コカミ 序章
セリフだらけのつたない文ですが、笑っていただければ幸いです。
「何これ? 体、ドロドロして気持ち悪い……」
あなたは神や悪魔なんかを信じるか?
僕はそういうのをまったく信じない。そんなのを認めてしまったら、運命が存在するということを認めてしまうことになるからだ。全てが運命に動かされているのなら、僕らの努力は全て無駄になってしまう。
僕の名前は大平敦。某有名私立中学校に通っている。普通の授業を受け、母はいないがそれなりに普通の生活を送っている。ビジュアルもいたって普通である。
ウチの親父は神社の神主をしていて、僕の学費を払うために毎日臭い汗がでるほど頑張っている。メタボリック気味な体に、少し薄くなった頭。ただ声は高い。神様は信じないが、親父は嫌いじゃない。
今日は僕が中学生になってから1年。明日からは2年生になる。春休み最後の日。
その日は嫌な夢を見た。20代後半の知らないおっさんに変な液でドロドロにされる夢。
全身ドロドロになったところで目覚ましに救われた。8時、明日から学校もある。あまり遅くに起きるのもどうかと思う。開かない目を水で無理やりこじ開けた。目の前の鏡には、真っ直ぐに降りたしゃれっ気のない髪形の僕が映っていた。髪の毛が真っ直ぐすぎるのが僕の悩みの一つだ。親父が朝食を作ってくれているようだ。所々に煙草の焼け跡がある畳に腰をおろす。今日の朝食は納豆と味噌汁だ。
納豆をかき混ぜながらふと考えた。今日もいつもと同じ普通の一日だ。親父と僕と20代後半の知らないおっさんと3人でちゃぶ台を囲む、いつもと同じ……。
「だ、誰だあんた!」
推定175センチの体、少し茶色がかり、所々はねている黒髪。プーマのジャージを装着中。まさに謎のおっさんである。そのおっさんは納豆をかき混ぜながら答えた。
「え、何? お父さんから聞いてないの?」
親父は男と目を合わせて軽くうなずくと話し始めた。
「すまんすまん。昨日のうちに話そうと思ってたんだけどな。この人は今日からうちに居候することになった神田林次郎丸さんだ」
「なんでそんな大事なこと言わなかったんだよ! それにあなたも居候する身でしょ! なんで僕に挨拶もなしにナチュラルに納豆かき混ぜてるんですか!」
神田林という人物はまだ納豆をかきまぜ続けている。
「次郎丸でいいよ。これから兄弟みたいなもんなんだから」
「こら、お前神田林さんに失礼だろ!! 謝りなさい!」
「ちょ、どっちかって言ったら常識無いのそっちじゃん! なんでこっちの方が悪者みたいになってんのさ」
次郎丸(と呼ぶことにしよう)は少し微笑んで言った。改めて見ると、そこまでおっさん、という感じではなかった。プーマのジャージがそう思わせたのだろうか。決して汚らしくない。特に美形というわけではないけれど、何だか芸能人のようなオーラを感じる。
「いいですよ、お父さん。こういう激しいツッコミは一家に一人必要ですって」
親父は息を切らしていた。気を落ち着けているようだ。
「いやあ、すいませんね、神田林さん。でもね、実は私も朝からこんなに激しいツッコミができる息子は自慢なんですよ」
まったく嬉しくないお世辞ありがとう。なんとなく自体は呑み込めてきたがどうしても一つふに落ちない点がある。
「親父、この人って一体誰なの?」
親父は2、3秒考え込んだ。
「大きく言えば……神?」
僕の生活から普通が消え去った瞬間だった。
