依頼者
ここは標高九千メートルを超える氷山の頂上。地上より遥かに高いこの場所は、薄い酸素と凍てつく強風が生物の存在を許さない。
雲が地上を覆い、一面雲海が広がる。雲一つない天に在るは、爛々と照りつける太陽のみ。
何者も消し去る事敵わないその強い光は、見下ろすように彼を捉える。
彼は目を細め、半ば睨みつけるように太陽を見上げる。
眩しい。そして忌々しい。何度消し去ってくれようかと考えたことか。そこまで考えて、彼は頭を振って邪念を払う。太陽を消し去ってしまう事は彼にとって造作もないが、しかし、一時の感情によってやって良いことではない。やったが最後、代わりに多くの生物が死に絶えてしまう。加えて、この世界は闇に包まれ、崩壊の一途を辿るだろう。それは良くない。欲というものには限度というものが必要だ。これはその限度を超えている。例え自分は生き残れたとしても、他を巻き込んでしまうのは流石に忍びない。
彼は興味を失ったように太陽から目を離し、眼を下に向ける。
すると、標的の男が動き出す。黒い髪の魔族だ。何やら炎劫竜 マグダウェルと親しい仲にあるらしい。
「マグダウェルめ、長々と余計な事を……」
すっと耳に馴染む優しく威厳のある男の声。
しかし、その姿は人間とはかけ離れていた。
何故なら、彼は竜だからだ。しかも、ただの竜ではない。魔物達の頂点に君臨している、竜王なのだ。
彼の名は、"氷界竜 シリウス"。白銀の外殻と氷の鎧に身を包んだ竜王種の竜である。
全長二十八メートル。頭は平べったく三角の形をしている。目は右が金色で左が深い紫のオッドアイ。
体は細身だが、それは無駄な肉を極限まで削ぎ落とした結果であり、見た目以上に筋肉が引き締まっている為、力はかなり強い。
そしてその体の背中部分に生える翼は、まるで銀色のマントのように煌びやかで、太陽の光に反射して、キラキラと輝きを放つ。まるで小さく砕いた宝石が散りばめられているかのようだ。
体を支える四本の脚にはそれぞれ鋭利な四本の爪があり、まるで剣のような鈍い銀の光を放つ。実際、剣以上の切れ味を誇る。
体のバランスを保つ為の尻尾は、先に進むにつれて剣のような形状に変わり、爪同様に鈍い銀の光を放つ。
鱗や甲殻が重なり合って形を成したもので、その硬さ、鋭さにおいては爪や牙の比ではない。
「余程気に入っているようだな、マグダウェル……愚かな女だ」
炎劫竜の縄張りを侵し、半ば協定を破るような危険を冒したシリウスだが、炎劫竜はシリウスを咎める事はしなかった。それもその筈、彼女は甘いのだ。戦いを好まないと言ってもいい。故に、シリウスにどれだけ自分の縄張りを荒らされようと、彼女はシリウスが"不戦協定"を破ったと判断しなかった。したら最後、竜王同士で凄まじい戦闘を繰り広げることになり、周辺生物は文字通り殲滅されるからだ。そしてそれは、標的の男も例外ではない。
炎劫竜 マグダウェルは魔族の男に心底心酔しているようだった。
氷界竜 シリウスは目を細め、魔族の男を見る。
黒い髪。金色の瞳。尖った耳。聞いた話と多少の差異はあれど、ほぼ一致する。
「"魔帝 サタン"か……たいした魔力量ではないな。寧ろその隣にいる白い蜥蜴人の方が強いか。確か、ロロンと呼ばれていたな」
ムエルト大森海を急襲した際、魔力値二百万を超える――ロロンを含めた――四体の魔物がいた。どれもこれも一癖も二癖もある強者揃い。さしもの氷界竜 シリウスといえど、多少の苦戦は強いられる筈であった。しかし、彼らには圧倒的に足りていないものがあった。それは、場数だ。戦闘経験値が少な過ぎたのだ。つまり、戦闘経験値さえ豊富ならば、いい勝負が出来た可能性もあったのだ。
シリウスはその事実に渋い顔を作り、標的の男を睨みつける。
(いい手駒を持っている……)
