第2章 料理だ
暗闇の中、一つの光が見えた。
「目覚めよ…勇者よ……」
何だ? 誰の声だ。
「魔王の復活だ。奴はパワーストーンの力で全ての人間をパワプロくんのキャラみたいな体系にしようとしている」
……それは嫌だな。
「お前の力が必要だ。お前のその魔道粉砕の力が必要なのだ」
マドウフンサイ? 僕にそんな力はない……。
「……んだよ、ノリ悪ぃなあ。とりあえずイエスで答えとけよ」
……は?
「お前は勇者で、俺はそれを導く賢者って設定なんだよ」
はぁ……イエス。
「……なんか興味ない感じだな。こっち気分悪くなんだけど」
じゃあどうしろと?
「お前の耳たぶを生贄に捧げろ」
え? ちょ、うわぁああああ!!
目が覚めた。僕は右手を耳にあてパンの生地にピッタリの固さの部分があるかどうかを確かめた。立派な福耳。助かった。
そう思った直後、僕は今の状況があってはならない状況であることを感じた。僕は布団に入っている。そして隣に小神である神田林次郎丸がたまに呼吸を止めながらいびきをかいていた。
「ちょ、次郎丸さん! 何僕の隣で寝てるんですか!!」
次郎丸は一瞬白目をむいた。そして上体を起こし首を鳴らす。普段より少し高い声で言った。
「……おはよう、アツシ君」
「なんで君付けなんですか。怖いですよ。ていうか声気持ち悪いんですけど」
「なんだよ、そんな言葉の悪いツッコミがあるかよ。アンタッチャブルのツッコミだってもうちょっと優しいだろうが」
「あんな無理して高い声出してテンション上がったときの松本人志みたいでしたよ」
次郎丸は急に静かになった。ちょうどバグッたファミコンの様である。
「……なんで黙ってるんですか?」
バグもカセットに息を吹きかければ直るのだ。
「いや、それは気持ち悪いと言われても仕方ないなと思ってよ」
まったく変なところだけ素直な男である。僕は起きたばかりで働かない頭をフルに回転させた。なぜこいつがここにいるのか。そしてあの起こし方。僕は何かがあると踏んだ。
「何が目的ですか?」
「目的? ……いやいや、俺はただお前の寝顔が見たくてな」
「彼女か、あんたは!」
次郎丸はわかったよ、と言い、僕の目を見ながら語り始めた。
「今日はな! 日曜日だ!」
そんなことはわかっている。だからどうしようと言うのだ。
「俺も今日は仕事無いし、どこかへ遊びに行きたいわけだ!」
「はぁ……じゃあダイソーでも行きますか?」
「いや、そうじゃない! 俺は遊びに行きたいには行きたいがなんかダルい!」
さっきから何を言ってるんだこいつは。結局何が言いたいのかさっぱりわからない。遊びたいのにダルい? なんだか段々腹が立ってきた。
「そこで俺は本日料理に挑戦することになりました!」
「なりましたってだれに決められたんですか」
次郎丸の目に光が差している。こいつがこうなるといつもロクなことがない。次郎丸は目線を僕から携帯電話へと向けた。
「友達を呼びたまえ、アツシ君!」
「何でですか?」
次郎丸は両手を広げて言った。言葉を強調させたいんだろう。
「料理に判定員は不可欠だ。よくやってるだろ?最近」
正直言って不服ではあるがこいつが一度言いだすと絶対にあきらめないことを僕は知っている。反発しても効果がない。僕は溜め息をはき、電話を手に取った。
「じゃあ何人か声かけますから、待ってて下さい」
「おう! よろしくな!!」
さっきから感じていたが今日の次郎丸はやけにテンションが高い。いつもなら朝起きた時は目が死んでおり、招き猫のような顔をしている。だが今日の次郎丸は電池を新しいものに変えたミニ四駆のように心が走り回っている。
僕は携帯電話を手に取り、電話帳のボタンを押した。
僕は自分の携帯の電話帳をあ行から順番におくった。や行で指が止まる。「ユリちゃん」と表示された画面を見ながら僕は考えた。呼んでみるか、と。アドレスは知っているものの、まだ彼女にメールを打ったことはない。それに次郎丸の勝手に付き合わせるのはどうかと思う。いや、それでも。
僕はできるだけ紳士を気取ってメールを打った。緊張しすぎて内容は覚えていない。
僕が今年のうちで最高の心拍数を記録した後、マモルと木田にもメールを送った。男3人に女が1人というのはかわいそうなので、僕は他にも誰か女の子を誘うことにした。しばらく画面を眺め、僕は磯野 鮎を誘うことにした。
