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コカミ  作者: 一次関数
17/17

第15章 体育祭、午前の部だ

お久しぶりです。1年ぶりです。

受験を終え帰ってまいりました、一次関数です。

今後どのくらいのペースで更新出来るか分かりませんが、楽しい小説を提供できるよう頑張りたいと思います。

よろしくお願いします。

 晴天である。空には太陽光を邪魔するものは何もなく、水色のドームに大きな照明が一つぶら下がっている印象だ。もう九月も後半なのだけれど、太陽も夏休み気分が抜けきらないのか、今日も彼は燦々と輝く。そろそろ季節は秋なんだと、誰か教えてやってくれ空の住人。

 今日は我が中学校の体育祭である。先ほど開会式で『第百四十回』と銘打たれているのを聞いた。なかなか深い歴史ある体育祭だ、と僕は感心してしまう。

 去年、僕が中学一年生であった時はそれほど体育祭を楽しもうとした記憶はないのだけど、今回は違う。僕は今年の体育祭には嫌と言う程準備に携わったのだ。

 理由の一つが、友達が中学一年の後半から増えたこと。もう三学期になっていただろうか。それまで昔からの親友と初恋の相手ぐらいしか話さなかったのだが何故だか三学期、僕は木田というクラスのお調子者と遠足の班を組み、そこでその木田を通して友人の輪が広がったのである。

 そしてもう一つの理由。それは僕の予定表が真っ白になっていたことだ。色々と予定が詰まっていたはずなのだけれど、新聞の一面になるようなトラブルに巻き込まれ、予定が逃げ出してしまったのである。マスコミに取材されるのは、予定さんも勘弁らしい。

 僕は自分のクラスの応援席で、テントの陰に感謝していた。ブルーシートの上に体育座りして、自分の出る競技の順番を待っている僕。今日は一段と日差しが強い。日射病には気をつけなければ。


「アツシぃ、水」


気だるそうな声で、眉間にしわを寄せた小神が言った。青ざめた顔、死にかけの目で僕を見つめ、腕をしんどそうにこちらに伸ばしている。実は昨日、彼は体育祭前哨戦だ、と言い全身の水分がアルコールに取って代わるのではないかという程酒びたしになったのである。僕はそれを傍観し、親父はそれに付き合い、中万華は酒を注ぎ彼の勢いを助長した。


「次郎丸さん、一応あなたは先生なんですから。体育祭はもっとこう万全の体調で臨むべきだと思うんですけど」


「うるせー、後の祭りだ馬鹿野郎。過去を振り返る暇があったらどうやって未来を生きるか考えろ」


どこかで聞いたことがあるような台詞。しわくちゃのジャージが余計に彼から生気を奪っているように見える。まぁ彼はそこまで体育祭を楽しみにしていたわけではないのだけれど。次郎丸は何かが懸かっている時は本気を見せるが、それ以外だとからっきしやる気を見せないのだ。僕は足元の水筒を次郎丸に手渡した。


「お茶ですけど、いいですか?」


「おう、アルコール抜けりゃ何でもいい。もう本当気分悪い。魂抜けそう」


「アルコール抜いてもいいですけど、魂は抜けないで下さいね」


ここまで元気のない次郎丸を僕はかつて見たことが無い。何だか少し心配になってきた。

 と、ここで校舎のスピーカーからキーンという耳鳴り音が聞こえたかと思うと、続けて我がクラス一のお調子者が喋り始めた。木田は放送部に所属しているのだ。


「え~、プログラム一番、開会式が終了しました。続きまして、プログラム二番、クラス対抗女子選抜コスプレリレーです」


次郎丸が元気になった。

 僕はこのコスプレリレーなる我が校の伝統行事にあまり興味がない。僕にコスプレ趣味はないし、どちらかと言えば年上好きの僕にとって、中学生のコスプレなんぞ見る価値はないに等しいのである。まぁ、それでも一応入場行進ぐらいは見ておいてやろう。大人のマナーとしてそれぐらいは当然である。別に彼女たちのコスプレを見たって何にも思ないけど。本当、何にも思わないけど。一切の期待もしてないけど。

