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コカミ  作者: 一次関数
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第6章 ヒーローだ

「決めた、俺バイトするわ」


朝食中、次郎丸の思いがけない一言。中万華が居間に座ることに違和感を感じなくなってから、どれくらい経つだろう。


「何言ってんですか、教師はバイト禁止でしょ」


次郎丸は納豆をかき混ぜる手を止めず、大儀そうに言った。


「つってもよぉ、教師の給料ってメチャクチャ安いんだよ。バイトでもやらねえとやってけねえよ」


生活費なんか出したこともないくせに何を言うか。中万華が右隣のジャーからご飯をよそう。


「アツシ、次郎丸さんの意見に口出ししないで。彼は絶対なの。裁判官なの」


次郎丸はあくびまじりに親父に確認する。


「別に問題ねえよな、お父さん」


親父はテレビを見ながら箸を止めている。


「あ〜、良いんじゃないですか」


「おいおい、この人次郎丸さんのバイトうんぬんより、星座占いに興味しんしんだよ」


次郎丸は満足げに微笑むと、納豆に醤油をさした。


「んじゃ、さっそく今日からバイトだな」


親父の星座が第三位だと分かったところでようやく彼はこちらに向き直す。


「ふ〜、えっと。何の話だったっけ」


やはり聞いていなかったのか、このバカ親父は。中万華がフォロー。


「次郎丸さんがバイトするかどうかってことですよ、お父さん」


「えぇ、バイト!? そんなことパパは許さなぶるぅわっは!」


次郎丸から放たれた正拳、飛び散る鮮血に混じってきらきらと輝くのはしょっぱい初恋の味。これに関してはあまり触れないでやろう。


「おぉおお! 親父大丈夫か!」


親父は鼻を手で覆いながら言う。


「あ、あぁ。大丈夫だ、ていうか赤は今日のラッキーカラーだからな。何か良いことあるんじゃないかこれ」


「いや、もうこの時点でアンラッキーだから」


次郎丸は混ぜるという行為の限界に挑むように納豆をかき混ぜ続けている。納豆の原型なんてあったものじゃない。


「じゃ、アツシ。飯食ったら行くぞ。ていうかこの納豆ピーナッツバターみたいになってる」


 ということで僕たちは朝から有名ビデオレンタルショップ、MATEYAにやってきている。自動ドアを抜けると広告だらけの床が伸びている。その先には青い棚がずらり。入口に一番近い棚は新作ゲームコーナーと銘打たれている。休日ということもあり小学生が集団を作っていた。DVDは、新作は大々的に、旧作はひっそりとではあるが、その力を失わぬ輝きを持ちながらそこに存在している。邦画、洋画、ある意味ここは最も安全な多国籍国家と言える。

 次郎丸は自動ドアから向かって左にあるレジへと歩いた。そこには店長と思しき人物がゲームコーナーに集まる小学生をただ傍観していた。


「あの〜、ここでバイトさして欲しいんスけど」


「いや、今うちバイトとかとってないから」


やはり彼は店長で間違いないようだ。光の速さで断られた次郎丸。


「いや、俺大型免許とか持ってますよ」


「いや、大型免許はDVDをレンタルする上で何のメリットも発生しないからね。何にもプラスにならないからね」


「いや、俺それに、前の職場じゃオッポコン作りの風雲児って呼ばれてたんスよ」


「いや、オッポコンて何だよ。そんな『どうだ』みたいな顔されても」


ここまで来れば勘のいい読者なら次郎丸の行動に察しがつくだろう。そう、ベーコンの歌だ。初対面の人間、ましてこれから働こうという店の店長によくそんなことが罪悪感なくできるものだ。この行動力にはいつも度肝を抜かれる。

 

「じゃ、ここのレジは任せるよ。私は裏で何かごにょごにょしてるから」


僕と次郎丸はMATEYAの制服に着替え、レジに立っていた。次郎丸がお客との応対。僕がその補助という形。僕も中学生なので、バイトは禁止されているのだが、次郎丸に任せっきりというのはとても恐ろしい。何が起こるか分からないびっくり玉手箱である。それに、個人的にバイトには興味もあったし、特に苦にもならない。

