来客
凍りつく森の中。カレンに案内されてやって来た一行は、その場にいたソレに肌を粟立てる。
「んなっ……な、なっ?!」
驚きと戦慄で言葉が喉につっかえたアレンは、口をパクパクさせ、顔を左右に振ってマインやクラリス達に共感を求める。
「白い、蜥蜴人?!」
「へ〜、白い個体なんて初めて見たぜ……」
感心するようにマインが呟く隣では、バーカンティーとルミナスが険しく顔を歪める。確かに白い蜥蜴人など見るのは初めてだ。それに、体格や外殻の形状も普通の蜥蜴人とは異なる。しかし、それ以上に目を引いたのは、その白い蜥蜴人が内包する魔力量であった。
ルミナスは〈魔力感知〉で白い蜥蜴人の魔力量を覗こうとするが、そのあまりに大きすぎる魔力故に、まったく魔力値が測れない。つまり、それだけ自分達と差が開いているという事なのだろう。
正確な魔力値は不明だが、少なくともバーカンティーとカレンよりは圧倒的に上である事は間違いない。
感覚的にギレンに近い強さだろうか。そう感じさせられた。
「カレン、この白い蜥蜴人は、一体……?」
「ギレンと同じでオレの配下の一体だ、気にするな。ロロン、コイツはルミナスだ。それからバーカンティー、クラリス、マイン、ローリエ、アレン。名前を覚える必要はないが、顔ぐらいは覚えておけ」
後ろにいるルミナスから順番に軽く紹介してゆく。ロロンは目を細め、一人一人顔を見て、紹介された名前と顔を一致させて自身の頭の中にしっかりと叩き込む。
主人が連れてきた者達だ。覚える必要はないと言われたが、覚えておくことに越した事はない。
「分かった」
一言、渋い威厳のある声で返事をする。すると、背後から「声渋っ?!」とアレンの驚いた声が耳に届く。
「さて、時間が限られてる。さっさと行くぞ」
「念の為だ。俺が先頭を行こう」
最早これだけ環境がガラリと変われば、魔物も出現はしないだろう。しかし、自ら忠誠を誓った主人に先頭を歩かせるなど、臣下として恥である。ギレンに知られた日には嫌味ったらしくネチネチと小言を言われるに違いない。
ロロンは凍てついた体に鞭を打ち、膝に手をついて立ち上がる。外傷は既に完治と言っても差し支えない程に治っているが、凍てついた根源は相変わらず突き刺すような痛みが襲う。火の近くにいればほんの気持ち程度マシだったが、主人の号令は絶対である。出発だ。名残惜しい気持ちを捨て、ロロンはムエルト大森海に向けて、先頭を歩く。
『まったく、無理しよってからに……』
紅姫から呆れた声が零れる。それに関してはカレンも同意である。
しかし、一切弱音を吐かないロロンを気にかけるつもりはない。何故ならそれをロロンが望んでいないだろうからだ。
「好きにさせてやれ……おい、何ぼーっと突っ立てんだ。置いてくぞ」
来ないならそれでいいが、そう呟き残し、ロロンの後ろを行く。棒立ちだったルミナス達は先を行く二人の後を追いかけて行った。
そして、極寒の暴風域を文字通りの死ぬ思いで抜け。丸一日かけて、ようやくムエルト大森海に辿り着く。
ムエルト大森海中層域。大寒波の目の中に広がる一面氷の大地。それはかつて、海と見紛う程巨大な湖であった。その湖の滸に沿うように、カレンを先頭にあるものを目指して進む。
「まだ残ってたのか……」
『懐かしいのう……』
湖畔に積もった高さ三十メートル近い雪の山。その雪の山に埋もれるように小さな小屋が一つ。これは三年前までカレンが大森海で過ごしていた時に使用していた小屋だ。
「あ、小屋だ! ねぇ、あそこで休憩しない? ここ、さっきいた場所よりマシだけどさ、やっぱり寒いよ!」
極寒の暴風域に比べれば、この場所は柔らかな風の吹く程度である。しかし、それでも外気温はマイナス二十度前後。太陽が照っていることが唯一の救いであるが、寒い事には変わりはない。
