第7章 泥棒だ
朝日を浴びると体に良いんだそうだ。僕は目が覚めると、とりあえずカーテンを開けることにしている。体に良いというのももちろんだが、ただ何となく一日のスタートダッシュがつけられるような気がするからだ。
今日も僕はいつものようにカーテンを開ける。温かい日の光を浴びて、全身の細胞が目を覚ますのがわかる。眩しいな。目に対しては少し荒っぽすぎる起こし方だったか。今度はもっと優しく起こしてやろう。
毎度のことだが、二階にある部屋から階段を使って降りていると、居間の方からきゃっきゃと声が聞こえだす。この数週間で二人も増えた家族の楽しそうな声。今日騒いでいるのは次郎丸か中万華か。僕はあくびをしながら居間のふすまを開ける。
「だから拙者は柚子胡椒が良いって言ってるでしょうがぁああ!」
荒っぽい目の起こし方で、目が反抗でもしているんだろうか。ちゃぶ台に座っている男性が麻の着物を纏い、背中にパンパンのミリタリーリュックを背負った知らない人に見える。いやいや、これ以上家族が増えるなんて家計崩壊だよ。ありえないよ。
「ちょっと利理岡さん! ウチは柚子胡椒使わない家なんですってば!」
どうやら耳も反抗しているらしい。親父がこの人の名前らしきものを叫んだ気がする。大丈夫か僕? 悩みでもあるんじゃないか僕? 僕が自分を慰めようとしていると、次郎丸が後ろからやってきてポンと僕の肩を叩く。
「アツシ、紹介するよ」
「次郎丸さん、嘘だと言って下さい」
僕は覚悟を決めて畳に腰を下ろした。右隣には次郎丸。その次郎丸の隣にはパジャマ姿の中万華。次郎丸の左腕にニコニコしながら抱きついている。次郎丸も慣れきった様子で、どこぞの漫画の主人公のように頬を赤く染めることもせず、目のやり場に困るわけでもなく、ただただ無関心。昔こういう風船のやつが流行ったような気がする。そして、僕の正面には問題の着物にミリタリーリュックの男。ふちなし眼鏡をかけ、頭は天然パーマ。ボサボサでだらしがない。
「えっと、じゃあまずこの人を紹介していただけますか、次郎丸さん」
次郎丸はあぁ、と眠そうな声で言うと自分の半裸の写真を取り出し、それを後ろに放り投げる。それに飛びつく中万華。厄介払いか。
「え〜と、こいつは俺の同僚で利理岡権田勇。毘沙門天とこの小神だ」
なるほど、次郎丸と同じ存在か。小神、最近は忘れかけていたが、次郎丸は次期神候補だったっけ。考えてみれば僕はものすごい奴と同居している。
「拙者、利理岡権田勇でござる。リリーと呼んでくだされ」
「で、利理岡さんは何をしに来たんですか?」
利理岡権田勇は瞬間的に悲しい目をしたが、すぐに光を取り戻す。
「拙者、次郎丸のもとへ遊びに来たのでござる。それよりも、拙者のことはリリーと呼んでくだされ」
どうやらまた家族が増えるわけではないようだ、安堵。僕は次郎丸に向かってかるくうなづく。
「わかりました、今日は泊まっていかれるんですか、利理岡さん?」
「あの、うん。そのつもりでござる。ていうかその、何かさっきから失礼なのに気付かないでござるか」
「あぁ、利理岡さんをリリーと呼ばないことですか?」
利理岡権田勇はちゃぶ台に乗り出しながら僕を指差した。
「それぇええ! 分かっててやったのでござるか!? 拙者が恥を捨てて二回も忠告したのにそれを無視したのでござるか!?」
