第12章 二学期だ
まだまだ夏の終わりというにはほど遠く、じわりと垂れる汗をぬぐいながら僕は一ヶ月半ぶりに登校していた。夏休みにまだまだ未練は残るものの、重たい足を義務であるかのように運ぶ。実際半分は義務のようなものだ。この歳になって学校なんて行きたくない、とは言えないし。
何だか色素が薄くなったように見える町並みは、夏休み前と何も変わらない。キノコ騒動から一夜明けた世界には、その余韻を一切残さないいさぎの良さがある。まぁ、逆に何の余韻もないって言うのはどうなんだろうか。多少騒ぐところだと僕は思う。
「うわぁ、もうめっさ学校めんどくせーよ。誤魔化し、誤魔化しで夏休み一回も通勤してねーのに」
で、僕の隣で未練たらたらな男は小神、神田林次郎丸。今日もいつものようにプーマジャージを身にまとい、気だるそうな態度で文句を垂らしている。
「日本人は働き過ぎだとか言われてますけど、次郎丸さんはもう少し働いて下さい。ひどすぎますよ、その勤務態度は」
「いや、俺はあれだから。O型だから」
「いや全国のO型の方々に失礼ですよ。何その出来悪い血液型占い」
次郎丸は手をうちわ代わりにして、パタパタと仰ぎながら言う。
「違ーよ。俺が言ってるO型ってのは、あれだよ。O(大人になりたくない)型」
「次郎丸さん四百年以上生きてて、ピーターパンシンドローム!? 人間出来てないにもほどがあるよ、目を背けちゃいけないものってあるからね!」
と、二学期も僕と次郎丸の関係は変わらないようだ。僕たちは学校の校門で別れ、次郎丸は職員室へ、僕は教室へとそれぞれ向かった。
久しぶりに開く教室のドアはやけに神秘的に見えた。少し顔を伏せるようにして、黒板側のドアを引く。教室は今まで歩いてきた廊下なんかよりも、ずいぶんと熱気がこもっていた。温かい日の光がいっぱいに注ぎ込まれている。後ろの連絡版に貼られた一学期の頃の自己紹介カードなんてものを見るのもずいぶんと久しい。教室の中央で一つの机を囲んで話をする数人のうち、マモルと目が合った。
「お、アツシおはよう!」
右手を軽くあげてそう言うマモル。マモルと話をしていたのは木田とモロミン君のようだ。マモルのそれに反応してか、彼らも同じように手をあげる。
「おはよう。三人で集まって何してんの?」
僕は三人の輪の中に顔をつっこんだ。机の上にはよく分からない記号と五十音、アルファベットの書かれた紙、そして十円玉が一枚。僕は少しばかり名前を忘れていたが、すぐさま思い出す。
「これって……こっくりさん?」
僕が言うと、それに気付いたのか教室のみんなが何だ、何だと集まってきた。野次馬気分でやってきた二年四組の面々に囲まれながら、木田が司会を始める。
「よーし、せっかくだからみんなでやろう。呪われたって当局は一切の責任を負いません」
まずマモルとモロミン君が十円玉の上にそれぞれの人差し指を置いた。二人は声をそろえて言う。
「こっくりさん、こっくりさん。この教室の担任は誰ですか?」
十円玉がゆっくりと動き出す。
迷いなく‘も’に向かうそれを見て、僕は何だか冷めきった感情だった。こういうのは霊的なものでも何でもない、そんなことを皆薄々理解しているにも関わらず騒ぐ感じが、僕にはいまいち理解できなかったからだ。担任の名前は最中先生。この教室の人間なら誰でも分かるわけだし、マモルたちを疑うわけではないけれど、どうも信用に欠ける。
そのまま十円玉は動き続け、順に読み上げられる。‘ろ’‘だ’‘し’。
「えぇ!? 何だよモロ出しって! 最中先生でしょ、これぇ!」
木田が言う。
「何かさ、さっきからこのこっくりさん微妙に間違ってんだよね」
「いや、微妙とか言うレベルじゃないだろ、これ! こっくりさんは何なの!? ウチの担任を単なる露出狂だと思ってんの!?」
その様子を見ていた女子の一人が、私もやってみたいと手を挙げた。恥ずかしそうにする友達の手を引いて、輪の中心に。マモルとモロミン君が席を譲り、二人は定位置へ着く。先ほど手を挙げた方の女子が言う。