 僕と次郎丸がレジについてから十分の後、小さい子供づれの男性が一昔前に流行った邦画のDVDを持って僕たちの前に立った。


「すいません、これ一週間レンタルで。あと、ドラマのガリレオのDVDってあります?」


僕はレジ内のパソコンでガリレオを検索した。どうやら全て貸し出されているらしい。僕はそのことを次郎丸に小声で伝えた。


「あ〜、今それ無いみたいっスわ。機関車に顔がついてるのならありますけど」


「いやそれガリレオじゃなくて森本レオでしょ。レオなら何でも良いわけじゃないから」


男性は軽く突っ込むと、しばらく空を見つめた。


「あ〜、じゃあ救命病棟二十四時のDVDはあります?」


僕はまたすぐにパソコンを操作した。残念ながらこのDVDも貸し出し中だ。僕は次郎丸に向かって首を横に振った。


「お客さん、残念だ。これも無いみたいっスよ。どうします? ジャックバウアーにします?」


「いや、二十四時間なら良いとかそんなことはないから。病院であることが最も大事だから」


と男性。それを聞いた次郎丸は何かをひらめいたように裏から一枚のDVDを持ってきた。


「病院で二十四時間ならこれが良いんじゃないスか?」


男性はDVDを受け取り少し眺める。


「これ、何のDVDですか?」


「『淫乱ナースのHな二十四時間』です」


カーテンの向こう、秘密の園からやってきた亜種。男性は奇声を発しながらDVDをレジに叩きつけた。


「おいぃいい! 見て俺、子供づれ! まだまだ五歳の純粋な子供連れてんの! ちょ、もうっ!」


不気味な笑顔が怒る男性のズボンを引っ張った。


「ふふふ。ねぇ、パパー。インランってどういう意味なのー? ふふふ、教えてよぉ、ねえ」


「おい、どうしてくれるんだよ! アンタのせいで純粋だとばかり思ってた息子の本性を知ってしまったよ! 親としてどう対処すればいいんだよ!」


その時、レジの裏からコンビニの窓際に置いてある大人の雑誌を片手に店長がやってきた。


「お客様、何か問題がございましたか?」


「お前らの性欲に問題があるわぁああ! 何なの? この店の店員は思春期みたいな脳の回転しか出来ないの?」


次郎丸と店長はその場にしゃがみこんでこそこそと話を始める。


「ちょっと、何であのお客さんあんなに怒ってんの? 君は何をしたの」


「いやいや、今のは店長がそんな失礼な雑誌片手に現れるからでしょ」


「お前ら両方の責任だよ! ていうかそういうのは聞こえないようにやってくれない!? なんでこんなにイライラしなきゃいけないんだよ!」


このままでは収集がつかない。僕はすぐさまフォローに入ることにした。


「あ、あのすいません。お子さんの本性以外に関しては謝罪しますから」


「もう結構です! こんな店二度と来ません!」


踵を返す男性、その後ろを「ねぇパパー、ふふふ、インランってー?」と半笑いでついて行く少年。自動ドアをくぐった時の男性の目には、うっすら涙が溜まっていた。


「まぁ今回は最初だから多めにみるけどね。次またこんなことがあったらちょっと危ないと思ってね」


店長から釘を刺された僕たち。反省の意をこめて、きちんと仕事をしようと思う。次郎丸のことは少し心配なのだが、まぁ何とかなるだろう。

 僕たちがレジについてから一時間が過ぎた。心配していた次郎丸のバイトっぷりだが、意外や意外、結構様になっていた。きちんと仕事は果たしている。失敗もあるが、ただちょっとDVDと間違えて清水焼を渡す程度だ。普段はまがいなりにも教師という職業をやっているわけだから、多少の常識は心得ているようである。

 ただ、その平穏も長くは続かなかった。彼女がやってきたのである。そう、中万華が。彼女は自動ドアが開くと、楽しげに足を弾ませ入店。とびきりの笑顔でレジの前まで移動。


「うふふ、次郎丸さんっ」


「当店では借りる物もない奴の相手をする暇はありません。即刻帰って下さい」


次郎丸は中万華と目線を合わせないように言う。


「大丈夫、借りる物ならあるから」


「だったらさっさと借りてさっさと帰ってさっさと寝て下さい。永遠の眠りについて下さい」


中万華は両手の指を交差させ、もじもじと体を左右に振る。


「それは〜、あ・な・た」


「もう帰れよ! 何だよその言い回し、古いんだよ! しかも俺を借りるってどういうこと!? もう卑猥なことしか思いつかないんだけど!?」


ついにはずれたリミッター。次郎丸は覚醒するとツッコミにも転じることが出来るのだ! というのは冗談で。これは単に中万華に対しての意見。次郎丸はさっきも言ったようにある程度常識は持っている男。元々ツッコミ側の人間なのかもしれない。


