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悪魔がカレンにわらうとき  作者: 久保 雅
第4章〜魔法騎士学園〜
144/201

恐怖

 鮮血が石畳を濡らす。


 巨大な鉄塊が乱暴に、されど可憐に薙ぎ払われる。その度に悲痛な呻き声が辺りにこだまする。


 大剣を文字通り自在に操り、まるで舞踊の様に舞うその姿は、この薄暗い路地裏であっても尚輝くように美しく、一枚の絵画のように衝撃的だ。

 四方八方からの猛攻をものともせず、じゃれつく猫を遇らうが如く蹴散らす。


「少し痛いわよ」


 そう言ってミケは大剣を引き戻し、バットを振る要領でエミリア目掛けて薙ぎ払う。


 空気を押しのけるように薙ぎ払われた大剣は、吸い込まれるように腹部へと直撃。途端、耐え難い鈍痛が腹を中心に拡散するように走る。


「ごはッ……!!」


 エミリアは血を吐き散らしながら吹き飛ぶと、石畳を跳ねる様に転がる。

 その最中、背後から斬りかかったクロエとテレーゼが、大剣で殴られ、声にならない痛みと共に地面へ叩き伏せられる姿を捉える。

 その際の音や衝撃も凄まじいものであった為、二人の意識はないと思ったほうがいいだろう。


 エミリアはぼやける視界で必死にミケ(相手)を探すが、強烈な一撃を受けた際の――内臓破裂はしていないだろうが――骨折の痛みが邪魔をする。

 怒涛に押し寄せるその鈍痛に呼吸の仕方すら忘れ、最早立つ事すら億劫だ。

 今この場で痛いと叫んでしまえば少しは楽かもしれない。誰かが助けてくれるかもしれない。しかし、彼女の高いプライドがそれを拒む。

 これは戦いであり、殺し合いだ。

 例え痛いと叫んだところで状況は何も変わらないし、誰も助けてはくれない。

 そもそも、リュウガとローザも化け物(ミケ)相手に自分のことで手一杯だろう。助けに来ること自体無理な筈である。


 最早負けは必至であった。


 輝かしい金髪は泥と血に濡れ、最早美しさのかけらもない。

 水縹(みはなだ)色の眼は光を失い、闘志というものがまるで感じられない死んだ魚のようだ。

 体も僅かに揺れるだけで、言う事を効かない。


 もう駄目だ。諦めよう。

 こんな化け物相手に勝てる筈がない。しかも聖剣持ちだ。負けたとしても仕方がない。体だって動かない。意識を保つのだって辛い。


 きっと師匠(せんせい)だって分かってくれるはず。


 そんな事を考え、眼を閉じた途端。「オレの弟子のくせして情けない……」そうぼやきながらため息をつくヴェイドの姿が鮮烈に思い浮かぶ。


 途端、閉じていたエミリアの目は見開かれ、眼に再び光が戻る。


「くっ……このっ!」


 失望の目を向けるヴェイドの姿が頭に浮かんだ瞬間、悔しさが怒りとなって表れた。


 死んだ魚の様な目は、鷹の目の如く鋭く闘志を滾らせ。心情を顕すように、体を稲妻がバチバチと音を立てて走る。


 エミリアは拳を強く握り締めた。

 化け物相手に勝てる筈がない? 聖剣持ちだから仕方ない? そんな言い訳を一瞬でも考えた自分に心底反吐が出た。


 一週間……たった一週間という短い期間しかまだ鍛えてもらってはいない。だが、それでも少しは成長したところを見せつけてやりたいと思ってしまう。

 少しは驚かせてやりたい。あのクロエより動かない顔筋を、どうにかして動かしてやりたい。

 あの男に"エミリア・エクレール・ランチェスター"という人間を魅せてやりたい。


 私は聖剣持ちの相手にだって怯まず立ち向かえる。

 逃げたりなんてしない。

 私が強いって事を証明して見せる。

 だから、こんな所で倒れている暇なんてない。


 ヴェイド・ロズウェルに自分の存在を認めさす為には、こんな所で休んでいる暇なんてないんだ。


 駆け巡る痛みを気合だけで耐え抜き、口から粘性のある血を垂らしながら鬼気迫る形相で立ち上がる。

 余計な事は怒りで塗りつぶし、震える脚はプライド一つでねじ伏せた。


