によって造られたものであり、氷界竜の魔力によって維持されている。つまり、通常の氷とは違い、それだけ強く頑丈なのだ。故に、ちょっとやそっとの魔法では崩すことも解かす事も出来ない。よって、マインはこの魔法に全魔力を注ぎ込む。
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
澄んだ青い液体が濁流の如き勢いで氷地を侵す。途端、氷の大地は――マインが全魔力を込めた甲斐あって――凄まじい勢いで溶け始め、あっという間に氷界竜の足元を崩す。
「っ?!」
足元が崩れ、氷界竜の頭は上を向く。同時に、臨界まで達した氷界の一撃は天に向けて巨大な氷の花束を幾千も作り出す。
あのまま撃たれていれば、カレン達のいるこの大陸はあっという間に氷河期を迎え、生物はその殆どが死に絶えていただろう。考えただけでも恐ろしいが、それも過ぎた事だ。マインの功績は大きい。
カレンは腕を組み、呆れた声をこぼす。
「強者の余裕も足を掬われたんじゃ世話ないな」
魔力切れに陥り、マインはその場にぐったりと倒れる。まるで糸の切れた人形を彷彿とさせた。そんなマインをアレンが素早く回収し、急いでその場を離脱する。
しかし、それをはいそうですかと見逃す氷界竜ではなかった。
氷界の一撃を吐き続けつつも、氷界竜は巨大な氷塊を数個程作り出し、容赦なくアレン達へと落とす。
「やばいやばいやばいッ!!」
マインを担ぎ、自分達を覆う影に心臓の鼓動が嫌な方向に高鳴る。
全力で脚を動かしているが、間に合わない。この氷塊はクラリスでは破壊出来ない。ましてやクラリスより非力なアレンでは不可能だ。更に言えば、ローリエは別の魔法を構築していて、最早それどころではない。
(せめてマインちゃんだけでもッ!!)
死を予感し、肩に担いだマインをクラリスに向けて投げようと腕に力をいれる。その瞬間、氷塊が細かいキューブ状に分解される。
乖離剣の力だ。
「そのまま走れッ!」
バーカンティーが叫ぶ。引き続き氷塊を分解する。その間に、アレンとマインはクラリス達の元に命かながら辿り着く。
「ローリエちゃん!」
「はいッ!」
アレン達が戻ってすぐ、ローリエが動く。
あらかじめ組んでいた術式に魔力が流れ、魔法が発動する。
「〈炸光〉!」
小さな光が氷界竜の頭に向かって放たれた。しかし、〈炸光〉は頭を通り過ぎ、氷界竜の正面まで行ってしまう。
失敗か、そんな言葉が氷界竜の脳裏をよぎった。その瞬間、小さな光が弾けて強烈な光を放つ。
世界が白く光に包まれる。
ロロンとルミナス、カレンは目元を手で覆い、強烈な光から眼を守る。クラリス達も言わずもがな、直視しないように目を背けた。
「ッ?!!」
しかし、カレン達とは違いまともにその光を至近距離で直視てしまった氷界竜は、一瞬眼が使い物にならなくなってしまう。
視界は白く歪み、目の焦点が合わない。当然、その大きな隙を見逃す馬鹿はいない。
「バーカンティーちゃん!」
「おう、いっちょ頼むで!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ! 乙女パワーーッ!!」
〈身体強化〉に加えて全身の筋肉を総動員し、大剣の腹を使ってバーカンティーを全力で投げ飛ばす。
「今度こそ目にもの見せたるわ――魔剣解放!」
途端、自身の血液が大量に吸われる。第三段階まで解放していた乖離剣の力を一気に最終段階まで解放する。
黒い波動が津波のように広がる。それは壮大で、幻想的で、悍しい。
本能というものを根底から震えさせ、黒く染まった空は絶望の色を見せる。
乖離剣はドス黒い靄を纏い、時折り煮え滾るマグマのような光が生きているように脈を打つ。
"真・解放状態"。魔剣の力を百パーセント引き出した状態を表し、その力は絶大強力無比。
彼我の力量差関係なく、全てのものにその能力の影響を与える。しかし、そのあまりに強過ぎる力故に、持続時間は一分程度。加えて所有者にも負担をかけ、解放状態が切れた後はまったく動けなくなるという大きなデメリットが生じる。
「真・乖離剣 魔剣技!」
乖離剣の刀身から黒い靄が激しく噴き出す。剣の中心を流れる光は爛々と滾る光を放つ。それはさながら、地獄の炎のようだった。
「どりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――〔無間〕!!」
一筋の黒閃が走る。途端、音が止んだ。
それまで鼓膜が破れるほどの轟音鳴り響くその場所は、今はとても静かで、澄んでいて、それでいて不気味だった。
魔剣の力を全力でぶつけた後とは思えぬほどに、その場に音は無かった。
絶対分解能力。それが乖離剣が最終段階まで解放した際の能力だ。
ありとあらゆるものを分解してしまう力。水も、炎も、雷も、大地も、空も、この世に存在するものは全て分解する。
音が無いのは、氷界竜を斬るのと同時に、周りの空気も斬って分解してしまったからだ。
空気がなければ音は伝わらない。故に無音の領域を作り出したのである。
無くなった空気を補充するように、周りから空気が吸い寄せられる。途端――
「ガギャァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
――悲痛な絶叫が轟く。
頭から、首から、肩から、胴から、翼から、四肢から、尻尾から、全身から血を噴き出す。
氷の鎧は全て剥がされ、全てを弾くと思われていた外殻はぱっくりと大穴が空いていた。どれもこれも傷は大きく深い。致命傷に近いものばかりだ。
「クソッ!」
しかし、バーカンティーは表情険しく大きく悪態をつく。
(まだ生きとるやと?!)