「も〜う、次郎丸さんったら本当に頭の中はそんなことばっかり」


「お前だよ! そんなことばっかりなのお前だよ! うぉおお、店長ぉおお! 頭のおかしい客にはどう対応すればいいんだぁああ!」


空を見上げ何かに逃避するように叫ぶ次郎丸。そして裏から我らが店長がものすごい形相でやってきた。


「だぁああ! もううるっせーよ、さっきから! 周りのお客さんキョロッキョロしてんだろうが! 何バイトが営業妨害してるの!?」


「違うんです店長! この冷凍食品が!」


「冷凍食品!? 何を言ってんの君は!」


あぁ、冷凍食品とか言っちゃダメだろうが。僕はすぐさま大声で言う。


「あ、店長。あ、あのなんて言うか。彼女の生き様が冷凍食品の様だということです!」


「はい!? そんな破天荒な弁明されても!」


――

 僕たちは公園のベンチに座っていた。中央に噴水、その向こうにはいくつかの遊具があり、小さな子供たちが楽しそうに笑っている。その隣では彼らの母親であろう女性たちが世間話。暖かくなってきた陽光が噴水をより美しく見せる。次郎丸と僕の手の中には温かい缶コーヒー。空を見上げ、雲の流れる姿をただ淡々と見つめる。僕たちはそう、クビになったのだ。人生において初のクビ、なかなか精神的ダメージが大きい。僕はとりあえず缶のタブを上げ、一口飲む。ん? これよく見たら紅茶じゃないか。僕は思わず溜息が出た。


「おい、溜息なんかついてんじゃねーよ」


「あぁ、いや。今のはあ〜紅茶かの溜息です」


「いやいや、今のはおいおいクビかよの溜息だったよ」


言ってからしばらく静かになる次郎丸。本当に溜息をつきたいのは自分なんだろう。適当な動機ではあったが、最初はうまくいっていたものが壊れるのは、誰でも悲しいもの。


「そういえば、マンカさんはどうしたんです?」


「縛ってトラックに放り込んだ」


ま、彼女なら大丈夫だろう。それにしても、これからどうしたものか。


「あなたは、かしわモチモチマンですかぁ!」


それは突然だった。ベンチに座る僕たちの目の前に現れた全身白タイツの男。首に『賀』と書かれた赤い垂れをつけている。頭は白く丸いものをかぶっていて、そこから顔だけがひょっこりと飛び出す。股間にはなぜだかミニ鏡餅が。年齢は四十代くらいだろうか。あまりの迫力に恐怖すら覚える。とりあえず僕は返事だけすることに。


