第3章 肉まんだ
目覚ましが鳴った。僕はそれを止めてもう一度寝た。
「遅刻! 次郎丸さん、起きて下さい! もう時間やばいです!」
僕は次郎丸の部屋にあがりこんで言った。実は今日親父が出かけていて、僕と次郎丸の二人だけなのだ。彼を起こすのは僕の日課である。
「お前朝から騒いでんじゃねーよ。とりあえず『今日の○ンコ』見るから」
「何か嫌なところに○を入れないで下さい! ていうかそれもう時間的に終わってます!」
次郎丸は6本の腕で頭をかいて遠くを見つめる。しばらくして頭が動きだしたのか、あわてた様子で言った。
「それ、やばくね!?」
僕と次郎丸さんは慌てて朝ごはんを食べる。
「ちょっと次郎丸さん、何ずっと納豆かき回してるんですか! 早くしてください!」
次郎丸は4本の腕で納豆を支え、残り2本の腕で納豆をかきまぜている。
「無理だって! 俺100回以上かき回すの日課だよ!?日課は急にはやめれない!!」
「何その、車は急には止まれないみたいな言い方!? とにかく急いで!!」
次郎丸は納豆を支えている方の手を1本動かして、テレビの電源を入れた。画面右上に7:00と出ている。
「アツシ! これ見てみ! まだ余裕っぽいぞ! 間違っていたのは俺たちのほうかもしれないぞ!」
僕はテレビ画面、そして携帯電話を確認した。どちらもちょうど7時をお知らせしている。
「な、何だ。目覚ましがくるってたんだ」
「お前ビックリさせんじゃねえよっ! 何かガラにもなく早起きしちゃったよ」
次郎丸が3本の腕で僕をこづいた。……あれ? 何かさっきからところどころおかしくないか?
「次郎丸さん、なんか今日不自然じゃないですか?」
「何だお前、守護霊が見えますとか言うんじゃねえだろうな?」
「いや、その…なんて言うか。腕……多くないですか?」
次郎丸は自分の腕を確認する。6本の立派な腕だ。
「えぇえええ! 何これ、腕6本あるんですけど!? 成長期!?」
「いやいや、違いますよ! そんな神秘的な成長なかなかお目にかかれませんよ! ていうかありえないですよ!」
次郎丸は頭を抱えた。もちろん腕6本で。
「おいおい、どうすんだよ…。こんなもんアシュラマンになるか、帽子をかけとくあれになるしか道がねえじゃねえか……」
「大丈夫ですよ! 次郎丸さんの目の前に広がる道は無限大です!」
「うるせぇ!慰めはいらねえよぉおおお!!」
次郎丸は僕の両腕、両足、腹をつかみ、そのまま空中へと舞い上がった。とおっ!、というかけ声と共に地面に急降下。その衝撃が僕に襲いかかる。
「アシュラバスター!!!」
「いだだだだだだ! こかっ、股関節が……あぁあ! 僕が僕じゃなくなる! 何か得体の知れないものになる!!」
次郎丸ははっとした様子で僕を降ろすと、慌てたそぶりで言った。
「……あ、すまねぇアツシ。…あれ、お前アツシか? そんなあらゆる関節がはずれ切ってる奴見た事ねえよ」
「いいから…早く助…けて……」
僕はベーコンの歌に救われた。
「考えてみましょう、何でこういうことになってしまったのか」
僕は次郎丸と居間に座って話し合うことにした。幸い学校まで時間もある。次郎丸が言った。
「俺は別にこのままでもいいけどな。これから悪魔超人として生きていくから」
「何言ってるんですか。学校にも行かなきゃいけないんですから。そのままはちょっとまずいですよ」
僕達は次郎丸アシュラマン化現象について検討することにした。ちゃぶ台を出し、そこに向かい合うように座る。
「次郎丸さん、昨日の夜の間何をしたかわかりますか?」
次郎丸は腕を組もうとしたが、6本腕でどうやって腕を組むのかわからず諦めた。
「昨日は……夜中に起きて冷凍肉まん食ったな。……! これが最近話題の農薬の効果か!」
「いや、それは違います。農薬一つで腕が6本になれば、逆に中国を尊敬します」
次郎丸は目をつぶって首をかしげた。みけんのしわが深く悩んでいることを感じさせる。次郎丸は何かに気付いたのか、目を大きく開けた。
「……肉まんの精?」
……今聞こえたのは何だろうか? 肉まんの精とか何とか。生き方に疑問でもあるんだろうか? 相談なら乗るぞ。
「間違いねえよ! 肉まんの精だ!」
「何言ってるんですか、次郎丸さん」
次郎丸は語り始めた。
「あのなぁ…ちょっとこの後の文章読んでくれ」
「面倒くさがらないで下さいよ」
午前2時、俺は小腹がすいていた。もうなんか寝ようか、食べようか心の中で葛藤している。そんな俺を尿意が決心させ、俺はトイレに駆け込み小便をした。
急いでいたので気がつかなかったが、俺は便座を上げずに小便をしていた。いつもより小便の有効範囲が狭まった分、俺を今までに経験したことのないような緊張感が襲ったんだ。便座カバーが小便で濡れてしまえば、まず確実に俺は怒られてしまう。何としてもそれだけは避けたかった。
小便の勢いが弱まった時が勝負だ。段々と弱くなっていく小便に体のリズムを合わせ、腰を出していく。そして、最後に尿道に残った小便を出す瞬間、素早く腰を引く。これしかない。まさにインポッシブル。もし成功したならば、それは神業と呼ばれるだろう。いや、第一俺は神だ。成功しないわけがない。いくぞ!