「ちょ、親父何言ってるんだよ、神?」
親父は少し自慢げな顔をした。
「よし、簡単に説明するからよく聞け。お前はいつも神なんていないと言ってるだろ? でもな、実際は結構アブノーマルに神って存在するんだよ。うちの神社は恵比寿様を祭ってるのは知っているな?」
一度『お父さんの仕事』という題で作文を書いたときに聞いた覚えがある。
「あぁ、確かそうだったっけ」
「この人は、次に恵比寿様を襲名する候補の一人なんだ。神様の一つ下の位。小神なんだ。聞いたこと無いだろうけどな」
僕は次郎丸を数秒間見つめた。親父、と呼びかけて続けた。
「洗脳されてない?」
「お前はお父さんが洗脳なんてされると思っているのか? お父さんは意思強いぞ。心のガード堅いぞ」
次郎丸は納豆を一口食べると唇に糸が引いたままで話し始めた。
「神になるには人間界で生活をしなけりゃならない。一人の人間と契約を交わして、そいつと24時間行動を共にしながらな。だから俺はついでにこの家に居候させてもらうことにした」
神の存在は信じたくないが、親父が嘘をついているとも思えない。本当にこいつは神・・いや、小神なのであろうか。
「まだいまいち信じられないんだけど……。神なら何か人間にできないことをやってみてよ」
次郎丸はまかせろ、と言うと立ち上がった。
「お父さん、ちょっとこっち来てください」
親父は不思議そうな顔をして次郎丸に近寄った。
「いくぞ。今からお前の父親をロリコンにする」
「え? おい、何いってんだアンタ!!」
次郎丸は僕が今まで聞いたことのない様な何かをしゃべりだした。
「おい、待て! もし僕が知らないだけで元からロリコンだったらどうするんだ! 証明にならないって!」
親父は今までに見たこともないような笑顔を見せた。
「安心しろ、私は母さん一筋だ」
「なんでそんなに余裕なんだよ! 今からロリコンにされるんだぞ! わかってんのか!」
親父の体がセロファンをかぶせた電球をつけたときのような淡い光を放った。
……親父はどうなったのであろうか?
「アツシ……」
親父は流れる小川のような声で言った。
「今度うちの巫女のバイトに小学生を集めようと思ってるんだが……」
「親父ぃいいいい!!!」
親父は確かにロリコンになってしまったようだ。僕は次郎丸に言った。
「わかった、信用する。親父を元にもどしてくれ」
「いや、小学生の巫女ってちょっと気になるからしばらくこのままにしないか?」
「いやあんたもロリコンかよ!」
次郎丸を説得すること20分。彼はようやく親父を元にもどした。
「ふぅ。父さんあやうく母さんを裏切るとこだったよ」
母さんが死んでから3年。なおも彼女を愛し続ける父親というのは美しいものだ。
さて、次郎丸は本当に小神のようだがなぜうちに居候することにしたのだろうか?彼は契約した人間と24時間行動を共にしなければならないようだが。
僕は次郎丸を見つめて言った。
「そういえば、一体誰と契約するんですか?」
「え? もうしてるけど」
予想外の答えだ。もう契約を済ましているのなら、それはこの家の人間ということになる。
……妙な記憶が蘇る。
「次郎丸さん、契約ってどうやるんですか?」
「結構大変でな、神が自分の力で作り出したローションでその相手をドロドロにするんだ」
僕の今日見た夢は……。次郎丸は笑顔で言った。
「これからよろしくな、アツシ」
契約されていたのは僕だったのか!