「いえ、違います」


「やっぱりね!」


じゃあ何で聞いたんだ。


「私はこの街を陰ながら守るヒーロー、モチ、モチ、ムァンです!」


ヒーロー? 町内会の町おこしの一環か何かだろうか。


「でも、ヒーローにしては結構お歳を召されてるような」


「人の人生に口を出さないでいただきたい!」


「あ、ごめんなさい」


反射的に謝罪の言葉が出る僕。


「いや、別にいいよ!」


別にいいのか。もうやだ、何かこの人怖い。次郎丸が珍しい動物を見るような目で頭をかいた。


「で、俺らに何の用が……」


言いかけて次郎丸は口を閉じた。モチモチマンという男の股間を見つめる次郎丸。


「次郎丸さん! 確かにそこの鏡餅は気になるけど! 遠巻きに見ればただの変態ですから!」


というか、本当の変態は目の前の全身白タイツの方なんだろうが。


「私はこの街を陰ながら守るヒーロー、モチ、モチ、ムァンです!」


「……え? いやさっき自己紹介したよ! 何の理由があってのリターンズ!?」


僕が言うと、モチモチマンの頬からは熱が引き、全身の細胞が死んでしまったのではないかとうくらいに真っ青になった。


「おい、めっちゃがっかりしてるよこの人! 二回自己紹介してしまったことに対する嫌悪感が半端ないよ!」


次郎丸はモチモチマンとのやりとりに苛立ちを覚えたのか、一度不機嫌そうに喉を鳴らし、言った。


「で、結局あんた何しに来てんだよ」


「かしわモチモチマンにならないか? 日給六千円で」


「よっしゃ、その話のった」


……え? 僕の耳に間違いがなければ、この男確かに「のった」などと軽はずみな言葉を。


「ちょ、待って下さいよ次郎丸さん! かしわモチモチマンですよ!? これと同類ですよ!」


僕は一生懸命にモチモチマンを指差す。しかし、次郎丸の目には迷い一つある様子が無い。


「あのなぁ、アツシ。チャンスの神様は前髪しかないって知ってるか? つかめる時につかんどかねぇと、すぐどっかへ行っちまうんだよ」


次郎丸の言い分が決して分からないわけではない。仕事に寄り好みする気もない。ただ、ただ、かしわモチモチマンは勘弁して下さいと、心の中で願うばかりだ。どうせ叶いっこない、無謀な願い。

 僕たちモチモチ戦隊は公園の入口に立っていた。モチモチマンの左手には町が指定しているゴミ袋が持たれている。次郎丸は腕を組んだまま言う。


「なるほどな、公園の掃除をしようってわけか」


「先に人の話を聞きなはれ! 我々、モチモチ戦隊は正義を守る集団。悪の組織と戦いたいけども、実際そんなのいないよね! 正義は身近な所から! よって、今からこの公園の掃除を実施する!」


「……いやおい、俺合ってんじゃねえか。 お前が俺の話を聞けよ」


次郎丸がツッコミに回っているという異常な事態。それほどこの男、モチモチマンは曲者である。だが、その曲者も公園の掃除をしようというまともな提案ができるのだ。これには安心。僕たちは早速公園の掃除に取りかかることにした。

 僕たちは中央の噴水を基準に公園を二分して掃除するという計画をたてた。僕が入口から向かって左側。遊具のある方だ。次郎丸とモチモチマンはその逆、ベンチ側である。比較的後者の方が敷地面積が広い。なので、二人。とはいってもまともに掃除をするのかは非常に不安である。

 無駄な心配をしても仕方がない。僕はとりあえず自分の場所の掃除を終わらせることにした。遊具にはまだ子供たちが残っている。奥様方もそのまま。ベタな風景であるが故に、妙に不自然にも見える。しばらく公園を見渡したが、正直なところゴミが見当たらない。だが、それは上っ面の美しさ。ほんの少し草むらの中をのぞけば、破れたビニル袋だの、きれいに整頓されたように置かれた空き缶がちらほら。注意してみれば、目に見えない部分にはかなりのゴミ。人間の悪い部分を垣間見たような気がする。

 しばらく掃除を続け、太陽が真南にやってきたころ。僕はいっぱいになったゴミ袋を持ち次郎丸たちの元へ向かった。自分の割り当ては大体終わった、後は次郎丸とモチモチマンの手伝いをしようと思ったのである、が。噴水の向こう側でしゃがみこむ二人組。