「あ……」
俺は何も気にせずトイレから出た。誰にでも失敗はある。その失敗を通じて、人はまた強くなるのだと言うことを俺は知っているからだ。
俺は台所でしばらく模索した。迷った挙句、俺は冷凍肉まんを選択した。少量の水をかける。白い肉まんを流れる水は、さながら天使の涙。ラップをし、電子レンジをセットした。俺はしばらく椅子に座って待つことにした。その時、俺はうたた寝をしてしまったんだ。それが悲劇の始まりだったのかもしれない。
目を覚ますと、1時間が経過していた。俺は慌てて肉まんを見に行った。冷え切った肉まんのラップをはがす。それと同時にその肉まんが光り出したんだ。俺は訳のわからないまま光る肉まんを放り投げた。すると、その肉まんから一人の少女が現れた。恐らく年齢は10代半ば。目は淡いブルー、髪型はショートカット。大きめの黒い長そでのシャツの上に半袖の白いパーカを重ね、膝の少し下位の長さのズボンを履いている。肉まんのようなもちっとした肌、きれいというよりはかわいい系だ。
「あなた、私を見捨てたわね」
その少女は言った。俺はとっさに彼女が肉まんの精であることを悟った。
「寝てたんだよ、仕方ねえだろ?」
「そんなのいい訳じゃない! 男っていつもそう! 自分が困ればこうだった、ああだったって!」
「な、お前何だその言い方!」
その女はぷい、と後ろを向いた。
「あ、逆ギレするんだ? もうあなたなんて知らない!」
「あ、ちょ…。んん……かったよ」
「え? 何?」
「悪かったよ。俺が悪かった、謝るよ」
その女はとたんに笑顔になった。すると急にその場で泣き出した。
「ありがとう…私今まで色んな男に出会ってきたけど、あなたみたいに素直に私を受け入れてくれる人なんていなかった……」
「肉まんの精…」
何と声をかけたらいいか、俺には分からなかった。
「お礼にあなたの願いを一つかなえてあげる」
正直俺は信用していなかった。こいつが別れの口実を作っているんだと、そう思った。しょせん俺と肉まんは交わってはいけない存在。禁断の恋。俺は適当に子供のころの夢を言った。
「悪魔超人に…なりてえ」
いつの間にか俺の目にも涙があふれていた。
「本当に…そんなのでいいの?」
「あぁ…あぁ……」
俺は泣いていることを悟られないために必死に声を殺した。俺達はそのまま抱き合った。
「ということがあったんだ」
「あんた夜中に何昼ドラみたいなことしてるの!? それが事実なら確実に原因それだよ! あんた悪魔超人にされたんだよ!! ていうか最初のトイレのくだり丸々いらないよ! 後、便座カバー何とかしろ! 今頃すっかり臭くなってるから!」
鮮やかな無視。
次郎丸は納豆を食べながら鼻をほじり、耳かきで耳掃除までしている。存外不便でなさそうだ。むしろ使いこなしている。横着の象徴。
「とにかくです、多分それを戻すにはその肉まんの精を探すしかないと思うんです」
次郎丸は何とも言えない表情で言った。
「いやでもお前、何か自分から悪魔超人にしてくれ、つっといて今更元に戻してくれとは言いづらいだろ。それに何か照れくさいし」
「そりゃ夜中に抱き合った見ず知らずの人(の姿の肉まん)に出会って照れるなと言う方が大変だと思いますけど」
とにもかくにも、僕らはその肉まんの精を探すことにした。一番怪しいと感じている場所は冷蔵庫の中。冷凍部屋にはまだ冷凍肉まんが入っている。次郎丸はやっぱやめとかね?と普段よりかなり内向的になっている。僕は冷凍部屋の取っ手を掴み、言った。
「ちゃんとケジメはつけなきゃいけませんよ。まだお別れが言えてないんですよね?」