標的の男も、その男が従える魔物も、どちらもこの先成長を遂げれば、後々厄介な存在となりうる。自分達竜王すら脅かすだろう。これは早急に掃除をしなくてはならないかもしれない。
「私に頭を下げてまで頼み込んでくるわけだ。納得だな……」
「そう思ってくれて何よりだわ」
向かって右側から、柔らかい、それでいて凛とした女性の声が届く。シリウスはそちらに顔を向けた。
そこには、黒いチャイナ服風の武道着に身を包んだ妙齢の女性が立っていた。
魔族の男を抹殺して欲しいと頼んできた依頼者だ。
身長は約百八十センチ。髪は透き通るような薄翠色のベリーショート。人形のように整った顔立ちと、短く凛々しい眉が特徴。切長の目に鎮座する透明感ある浅葱色の瞳は、まるで淡く光っているように見える。
程よく筋肉が付き、出るとこ出る引き締まった体。百人いれば、その全員が美女と答えるであろう、絶世の美女がそこにいた。
「何しに来た、監視のつもりか?」
「それもあるけど、一番は転生者をちゃんと見ておきたかったのよ」
そう言ってシリウスの横に並ぶ。シリウスは特に気にした様子もなく、顔を魔族の男に向ける。
「アレが、魔帝の肉体に宿った男ね……なるほど、やはり凄まじいわね」
女性は顎に手を添え、難しい顔で呟く。
女性に続くように、シリウスは特殊能力【氷天の竜眼】を魔族の男に向ける。すると、神々しいとしか形容し難い黄金の魔力と、それに混ざり合うように禍々しい真紅の魔力が強烈な光を放つ。二種の魔力を秘めているだけで十分凄まじいのだが、女が唸ったのは魔力ではない。
魔力の奥底に、魔族の男の根源を見つける。そこまでいって、シリウスは顔を盛大に歪める。
「黒いな……」
シリウスの零した不快感混じりの言葉に、女が頷く。
「ええ、色々な世界を見て回っているけど、あんなにドス黒い根源を見たのは初めてだわ。やはり魔帝の肉体に宿るだけの事はあるわね」
根源とは本来、目に見えぬものである。しかし、【魔眼】【天眼】【星眼】【神眼】【竜眼】など、特殊能力などによってその存在を見ることが出来る。その際、根源は大抵の場合白く映る。それは、種族問わず、全ての生物が一貫してそうである。
時折薄い青色や桜色、緑色などの根源が存在するのだが、どれも明るいキレイな色をしている。しかし、視界に映る魔族の根源はドス黒い。禍々しく、悍ましく、一片の光も見当たらない。
「異常……なんて言葉で片付けていい代物ではないわね……て、どうしたの?」
ふと隣を見れば、シリウスが険しい顔で目を細めていた。
「……視える」
「視えるって、何が?」
「根源の中に根源が視える」
「えっ?!」
ありえない。という言葉を飲み込み、女は身を乗り出すように魔族の男の根源を覗き込む。
深く、深く、その奥を覗く。すると、ほんの僅か。砂粒程度の光がドス黒い根源の中で光輝いているのを目の当たりにする。
真紅の光が爛々と強烈に。
「う、嘘でしょ……!!」
驚愕に声が震える。
「同じ肉体に根源が二つも……!」
「その根源、まさかとは思うが――」
「魔帝の根源!」
確信を持って唸る。
「やはりそうか……」
「もう千年以上前になるけど、昔魔帝と対峙した時に同じものを見たから、間違いないわ!」
「魔帝は生きている、という事か?」
「おそらくそういう事でしょうね」
「ふむ、そうか……」
「でもどうして根源が二つもあって肉体が崩壊しないの? もしかしてあの黒い根源に何か理由が? まさか、黄金の魔力の方かしら…………いえ、今考えることではないわね。シリウス、なんとしてもあの男は確実に殺してちょうだい。きっとこの先、災悪をもたらすわ」
「周りの者達はどうする?」
「周りにいる子達は殺さないで。彼ら彼女達に罪はないわ。貴方なら造作もないでしょ?」
「聞いておいてなんだが、何故殺してはいけない?」
「さっき言ったでしょ、彼ら彼女達に罪はないわ」