こいつとは小学校の時からの腐れ縁。男子に交じって缶けりとかしてたタイプ。今では随分女の子に戻っている。決してサ○エさん一家の一員ではない。オリジナルの磯野である。
僕はその5人にメールを打ち終えると、1階に降りて朝食をとることにした。親父がパンツにシャツという不細工な姿で食パンをかじっていた。
「お、アツシおはよう。食パン焼いて食ってくれ」
「あ、今日は朝パンなんだ」
親父はパンを左手に持ち替え牛乳を飲んだ。
「あぁ、味噌汁作ろうかと思ったら神田林さんがダメだって言うから」
「なんか今日ご飯作りたいんだって。いつもの気まぐれで」
僕はその場を軽く見まわした。
「で、その次郎丸さんは?」
親父はパンの粉がついた人差し指で台所を差した。料理の練習でもしてるんだろうか。僕は食
パンを取りに台所へと足を運んだ。紫がかった炎が見えた。
「うぉおおお!! 次郎丸さん何やってんですか!!」
フライパンから火柱をたてながら次郎丸は言った。
「え? フランベだけど」
「ちょっと、次郎丸さん! フランベは料理歴が1日にもみたない者がするテクニックじゃないですよ!!」
「いや、でも納豆のにおいをこれで消せるんじゃねぇかと思って。どう? すごいアイデアじゃね?」
「納豆をフランベ!? そんなこと息子の納豆嫌いを直すために奮闘する料理好きのフランス人でもやりませんよ!!」
次郎丸はそうか、と言って燃えたぎるフライパンを眺めてまた僕のほうを見た。
「なぁ、アツシ。炎の勢いが増す一方で全然消える気しないんだけど」
「消化器持ってこぉおおおい!!」
鎮火。
僕たちは3人でちゃぶ台を囲む形に座った。親父が言った。
「いやぁ、お父さんまさか昔の彼女に買わされた一本60万の消化器が役に立つ時が来るなんて思いもしなかったなぁ」
「ちょっと親父、そんな消したくても消せない過去を息子の前で堂々と暴露しないでくれる?」
次郎丸が悪びれない態度で言った。
「お、消せない過去の失敗でボヤを消したってことだな、お父さん」
「全然うまくないですよ。ていうかもうちょっと反省して下さい」
親父が部屋の隅で体を震わせている。
「おい、親父! 何こっそりウケてるんだよ!!」
現在午前9時30分。みんなが来るまでにまだ2時間はある。今から断っても遅くはないんじゃないだろうか。
「次郎丸さん。今日の料理作るって言ってたの、もうやめませんか?」
「何言ってんだよ、お前。何が不服なんだよ。どの辺が不服なんだよ。」
僕は崩していた足を正座に組みなおした。
「朝っぱらからボヤ騒ぎ起こしといて何が不服なのか僕に聞く方がおかしくないですか?」
次郎丸も正座になった。
「大丈夫だ、フランベはもうやらない。俺もさすがにちょっとビックリしたからな。あれは」
……信用ならん。フランベをやらないなら他のことで何かやらかすに決まっている。
「だめです。もう今日は中止にします」
「机の右下の引き出し」
「……さぁ、みんなが来る前に準備でもしときましょうか! 次郎丸さん!!」
本日は良い料理日和である。
僕は次郎丸とともに消火器から出た化学物質を片づけることにした。今回は次郎丸も素直に従っている。もとはと言えばこの男の責任なわけだが。
消火器の後片付けなど初めての経験である。何から片付ければいいのかさっぱりわからない。僕たちはとりあえずあの粉っぽいのを勝手口から外にはき出し、雑巾で拭いた。掃除に1時間も要してしまった。みんなが来るまであと1時間しかない。
僕は次郎丸と話し合うことに。
「次郎丸さん、もう料理をすることに関して否定はしません。でも僕が思うに、次郎丸さんの料理の腕前は金魚のフンです」
「やっぱお前って口悪いよな」
僕はコホンと間を置いた。
「そこで、次郎丸さん、今日作る料理は僕も手伝いましょう。僕こう見えて料理出来るんですよ」
「……嫌だよ」
何故だ。何故こちらから差し伸べた手をそんなに乱暴に払うできてしまうんだ。
「何でですか! 僕も久しぶりに料理したいんですけど」
「何でって、お前よう。俺知ってんだよ?お前がユリのこと好きなの」
何故知っている、今何の関係がある、そして何故呼び捨てだこの糞小神!!
