歪んだ心
虚な瞳と目が合う。
最期まで助けを求めた彼女の顔は泣き腫らし、痛々しくも哀しい。と、思うのが普通の人の感性なのだろう。生憎だが、斬り殺した本人であるオレにそんな感情は無い。寧ろ、煩く泣き喚いた声が止んで清々したぐらいだ。
さっきまで人間であった肉の塊を目の前にしても、特に思うところはない。いくら"悪魔"の肉体へ転生して新たな生を得たとはいえ、中身の前世は同じ人間だ。もう少し命へ対して感慨深くなってもいい筈だ。しかし、なんとも思わない。感情の起伏もない。
死にたくないと命乞いをする女を見ても、オレの心は凪のように静かで、さざ波すら起きなかった。
これは悪魔の肉体へ転生した結果だろうかとも考えた。が、結論を言うなら答えはNOだ。
オレはこの世界に……この悪魔の肉体に宿る前からこうだった。何も変わっちゃいない。
"千石 夏憐"という男は、人間として異質で、歪んでいて、それでいてその心は最早人間ではなかったのだ。
とにかく心は歪みに歪み、自分以外を全て見下していた。
特に両親だったあの男と女には憎しみにも近いものを抱いていて、いつか殺してやると常々思っていた。
それと、病院に勤める看護婦や医師共、あの連中も同じだ。このオレを十六年もあのベットの上に縛り付けて地獄を見せた。殺したくて仕方ない。
あと稀に来る婆ぁ、アイツは他とは多少マシとはいえ、今思えば煩わしい存在だった。それに、毎日オレの病室にやってくる自称幼馴染みの女。耳元でやれ病気が治ったらアレしよう、一緒に学校に行こうなんて飽きもせず、ほぼ毎日喚く鬱陶しい奴だった。
ああ、思い出すだけで殺意が沸々と湧いて来やがる。どうにかして向こうの世界へ行けるなら、今すぐブッ殺してやりたいところだ。そうすれば今この戦いへの消化不良は少しは解消されるだろう。
そこまで思って、途端オレの殺意やら何やらの炎は一気に鎮火する。
先程までの剥き出しの殺気と重圧は嘘のように消え去り、空気が軽くなる。どうやら悪魔の精神が奥に引っ込んで、人間の精神が前に出て来たみたいだ。
「という事は……」
根滅剣へ視線を落として、瞳の色を確認してみる。すると案の定というか、瞳の色は紅色から黄金色へと変わっていた。
「ふむ、どうするか……」
首を回してミカエルと――未だ気を失っている――狼人の男を交互に見る。
悪魔の精神が引っ込んだ為に、濁流のように溢れ出ていた殺戮衝動は最早無い。だから、殺すという選択肢は――なくは無いが――無しと言ってもいい。
何より、今ここでミカエルを殺すのは勿体ない。というのも、ミカエルは紅姫がサタンであった時代、もしくはそれ以上も前からこの世界に存在していた。言うなれば、情報の宝庫。ここで殺っちまったら、宝箱を見つけて中身を確認せずにドブへ捨てるのとそう変わりない。損はあっても得がないという事だ。いや、今ここでミカエルを殺す事で、オレの命の安全性が一つ高まるというのもあるか。だが、目先の欲に釣られて後の事を考えないのは愚かと言うほかないからやめておく。後々後悔するのが目に見えているからな。
死人に口無し。ここは冷静に考えて、情報を引き出すのが良いだろう。
ああ、でもなぁ、まだ斬り足りないんだよなぁ。ミカエルの男を目の前で嬲り殺しにしてやろうか。そうすりゃスッキリするかもな。いや、そんな事しちまったらミカエルの奴が素直に情報を吐くわけないか。やっぱダメだな。今回は諦めるか。人質として使って、ミカエルから色々絞り出すか。
そこまで思い至り、オレは根滅剣に付着した血を振り払って鞘へと収めると、地面に這いつくばるミカエルへ視線を落とす。
「ミカエル、取き引する気はあるか?」
「と、取り引き、ですって……?」
先程までのオレの雰囲気と今の違いに戸惑いつつ、顔を上げて視線を合わせる。
脂汗が次々と滲み、顔色は悪い。そして、仲間を目の前で無惨に殺され、その瞳には怒りと憎しみが宿っている。
相当ご機嫌ナナメのようだ。腹の中じゃ、今更取り引きですって?! なんて憤ってるかもな。まぁ、オレから言わせれば――
「――その怒りの矛先はオレじゃないだろ。今回こうなったのは、ミカエルのせいだろう」
「……………は?」
「なんだその、何を言っているだって顔は。まさか理解らないとかほざく気じゃないだろうな? どっからどう考えてもお前のせいでコイツらは死んだんだろうが!」
殺したのはオレだが、その原因を作ったのは間違いなくコイツのだ。オレは悪くない。というか、悪いなんて微塵も思ってないな。
