第13章 過去だ―2
マモルと話しながらしばらく歩くと、綺麗な煉瓦造りの校門が見えてきた。隣町の小学校は、比較的新しい小学校で、校舎のデザインもどこかの有名デザイナーがしたらしい。詳しくは知らないけれど。
ただ、何だか特別な学校なんだろうなというのは、僕にもよくわかる。校庭が芝に覆われていて、そこに様々な家族がシートを敷き、多種多様の商品を並べる。そこに溢れる活気は、普通の学校のそれとは根本から違うのだ。
「この学校は小中高一貫の私立校だから、何だか普通とは違うんだよなぁ」
僕の心の声を聞いていたかのように親父が言った。同調とかいう表現で合ってるんだろうか。不思議な感覚だ。母さんが付け足すように言う。
「アツシは学校の成績的に、先生に勧められてるんでしょ? この学校の中等部」
「マモルもだよ。でも僕は正直受験してまで入るのはどうかなって思うんだ。そこまでして将来どうするのかって言われたら何も言えないし。何せお金もかかるから」
「マセた考え方ね、アツシ。小五の発言とは思えないわよ」
「何言ってんだよ。僕は正真正銘小学五年生だよ。決して以前の中学生のノリを作者が捨てきれていないとかそういうことではないよ」
そうである。決してそんなことはないのである。
僕とマモルの家族、合わせて六人で芝生に足を入れる。何だかピクニックにでも来た気分だ。
フリーマーケットは校庭だけで行われており、混雑を避けるため通路指定がされていた。特に何が欲しい、というのもなかったので、とりあえず順に見ていくことにした。
校庭に入ってすぐ、右を見ると東南アジア系の父子がブルーシートの上に大量の木彫りの何かを置いていた。この学校にはこんな外国人さんもいるのか。
「あの〜すいません。その木彫りは……お守りか何かですか?」
マモルの父、Mさんは言った。もとい、勝さんは言った。何だか不思議な紋様が掘られたそれは、どこかで見たことがあるようなないような。東南アジア系の父子のうち、子供の方が何となしに答えた。
「オーう、コレはお守リではアリマせーん。嫌イナ相手を呪い殺すタメの道具を入れるタッパー的なアレでース」
「うん、絶対需要ないですよね、その商品! しかも何ですかそのアバウトな商品説明! タッパー的なアレって売る気ないですよね、それ!」
瀬田勝は先ほどから見せている見事なツッコミをここでも発揮した。東南アジア系父子の、今度は父親の方があっはっはと笑いながら大きな身振り手振りで言う。
「まったク、ジョークが好きダナぁ、モロミンは! パパのツボ心得テルなぁ、お前は! 本当はコレあれだろウ? 取れタテのホウレンソウ入れるタッパー的なアレだろう?」
「アッハッは! パーパのジョークも最高だヨー!」
「いやいや、親子でネタかぶってますから! 結局タッパー的なアレで収まっちゃってますから! 何で内輪だけで楽しんでるんですか! 結局何なんですかこれ!」
何だ、この親子。この学校は私立だからもっとこう、頭の良さそうな雰囲気を予想していたんだが。と、僕はここで気がついた。彼らの売っているものが一体何なのかを。
「あの、ごめん。これってもしかして……昔つる○たけしがウルト○マンダ○ナに変身するときに使ってたあれ?」
僕が問いかけると、父親の方が少し驚いたように答える。
「オーう、パパの趣味心得テルなぁ、君は! そうデース! コレはあのぅ、ウルト○マンに変身スル時使っテイた……タッパー的なアレデース!」
「アッはっは! またタッパー! 出たヨ、パーパのカブセ芸!」
「いやもう、あんたら面倒くさいな! かぶせ芸なんて言葉どこで覚えたんだよ! ていうか何でウルト○マンのアレを木彫り!? どっちにしろ需要ねーよ! 何の目的でフリマ参加してんだよ!」
僕の限界いっぱいのシャウトに母さんが待ったをかける。
「落ち着いて、アツシ! 何だか本当に母さんの鏡のようで怖い! ここは退きましょう! まだあなたの手に負えるボケではないわ! 三年後くらいにまた挑戦しましょ!」