「料理が出来るってことアピールしたいんだろ? そうなんだろ? 俺はそういうお前の浅はかな考えにいら立ちを覚えたんだ」
確かに多少そんな考えはあった。いや、ていうかそれしか頭になかった。あぁ、そうさ! 僕はアピールしたかったさ! 今回のイベントであわよくばこれから遊ぶ時に誘っていこうみたいな考えがあったさ!
「……べ、別にいいじゃないですか! 僕にもチャンス下さいよ!」
「あのなぁ、俺は小神なんだよ。そういうことは恋のキューピッドにでも頼めって話だよ」
ここまでハッキリ言われると何も言い返せないのは僕の弱さなんだろうか。それにもしかしたら神様の世界ではこういうストレスがあるのかもしれない。初詣で彼女ほしいです、とかって頼むなよ!キューピッドにでも頼めよ!みたいな。
僕が神様の世界などという不思議なものについての考えを深めていると、携帯から流れる着信音1。朝送ったメールの返信だ。
「あれ? お前がメールなんてめずらしいな」
「朝早くだったし、ユリちゃんに電話するレベルまで僕はまだ達していませんからもうみんな
メールにしようかと思ったんですよ」
いつの間にかユリちゃんのことをこんなにアブノーマルに口に出せるようになっていた。この男と話しているとどうでもよくなってくる。
メールは磯野アユからであった。内容はこうだ。暇だからもう行くね、と。
「……次郎丸さん! 急いで着替えましょう! これ一番パジャマ姿見られたくない奴がやってきますよ!」
「お前誰呼んだんだよ」
僕は何も言わず携帯の画面を見せた。
「磯野アユ……3組の奴か!あのいい脚の!」
「次郎丸さん! またちょっとロリコンの片鱗が見え隠れしてますよ」
僕たちは急いで着替えることにした。僕は2階の部屋へと走った。めんどう臭いので適当なものにしようかと思ったが、ユリちゃんが来ることを思い出し、できる限り自然、かつなかなかのファッションセンスであろうものを選んだ。次郎丸は相変わらずジャージである。今日はアディダス。僕たちの準備が万端になった瞬間であった。家に昔ながらのブーというタイプの呼び鈴がなった。
昔から聞きなれたおじゃまします、という声が聞こえた。僕は一人で玄関へ向かい、戸を引いた。
「来たぞ、アツシ」
「ウチに来てからの第一声ぐらいもうちょっと清楚にできないのか?」
アユはまるで男のような格好をしていた。ジーパンにTシャツ、その上にベスト。色の基調は黒だ。この前マモルもこんな格好していたように思う。遅れて次郎丸が玄関にやってきた。
「おぉ、アユ来たか」
アユは次郎丸に対しては妙に丁寧だった。
「おはようございます、神田林先生」
アユはこちらの都合など無視してやって来たが、他の3人が来るまではまだ時間がある。暇だからと言ってウチで何をしようというのだ、この女は。とりあえず僕はアユを居間に案内した。アユは元気に言った。
「みんなはまだ?」
僕はアユに座布団を手渡し言った。
「自分が早く来ただけだろ?なんで、みんな遅いよね?みたいな空気作ってんの」
「ちょ、失礼な、私のこと空気製造機のみたいに言わないでよ」
「どんな製造機だよ。そんなもんNASAでも作れないよ」
僕たちの会話を聞いて親父が居間にやってきた。
「お、やっぱりアユちゃんか。この独特の会話聞くのも懐かしいなぁ」
「あ、おじさん。おはようございます」
親父がアユと昔話を始めたので、僕は次郎丸のいる台所に向かった。次郎丸は椅子に座り、料理本を読んでいた。
「真面目に料理する気になったんですか?」
次郎丸は本から目を離さないまま返した。
「なあ、アツシ。料理で大事なものはなんだと思う?」
「え? そうですね……」
あまりにシンプルな質問ほど答えにくいものはない。僕はいくつも浮かんでくる答えの中から一つを絞り込んだ。