 木田のアナウンスが響く。


「では入場して頂きましょう。まず一年一組坂田さん、カッパのコスプレです」


「何でだぁあああ! カッパってお前、ふざんけんなよ! 期待してた全ての人々に謝れバッキャロー!」


気が付いたら叫んでいた。ふざけているのも、期待していたのも、バッキャローも、僕だった。

 次郎丸が僕の肩に手を置いた。


「気持ちは、分かるぜ」


やっぱり次郎丸は大人である。こういう場面でまったく取り乱さないのだから。ふと、彼の手元を見る。デジカメがこれでもかというくらいフラッシュをたいていた。


「全然気持ち分かってねーだろ、あんた! ていうかカッパも守備範囲!? 次郎丸さん、マンカさんのこと馬鹿に出来無いじゃん! あんたも十分変態性癖の持ち主だよ!」


「馬鹿か、てめーは。カッパなんざどうでもいい。俺は中学生が公衆の面前でカッパの格好をしているという事実を楽しんでるだけだろうが」


「いや、当たり前のように言ってますけど、結果得たものはあんたがやっぱりロリコンだったという事実だけだからね! もう知り合って半年になるけど、ようやくその疑念に確信が持てただけだからね! もう、何だよあんた! 二日酔いで寝てろよ!」


「まぁそう言ってやるなでござる、アツシ君」


もう一人の小神、利理岡権田勇が当たり前のように僕らのテントに陣取って、当たり前のように一眼レフを構えていた。傍らには寝袋と十分な食料。


「何で前乗りしてんだぁあああ! ていうかあんたは二次元にしか興味なかったんじゃないんですか!? そういう設定だったじゃないですか!」


「アツシ君、拙者もその設定を受け入れる気だったんでござる。でもいざ明日、中学生の体育祭があります、と聞かされて動かない男なんていないんでござる」


「なるほど、これがキャラクターが作者の手を離れて勝手に動き出すってやつか! なんてマイナス方向に動いてんですか、あんた! ていうか体育祭と聞いても動かない男いっぱいいるよ! 普通は興味も湧かねーよ!」


何だ、神様というのはみんな変態なのか。変態が神様になれるのか。あながち間違っていないような気がするけども、深く考えないでおこう。そういえば、一つ気になる点がある。


「あれ? ていうか利理岡さん、前乗りするにしたってどうやって学校に入ったんですか? この学校はセキュリティがしっかりしてるから、忍び込むなんて出来ないはずじゃ」


「あ、その辺は大丈夫でござる。この学校には同志がいたでござる」


と利理岡権田勇は役員席の方を指さす。努力・友情・勝利ではなく、黒光りマッチョ・むっつりスケベ・体育教師の三本柱を掲げるロドリゲスが、その焼けた肌と綺麗な対比になっている白い歯を見せる。小さなガッツポーズをしているようだ。そうだ、よくよく考えてみれば、僕の身の回りにはまともな大人なんていないじゃないか。変態が神様になれるとか、そういうことじゃない。僕の知り合いがみんな変態だったのだ。

 何だか自分の将来が心配になってきた。そんなことを考えていると、ふいに後ろから声が聞こえた。


「体育祭、楽しんでる?」


振り返ると、そこには白装束の幽霊が。こっくり姉さんだ。いつの間にかこの学校、というか、うちのクラスに住み着いたお化け。見た目は僕たちと遜色ないくらいの幼さなのだけど、纏うオーラは頼りになるお姉さんだ。僕の後ろでふわふわと宙に浮いている。