「………」
変なところで甘いと思った。どうしてそんな理由で殺すなという判断になるのだろうか。シリウスは女の思考に疑問を持つ。しかし、シリウスは目の前の女ではない。本人の考えることは本人でしか理解らない。疑問を振り払い、深く考えるのはやめる事にする。依頼者が殺すなと言うのだ、ならば殺さない方向で話を進めればいい。終わった後のことは依頼者の仕事だ。自分の領分ではない。
「まぁいい……お前への恩もある。今回は大人しく従ってやろう」
「ありがとう、助かるわ。でも、一応念を押して言っておくわ。標的以外は殺しちゃダメよ、理解った?」
「分かった、分かった……相変わらず甘い奴だ」
「あ、それともう一つ追加で……」
「まだあるのか……」とジト目を送ると、女は「そんな目で見ないで!」と気まずそうにシリウスから顔を逸らす。
「言われなくても理解っていると思うけど、ここは炎劫竜 マグダウェルの縄張りだから、出来るだけ無駄な破壊は避けてちょうだいね。それと、"不戦協定"を破ってマグダウェルと戦うなんてのも無しよ。竜王同士で戦われでもしたら溜まったものではないわ」
「私は構わないが?」
「やめてちょうだい。大陸一つなくなるから!」
「はぁ……善処しよう。但し、私からも一つ条件がある」
「何かしら?」
「その場の判断は私がくだす。一切の口出しは無用だ。良いな?」
「分かったわ」
女は快く了承する。依頼する以上、多少の融通は効かせるのが道理だ。
「しかし、何故そこまでしてあの男を警戒する。やはり魔帝とはそれ程のものなのか?」
「ええ……貴方も知っていると思うけど。その昔、"四界大戦"という、神界、天界、人界、魔界を巻き込んだ、大きな戦争があったの。魔帝はその当時、魔帝軍という一万人ほどの独自の兵を率いていた、いわば敵将」
「その話なら知っている。魔帝軍というのは確か、唯一の敵軍だったそうだな。かなり手強かったと聞き及んでいる」
女は肯定の意を込めて頷く。
「魔帝率いる魔帝軍には四人の将がいた。私達はその四人の将に畏怖の念を込めて、"四凶魔王"と呼んでいた。"黒焔 ベルフェイズ"、"絶戒 オズワルド"、"簒奪者 バイデンダルク"、"剣王 ベアトリーチェ"。一人一人が一騎当千の力を持ち、一癖も二癖もある実力の持ち主達だった……でも、その四人ですら霞んで見えてしまう存在いた。それが"魔帝 サタン"」
女の話に、シリウスは黙って耳を傾ける。
女が魔族の男を見る瞳の奥からは、恐怖、憎悪、怨讐、憤怒が見え隠れする。心なしか震えるその声は、最早どの感情からくるものなのか、皆目検討がつかない。
「当時、私達は四つの軍に分かれていた。神軍、天軍、人軍、魔軍。この四つを合わせて、"四界軍"と呼んでいたわ。
私達四界軍の戦力は約ニ十五万。そしてそのニ十五万の軍勢を率いていたのが八人の軍団長。"創造神 グレイシア"を筆頭に、"破壊神 オルフェウス"、"勇者 ブラッド・レイベルク"、"白桜 アンジェリーナ・アグレシオン"、"天帝 メタトロン"、"妖精女王 ティターニア"、"鉄血 オーギュスト・バルブレア"、"暁天鬼 ギデオン"。この八人が最高戦力で、メタトロン以外は"四凶魔王"と実力はほぼ互角だったわ」
「……メタトロンは当時から別格だったのか?」
「ええ、強かったわ。オルフェウスが舌を巻いていたもの。それに、掴み所がないところもね……」
"天帝 メタトロン"の強さは異常であった。"破壊神 オルフェウス"に、「後にも先にも、メタトロン以上に強い天使は生まれないかもねぇ〜」と言わせしめたぐらいだ。
「話を戻すわ。戦力差は聞いての通り、数でも質でも私達が圧倒的に有利だった。いくら"魔帝 サタン"や"四凶魔王"が強くとも、たった一万ではニ十五万もの軍勢に勝てるはずがなかった……でも、それは間違いだった。たった一人の悪魔に、戦局は簡単にひっくり返された」
