猫
猫はドアの方を向いて、ニャアとひと鳴きした。
ピンと立てた耳で音を聞く。
まん丸に見開いた目で影を探す。
瞳は瞳孔が開ききっていて、まるで金環日食の指輪だ。
猫はドアが開くのを待っていた。これは間違いなく、あの人間の足音。朽ち果てそうな階段が立てる特徴的な音は、もう完全にマスターした。
人間は大抵この時間になるとやってくるが、今夜は少し遅かったようだ。おかげで腹が減ってしまった。しかし、こう閉じ込められていては食料を漁りにもいけないので大人しく待つしかない。部屋の中に虫やネズミが出ればそれも食うが、今夜はあいにくと静かな夜だった。
微かな音がしてドアが開いた。前脚を揃えて待っていた猫の頭上に、黒い影が降りてきた。少し冷えた手。額を撫でられて、猫はうっとりと目を閉じた。
この人間は他の人間のように猫に話し掛けたりしなかった。ただ毎晩この時間にやってきては、餌をやり、トイレの始末をする。それが終われば、猫を膝に抱いて壁に背を預けた。そしてひたすら、闇の中で身体を撫でる。
人間は猫のハチワレ頭が好きらしかった。廊下から差し込む僅かな明かりを頼りに、白と黒がハッキリと別れたラインを延々と指でなぞった。その時はおそらく互いに至福である。そしていつしか横たわり、朝を迎えるのだ。
人間は朝ごはんを猫に与えて消えていく。去り際にはいつも嫌がるほどに身体じゅうを撫で、見詰め、強く抱きしめる。ドアの前でじっと外の音を聞いて、またこっちを見る。そしてようやく、出ていく。
猫はこの退屈でぬくもりに満ちた時間が気に入っていた。自由は利かないが、元来一日のほとんどを寝て過ごす生きものだ。苦労して餌を探さなくていい。仲間とのいざこざもない。
――毎日来てくれるといいな。来てくれないと困る。食事にありつけない日が来るのは困る。
古新聞にあけられた餌を貪りながら、猫は今晩の食事について考えていた。