第8章 美術祭だ
未完成なものでも美しいものは存在する。ミロのヴィーナスなんてのはその代表。あれは腕が無いからこそ芸術なのだ。もしも腕が存在していたら、あの像の美術的価値は今とは大違いだろう、悪い意味で。時に作品は完成しない方が良いこともあるのである。身近なところで例えるなら、写生会を思い出してほしい。下書きの段階なら納得出来ていても、色を塗ると自分が嫌になることがあるだろう。ああいうのは本当に勘弁してほしい。
僕は朝から第二美術室の片隅で本を眺めていた。並べられた石膏の目線を横目に、ただ眺めている。読んでいるわけじゃない。何故かと言えば、今日は我が中学校の伝統行事、美術祭だからだ。これは、その日一日を生徒、又は教師の芸術作品創作に費やそうというもの。最近の子供は創作意欲だのなんだのが欠如しているそうで。前校長が提案したそうだ。生徒の身分としては授業がなくて万々歳なのだが、普通こういうのは秋にやるべきじゃなかろうか。現在、時系列的には夏休み前という設定なのだが……。作者は「私立」というのを魔法の言葉か何かと勘違いしている様子。
まぁそういうわけで、僕は朝から真面目に作品づくりに勤しんでいるわけだ。とは言っても、何を作ろうかも決まらず、ただいたずらに時間が過ぎていくだけである。このままでは何も作品が出来ないだろう。僕は魔が差し、もといアイデアを求め、他のみんなの状況をうかがうことにした。これが後の後悔の原因になるとも知らず。
僕はまず四組に向かうことにした。あそこなら誰かがいるだろう。僕は四組のドアを静かに引いた。教室では生徒が黙々と作業している。個人でひたすら作業に没頭する者もいれば、何人かで集まっておしゃべりだけ楽しむ者もいる。そんな中、教室中央には人の熱気を感じなかった。そこにあるのは黒い塊。僕はゆっくりとそれに近づいた。表面はざらついているように見える。そして気付いたのだ。それはおそらく、う○こさんであると。
「おぃいいい! まさかの一発目からの下ネタ!? リアルすぎるよ!」
そう、そこに存在するう○こはそりゃもうリアルであった。色合い、質感、形、どれをとってもまるで健康児のう○こである。
「おー、アツシ。俺の作品に目を止めたみてぇだな」
巨大なう○この陰から身を乗り出したのは居候、神田林次郎丸であった。
「あんたか、これ作ったの! 何で朝っぱらからこんな下ネタに走るかなぁ、本当!」
次郎丸ははぁ? と頭をボリボリかいた。
「誰の作品が下ネタだって? これか? 俺の作ったこれがう○こに見えたのか? おいおい、アツシ、マジだったらちょっと引くんだけど。お前小学生?」
「え、あ、違うんですか?」
「違うんですかって、当たり前だろ、これ。俺もう結構おっさんだよ? う○こなんか作るわけねえだろ」
どうやら恥ずかしい間違いをしてしまったようだ。確かに次郎丸もいい大人。う○こというのはあまりに馬鹿馬鹿しすぎる。
「えっと、じゃあこれ何なんですか?」
次郎丸は胸を二回叩くと、自慢げに答えた。
「あれだよ、暗黒物質コーモンカラデルヤツライト鉱石だよ」
「おい待てぇ! 今明らかに肛門からでるやつって言ったよ! 何だよコーモンカラデルヤツライト鉱石って! ちょっとマカライト鉱石チックに言うなよ!」
次郎丸はまたまたはぁ? と頭をかいた。
「お前知らねえの? まぁ暗黒物質だしな、知らなくて当然かもな。まぁあれだよ、この作品のタイトル見ればお前も理解するだろ」
「え、タイトル? 何なんですか、一体?」
タイトルだけで理解できるとは思わないのだが、一応聞いてみることに。
「じゃ、発表しまーす。タイトルは……『今朝』だ」
「あんたそれ今朝のう○こでしょうがぁあああ! あぁ理解したよ! その物体が完全にう○こであるということで僕の意見がまとまったよ!」