「アタシも賛成。少し休憩取った方がいいわね。色々限界……」
「私もクラリスちゃんと同じ意見です。もうさっきから手が悴んでしまって……」
震える手を口元に持ってゆき、少しでも暖を取るように息を吹きかける。
「アタシ平気だぜ」
「マインちゃんマジっ?!」
「おう、なんか平気だ」
「ウチもなんて事ないな。さっきの暴風域に比べたら温いぐらいやで」
「二人とも頭おかしんじゃないの?」
確かにこの場は先程の暴風域に比べればマシかも知れないが、決して暖かいわけではない。
アレンはまるで異常者でも見るような目で、マインからバーカンティーに、バーカンティーからマインへと、視線を行き来させる。
「ベルトロンはともかく、ウチまで一緒にされんのは心外やで」
「テメェら一々アタシをコケにしないと会話出来ねぇのかッ?!」
「どうでもいいが、休むんじゃなかったのか?」
「どうでも良くねぇよ!」
「それは後にして、早く小屋で休みましょうよ。本当にもう限界です!」
「そうよ。これ以上こんな寒い所にいたら、肌が乾燥して荒れちゃうわよ!」
そんなに弱音やら文句を言うなら、どうして着いてきたんだと問い詰めたいところだが、好奇心に吸い寄せられたのなら仕方ないと納得する自分もいる。実際カレンも大森海にいた頃は好奇心に抗えず、よく無茶をして紅姫とギレンに怒られたものだ。そんな淡い思い出に浸りつつ、カレンはふと小屋の前で佇むルミナスの姿を見つける。
先程から妙に静で姿が見えないと思えば、何をしているんだと、小さくため息を零す。しかし、それも束の間、ルミナスが視線を向ける方向を見て、カレンは理解する。
(なるほど、そういうことか。だったらバーカンティーも気付いてるか……)
そう思い肩越しに振り返れば、バーカンティーと目が合う。途端、バーカンティーはなんとも言えないような複雑な苦笑いをこちらに向け、視線を小屋の上に向け、一言呟くように問う。
「なんやアレ?」
カレンは質問には答えず、手をヒラヒラさせながら、バーカンティーと同じく、ずっと小屋の上を見上げるルミナスの元まで歩みよる。すると、やはりと言うべきか、ルミナスからも同じような問いが飛んでくる。
「なぁ、カレン」
「あ?」
「コレはなんだ?」
冷気にも似た戦慄が背筋を走る。震える声を抑えながら、ルミナスは顔をカレンに向ける。すると、カレンは一言「見たまんまだ……」と素っ気なく返し、次の瞬間には声を張り上げ、名を呼ぶ。
「"ベルゼバブ"!」
その名前を読んだ途端、小屋に降り積もった雪山が揺れる。そして次の瞬間には、雪の中から黒く巨大な脚が生える。一本、二本と、左右に三本ずつ現れる。
「え、何? ちょっ……え、何?!」
何かとんでもないものがいる。そう直感したアレンは、後ろに数歩後ずさったかと思えば、本能的に近くにいたロリちゃんの後ろに隠れる。
「ちょ、アレンさん。どうして私の後ろに隠れるんですか。せめてクラリスちゃんかマインさんの後ろにして下さいよ!」
「もう無理、怖くて動けない。頼む、俺を守ってくれローリエ!」
縋るように懇願する。見ていて情けないが、これが通常運転なのだからタチが悪い。
ロリちゃんはここ最近で一番のため息をつき、心の中で、もう放っておこうと言葉を零す。
そうしている内に雪山は崩れ、ソレは姿を顕す。
「デカ……」
「虫……というか、蠅か?」
「こ、この魔物は……黒鎧蠅です! 災禍級です!」
崩れた雪山から姿を現したのは、体長二十メートルを優に超える巨大な蠅、黒鎧蠅。
大きな赤い目はボウッと鈍く光り、背に生えた二枚四対の薄い羽には、何か顔の様な不気味な模様が浮かぶ。
全身を黒く凹凸の激しい外殻に覆われ、長い六本の脚の先は鋭い鉤爪の様な形状をしている。
ルミナス達は息を呑む。決して嫌悪感に襲われたとか、生理的に受け付けないとか、そういう事ではない。寧ろ、その姿形は通常の蠅とは違い、刺々しい外殻とバランスの良いスマートな形は素直にカッコいい。