「料理の腕……ですかね?」
「そう! そして今のおれにはそれがないわけだ! じゃあどうする?」
何も言えなかった。正直僕にはそれがわからない。
「アツシ、それはな……愛なんだよ」
「愛……ですか」
「そうだ。大体料理は『料理の腕』×『愛』で完成するんだよ」
その方程式だと次郎丸の料理の腕はゼロだから出来る料理は全部ゼロなんじゃないだろうか。
「つーことはだ! 愛が50なら俺の料理は100になるってわけだ!」
「あ、2はあると思ってるんですか」
「え? 何が?」
「いえ、こっちの話です」
次郎丸は更に語調を強めて言った。
「だが今現在俺の愛は50に達していない」
だからどうした。聞いているこちらが馬鹿らしくなってくる。
「愛をくれ! アツシ!!」
無理難題である。僕に何を求めているんだ。
「戻っていいですか?」
「お前なぁ、さっきから俺がどんだけ暇してると思ってるんだ」
次郎丸は適度に遊んでやらねば機嫌が悪くなる、デリケートなうさぎみたいな神様なのだ。
「わかりましたよ。じゃあアユと親父4人でゲームでもやりましょう」
「ストリートファイターは無しな! お前あれ強すぎなんだよ!」
「次郎丸さんがダルシムでヨガファイヤーしかしないからじゃないですか。僕のチュンリーには到底かないませんよ」
僕と次郎丸は居間に向かった。親父がアユにアルバムを見せている。
「お、ほらアツシ! これ見てみ! お父さん若くね? これふっさふさじゃね?」
アユが笑って言った。
「おじさん、もう過去には戻れないんだよ。そろそろ現実見たら?」
僕はテレビの下の台に入っている任天堂の某ゲーム機器を取り出した。
「赤い帽子のヒゲ男が車でレースするやつやりますか? みんなで」
僕たちはみんなが来るまでゲームをすることにした。アユはこういうゲームが得意だ。昔からよく遊んでたから知っている。なんだかこうやって親父やアユとゲームをすると小学生の頃を思い出す。アユが6回目に1位になったときである。またもや鳴り響くチャイム。
いよいよ料理の始まりである。
僕は玄関に向いアユが来た時と同じようにもてなした。3人のこんにちはというあいさつが重なって男女混声合唱のように聞こえる。いや、それは言い過ぎか。
僕は気持ちを切り替えた。今日はユリちゃんとの初お遊びなのだから、気合の入れ方が違う。木田が靴を脱ぎながら言った。
「今日は先生が料理してくれるんだろ? もう朝からミートドリアしか食べてないからお腹ペコペコなんだよねえ」
「朝からドリアって、お前なかなか果敢な胃袋持ってんなぁ」
次郎丸が洗った手をズボンで拭きながらやってきて言った。
「次郎丸さん、ズボンで拭いちゃダメだっていつも言ってるじゃないですか」
ユリちゃんがいい感じに微笑んでいる。ウチの家に好感を持ってくれたようだ。いっそ、休みの日に巫女のバイトにでも来てくれないだろうか。そんな叶いもしない理想を頭の隅にステイさせて、僕はみんなを居間に連れて行った。ウチの居間でまるで自分の家であるかのように過ごし、普段見たこともないくつろぎ様を見せたアユが言った。
「おぉ、諸君。ごきげんよう」
マモルは少し笑って返した。
「いつもテンション高いな、アユ」
「これだけが私の自慢できるとこだよ」
みんな楽しそうに会話する中、一人ユリちゃんだけがあまりしゃべっていない。慣れない環境に戸惑っているのだろうか。僕は彼女の隣に行った。
「……ごめん。あんまり楽しくなかったかな……」
彼女ははっとした様子だった。そして天使のような笑顔を僕に向けた。
「ううん。みんな元気だからちょっと圧倒されてただけ。楽しいよ」