次郎丸は聞くと、不満げに目を細めた。そして何か思いついたように口を開く。
「お前、俺の作品をどうこう言う前に他の奴のを見てみろよ。愛のかけらもねえじゃねーか」
「次郎丸さんの作品にも愛は感じませんよ。むしろ日頃のストレスをぶつけているようにしか見えないです。みんなはもっとまともなの作ってますしね」
次郎丸は腕を組み、目を細めた。まるで悪だくみをする悪人のようなツラ。
「ほう、そこまで言うなら見て回ろうじゃねえか。他の奴の作品をよ?」
次郎丸の一言により、僕のこれからの予定が決まった。次郎丸と共に、僕の言葉の真偽のほどを確かめようツアーだ。どうせ周りの作品を見て回るつもりだったし、誰と一緒でも問題はない。
ということで僕たちは二階廊下を歩いている。普段ならこの廊下は上級生の私有地のように扱われているが、美術祭に限っては公共の場へとその姿を変えている。僕と次郎丸は学校中で自由に創作活動をする生徒達を見て回っていた。
「ほら、次郎丸さん見て下さいよ。みんな真面目でしょ?」
「う……まぁ確かにそうかもな」
今回は僕の言い分が正しいようで。久しぶりに次郎丸を言い負かした。何となく優越感。
「次郎丸さんっ!」
と、いきなり僕たちの目の前に飛び出るセーラー服。驚きに目を焼かれながらも、必死に相手を確認する。そこに立っていたのは肉まんの精霊、中万華であった。
「ちょ、マンカさん! ウチの制服着て何をしてるんですか!」
そう、中万華の来ているセーラー服は我が中学校のもの。普段スカートを履いてるのを見たことが無かったから目新しい。
「何してるって、私もこの美術祭に参加してるんじゃない」
してるんじゃない、などという事を言われても僕の頭の中はwhy?でいっぱいである。
「へ〜。で、何作ってんだ?」
次郎丸が聞くと彼女は頬を赤らめ恥じらいながらカメラを取り出した。
「一応、写真なんだけど。だから次郎丸さん、脱いでっぶは!」
次郎丸は一瞬何かの恐怖を感じたのか中万華の額に掌底。その場で彼女は息を荒げている。
「いや、意味分かんねーよ。今の接続詞はおかしいだろ。ていうか俺に攻撃されて息を荒げるな」
「ふふふ、荒げるなだなんて。そんな風に言って私の反応を見て楽しんでるのね。いいわ、存分に楽しんで。むしろもっと言って!」
僕たちは中万華を放置することにした。
――
「おい、アツシ。あいつはどうなるんだ? あれはまともな作品、いや、まともな神経なのか?」
「あ、あの人は前から変ですから、例外です」
僕たちが次にやってきたのは宿直室である。次郎丸に、同じ教師の作品を見てもらおうと思い立っての選択。本当はマモルの作品でも見せたいんだが、マモルはあいにく野球の試合が重なり今日はいない。なので教師。誰が今日の宿直なのかはわからないが、いくら最近の教師が犯罪よく起こしてると言っても、基本的には真面目な人間の職業のはずだ。きっと真面目な作品をつくっていることだろう。僕は宿直室のドアを失礼しますの一言を添えてゆっくり引いた。
「あ、神田林先生と大平君。悪いけど先生今から美術鑑賞だからね、邪魔しないでくれる?」
と、宿直室であぐらをかき、DVD数枚とにらめっこしていたのは体育教師子持先生、通称ロドリゲス。ガタイの良さより顔の大きさの方が気になる、一般女子生徒から気持ち悪いと言われるタイプだ。
「あ、すいません。何のDVDですか、それ」
「え? 何ってこれほら。あれ、芸術作品。もうそれ以外の何ものでもない」
次郎丸はずかずかと宿直室にあがり、ロドリゲスの持っていたDVDを覗きこむ。
「お、これ新作じゃん」
僕は宿直室の入口から次郎丸に問いかけた。
「何の新作ですか?」
「『お隣さんは痴女シリーズ』の新作」