「いや、確かにそうだけどよぉ。ていうかストーキング野郎に言われたくないんだけど」
僕は問答無用で冷凍部屋を開けた。中には、そのわずかなスペースに体を無理やりねじ込んで、震えている少女がこちらを睨んでいた。
「うわぁっ!! 何この人! 確かにかわいいけど!」
次郎丸の話に聞いていたように、確かにきれいな少女ではある。少女はグロテスクに冷凍部屋から這い出た。少女は僕に向かって言った。
「今の発言、告白と捉えるべき? でも私には心に決めた人がいるの」
「いえ、違います」
僕は彼女の言葉から間を空けず否定した。そして肝心の次郎丸はと言うといつも大きな態度のくせして困惑している。少女はそんな次郎丸に気が付いたようだ。
「あ…あなた……」
僕は次郎丸の話すタイミングを作るために言った。
「次郎丸さんから話があるらしいです」
次郎丸は小さく深呼吸した。
「…あの〜あれだ。俺確かに悪魔超人になりたいって言ったんだけどさぁ。その…やっぱ元に戻してくんねえか?」
「無理」
これで一件落ちゃ…え? 今この子なんて言った?
「あの、すいません。今無理って・・」
「ええ、無理」
続く沈黙。僕らはひとまず居間に移動した。
ちゃぶ台を囲み座る3人。僕と次郎丸、そして肉まんの精である。僕はひとまず状況を整理することにした。
「え〜と、2人は仲が良いみたいですけど、お互いのことまだ知らないんですよね?」
少女がうなずいた。
「じゃあ、最初に自己紹介をしましょう。僕はこの神社の息子で、大平アツシっていいます」
「俺は、神田林次郎丸。神様だ」
少女は次郎丸の神様という言葉にほんの少し驚いた様子だ。だが、すぐ平静を取り戻し、言う。
「中万華です。肉まんの精霊を少々」
中万華……並べ替えたら中華万か。わかりやすいネーミング。すっかりお見合いのような雰囲気になってしまい、僕は「後は若いお二人に任せて」みたいな事を言って出ていきたい気分だ。そんなことを考えていると、次郎丸が言った。
「おい、アツシ。ちょっと一緒に来てくれ」
立ち上がる次郎丸。僕は何が何だかわからないままついて行く。居間のふすまを閉め、僕達は台所の隅へ。
「何ですか次郎丸さん。出て行くなら僕一人で出て行きましたけど」
次郎丸は鋭い目つきで僕に言った。
「困った……」
何が困ったなんだ? 何か問題でもあるのだろうか。
「さっきあいつ、心に決めた人がいるって言ってただろ」
「はい、次郎丸さんのことでしょうね」
次郎丸の目の色が変わる。
「それが困るって言ってんだよ!!」
「何でですか? 次郎丸さんも回想シーンではまんざらでもない感じだったじゃないですか」
だからなあ、と言って次郎丸は続けた。
「俺にその気はねぇんだよ」
「はい?」
「だから、俺が抱いたっていうのはあれ、なんかあいつが泣いてたから慰めの意味を込めてのハグだったわけだ。だから俺は別にあいつのこと好きでも何でもないんだよ」
次郎丸がそんな欧米風な理由であの少女、中万華をハグしたとは思わなかった。てっきりロリコンの衝動が抑えられなくなったのだと。
「あれ? でもさっき回想の時、禁断の恋とかなんとか言ってたじゃないですか」
「いや、なんか話してるうちにテンション上がっちゃって」
呆れた小神である。つまり彼女を誤解させてしまっているからどうにかしてくれ、と言っているわけだ。と言われても、僕自身恋愛経験は薄い。正直どうしていいかわからない。
「と、とりあえず戻りましょう。あんまり長いと不自然に思われます」
