第四章―02
「……しかし、何だな。自分の家の売り物を奢ってやるってのも、恩着せがましい話だよな」
「何だとコラ。喰わないなら叩き出すぞ」
「いや、食べるけどさ」
『あじすけ』の中には小座敷がいくつかあって、それぞれの座敷のテーブルに鉄板が埋め込まれていた。河西はお店の人と何事か会話を交わしてから、「こっち来て」と俺を座敷に案内した。
注文は全部河西が行って、そのうち出来たてのお好み焼きが二枚運ばれてきた。その際、店員さんが俺をまじまじ見て、
「あぁーきみが八嶋くんか、話はよく聞いてるよ。ふんふん、確かに不良だ。あ、そういえばきみのお父さんが今日のお昼頃、ニートくんと一緒に来てたよ。編集者なんだって? ニートくんが追い詰められて自殺でもしたら困るからさ、きみからニートくんをデビューさせてやるよう言ってやってよ」
などと喋っていたのだが、何だったんだろう。あなた誰ですか、って尋ねたら自慢げにアゴを反らして、
「わたし? わたしはアレだよ、お好み焼き子さんだよ」
と明らかに自慢にならないことを宣っていたし。河西しかり、このお好み焼き屋は変人しかいないのだろうか。
自称お好み焼き子さんが嵐のように過ぎ去ってから、残されたお好み焼き二枚を挟んで河西と向かい合う。河西と正面から相対して話す機会は少なかったので、妙に背筋が張ってしまった。とりあえず勧められるままに、お好み焼きに箸を伸ばす。
一口食べたところで、河西が、
「美味しいですかな?」
と茶化すように尋ねてきた。美味しい、って素直に言うのは恥ずかしい気がして、「まぁ」と受け流すに留まる。何故だか分からないが、俺たちくらいの年代って何かを「認める」のに凄く臆病なんだよな。
自分の可能性ってやつを、狭めたくないからかも知れない。
「きみさ、このところわたしに対して妙に冷たくない?」
俺がお好み焼きに箸を伸ばしてから、河西も箸を手に取る。そこで、そう指摘された。
「冷たくしてるわけじゃないけどさ……。てか、その台詞って昼ドラに出てきそうだな。三角関係のもつれみたいな感じで」
「あらかじめ言っとくけど、わたしは八嶋くんに恋してるわけじゃないから」
「知ってるよ」
逆に恋してるって言われた日には隕石でも降ってきそうだ。河西は誰かを好きになったことがあるのかな、と少し気になったけど、訊かなかった。
「河西がここでバイトしてて、将来は家を継ぐって言ってたから。ちょっと……」
「気が引けた?」
「そう、そんな感じ」
俺の回答に河西は特に反応を示さず、軽く鼻を鳴らしただけだった。淡々とお好み焼きを切り分けて、口に運んでいる。
今度は俺から質問してみた。
「で、今日のこれは何なのさ。どうして急に、お好み焼きを奢ってくれたわけ?」
「お好み焼きを奢るのに意味とか理由とか、必要かな」
「いや……必要なんじゃないか?」
人を好きになるのに理由はないと言うが、理由もなくお好み焼きを奢る奴は不気味だ。詐欺師か、宗教家のどちらかだ。
「ちょっと前にさ、きみと体育館裏で出会う前のことなんだけど、ある人からお好み焼きを貰ったんだよね、わたし」
「は、いきなり何の話スか」
「きみが理由が欲しいって言ったから説明してやってるのよ。近くの公園でね、わたしが学校サボってブランコを漕いでたら、パジャマ姿の女の人が風呂敷抱えてやって来て」
「シュールな光景だな」
「シュールだった」河西はしみじみと頷いた。「で、その人からお好み焼きを貰ったわけ。タダで。その代わり、変な約束を交わされた」
「約束?」
「いわく、『わたしはきみにお好み焼きという名の善意を与えたわけだ。だからきみも、困っている人がいたらその人に善意を与えてあげるように』と」
「あぁ。それで俺にお好み焼きを奢ってくれているわけか」
「そゆこと。そうしないと地球が回らないみたいだし」
河西はそう言って、何かを思い出したのか、くすっと小さな笑いを漏らした。