お隣さんは痴女? それってただの……。
「大人のDVDでしょうがぁああ! 何が芸術鑑賞!?」
「いや、待て大平君! 先生は決して卑猥な気持ちで見ようとしたんじゃないぞー! 本当もう、芸術として見るから。先生の中じゃそれは芸術だからね!」
「いや、お隣さんが痴女であることを芸術という概念の枠組みに放り込んでいることがもう卑猥ですよ! ていうか朝からなんかこんなネタばっかだよ! 作者の意図が分からん!」
僕は正直つらかった。僕の周りにはこんなのしかいないのかと。
「ねぇ、次郎丸さん! やっぱり私放置プレイは耐えられない!」
僕の後ろから頭を突き出すのは中万華。別に放置プレイをしてたわけではないんだが。自分自身で放置プレイだと思いこみ、それに耐えられずやってくる。自分をいじめているのか楽しんでいるのか、自分自身に嘘を付いているのか、なんなのか。謎は深まるばかりである。
「おう、ちょっと待ってろ。今行くから。それとロドリゲス、宿直室の使い方をもう一度よく考えた方がいいぞ? 結構人来んだから、場所考えろよ」
「ちょ、私はマジそんなんじゃないからね! お隣さんになんて何の期待もしてないからね!」
叫ぶロドリゲスを背に、僕たちは宿直室を後にした。
新たに中万華を加え、再び他人の作品を鑑賞しようツアーは始まった。先ほどからただのツッコミツアーになっているが、本番はこれからである。今度こそまともな作品を鑑賞するのだ。その決意を胸に次にやってきたのは二組の教室。我が四組から一つ教室をまたいだ所。日当たりが他の教室よりも良いので、休み時間になるとたくさんの生徒がここに集まる。明かりを求めるのは人間の本能なのだ。
ふと教室中央を見ると、留学生モロミン君が紙に何かを熱心に書いていた。モロミン君はおかしいところもあるが、基本的にピュアで真面目な子である。モロミン君の作品を見せれば、次郎丸との対立も収まるだろう。
「モロミン君、何書いてるの?」
僕は次郎丸と中万華よりも一歩前に出て言った。モロミン君は顔を上げ、真っ赤になった眼で僕を見つめる。
「ワタシは今戦地の父ニ送ル手紙を書いてイマス」
……お、重い! 重すぎる! 何で泣いてるのモロミン君!? お父さんに何があったの!?
「で、モロミン。その手紙の横に描いてるのはなんだ?」
次郎丸が手紙の端を指差した。モロミン君はほんの少し微笑む。
「コレは……、父の似顔絵デス。下手デしょう?」
モロミン君んんんん! やめて! 微笑まないで! その眼にたまった涙を気にしながら微笑まないで!
「そ、そっか。じゃあ、頑張って書いてね。行きましょう、次郎丸さん、マンカさん」
「あ? まだ他の奴の見てねーだろうが」
「いいから、早く!」
僕は次郎丸の手を引いて二組のドアを引いた。
「はぁ、なんかさっきから一向にまともな美術作品作ってる人がいない……」
僕たちは三階廊下を歩いていた。僕は愚痴とため息を同時に漏す。
「やっぱお前、いねーんだって。みんな思春期だから。頭ん中じゃなんやかんやでいっぱいなんだよ」
「そうよ、現にここに次郎丸さんとなんやかんやすることで頭がいっぱいの女がいるわ」
お前はだまってろと言わんばかりに中万華の側頭部にげんこつを押し付ける次郎丸。微笑む中万華。
「でも、きっとここならいるはずです。僕は信じています」
僕が立ち止まったのは美術室。最終手段ではあるがここにまともな作品を作っている者がいなければ、もうこの学校には光が無いと言っても過言ではない。そもそも、普通ならこんなとこに来る必要さえないはずなのだ。
「じゃ、行きますよ」
僕が振り返ると、こくりとうなづく次郎丸と中万華。僕は背筋を伸ばし、ドアを開けた。
「あ、次郎丸。おはようでござる」