「こっくり姉さん、おはようございます。これから楽しみたいって感じですかね。競技自体は今からが本番ですし」


僕は普段学校で会う時と同じようにあいさつした。とは言っても、学校でこっくり姉さんに会うのはなかなか珍しいことである。


「あら、そう。あたしはもうね、さすがにそういうの楽しむ歳でもないし。こう見えてあんた達の何倍も生きてるのよ。何か正直疲れるっていうか。こういうのって若い子が楽しむものだしね」


と、こっくり姉さんはナイキのエアーマックスの紐を丹念に結ぶ。


「いや、こっくり姉さん走る気満々じゃないですか。エアーマックスって。今の子分かるんですか」


「いや、違うから。あたしこれ、普段から履いてるしこの靴。白装束にエアーマックスってもうトレンドなんだから、こっちの世界では」


それがトレンドなら、もう僕は世の中の流行なんて一切気にしないぞ。

 何だか競技前から疲れてしまっているのだけれど、だらけているわけにはいかない。クラス対抗の体育祭、我が二年四組は一致団結して優勝を取ろうとやる気に満ち溢れているのである。とにかく、自分の競技までは時間があるのだし、他のみんなを応援することにしよう。

 コスプレリレーでの二年四組の成績は全体で四位。何気に元気な奴らが集まっているだけのことはある。小学生の頃はバレーやってました、みたいな女子が多いからな、うちのクラスは。

 ここでまたも木田のアナウンスが響く。


「以上、コスプレリレーでした。続いてプログラム三番、クラス対抗男子リレー予選です」


僕には縁のない競技、男子リレー。我が中学校では午前中の予選で午後から本選出場する六クラスをしぼるのだ。うちのクラスからは言わずもがな、マモルを筆頭とした六人のちょいモテ男子が出場する。マモルが出場しているということもあって、応援しないわけにはいかない。


「アツシ、ちょっといい?」


不意だった。意識が完全に男子リレーに向いていたから、というのももちろんだ。いやそれより何より、まさかこいつから僕に、それもこんな普通の女の子みたいな口調と態度で話しかけてくるなんてことは僕の十四年の人生において初めてだったからだ。不意を突かれた。藪から棒。こんな空気は初めてだった。


「ど、どうしたんだよ、アユ」


半そで半パン、いつでも走れます、跳べます、投げれます状態の磯野アユがそこにいた。思わず声が震えてしまった理由は僕にもよく分からない。


「いや、あのさ。アツシに聞きたいことがあって」


「何だよ」


「子供は男の子と女の子、どっちがいい?」


「いきなり何だよ、新妻かお前は」


「どーせ女の子だよね」


「どーせって何だ、どーせって! 幼馴染の僕を何だと思ってるんだ!」


まったく理解できない。いや、ついていけないのは前からなのだけど。いきなりの訳の分からない質問、正直戸惑ってしまう。……あれ? まさかこれ、あれ?

 よく漫画を読む。バトル漫画、スポーツ漫画、ラブコメ。ジャンル問わず、僕はよく漫画を読む。そして、そんな漫画の主人公にありがちなのが幼馴染の女の子だ。彼女達は皆例外なく美人で、そして多くの場合主人公に好意を寄せる。幼馴染、友達として仲良く接してきたが、いつの間にかそれが恋愛感情に発展していた、というパターンである。

 まさかそれなのか。僕らの日常において適当、粗雑に扱われてきた恋愛要素というものが、ここにきて動き出そうというのか。

 初めてアユを女性として認識する。まずい、ドキドキしてきた。僕はユリちゃん一筋であって、そういうところは自分でもきっちりしようという信念がある。とは言え、目の前の女の子が自分に好意を寄せているのでないか、という疑念を抱いてしまったら最後。多少のブレはどうすることもできない。

 黙っていれば可愛い、というのが一般男子によるアユへの認知であって、僕もそれには納得している。こいつは言動で損をしている。何だか『ったく、こいつの面倒は幼馴染である僕しか見れないよな』みたいな感情が芽生え始めている。何故上から目線だ、僕! 何故モテ男気どりだ、僕!