「ちょ、なんてことしてるんですか! 何であんたは初対面で話をしたこともない中学生をローションでドロドロにしてるんですか!」
次郎丸は大丈夫だと言った。
「24時間行動をともにするといってもお前も中学生だし色々とほら、あるだろ? 寝るときは違う部屋で寝るからさ」
「違う! そんな所を心配してるんじゃない! 24時間行動を共にするってところです! 明日から学校始まるんですよ!どうするんですか!」
次郎丸はまた大丈夫だと言った。
「その辺はほら、俺小神だからなんとなるって」
どこからそんな自信がわいてくるのかはわからないが親父をロリコンにした男だ。学校もあの謎の言語でどうにかするのかもしれない。とにかく今日一日をどうにかしよう。これからこの男と一緒に生活しなければいけないようだし。
次郎丸は朝食を食べ終わるとまっすぐトイレに向かった。
「親父、なんであの人は親父と契約しなかったんだ?」
「いや、何言ってるんだお前。お父さんが24時間も神田林さんと一緒にいてみろ。お父さんは未亡人なわけだし、ついに男に手を出したと思われるじゃないか。だから断ったんだ」
なぜ親父には拒否権があって僕にはないのかは謎だが、契約されてしまってからウダウダ言っても仕方がない。僕は残った味噌汁を飲み干すと自分の部屋に向かった。
僕の部屋は2階にある。うちの階段はかなり急で今までに僕は3回落ちたことがある。今ではバルトーク、弦楽四重奏のテンポぐらいで上ることができる。(今日テレビでやっていたのをちょっと使ってみたかっただけだ)
僕は携帯を取り出し、電話帳から一人の男を素早く探しだした。瀬田守は僕の一番の友達だ。
僕はメールが嫌いでつねに用は電話で済ませる。着信音が8回鳴った。
「もしもし、アツシ? 何だよ、こんな朝早くに」
彼は今まで寝ていたようだ。声がかすれている。
「マモル、今日遊ぼうって言ってたのキャンセルさせてくれる?」
「どうしたんだよ、お前がドタキャンなんて珍しいな」
「ちょっと家に大事なお客さんが来てるんだ」
小神に契約させられて今後のことを考えたいからなんて口が裂けても言えない。
「まあいいけど。じゃあ今日はほかの子と遊ぶよ」
「ごめんな、マモル」
電源ボタンを押し、電話を切った。さて、これからどうしたらいいのか。とりあえずだらしない格好のままなので着替えることにした。パジャマ代わりにしているスウェットを脱ぎ、ジーパンにTシャツ、まだ肌寒いのでそこに白いパーカを重ねた。するとノックもなしにドアが開いた。
「アツシ、俺下着忘れたんだけど貸してくれない?」
「ちょっと、ノックぐらいして下さいよ」
次郎丸は首をかしげた。
「なんだよ、男同士なんだから見られて困ることもねぇだろ。ていうか下着貸してくんない?」
「……いやです」
「なんだ、お前も大人ぶってる割にはまだまだ思春期真っ最中だな」
今日会ったばかりの男にそんなこと言われたくもない。
「次郎丸さん、これからどうするんですか?」
「え?何が」
僕は手まねきのジェスチャーをして次郎丸を床に座らせた。
「明日の学校もそうだし、ウチで生活することもです」
次郎丸は首を縦に三回ふった。
「いやいや、それもそうなんだけど、パンツ貸してくんない?」
「あんた今パンツしか頭にないのか」
「いやいや大丈夫。昼飯のことも考えてる」
「何が大丈夫なんだよ! ていうか今さっき朝食食べたばっかじゃん! 気早いよ!」
まったくこの人は。今は何を言っても無駄なようだ。僕はタンスから少し大きめのパンツを取り出した。
「この前サイズ間違えて買ったやつありますから、それはいて下さい。もう話はいいです」
次郎丸はパンツを受け取ると、口元をわずかににゆるめた。