僕達は愛そう笑いをしながら居間に戻る。定位置へと座り、先ほどと同じフォーメーションに。
「ずいぶん長かったね。えっと……次郎丸さん」
頬を赤らめている中万華を見て明らかに冷や汗ダラダラの次郎丸。軽率な行動は控ようとつくづく思わされる。
「わ、悪いな…マン……マンカ」
「…初めて名前で呼んでくれたね……でもそれじゃダメ。メス豚って呼んで」
いやいやいやいや、この子もかなり変わった子であることが判明。僕の周りにまともな奴はいないのか。あ、ユリちゃんはすごいまとも。何ていうか聖母的な……何を考えてるんだ僕は。今はこっちだ。
「あの…マンカさん。さっき次郎丸さんを元に戻すのは無理って言ってましたけど…」
「お前は何で名前で呼んでんだよ。キモイんだよ」
なにこの子。扱いが天と地の差なんですけど。何か怖い。かつあげされそう。次郎丸がそんな僕をフォローした。
「いや、あの〜マンカ。そいつ良い奴だから。話くらい聞いてやってくれよ」
何だか今日はすごく次郎丸が頼もしく見える。背中が大きい。
「次郎丸さんがそういうなら。……私が叶えた次郎丸さんの願い、悪魔超人にしてほしいは、今日の午前4時に実行されました。私たち精霊は一日に一つだけ願いを叶えることができるんです。ですが正確には、叶えると言うわけでなく、一日だけ魔力を貸し与えるということなんです。次郎丸さんは昨日確かにこの契約を交わしたので、今日午前4時から24時間は悪魔超人になるという魔力が貸し与えられている状態なんです。貸し与えた魔力を途中で引き出すことはできません。だから明日の午前4時まで、次郎丸さんはそのままです」
長台詞で少しわかりづらいが、簡単にいえば今日一日次郎丸が元に戻ることはないということか。だが、逆に変に戻る方法を教えられて、面倒事に巻き込まれるよりは、戻る方法が無いとはっきり言われた方が諦めがつく。もう6本腕の件は諦めよう。今はこの少女だ。
ここまでで分かる事は、中万華が次郎丸のことを本気で愛しているということだ。次郎丸のアシュラマン化現象は明日には直るらしいので、深く考えなくても大丈夫だ。2年4組なら今日一日ぐらい次郎丸がアシュラマンでも何とも思わないだろう。
これからどのようにして次郎丸にその気がないことを伝えればいいんだろうか。普段の登校時間まであと30分。出来ればそれまでに解決したい。僕は中万華に向かって言った。
「あの〜マンカさん。もう次郎丸さんが元に戻ることに関しては諦めます。でも…ひとつだけ言わなくちゃいけないことがあるんです」
次郎丸のつばを飲む音が聞こえた。
「ん?何なの、少年A」
こいつにとって次郎丸以外の人間はエキストラでしかないらしい。僕は次郎丸を肘でこずく。それと同時に次郎丸の目の焦点がブレだした。
「あのなぁ、マンカ。その〜あれだよ。俺なぁ、お前のこと別に…好きじゃない…んだ」
言った! 案外簡単に言った! 次郎丸の快挙である。中万華がそれを聞いて、一瞬生気を失ったように感じた。だが次の瞬間にはまた頬を赤く染めた。……え? 何で?
「またそんな冷たい態度とって。昨日の熱い夜のあなたはどこに行ったのかしら?」
僕は次郎丸に目で訴えた。
(次郎丸さん! 何ですか、この感じ!昨日はお互いハグしあっただけじゃないんですか!?)
(え? いや多分あれは夢だと思うんだけど…。あれ? マジで? だってでもあれはあれだったし…。いやでも…あれ?)
馬鹿小神! あれほど女には気をつけろと僕には言っているくせに。次郎丸が言った。
「アツシ…これはもう仕方ねぇよ」
まさか次郎丸は…!
