プロローグ―02
*三人目、四人目
「ムラモトーっ! こっちだ!」
「何だよー!」
本棚と本棚の間が通路みたいになっている。オレは通路のこっち側にいて、ムラモトはあっち側。本棚の陰からオレが顔を出すと、ムラモトがスーパーボールを投げつけてきた。でもあいつのはヘナチョコだから絶対に当たらない。ひょいっと避けてみせる。この瞬間が、アニメとかでよくある「お互いに壁の陰に隠れて銃撃戦」みたいでカッコ良くて、楽しい。
古い本屋(ムラモトのお父さんによると「シニセ」って言うらしい)の中は、銃撃戦をするのに持って来いだった。高い本棚がびっしり並んでいて物陰が多く、隠れられる場所が多いから。相手を見つけては、持っているスーパーボールを投げつける。で、相手に当たったら勝ち。弾がなくなったら落ちてるスーパーボールを拾う。ただしその間は相手にとって絶好のチャンスになるから、持ち弾をガンガン使うわけにはいかない。
「へーい、ムラモトー!」
「何だよリョータ、お前そこらじゅうにいるじゃん! セコいって!」
本棚の陰をちょこちょこ動き回って、ムラモトをチョーハツする。トロいムラモトはそのたびにスーパーボールを投げまくって、全部外れる。ムラモトってドッジボールでもこんな奴だ。みんなより動きが鈍いから、逃げ遅れて真っ先に外野送りになる。
「そんなんじゃ市街戦で生き残れないぞ、ムラモト!」
「紫外線? 何だよそれー!」
持ち弾がなくなったらしく、ムラモトが喋りながら落ちているスーパーボールを探してウロウロする。オレはその隙に後ろから近寄って、「そこだっ!」ばしっ。
「ぐはっ、撃たれたー」
ムラモトがべちゃっと床に伸びて、撃たれたフリをする。ちゅーか、ムラモトってオレに撃たれてばっかだから、撃たれたときの演技だけがどんどん上手くなっている気がする。肝心の戦闘はぜんぜん上達しないのに。やっぱりムラモトはトロい。
「撃たれたじゃないよコラ。きみらね、一体何度言ったら分かるんだい」
カウンターからムラモトのお父さんが出てきた。床に潰れているムラモトの首根っこを掴んで、立ち上がらせる。ムラモトと同じで、このお父さんもどこかトロい気がする。
「ここは売り場なんだから、お客さんの邪魔になるでしょうが。遊ぶなら外に行きなさいって」
「……でも、お客さんなんていないじゃん」ポツリ、とムラモトがぼやく。
「くーるーの! 今はたまたまいないだけ。ほらほら、勇敢な兵士諸君はスーパーボール持って外で戦闘するんだ」
さぁ行け、と半ば無理やり背中を押されるようにして、ムラモトと二人で店の外に追い出される。自動ドアじゃないガラス扉を押し開けてお店の外に出ると、古ぼけたベンチが一つある。オレとムラモトはそこに座った。
「せっかくいいとこだったのにねぇ」
あーぁ、とムラモトがベンチに背中を預けて空を見上げる。ベンチは木が腐っているのか、ぎぃと嫌な音を立てた。ベンチと同じくお店の見た目も古ぼけていて、『元村書店』という看板の文字がくすんでいる。お客さんがいるのを見たことは、あまりない。
首を捻ってお店の中を覗くオレの動作を、ムラモトも真似る。
「最近さ、駅前にでっかい本屋が出来たでしょ? 『宮田書店』ってやつ」
「うん。知ってる」
「それがさ、よく分かんないけどチェーンってやつで、お客さんを持って行かれちゃってるんだって。だからお父さん、このままじゃウチが潰れるって言ってた」
「ふぅん」潰れるってのがどういう意味を持つのかはよく分からなかったけど、「じゃあ、ここで銃撃戦が出来なくなっちゃうじゃんか」
「だよねぇ。それは困る」
うんうん、とムラモトも納得顔で頷く。こいつ、負けてばっかりなのに銃撃戦で遊ぶのは好きなんだよなぁ。よく分かんない奴。