僕はその場で利理岡権田勇を指差す。
「あ、ちゃぶ台に乗り出さないで下さい、壊れたらどうするんですか」
「あ、ごめんなさい……いや待って、今は拙者が怒ってるわけでござるから」
利理岡権田勇が言いかけると、彼の右隣りから大きな赤い隕石。その隕石は利理岡権田勇の頬を捉え、めり込みながら嫌な音を立てる。だがその被害者はその場からほんの少しも動かず、衝撃を首の筋肉で押し殺した。どうすればそんな状況になるんだ。神は未知の生き物であるとつくづく思わされる。そして、利理岡権田勇の右頬にめり込んだそれはまだ半目のだるまであった。
「ごちゃごちゃうるせーよ、ビリー! 呼ばれ方なんて気にしてんじゃねぇ!」
次郎丸である。どうも利理岡権田勇の情けない姿にイライラしたらしい。涙目の利理岡権田勇はだるまを右わきに抱えながら立ち上がる。
「もう気になるようにわざとなのそれ! ビリーじゃないでござる、リリーでござる! 拙者どうみてもムキムキの黒人には見えないじゃん!」
だるまをぶつけられたことより名前の方が大事なのか。何か思い入れでもあるんだろうか。次郎丸が立ちあがっている利理岡権田勇をふくらはぎを蹴る。
「ていうかお前何訳の分かんねー嘘ついてんだよ。俺に頼みがあるんだろ? 何が遊びにきただ」
遊びに来たと言うのは嘘だったのか。確かに嘘をつく必要はなかったように思う。
「い、いや、拙者はあの……人との接し方とかよく分からなくて。あ、でも彼女はいるでござる」
「でもの意味が分からないです。言う必要ないでしょ、今は」
とは言うものの、彼に彼女がいるのは驚きだ。見た目のヲタクっぽさとはかけ離れた現実。人は見かけによらないとはまさにこのこと。
「でもその彼女が引きこもりなんでござる……」
「え、どうしたんですか」
利理岡権田勇はくしゃくしゃの天然パーマを指でいじる。何だか気持ちよさそうだ。
「はぁ、何故かパソコンの画面にずっと引きこもってるんでござる」
「……ていうかマジでヲタク!? それ違いますよ! 彼女は彼女でもそれはあなたの心の中だけの存在! その彼女が語りかけてくれる言葉は全て偽り!」
「嘘でござる! あやたんは拙者のこと好きって言ってくれるでござる!」
話を本題に戻すことにしよう。
朝食を食べ終えると、自分が息を切らしていることに気付いた。先ほどの調子で会話を続けていたためだろう。いくら普段からの慣れっことはいえ、朝っぱらからこれでは身が持たない。自分に反省。
せっかくの休日にもったいないと思いつつ、僕たちは利理岡権田勇の話を聞くことにした。ちゃぶ台を端に寄せ、居間の中央に僕たち大平家の面々と利理岡権田勇が円を作る。中万華は相変わらず次郎丸にくっ付いている。背中から腰に腕をまわしてぴったりと。顔面を次郎丸の背中に押し付けていて、傍から見るととても不自然である。息がしづらそうだ。
「次郎丸、折り入って頼みがあるでござる。……あの、そちらのお嬢さんは何をしているでござるか。下手すりゃ窒息するでござる」
「大丈夫だよ、こいつ肉まんだから」
何が大丈夫なんだろうか。気になるところだが、今しがたの朝食と言い、一向に話が進まない。ここは僕がいつものように仕切り役になるとしよう。きっと将来合コンなんかで損をするタイプだな、僕は。
「で、利理岡さんは何をお願いしたいんですか?」