「マンカ、俺が責任をとろう。俺も男だ、ケジメはつけてやる」
別れのケジメをつけるはずが、違うケジメをつけてしまった。何ということだ。次郎丸が結婚してしまう勢いだ。僕は言った。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 考えてみましょうよ! 一夜限りの関係だって世の中にはあるわけだし…それにちょっと年の差が気になりませんか?」
次郎丸は少し若くも見えるが人間年齢で20代後半であることは間違いない。この少女、中万華は僕と同い年くらいに見える。次郎丸が言った。
「俺は478歳だけど。人間でいうと27歳くらい」
「私は284歳。人間でいうと16歳くらい」
あらまぁ、ずいぶんと長生きなのね。
「ほら、11歳差ですよ! これはきついんじゃないですか!?」
目の色を変えた中万華が言った。
「愛に年の差は関係ねえだろ、このカス。お前は一生女の尻追いかけてろよ」
「な、何こいつ! いい加減ムカついてきたよ! 次郎丸さん、やめた方がいいですって!!」
次郎丸は腕を組んでいる。組み方を編み出したようだ。
「いや、でも責任は責任だしな」
中万華は次郎丸の真ん中の腕に飛びついた。
「じゃあ早速婚約の手続きを! …と言いたいところなんだけど…」
ん? さっきまでの押せ押せの感じがどこかに消えてしまった。
「私…今借金とりに追われてるの…」
今まで反対してきたがこれはすこし事情が変わった。
「私の父がすごい遊び人でね、毎日毎日ギャンブルギャンブル。挙句家の貯金を全て使い果たした上に、借金まで作って家を出て行ったの。私はその借金を肩代わりして、今まで返済してきたの。夜の仕事だってやったわ。でも…どうしても残り50万が払えなくて…」
中万華は非常につらい人生を送っているようだ。僕は言った。
「次郎丸さん、何とかならないんですか?」
次郎丸は中万華見つめるだけで何も返さなかった。
「ちょっと次郎丸さん」
「え? あぁ、何だ?」
次郎丸は意図的に無視をすることはあるが、このようなことは今まで無かった。それほど動揺しているということだろうか。僕はもう一度同じ質問をした。
「どうにか…ねぇ。俺の有り金全部はたきゃあ、準備できねえ額じゃねえよ」
「じゃあ2人はもう結婚するんだし、出してあげればいいんじゃないですか? どうせ次郎丸さん、ここに居候してて光熱費等一切払ってないんですから」
「お前今ここでそれ言う?」
中万華は花のような笑顔を見せた。
「良いんですか! 次郎丸さん」
次郎丸は、あぁ任せとけと返した。今日の次郎丸は本当に頼もしい。
僕と次郎丸は中万華を家に残し、家を出た。後ろからマモルが追いかけてきた。
「おはようアツシ! おはようございます先せ…って先生! 腕多いですけど! アシュラマンみたいになってますよ!?」
次郎丸は答えた。
「マモル、もうそのくだり朝のうちに一通りやったから」
「え! マジですか! ごめんなさい」
謝る必要はないぞマモル。それが普通の反応なのだから。
校門を抜けると辺りの生徒から大量の視線が。アユとユリちゃんがこちらへやって来た。アユが言った。
「先生、どうしたんですか!? イメチェンですか? コスプレですか?」
次郎丸はどこからともなく『1.5』と書かれた手持ち看板を出し言った。
「バージョンアップだ」
「あ〜、なるほど。バージョンアップですか」
今どの辺に納得できるポイントがあったんだ。1.5か。1.5に納得したのか。ユリちゃんも言う。
「格好良いですよ、先生」
仮面ライダーごっこを優しく見守る保母さんのような一言。またその微笑みがたまらない。僕の笑顔が気持ち悪いものに変わる。更にそこへ木田がやって来た。
「先生! 何か今日アシュラマンみたいですね!」
「だ〜か〜ら! 一通りやったって言ってんだろぉおおお!!!」
木田の両腕、両足、腰を掴む次郎丸。これは今朝のあれだ。
「アシュラバスター!!」
「ぎゃああああ!!!」
哀れな木田。白眼を向いて、口から変な色の液が出ている。ユリちゃんがものすごく怯えているんだが。ベーコンの歌で素早く治す次郎丸。このパターンが定番化してきた気がする。
その日の朝のうちは騒がれたものの、昼休みを過ぎる頃には誰も次郎丸の腕に関して何か言う者はいなくなっていた。(朝のうちに質問してきた者に片っ端からアシュラバスターをかけたので、誰も言えなくなったと言うのが正しい)
時はすでに放課後。僕は次郎丸と一緒に下校した。