藍色の着物にミリタリーリュック、そしてフチなし眼鏡。美術室の中央に座っていたのは次郎丸と同じ小神、利理岡権田勇だ。
「利理岡さん!? 何やってんですか、こんなとこで!」
「なにって、美術祭に参加してるだけでござる。それ以外になにか理由が必要でござるか?」
「いや、参加してる理由は結構必要だと思います」
利理岡権田勇はしばらく考えるフリをして頭をかいた。
「それはそうと、一体何の用でござるか。拙者は作品づくりで忙しいでござる」
「悪ぃな、ちょいと他の奴のを見て回っててよ。お前は何作ってんだ?」
次郎丸が問いかけると、利理岡権田勇は不敵な笑みを浮かべ持っていた筆を僕らの方へ向けた。
「ふっふっふ、拙者の作品は並大抵の人間には理解できないでござるよ」
そして利理岡権田勇は右手に持った自らの作品を僕らの前にかざした。
「そ、それは……」
ひらひらとした質感を損なわぬよう丁寧に削られたビニル樹脂製のセーラー服。実際じゃあまずお目にかかることない短すぎるスカート、そして太ももまであるハイソックス。どんなモデルでも得ることのできない抜群のスタイル。最も着眼される点はその瞳の大きさ。顔面の三分の一はある。そしてこれらの情報から導き出される答えは。
「校内で美少女フィギュアを制作!?」
利理岡権田勇は満面の笑みで胸を張る。
「どうでござるか、このリアリティ。まさに拙者の嫁としてふさわしいでござどぅん!!」
次郎丸が無言で額チョップ。
「うわ、次郎丸さんいきなりですね」
「いや、何かめっちゃビックリした。友人ながらめっちゃビックリした」
利理岡権田勇はダメージを受けた額に手を当て、半泣きで言った。
「ちょっ! 何でござるか、美少女フィギュアを作ることがそんなにいけないでござるか! 冒とくでござる! 全てのヲタクに対する冒とくでござる!」
「いや、別に悪いとは言わねえよ。でもほら、ビックリしたから」
次郎丸の言う通り、悪いことではない。趣味に没頭することはいいことである。だが、校内で美少女フィギュアを作るという行為はマネしないでね。
「でも次郎丸さん、私は彼と同じ恋に生きる人間として共感できる部分はあるわ」
「わーお、マンカちゃんは優しいでござる!」
「ちょ、やめて。セクハラだから」
「えぇ! 話しかけることがセクハラ!? 拙者の存在ってなんなの!? あやた〜ん、みんながいじめるでござる!」
お手製のフィギュアに話しかける利理岡権田勇。もう彼のことは放っておいてここを離れようと思うのだが、読者の皆さんに異論はないだろうか。ていうか、もう離れることにする。
――
僕は思う。この学校にはもうまともな作品づくりをしている人間などいないのではないか。しばらく次郎丸、中万華と校内を歩き回ったのだが、中学生らしい行動をしている奴なんて一人もいないのだ。
保健室に行けば、木田が吉川さんの写真(盗撮)を花で飾り付け、木工室へ行けば具府君や歯岸君がガンダムのジオラマを制作。アユに至っては校舎裏で気の棒を振り回し「月牙天衝!」と叫ぶ始末。出ると思ってるのか、おい。
僕たちは歩いた。最後の希望に賭けて。この小説のキャラはもうほぼ出揃っている。残るは一人。そう、ユリちゃんだ。
「きっとユリちゃんなら大丈夫です。きっとまともなのを作ってます」
僕は廊下を歩きながら言った。次郎丸は少し疲れたようで、溜息まじりにこう返す。
「お前よぉ、ちょっとユリを美化しすぎじゃねぇか? いざ何かあったとき幻滅するぞ」
「大丈夫です。僕の妄想の中のユリちゃんはドジっ子ですから」
「何が大丈夫なんだよ。少なくともお前の頭は全然大丈夫じゃねえよ」
次郎丸の言葉にわずかに傷つきながらも、僕は真っ直ぐ歩を進めた。見据えるのは屋上への階段。ユリちゃんが友達と屋上に出ているらしいという情報を手に入れたからだ。階段を上る時間が非常に長く感じられる。きっと大丈夫だという保証はどこにもない。これはあくまで僕の願い。もしかしたら……。そんな矛盾した思いが僕の胸を突き刺す。