「……あ、貴方がッ……貴方が殺したんじゃないッ! 私の目の前で、バラバラにして、滅多刺しにして、真っ二つにして……! なのに、どうして私のせいなの?! 自分で殺しておいて、私のせいにするなッ!! この卑怯者ッ!!」
荒い鼻息を鳴らし、瞳孔の開いた目でオレを射抜くその姿は滑稽だ。どうやら本当に理解出来てないらしい。
これだから女ってのは……すぐに頭に血が上りやがる。冷静に考えればわかる事だろうに。
「はぁ……人のせいにするな? そのセリフ、そっくりそのまま打ち返してやるよ、お前こそオレのせいにするなよ。
いいか、そもそもお前がとっととガキ共始末しちまえば、こんな事にはならなかっただろうが!」
「な、何を……!」
「分からないのか? なら簡単に、簡潔に説明してやる。お前が、時間をかけず、躊躇せず、示威行為としてわざわざ魔力を解放しなければ、そもそもオレはここに来なかった! もっと言うなら、示威行為として魔力を解放しなければ、オレはお前の存在にすら気づかなかった! 理解るか? 全部お前の甘さが招いた結果なんだよ!」
「……!!」
ようやく理解したミカエルの顔が絶望に染まる。自分が早くガキ共を殺していれば、魔力を解放しなければ、時間をかけなければ、肉の塊になった連中は死なずに済んだ。オレという存在を呼び寄せる事もなかった。
まったく馬鹿な女だ。やれ愛だの、やれ優しさだの、そんなもん振りかざしてるからこうなっちまったんだ。生きていくのにそんな不純物は必要ない。必要なのは情け容赦ない非情さと"力"だけだ。
「話を戻そう。取引についてだが、難しく考える必要はない。オレが欲しいのは情報だ。そいつさえ素直にオレにくれるのであれば――」
視線はミカエルと合わせたまま、手を狼人の男に向け、指で軽く手招きする。すると、男は〈万物掌握〉によってオレの手元まで手繰り寄せられる。
この時点でオレが何を考えているか察したミカエルの顔色は、更なる絶望に染めあげられる。
くくっ、そんなにこの男が大事か。今ここで殺してミカエルの反応を見てみたいところだが、今はそれより情報だ。
「――この男とお前の命、見逃してやる。さぁ、どうする? つっても、お前の取るべき道は二つに一つだがなァ!」
鞘から根滅剣を抜き放ち、男の首の皮一枚のところでピタリと止める。すると、ミカエルは面白いぐらいに血相を変えた。
「わ、分かった、分かったから。なんでも話すから。だから願い。エルは、エルだけは殺さないでッ!!」
「おいおい、それじゃさっきの連中は別に死んでも良かったのか? オレにはそう聞こえたが……なんて、遊んでいる場合じゃないか。
さて、オレのする質問に正直に答えろ。ちょっとでも虚偽の情報を流したら、その時はテメェの目の前でこの男の首を脊柱ごと引っこ抜いてやる! そんでもって最後は根滅剣で、存在そのものを消してやる! いいなッ!」
「………は、はい……分かりました。嘘は言いません。正直に答えます……だから、お願いします! エルは、エルは殺さないでください……私から、もう……何も……奪わないで、下さい……!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした顔で、必死に懇願する様は見てて哀れだ。ミカエルはこの男をオレに殺されまいと必死なんだろうが、その余裕のない姿を見てると腹の底から可笑しくなっちまう。存外笑いを堪えるのも難しいもんだ。
「お前が約束を守るなら、オレも約束は守ってやる。良かったなぁ、これでお前と男の命が助かるぞ……!」
さて、情報を聞き出すと言っても何から聞いたもんか。多すぎてどれから聞くか迷う。
もう少ししたらルミナスがここに来ちまうからなぁ……時間の関係上、聞けることはそう多くないか。なら、三つぐらいに絞るか。
自分の中である程度整理がついたオレは、小さく「よし……」と零し、その場に屈む。
「まず一つ目の質問だ。創造魔法を知っているか?」
ミカエルは即座に首を横に振る。
一瞬嘘をついている可能性は? とも考えたが、先程嘘をついたらコイツの男を殺すと言ったところだった。嘘がバレて目の前で自分の大事な男を失うかもしれないのに、嘘をつく理由がない。というかコイツにとっては最悪の事態を自ら招く羽目になるんだ。オレに虚偽の情報を渡す筈がない。それに、精神を追い詰められている今のミカエルに、嘘をつける余裕などないだろうしな。
「なるほど、やはりそう簡単にはいかないか……」
