第二章―03
あてもなく街の中をうろついていると、そのうち公園を見つけたので入ってみた。砂場とブランコと滑り台のある、何の変哲もない公園だ。ただ、少子化が進んでいる田舎のわりには、塗装が新しくて綺麗な印象を受けた。平日の昼間だからか公園内は人気がなかったけれど、女の子が一人だけブランコを漕いでいた。
いや……あれは女の子というより、少女?
制服を着ているから、もしかすると高校生かも知れない。
「やぁや、こんちわー」
興味を駆られたので近寄って、朗らかに話しかけてみた。相手の女の子はわたしを見て少なからず顔をしかめ、「……どもです」とぼそぼそ呟いた。そしてそれから、自分の装備が上下パジャマであることに気付いた。そういえばここに来る途中も道行く人々が露骨にわたしを避けていたような気がする。いやはや、ザ・不審者だったぜ。
腰をかがめて、ブランコに座る女の子に尋ねてみる。
「きみ、何してんのさ」
「……どの口がそんなセリフを宣いやがりますか」
「何だい何だい、年上のお姉さんに向かって。きみの通う学校じゃ、目上の人には礼儀正しく振る舞いましょうって教えられなかったのかね。え?」
「変質者とは関わるなって教えられました」
「ふぅむ……」自分の服装を改めて確認する。
返す言葉がなかった。
「ところで横のブランコ、座ってもいい?」
「いや、いま露骨に話題逸らしましたよね」
「細けぇこたぁいいんだよ。人生さー」
どっこらしょ、と女の子の隣のブランコに腰を落ち着ける。女の子はじとっとした目つきでこちらを見てきたけど、逃げ出していくことはなかった。昼間から制服姿で公園のブランコに座ってるような人種なんだから、一応肝は据わっているのだと思われる。
「で? きみ、お名前は?」
「匿名希望で」
「何だそりゃー! 省略してとーちゃんと呼んでやろうか!」
「やめて下さい。せめて不登校のふーちゃんでお願いします。……で、そちらは?」
「わたし? わたしはそりゃ、泣く子も黙るリュウコさんだよ。知らないかね」
「あぁ……。なんかクソな内容のサスペンスドラマに出てくる女探偵みたいな名前ですね」
「女探偵? 残念、わたしは引き籠もりなんだよ」
「突っ込みどころそこじゃねーよ!」
ふーちゃんが勢いに飲まれて突っ込みをかます。かましてから自分の失態に気付いたのか、口をつぐんで気まずそうに目を泳がせた。うむ、この子もモトくん的にかわいいじゃないか。
そっぽを向いたままのふーちゃんの、ショートカットの黒髪を眺めながら尋ねてみる。
「で? そんなふーちゃんはどうしてこの公園にいるのかな」
「こっちとしては、いい年した女の人が平日の昼間にパジャマで出歩いてる理由の方が気になるんですが」
「そんなの簡単さー。わたしは引き籠もりで、散歩したくなったの。だから散歩してたわけ」
「……どうやらリュウコさんとわたしは母国語が違うみたいですね」
「で、改めてふーちゃんは何故ここに?」
「えー……。学校に行ったんですけど、一時間目が数学だったんで帰ってきました。で、今はその帰り道です」
「ふむふむ。なるほど」
どうやらふーちゃんの方もかなり言葉の通じない人種である模様。一般人がこの会話を見たら、二人とも「異端」の烙印を押されてごみ焼却炉に放り込まれそうだった。
ふーちゃんがブランコをぎこぎこ鳴らしながら、わたしの足下に置いてある風呂敷包みに目を落とす。それからゆるりとわたしに目を向けて、「パジャマに風呂敷ってシュールな光景ですね」と感想を述べた。
「うん? じゃあ着物を着てくるべきだったかな?」
「いや、そういう問題でも……。それ、中身は何なんですか?」
「爆弾」「……………………」「って言ったら驚くかなぁ、と」
「……なんかアレですね。リュウコさんみたいな頭のネジが緩んだ人が言うと、冗談に聞こえなくて一瞬冷やっとします」
「ふむ。それは褒め言葉として受け取っておこう。ところでふーちゃん、今お腹すいてたりしない?」
「お腹? いや別に……」
という絶妙なタイミングで、ぐぅーと胃の絞られるような音がした。わたしじゃないから、ふーちゃんのものだ。
ふーちゃんは赤面を隠すようにそっぽを向いて、「……朝、食べてなかったから」と求められてもいない言い訳をしていた。あーこの子、やっぱかわいいわ。
「じゃ、アレだ。せっかくだから、きみにお姉さんの善意をあげよう」