「こっくりさん、こっくりさん。この女の子が好きな男の子の今欲しいものは何ですか?」
どうやらもう一方の女の子には好きな男子がいるようだ。その子に一体どんなプレゼントを贈ろうか、そんなことをこっくりさんに尋ねたいらしい。十円玉が存外あっさりとそれを示す。‘び’‘じょ’‘の’‘ぱ’‘ん’‘てぃ’。
「ウーロンじゃねーかぁあああ! 好きな男の子じゃなくて、ウーロンの欲しいもんだろうが、これ! ていうか結構早い段階でウーロン手に入れたよ! もういいんだよ!」
女の子が涙を浮かべて立ち上がる。
「……! モロミン君がそんな男の子だったなんてぇええ!」
そして好きな男の子ってモロミン君かよ! そのまま彼女は教室のドアを勢いよく開け、どこかへ走り去ってしまう。
「ちょ、モロミン君! どうすんのあの子!」
椅子に座っていたモロミン君は少し微笑みながらゆっくり腰をあげた。
「ふ、まっタク。世話のヤケル子猫チャんだ」
そう言って彼女を追うモロミン君。みんなぽかんとしていたが、しばらくして心の整理が済んだらしい。
「つ、次が誰がやる?」
木田が希望者を募っていると、モロミン君が開けていったドアから一人の男が面倒くさそうにやってきて、僕たちに言った。
「おーい、お前らもうすぐ始業式始まるぞ……って、何やってんだお前ら」
次郎丸だ。両手をズボンに直接つっこんで、何ともない表情をしている。
「いや、こっくりさんやってたんですけど」
僕は代表してそう答えた。それを聞いた次郎丸はとんでもなく良い笑顔を見せた後、楽しげにこちらに近づいてきた。
「そういうことを俺無しでやってんじゃねぇ。混ぜろ」
「ちょっと、始業式はどうすんですか。もう始まるんでしょ」
僕は一応真面目に指摘する。何となく無駄なのは分かっているが。
「いいんだよ、そんなもん。人間なぁ、スタートってのは人それぞれなの。始業式なんてやんなくてもみんな走り出すときゃ走り出すもんさ」
と、よく分からない言い分で我を通し、彼はこっくりさんに参加するため席に着いた。そして、誰とこっくりさんをしようか品定めをしている時である。激しいガラスの割れる音と共に一人の少女が教室へと飛び込んできた。彼女はくるりと前回り受身をとると、その力強い瞳をこちらに向ける。
「どうぞ私とこっくりプレイを!」
セーラー服姿の中万華がそこに居た。そんな彼女を見て、女子生徒が挙手。
「先生、不法侵入者です」
中万華が次郎丸に近づいてゆく。
「ちょっと待って。今不法侵入って言ったでしょ? でもね、あなたも私と次郎丸さんの間に割り込んだ、愛の不法侵入者なのよ!」
「いやいや、だとしても法的に裁かれるのはあんただよ! 何してんのマンカさん!? 窓とか滅茶苦茶じゃないですか!」
中万華は僕の言葉をふふん、という自慢げな笑顔ではね返し、特に動じる様子もない次郎丸の隣に座る。
「私は運命に従っているだけ。私と次郎丸さんはつねに赤い糸で結ばれているのよ」
と、中万華は額から流れる血を指差す。
「それただの流血でしょうが! さっき窓からつっこんで切れたんでしょ!」
「もういいでしょ別に、そういうのは。さ、次郎丸さんっ。こっくりプレイを」
次郎丸の手をとり、十円硬貨の上に指を乗せる中万華。
「お前、これ終わったら帰れよ。窓のことは何とかしとくから」
念を押す次郎丸に体を擦りつけながら中万華は頷いた。彼女はこっくりさん、こっくりさんと唱える。
「私の一番大事な人は誰でっすか!」
中万華の元気な問いかけに対してぴくりとも動かない十円。しばらく沈黙が続く。
「あ、あれ? さっきまではまがいなりにも動いてたんですけど……」
僕は中万華の顔を覗きこんだ。顔を真っ赤にし、うつろな目をする彼女。
「……ちょ、まさかこっくりさんに焦らしプレイをされるなんて」
もうここまで来るとつっこむ気も失せるものである。こっくりさんなんて居るわけはない、と信じたいのだが、あくまでこれは希望。家に神様と精霊が住み着いている僕としては、これ以上自分の積み上げた常識を覆されたくないという小さな意地のようなものが存在するのだ。