屋上へ出るドアの前で一旦足を止めた。何が起きても驚かないように準備が必要である。僕はゆっくりとドアノブへ手をかけた。
そこには確かにユリちゃんの姿があった。何をしているのだろうか。ユリちゃんの友達が本体を抑え、ユリちゃん本人がドライバーでその……。僕は何も言わずドアを閉める。
「おい、アツシどうしたんだよ。ユリはいたのか?」
「そうよ、いきなり閉めるなんて。顔を合わせるのも恥ずかしいの、この思春期は」
次郎丸達は後ろからよく見えなかったようだ。いやいや、僕だってよく見えなかった。でも明らかにおかしい光景ではあったのだ。まずユリちゃんが美術祭でドライバーを持ち出してることがもうおかしいのである。
「いや、もう今日はやめにしません? なんていうか、ほら。もう僕が悪かったってことで良いですから」
「いやでもユリが何してるのか気になるじゃねぇか」
「だってあの。ほら、女の子には知られたくないことの一つや二つあるだろうし」
中万華が間に入る。
「私は次郎丸さんに何を知られてもいいわ。ちなみに今日は私、女の子の日なの」
「こっちが知りたくねーよ、そんなこと」
次郎丸は中万華にツッコミを入れると、僕の体を押しのけ無理やりドアノブに手をかけた。
「あ、ちょ! ダメ!」
僕が声をかけるも虚しく、すでに薄暗い階段にはドアから漏れた一筋の光が伸びていた。
「あ、先生にアツシ君。マンカさんも」
「何をやってんだ、お前ら」
ユリちゃん達はドライバー片手に掃除機を分解していた。
「えっと、日立のサイクロン掃除機はどんな構造になってるのかなぁって」
「で、分解してたのか」
「はい、分解してました」
天使のような笑顔から放たれる強烈な言葉。ロングコートチワワ型テポドン発射装置と比喩させて頂く。
「あれ、みんなに言ってなかったっけ。私ね、電化製品が好きなの」
覚悟は決まった。そんな一面も含めて、僕は彼女を好きになろう。個性を認めずして何が人間か。ていうかこの小説で普通の人間を求めること自体間違っているのだ。そう、これはきっと萌え要素だ。そうに違いない。あれ? 何か熱いものが頬をつたってる。
「あ、あのユリちゃん。邪魔してごめんね。存分に掃除機を分解していいから」
次郎丸が不思議そうな顔で僕を見る。
「おい、アツシ。どうしたんだよ、こんな絶好のツッコミタイミングを見逃すなんて。お前らしくないぞ。いつもなら『どこのヤマダ電気職員!?』とか言ってるぞ?」
中万華も続く。
「そうよ。アツシの唯一の取り柄でしょ。これがなかったらあなたの存在価値なんて無に等しいのよ?」
存在価値がない。十四年間生きてきて、初めて言われた台詞かもしれない。
「うるせぇええ! 何だよそれ! 僕の存在の主成分ツッコミ!? 僕って一体何なんだよ! あと次郎丸さんは僕のモノマネ下手!」
ツッコミの最中、僕は思った。そうだ、僕は変態になるんだ。変態はこの程度で幻滅したりしない。むしろ興奮してもおかしくないくらいだ、と。
「それで、ユリちゃん……」
僕は彼女の目を見る。そして、一つの壁を超える。
「どこのヤマダ電気職員んんん!?」
ここに川平慈衛がいたならば間違いなく大声で実況するだろう。僕、大平アツシという人間が、始めて好きな女の子にツッコミを入れたのだから。そうだ、今回の事を機に、これから僕は彼女にツッコミを入れていこう。それこそが、今の僕が出来る精一杯の愛情表現なのだ。
「アツシ君……」
少しドスをきかせたような声でユリちゃんが言う。さり気にツッコミしていこう作戦は失敗だったか? ちょ、もうやだ! 今ここで嫌われるのとかすごい嫌だ!
