第一章―02
*わたし
平日の午前中にテレビをつけて、つまらない番組しかやってなかったから昔のビデオを取り出した。声優陣が変わってない頃のドラえもんとか、水戸黄門とかが録画されてる中に、プロレス番組があったからそれを見ていた。三時間くらい。
その後で昼寝して、起きたら唐突にプロレスごっこしたくなり、でも相手がいなかったから布団を丸めて相手(仮)にした。
「うぉりゃー! こぶらついすとおぉぉぉぉ!」
「くらえっ! しゃいにんぐ・うぃざーどおぉぉぉぉ!」
「これで終わりだっ! しゃーまん・すーぷれっくすうぅぅぅぅ!」
「……げっほげっほ」
普段から運動してない引き籠もりにプロレスごっこは無茶だった。舞い上がったホコリを吸い込んだせいもあり、床に倒れて噎せ返る。
それでも懲りないわたしが再び布団相手に「すりーぱーほぉるどおぉぉぉぉ!」とやり始めた頃、ようやく玄関の扉が開いた。居間に入ってきたモトくんが、布団と格闘しているわたしを見て、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる。
「……今度は何やってるんですか、リュウコさん」
「んー。ちょっとねぇ、プロレスごっこしたくなって」
「そりゃいいですけど、布団を相手にするのはやめて下さい。ホコリが舞って、掃除するの僕なんですからね」
「うん。……うん? ということは、モトくん相手ならいいってことかー!」
こんにゃろ、って感じで、モトくんに後ろから抱きつく。えーと絞め技は……、
「へっどろっくじゃー!」
「ぐうぇ」
あ、モトくんがわりと真面目な声を出した。本気で苦しそうだったので絞めを緩めてやると、「もう、いい加減にして下さいよ!」と怒っていた。まぁ、モトくんが怒っても全然怖くないんだけど。草食系男子の鏡のようなモトくんの場合、ここでわたしに「なら、こっちは寝技だー!」とかいうセクハラを仕掛けてくることは、絶対にないのだ。
ヘッドロックが緩んで、モトくんの首に両腕を回すだけのような格好になる。あれ、これだと普通に抱きついてるだけ? まぁ、気にしない気にしない。
自分の部屋に戻ろうと、全力で前進しようとするモトくんに抱きつくわたしは、何だかモトくんの疫病神みたいだった。
「あのですね、リュウコさん」
「にゃんですかな?」
「僕はこれから、服を着替えて部屋の掃除をして洗濯物を取り込んで洗濯物を畳んで、しかも夕飯の準備までしないといけないわけですよ。頼むから邪魔しないで下さい」
「む。魅惑のお姉さんを前にして邪魔とは何だ、邪魔とは」
「どう考えても邪魔でしょうが! 家事が終わったらいちゃいちゃしてあげますから、それまで自分の部屋で布団と遊んでて下さい」
「何だそれはー! まるでわたしが何も出来ないみたいじゃないか!」
おいこら、とモトくんの頭をぐりぐりする。某野原家の母親仕込みの技である。モトくんは痛がりながら、「実際何も出来ないじゃないですか!」と怒鳴った。
「言ったなコラ! 聞き捨てならんぞ!」
「だってそうでしょ! リュウコさん、むしろ何が出来るんですか!」
「出来るよ! 色々!」
「じゃあ何が出来るんですか!」
「……え、えーと!」
「どもる言葉まで叫ばなくていいですよ!」
「うるさい! わたしだってお好み焼きが作れるんじゃい!」
「お好み焼きは昨日も食べたでしょ! 他に何か作れないんですか!」
「お好み焼きが作れるんじゃい!」
「だからそれは昨日も、」「うるさい! 昨日も今日もお好み焼きだ! 文句あるかこらぁ!」
「……いや、ないですけど!」
「なかったらモトくんは洗濯物でも畳んでなさい! わたしの手料理をお見舞いしてくれるわ!」
どん、と背中を押すと、モトくんは蹴躓いてわたしのプロレスの相手(仮)になっていた布団に頭から倒れ込んだ。ホコリが盛大に舞って、ハウスダストが大増量する。