「マンカさん、別に焦らしとかそういうんじゃないですって。多分、こっくりさんなんてただの都市伝説なんですよ。今までのを信じる方が不自然に感じるし」
そう、別に最中先生は露出狂ではないはずだし、モロミン君だって確実にウーロンではない。これはこっくりさんというよりは、誰かのいたずら、もしくはこっくりさんをやった当人達のおふざけがたまたま続いた、と考えた方が自然だ。
「お前、夢のないこと言ってんじゃねーよ。中学二年生だろ? こういうの大好きなはずだろ?」
次郎丸が僕のつまらない反応に片目を細めながら言った。全国の中学二年生を何だと思っているんだこいつは。
「もういいじゃないですか、始業式も始まるし。こっくりさんが本当かそうじゃないか考えるのもいいと思いますけど」
「は? 本当かそうじゃないかって……居るじゃねーか」
次郎丸は僕の背後を指差していた。彼の言葉にほんの少しの恐怖を感じた僕は、自分の呼吸と心拍が荒くなるのを理解しながらゆっくりと振り向く。
笑顔でその小さな手を振る白い着物の少女が、若干宙に浮いていた。
「塩だ、塩をかけろぉおお!」
木田が叫ぶ。その瞬間イエッサーと言わんばかりに皆は懐から台所なんかにある食塩を取り出した。着物の小女を取り囲み、鬼の形相でそれを振りかける。
「ちょ、痛っ、しみる! やめて! 何でこんな用意周到なの、ここは陰陽師養成学校!?」
顔をしわくちゃにして言う小女をかばったのは、意外や意外。プーマジャージの男であった。
「こら、落ち着けお前ら。こういう不思議な存在には優しくすんのがフィクションってもんだろ」
『コカミはフィクションです。実際の人物・団体等は一切関係ありません』なのである。皆は妙に納得した様子で、食塩をしまう。次郎丸は引き続き、着物の小女に言った。
「で、お前はやっぱあれか。こっくりさんなのか? それともただ宙に浮くエキストラさんか?」
塩を振りかけられすぎて瀕死の状態にある少女は耳から血をたれ流し、目の焦点をぶるぶる震わせている。
「え、何? 鼓膜破れて聞こえない……」
僕たち二年四組一同は、始業式があることも忘れたフリをし、瀕死のこっくりさんを保護することにした。とはいっても、実体のないこっくりさんを僕たちは特にどうすることも出来ず、彼女を中心に取り巻きを作って見守ることが精一杯であった。
「あの、あなたは本物のこっくりさんなんですか?」
木田が恐る恐るそう尋ねる。こっくりさんは驚異的回復力を持つようで、もう充分話が出来るほどになっていた。
「まぁ、似たようなもんね。幽霊だし」
皆は驚きを隠せない様子で、お互い顔を見合わせる。普段から神様に保健体育を教えてもらっていたと知ったらどんな顔をするのだろうか。興味は湧く。
「ていうかあんたらねぇ」
こっくりさんが誰かの机に座り、先の方が透けている足を組んだ。眉間にしわを寄せ、睨みをきかせる。
「こっくりさんにものを尋ねようっていうのに、捧げものが何もないってどういうことなの。あんたらあたしが微妙に間違ってるとか言うけどもね、こっちだってお人好しじゃないんだから。何の対価もなしに、ロクな答えが得られるなんて甘っちょろいこと考えてんじゃないわよ」
何だかごもっともである。神社に参拝する人だってお賽銭を払うわけだから、こっくりさんに無償で占ってもらおうなんて甘い話だ。僕は一歩前に出て、軽く頭を下げた。
「あ、何かすいませんでした。そうですよね、今度から気をつけます」
「本当よ。今度は何かほら。お米とか、お醤油とか。あ、カップ麺でもいいや」
「何か一人暮らしの女性的意見ですね」
「何よそれ、あたしは幽霊よ? そんなものよりもっと高尚な存在なの。まぁ今度からはそういうのを仕送り……捧げなさい」
もう仕送りって言っちゃってるこのこっくりさんは、見た目は同い年くらいなのにずいぶんと強い女性に見えた。癒し系なんかとは真逆。言葉の節々に何か自信みたいなものを感じ、見た目も綺麗だし、女性に好かれる女性といった感じである。そんなことを考えていると、耳元にある悪友の声が。