「おぉ、そうでござる。次郎丸」
利理岡は言うと、一直線に次郎丸を見つめる。
「その、大事な物が失くなったんでござる。それを探すのを手伝ってほしいのでござる」
探し物か。それ位なら自分で探せそうなものだが。次郎丸は鼻をほじりながら答える。
「大事な物ってあれか、まともな感覚か? 残念だが、そいつは取り戻したくて取り戻せるもんじゃねぇぞ」
利理岡権田勇は次郎丸に目線で対抗する。ただ、欠片もダメージもない。
「実は……毘沙門天様の宝塔が盗まれたでござる」
ホウトウ? 何だそれ。ただ、とても大事なものだと言うのは分かる。次郎丸の眉がぴくりと動いていた。彼の動揺なんて滅多に見るもんじゃない。
「あの、ホウトウって何ですか?」
僕が訪ねると、利理岡権田勇は眼鏡をくいっと上げてからため息をつく。彼は足を崩しながら言った。
「宝塔、財宝の神とされる毘沙門天様の象徴とも言える代物。こっちの世界でも、毘沙門天は左手に宝塔を持つとされていたと思うでござる。そのものに特別な力などはないでござるが、とにかく高価で、皆が欲しがるもの。それが盗まれたでござる」
次郎丸は今日初めての真剣な表情になった。ただ僕には分からなかった。それ自体に大変な力が無いのなら、宝塔を盗まれたところで困るのはその毘沙門天本人だけ。次郎丸がたったそれだけのために、まして、自分とは担当の違う神の話を真剣に聞くなんて考えられない。この宝塔が盗まれたことに、もっと重大な何かがあるのだろうか。
「権田勇、夜叉と羅刹はどうしてた? まさかあの二人がやられたなんてこたぁ……」
「あ、いや。あの二人はあれでござる。腹をくだしてたでござる」
大きく息をつき、眉間をしわ立たせる次郎丸。
「じゃあ何か? あの二人は宝塔盗まれてる間うんこしてたのか? 馬鹿じゃねーか、ただの」
気になることは多けれど、まったく話が見えてこない。僕はその場で挙手をした。
「あの、質問なんですけど。その宝塔が盗まれて、何がそんなに大変なんですか?」
利理岡権田勇は一度次郎丸の顔をのぞくと、何かを確かめるようにうなづき、僕の方を向いた。
「いいでござるか? さっきも言ったように宝塔は毘沙門天様の象徴でござる。それが盗まれたということは、毘沙門天様の信用に関わるんでござる。信用が無くなってしまえば、毘沙門天様の天界での地位が危うくなる。そんなことになって神が交代にでもなったら、この世界を創っていた者が変わることになるでござる。そうなれば世界の一部が創りなおされる。君の存在だって無くなるかもしれないでござる」
大問題であることを理解。僕は何も口だししない方がいいだろう。世界の存亡なんてスケールが大きすぎて実感も湧かない。
「盗んだのは誰か分かってんのか?」
「ただのバカでござる。一応目星はついてるでござる」
利理岡権田勇は着物のふところから一枚の写真を取り出した。そこには色ツヤの良い茶色の毛を生やしたタヌキが木の上でどっしりと構えていた。
「この辺りで宝塔に目をつけていたのはこのタヌキぐらいでござる。変化能力を持っていて、簡単には見つからないんでござる」
「え? タヌキが盗んだんですか?」
「動物にも、神という存在はいるでござる。今回はタヌキの下級神の仕業でござる」
なかなか興味深い話だ。こんなこと、人間で知っているのは数少ないんじゃないのか?