まるで未来を見据えられたような母さんの意見にうっすら納得し、僕は深呼吸。気を落ちつけた。瀬田夫婦が言う。
「さ、もう先に行こう。他に何か素敵な買い物をしよう」
「そうね、スポーツ用品とかあるかもしれないし!」
全員の意見が一致、僕らは東南アジア父子のもとから去ることにした。いつか彼らのボケに完璧なまでのツッコミをしてやろうと決心を固めて。
何だかフリーマーケットに参加してすぐにヒットポイントを大幅に消費してしまった僕は、強い日差しと相まってかぬったりとした足取りで歩く。そんな様子に気づいたのか、母さんが言った。
「アツシ大丈夫? 少し日陰にでも入ってきたら?」
大丈夫だと答えようとも思ったが、実際ひどく疲れていたので少しだけ日陰という名のオアシスに心惹かれた。
「じゃあ……少しだけ日陰に入ってくるよ。みんなはフリマ見てて。すぐ行くから」
「一人で大丈夫?」
母さんが心配そうに尋ねてきた。僕も小学五年生。地域の皆様からは、「神社のしっかりした子」で名が通っている。この小学校の地理をまったく知らないわけではいないし、子供ながら小さな自信があった。
「大丈夫だよ。校舎の裏側に回れば涼しいよね。ちょっと行ってくる」
僕は母さんの気をつけてねという言葉を背にこれまたぬったりとした足取りで歩いた。
迷った。行数にして一行とかからず迷った。小学校だとたかをくくっていた僕なわけだが、さすが私立の新設校である。校舎裏に回っただけなのに、まるでド○アーガの塔のごとく複雑に入り組んだその道に僕は方向感覚を破壊され、今も日の当らない場所でおろおろしているのだ。こうして冷静に自分の状況を綴っているわけだけども、これは僕のどうしようもないという時にやってくる冷静さであって、何か希望があっての冷静さとかではないのだ。
もう何か自分でも何を言ってるのかわからなくなってきた。すでにそれくらい追い詰められているということなのだ。
とにかく僕は歩いてみることにした。迷子になったらその場で動かない方が良いとはよく聞くけれど、母親に大丈夫だと言ってしまった以上、プライドというものがある。さっきから何度も迷った迷ったと言っているが、実際まだ僕は迷子だと誰かに言われたわけでもない。もしかしたらただちょっとそう、ゆっくり帰っているだけかもしれない。無意識に。
この学校の校舎裏は自然に溢れていた。新しい、近未来的デザインの校舎とは違う世界のように、樹木が立ち並び、木漏れ日が大地に降り注ぐ。澄んだ空気にさわやかな風。とっても気分は良いんだけれど、この危機的状況が僕に余裕を失わせる。僕はどうなるんだろうか。
とにもかくにも、僕は「神社のしっかりした子」として、何とかフリーマーケットに復帰しようと考えた。ありきたりな戦法ながら、人に道を尋ねるというのが一番の近道だろうと思う。
僕は辺りを見渡す。葉の擦れる音が世界を覆う中、一か所だけ、空気の違うところがあった。
後ろ姿でも十分彼女は美しいんだと理解できた。
長い黒髪をなびかせながら木漏れ日を浴びるその姿に目を奪われる。凛とたたずむその少女に、僕はなぜだかゆっくりとした足取りで近づいた。
「あの、すいません……」
声をかけると、彼女は少し驚いた様子でこちらに振り返った。大きな黒目がちの瞳に吸い込まれるように、僕は彼女を見つめていた。
「えっと、ごめん。道を、聞きたくて」
声が裏返っていなかっただろうか。目の前の少女に不覚にも緊張している。多分同い年くらいなんだろうけど、自分の周りにいる女の子とは一線をかくす容姿だった。
僕には幼馴染のアユって女の子がいるんだけど、あいつにしても、その周りの友達にしても、ここまで完成された存在を見たことがない。
目の前の少女はにっこりとほほ笑んだ。
「あ、うん。どこに行きたいの?」
多分いきなり声をかけられて驚いただろう、ただそれを悟られまいと柔らかな笑顔で応対するこの少女に、何だか母と似たものを感じた。