「何か今日の次郎丸さんの授業普通でしたね。どうしたんですか?」
僕が次郎丸に質問した。次郎丸は眠たげな眼で言った。
「……そうか? 別に一緒だろ」
不自然だ。今日の次郎丸はとにかく不自然だ。何と言うか、覇気がない。今朝家を出てからだ。不自然でしょうがない。
神社の石階段を上ろうとしたとき、次郎丸が僕の肩をつかんだ。
「何ですか、次郎丸さん」
次郎丸が封筒を僕に手渡して言った。
「ここにさっき下ろしてきた50万が入ってる。これをあいつに渡してきてくれ」
「え?次郎丸さんから渡せばいいじゃないですか」
次郎丸は早く行け、と言って僕の背中を押した。僕は仕方なく一人で石階段を上った。玄関から中万華の名前を呼びながら入る。彼女は居間でテレビもつけずに座っていた。
「マンカさん、これ次郎丸さんが渡しとけって」
僕は封筒を手渡した。彼女が言った。
「彼は?」
「なんかよく分かんないんですけど、石階段の下に」
彼女はそう、と言うと玄関へと向かった。僕は訳がわからないままその場につっ立っていた。
中万華は靴をはき、素早く玄関から飛び出した。石階段を確認すると、まっすぐそちらへ向かった。石階段の下には神田林次郎丸が立っている。彼女はゆっくりと石階段を降りた。次郎丸の横を通り過ぎようかというところで足を止めた。
「気付いてたんでしょ?」
中万華が言った。次郎丸はダルそうに頭をかいている。
「……何のことだ?」
「とぼけないでよ。私だってこんなことするの初めてじゃない。あなたの反応は・・気付いた人間の反応だった。私が・・・詐欺師だって」
次郎丸は何も言わなかった。中万華は携帯電話を取り出し、次郎丸に渡した。
「通報……して。警察じゃ駄目よ。精霊委員会に」
「何言ってんだ? お前はまだ何も盗んじゃいねえだろ?」
「今まさに盗むところ。現行犯よ」
次郎丸は小さくため息をついた。彼は言った。
「……人を疑うのに理由は要るぜ? でもな、信じるのに理由は要らねえだろ?」
「え? あなた何言って……」
次郎丸は自分の携帯を取り出すと、彼女の携帯と赤外線通信で番号を交換した。そしてその携帯を彼女に返す。
「俺はお前がただの女だと思ってる。詐欺師でもねえ、俺の嫁でもねえ。ただお互いの勘違いだったって思ってんだ。で、今からは……」
次郎丸は自分の携帯に登録された中万華の番号を彼女に見せた。
「普通の知り合いだ。俺は普通の知り合いにそんな大金貸せねえ。だから返してくれ」
中万華は無言で封筒を返した。
「本当に……許してくれるの?このまま……友達でいてくれるの?」
「何を許すんだ? お前は何もしちゃいない。ただ勘違いしてただけだ。まあ、何か謝りてぇことがあるんならさっきの番号に連絡しろ。いつでも時間作ってやるよ、メス豚」
その場で泣きだした中万華に、次郎丸は気付かないふりをして石階段を上った。
僕は帰ってきた次郎丸に言った。
「あれ? マンカさんはどうしたんですか?それにその封筒……」
次郎丸は小さな笑顔で言った。
「お互い勘違いだったのがわかったんだ。だからあいつは俺に金を返して、どっか行っちまった」
「あぁ、何だ勘違いだったんですか。良かったですね」
「……あぁ、良かった」
そう言って立ち去る次郎丸の背中には、しわだらけの赤いプーマのプリントがあった。
翌日。僕は目覚ましを止めてもう一度寝た。
「遅刻!! 次郎丸さん! 起きて下さい!」
「何だようっせーなぁ。朝くらい静かにできねえのかよ」
という次郎丸の姿は人ですらない、バネであった。
「次郎丸さん! 今度はスプリングマンになってますよ!!」
「え? マジで?」
僕たちは冷蔵庫に向かった。冷凍部屋を開けると、そこには淡いブルーの目を持った少女が関節を変な方向に曲げて入っていた。
「何やってんですか! 昨日のは勘違いだったんでしょ!」
少女はグロテスクに冷蔵庫から這い出て言った。
「勘違いは勘違いだけど、私が次郎丸さんを愛していることに変わりはないの」
「おいおいふざけんなよ、メス豚。お前までストーキングか、おい」
「違うわ、ここに住むことにしたの」
僕は耳を疑った。
「は!? 何言ってんですかあんた!!」
「そーだよ、メス豚。帰りやがれ、このカス」
彼女は頬を赤く染めた。
「ふふふ、もっと罵りなさい。それが私の力になる!」
こうして僕の家に、また変な家族が一人。神様と肉まんの精が家に住み着いてるのは、世界中探し回ってもここしかないだろう。
その日の中万華の笑顔は、昨日よりも晴れ晴れとしていた。