ルミナス達が息を呑んだのは、この黒い蠅の存在感である。ハッキリ言って、カレンやバーカンティー以上の空気を纏っている。凄み、という意味ではロロンの方が上だが、存在感という意味ではロロンと同格であろう。魔力量もおそらく同程度だと思われた。
今ここで暴れられたら一溜まりもないが、危機感や恐怖心というものはルミナス達にはなかった。魔物から敵意の様なものを感じないのだ。
「カレンちゃん。この子もそうなの?」
「ああ、ベルゼバブだ。見た目こんなだが、中身はガキだ……」
「ご主人様、お帰りなさい! ロロンさんもお帰りなさい!」
「ああ」
「うむ」
男とも女ともとれない、幼い子供の声が響く。
見た目からは想像も出来ない声に、ルミナス達は一瞬呆気に取られるが、カレンとロロンが当たり前のように反応する様を見て、すぐ正気に戻る。いちいち驚いたりするのがアホらしくなったのだ。
(可愛い声ね……)
「ベルゼバブ、こんなとこで何してる。傷を負って他の連中と一緒に炎劫竜の所にいるんじゃなかったのか?」
「怪我はマグダウェル様に治してもらったから、ここで守ってるの」
「……何をだ?」
「これ!」
ベルゼバブは自身の脚を退け、小屋を見せる。どうやらこの小屋を守っていたらしい。
「……」
「ここはご主人様とエスタロッサ様の大切な場所。それに……ボクが育った場所。ボクの宝物。だから、どうしても壊れるのが嫌だったの……」
ベルゼバブの性格はとても素直で純粋で健気だ。幼い子供と言えばいいのかもしれない。エスタロッサと共にカレンの元で育ったのが大きく影響している。
カレンはベルゼバブが自分の育ったこの小屋をとても大切にしている事は知っていた。カレンが大森海で過ごしていた際は、何もない時はずっとこの小屋に寄り添うように過ごしていたのも見かけていた。
『幼虫の頃のベルゼバブにとって、この小屋は間違いなく"帰る場所"だった。いや、今もじゃろうな……エスタロッサともよく一緒に寝たりしておったし、お前様にもよく甘えておった……ベルゼバブにとっては忘れ難い、大切なものである事は間違いあるまい』
大切なもの。最早カレンには理解出来ないものだ。幼い頃はそんなものもあったかもしれないが、今のカレンには存在しないものだ。だから、紅姫の言う大切なものが分からない。
しかし、寒さに弱いベルゼバブがこの氷点下の中守り続けたのだから、それだけ必要と感じでいるのだろう事は理解した。なら、無闇矢鱈に捨てる必要はないし、取り上げる必要はない。欲しいものは与えてモチベーションを上げておけば良いのだ。わざわざ嫌なことをして相手のやる気を削ぐなどバカのする事である。
カレンはボロボロになった小屋に近寄り、指で軽く小突く。すると、小山はギチギチと音を立て、傾きや隙間が修復されて行く。修復といっても、元々空いていた隙間が塞がったりとか、ボロい木の板が新品になるとかではない。あくまでも歪な形から、綺麗に整った形へと変わるだけだ。
しかし、それだけでも先程とは大きな違いである。上から「うわぁ〜!」とベルゼバブの興奮と驚きの声が降ってくる。
「粗方直しておいた。あとはお前の好きにしろ……」
「ありがとう、ご主人様ッ!!」
ベルゼバブの喜びを表す様に――心なしか――目がキラキラと輝き、声も一段高くなる。
余程嬉しかったのか、ベルゼバブは小屋を抱き抱える。
「ご主人様。ボク、大切にする!」
(この子、良い子ねぇ〜……)
寒さも忘れるぐらいにご満悦である。
それを微笑ましく思ったのか、後ろではルミナスが優しく笑いかけてくる。カレンからすれば理性的に動いた結果であるため、正直その視線はむず痒い。
「やめろ、その顔オレに向けるな」
「恥ずかしがらなくてもいいのに。やっぱりカレンは優しいぞ」