「えっと、フリマの会場に……いや、ここは校舎裏なんだから回ればいいっていうのは分かってるんだけど、何だか通路みたいなのに沿って歩いてたらよく分かんなくなっちゃったっていうか」
僕は何故だか早口で弁明し、彼女からとっさに目をそらした。
「あぁ、ここって何だか変に入り組んでて分かりにくいよね。あのね、そっちの遊具の方に行って……」
彼女の丁寧な説明に、僕は耳を傾けた。いや、というよりは、彼女の声を聞いていたのかもしれない。何だかすごく落ち着く声だったのだ。
「あ、ありがとう。これで戻れそうだよ。あの、えっと……」
僕は少しだけ勇気を絞る。
「名前、教えてくれる?」
彼女はまたにっこりとほほ笑んだ。風が流れ、木漏れ日が揺れる。
「大野、大野ユリ」
「僕は、大平アツシっていうんだ。ここの学校なの?」
「うん、五年生」
「あ、じゃあ僕と一緒だ。僕も五年生」
しばらく立ち尽くした。ただお互い、何かを確かめ合うように、立ち尽くした。
何故だか後ろにさがろうとする足を無理やり引き止めながら、僕は言った。
「あの、ありがとう」
彼女が頷いたのを確認して、僕は逃げるようにその場を離れた。
彼女に教えられた通りに歩いていると、いつの間にか太陽の下にいた。バザーの指定通路を追っていくと、大平、瀬田一家を発見。僕は安堵のため息をつき、小走りで家族のもとへ駆け寄った。
「アツシ遅かったなぁ。パパとっても心配してたんだぞ〜」
という親父の両手はフリーマーケットの買い物袋でいっぱいだった。
「うん、親父ばっちり楽しんでるよな。心配してたんじゃないのかよ」
「その心配をはねのけるくらい、良いものがいっぱい売ってたんだよ〜」
「はねのけられちゃ駄目じゃん! それはつまり心配してないじゃん!」
迷子から生還し、すぐさまボケに対応する。何だか自分のプロ根性を感じてしまう。別にプロを語ってるわけじゃないけど。
「あれ、アツシ何か顔赤くないか? 熱でもあるんじゃないのか?」
「えっ……」
とっさに頭に浮かんだ黒髪の少女を、むりやりどこかにしまいこむ。
「別に何でもないよ」
そこからフリーマーケットを楽しんだわけなんだけど、今思い出せば、校舎裏の出来事しか印象に残っていない。
その夜。本日の戦利品を居間に広げ、一つ一つにコメントをつけていく親父と母さん。何だかすごく幸せそうだ。
「ほらママ、見てこれ。神社のおみくじをいれるタッパー的なアレだよ」
「ちょ、結局タッパー的なアレ買ったの!? ていうかおみくじをタッパー的なアレに入れるのってどうなの!?」
「あと、ほら。これはお刺身を入れるタッパー的なアレで」
「パパ、もうジャスコにタッパーを買いに行きましょ。タッパー的なアレじゃなくて、リアルタッパーを買いましょ」
見てて恥ずかしいなまったく。
僕は自分の部屋で布団の上に横になっていた。天井を見つめながら、一つの決心をしていたのだ。実に単純で、馬鹿らしく、それでいて大きな決心だ。目をつむったり開いたり、口を閉じたり開いたり、つねに顔の表情を変化させながら。決心していた。
「アツシ、ちょっといい?」
母さんの声だった。障子越しに聞こえたそれに、僕は簡単にうんと、返事をする。そして、ゆっくりと障子が開いた。
「どうかした?」
「うん、何だか今日のアツシは変だったなって。何かあった?」
母さんはやっぱり僕の母さんなのだと思った。
「いやぁ、なんていうか。その……。中学校なんだけどさ」
「あぁ、私立受験? したら良いんじゃない?」
あぁ、したら良いそうだ。
「……え!? 何これ? 僕の決意がどうとかいうくだりが驚くほど無意味に!」
「無意味って。そんなことはないでしょ」
母さんはにっこりと笑って、畳の上に座る。
「あのね、母さんは思うの。よくドラマなんかで、親の敷いたレールがどうたらこうたらみたいなの多いじゃない」
「あぁ、そうかな」
「私はね。レールをの上を進む必要はもちろん無いと思うし、それ以上に、レールを敷く意味が分からないの。だから、行き先を示すことはするけど、そこまでの道のりなんてどうだっていいと思う」