「な、なぁアツシ。あのこっくりさん良くね? 何かもう、大人の雰囲気っていうか」
木田である。こいつは以前図書委員の吉川さんが好きだと言っていたと記憶しているのだが。
「お前、吉川さんはどうするんだよ」
「アツシ、恋は突然訪れるもんだって先生が授業で言ってただろ」
そういえば次郎丸がいつかの授業で言っていたような気がする。いつもこんな意味不明なことしか教えないのだ。そして、そんな意味不明なことを素直に受け止める木田もまた良く分からない男だ。
「いや、まぁ別にいいけど」
僕はユリちゃん一筋だ。こっくり姉さんは足を組んだままさらに続ける。
「あ、そうだ。せっかくだから今練習してみましょ。こう、捧げものとかのセンス見るから」
自分で良いことを思いついたとうなづくこっくり姉さん。木田はそれを聞いて、すごい勢いで飛び跳ねた。
「はい! じゃあ俺やります!」
「うん、じゃあ何を捧げてくれるの?」
木田は自分のカバンをごそごそと漁り始め、しばらくしてから実に良い笑顔でイワシの切り身を差し出した。
「どうですか、新鮮ですよ!」
「ちょ、臭っ。なんでカバンにイワシの切り身入ってんのよ、あんた。イワシ単体ならオッケーだけど、その普段からカバンに入ってるって感じがキモイからアウトよ、それ。失格!」
木田はイワシをギュッと抱きしめニタリと笑みを浮かべる。
「もっと言って下さい……」
「え、何こいつ!? そういう感じの人なの!? 嫌だ、マジでキモイ! ちょ、もうあんた近づかないでね!」
その罵倒に更に快楽の扉を開く木田を僕は後ろから捕まえ、こっくり姉さんの前から退けた。
「おい、木田! お前の恋愛の仕方はどこか歪んでるぞ! 何で初対面でいきなりM奴隷と化してんだよ!」
「いや、昔おばあちゃんが、好きな人には素の自分をさらけ出しなさいって」
「とんだおばあちゃん子だな、お前! おばあちゃん泣いてるよ!」
ほんの少し青ざめた表情のこっくり姉さんは、一度深呼吸で気を落ち着ける。
「ほ、他にはないの?」
すると、二本の腕が並んで伸びた。見ると、具府君と歯岸君のガンダムコンビである。
「で、あなた達は何を捧げてくれるの?」
「あの〜、正直これを渡すって言うのはちょっと抵抗あるんですけどね〜。いやでもやっぱりせっかくこっくりさんに捧げるものなわけだし〜」
歯岸君はそう言って体をくねくねさせている。とんでもなく気持ち悪い。
「うん。で、何くれるの?」
具府君は一冊の本を彼女に手渡し、言う。
「これは、僕たちが描いたガンダムの同人誌なんだけども」
「うわ、至極いらねー。ていうか良くこんな所で披露できたわね、あんた達。ちょっとどころの抵抗じゃないでしょ、もっと抵抗しなさいよ」
歯岸君も続く。
「でもね、これ女性向けに描いたからきっとこっくりさんにも楽しめると思う」
「女性向けって、本当良く披露出来たなあんた達。その度胸をもっと別で活かしなさいよ。レスラーになりなさいよ」
こっくり姉さんがそう言った瞬間、不意に教室のドアが開く。
「今度は私ガ挑戦シマーす」
そこには、先ほど女子を追いかけていったモロミン君。その女子の首につないだ鎖を右手に悠々とした態度で立っている。
「いや、この短時間でどんな調教してんだよ!」
しばらくツッコミをこっくり姉さんに任せっきりだった僕も思わず声を出してしまった。モロミン君は絶えず爽やかな笑顔を振りまいている。
「アツシ君、私は彼女ノ幸せにイチ早ク気付イタだけでース。私は何もシテいません」
と言う彼の左手には鞭が握られている。
「明らかに何かしてんだろうがぁあああ! 何だよそれ! そんなもん持っといて何でそんな堂々と何もしてないって言えるんだよ!」
「こ、コレは……父ノ形見でース」
「嘘をつけぇえええ! 今回はいくらなんでもそのノリ無理があるから!」
と、僕が力いっぱい叫んでいるときであった。全速力で走ってきたのであろう、汗だくで荒息をたてる黒光りマッチョの男が教室のドアから飛び込んできた。