それは圧倒的な力による暴力の嵐だった。
当時、"四凶魔王"の内二人を討ち取り、勢いに乗った四界軍は魔帝軍を壊滅寸前まで追い込んだ。魔帝軍も必死の抵抗を見せたが、圧倒的数の暴力の前にはなすすべも無い。しかし、前線に出て来たたった一人の悪魔によって、立場は呆気なく逆転した。
拳が振り切られる度に、何百という仲間が宙を舞い。紅い魔力の一撃が飛べば、数千という命が無惨に粉砕された。
闇より黒い漆黒の髪を振り回し、拳を赤く染めながら次々と敵を粉砕する様はまさに悪魔。
痛みを知る暇もなく死に絶え、無様に肉片を撒き散らす。ついさっきまで隣にいた仲間がただの肉と成り果て、夢のようだと唖然とする。そしてそれは、いつしか恐怖へと塗り替えられ、あっという間に伝染する。
魔帝のイカレた嗤い声だけが戦場にこだまする。
追い詰めていたはずの自分達が、次は追い詰められているように錯覚する。実際その通りだった。あと少しで戦争終結という局面で勢いは削がれ、士気は地の底。魔帝軍は息を吹き返し、逃げ惑う四界軍をほぼ一方的に追い殺す。
そこに軍団長が一人"鉄血 オーギュスト・バルブレア"が他の軍団長の制止を押し切り、魔帝に戦いを挑んだ。これで士気が少しは元に戻るだろう。あわよくば、勇気を出して戦線を押し返してくれるかもしれない。それでなくとも、時間を稼いで仲間の命を救える。そんな期待を込めての挑戦だった。
味方は軍団長の登場に沸き上がり、希望を託すような眼差しを向けた。しかし、結果は最悪の方向へと向かった。
「オーギュストは負けた。今では笑えてしまえるぐらいに呆気なかったわ。実力差があり過ぎたのね……頭を一撃で粉砕されたわ。おかげで地の底に落ちていた士気は奈落へと落ちて、四界軍は統率を失い蟻の大群に成り果てた……」
オーギュストの魔力値は二百万弱であった。しかし、魔帝はそれを意に返さない、桁違いの強さだった。
オーギュストの死と統率を失った四界軍は撤退を余儀なくされた。しかし、魔帝の追撃は終わりを見せるどころか、過激さを増した。
魔帝が魔法を放った。魔力色と同じ紅光が四界軍上空に上がった。大きさにして、人の頭サイズの光の球。しかし、内包されている魔力量は頭を抱えたくなるほど巨大だった。危険をいち早く察知したメタトロン、ティターニア、オルフェウス、グレイシアが魔力の塊を囲うように〈魔力障壁〉を張ったが、少し遅かった。
眩い閃光と同時に、地を揺らす強烈な爆裂音と衝撃が弾けた――
"魔帝 サタン"が創り上げた固有魔法〈滅壊〉。破壊力、殺傷能力などの攻撃方面にのみ極振りした超絶級魔法である。
人の頭サイズの魔力の塊を上空に打ち上げ、凝縮した魔力の解放と共に広範囲に渡って円柱型の魔力的破壊を行う、広範囲殲滅型の魔法。
――刹那の出来事だった。光と音が止み、視線を戻せばそこには何も無かった。
あったはずの大地は消え失せ、"無"だけが存在した。
「たった一つの魔法で六万人以上の死者が出たわ。グレイシア達が〈魔力障壁〉を張らなければ、被害はそれの比ではなかったとは言え、死者の数は膨大だった。加えて、魔帝が殴殺した数と魔帝軍が殺した数を合わせれば、死者は八万人を優に超えた……その後、四界軍はなんとか撤退出来たわ。でも、魔帝の圧倒的過ぎる力に恐怖を植え付けられた者達は次々に逃亡し、半ば崩壊の危機に直面した。それだけ魔帝の与えたインパクトは強れ――」
「長い!」
思ったより話が長くなり、忍耐的に限界が来たシリウスが痺れを切らして割って入る。
「いや、長いって……聞いて来たのは貴方じゃない?!」
「知りたいのは魔帝の強さだけだ。戦争の事などどうでもいい」
「むぅ〜〜!!」
頬を膨らませて唸る。