「リュウコさんはもぉおおおお!」
こんなのが、わたしとモトくんの日常だ。
他人に見られると誤解されそうだが、わたしとモトくんは兄姉とか、そういうんじゃない。血の繋がりなんてない赤の他人同士だ。それが二人で一緒のおうちに住んでいるわけだから、これは世に言うところの「同棲」ってやつになる。わたしとモトくんは、いわゆる恋人の関係なのだ。
年齢のことを言えば、わたしが二十一で、モトくんが十七。その真面目くさった外見から分かる通り、モトくんはまっとうな高校二年生で市内の進学校に通っている。卒業したら大学に行くんだ、とか言っていた。
「きゃーべーつーを、ざっくざくー」
対するわたしは高校を卒業して以降、ろくにお金を稼いだことのないいわゆるN○ET。ついでに普段着がパジャマの引き籠もりでもある。友達は布団。趣味特技はないけど、お好み焼きを作ることなら出来る。以前バイトの面接でそう言ったら、相手の人が面白がって採用してくれたことがある。ちなみに一週間でクビになった。まぁ、そういう人間なのさ。
「たーまーごーを、ぐっちゃぐちゃー」
余談だけど、わたしは家事もろくに出来ない。自動洗濯機のどのボタンを押せば洗濯が始まるのか知らないし、ご飯の炊き方も分からない。そういうのはコマゴマした作業が得意なモトくんに全部お任せなのであった。
「にーくーを、ぶっちぶちー」
「……リュウコさん、さっきから適当すぎやしませんか?」
「安心したマエ! お好み焼きのいいところは適当でもどうにかなっちゃうところなのサ!」
居間で二人分の洗濯物を畳んでいるモトくんが、ちょいちょい不安げにこちらの様子を窺ってくる。というか、男子高校生が正座して洗濯物を畳む図ってどうなんだろう。ババくさいぜ。
包丁で滅多切り……間違えたざく切りにした材料をボウルに突っ込んで、かき混ぜる。その間にフライパンを温めて油を引いておく。あとはボウルの中身を半分に分けてフライパンに流し込めば、だいたいどうにかなるのだ。
それから二十分後、どうにかなったお好み焼きの皿を二枚居間に運ぶ頃には、モトくんは洗濯物を片付け終えていた。自分の前に置かれたお好み焼きに「じゃあ、いただきます」と神妙に手を合わせて、一切れを口に運ぶ。
「どうだねモトくん。お姉さんの手料理は美味しいだろう」
「…………美味しいです」
顔を近づけて尋ねてみると、モトくんは実に不本意そうに頷いた。どうしてこのパジャマ女のズボラ料理が美味しいんだ、と世の不条理に腹立っているようでもあった。
ま、そりゃそうだ。
こちとらお好み焼きだけなら、誰にだって負ける気はしない。それは引き籠もりたるわたしの、唯一と言っていいプライドだった。
「毎度思うんですけど、どうしてリュウコさんってお好み焼きを作るのだけは上手いんでしょうね」
「『だけ』を強調するなよ、『だけ』を」
「暗に他には何も出来ませんよねって言ってるんですよ。察して下さい」
「いいもんねー。死んだお母さんが、人間何か一つでも取り柄があれば充分なのよって言ってたんだもんねー」
「もうちょっとマシな取り柄を作る気にはならなかったんですか?」
「うるさい! お好み焼きも満足に作れない奴が、お好み焼きをバカにするなっ!」
「洗濯物も畳めない二十一歳がなに偉そぶってるんですか!」
「何だとコラ! またヘッドロックかますぞコラ!」
「セクハラですよ! それに今は食事中でしょうが!」
「じゃあ後で二回戦だ! そしてベッドの上で三回戦だ!」
「もっとセクハラですよリュウコさん!」
そんなわけで、お好み焼きしか作れない二十一歳引き籠もりはわりと幸せに暮らしている。
まぁなんだ。人間、お好み焼きと愛があれば生きていけるのさー。
たまーに、重大な忘れ物をしているような気分になるけどね。