「こうなったら、小神の中でも指折りの能力を持つ、次郎丸に頼もうということになったんでござる」
話の内容よりも、気になる話題が出来てしまった。次郎丸が小神の中で指折りの能力を持つとかどうとか。僕は一旦その話は置いておこうと思ったが、たまらず言った。
「あの、次郎丸さんってそんなすごいんですか?」
僕の言葉に驚いたのか、利理岡権田勇は眼鏡の奥の目をまん丸にする。
「あたりまえでござる! 小神が全員次郎丸みたいな万能能力を持っていたら危険でござる! 次郎丸だからこそ信頼出来るんでござる」
「あぁ、そうだな。お前だったら確実に事件起こしてるだろうな。児童なんたらとか」
咳払いで話の道を元に戻す利理岡権田勇。
「とにかく、そんな大変なことになっているでござる。次郎丸の力をどうか貸してほしいでござる」
次郎丸は聞くと、一度舌打ちをした。これは何かムカついてるわけではない。次郎丸が面倒くさいということを演技するときの癖である。演技かどうか定かではないが、大抵この舌打ちの後はいい仕事をする。ような気がする。次郎丸はその場で立ちあがった。
「謝礼は高ぇぞ、ヲタ野郎」
ということで僕と次郎丸、中万華、そして利理岡権田勇というメンツでタヌキの気配を追って近くのコンビニにやってきた。次郎丸によると、この場所が一番臭うんだそうだ。まるでベテラン刑事のような口ぶりである。僕たちはコンビニの店員に話を聞くことにした。自動ドアを抜けると、目の前にはガンダムフェアの文字。こういうのをコンビニはよくやるな。次郎丸はレジであくびをしていた金髪の女性と面向かった。肌はきれいとは言えない小麦色。古いタイプのギャルである。
「おい、姉ちゃん。最近レジん中に葉っぱが入ってたことはねぇか?」
女性ははぁ? と生意気に言うと、次郎丸にガンたれた。
「おっさん何言ってんの?」
「誰がおっさんだこの野郎。うんこみてぇな肌の色しやがって」
「うわ、超うざいんですけど、こいつ!」
「誰がうざいだこの野郎。クレンザーかけて真っ白にしてやろうか」
僕は二人の間に割り込んだ。いつまでたっても話が進まん。
「あ、あの、葉っぱはなかったんですか?」
女性は息を整える。次郎丸と初めて会話をすると、この上なくイライラするんだよな。何だか懐かしい。
「えっと〜、なかったと思うけど?」
次郎丸は僕の頭一つ上から大声で言った。
「お前なぁ、ちょっと考えてくれよ! なかったんなら『ない』でいいじゃん! 無駄に行数使いやがって! 今なぁ! 作者も困ってんだよ! 利理岡権田勇が登場するとこで行数使いすぎたって!」
「ちょ、そんな制作裏話はいいから! この会話も作者困るから!」
僕たちが言い争っていると、後ろから聞き覚えのある声が。
「あれ? アツシと先生?」
見ると、そこには僕の幼馴染、磯野鮎の姿があった。今日も相変わらず男物のTシャツ。下はジーパン、髪の毛ははねまくってて、女らしさの欠片もない。認めたくはないが、ちょっとかわいい顔。きちんとすれば女らしさなんて飛び越えて、モテたりとかするんじゃないだろうか。
「うわぁ、やっぱそうだ。後なんか知らない人もいるけど、アツシの家だんだん家族多くなってない? 何を目指してんの? ゆくゆくはヴィッセル神戸?」
「いや、なんでヴィッセル限定? 普通そういうときはサッカーチームとか、何かそんなアバウトな感じでいいから。しかもそれ子供たくさん産んで……みたいな新妻のセリフじゃん」
久々の登場にも関わらず、相変わらずのアユ。彼女は利理岡権田勇を見ると首をかしげる。
「で、あの人は誰なの?」
「え、あの……じ、次郎丸さんの親戚」
とっさに出てくる嘘なんてどれも似たようなもんだ。まぁ、どうせ何を言っても磯野鮎には興味が無いだろうから嘘を付く必要もなかったかもしれない。
「へぇ。まぁ何でもいいけど」