ナイス笑顔だ。確かにここのメンバーは個性的なやつばかり。最近次郎丸という個性的すぎる男とばかり一緒にいるから、感覚がマヒしているのかもしれない。ユリちゃんはいたって普通の女の子である。
「そっか。ならいいんだけど」
これほどホストクラブで修行したいと思ったことはない。もう少しうまい言い回しはないものだろうか。次郎丸が居間のふすまを開き、言った。
「よっしゃ。今から作ってやるから、お前ら期待して待っとけよ」
みんな楽しそうな顔をしている、僕ひとりを残して。僕は今朝のボヤ騒ぎをリアルタイムで体験しているのだ。期待のしようがない。
次郎丸が料理を作り終えるまで時間がある。せっかくユリちゃんを呼んだのに、ただ圧倒されっぱなしでは楽しさも半減してしまうだろう。僕はとにかく会話をしようと思った。
「ユリちゃんて普段の日曜日なんかは何してるの?」
「私? 私は……友達と料理したり、妹の面倒見てたりしてるかな」
それはそれは、さぞかわいらしい妹なんだろうな。
「妹がいるんだ。ユリちゃんに似てるの?」
「顔はね。性格が全然似てないの」
アユが座布団を木田にぶつけて言った。
「あ、あれ? イモリとヤモリみたいな感じ?」
「何で例えがは虫類?失礼だよ」
「ちょ、何で座布団を投げたの?そしてなぜ何事もなかったようにしてんの?」
木田のささやかな反論。その時、台所から大きな声が。
「アツシ!! 味の素どこだ! 味の素!」
「ちょ、待っててください! 今行きますから」
結局僕は手伝う羽目になりそうだ。一体何を作ってるんだろうか。
僕は台所で不思議な光景を見た。次郎丸が鍋をかき回している。その鍋にはネズミ色に近い茶色の液体。
「次郎丸さん……何を作っているんですか?」
僕はいやな予感がしていた。
「え? 何ってこれ、『ちょぼ汁』に決まってんだろ?」
僕の直感は正しかった。
「なんてものを作ってるんですか! ちょぼ汁と言えば、兵庫県淡路島の郷土料理で毎年1月に一度だけ給食に出され、あらゆる生徒から反感を買い、最近ではある情報番組のロケで淡路島が紹介されたときに某お笑い芸人がそれを食べコメントに困り、スタジオにそれが運ばれた際にはコメンテーター全員を黙らせてしまった伝説の安産祈願のお吸い物じゃないですか!!」
「やけに詳しいな、お前」
「常識です」
次郎丸は鍋の中のにおいをかいだ。
「よくこんな臭いのもん作るよな」
僕は次郎丸の言葉を無視して言った。
「次郎丸さん、あなたが何を作ろうと勝手ですけど、僕たちがそれを食べた時の顔を想像するようにしてください。そうすれば少しはマシな物ができるんじゃないですか?」
次郎丸は考え込んだ。そして彼は言った。
「あれか……塩じゃけとか」
「そうです、いい感じですよ! その調子です! ほら、ほかに何がありますか?」
次郎丸は再び考え込んだ。
「ベーコン?」
「え? 何で? 何でベーコン?」
「……コンベーコンベーコンベーコン……」
みなさんはくれぐれもこの様なセリフを言わないようにしていただきたい。
「……いいじゃないですか、ちょぼ汁! さっそくみんなで食べましょう!!」
居間に次郎丸の料理その1が運ばれた。異様な匂いに審査員一同みけんにしわをよせている。アユが小声で言った。
「ねぇ、アツシ。なんで淡路島名物のちょぼ汁がでてくるの? 誰も出産予定はないよ?」
僕はわからなかった。さっき台所に行った時何故、彼を止めなかったのか。何故、逆にちょぼ汁に対してテンションを上げていたのか。
「……次郎丸さんに聞いてくれよ」
なぜか自信ありげな顔をした次郎丸は言った。
「さあ、どんどん食え。淡路島名物の……」
マモルが言った。
「ちょぼ汁ですよね?」
「お、よく知ってんな」
「常識ですよ、先生」
木田は愛そう笑いさえしていない。そんな木田を見て次郎丸は言った。