「それにウチが潰れちゃったら、ぼくとリョータが将来、本屋さんになれなくなる」
「あ、それもそうだ」
オレとムラモトは将来、一緒に本屋で働くという夢を持っていた。ムラモトは家が本屋さんだから当たり前なんだけど、オレの場合はお父さんが「ヘンシューシャ」というやつなのだ。仕事はよく分からないけど、本を作る仕事をしているらしい。だからオレは、お父さんの作った本を売ることにしたのだ。お父さんが作って、オレが売る。何だか収まりが良い感じがして、気に入っている。
でもオレとムラモトの夢は、この『元村書店』が潰れちゃったら一緒に消えてしまうのだ。
「なくなればいいのになぁ、その『宮田書店』ってやつ」
「うんうん」
「ムラモト。一緒に『宮田書店』に銃撃戦仕掛けにいかない? 二人で、スーパーボールでやっつけるんだよ」
「うーん。でもぼく、市街戦じゃ生き残れないみたいだしなぁ……。リョータに任せる」
「何だよぅ。弱気だなぁ」
手の中のスーパーボールをにぎにぎする。ムラモトをやっつけるのがせいぜいなこのスーパーボールは、オレのことを「きみには何も出来ないのさ」とバカにしているみたいだった。
大人とか運命とか、そういう大きなものに対して。
むかむかしたので、スーパーボールを地面に叩きつけてバウンドさせる。
そんな時、『元村書店』の前の道路を、黒い車が猛スピードで走り抜けていくのが見えた。
「何だろ、あれ」
その後ろに、遅れてパトカーのサイレンもやって来た。
*五人目
「ありがとうございましたー」ってわたしが言うと、何故かお客さんが喜ぶ。たまに、「まだちっちゃいのに偉いねぇ」と頭を撫でてくれる人もいる。
えぇと、ちっちゃいのに偉いってことは、逆に言うとちっちゃくないと偉くないってことなんだよね。
つまり、大人は「ありがとうございました」って言うのが当然なのだ。だからやっぱり、大人って大変だなぁと思う。わたしにもいつか「ありがとうございました」って言っても褒められなくなるときが来るんだろうな。それが大人になるってことなのかな。
そういうことをお母さんに言うと、「賢い子ねぇ」と困ったように頭を撫でられる。それから「お手伝いありがとうね」と百円玉を二つ、くれる。
お店を手伝うと、お母さんはいつも二百円をわたしにくれる。それ以外、たとえば夜ご飯の食器洗いとか家の掃除を手伝ってもお金はくれないのに。だからこの前、どうしてって尋ねてみた。
「それはね。仕事と家事が別物だからよ。仕事をしたらお金をもらえるけど、家事はどんなに頑張ってもお金はもらえないの。そういうものなの」
「ふぅん。お店のお手伝いより食器洗いのお手伝いの方が大変なのに?」
「うん。残念だけど、大変さによってもらえるお金の量が変わる仕組みにはなってないのよ、この地球は」
「へぇ」大変だなぁ、チキュウは。そんなことを思った。
お母さんはそれから、こうも続けた。
「でもね、あなたはお金っていう形じゃなくてもいいから、他の人に何かもらったら、その大変さの分だけ感謝できるような人になるのよ」
「なるのですか」確定事項ですか。
「他の人から何かもらったら、もらった分だけ、自分も誰かにいいことをしてあげるの。そうしたら世界は救われるわ」
「せ、せかいはすくわれる……?」
「そうよ。与えられた分だけ、誰かに何かを与えたら、世界は救われるの」
「おぅ……。じゃ、お母さんはお金をもらってお好み焼きを作ってるから、お好み焼きで世界を救ってるの?」
「そうなのよ」お母さんは自信満々だった。「わたしはお好み焼きで世界を救ってるの」
「へぇ。なんかすげー」