やっぱり。アユは鼻をかきながら続ける。
「こんなとこで何してんの?」
僕は神に関する情報だけを伏せ、ほんの少し脚色した話をした。自分でもなかなかうまく話をまとめられたように思う。将来脚本家にでもなろうかな。
「へぇ、何かおもしろそう」
次郎丸が言う。
「じゃあお前も付いてくるか?」
「え! いいんですか先生?」
目を輝かせるアユ。おもちゃ屋に入った子供みたい。
ということで、僕たちのパーティにアユが加わった。イメージとしては僕は僧侶、次郎丸は戦士、利理岡権田勇は行商人、アユは格闘家だな。中万華はまぁ、マスコットで。
僕たちは歩いた。朝っぱらから歩き通し。これはきっと朝にカーテンを開けることよりも体に良いだろうな。でも普段あまり運動しない僕にとってはあまり適切といえない。
「ね〜先生。本当にこの辺に犯人いるの?」
磯野鮎は普段から運動している方なんだが、さすがにダルそうだ。まぁ、事の重大さを知らないんだから当然。こちとら世界の存亡がかかってるんだ。次郎丸があくびまじりに答える。
「あ〜、何かこの辺から感じるんだけどなぁ」
「え? 先生、何を感じるの?」
墓穴を掘った次郎丸。まぁ何とか自分で処理するだろう。
「え、あのだから……オーラ」
「えぇ!? 先生オーラ見えるの!?」
適当な会話だ、まったく。
太陽がだんだんと高くなり、日差しが強くなってきた。夏も近く、まとわりつくような熱気にいら立ちを覚える。朝の涼しさはどこへやら。宝塔を盗んだ犯人も見つからないまま、時間だけがただただ過ぎてゆく。アユのダルさも時間とともに増していった。ただ、中万華が次郎丸の腕に抱きついているのは変わらない。すさまじく暑そうだ。最近何だかんだで次郎丸も嫌がらなくなってきた。慣れは怖い。利理岡権田勇がミリタリーリュックから何かを取り出した。
「はぁ、あやたん。拙者もう疲れたでござる〜」
ピンクの髪の女の子と目を合わせる利理岡権田勇。女の子といっても手のひらサイズの合成樹脂かなんかで作られたやつ。
「利理岡さん、フィギュア持参してるんですか……」
「アツシ君、これはフィギュアじゃないでござる。拙者の嫁でござる」
全身の血が凍った。驚きを超え、そこには恐怖すら生まれる。アユが素晴らしい笑顔で言う。
「利理岡さんって夢が大きいんですね。でも夢は寝て見るものですよ」
前から思っていたが、アユは案外毒舌だ。昔は僕もよく馬鹿にされたものだ。今の利理岡権田勇のようにうつむいたまま歩くのなんてざらだった。
「いいでござる、いいでござる。きっとあやたんはどこかで拙者の帰りを待っているでござる」
起きてみる夢も、寝てみる夢も、人に話すと馬鹿にされるもんだ。僕が昔アユから学んだ教訓。
「……お! いたぞ!」
それまでずっと黙っていた次郎丸が、それまでのうっぷんを晴らすかのような声で言った。利理岡権田勇もまた同じように叫ぶ。
「あやたんがいたでござるか!」
「違ぇよ! あやたんはこの先お前の前に現れることはねぇよ! タヌキだタヌキ!」
利理岡権田勇は酢昆布を食べた犬のような顔になった。慰めてやりたいところだが、タヌキが居たっていうんだから、それどころじゃない。また後でフォローしてやろう。
次郎丸がタヌキの気配を感じ取ったのは公園。前に僕と次郎丸が掃除をしたところだ。中央の噴水が印象的。今日も遊具には子供たちが集まり、その親と思しき方々がベンチに腰を据えている。
「ねぇ、アツシ。いよいよ犯人と対面? 何かテンション上がってきちゃったよ、私!」
先刻までのアユとは打って変わって元気いっぱいだ。やっぱりこいつはこっちの方がらしいな。