「ほら、木田! お前朝からドリアしか食ってねえって言ってただろ? どうした? 腹減ってんじゃないのか?」
木田は一瞬怯えた表情を見せた。
「い、いや。ほら、よく考えたら僕の胃袋そんな活発じゃなかったていうか、朝からドリアなんて食べたら元気が出てないって言うか」
「それなら尚更食べないとな。ちょぼ汁は体にいいぞ」
その後の居間の空気は最悪であった。涙目にしながらちょぼ汁をすする木田。昔小学校で5時間目までトマトを食べてるやつがいる中で授業をしたことがないだろうか、それを思い出してほしい。まさにその状態である。
僕はみんなが食べたちょぼ汁の器を一人で洗った。次郎丸に後片付けをしろと言ったら、私の辞書に後片付けという文字は無い、とかいう冬将軍の語源になった偉人みたいなことを言いだしたからだ。
居間にはついさっき人を殺したんじゃないかという殺伐とした空気が流れている。みんなの顔にはそろって帰りたいと書いてあるのだ。そんなわかりやすい空気すら読めないウチの小神は僕のすぐ隣で料理その2に全力を注いでいた。1ヶ月1万円生活の濱口優でも乗り移っているような元気のよさ。
「次郎丸さん、次は何作ってるんですか? もう僕の中では雑誌、小学5年生のコイツには勝てるランキング1位の濱口優と同等の扱いですよ」
「馬鹿言え、俺に勝てる奴は少なくともこの世にはいねぇよ」
「あんたはグラッ○ラーバキですか」
次郎丸は何かを炒めているようだ。僕は手を拭き、居間に戻った。とにかくみんなを元気づけなければ。
「みんな……あの…ごめんなさい、いろいろ」
僕はみんなから怒られるような気でいたが、意外とみんな僕のことを慈悲の目で見てくれている。僕も被害者であることはわかってくれているようだ。いい友達。
次郎丸は居間の引き戸を勢い良く開いた。その左手にはおぼんが。
「よし、作ってきたぞ、ほら! 味噌汁!」
彼の言う味噌汁というそれは青い。匂いは悪くないが、青色というのはどうしてこんなに食欲を無くさせるのだろう?今にも先程食べたちょぼ汁を吐き出してしまいそうだ。
「へぇ〜、次郎丸さんの地元じゃあ味噌汁は青いんですか……。ていうかさっき何か炒めてたじゃないですか、何だったんですか? あれは何だったんですか? ていうか2品続けて汁物っておかしいでしょ!!」
僕は不満を簡潔に100文字以内でまとめた。次郎丸は訳がわからないといった顔を見せている。訳がわからないのはこっちの方だというのに。マモルは僕に続けて言った。
「先生! こんなに鮮やかな青を一体どんな食材から引き出したんですか? 青と言うのは色の三原色の一つ、他の色を混ぜて出来るものではないはずです!」
「マモル、もっと他に気になることがあるはずだろ! そんな真の赤を求めていた有名画家みたいなこと言ってるときじゃないだろ!」
次郎丸は言った。
「……これが本当の青汁ってやつだな」
「うまくねぇよ、下手すぎるよ! 近所のおじさんだってもう少し良い返ししますよ!」
青味噌汁を眺めていたアユが何かに気付いた。いきなり胸を張り、言った。
「先生〜、本当に料理の腕がまだまだ青いね〜」
「お前もうまくねぇよ! なんだよ、ちょっと期待しちゃったよ! 何かあるのかと思っちゃった僕が悪いんだよ!」
次郎丸はしばらく黙っていた。少しだけ考え込むような顔をしてから真面目な顔になった。
「アツシ……お前すげぇな。思春期の割にまわりの目も気にしねぇで。ちょっと尊敬するな」
その言葉で、僕は気付いた。少し前から周りを見ていなかったことを。僕は気付いた。今のこの状況、僕はかなりの変人であると。僕は気付いた。僕の背中でユリちゃんが今まで見たこともない悲しい顔でうつむいているのを。僕は気付いた。絶対おかしな子だと思われてるよ!!