「おおお、お前らぁあああ! 何をやってんの、始業式! 二年四組の列だけポカンと空いてるんですけど! 校長涙目なんですけど!」
むっつり体育教師、ロドリゲスである。どうやらいつになっても始業式に現れない僕たちを呼びに来たようだ。木田が彼に向って叫ぶ。
「すんまっそーん、すぐ行きます!」
その言葉で火ぶたを切られたように、一斉に勢いよく移動を始める二年四組。ロドリゲスが口をとんがらせて言う。
「ちょ、お前らもうちょっと怒らせて! 何でここだけそんなに素直なの!」
「すんまっそーん!」
「さっきから何なの、そのすんまっそーん! すごい腹立つんですけど!」
「らぶっそーん!」
「誰だ、今流暢な発音でラブソングって言ったの!? もう謝ってすらないじゃん!」
何とも振り回される運命にあるようだ、あの体育教師は。神様も残酷な運命を背負わせるもんだ、アーメン。僕もすんまっそーん部隊に参加し、教室を出ようとする。が、後ろから何者かに引かれた右手にそれを阻止されてしまった。僕は瞬間的に沸騰する細胞に胸をしめられ、ゆっくりと掴まれた腕の先を確認する。
「な、何するんですか次郎丸さん。本当にびっくりしたじゃないですか」
僕の足を止めたのはジャージ小神だった。一瞬の驚きに何となく恥ずかしさを感じながら、僕はやけに優しい目つきの次郎丸の左隣に立った。右側には中万華が立つ。次郎丸が言う。
「なぁおい、こっくり姉さん。この後どうすんだ、お前成仏したくても出来ねーんだろ?」
「そうね、何がいけなかったのかはよく分からないけど。あたしは成仏ってことが出来ないみたい」
うつむいた彼女の口元はわずかに微笑みながらも、目は笑っていなかった。
「あたしはね、やっぱりこの世界にあっちゃいけない身なのよ。人間にも交われない、かといって成仏することも出来ない。どちらにも属せないの。自分が何なのか、自分で理解することも出来ない。自分が進む道さえ見つけることが出来ない。知らない場所を意味なく飛び回るだけで、止まり木を見つけることも出来ない。あたしはただふわふわ浮いているだけなの。あたしはただそこにあるだけなの」
そういう彼女の瞳はやけに曇っていて、そこから密かに小さな雨粒を落としているように見えた。人の熱気がなくなった教室のカーテンが、割れた窓のすきま風でふわりと揺れる。日は厚い積乱雲に飲み込まれ、教室にはもうほとんど日は差していなかった。しばらく静かな時が流れて、不意に次郎丸が話し始めた。
「なぁ、こっくり姉さん。俺が何だか分かるか?」
「何だか……? 何って、普通の先生じゃないの」
「そう、俺は先生だ。ただ、普通って部分がちょいと間違ってる。俺はな、てめーが成仏する予定だった極楽浄土の管理人、神様だ」
「え? 何を言ってるの」
雲の隙間から差した柔らかな光が、次郎丸の顔を照らす。
「てめぇはどこにも属せねぇって言った。んじゃ聞くが、それは誰に決められたんだ? そんなもん、最初っから自分を小さく見て、立ち止まってるだけじゃねえか。居場所なんてのはそこに用意されてるもんじゃねぇ。自分で作るもんだ。そりゃあとんでもなく難しいことかもしれねーけど、仕方ねーんだ。現に俺は人間じゃねーけど、ここにこうしている。毎日楽しくやってる。自分で無理だって思ってる奴に、誰も居場所なんざ提供してくれねーぞ」
こっくり姉さんは目をまん丸にして、しばらく動かなかった。太陽を覆っていた積乱雲が流れて、また強い日差しが教室に差し込んだ時、彼女はつぶやいた。
「あたし……居場所が欲しい。またここに……来てもいい?」
次郎丸はその場でくるりと背を向け、歩き出す。
「週五で来い。とりあえず今から始業式だ」
――この後すぐ、二年四組にはある都市伝説が生まれる。四十人の生徒しかいないはずのこのクラスに、自己紹介カードが四十一枚存在しているということが、色んなクラスで噂され始めるのだ。確かに、二年四組には生徒は四十人しか存在しない。ただ最近、一人仲間が増えたのだ。僕に次いでツッコミ上手な女の子が。
今日も二年四組は、楽しい時間を過ごしてる。