「ちょっと、何してんですか二人とも」


僕が声をかけると、次郎丸は慌てて何かを背中側に入れ込んだ。


「今何を隠したんですか?」


「あ? 何も隠してねーよ。むしろさらけ出し過ぎてるぐらいだよ」


僕は無理やり次郎丸の背中に手を回す。


「あ、ちょ! や〜め〜ろ〜よ〜!」


「いいから見せて下さい!」


モチモチマンが僕の体を更に無理やり次郎丸から引きはがそうとする。


「おま、ちょ! 次郎丸君嫌がってんだろ!」


「何かさっきからやりとりが中学生チックなんですけど! そういう細かいボケはいいから!」


僕は次郎丸の手からある雑誌を奪い取った。それはまだ真新しい成人向け雑誌。


「あんたら何掃除サボってエロ本読んでるの!? ていうか今日エロ本ネタ二回目じゃん! どんだけネタに困ってるんだよ! それに何が美少女列伝だ、このロリコン共!」


次郎丸は先ほどまでの慌てぶりが嘘のような静かなたたずまい。


「いや待て、アツシ。美少女列伝って名前だけども、載ってるのは全部年増だぞ」


「どうでもいいよ、そんなの! 何に対するフォロー!?」


次郎丸は僕のツッコミを咳ばらいで誤魔化し、ベンチに腰を落とした。


「まぁまぁ、いいじゃねえか。やることはやってんだからよ」


言われて僕はベンチの隣に置かれた次郎丸たちのゴミ袋を見た。中にはいっぱいのゴミ。


「あ、本当だ。なんかすいません。でも周りに子供もいるんですから、そういう本は控えて下さいよ」


僕はモチモチマンに雑誌を手渡した。モチモチマンは頭のかぶりものの中に雑誌をしまいこむ。かぶりものが浮いて馬鹿みたいなんだが、もうつっこむのが面倒くさい。

 僕たちは三人並んでベンチに座った。ちょうど木陰になっていて涼しい。モチモチマンというよく分からない奴の隣で僕はあくびをした。


「そういえば、モチモチマンさんは何でヒーローになろうと思ったんですか?」


何となくだった。モチモチマンを見ていれば、十人の内八人くらいは抱きそうな疑問。モチモチマンは背中に子供でも背負っているように腰を曲げ、感慨深そうに話し始めた。


「私は……昔いじめられていた。つねに周囲からははずれた存在で、私が触れる全てのものには私の菌がつくらしい」


驚愕。モチモチマンの曲がった背中に乗っているのは、子供なんかじゃないんだ。


「いつだったか、私はこの公園で石を投げられていた。いつものことだ。私はただ泣いて、ただ耐えていた。だが、何故かその日は私をかばってくれる人がいたんだ。その人は、ただ公園の掃除をしていたおじいさん。私はお礼に公園の掃除を手伝った。そしたら、彼は言ったんだ。『君は優しい子だね。普通なら、こんなジジィのことなんて誰も気にはしないよ』と。私は思ったんだ。このおじいさんは一人だったんだと。このおじいさんは一人で、みんなが汚した公園を掃除していたんだと。それが無性にかっこよくて、憧れた。私もこんな人間になろうと思った。だが、どうしていいのかも分からず、馬鹿な私にはこういうことしか思いつかなかったんだ」


モチモチマンが口を閉じると、しばらくの間風の音が聞こえた。黙って聞いていた次郎丸は一度舌を鳴らし、モチモチマンの背中をポンと叩く。そして彼はその場で立ち上がって言う。


「まぁ、いいやな。でよぉモチモチマン、ほれ」


次郎丸は右手を差し出した。それを不思議そうな顔で握るモチモチマン。


「何で握手だよ。いらねーよそんなもん」


次郎丸は右手の親指と人差し指で輪を作った。


「金だよ、金。日給六千円って言ってただろ」


「何を言ってるんだ、かしわモチモチマン。我々は正義の味方だぞ。そんなお金なんてゴモモモ!」


よく見えなかったが、恐らく左右左右のワン、ツー、スリー、フォー。モチモチマンはすごい勢いで頬をさする。


「いや、あの。今はその、お金がなくて」


「だったら下ろしてこい、その銀行で! 雇い主がそんなでどうすんだ、ボケ!」


公園前にある銀行を指差しながら言う次郎丸。金の話は相当シビアだ。僕たちのバイト代は半ばカツアゲのようにして手に入るようである。

 銀行は涼しかった。空調は最適な温度に保たれている。僕たちはATMを操作するモチモチマンの背中を見つめながら、並んで銀行のソファーに座っていた。


「何か可哀そうにも思えてきましたよ、モチモチマンさん」


「んなことあるかよ、あいつが言いだしたことだぜ? それであいつが払わねぇだの言ってたら、俺たちは役所に駆け込まなきゃならねぇ」


次郎丸の言い分にも納得。まぁ、しょうがない。僕はふと銀行のエントランスに目をやった。黒い大きなワゴン車が止まる。その中からぞろぞろと出てくる黒一色の不思議な格好の人々。顔を隠し、手には黒光りする銃火器っぽいもの。


「次郎丸さん、あの人たちは……」


次郎丸は膝を上下にがくがく震わせている。


「あれだろ、趣味だろ。森の中でモデルガン打ち合う人々だわ、あれ」


「いや、あのそれにしてはめちゃくちゃ金属チックというか」


「……」


その場に倒れる次郎丸。


「いや、死んだふりは意味ないから!」


そう、彼らは銀行強盗である。

 僕たちをはじめ、銀行にいた全ての人々がロビーの隅に固められた。強盗たちは銀行員に支持し、カバンに金を詰めさせている。人質の中には、泣きだす者もいれば、それを慰める者もいる。そしてこの街を陰ながら守るヒーローはというと、体育座りで膝と膝の間に顔を押しあて、静かに黙っているだけである。少し時間がたち、わずかながらに人質の小声が目立ってきた。それに気がついた強盗の一人は天井に向かってその銃を発砲する。