「ユ、ユリちゃん? え、ちょ……違うんだよ。いつもはほら、もっとこうダンディズムとかすごいから。もう溢れ出してるから」
「……」
彼女は長い間を置いた。それはもう息が止まるんじゃないかという長さであった。
「……うん……大丈夫……」
僕は目の前が真っ白になった。もう何も考えられない、死のう。僕が身を投げることを決意したとき、木田が言った。
「えっと…みんなもう……帰らない?」
そうだね、そうだな、そうしよう、元気出せって。僕の心に深く深く突き刺さる言葉という名のモリ。
僕は彼らを玄関で見送った。最後のユリちゃんの背中を見届け、僕は居間に一人戻った。親父が僕に話しかけようか、かけまいかを迷っているのがよくわかる。
「いいのかよ?」
次郎丸だった。僕は畳を眺めていた。
「何がですか?」
次郎丸は僕の額をつかみ無理やり自分と対面させた。
「俺はお前がこんなにモロイお子様だとは知らなかったなぁ」
「そりゃ、僕と次郎丸さんはまだ出会って1ヶ月なんですから」
次郎丸の目にいつにない光が見えた。
「お前はどうしたい? 何がしたい? 俺にはお前がただ自分の考える最悪の状況から目をそむけてるようにしか見えないんだけどな」
僕は語調を強くした。
「じゃあどうすればいいんですか! イメージって作るのは難しいのに、壊れるのは一瞬なんですよ!」
「お前は自分自身にそんなに自信がねえのか? お前そのものを認めさせろよ。きれいに飾り付けたイメージに意味なんかねえんだ。下ばっか向いてんじゃねえ。畳の節数える職人かテメーは。ただ前だけ向いて、歩けばいい。よそ見してたら電柱に頭打つぞコノヤロー」
僕は半分泣きそうな声で言った。
「でも……でもどうせ玉砕されるに決まってますよ」
「悔いる前に恥の一つでもかいてみろ。お前は自分が恥かくのと、このままおさらばとどっちがいいんだ?」
僕は何も言わなかった。次郎丸が続けた。
「そういや、ユリはウチ来るの初めてだよなぁ。他の奴とは方向違うし、ちゃんと帰れんのかなぁオイ。俺この前ファックスに挟まれた小指が痛くて動けねえや」
僕は次郎丸の腕を振り払い、急いで玄関に向かった。
僕は前を向くことに決めたんだ。
僕はサンダルを履いて石階段を駆け降りる。5月の温かい風が僕の心を落ち着けることはなかった。通りに出た時サンダルで出てきたことを後悔したが、僕はそれを気にせずに小走りでユリちゃんの帰路をたどった。
その時である。僕の背後ににつらそうに呼吸する男が一人。
「はぁっ忘れてた! 忘れてた! 俺お前と一緒にいなきゃ、はぁっ」
次郎丸である。全力で走ってきたのだろう。煙草でほとんど使い物にならない彼の肺が悲鳴をあげている。
「ちょっと次郎丸さん! さっきまでの雰囲気がぶち壊しじゃないですか! 帰って下さい!」
「無茶言うなよ! 俺だって帰りたいよ! でもなぁ、世間にはどうにもならないことってあるんだよ! 消費税の値上がりしかり、モー娘の人気低迷しかり!」
次郎丸は社会派キャラクターである。そのまま彼は続けた。
「ていうか今思ったけど、何でユリはお前の家知らないのにお前はユリの家知ってんだよ! ストーキングか? ストーキングしてたのか!?」
「誰がストーカーですか! ただ僕は恋に対して不器用なだけです!」