 僕の心の葛藤を無視して、アユは話を続ける。


「あのさ、アツシなら大丈夫かなぁって思ったんだけど」


アユが視線を落とし何かを促すようにほら、と呟いた。

 頭をぐるぐる回っていた思考の嵐がぷつんと途切れた。今までの憶測を全て覆し、新規の憶測が生まれる。


「誰だよ、その子」


これしかない、という台詞だった。少女は言う。


「黙れ、無個性!」


何故か怒られた。しかも刺殺される勢いの鋭い一言で。

 今までアユの背中で控えていたのだろう、彼女の合図でその少女は僕にその姿を見せた。アユの体を盾にするようにして、ひょいと頭をのぞかせる。眩い太陽光を負けじと反射し艶めく、肩まで伸びた黒髪。それと対比されるような白い肌の少女。年齢はちょうどヒナタちゃんくらいだろうか。ただ小学生くらいの女の子は年齢判断が難しいので、はっきりとは分からない。ただ確実に小学生であることは間違いない。この女の子の来ている制服が、うちの中学校の小等部のものだったからだ。そして、この少女。これは僕の勘違いかも知れないが、何だかどこかで会っているような気がする。知り合いか、もしくはデジャヴか。

 いやそんなことよりも開口一番『黙れ、無個性!』と罵られて、少女の容姿を冷静に分析している自分の今後が心配だ! 周囲の影響が大きいとしか考えられない!


「何この人の傷口をピンポイントで貫く精度!? 連載当初から気にしてるのに!」


「だったら目立つ髪型とか、武器とか、服装とか、何でもいいから努力すればいいじゃん! 語り部だろ! お前の個性はお前が作れ!」


「うおぉおお的を得た意見だチクショー! 何も言い返せねぇチクショー!」


アユは僕と少女の会話の流れを無視してマイペースに話し続ける。


「アツシ、この子の面倒見てあげてくれない? ユリに頼まれちゃった」


はっと我に帰る。が、アユの言うことがよく理解できない。むしろこの流れ全体が把握しかねる。体育祭、小等部の少女、面倒を見る、ユリの頼み、繋がるようで繋がらない僕の思考回路。


「ユリって……ユリちゃん? 何でユリちゃんがそんなことを頼む……あ」


引っかかりがあった。いや、見つけた。思い出したのだ、もうずいぶんと前の話を。ユリちゃんが僕の家にやって来たあの日、彼女が言っていたことを。そしてそれが概ね確信に変わる。絶妙のタイミングでアユから答え合わせ。


「この子ね、ユリの妹で大野紅葉おおのもみじちゃん」


大野紅葉、彼女の憎たらしげで攻撃的な視線に、僕は苦笑いで答えた。

 大野由利、僕の初恋の相手にして可憐・清楚・快活・善美・艶麗のステータスを持つ少女である。電化製品への異常なこだわりを除けば、ひたすらに完璧な彼女。出会えたことに感謝する。

 そんなユリちゃんには妹がいる。ということを僕は本人から聞いていた。正直なところその瞬間、僕はユリちゃんとお話をしているという状況下に興奮しきっていたために聞き流していたのだが、今こうして彼女の妹と対面して何故この件について深く言及しなかったのかと激しく後悔している。


「…………」


大野紅葉は無言。僕、大平敦に対して人見知りしているとか、大野紅葉自身がクールビューティーな個性を発揮しているわけではない。

 敵意、警戒である。

 僕と言う人間に警戒し、睨みをきかせているのである。理由は分からない。ユリちゃんをそのまま幼くしたような彼女の威圧的視線に若干のニヤケ面をする僕に対して、何故警戒を抱く必要があるだろうか。