「じゃあ母さんは、僕に示したい行き先っていうのがあるの?」
母さんはしばらく唸って、何かを見つけたように頷く。
「そうだな、とりあえず楽しく生きてほしいから。『楽しく』っていうのが母さんの示す行き先かな。最終そこに行き着いてくれたら、途中のことは好きにして」
僕は思わず噴き出して、こらえながら言う。
「何だよそれ。結構無責任だなぁ」
「子供はね、自分の生き方を考えた時、親のことを気にしちゃいけない。親に顔向けできない、とか考えなくていいの。とりあえず夢があるなら追えばいいし、それをやめるならやめたらいい。ただ、やめる理由に親を出さないでほしいな。私はあなたが親に変に振り回される人生送ってほしくないし」
分かるような分からないような。完璧な正解じゃない、でも間違ってはいない考え方だと思った。
「でも母さん、僕が中学受験したい理由はまじめなものじゃないよ。お金だってかかるのに、そういうのって」
「ほら、お金かかるってまた親のこと考えてる。いいって言ってるでしょ。それにね、動機なんてものは何でもいいの。会社の面接なんかではね、何でこの会社を選んだんですかって理由をよく聞かれるものなの。知ってるかな? で、これって動機の内容を聞きたいわけじゃないと思うの。これは、もう聞かれるって分かってることだから、半分会社からの宿題なわけ。実際にそう思ってなくても、いかにきちんと動機を話せるか、それに対しての質問に答えられるかっていうのが大事だと思うの」
「まぁ、そうなのかな」
「だから、理由がまじめじゃないなんて考えなくていい。理由なんてどうであれ、進みたいなら進めばいいと思う。別に母さんは会社の面接してるわけじゃないから、私にはきちんとした理由なんていらないよ」
母さんの笑顔を見ていると、何だかとても心が和らいだ。僕のやりたいことを何でもやらせてくれるそうだ。僕が性格が悪くて、性根が腐ってる最低の人間だったらどうするんだ、まったく。そんな理論はあんたに育てられた僕にしか通用しない。
「母さん、ありがとう」
「うん、パパにも言っとくね」
母さんは立ち上がり、ふすまを開く。そして、廊下に一歩踏み出してから言う。
「アツシ、『楽しく』生きるってこと忘れちゃ駄目よ? これだけ守れば、後は好きにしていい」
母さんが振り向き、またやさしい笑顔を見せる。僕もつられて笑顔に。
「息子が素直な良い子でよかったね。その考え方は、息子に引きこもりでもOKって言ってるようなもんだよ」
「あれ? そうかな? それは母さん困るなぁ」
「大丈夫。僕は僕なりに、自分の人生『楽しく』生活してみるから」
「本当しっかりした子で母さん嬉しい。本当小学五年生とは思えないわ」
「だから中学生のノリが捨てきれてない、なんてことはないからね」
母さんは何だか嬉しそうにふすまを閉めた。
この会話から一週間後、母さんは交通事故でこの世を去った。
――
線香の匂いが辺りを埋め尽くす。心に巡る様々な記憶をまとめながら、僕は一枚の遺影に手を合わせる。今日は母の三回忌だった。三年前の母との約束。それを忘れたことはない。
「アツシ、お前さ、自分の母ちゃんに会いたいって思った事ねえか。俺はそういうことに関しては結構役に立てるかもしれねえよ?」
僕の隣で神様がそうおっしゃっている。僕は小さく首を横に振った。
「僕が無理言って母さんに会うのは、何だか母さんも望んでない気がするんで」
「そうか。まぁ、間違っちゃいねえかもな。なんか遺言とかはあんのか?」
「そうですねぇ。……まぁ、良いじゃないですか。今日は学校忌引きしちゃったし、勉強しないと」
「おいおい、結構ドライなこと言うじゃねーかお前。母ちゃんの三回忌だろ?」
僕はうっすら痺れる足を持ち上げ、遺影を一度ちらりと見る。
「次郎丸さん、これからもよろしくお願いします」
「あ? なんだよいきなり。分けわかんねー奴だな」
母さん、僕はそれなりに『楽しく』過ごせそうです。