「否定するのそこかよ! ストーキングはしてんのかよ!ただの犯罪者じゃねーか、お前! ていうか何でさっきから全力で走ってるの!? さっきまでの余裕の小走りは何処へ!?」
「知りませんよ! なんか次郎丸さん走ってきたからそのままのノリなんじゃないですか!」
僕らが内輪もめをしているときである。目測で50メートル程先にユリちゃんの姿をとらえた。彼女はあたりを見回している。やはり迷っているようだ。次郎丸が言った。
「よしっ! 俺このままどっか隠れるからうまいことやれよ! 馬鹿なことしたら電気アンマするからな!」
次郎丸は近くの家にダイブした。僕は電気アンマに怯えながら彼女に呼びかけた。
「ユ、ユリちゃん!」
彼女がこちらに振り向いた。黒い長髪がなびき、どんな芸術作品よりも美しく見えた。
「あれ? アツシ君?」
「ユリちゃん、あの、さっきは」
僕が言いかけた時であった。彼女は優しく微笑みこう言った。
「さっきは楽しかったよ」
今まで見たことのない笑顔だった。僕は少し彼女に見とれた。
「え……本当に……?」
「うん。何かアツシ君て学校じゃもっと落ち着いた感じだから新鮮だったし」
「え? じゃあ何であんな悲しそうな顔を?」
彼女は口に手を当てて小さな声で笑った。
「あの味噌汁がすごい味だったから、ちょっとビックリして」
全ては僕の取り越し苦労だったらしく、そのあとも僕は彼女と二人でおしゃべりをした。こんなこと前ならありえない光景である。気がつけばすでに彼女の自宅前。ユリちゃんが言った。
「そういえば今日アツシ君のとこで食べるからって言ったから何もないんだ。結局ほとんど食べてないのに」
僕は一つの提案をした。
「!、じゃあ僕が何か作るよ」
「え? アツシ君料理出来るの?」
僕はうん、と言ってうなずいた。
彼女の家はマンションの3階。ドアを開けると、きれいに並べられた靴が目に留まる。僕は早速キッチンに案内してもらった。冷蔵庫に卵があることを確認して、待っててと言った。
何が今日という日をこんなにも素晴らしいものに変えたのだろう。僕はユリちゃんと初めてこんなにしゃべり、始めて家に訪問し、始めて料理を披露する。あらゆることが初めてづくしだ。
「はい、オムライス」
僕はユリちゃんがオムライス好きであることを調査済みである。決して知りたくて知ったわけではない。たまたまである。
「……おいしいね、これ! アツシ君将来シェフになると良いよ」
「親戚の人にも言われるよ、それ」
今日のオムライスは格別のはずだ。何せ、次郎丸がこう言っていたのだから。
料理は腕と愛情だ。料理はやはり愛情で決まるようだ。少なからず僕はそれで一人の女性を笑顔にできた。
僕がユリちゃんの家から出ると、玄関先の塀にもたれかかり、腕を組んだ次郎丸が僕を待っていた。
「どうだった? 電気アンマは必要ないか?」
僕は抑えきれない笑顔で言った。
「はい」
「じゃあまぁ、家帰ったらまた俺の料理食ってもらうから」
僕の笑顔が苦笑いに変わる。恐る恐る聞いてみた。
「今度は何作るんですか?」
「そうだなぁ」
次郎丸は続けた。
「お前にオムライスでも教えてもらおうかな」
「……覗きましたね?」
次郎丸は嫌な笑顔だった。ただその笑顔には好感が持てたんだ。不思議な話。
本日は良い料理日和である。