 そして大きく息を吸い込み、まるで獅子の如き咆哮を上げ、ミケに斬りかかった。

 それはまさに獣。貪食に飢えた獣が獲物へ襲いかかる構図である。


「がぁッ!!」


「エミリアよせ!」


 リュウガの制止の言葉虚しく獣と化したエミリアは石畳を蹴り飛ばし、獲物へと喰らいつく。思考回路は獣のそれ。本能で動いていると言ってもいいかもしれない。


「あら、まだ立ち上がる余力があるのね……貴方といい、竜人の子といい、存外しぶといわ」


 真正面から小細工なしの斬り下ろし。

 それはただ斬り下ろしただけの、技と呼べるような代物ではない。

 例えるなら、子供が木の棒を持ってチャンバラしている感じだろうか。剣筋はメチャクチャであった。


「児戯ね……」


 振り下ろされる剣の腹を横から優しく押す。すると、それだけで剣の軌道はそれ、ミケの横を通過する。


 振り下ろされた石畳みには亀裂が入り、剣を伝って衝撃がエミリアの全身を走る。


「ぐッ……!」


 もともと体に相当なダメージを負っている為、少しの衝撃でもかなり堪える。

 軽い目眩を起こし、一度はよろめくものの、エミリアはすぐに剣を振る。


「あぁぁぁぁぁッ!!」


 気合だけ乗ったその攻撃は、最初と比べて哀しい程にキレがなくなっていた。

 心だけが先立ち、身体がいう事を聞かないエミリアの斬撃は哀れという他ない。


(まるで獣ね……)


 剣の重みに体が流され、血を周囲に撒き散らしながらもエミリアは必死の形相で剣を振り続ける。

 しかし、裂帛の咆哮と共に放たれる斬撃の数々は、ミケの足捌きによって簡単に避けられてしまう。


 ミケは小さく息を吐くと、剣を振り上げたエミリアにタイミングを合わせ、硬く作り上げた拳で顔面を打ち抜く。

 途端、強烈な衝撃が頭を突き抜け、視界がひっくり返る。

 エミリアは操り手を失った人形の様に崩れ、呆気なく意識を手放した。


「エミリアっ!!」


 とうとうエミリアまでもが倒され、リュウガは大きく舌打ちをする。


 クロエとテレーゼ、エミリアは戦闘不能、後ろの物陰ではベルがゼンの治療中。加えてリュウガの背後には、怯えきったローザが小さくなって――ミケから――隠れて震えていた。

 その様子を見る限り、最早戦える様な状態ではない。

 いつものような強気な態度は嘘のように消え去り、今にも泣きそうなその顔は、どこにでもいるか弱いただの女の子だ。


()()()()()()()()()()……路地裏(ここ)に来る前から気にはなってたんだ……!)


 リュウガだけは気付いていた。

 エミリア達が戦う強い意思を見せていた時もローザには迷いと怯えが見えていた事を。

 今思えば、この路地裏に足を踏み入れる前に、お前は残れと強く言えば良かったかもしれない。だが、それを言った所できっとローザは何がなんでも付いて行くと言ったに違いない。ローザの真面目な性格上、自分だけ安全な場所に残るという選択肢は選ばなかったはずだからである。しかし、この姿を見ると、やはり無理やりにでも置いてくれば良かったと後悔ばかりが滲む。


 リュウガは頭を振る。


 過去の事に目を向けた所で、今の状況は変わらない。今やるべき事は、どう生き残るかである。ミケがリュウガ達の事を殺すつもりは無いと明言はしていたが、後ろの二人は違う。エルヴィスとマヤはリュウガ達を生かすつもりは毛頭無い筈である。その証拠に、愉快そうな表情とは裏腹に二人の向ける目はどのタイミングで殺そうか、と考えているのがひしひしと伝わってくた。これまでの会話の節々から、あっちも安全に生きていくのに必死なのだ。やはり簡単には逃してはくれないだろう。


 リュウガは逡巡する。

 魔力という面ではまだ余裕があるのだが、体は限界に近い。竜化の多用による肉体的なダメージは大きく、全身が悲鳴をあげている。これ以上竜化を使用すれば当分の間指一本動かせなくなるだろう。最悪、死に至る危険性も孕んでいた。