「日立のサイクロン掃除機はヤマダ電気以外でも売ってるんだから! そんな風に言ったらヤマダ電気の専売特許みたいになるよ!」
「あ、ごめんなさい!」
なんか大丈夫みたいだが、思わず謝ってしまった。だがツッコミというのは端的にボケを指摘するものであるからして、そういうことを言われてしまうとどうしようもないんだが。ていうかユリちゃんって実はものすごいツッコミどころ満載なんじゃないか? 今の今までそれが、ユリちゃんというだけでツッコミはしなかった。だが、これは間違っていたのかもしれない。そう、僕はこの世界に欠かすことの出来ないツッコミ。その役割をまっとうするのに、誰がボケであろうと関係はないのだ。僕の頭に少し大きい手が乗った。
「やっと、気付いたみてぇだな」
次郎丸の目は、優しさ、許容、その他もろもろ色んなものが混じった優しい光を放っていた。
「次郎丸さん……。僕、頑張ります!」
僕はまた一つ大人の階段を上った。
僕たちは四組の教室へ戻っていた。何だか一向に事態が好転する気配がないからだ。頼みの綱、ユリちゃんでさえあれだもの。驚いたもの。僕たちはそれぞれ椅子に座って向かい合った。次郎丸は椅子の前後を逆にして座っている。
「とりあえず今日の結果だけどよぉ。俺の勝ちだろ」
次郎丸の言葉に僕は何も言い返せなかった。全員真面目は真面目なんだろう。それは分かる。ただそこに常識というものが抜け落ちていただけ。この小説に常識を求めるのは駄目だったのかもしれない。僕はため息をついてから言う。
「……そうかもしれませんね」
今回は次郎丸の言い分が正しいわけで。他の学校なら分からないが、うちはこうなんだ。ふと窓から校庭を見る。モチモチマンが餅をついている。あぁ、ボケて待ってたんだな。なんか悪い気がするが、もう疲れたから行かないぞ。
「これからどうします?」
僕は座ったまま背伸びをする。今日は一日ツッコミっぱなしだったから肩が凝った。次郎丸と中万華が唸る。すると、ふいに開く教室のドア。
「おっす、アツシ。先生」
そこに立っていたのは野球の試合に行っているはずのマモル。
「あれ? 何でここにいるんだ、マモル?」
僕はすぐに疑問を言葉に乗せた。マモルはあぁ、と相槌をうつ。
「思ったより試合が早く終わったからさ、学校に寄ったんだ。一応今日は美術祭だし」
マモルは言うと教室の隅にある次郎丸の作品、『今朝』に目を止めた。
「あれ? これコーモンカラデルヤツライト鉱石じゃないですか。すげークオリティ」
「えぇ!? 現存するのその物体!? 誰が命名したんだよ、その暗黒物質!」
次郎丸は力の抜けた声で言う。
「説明してねーもんな。あれだよ、それはな。かの有名なジーザス武田の肛門から出るといわれる暗黒物質なんだよ」
「またジーザス!? ていうか肛門から出る時点でやっぱりそれはう○こだよ! 暗黒物質でも何でもないよ!」
マモルがコーモンカラデルヤツライト鉱石の上に手を置いた。
「でもさ、アツシ。これ石油に代わる新エネルギーとして注目されてるんだぞ」
「こんな汚いものに未来がかかってるの!? 汚物で救われるのなんて嫌だよ! 抵抗感じるって!」
マモルは少し笑うと、辺りを見回した。
「どうした、マモル」
「いや、アツシはどれ作ったのかなって」
どれを作った? 僕が? さて、一体何を作ったんだったか。思い出せない。ていうか僕作ったか? あれ? そもそも何でみんなの作品を見て回ったんだ。自分の参考にするためだったじゃないか!
「やばい! 忘れてた!」
おいおい、どうするんだよ美術の点数! いや、待て。落ちついて考えろ。マモルのように美術祭に参加していない生徒だっているんだ。もしかしたらこれ美術の点数に入らないんじゃ……。
「あ、マモルはどうするの? 作品作らないの?」
「いや、野球部は後日でいいって言われてるから。これ結構、配点高いらしいよ」
わずかな希望消滅! どうしたらいいんだ、もう時間が無い。僕は頭を抱えて悩んだ。だが何も考えつかない。ほんの少しの時間で作りあげられる作品。何を作ればいいんだ。僕が諦めかけたその時、頭に再び置かれた大きめの手。
「分けてやろうか? 俺の作品を」
次郎丸の手には本体からちぎり取られたコーモンカラデルヤツライト鉱石。僕は無意識に手を差し出していた。
コーモンカラデルヤツライト鉱石は、決して汚くなんかない。本当に汚いのは僕の心だったんだ――。
未完成なものでも美しいものは存在する。ミロのヴィーナスなんてのはその代表。あれは腕が無いからこそ芸術なのだ。もしも腕が存在していたら、あの像の美術的価値は今とは大違いだろう、悪い意味で。時に作品は完成しない方が良いこともあるのである。
今回の冒頭、これに準ずるのが僕の作品。『コーモンカラデルヤツライト鉱石の欠片』。未完成なフォルム。人として未完成な作者。全てが未完成。だが、それが芸術。僕の作品は金賞を取った。