優しくはない。苦虫を噛み潰したような顔でそう口に出そうとすると、次は紅姫から同じセリフを言われる。
『優しいのう、お前様よ……』
「チッ……やめろつってんだろ」
『素直じゃないのう……ま、そう言う事にしといてやるわい』
慈しむ様な声が腹立たしいが、ここでそれを指摘するつもりはない。言ったが最後、また変な勘ぐりをされるに決まっている。大方『なんじゃ、恥ずかしいのか? ほれ、ほれ!』などと煽ってくるだろう。
こういう時は上手く流すに限る。
そうしてカレンが紅姫とルミナスのセリフや視線に辟易していると、ベルゼバブから嫌な報告を受ける。
「あ、そうだご主人様、マグダウェル様がご主人様とお話がしたいって言ってた」
「………………………なんだと?」
途端、空気が張り詰める。原因は言わずもがな、カレンである。
「あの女と話すことなんざ何も無い。そう伝えておけ!」
聞いたこともない様な低い声。眉間に皺がより、いつになく険しい表情だ。
突然の機嫌が急降下。これにはベルゼバブもたじろぐ。
「え、えっと……でも……」
「どうしたベルゼバブ、オレの言うことが聞けないのか?」
「だって……」
「だって、なんだ?」
「うぅ……」
竜王とは文字通り竜の王であるが、何も竜だけを統べているわけではない。
竜王はこの世に存在する――七体は除き――全ての魔物の頂点に君臨している。それは、カレン配下の魔物も例外ではない。つまり、魔物の王である炎劫竜からの頼みを、いくらカレンの命令だからと言って、簡単に断る事が出来ないのである。特にベルゼバブは純粋すぎるが故にその傾向が強い。
『お前様、魔物にとって竜王の言葉は重いんじゃ。それはお前様も良く知っておろう。そうやってベルゼバブを――』
「いじめるものではないわよ」
紅姫の言葉を遮り、不意に声がかかる。凛とした透き通る女の声。
カレンの額にビキビキと音を立てる様に、青筋が浮き出る。
知っている。忘れもしない、憎たらしい女の声だ。
カレンは目にもとまらぬ速さで〈魔導庫〉から根滅剣を引っこ抜き、振り向きざまに振り払う。途端に強烈な衝撃波が起こり、ルミナス達を雪混じりの突風が襲う。
「うわっ?!」
「な、何事っ……?!」
「マインさん、今の見えました?」
「見えるわけねぇだろ、あんなの!」
「今の、本気……だったわよね?」
「ああ、しかもバリバリ殺気篭ったな……」
(いや、それよりも……いつのまにおったんや。ウチら誰一人として全然気づかんかったで!)
殺気を込めた本気の一撃。しかし――
「っ!!」
「派手な再会の挨拶ね……どうせならもっと滾る様な熱いのが良かったけど、今はそんな状況でもないわね」
根滅剣はしなやかで傷一つない細い指二本に摘まれ、ピクリとも動かない。
カレンは憎々し気に目の前の女を睨みつける。一方で女は涼し気な顔でカレンを見つめ、そして微笑む。
「おかえりなさい、カレン」
「炎劫竜ゥ……!」
カレンの目の前に立っていたのは、熱気を放つ優艶な美女。
比喩抜きで白熱化した――腰まであるだろう――長い髪がゆらゆらと揺れ、その中に赤熱化した角が四本。
眼は爬虫類の様に黄金一色。縦に割れた瞳孔が妖しく覗く。
目元から顳顬、首の裏に至るまで白桜色の鱗が覆い、時折鈍く白く光る。
手や足は竜の特徴を残し、臀部には強靭な尾が揺れる。
ちなみに、露出の少ないドレス風のワンピースを身に纏っている。
「いい加減、炎劫竜じゃなくて名前で呼んでくれないかしら。私には"マグダウェル"って言う名前があるのよ」
「何しに来た!」
「せっかちね、まったく……ベルゼバブが言ったでしょ。貴方と話をしに来たのよ」
「お前と話すことなんざ何も無い。とっとと離せ!」
「嫌よ。離したらまた斬りかかってくるつもりでしょ。それに、貴方には無くても、私には話すことがあるのよ」