 死ぬのは怖い。だが、それを恐れて仲間が死ぬ方がもっと怖い。


 だから、覚悟は決めた。


 リュウガは大きく深呼吸すると、倒れ伏しているエミリア達を〈魔力障壁〉で囲み、剣を地面に突き立てる。

 途端、その剣を中心に一帯を氷が侵食する。


(あたし)冷え性だから、そういうのやめてよ……ねっ!」


 迫る氷の波を、マヤは〈炎浄障壁〉で自分とエルヴィスを取り囲むように張り、極寒の波を塞ぐ。

 一方でミケは、〈魔力障壁〉で自身の身を守り、何事もなかったかのように平然と耐え抜く。


 地面が、壁が、全てが凍てつき、その場を白銀の世界へと変貌させる。


 リュウガは間髪入れず、〈氷殺柱(シル)〉を連射。その場から微動だにしないミケに放つ。

 しかし、放たれた氷の槍はミケが展開している〈魔力障壁〉に阻まれ、虚しく砕けてゆく。だがそれでいい。もともとこんなちゃちな攻撃が当たるとは微塵も思っていない。

 この〈氷殺柱(シル)〉の連射はあくまでミケの視界を奪うための、言わば目眩しである。


 リュウガの思惑通り〈氷殺柱(シル)〉でミケの視界を奪うことに成功する。その間にリュウガは氷で滑り台のようなものを作り、意識のないエミリア達を器用に回収する。更にミケと自分達の間に〈氷天障壁〉による分厚い氷壁を作り上げた。

 ミケ相手には気休め程度だろうが、無いよりはマシだろう。ぶっちゃけ、こんなのは少しでも安心したいが為の薄皮に過ぎない。


「ふぅ……ほんの少しでいいから、じっとしててくれよ……」


 分厚い氷壁を作り上げることで、リュウガの強張っていた体が解れる。

 緊張状態である事は変わらないが、情けない話、敵の姿が見えなくなっただけで幾らか気が紛れた。


「さて、どうすっかなぁ……」


 そう呟きながらも、やる事は決まっていた。撤退、これに尽きる。

 ゼン、テレーゼ、クロエ、エミリアが戦闘不能。ベルは魔力の酷使で残量が心許ない。ローザは怯えきっていて、最早戦力として入れる事自体が難しい。

 つまり、この場で戦えるのはリュウガ一人となってしまったのだ。逃げる他道はなかった。


(逃がしてくれると有り難んだが……)


 それは難しいだろう。何度も言うようだが、エルヴィスとマヤはどんな手段を用いても確実に殺しにくる。例えミケがリュウガ達を生かして逃すと言っても、二人は強行するだろう。ここでリュウガ達を逃がせば、彼らのデメリットはあまりに大き過ぎるのだ。


(戦っている間は手を出して来なかったが、逃げ出した瞬間、()りに来るな。となると、やっぱり時間稼ぎは必要か……)


「ローザ」


 リュウガは顔をローザに向け、名前を呼ぶ。


「……」


 しかし、リュウガの呼びかけが聞こえていないのか、ローザはその場に座り込んだまま返事をしない。

 どうしたのかと覗き込んでみれば、目の端には涙が溜まり、今にも大声で泣き出しそうな顔をしていた。

 どうやら限界が近いらしい。ぶっちゃけ、リュウガ自身泣きたい気分だ。全員やられて戦えるのは自分一人。表情を歪めたくなるほど冷静に今の状況がわかってしまう。

 絶体絶命。もうこの言葉意外出てこない。本当に泣きたくて仕方ない。しかし、泣いている時間も余裕もないのが現実だ。


「ローザッ!」


 怒鳴るような声をあげ、リュウガは無理矢理ローザの意識をこちらに向け、目線を同じ高さまで下げる。


「……!」


「いいかローザ、時間が無いからよく聞け。まず、俺がアイツらを足止めする。お前はその間にそこの三人担いで、ベルと一緒に逃げろ! 