創造魔法。コイツがあるならオレの目的の一つが達成できるんだがなぁ。やっぱグレイシアの奴を探し出す方が早いか? いや、どこにいるかも分からない奴を探すよりかは魔法という手段を探す方が早いか……それにしてもミカエルでも知らないか……いや、ちょっと待てよ。魔法は知らなくとも、こっちならもしかして……。
「少し質問を変えよう。創造魔法を知らないなら特殊能力【創造】は知っているか? もしくはそれに似通った力をお前は知っているか?」
ミカエルの目が見開かれる。どうやらビンゴだ。魔法としては存在していなくとも、特殊能力なんかの力ではあるらしい。
「知ってるようだな。包み隠さず離せ……!」
男の命がかかっているにも関わらず、ミカエルは一瞬躊躇うそぶりを見せる。まぁ、"創造"と言えば創造神グレイシアの"力"ともいえるべきもの。それを天使であるミカエルが勝手に話せる筈がない。例えるなら会社の社長のことわりもなく、勝手に自社の機密事項をばらすようなもんだからな……が、そんなことは知った事じゃない。話さないというならこの男を無惨に殺すだけだ。それでコイツの精神が崩壊しようが、オレには関係無い。
「何を迷ってんだ? ああ、そんなにこの男の首が胴と別れるのが見たいのか……!」
「ま、待って! 待って下さいッ! 話します。話しますからッ!」
だから殺さないで、そう言ってミカエルの表情が崩れる様はやはり可笑しくて仕方ない。
目の前で男が殺されたら、一体どんな表情をするのか興味をそそられるところだが、仕方ない、ここは堪えるとするか。
「……く、詳しくは知らない、です。ただ……私は、【創造】という"権能"を知っているだけ、です……それ以上は知らない……ほ、本当よ! 嘘じゃないわ! 嘘じゃないです!」
「はいはい、分かったから喚くな……それにしても"権能"? 特殊能力とはどう違う」
「"権能"は特殊能力の更にその上の力。上位互換と言えばいいのかしら……私の知っている限り、この"権能"という力を持っているのは九神の神と七体の魔物だけ、です……それ以上は、本当に何も知らな……知りません!」
ふむ、漠然とし過ぎて何を言っているかさっぱりだが。今面白いとを言ったな。七体の魔物。つまり、
「"七災の怪物"共か……」
零すようなオレの一言に、ミカエルは肯定の意味を込めて頷く。
それにしても特殊能力の上位互換か。どうりであの時オレのスキルが封じられたわけだ。単純に魔力値の差だと思っていたが、そういうカラクリがあったわけだ。なるほど、なるほど。
とにかく、収穫はあった。"権能"についてはミカエルもこれ以上しらなさそうだし、聞くだけ無駄か。あとは地道に調べるしかなさそうだ。
「次の質問だ。お前の他に"八星天"の天使はどこにいる。というか、この世界に何人いる? それで実力の程は?」
紅姫に聞いてもいいが、千年経てば何かしら変わっているかもしれないからな。そう言った意味でミカエルに聞くのが手っ取り早い。
「ア、"八星天"の内、私を含めて四人がこの世界にいます……残りの四人はおそらく天界にいると……思う……実力は、私とほぼ同等。でも……一人だけズバ抜けて強い人がい、います」
「名前は?」
「"天帝"メタトロン。かつて世界を恐怖のドン底に叩き落とした"魔帝"と互角に渡り合った最強の天使、です……!」
ほう、魔帝と互角。そいつは警戒が必要だな。
「そいつは恐ろしいな。それで、その"天帝"はこの世界にいるのか?」
「いえ、彼女は天界にいる筈です……天界を治めているのは彼女、です、から……」
この世界にはいないが、その内相対する事を念頭に入れておくか。
魔帝と戦ったという事は、その魔帝の肉体に宿ったオレも他人事ではないからな。
「なるほど……そんじゃ、残りの"八星天"の名前を教えろ。あと特徴と能力もな……!」
仲間を裏切る行為に自堕の思いなのか、その顔は悔しさと情けなさが垣間見える。
本当は口にしたくない、仲間を売りたくないという思いが顔に出ているぞ。もう少し隠したらどうだ。まぁ、ここにはオレ以外見ている奴がいないから、ミカエルも気にしていないのかもしれないが。元はと言えば自分の責任だ。自業自得ってやつだな。
それにしても、意外と表情豊かだな。初っ端の印象はもっとクロエみたいに顔筋が動かない奴だと思ったが。
「……"八星天"。序列第一位"天帝"メタトロン。保有特殊能力は【超速再生】【思考超加速】【聖清領域】【熾穹の天眼】【天帝の聖光気】。
序列第二位"天死"アズライール。保有特殊能力は【状態異常耐性・大】【錬成】。
序列第三位"天戦"サンダルフォン。保有特殊能力は【広域視覚】【思考加速】
序列第四位は私"天裁"ミカエル。保有特殊能力は【瞬間移動】