「知るかよ、んなこと……!」
炎劫竜と睨み合いが続く。
ルミナス達はカレンから炎劫竜と呼ばれた女性へと交互に視線が行き来し、固唾を飲んで見守る。炎劫竜からは敵意の様なものは一切感じられないが、カレンからは叩きつける様な殺気と敵意が炎劫竜に向けられている。いつ戦闘になってもおかしくはない状況であった。
しかし、今回の目的は炎劫竜ではなく、氷界竜である。仮に今ここで戦闘を繰り広げてしまっては、後の氷界竜との戦いは、それこそ絶望的である。
「カ、カレン。落ち着いて……その、戦うつもりはない様だし。ね?」
恐る恐るカレンを諌めるルミナス。
「彼女もそう言っていることだし、少しは抑えたらどうかしら?」
依然、カレンの表情変わらず険しいまま。殺気も敵意もおさまる気配はない。
二人の様子を固唾を飲んで見守る。ロロンやベルゼバブですら動くことを躊躇う。
『奥方様、いかがなさいますか?』
ロロンからの〈念話〉が紅姫に届く。
『どうもせん。今は成り行きに身を任せよ。いくら旦那様とて、本気で炎劫竜殿とことを構えるつもりはあるまいて……………たぶん』
『……もし戦闘になった場合は?』
『ルミナス達を連れて出来るだけ遠くへ避難じゃ。それしかあるまい』
『ハッ! ではその様に』
万が一にもあり得ないとは思うが、念には念だ。
しかし何故だろう、その万が一も、今のカレンを見ればあり得そうでならない。
そうしてロロンと〈念話〉を終えたタイミングで痺れを切らした炎劫竜が溜息をつき、摘んでいた根滅剣を離した、その瞬間――
『お前様っ!!』
――カレンは間髪入れずに容赦なく斬りかかる。
「身体は成長しても、中身はまだお子様ね」
その言葉を残し、炎劫竜の姿がその場から掻き消える。同時に、背後から「あっ……」という小さな悲鳴が耳に届く。
まさかとは思いつつ、振り返ってみると案の定であった。炎劫竜がルミナスを人質に取っていた。
顔をルミナスの肩にのせながら片手で顎を持ち上げ、もう片方の手の人差し指を首筋に押し当てている。言外に「これ以上おいたが過ぎるなら、この娘は死ぬことになるわよ」だろう。
炎劫竜は眉を八の字に曲げて見せ、「こういう事はさせないでくれるかしら」と自分のやっていることに対して自嘲の笑みをカレンへ向ける。本当はやりたくないが仕方なしにやっている。そう言いた気である。
「カ、カレン……」
ルミナスは冷や汗が止まらない。炎劫竜からは微塵の敵意も殺気も感じられないが、それが逆に不気味で、命そのものを鷲掴みにされている感覚だった。
カレンがこれ以上続ける様ならば、炎劫竜は躊躇いなくルミナスの首を掻っ切るだろうことは容易に想像できた。
ルミナスは縋る様に視線をカレンに向ける。
どうか剣を納めて欲しい。戦わないで欲しい。もし、カレンが炎劫竜の忠告を無視して斬りかかれば、それはつまり……ルミナスの事なんてどうでもいいと言っているのと同じ事である。
そこまで考えて、ルミナスの顔から血の気が引いてゆく。心が凍てついてゆく。
『お前様、炎劫竜殿は本気じゃ。やめよ。本来の目的は氷界竜のはずじゃろうが。ここでルミナスを死なせるつもりか?』
その時、ほんの僅か、ほんの僅かにカレンの険しい表情にヒビが入った。
「チッ……クソが!」
悪態を吐き捨て、カレンは根滅剣を〈魔導庫〉に仕舞い込む。
それを見届けた炎劫竜は、人質にしていたルミナスを解放し、内心ホッと息をつく。
(まだ誰かを失いたくない想いぐらいは残っているのね……よかった、あのまま斬りかかって来られたらどうしようかと思ったわ。
ロロンとベルゼバブが臨戦態勢になってて、正直ドキドキしてたのよねぇ……)
「あ……」
力の抜けた声と共に、ルミナスがその場に腰を抜かす。
「あら、ごめんなさい。怖がらせてしまったわね。でもカレンが悪いのよ、あの子全然人の話聞いてくれないのだもの」