 大通りに迎え。あそこまででりゃ、アイツらもそうそう手を出してこねぇだろ」


「む、無理だよ! アタイ、そんなの……!」


 弱気な言葉とくぐもる声。最早、いつもの強気な面影は無い。この状況で後ろ向きな思考になるのは仕方ないが、精神的に余裕のないリュウガは腹立たしさを覚える。


「無理でも何でも、やるしかねんだよ!」


「や、やだ! 怖い、怖いよ……!」


 そんな事は分かっている。それはリュウガ自身も含めて、エミリア達だって同じだ。耐えるしかないんだ。

 だが、そんなありきたりな言葉を並べた所で、今のローザの震えは止まらないし、後ろ向きな思考も一向に前を向かない。


「もうやだ……帰りたい、帰りたいよ!!」


 駄々をこねる子供の様に叫ぶ。


「………!」


 イラつく。


 生きるか死ぬかの状況だ。ローザの気持ちも分からなくはないし、弱音を吐きたくなるのも仕方がないとは思う。だが、それでもイラついてしまう。


 怖い? そんなのはリュウガだって同じだ。戦うのは怖いし、死ぬのだって当然怖い。出来るなら今すぐ一人で逃げ出したいところだ。

 帰りたい? リュウガ自身、今すぐ(うち)に帰って、ベットの中に潜り込みたい気分だ。


 リュウガの額に青筋が浮き上がる。今すぐぶん殴って怒鳴り散らしたいところだが、それではただでさえ追い込まれているローザを更に追い詰める事になる。リュウガは喉まで出かかったそれを必死の努力で飲み込み、なんとか溜飲を下げた。


 取り敢えず、深呼吸して多少の気持ちを落ち着かせたリュウガは、ローザの認識を改める。

 今ここにいるのは、騎士見習いでもなければ、しっかり者で、男勝りな真面目人間でもない。そして、厳しい訓練を共にした仲間でもない。

 リュウガの黄金色の眼に映る今のローザは、ただのか弱い女の子だ。


 リュウガは「ローザ、俺の目を見ろ!」と言い、俯いたローザの顔を両手で挟んで無理矢理上げ、目を合わせる。


「……!」


 薄緑色(ライトグリーン)の眼が黄金の眼と交わり合う。

 今まで目を合わせる事がなかったからか、煌めく星のような黄金の眼は、こんな状況でもとても綺麗に映るのだから不思議だ。

 今も怖くて震えが止まらない事には変わりない。だが、意識は真剣な眼差しでこちらを覗き込むリュウガの瞳に吸い込まれて目が離せない。


 微かに、鼓動が跳ねる。


「……!」


「ローザ、約束してやる。俺がお前を護る。絶対だ! お前を護る為なら、腕だろうが、脚だろうが、心臓だろうが、なんだってくれてやる!」


「……!」


「ローザ、今だけでいい。俺を信じろ!」


「あ……あの……!」


 何故だろう。恥ずかしくてつい目を逸らしてしまった。

 胸は高鳴り、頬はほんのり赤く熱い。

 いつもは憎たらしくて仕方ないのに、どうして今はこんなにカッコよく見えるのだろう。


(か、顔が見れない……!)


 いつの間にか周囲の音は耳に届かず、跳ねる心臓の音だけがうるさい。

 ローザは自身の鼓動がリュウガに聴こえないよう、両手で胸を押さえる。



 顔が熱いのはなぜ?



 この胸の高鳴りはなに?



 体の奥底から湧き上がってくるコレは、一体なんて言うの?



 今は怖いという感情すら忘れて、不思議とリュウガの事で頭が一杯になっていた。


 最早、今の状況など忘却の彼方。頭の中はフワフワした感情で埋め尽くされ。今のローザはか弱い女の子から乙女の顔にシフトチェンジしていた。


 その光景を物陰から見ていたベルは、リュウガのセリフとローザの様子から、顔を僅かに引き攣らせる。


(リュウガ、この状況でそのセリフは口説き文句みたいになっているのさ! ローザはローザでちょっと満更でもない顔しているのさ!)


 内心そんな事を叫んでいると、次の瞬間にはリュウガがローザの肩を強く掴み、トドメを刺しに行く。


「俺の命、お前にやる! だからお前の命、俺にくれ!」


 裏のない真摯な言葉と真剣な眼差し。


(か、完全にプロポーズやんけぇぇぇぇぇ! 何でそんなセリフ出て来た。ていうかリュウガ天然か! 自分で何言ってるのか自覚あるゥ?!)


 リュウガの突然のプロポーズに顎が外れるぐらいに驚きつつ、すぐさま視線はローザに移る。

 交際もしていないのだから、流石にローザもYESとは答えないだろう、というかあれだけ魔族を毛嫌いしていたのだから、当然突っぱねるはず………そう思っていたのだが。


「……は、はい」


 トロンとした表情でそう答えた。


 ベルに雷が落ちたような衝撃が走る。


(えぇ〜ッ! まさかのYES(イエス)ゥ〜!!?)