それはおいとして、ついに宝塔を盗んだ犯人であるタヌキの居場所を掴んだ次郎丸はさらにその位置をしぼりこむために集中する。目をつむり、深く息を吸い込んだ。彼は静かにある場所を指差す。公園の右端、鮮やかな緑の大木。その根元だ。僕たちはすぐにそこへ走った。見ると、大木の根元には小さな穴が。小さいと言ってもタヌキが入るのには十分すぎる大きさだ。
「ここでござるか」
利理岡権田勇はその穴の中へ手を入れる。その瞬間、利理岡権田勇の腕をつたう黒い影。素早い。外に飛び出たそれは写真で見た鮮やかな茶毛。例のタヌキの神だ。こんな小さなナリで神様なんだから、人を見かけで判断してはいけないなとつくづく思う(このタヌキは人ではないけれど)。
「おまんら、何者ぜよ!?」
タヌキがスケバン刑事口調で言った。次郎丸が答える。
「なんだチミはってか。そうです、わたすが変なおじさんです」
「絶対嘘だぜよ、それ! おまはんは人間年齢27歳の小神っぽいんだぜよ!」
「何で俺の身元割れてんだよ!」
タヌキはうるさいわいぜよ、と叫ぶとその場に跳ね上がった。その口から火の粉がこぼれる。
「芽羅増魔!」
次郎丸に向かってタヌキから火球が放たれた。ていうか今思いっきりドラ○エの呪文が聞こえたような。次郎丸に轟々と迫まるドラク○の呪文っぽい火球。このままでは次郎丸単体に大ダメージを与えられてしまう。せめて芽羅見くらいなら耐えられるだろうが、芽羅増魔はあれマジで別格だからな。それを悟ったのか次郎丸は体を右へさばく。紙一重で避けられた火球はそのまま吸い込まれるように利理岡権田勇の顔面へ。
「ぶあっつ!」
利理岡権田勇は体を浮かせ、そのまま先ほどの大木に衝突した。クシャクシャの天然パーマが触れれば崩れそうな物体に。いわゆるドリフ爆発後ヘアーである。
「あぁあああ! 大丈夫ですか利理岡さん!」
右手の親指を立て、自らの無事を伝える利理岡権田勇。
「ねぇちょっとアツシ! あのタヌキ、メラゾーマ出したんだけど! 何あれ!?」
興奮したアユが言う。ていうかさっきから何となく誤魔化してたのにこの女メラゾーマって言いやがったよ!
「ちょ、アユ! 僕の苦労を一瞬でブチ壊したよ! 不自然かもしれないけど一応……」
僕が言いかけると、それを遮るようにタヌキが大声で言った。
「さっきからこの緊張感の無さは何なんだよぜよ! 第7章にしてようやく訪れたバトルシーンが台無しだよぜよ!」
タヌキに続いて次郎丸も大声で主張する。
「うるせー! お前もさっきから微妙に『〜ぜよ』の使い方間違ってんだよ! 気ィ抜けんだろうが!」
次郎丸は右手を真上に掲げ、ベーコンの歌をつぶやく。その掌中にはタヌキの放ったそれとは比にならない超巨大かつ、高出力の火球。さすがに小神の中でも指折りの能力を持つ奴だ。ゆっくりタヌキに向かい歩を進める次郎丸。冷や汗ダラダラのタヌキ。
「あ、あの〜。それは反則だと思うんだよぜよ」
「うるせー、嫌なら宝塔返しやがれ」
次郎丸がタヌキの目の前で静止した。徐々に下ろされる次郎丸の右手。
「やめて!」
タヌキの隠れていた大木から何者かが叫んだ。高い、子供のような声。
「三郎! 出てくるなぜよ!」
宝塔を盗んだタヌキの言葉を無視して、大木の中から現れたのは一匹の子ダヌキであった。子ダヌキはおぼつかない足取りで次郎丸に向かって歩く。
「危ないぜよ、三郎! いいから隠れてるんだぜよ!」
三郎という子ダヌキは状況的に見て、このタヌキの子供だろう。小さい体を震わせながら次郎丸を見上げた。
「父ちゃんは悪くないんだ! 全部俺が悪いんだ!」
次郎丸は子ダヌキの言葉を聞くと、しばらくして火球を消した。彼はその場にじゃがみこみ子ダヌキの頭をひと撫でした。
「聞こうじゃねぇか、お前の父ちゃんの話」
子ダヌキは張り詰めていたものを解き放つようにため息をついた。よほど怖かったんだろう。次郎丸の態度に安堵したようだ。子ダヌキはもう一度ため息をついてから口を開いた。