「これ全然別の話なんだけどさ、わたしがちっちゃかった頃、お母さんが『わたしはお好み焼きで世界を救ってるの』って言ったことがあったんだよね」
「河西の家系はアレか、変人しかいないのか」
「うっせーよ」河西はジト目で俺を睨み、しかしすぐに頬を緩めて、「わたしがこのお店を継ごうと思った理由もそれなのよ。お好み焼きで世界を救うため、地球を回すため」
「なんだお前、お好み焼きマンとかに変身できるのか?」
アンパンマンの使い捨てライバルみたいな名前だな、お好み焼きマン。
「ていうか義務だしね。前に言ったっしょ、『やりたいことはないけど、やるべきことはある』って。わたしはね、お好み焼きを作り続けないといけないのよ」
「それはまた、大変な星の下に生まれついたもんだ」
「十年前の車の事故、覚えてるでしょ? ちょうどウチの目の前の交差点で人が轢かれたやつ。わたし、あれで亡くなった女の人に護って貰ったのよ」
「へ……」
知らない話だった。お好み焼きを解体する手が止まり、思わず河西の顔を見る。
河西は穏やかな表情で、どこか遠くを眺めているようだった。
「わたしが車に轢かれそうになったところをね、その女の人が走ってきて助けてくれたの。その代わりに、その人は死んじゃったんだけどさ」
「ふぅん」
何か言おうかと思ったが、やめた。特に口にするべき言葉がなかった。
「で、そのときに思ったわけ。わたしはこの女の人に与えられたものを、どうにかして返さなきゃいけないな、って。それで、自分が地球に対して何が出来るのかを考えた」
「規模の大きな話だな」
「当たり前でしょ。人の命は地球よりどーたらこーたらって、どこかの偉い人が言ってたもん」
「で、思いついたのがお好み焼きを作ることだったのか。そっちはまた、えらく小規模な話だ」
「小規模でも救われた人にとっては英雄だってお母さんが言ってた」
「ま、そりゃそうか」
一応、人間全員が一人ずつ他人を救っていけば、世界は救われたってことになるわけだし。少なくとも、誰も救えていない俺が河西をバカにする資格はないよな。
お好み焼きを食べる。
幸せが美味しい食べ物の中にあるって考えは、分かり易くて嫌いじゃない。
「そういうわけで、わたしは使命を果たしたから」
自分の分のお好み焼きを平らげて、河西が言った。
「今日きみにあげたお好み焼きは、わたしの善意。だからツケにも貸しにもしない。その代わり、」
「その代わり、俺も誰かに何かいいことをしてやれ、ってか?」
「その通りよ」
河西は頷いて、それから俺に向かってにこっと笑ってみせた。
その笑顔は、この間のように毒を持ったもののように映ることはない。
「そうじゃないと、地球が回らないんだから」
『あじすけ』からの帰り道は、既に夕暮れだった。部活を終えた中学生やら高校生が、スポーツバッグを振り回して家に帰っていく。日常の時間が滞りなく流れている彼らを横目で眺めながら、しかし俺は家に戻らず街をぶらついていた。
心の水面はいつもより澄んでいて、そのせいか街並みの色合いが普段より鮮やかに映る。踏み出す一歩一歩が軽く、肩に載っていた重力がなくなったように感じた。
否定ばかりを積み重ねて、ここまでやって来た。
普通であることを拒絶し、かといって何者にもなれないまま今日まで過ごしてきた。
それでも俺は今、自分の胸の中にふつふつと燃える小さな灯火を感じている。それは、何かしなければという充実に満ちた焦りに似ていた。
選ぶことを拒絶していれば、進むことの出来る道は無限大だ。しかし、かといって選ばなければ前に進めない。
だからやるべきことを見つけたなら、その前に楯を置く必要などないのだ。
間違っているかも知れないけど。
どうせバカで、みんな同じバカなら。
「よぅし、よーし、よーっし!」
信じてやる。
せめてその先が、行き止まりに突き当たるまでは。
俺は身を翻し、この街のある場所に向かって走り出した。