「いや、そりゃ警戒するに決まってんじゃねーか。むしろ変質者に対して警戒する良く出来たガキだろ」


次郎丸は言った。


「次郎丸さん、地の文を読みとらないで下さいよ」


僕は紅葉ちゃんを二年四組の応援テントに招き入れていた。この強い日差しの下に女の子を放置するわけにはいかない。アユは男子リレーのあとに続く女子リレーへ出場するためそちらへ向かった。

 アユが言うにはこうだ。


「あのさ、さっきユリと紅葉ちゃんが一緒にいて、そんでユリが校舎に忘れ物取りに行きたかったらしくてお守りを任されたんだけど」


「女子リレーがあることを忘れててすぐ行かなきゃいけないから、次は僕にお願いしようってことか?」


「そういうことだとしたら?」


「あ、何だこいつイラっとする」


 と、そんなやりとりがあって、今現在こうしているわけである。

 知らぬ間に男子リレーは終わっていて、うちのクラスは予選を突破したらしい。そして何故だか分からないが次の競技の準備やら何やらが奇跡の重複を見せ、二年四組のテントには僕と次郎丸、そして不法侵入者の利理岡権田勇というおおよそ子供の世話には向いていないであろう輩が大野紅葉と時間を共にしている。

 そして先ほどの場面へ続く。


「さっきからじろじろ見るな! 気持ち悪い!」


大野紅葉は耐えかねたように叫んだ。さっきからどうも嫌われてしまっている。完全に僕のことを敵とみなした目つきである。爪をたて、牙をちらつかせながら威嚇する猫のようだ。触れたら怪我をしそう。


「あの、紅葉ちゃん。じろじろ見てたことはごめんね、だけど安心してほしいんだ。僕は君のお姉さんのユリちゃんの友達だから」


「友達やめろ! 今すぐやめろ! 殺すぞ」


「そんなやめろって……いやいやいや今殺すぞって言わなかった!? そんなことより殺すぞって言わなかった今!?」


「お姉ちゃんは私の憧れ! 完璧な美の象徴! お前は近づくな、無個性が移る! 刺すぞ」


「あ、も、ちょ……反論したいのに最後の一言が強烈すぎて触れられない! 無個性が移るわけないとか、そんなことより刺すぞが気になる!」


「さっきからうるさい! 自分のツッコミに酔ってるのか! そうだろ! 落とすぞ」


「どこに!?」


「私の魅力に」


「小学生に軽く落とせる宣言されたぁああ! もう立ち直れないかも!」


ただユリちゃんとこの少女、大野紅葉は余りに顔の造形が似通っているので、落とされるわけがないとも断言し難い。何と言う意思の弱さだ、僕。

 ブルーシートの上で胡座をかいた次郎丸がこちらを向く。


「お前相変わらず子供になめられる性格してるな。大平さん一家の恥だぞ、まったく」


「別に大平さん一家は代々子供に好かれる家系でもなんでもないんですから、恥ではないでしょ恥では」


「何言ってんだよ、お父さんなら子供になめられたらベロベロ舐め返すくらいの度胸を持ってるぜ?」


「持ってねーよ! あんたいい加減に親父がロリコンだっていう共通認識持たせようとするのやめろよ! それガセだから! もとはと言えばあんたのせいだから!」


紅葉ちゃんがこの流れに乗る。


「ロリコンの息子なのかお前! 絶対近づくな! 千切るぞ」


「いやいや紅葉ちゃん、僕の親父は別にロリコンじゃ……あぁくそ! やっぱり最後が気になる! 何を千切られるっていうんだ、僕は! やばいよ、ここアウェーにもほどがあるよ!」