彼女以外の人間などがいたなら、その頬を膨らませた姿に可愛いと思うところなのかもしれないが、いかんせん相手は竜である。ただ単に「なんだその顔は?」と思う程度だ。
シリウスは顔を下に向ける。見れば魔族の男とその周りの者達は山の中間あたりまで来ていた。ここにやって来るのもそう遅くはないだろう。
これからあの男を始末しなくてはならない。それは、目の前にいる女が持ち込んできた依頼だ。これ以上長々と話をされては集中できない上に、話の途中で来られては面倒だ。魔族の男にこの女の存在を知られるわけにはいかない。いや、正確には正体を知られるわけにはいかない。
「もうすぐ魔族の男がここにやって来る。話は終わりだ。魔帝の事ももう十分知ったと判断するほかあるまい。お前はさっさとこの場より去り、何処かで見ているがいい」
「すぐそうやって邪魔者みたいに……」
「邪魔だ」
「〜〜〜っ!!」
オブラートに包むまでもなくストレートに言われて、女は先ほどよりも顔を真っ赤に膨らませる。もう破裂しそうな勢いだ。
「ふんっ、シリウスなんて頭禿げて笑い物になってしまうえばいいのよ! あとはお願いねッ!」
そう言って女性は罵声と頼み事を残し、猛烈な勢いでその場を去っていった。
「言われるまでもない……」
言うことがいちいち幼稚だと思いつつ、竜には禿げると言う概念が存在しない為に「禿げるとはなんだ?」としばらく思い悩むシリウスであった。
♢♢♢♢♢
氷山を猛烈に駆け上がる影があった。カレン達だ。
金色の縄、正確には糸を縄へと編んだ物に座り、空中を駆け上がる。
引っ張り上げる者の技量故か、揺れはひとつもなく快適である。
「お前がいると楽だな。流石だ」
「恐れ入ります、殿」
「毎度の如くその呼び方やめろつってんだろうが。ぶっ飛ばすぞボケ」
「拙者、殿の御身を御守りするが使命。ぶっ飛ばされては困りますな」
蕩けるようなイケメンボイスで返事をするのは、カレン配下の魔物の一体、"ゼル・グロリアス・バスターロード"。蜘蛛人である。
大きさは人とほとんど変わらず、身長は二メートル程。鬼神の如き厳つい顔には八つの赤い目。頭には黄色い角が八本生えている。
ツヤのない暗く濃いコバルトブルーの外殻に覆われ、脚は二本、完全直立二足歩行型。左右に腕が一本ずつと背中に四本備わっている。
見た目は完全に鎧武者の様ないでたちである。
「だったら、その呼び方変えろって何度も言ってんだろ……」
もう何度とも分からないこのやりとりに呆れつつ、ボソリと零す。
「それにしても、此方を視るばかりで攻撃してきませぬな?」
氷山の山頂を最大限に警戒しつつも、五指の先か金糸を飛ばし、大気中の魔素に引っ掛けながら、上へ上へと登って行く。
「人のこと無遠慮にジロジロと……不快だな」
不機嫌に顔を歪める。すると、「カレン、ここに来てからずっと機嫌悪いぞ。そういう時は甘い物だ。はいバナバナ」と言ってルミナスが〈魔導庫〉から果物を取り出し、カレンに手渡す。
「おい、お前まだ〈魔導庫〉にモノ入れてんのか、魔力の無駄だから全部置いてこいって言っただろうが。つかなんでバナバナ?」
〈魔導庫〉にものを入れておくと、それだけで魔力を食う。加えてルミナスとカレンは普段から大量にものを入れている為、かなり魔力を消費をする。
これから竜王との戦いである。〈魔導庫〉で魔力を消費していては、ただただ勿体ないだけだ。だから、出発する前に中身を――一部を除いて――全て置いてきたのだが、ルミナスはそうではなかったらしい。
「まぁまぁ、それ食べて気持ちを落ち着けるといいぞ」
「これ以上ないぐらい冷静なんだが……」
カレンはぼやきながらバナバナの皮を剥き、一気に食べる。なんだかんだと文句を言いながらも、素直に食べるあたりツンデレである。
そうしてもくもくとバナバナを食べ進めるカレンを隣で微笑みながら眺めるルミナス達の下には、バーカンティーとロロンが二人並び、二人を見上げていた。