「俺、友達にいじめられてんだ。バカだ、ノロマだつって。そしたらさ、あいつら今度は父ちゃんまで悪く言ったもんだから……。俺くやしくて、父ちゃんはすごいんだって言い返したんだ。だったら証明してみろよって、あいつらが言うから……。俺父ちゃんに無理なこと言っちゃって」
「なんて言ったんだ?」
「神様の持ってるものを一つ取ってきてくれって……」
で、あのタヌキは宝塔を盗んだわけか。最初はただの子供の喧嘩だったものが、こんな大事にまで発展するなんて。分からない世の中。次郎丸はもう一度子ダヌキの頭を撫でた。
「お父さんよぉ。親バカは悪いことじゃねえが、犯罪に手を染めるってのは納得できねえなぁ」
タヌキは隠すように顔を前足で覆う。
「分かってるぜよぉ、自分がいかに馬鹿なことしてるかくらいは。でも、でもねぇ……」
声が震えていた。タヌキは背を向けて続ける。
「子供の前くらい、格好つけたかったんぜよ……。子供が、私が悪く言われたのに反論してくれたんだぜよ? こんな嬉しいこと、他にないぜよ。だから私も、その期待に答えたかった……」
「馬鹿、違うだろお父さん」
タヌキの言い切る前に次郎丸が口をはさんだ。
「お前はよぉ、子供に教えなきゃいけねえことが二つある。まずはいじめられたら自分でやり返すこと。父ちゃんを巻きこむなってな。自分のことぐらい自分で解決しな。二つ目は、父ちゃんの背中を見ることだ。父ちゃんがどんだけ頑張ってるか、どんだけ苦労してるか、背中を見てりゃわかるもんよ」
次郎丸は子ダヌキを抱き抱えると、すっくと立ち上がる。
「そんでな、父ちゃんはただどっしり構えてりゃいいんだ。背中だけ見せてりゃいいんだ。それだけで伝えられるほど、立派に生きりゃいいんだ。子供の前で格好つけるなんてなぁ、それこそ格好悪いお父さんだぜ? 一生懸命な姿見せてりゃ、自然とガキも一生懸命にならぁ」
次郎丸は子ダヌキの耳もとで何かをつぶやいた。子ダヌキは次郎丸の胸から飛び降りると、大木に向かって走り出した。先ほどの穴に素早く潜り込むと、金色に輝く宝塔を咥えて、再び次郎丸の元へ。
「こいつは返してもらうぜ?」
「あの、私はどう罪を償えば……」
タヌキが言うと、次郎丸は微笑み、タヌキの背中をポンと叩いた。
「てめぇの償いは、このガキに見せられるような立派な背中を持つことだ。今度はこんな馬鹿なことすんじゃねぇ。ガキが真っ直ぐ育つような、真っ直ぐな背中を持てよ、お父さん」
次郎丸はタヌキの涙を背に僕たちの元へ。黒くこげた顔を拭いながら利理岡権田勇が立ちあがった。利理岡権田勇は次郎丸と対面。
「お前らしいでござるな、次郎丸。でも、情けをかけすぎると、今度は自分が不幸になるでござる。あの時だって……」
「ふんっ」
あの時? 一体何の話だろうか。僕は少し気になったが、問うのをやめた。というか、何か雰囲気的に聞けなかったというのが本音だ。中万華が再び次郎丸の腕に抱きつく。今回の件はこれで終了だ。僕は何となくアユを見た。こんな滅茶苦茶な光景を見せてしまったんだ。何かしら動揺してるかもしれない。ところが、アユは動揺するどころか、タヌキの親子に対して微笑んでいた。
「ん、アユ?」
「良いお父さんだったね」
僕はあぁと相槌を打った。普段よりアユがおしとやかに見えた。こんな奴だったか? とにかく、僕たちの長い朝はこうして終わりを告げた。
利理岡権田勇はその日のうちに毘沙門天のところへ帰った。泊まるとかなんとか言っていたが、あれも適当に答えていた様子。
「次郎丸さん、あのタヌキの親子どうなったんですかね?」
僕は夕食をつまみながら言った。左腕に中万華を装備した次郎丸は大きくあくびをする。
「さぁな。でもよ、俺のことは尊敬してくれてるみたいだぜ?」
「どういう意味ですか?」
「そのうち分かる」
その夜、我が家の玄関にはたくさんの木の実が盛られていた。