「ごちゃごちゃうるさいぞ! 黙ってろ!」


破壊された平穏は、戦慄へとその姿を変える。次郎丸が僕の耳もとで言う。


「うるさいって、自分らが原因なのにな。理不尽な奴らだよ、マジで。体育教師か」


「おい、そこ聞こえてるぞ! 何だその朝礼の臨む学生みたいな態度は!」


強盗が叫ぶと再びロビー内に静寂が訪れた。このままではまずい。下手を打てば命にも関わる。僕は次郎丸の耳もとで囁いた。


「次郎丸さん、この状況どうにかしましょう」


僕の言葉が届いているのか届いていないのか、次郎丸は何も言わず、ただ体育座りのモチモチマンを見つめている。


「次郎丸さん、あの人は役に立たないですよ。それより次郎丸さんのベーコンの歌で……」


僕が言いかけた時、次郎丸の右足がモチモチマンの小さな背中を蹴った。


「おい、出番だぞモチモチマン」


次郎丸は再び彼の背中を蹴る。だがモチモチマンはそれに気付いていないように、ただ震えている。


「お前、馬鹿だからこれしかないんじゃねーのか?」


「し、しかし彼らは銃を持っている。勝てはしない……」


ようやく開かれたモチモチマンの口からは、震え、怯えきった声が。


「勝てないだぁ? 戦おうともしてねえ奴が何言ってやがる。お前が憧れのじいさんみたいにただの優しい人間を目指してるっていうなら何も言わねえよ。でもなぁ、お前はヒーローを選んだんだ。力がないなら、周りの人間を慰めるぐらいの小さな勇気を見せてみろよ。それを他人に任して、自分は静かにしてりゃ安全ってか? 笑えねえんだよ」


次郎丸は三度モチモチマンの背中を蹴る。


「てめぇの正義も貫けねぇ奴が、ヒーローなんざ語ってんじゃねぇぞ!」


強盗が気付いたのかこちらに銃を向ける。


「おい、何を話して……」


群衆の中、一人の男が立ちあがった。全身白タイツの変態。顔は涙でグチャグチャで、足だって震えてる。だが、彼は立った。


「わ、私は……モチ、モチ、ムァンです!」


どんなにひ弱でもいい。彼が立ち上がったという行為自体が僕たちの心を癒し、安心させるのだ。人は、自分のために頑張ってくれる人がいるということを理解することで、心の底から歓喜する。


「何だお前は?」


「わ、私はこの街を陰ながら……」


彼の言葉を遮るように、強烈な音が耳をついた。国家の安全を守る、白と黒のカラーリングの正義の車。赤いパトランプが徐々に増えていき、銀行の周りを取り囲んでいた。

 公園、先ほどのベンチ。僕を含めたモチモチ戦隊の三人がそこに座る。モチモチマンの手には缶コーヒーとくしゃくしゃの日本銀行券。彼は溜息とともに言う。


「結局……何も出来なかった」


次郎丸はモチモチマンの背中を軽く叩く。


「確かによ、お前は何も出来なかったかもしれねえ。でもなぁ、立てたじゃねえか。顔は涙でぐちゃぐちゃだったけどな。格好良かったぜ、お前の背中」


モチモチマンはただ地面とにらみ合い、体を震わせている。そんなモチモチマンの手に自分の持っていた缶コーヒーを持たせると、次郎丸はゆっくり立ち上がった。


「そいつは礼だ。良いもん見せてもらったんだ。あ、でもこれじゃ足りねえか? そうだな……缶コーヒーと六千円でどうだ? なぁアツシ」


僕は笑ってはい、と返事した。僕も自分の持っていた缶コーヒーをモチモチマンに無理やり持たせた。そのまま次郎丸と並んで歩く。振り返らずに。


「私は! この街を陰ながら守るヒーロー! モチ、モチ、マンです!」


背中越しに聞こえたその声はがらがらで、わずかに震えていた。だが、とても勇敢で、凛々しい正義の味方の声だった。

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