「呑気やなあの二人。つかなんでバナバナ食ってんねん」
「主とルミナス殿はどういう関係なんだ?」
「ウチが知るわけないやろ。昨日の晩に会ったばっかやで」
「ふむ、そうなのか……奥方様に聞けば早いか」
「やめときやめとき。今聞くことちゃうやろ。これから竜王と戦うんやで。そんなん気にしとる場合ちゃう」
「それもそうだな。なら、後で主に聞けばいいだろう」
蜥蜴人という種族は基本的にオスメスの関係に興味はない。しかし、ロロンは珍しい類の個体なのか、カレンとルミナスの関係に興味を示していた。
「蜥蜴人でもそういうことに興味あるんやな」と小さく呟くと、それをあざとく拾っていたロロンが気にしている理由を明かす。
「主の伴侶になるかどうか……ここに興味を示している」
「は、伴侶って……またなんでそんな事気にすんねん?」
「簡単だ。もしルミナス殿が主の伴侶となるならば、俺達はルミナス殿を護らなくてはならない。
主にその気があるのなら尚更……この戦いは状況が変わってくる」
「………なるほど」
伴侶とは、認めた者であり、対等であり、同格。
つまり、カレンにルミナスを伴侶として迎えるという意思があるのなら、配下であるロロン達はカレンに加えてルミナスも護りながら戦わなくてはならなくなる。
竜王相手に守りながらの戦闘など自殺行為である。その上もう一人ともなれば、最早絶望的だ。
「主の伴侶とは、俺達にとって"同格"を意味する。勿論主とだがな。故に、もし主がルミナス殿を伴侶として迎えるつもりがあるのなら、俺達は全力でルミナス殿を護る義務がある。例え主がする必要はないと言ってもだ……」
「それ、つまりシェイバは足手まといって事やろ。自分ら二人はアレイスターの他にもう一人守らなあかんし。しかも自分らからしたらシェイバなんかお荷物やろ。腹立たんのか?」
「それが俺達忠誠を誓った者の責務だ。腹を立てる道理はない」
腕を組み、迷いなく言い切る。まるで当たり前だと言わんばかりに。
それを少しカッコいいと思ってしまったバーカンティーは、仄かに口角を上げ、呆れた様に笑う。
「……真面目過ぎるんとちゃうか、自分ら」
バーカンティー、ロロンの一段下。クラリスとロリちゃんが座っていた。
「ゼルちゃん凄いわねぇ、全然揺れないわ。お尻も痛くないし」
「この糸、かなり魔力が凝縮されていますね。しかしどうやって空中に糸を引っ掛けてるんでしょうか。魔法……ではちょっと無理がありますし、やはり特殊能力?」
「そういう事考えるの好きねぇ。アタシは竜王に会えるのが楽しみでさっきからワクワクしてるわ! 超怖いけどね!」
「さっき見たばっかりじゃないですか」
小屋で待機バーカンティー、"神威"の五人は、カレンと話をしていた相手が竜王であった事を後からロロンに説明を受けた。その時の驚きようは自分でも可笑しくなるほどだった。しかし、やはり竜の姿ではなく、人間の姿をしていた為に、その驚きも半減してしまったのは隠せぬ事実であった。物足りないと言っていいかもしれない。
「そうだけど。マグダウェルちゃんは人間の姿だったし、気配もなんか普通だったから、ちょっと違うのよねぇ」
「確かに、否定はしませんけど……」
遠回しに同意するあたり、ローリエ自身竜王に会うのを楽しみにしているらしい。会いに行く理由は、戦いに行く、という自殺同然の最悪の行為ではあるが。
考えれば考えるほど、どうしてついて来てしまったのだろうか。どう考えても負ける要素しかない上に、今現在進行形でカレンの負担となっているのは間違いない。
自分の行動に疑問と後悔が沸々と沸いてくる。
「どうして私達ここにいるんでしょうか……?」
気がつけばそんな言葉を零していた。
すると、クラリスが不敵に笑ってみせ、ローリエの呟きにこう答えてみせた。「ロマンよ!」と。