「おぉ、悪いな。まぁ今日は心配するな。お前が外に出ない限りは俺は外に出ないし。」
なるほど、それなら安心だ。今日は親戚が来たとでも思って気楽に過ごそう。本当に大変なのは明日の始業式からなのだから。
その日は天気用図記号では○と表わされるような快晴であった。今年度から新二年生になるわけだがどうも僕には先輩意識が持ちきれないらしい。普段学校に行くときよりも10分遅く起きた。すぐに学ランに着替え食パンを牛乳で流し込む。軽いカバンを持ち靴紐を結んだ。
「じゃあ昼には帰ってくるから」
親父は神社のはき掃除をしていた。
「忘れ物無いか?」
「大丈夫だよ」
僕はなぜかダークグレーの背広を着ている次郎丸と家を出る。56段ある石階段を降りながら僕と契約した小神は言った。
「まあ今日は学校初日なわけだし、キチンと正装しないとな」
確かにあまり汚い格好で校門を一緒にくぐってほしくない。
「でもホントに今日はどうするんですか? 正装してくれるのはありがたいですけど」
「まあ楽しみにしとけ、驚かないように気をつけろよ」
何か驚くようなことをしようというのかこの男は。昨日から思っていたがこいつはまったく腹が読めない。今何を考えているのだろうか。
校門前には生徒たちがパラパラと集まり始めている。入学式は明日なのでいつもより生徒が少ない。
「じゃあ俺ちょっと別行動とるから」
「え? 僕と24時間一緒にいるんじゃないんですか?」
「半径200メートル以内なら平気なんだよ。多分な」
「いやいや、憶測じゃないですか。それでなんかあったらどうするんですか」
次郎丸は僕の言葉を無視してどこかへ行ってしまった。一体何をしようというのだ。
次郎丸と別れるとマモルが僕の方へと走ってきた。
「おはよう、アツシ。さっきの人誰?」
「え? いや、別になんでもないよ」
我知らずを通してしまった。勢いあまって彼が小神であると言ってしまいそうだったからだ。
「あ〜そう?ならいいんだけど。ていうか今年も同じクラスなの知ってる?」
「何言ってんだよ、この学校3年間クラス変わらないんだぞ?」
「え、マジで! 全然知らなかったよ」
相変わらずの天然だ。この男が将来プロ野球選手になるとはこのときは思いもしなかった。それはもっと未来の話。
体育館には生徒が並んでいた。これから始業式だ。僕ら2年4組は右から4列目。
その列の後ろから数えて7番目に僕がいる。マイクテストが体育館中に響き渡る。
「あ〜、ただいまマイクテスト中。テスト中。お前ら、静かにしろ〜」
少し眠そうな先生の言葉。壇上にマイクを持った校長が上がった。誰も真剣に聞かないことは分かっているのに長く話す校長も大変だ。いや、真剣に聞いていないことすらわかっていないのか?どちらにせよ生徒たちは疲れる。
「え〜これから、新任の先生の紹介をしたいと思います」
今年は5人の新教師がやってくるそうだ。となりの女子の会話から抜粋。
「え〜、一人目は……」
その時体育館のスピーカから謎の声が響きだした。その謎の声に周りの生徒はもちろん先生たちも何が起こっているのかわからないようだった。ただひとり僕を残して。
「これ…次郎丸の変な呪文……」
謎の言葉が聞こえなくなると、館内の空気に不思議な一体感が生まれた。奴は何をしたのだろう。
「え〜一人目は、神田林次郎丸先生です」
な、何!? 次郎丸だと! まさか、さっきの言葉はこのために……!!
「え〜さきほどご紹介いただきました、神田林 次郎丸です。これから2年生の保健体育を教えていくことになります。よろしくお願いします」
そしてなぜよりによって保健体育なんだ!! 趣味か! 趣味なのか!?