 目をひん剥いた。


 ほんのり赤く染まった頬と熱を帯びた眼。どうやら完全にオチたらしい。


 何故こうなった! ベルの頭の中はその言葉で一杯だった。


(話の流れから、リュウガはローザとベル、そして意識を失ったエミリア達三人を逃す為に自分が囮になると言う話をしていたはずだ。それで怖がるローザを少しでも落ち着かせる為、護ってやるみたいな事を言っていた。ここまでは良い。

 それが何故告白(プロポーズ)になった。というか何故ローザは二つ返事でYESなんだ。もともとリュウガの事が好きだったのか。いつも突っかかってたのは、実は感情の裏返しとか。いやいや、いつもリュウガを睨んでいたときの目は本気で敵を見る目だったし、ありえない。断じてありえない…………え、じゃあ何で? ん? ん〜〜ッ??)


 考えれば考えるほど分からない。


 なので、取り敢えずこの話は後日の課題にしようと決め、横に置いておく。まずは逃げる事を優先する事にした。


 ベルは容体がある程度安定したゼンの治療を一旦やめ〈念話〉をリュウガに繋げる。

 ゼンの容体は多少マシになったとはいえ、もしもの時を考え、離れるわけにはいかないからだ。


『リュウガ、これからどうするのさ?』


『ベルか……取り敢えず俺が囮になってあの化け物どもを引きつける。お前はローザと一緒にエミリア達担いで逃げてくれ』


『君はどうするんだい。まさか死ぬつもりじゃないだろうね?』


『それは彼方(あちら)さん次第と言っておく』


『だったらオイラも……!』


『ダメだ。ベルはもう魔力も殆ど残ってないだろ。何よりローザ一人で四人を抱えて逃げるのは無理がある。ましてや今のローザは情緒不安定だ。誰かが一緒にいてやらねぇと、また面倒くさい事にな――』


「リュウガ、後ろッ!」


 リュウガが言い切る前に、ローザが氷壁の異変に気づく。

 背後の氷壁が爛々と赤く輝きだしたのだ。


「?!」


 赤い輝きは強さを増し、徐々に熱を伝える。


(まさかっ?!)


 答えに行き着いた瞬間、背筋が凍る。


「伏せろォッ!!」


 リュウガの叫びと共に超高温の炎が氷壁を突き破る。


 ベルは物陰から出していた顔を慌てて引っ込め。リュウガはローザを押し倒す形でその場に伏せると、自身とエミリア達に〈魔力障壁〉を張る。


 直後、氷壁を突き破った――(ドラゴン)竜砲撃(ブレス)と見紛う――炎は、リュウガ達のいる通路を銀世界から火の海に一変させる。


「マヤ、やり過ぎよ。やめて!」


「やーだよっと!」


 路地裏を火の海に変えている張本人のマヤは、ミケの制止を聞かず、尚も炎を出し続ける。

 このままリュウガ達を焼き殺そうという腹づもりなのだ。


 当然、ミケはそれを許さない。


 前方に〈魔力障壁〉を――角度をつけて――張り、放射され続ける炎を上に逃す。


「あ〜あ、殺せるチャンスだったのにぃ〜」


 マヤは手を下ろし、戯けるように言う。

 すると、ミケは睨みつけるような視線をマヤにぶつける。


「私は誰も死なせないと言ったはずよ!」


「それはアンタの都合でしょ。(あたし)らはあのガキんちょ共に生きていられると後々超面倒なの……お分かり?」


「それでもダメよ。殺しちゃダメ!」


「アンタさ、マジでどっちの味方なわけ?」


「………」


 呆れを含んだため息を漏らすマヤに、ミケは何も答えず火の海と化した通路に体を向け、〈風掌(アロ)〉で火を掻き消す。

 辺りは黒く焼け焦げ、熱気が立ち込める。


(器用なことするわね……)