「は、善意?」
「そう。わたしはね、善意で地球を回すのよ」
ふーちゃんの頭の上に疑問符が飛ぶ。それが声となって出てくるよりも先に、わたしは風呂敷から中身を取り出した。
「お好み焼き、食べませんか」
「昔、小学校に警察のお姉さんが来たことがあって」
「うんうん」
「知らない人から物をもらっちゃいけない、って習ったんですけど」
「ふんふん」
「まさか十七歳にもなって、怪しいお姉さんからお好み焼きをもらうとは思いませんでした」
「安心したマエ! お姉さんはキミを誘拐しようとしているわけじゃないんだ!」
「分かってますよそんなの!」
引き続き公園のブランコ。わたしがお好み焼きを差し出すとふーちゃんは露骨に嫌そうな顔をしていたけれど、ようやく一口囓ってくれた。毒殺とかじゃないんだよって説明しても、見た目が不審者すぎるせいで説得力が皆無なのには閉口した。やっぱり外見って大事なのだ。
一口囓ってからは空腹に押し切られたのか、ふーちゃんはガツガツお好み焼きを食べる。本当は自分のお昼用にと持ってきたやつだったけど、他の人に食べてもらえるなら構わない。多分、そっちの方が色々と意味があるし。
美味しい? と何気なく尋ねると、ふーちゃんは「冷めてますけど」と素直じゃない答えを寄越してくる。詰め込んだものを飲み下してから、なんてことないように口を開いた。
「実を言うとわたし、家がお好み焼き屋なんですよね」
「へ、え? そうなの?」
「駅前にお店があります。『あじすけ』って言うんですけど、知りませんか?」
「…………あ」
知ってる、と思った。
というか、知ってるどころじゃない。十年前、お母さんの再婚相手さんのラーメン屋に入るのが嫌だったわたしが、「お好み焼きを食べたい!」と言って指差したのが、その『あじすけ』ってお好み焼き屋さんだったのだ。
とすると、ふーちゃんは『あじすけ』の娘さんなのかな?
不思議な偶然の巡り合わせもあるものだ。
「ていうか、だからまぁ、リュウコさんのお好み焼きを食べてみたわけですけどね。他のものだったら絶対に食べてません」
「運命みたいなのを感じちゃったわけですか」
「そこまで大袈裟なもんじゃないですけど……」
ふーちゃんがお好み焼きの最後のひとかけらを口に放り込む。咀嚼して飲み込んでから、「でも、美味しかったですよ」と最後になって素直な感想を口にしてくれた。出来ればその感情の乗らない表情と口調をどうにかして欲しいところだけど。何だかありがたみが薄れている気がする。
地面に置いてあったスクールバッグを持ち上げ、ふーちゃんが立ち上がる。わたしに向かって、形ばかり頭を下げてきた。
「じゃ、どうもごちそうさまでした。そろそろ帰ります」
「うん。じゃあ……っと、待った!」
わたしに背を向けかけたふーちゃんの、制服の袖をぐいっと引っ張る。ふーちゃんはよろめいて身体のバランスを見失い、「まだ何かあるんですか」と不機嫌そうにわたしに向き直った。
「あるよ大アリだよ。あのね、きみ、これから先の人生で誰かに何かひとつ、いいことをしてあげなさい」
「……なんかちょう適当な命令ですね」
「いいかね。わたしはきみにお好み焼きという名の善意を与えたわけだ。だからきみも、困っている人がいたらその人に善意を与えてあげるように。これは絶対だよ」
「はぁ……。何でですか?」
「何でもなにも」わたしは真剣にふーちゃんの目を見つめて、「地球は、そうやって回っているからだよ」
「……よく分からないですけど。一応、分かってみました」
ふーちゃんは渋々といった様子だったけど、わたしに頷いてみせた。これでわたしがお母さんからもらった善意のバトンは、ふーちゃんに受け渡したというわけだ。
ふーちゃんは去り際、ブランコに座っているわたしを振り返って、
「じゃあ、また」
と言った。
それから、その言葉の意味に気付いたのか、
「……会えると、いいですね」
と変な風に後ろをくっつけて、少しだけ笑った。わたしは黙って頷いて、手を振るだけにしておいた。
その日の夜はわたしが特別元気で、モトくんとお盛んだったりコーヒーカップが割れたりハードカバーが空を飛んだりしたけど、それはまぁ別の話。
たまに地球を回すと、誰だって元気が湧いてくるってものなのさ。
だって人間だもの、ってことで、いいのかな?