次郎丸の衝撃的すぎる登場に僕は残りの先生の紹介をまったく聞いていなかった。
彼は確かに僕を驚かせた。有言実行。
これからどうするのかと思ったら教師になるとは。やはりあいつの腹は読めない。というか、読めてたまるか。
始業式が終わるとすぐ教室へ戻った。教室はワックスがかけられていて不自然に光り輝いている。僕の席は廊下側の前から三番目だった。僕の席から二列飛ばしたその先にいるのは大野由利である。白い肌と長い黒髪の対比が妙に美しく見えた。後ろの席からマモルが蚊にでも話しかけるような小さな声で言った。
「アツシ残念だったな。ユリちゃんと隣になれなくて」
「うるさい」
その時、教室の引き戸が音を立て開いた。担任の最中先生だ。
「はい、みんな久しぶりだな〜。今年度からはな、前の副担任の大前田山先生が異動になったから、みんな始業式で見たと思うが神田林先生がこのクラスの副担任になる」
そうなのだ。あのあとまた謎の言葉を次郎丸が放ち、なぜかうちのクラスの副担任となったのだ。
「じゃ、神田林先生、お願いします」
次郎丸は教室へはいってくるとチョークを手に取り黒板にお世辞にもきれいとはいえない字で神田林☆次郎丸と書いた。
「え〜はじめまして。神田林次郎丸です。握力66キロあります。保健体育を教えていきますが、体育の方よりは保健の方をバックアップしたいと考えていますのでよろしく」
よくわからない自己紹介をしたあと、お調子者の木田が手を上げた。
「神田林先生〜。なんで名前のところに☆が描いてあるんですか〜?」
「俺は保健だけでなく、つのだ☆ひろもバックアップしてるからだ」
こいつは本当に大丈夫なんだろうか。早くも「あいつ馬鹿じゃね?」という空気が流れている。
「家はそこの大平君のとこに居候させてもらってます。なんか先生に用がある人は大平君とこに来い」
クラスの人間から一瞬すごい量の視線が飛んできた。勘弁してくれ。マモルが言った。
「あの人朝お前といた人じゃねえの?」
一緒に住んでいるとまで言われて嘘はつけない。
「ああ。そう。あの人昨日からうちに居候してるんだ」
「なんだよ、それ。なんか漫画みたいだな」
「相手はネコ型ロボットでもかわいい女の子でもないけどな」
その時、自分の話をしようと最中先生は次郎丸を軽く押しのけて教卓の前を奪った。次郎丸は一瞬不服そうな顔をし、なぜか体制を低くした。そのまま最中先生の腹部に鋭い蹴り!最中先生は格好悪い声を出し、窓側の壁に張り付いた。
「ちょ、何やってんですか次郎丸さん! 先生泡ふいてるじゃないですか!」
「いや、だって話してるのに急に押されたからムカついちゃって」
「だからって後ろ回し蹴りはないでしょう!!」
「……あ〜わかったよ!」
次郎丸はうんざりした顔で言うと、例の謎の言葉を発した。何回も聞いているがいまだにうまく聞き取れない。最中先生の腕がぴくりと動く。
「あれ? 私は何を…?」
「最中先生低血圧じゃないすか〜? 急にバタンですもん」
「あ〜そうなのか。おかしいなぁ、この前医者に高血圧だって怒られたんだけどなぁ」
いいのか、それで? 次郎丸。本当に小神というのは何でもありで、このあとも三回ほど謎の言葉が放たれた。そのたびに教室の空気はころころと変わる。なかなか厄介な男だが、僕は最強の味方を手に入れたといってもいいかもしれない。
たくさんのプリントが配られた。内容は全て親向けで僕らが読むようなものではない。これからの予算の使い方など、知ったことではない。時間は午前11時20分。もうそろそろ終業のベルが鳴るころだ。そう考えていると、ちょうど聞きなれた電子音が響いた。
「よし、じゃあみんなまた明日から頑張ろうな。委員長」
「スタンダッププリーズ。礼」
さようなら、とは到底聞こえない次郎丸の謎の言葉のようなあいさつがされた。
僕は気合を入れた。そして一人の少女に歩み寄った。
「ユ、ユリちゃん」
「あ、アツシ君、久しぶりだね」
はぁはぁはぁ、まずい、息が荒くなってきている。息臭いとか思われたら終わりだ。
「う、うん。あのさ、今日一緒に帰ら……」
その時であった。
「おい、アツシー、帰るぞ! 早くしないといいとも始まるぞ!」
次郎丸!? なぜこんな時に。
「アツシ君いいの? 呼んでるけど」
「え? いやいいんだよ、あいつは。それより」
「アツシー、聞いてんのかお前! 早くしないとばらすぞ、あれのこと!!」
あれのこと? 一体何を言ってるんだ? 何を知っているというんだ、あいつは!