「ロマン、ですか……?」
「そうよ。だって竜王よ! 竜の王様よ! 竜王種だって生きている内に見れるか見れないかって存在なのに、竜王なんて尚更普通に生きていたら絶対お目にかかる事なんて出来ないじゃない。そんなの見てみたいって思うのが普通でしょ!」
「えぇっ!! 冗談じゃなくて、本当にそんな理由で来たんですか?!」
「当たり前じゃない。アタシ達冒険者よ。冒険しなくていつ冒険するのよ!」
至極当然のことを言っているが、それは今ドヤ顔で言うことではないし、する事でもない。
「いや、冒険し過ぎですよ! 冒険し過ぎて迷った挙句、ぽっくり死んじゃいますよ! というか、こんなに思い詰めてるの私だけですか?!」
「いいえ、そうでもないわよ」下に指差しながらそう答えた。
ローリエは顔を下に向け、最後尾にいる二人、アレンとマインの様子を見る。途端、目が座る。
ローリエの眼下には、二人寄り添う仲睦まじい光景があった。
「アレン、あったかい……」
「ふふっ、おいで」
「うん……」
普段のアレンでは考えられない甘く、暖かい声。マインは近かった距離をさらに縮め、もたれかかるように身を預ける。その時、なんとなく体温が上がった気がした。
顔と耳が熱い。
胸が温かい。
アレンの体温が、とても落ち着く。
「アレン」
「なに?」
「アタシ達、ずっと一緒にいられるよな」
縋るような上目遣い。いつも勝気なマインには珍しく、不安気な表情だ。
アレンは安心させるように、優しく頭を撫でる。
マインは気持ちよさそうに目を細める
「小さい頃からずっと一緒だったんだから、これからもずっと一緒にいるよ。それが俺にとっての当たり前だから……」
「うん」
いつも喧しいアレンが物静かで、落ち着いている。しかも頼り甲斐もあり、どこかカッコいい。一方のマインは安心したようにアレンの肩に頭を乗せ、とても穏やかに微笑んでいる。
これから文字通りの死闘が待ち受けるにも関わらず、二人の空気は決して重いものではなかった。寧ろ「なんですか、あのラブラブ空間。なんか腹立つんですけど、燃やしていいですか? というか、全然思い詰めてないじゃないですか。やっぱり思い詰めてるの私だけじゃないですか……!」
ローリエは濁った目で二人を見下ろした。
二人きりの時はいつもあんな感じなのかと思うと、非常に腹立たしい。
「いいですよ、今はそれでも。ただし…………後で怖いですからね!」
その見た目で何処からそんな低い声が出せるのだとツッコミ、クラリスは「年齢的にはもう生き遅れの部類だし、やっぱり結婚とかしたいのかしら……?」と聞こえないように呟く。しかし、その小さな呟きでさえ、今のローリエには聞き取れてしまったらしく、濁った目がクラリスを捉える。
「ひっ!!」
まるで底無し沼のように黒く、光がないその眼は、クラリスを怯ませるには十分だった。
「結婚……? 全然したいなんて思ってませんよぉ。銀王さんなんて全然羨ましくなんてありませんし、エリックさんのラブラブイチャイチャなんて全然腹立たしくありません。アレンさんとマインさんだってそうです。あんなにこそこそしなくても、仲間の前で堂々とイチャイチャしていただいても、全然気にしません」
(怖っ! ローリエちゃん怖っ!!)
初めて見る仲間の闇にドン引きする。それ程までに結婚したいのか、その言葉だけは決して口には出さなかった。
何故なら、ローリエから黒々とした負のオーラと、その口から呪詛に引けを取らない言葉が絶え間なく出ていたからである。
(重症ね……)
そんなこんなで時間は過ぎ、あっという間に山頂手前までやって来る。
「さぁ皆の者、心せよ! これから行は死地である!」
張り切ったゼルのその言葉を皮切りに、山頂に到達。その途端、視界に入ったのは大きな口と、そこに灯る強烈な白銀の光だった。
「嘘やん……」