 内心そう呟いたミケの視線の先には、二つの氷のドームがあった。

 おそらく〈魔力障壁〉だけでは防ぎ切れないと踏んで、もう一枚壁を作り上げたのだろう。


 そんな考察をしていると、中央の氷のドームに亀裂が入り、次の瞬間には崩れ去る。


 すると、中からローザとリュウガが姿を表した。様子を見る限りうまく塞いだようだ。


『ベル、無事か?』


『なんとかね。君達はどうなんだい?』


『俺とローザは無事だ。ついでに言うと、エミリア達も心配ない』


『それは良かったのさ……でも、壁が無くなっちゃったのさ!』


最初(はな)からあんな氷壁(うすかわ)あてにしちゃいねぇよ。それより、逃げる準備は?』


『オイラはいつでも行けるぜ!』


『了解。だったら……』


 リュウガはローザに顔を向け、どこか優しさを含んだ苦笑いを浮かべた。

 それが何を意味しているか分からないローザは首を傾げる。


 リュウガはそんなローザの肩に手を置き、軽い口調で「そんじゃ、後はよろしく」と一言いい残し、一歩前に踏み出した途端――


「え……?」


 ――自身とローザ達との間に分厚い氷壁を作り上げる。


 状況についていけないローザはその場で固まり、ただただ唖然とする。


 すると、後ろの物陰からゼンを背負ったベルが駆け寄り「ローザ、急いで逃げるのさッ!」と叫ぶ。

 しかし、当のローザの耳にはまるでその言葉が入って来なかった。

 頭の中は真っ白。音という音が一切届かない。


 今度は別の意味で鼓動が激しく脈打つ。

 呼吸は荒くなり、指先は徐々に冷たくなってゆく。


 ここにいるのはローザとベル、そして意識のないエミリア、テレーゼ、クロエ、ゼン。

 そして氷壁の向こうには、リュウガただ一人。



 殺される。



 そう思い至った時には氷壁を叩いて叫んでいた。


「リュウガ、リュウガっ!!」


 絶叫にも似た呼び掛けも虚しく、返ってくるのは沈黙だった。

 さっきまではこの氷壁に多少心が救われていたのだが。今はただ静かにそびえ立つこの氷壁が邪魔で仕方ない。


(どうして、どうして、どうしてッ?!)


 動揺を隠せないローザは慌てて両刃斧を手に取り、大きく振りかぶる。

 すると――背負っていたゼンを地面に下ろした――ベルが間に入り、氷壁を壊そうとするローザを止める。


「ローザ、やめるんだッ!」


「どきなベル。リュウガを助けないと!」


「ダメだ。オイラ達はこの場から早く逃げるのさ!」


「な、何言ってんだい。リュウガを見捨てるつもりかい?!」


「ローザ、さっきリュウガの話を聞いていなかったのか?!――」


 リュウガは囮になると言っていたのだ。今ここで氷壁を壊して助けに行けば、リュウガの覚悟を無駄にする事になる。

 だから、ベルとローザはエミリア達を連れて、一刻も早くこの場から離れなければならないのだ。


「――オイラ達は逃げなきゃならない。リュウガの為にも……」


 辛そうな顔で答えるベル


 出来るだけ遠くに。少しでも遠くに。

 例え、リュウガという犠牲を払ったとしても……


 そんな意味を含んだベルの言葉に、ローザの顔から表情が消える。


 嫌だ、見捨てたくない。助けなきゃ! という思いと同時に、リュウガの気持ちを汲み取って少しでも遠くへ逃げなければ、という冷静な自分がいる。

 感情的なローザは助けたいと叫び、理性的なローザは逃げることこそ正しいと主張する。

 感情と理性のせめぎ合いに、ローザの心は揺らぐ。


「ア、アタイは……」


 一体どうすればいいのか分からない。決められない。


 そうして刻一刻と時間が過ぎてゆくなか。



 とうとう、それはやって来た。



 異様な空気を撒き散らし、尋常じゃない殺気が充満する。


「「………っ!」」


 まるで心臓を鷲掴みにするようなその殺気は、一瞬で幾百、数千もの死を幻視させ、ローザとベルを絶望という奈落へと叩き落とす。


 さっきまで抱いていた恐怖など、コレに比べればなんとかわいかった事をだろうか。


 殺気は時間の経過とともに更にキツくなり、呼吸の仕方を忘れさせる。


 そして……


「あっ……」


 とうとうその強烈すぎる殺気に、ベルの忍耐はキャパオーバーを迎え、意識を手放した。

 これ以上無理に意識を保っていると、発狂してもおかしくはなかったからだ。そういった意味で、ベルが意識を手放したのは正常であり正解である。

 そして倒れたベルの横では、ローザもまたその強烈な殺気に当てられて意識を朦朧とさせる。


 立っている事も、座る事もままならないローザは地面に倒れ伏す。すると、どこからともなく足音が近づいて来る。

 何かを放り投げたのか、ドサッという音も聞こえた。

 足音が近づくにつれ殺気は強さを増し、ローザの意識はそれに比例して遠のいてゆく。


「………!」


 一歩、また一歩と、ゆっくりと確実に距離を詰める。


 そして、足音が近くで止まり、声が降って来た。


「チッ、情けない奴らだ……!」


 その呆れを含んだ声と言葉を最後に、ローザの意識は暗い深海へと沈んでいった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公を見たいのになかなか出ないのがムラムラして嫌ですねぇ
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