「アツシの机の右下の引き出しに入ってるノートにはー!!」
「次郎丸さんー!! 帰ろうかー!!」
僕は仕方なくユリちゃんに手を振った。なぜあいつがあれの事を知ってるんだ。周りからあれってなんだろうという空気が漂っているのを感じる。まったくこいつは。
「次郎丸さん、なんで知ってるんですか? あれのこと」
「なんでって、一昨日の晩ローションでドロドロにするついでにあさってたら見つけたんだよ」
「あんたは僕をローションまみれにするだけでなくそんなこともしてたんですか!!」
なんて大人だ。僕はあまりにむなしい気分になり早足で家に帰った。途中何人かにバイバイと言われた気がしたが、あまり覚えていない。
いつもの石階段をのぼり、家の引き戸を引いた。靴を乱暴に脱ぎ捨て、リビングに行くと親父がビリーズブートキャンプ応用プログラムをしていた。
「親父昼間から何やってんだよ」
「ちょっと黙ってろ! カウント聞こえないだろ!!」
「お父さん元気だな、ビリーズブートキャンプなんてあの歳じゃあなかなか出来ねえよ」
親父は息を切らしながら言った。
「ていうかこれビリー休みすぎじゃないか? ……ほら! まただぞ! 絶対お父さんの方が頑張ってるね!」
「何言ってんだよ親父、ビリーも頑張ってんだよ」
次郎丸はいつの間にかジャージを着ている。
「ちょ、いつ着替えたんですか」
次郎丸は僕の言葉を無視して親父と一緒にブートキャンプに入隊した。
「お父さん、これ結構きついな!」
「次郎丸さん、いいともはいいんですか? 僕はそのために秘密をばらされそうなったって言うのに」
次郎丸は目を見開いた。思い出したようだ。
「お父さん!! そんなんやってる場合じゃねえよ! いいとも! いいとも始まるって!」
「えっ、だってもうすぐ終わる……あぁあ! なんで電源切るの!」
次郎丸はお昼休みにウキウキでワッチングを始めた。こいつは居候ではあるがうちは神社で神様は大事にするわけで。お互い均衡と抑制をはかっている。いや、どちらかと言えばこちらが負けているか。
次郎丸はジャージ姿のままでいいともを見ている。親父はその辺で自分の想像力をフルに生かしたバーチャルブートキャンプの真っ最中である。僕は昼食までの間少し勉強することにした。休み明けテストがあるからだ。僕はいつもの急な階段を上った。部屋の中は少しちらかっていた。僕は椅子に座り机の上のものを簡単に片づけ、社会のワークを開いた。社会は得意科目ではあるが、そのためにいつも後に回しがちである。ワークを3ページほど進むと親父が部屋をノックしてきた。
「アツシー、入って大丈夫か?」
「うん、別にいいけど」
「本当か? 気とか使わなくていいんだぞ。本当はお父さん臭いから入ってくんなとか思ってるんじゃないのか? いや、それならそれでいいんだ。お父さんも嫌がるお前に無理やりどうこうしようという気はないから」
「親父、それ加害妄想だよ。自分の想像だけで話進めるのやめてよ」
「そうだよな、やっぱりお父さんそういうところが駄目なんだよな。こんなんじゃお前の父だと胸を張って言えないな。すまんなぁ〜こんなダメ親父で」
「もういいから部屋はいるのなら入ってよ。なんか僕が悪いことしてる気分だよ」
ドアがゆっくりと開き、なぜかカメラを持っている親父は言った。
「アツシー、この辺の小学校で女子児童が多いのはどこかなぁ?」
「次郎丸さーん!! あんたまた親父をロリコンにしたのか!!!」
次郎丸の笑いを含んだ声がリビングから聞こえてきた。
「今度はとことん自分を嫌いなロリコンにしてみたんだー。どうだ?」