まったく気持ちのこもっていない謝罪を述べ、炎劫竜はルミナスに手を差し伸べる。しかし、ルミナスは差し出された手を「いや、いい……」と優しく押し返した。手を差し伸べられたところで腰が抜けて立てないのだ。
「あぁ……腰が抜けてしまったのね」
炎劫竜がチラッとカレンに目を向ける。
カレンの中では紅姫が『お前様……』と意味あり気に名を呼ぶ。
視線と声から意味を理解したカレンは少し顔を顰め、一つ溜息をつくと、腰の抜けたルミナスを抱き抱える。いわゆるお姫様抱っこである。
「わっ! カっ、カカカ、カレン?!」
鍛えてかなり筋肉がついているだろうに、抱き抱えたルミナスの体は意外にも柔らかい。そして何故か甘い匂いがほんのり香ってくる。嗅いだ事のない独特な匂いだ。
普段からルミナスと行動を共にするカレンだが、ルミナスからこの様な甘い匂いを嗅いだのは初めてであった。
最初こそ香水かとも思ったが、ルミナスが今まで香水を付けたところを見たことがない。ましてやこれから竜王との戦いが待ち受けている状況である。つける必要性は皆無である。
カレンはこの甘い匂いに惹き寄せられた。抗うことを知らず、まるで光に集まる虫の様に。
カレンはルミナスに顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。
(頭がぼやける。なんだこの匂いは……ていうか、どこを嗅いでも甘い匂いがするな)
そんなどうでもいい感想を抱いていると、自分がとんでもない変態行為をしていることに気がつき、慌ててルミナスから顔を引き離す。すると、腕の中で顔を茹でダコの様に真っ赤にさせたルミナスが口をパクパクさせていた。
「カっ……あ、あの……そ……その!」
「…………すまん」
「〜〜ッ!!」
やらかした。内心そう呟き、カレンは腕の中で頭から湯気を立ち上らせるルミナスをロロンに預ける。
「取り敢えず立てるまで持っとけ」
「分かった」
ロロンにルミナスを預けると、下から視線を感じ取る。ロリちゃんがジト目を向けて来ていた。
「なんだ?」
「いえ、聞きたいことが沢山あったんですが。後回しにします。取り敢えず、おめでとうございます」
「は……?」
「私達は先に小屋で休んでいます。使っても問題はないですよね? 使ったらベルゼバブさんが怒って攻撃してくるとかないですよね?」
「ああ、そこは心配するな。好きに使え……ていうか、話一緒に聞かないのか? お前らそう言い出すかと思ってたんだが?」
「直感ですけど、私達は聞かない方がいい気がしまして……ですから、今回は素直に先に休ませて頂きます。話が終わったら呼んでください」
ペコリと一礼し、ロリちゃんはクラリス、マイン、アレン、バーカンティーを伴って小屋へと行く。途中バーカンティーが話を一緒に聞きたい素振りを見せたが、今回は諦めて小屋に入って行った。どうやら空気を読んだらしい。
あと、クラリスがルミナスを連れて行こうとするが、それはロロンが断った。なんでも「"立てるまで預かれ"」と命令されているから、手放すわけにはいかないそうだ。よって、ルミナスはその場に残った。
茹でダコ状態で話など頭に入ってこないだろうから、話を聞かれても問題はないはずである。
「やれやれ……」
カレンはベルゼバブに小屋を〈魔力障壁〉で囲う様に命じる。ベルゼバブは「分かったー!」と元気よく返事をし、少し厚めに〈魔力障壁〉を張る。これで小屋の中に音が届くことはないだろう。
「さて、炎劫竜……話を聞こうか」
そろそろタイトルをちゃんとしたモノに変更したい今日この頃。いやマジで!
もともと今のタイトルは暫定的に決めているだけなんですよ。何も思いつかなくて、テキトーに決めたのが今のタイトルです。ですからタイトル変更します。近々します。絶対!