一旦深呼吸をさせて頂きたい。このままでは今章、僕がひたすら罵られ終わる可能性がある。冷静に、沈着に。紅葉ちゃんとの接し方を考えなければならない。

 と、僕の心を読んだのかなんなのか、次郎丸が唐突に紅葉ちゃんに話しかけた。


「つかよぉ、お前は何でそんなにアツシを毛嫌いしてんだ?」


紅葉ちゃんは不機嫌そうな顔で一旦僕を睨みつけると、すぐに目をそらし答えた。


「……お姉ちゃんは私の自慢なの。それなのに、こいつが。こいつの話が……、あぁもう本当ムカつく! いい加減いつ死ぬのかはっきりしろ!」


「死期を自分で定めるなんて暴挙できるわけないじゃん! 紅葉ちゃん、本当に何でそんなに僕のこと……」


「うっさい! お前が嫌いなんだから嫌いなんだ!」


本当に訳が分からない。何か理由がありそうな感じではあったのだけれど。

 ――お姉ちゃんは私の自慢……。

 何かユリちゃんに、関係があること? 僕のユリちゃんとの関係? その関係性は――。


「あっはっは、アツシ君は子供に嫌われるんでござるなぁ! アツシ君、見ているでござる」


と言って利理岡権田勇は、普段から背負っているミリタリーリュックのチャックを開け、中を漁りだした。中から二体の美少女フィギュアを取り出す。

 ミリタリーリュックなんだから、もっとミリタリーなもの入れろよ。


「アツシ君、女の子というのはお人形遊びが好きなものでござる。このようにつねに遊び道具を持ち歩くというのが、子供に好かれる第一歩でござるよ。では、紅葉ちゃんとやら、拙者が唯の役で、君が澪の役を」


紅葉ちゃんはそこまで聞くと近くにあった水筒(誰かが忘れて行ったのだろう)を手に取り素早く外蓋、内蓋を外すと、その中身を利理岡権田勇の顔面に無言でぶつけた。レモンの良い香り。どうやら水筒にはレモンティーが入っていたみたいだ。冷や汗と涙とレモンティーが利理岡権田勇の頬をぬらす。


「拙者まで嫌われているでござるか。ていうか最近拙者こんなのばっかり、もうやだ」


大野紅葉は依然としてこちらに心を開く気配がない。ただこれまでの素振りから、この警戒心には何らかの理由があるのは間違いなさそうだ。今まで彼女の存在さえ頭の片隅に追いやっていたというのに、僕が何をしたと言うんだろうか。結構な理不尽さである。

 いや、だからこそなのだろうか。


「あ、紅葉!」


 口内によだれが溢れた。

 聞き覚えのある。聞きがいのある。聞けば嬉々とする。大野由利の、柔らかくも僕を鷲掴む声が。僕の背後をそっと包んだ。


「あ、ユリちゃん!」


僕はキャスター付きの椅子に座っているかのように、その場でくるりと体を回転させた。

 その瞬間。

 脳が揺れた。視界がにじむ。そして理解する。後頭部を強く殴打されたのだ。とっさに視線を頭ごと上げる。ユリちゃんを目標に綺麗なフォームで宙を舞う大野紅葉が、紅葉のような赤みを頬に帯びた大野紅葉が、この衝撃の正体。以前にもこんなことがあった気がする。僕は、ジャンプ台にされたのだ。


「おっねいすぁまぁあああ!」


じゃれる子猫のように、大野紅葉は姉の胸に飛び込んだ。


「寂しかったですお姉さまぁあああ! 言いつけを守って良い子にしてました! 撫でて下さい! 舐めて下さい! なじって下さい! もうあれです! 脱ぎます! 今ここで脱ぎます!」


「いや、あの。分かった、撫でるから。それはするから。あとのは無しね」


姉としての微笑みを浮かべたユリちゃんが、大野紅葉の頭を優しく撫でた。

 映像無しでは伝えきれない衝撃である。


「ゆ、ユリちゃん……。あの、えっと……。その、紅葉ちゃん……」


「アユから聞いたよアツシ君。妹の面倒見てくれてたんだよね。ありがとう」


「あの、うん。それは別にいいんだ。全然気にしてないし」


そうまったく気にはしていない。いくら罵声を浴びせられたところでそれは子供のしたことであるし、僕も人生の先輩としてそれを寛大に受け止めるべきであろう。


「お姉様~、もう会えないかと思いました~。またこうしてお姉様と同じ空気を感じ、パンツの色を予想できるだなんて感無量ですっ」


「パンツの色は予想しないでね、紅葉」


どんなに口が悪いとしても、それはこれから大野紅葉という少女が成長する過程で洗練されていくものである。ユリちゃんほどとは言わないが、きっと素敵な女性になってくれるだろう。