「どうもこうもねえよ! なんか前より犯罪者に近くなったんだけど!」
「……成功だな」
「何がどう成功なんだよ! 大失敗だよ! さっさと元に戻せよ!」
次郎丸は笑いを含んだ声から怒り声になった。
「じゃあ何だよ! お前は何コンだったら許してくれるんだよ!」
「なんで逆ギレ!? しかも選択肢にコンプレックス抱えてないのないのかよ!」
「わかったよ! 連れてこい! 元に戻すから!!」
僕は親父の手を引いた。僕は素早く階段を降りる。
「ちょ、アツシ、怖い! この階段急なんだから! お父さん慣れてないんだから!」
僕は何度か親父が足を踏み外しているのを無視してそのまま引きずった。
「次郎丸さん! なんで親父をこんな風にしちゃうんですか!」
階段を引きずられアザだらけの親父を差し出した。
「いや、お前もなんでこんな風にしてるんだよ。結構お前もめちゃくちゃだよ?」
次郎丸はいつもの謎の言葉を発した。なんとなく音が聞き取れるようになってきた。ベーコンという言葉を連続して言っている感じだ。親父はやわらかな光を放った。
「親父、大丈夫か?」
「ちょ……さっきから聞いてたら。一番の被害者はこっちだということを忘れてないか?」
僕はタンスの上にある救急箱を背伸びしてとった。中から湿布を取り出しまた救急箱をタンスの上に戻す。
「親父、湿布貼るからうつ伏せになって」
素直にうつ伏せになった親父の服をずらし、湿布を3枚貼った。親父はゆっくり立ち上がり台所へ向かった。
「今から昼飯作るから、もうあんまりうるさくしないでくれよ。神田林さんも」
うるさくなるのは次郎丸のせいなんだが、そこは何も言わず昼食を待つことにした。そういえばさっきからお腹が鳴っている。今日の昼食は一体何だろうか?
気がつけばもう13時を回っている。さて、今日の昼食は……。なんだこれは?言葉では非常に表わしづらいのだが、黒いスープのようなものに、肉……のような物が入っている。匂いは非常に悪い。親父は何を作ったのか。
「親父……何これ?」
親父は自慢げに鼻を鳴らした。
「まぁ食ってみろ。絶対おいしいから」
そこまで言うのならきっとおいしいのであろう。見た目はかなり悪いが。僕ははしで軽くその黒い何かに触れた。ぶよぶよしている。おそらく肉だ。器を両手で支え、スープをゆっくりと口へ運んだ。……まずくはない。想像していた味よりは随分ましだ。
「親父、これ何なの?」
親父は少し間を置いてを涼しい声で言った。
「ディヌグアンだ」
ディヌ……44歳にもなって何をわけのわからないことを言っているのだ。ウチの親父は。
「知らないか?知らないだろう」
親父はさっきよりも更に間を置いた。
「これはな、豚の……」
次郎丸が割って入った。
「豚の臓物を豚の血で煮込んだやつだよな?」
「おぉ、よく知ってますね!」
次郎丸は少し微笑んだ。ほめられたのがうれしいんだ。わかりやすい男。
「ま、一応神候補の一人だからな」
この会話で料理の正体が判明した。ディヌグアン。普段食事を残すことはないが、今日は特別だ。こんなどこかの儀式でしか食べないような昼食があってたまるか。ここは日本だ。
昼食を食べながら(白ご飯のみ)考えていた。一昨日からこの家にやってきた20代後半の男は一体何をするためにここに来たのだろうか。神になるためとは言っていたが具体的に何をするのかは全く知らされていない。どこぞやの政治家じゃないんだから、きちんとマニフェストを立ててもらわないと。
次郎丸が何をするのか、それを知ったのはもう少し後の話だ。