正真正銘、乖離剣の全力。普通なら跡形もなく原子レベルにまで分解されている筈だった。だが、攻撃を受けた氷界竜は致命傷程度で済んでいたのだ。これには驚くより先に焦りが心を満たす。
何故だ、何故だと疑問だけが頭の中を回り続けるが。結局は理由がわからない。そうして悩んでいると、目を疑うような光景を目の当たりにする。
「なっ、再生やと?!」
傷が再生してゆく。しかも速度はかなり早い。どうやら【再生】持ちのようであった。
「ちっ! ゼル、再生させるな!」
カレンは舌打ちを一つするとすぐにゼルヘ指示を飛ばし、自身も氷界竜目掛けて駆け出す。
「御意ッ!!」
せっかく傷を負わせのに、再生されてしまっては労力が水の泡だ。
ゼルは金糸で槍を作り、それを投擲する。だが、いくら深い傷を負っていようと、この程度の攻撃が対処出来ない氷界竜ではない。
槍は氷界竜に届く前に凍りつき、粉々に砕け散る。
「くっ、届かぬか……!」
漏れ出す魔力か、それとも特殊能力の力か。いずれにしろ、ゼル達の攻撃は届く前に無力化されてしまう。
こちらの攻撃が全く通用しないという現実が、段々とゼル達に焦りを生ませる。
「もう一発やボケェ!」
地上ではバーカンティーが駆け、乖離剣を大きく引く。また〔無間〕をぶつけようという腹づもりなのだろう。しかし、二度も喰らうほど竜王という存在は優しくない。
「ガァッ!」
「んなッ?!」
間抜けな声が漏れたと共に、目の前を白銀色の光が覆い、バーカンティーを飲み込む。
威力を殺した速射性の竜砲撃だ。
威力を殺したと言っても、その威力は絶大である。天災級の竜が撃つ竜砲撃よりよっぽど強い。
「バーカンティーッ!」
ルミナスの絶叫が飛ぶ。
まともに受けたバーカンティーは全身の至る所が凍りつき、砕けた。しかも、根源まで凍りつくという最悪なおまけ付きだ。そのせいで特殊能力も上手く働かず、欠損した部位の再生が始まらない。更に運の悪いことに、力を使い果たした魔剣も深い眠りについてしまった。
最終段階まで解放した負荷が所有者であるバーカンティーに影響を与え、最早指一本も動かせない。
魔剣の力というものは絶大であるがその分負荷も大きい。
バーカンティー自身まだまだ乖離剣を使いこなせていないというのもあるが、この分だと数日は動けない。そんな最悪な状況が更に最悪の状況を生む。
「塵と消えよ!」
氷界竜が氷界の一撃の準備に入ったのだ。
その眼は血走り、殺す気満々だ。
「……やば」
絶体絶命。ルミナスが助けようと必死に脚を動かすが、間に合わない。
助けられないのか、そんな悔しい思いが痛みとなって胸を抉る。そんな時、突如としてカレンが根滅剣片手に死角から現れる。
「熱くなり過ぎだクソ野郎!」
傷を負わされた事で、視野が狭まっていた。
数百年ぶりの痛みは冷静さを失うには十分過ぎた。
氷界竜は本来の標的であるカレンからバーカンティーへと意識を変えてしまい、最も警戒すべき相手から眼を離してしまっていたのだ。そして、ここでもう一つ気がつく。傷口が一つ、金の糸で固定され治りきっていない事に。
「……ッ?!!」
「滅ぼせ、紅姫!」
真紅の一閃が振り下ろされる。