「ほら、ちゃんと面倒見てくれてたアツシ君や先生にお礼言って」


「アツシさん、私のような不肖な者に優しく接して頂いて誠にありがとうございました。このご恩は一生を賭けてでもお返し致し……」


「誰だ、この子ぉおおお!」


僕は叫んだ。

 この短い時間ではあるが接してきた僕の知る大野紅葉は、姉のステータスを可憐・清楚・快活・善美・艶麗とするなら、可憐・残虐・暴言・嫌忌・厚顔のステータスである(可愛いのは認める)。しかし、世の中には僕らが信じがたいような超常現象というものが存在する。大野紅葉を、シスコン・シスコン・シスコン・シスコン・シスコンのステータスに。変えてしまうような。もはや別人である。


「ギャップなんてもんじゃないよ、これ! 訳分かんねーよ!」


そんな僕の叫びに、うふふとセレブ的な笑みを浮かべた大野紅葉。


「何をおっしゃっているのやらさっぱりです、アツシさん。うんこかけるぞ。あ、間違えた」


「いや結構早い段階でちょっと本性出たよ! 意外とおっちょこちょいだよ、この子!」


僕はそこでユリちゃんの様子を即座に確認した。すると、彼女は大野紅葉の問題発言に気づいていないようで、胸に抱えた白い円盤型の何かに集中していた。


「え、あれ? ユリちゃん? えっと、その持ってるの……何?」


「あ、これね! 教室に忘れてたんだけどね、さっき取ってきたの! 自動掃除機ロボットのルンバ!」


「あちゃー! 恐れてたことが、あちゃー!」


もうどこからどうツッコんでいいのか分からなくなってきた。仕事が多すぎる。タスク処理が間に合わない。


「お、マジかユリ。俺それすげー気になってたんだよ。ちょっと触らせてくれ」


と、横になっていた次郎丸がむっくと立ち上がる。ユリちゃんがいいですよ、とルンバを差し出し、彼は物珍しそうにルンバを眺めた。


「これすげーな、本当に自動でゴミ取ってくれんのか? おれのゴミみてーな過去の失敗も全部掃除してくれんのか?」


「動かしてみましょうか」


と、ユリちゃんはルンバの電源を入れた。ブルーシートの上をまるで生きているように動き回るルンバ。


「あ、やっべーな、ルンバ。俺ボーナスで買おうかな、ルンバ」


しばらく動き回った後、ルンバを一瞬動きを止めた。そして獲物を見つけたかの如く急激のそのスピードをあげる。利理岡権田勇、彼の足もとにぶつかっては退き、ぶつかっては退きを繰り返した。鈍い衝突音が響く。


「いやルンバ完全に拙者のことゴミ扱いしてるんですけどぉおおお! やっぱり最近拙者の扱いこんなんばっか!」


もういい。面倒くさい。利理岡権田勇に関してはもうこういう境遇でいい。

 話の中心はそう、大野姉妹である。

 姉、大野由利の登場によって完全にキャラを一変させた妹、大野紅葉。ユリちゃんの慣れたあしらい方を見るに、姉の前ではいつもこうなのであろうか。だとすると彼女は稀代のトランスフォーマーである。


「ねぇねぇアツシさん、ちょっとこっち来て」


と、僕を手招く大野紅葉。刹那の躊躇、僕は思い切ってしゃがみこみ、彼女の囁きに耳を傾ける。


「……ばらしたら、埋めるぞ」


体育祭、午前の部の出来事である。

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