序列第五位"天罰"ウリエル。保有特殊能力は【豪炎支配】
序列第六位"天守"ガブリエル。保有特殊能力は【護煌気】
序列第七位"天知"ラファエル。保有特殊能力は【神速思考】
序列第八位"天恵"イスラフィール。保有して特殊能力は【水流支配】。これで、全部です……!」
特殊能力は持っているが、一人を除いてそれ程多く保有しているわけでもないか。聞く限り"天帝"メタトロンは要注意な存在だが、ミカエルがこのザマなせいか、その他はそれほど脅威に感じないな。特殊能力もどういった能力かだいたい検討はつくし、後で紅姫に聞けばいい。取り敢えず、警戒はしておくに越した事はないか。
「ご苦労。それにしても、【瞬間移動】か……そんな便利な特殊能力があるなら、何故さっき使わなかったんだ? そいつを使えば、オレから逃げるなんて簡単だったろうに」
「【瞬間移動】は一日に一度しか使えない。だから戦闘中に使うのは不可能だった……」
使うにしても全員を回収してからじゃないと使えなかった、というのが本当のところらしい。そりゃそうだろうな。例え自分一人だけ逃げられても、残った奴らは全員オレに嬲り殺し確定だからな。まぁ、結局三人は無様に死んじまったが。
「なるほど、制限付きの特殊能力か。便利そうに思えて不便な能力だ……さて、最後の質問だ。と言いたいところだが、その前に前置きを一つ話そう。オレは"力"が欲しい。理由は至極簡単。死にたくないからだ。死んじまったら何もかもが終わる。そんなのはごめんだ。オレは生きて生きて、生き延びて、生き続けたい。だから欲しい。もっと"力"を……!!」
「……!!」
「ってなわけで、手っ取り早く"力"を手に入れる方法を探している。何か知っているか?」
ミカエルは目を伏せ、少し考え込むと、何か思い当たる事があったのか、少し表情を険しくする。
「……………真偽の程は、確かではないけど、その……」
歯切れが悪いな、そんなに信憑性が薄いのか?
「……アルヴヘイムに"星樹"というものがある。それで、その……」
"星樹"……"世界樹"と何か関係がありそうな感じだな。それにしてもここでアルヴヘイムが出てくるか。
確かアヴァロンの連中が近々アルヴヘイムに戦争を仕掛けるとか、ダンテの奴が言ってたな。まさか……
オレは顎をしゃくって先を促す。
「その"星樹"が数千年に一度"生命の雫"という果実を実らせるらしい」
ああ、大体読めてきたぞ。
「その果実を口にしたものは、絶大な力を得ると、そう言われている……あくまで噂でしかないけど」
「なるほど……」
絶対な力ねぇ……なるほど繋がった。アヴァロンの連中が何故アルヴヘイムに戦争をふっかけるのか不思議に思っていたが、理由はその"生命の雫"か。
という事はその噂とやらは信憑性が高いかもな。じゃないとアヴァロンの連中がアルヴヘイムに戦争までふっかける理由がない。ギレンにも少し調べさせるか。
「……こいつはいい事を聞いた。ますますアルヴヘイムに興味が湧いてきた!」
「……」
「なんだその目は? 安心しろ。別にアルヴヘイムの連中自体に興味はない。よって、殺すつもりもない。時間の無駄だからな」
「……そう」
「さて、聞きたい事は聞けた。エルヴィスは返す。死体も好きにすればいい。オレの気が変わらないうちにさっさと消え失せろ……!」
少し威圧を含んだ視線を向けてやれば、ミカエルはビクッと体を震わせる。若干トラウマになっているかもしれないが、オレにとってはさして問題ではないので気にしないでおく。
「うっ……くっ……〜〜ッ!」
ミカエルの肉体自体は天使の治癒能力でキレイに傷口が塞がっているものの、根源はオレの根滅剣に散々斬られてるからボロボロだ。立つ事すら困難である。だが、流石はミカエルと言ったところか、根源の痛みをものともせず――ゆっくりではあるが――見事に立ち上がる。ついでに睨みつけるようなギラギラした目をオレに向けてな。
「ほら、返すぞ。受け取れ」
オレは男をミカエルに放り投げる。すると、男をその両手でしっかりと受け取ったミカエルはたたらを踏んで数歩後ずさる。肉体のダメージは相当なようで、一瞬悲痛な顔が目に入った。
ミカエルは男を肩で支えながら生命剣と死体を氷漬けにしてから、順に回収していき〈魔導庫〉へ入れる。そして、最後にオレに鬼の形相を向けたかと思うと、こう言い放った。
「貴方はいつか必ず……殺す!」
その言葉を最後に、ミカエルはその場から姿を消した。そして、オレを追ってきたルミナスが現れたのは、それから程なくしてのことだった。