アンパンマンみたいだねー、って言ったら、お母さんはガクッてなったけど。
そういうわけで、今のところわたしは「ありがとうございましたー」で世界を救っているのだ。お好み焼きで救いたいと思うけど、厨房に入ったらわりと本気で怒られるので、今はまだ修行中。大きくなったら入れてくれるってお母さんは言ってた。
でも、「大きくなったら」ってどのくらいなんだろ。チビのわたしが背伸びして将来を見上げても、今と地続きの時間に「大人」があるなんて信じられない。
百円玉を二つ握りしめて、お店の裏口から外に出る。お店のお手伝いの後は、向かいの通りにある自販機でジュースを買うのが日課だった。お釣りは貯金箱に入れて、この貯金箱が満杯になったら「大人」が訪れるんだと、わたしは勝手に信じている。
横断歩道の信号が青になるまでの時間は、通りの様子を眺めて潰す。ウチのお隣のラーメン屋さんは、やっぱりお客さんが入ってないみたいだ。
信号が青に変わる。
道路を渡るときは手を上げましょう、って交通安全教室のお姉さんが言ってたけど、一人の時は何だか恥ずかしいからやらない。でも何となく、右、左、右って確認はしてしまう。
「右よーし、左よーし、右よーし!」
車が来ないのを確認して、道路を渡る。そのときだった。
道路の向こうから一台の黒い車が、唸りを上げて横断歩道に突撃してきた。
信号は赤のはずなのに、ちっとも停まる気配がない。
え、と思って、足がすくんで動けなくなってしまう。車の突っ込んでくる映像が、ひどくゆっくりに見えた。
そして、
「危ないっ――!」
わたしの声じゃなかった。女の人の、でもお母さんじゃない、甲高い声。
ふと見ると、緑色のワンピースを着た女の人が、わたしに突進してくるところだった。
その映像を確認できたのは一瞬だけで、次の瞬間にはわたしは道の向こうに吹っ飛ばされていた。目の前で緑色のワンピースが翻るのが、見えた。
黒い車の騒音と、何かが爆ぜるような音が重なった。誰かの悲鳴も、聞こえた気がした。
わたしが身体を起こしたときには全てが終わっていた。
黒い車はそのまま交差点を突っ切っていき、横断歩道の中央には緑色のおばさんが倒れていた。おばさんはぐったりして、動く気配がない。
もしかしてわたし、このおばさんに助けられたのかな?
あれ……?
このおばさんにもらったもの、わたしはどう返せばいいんだろ。なんて、混乱した頭の隅っちょでそんなことを、少し思った。
*六人目
ウチにある子供向けの童話集はだいたい読み終えてしまった。読むものがないと途端に暇になる。お母さんに「本、買ってきてもいい?」と尋ねたら、お母さんは「初めてのお使いだねぇ」と頬を緩めた。テーブルで新聞を読んでいるお父さんが、
「初めての買い物が本なんて、シュンの将来は小説家だなぁ」
と笑っていた。小説家っていうのは、本を書く人のことらしい。ぼくはまだろくに漢字も書けないけど、頭の中で色々なことを想像するのは得意だった。自分で作った話をお母さんに聞かせてあげることもある。その度にお母さんは「偉いねぇ」とぼくの頭を撫でてくれて、それが何となくくすぐったいのだ。
お母さんからもらった千円札をサイフに入れて、外に出る。その際に、車に気をつけることとか買い物の仕方とか、細々と注意を受けた。
「帰ってきたら、お昼はお好み焼きだからね」
そう言って、お母さんは「いってらっしゃい」とぼくを見送った。歩き出した背中に、いつまでもお母さんの視線が貼り付いているような気がした。
ぼくが向かうのは、駅前に最近できたばかりの『宮田書店』というところだ。商店街のそばの『元村書店』も悪くないけど、せっかくだったら新しいお店に行きたいと思う。
ひとりで歩く道は、そんなに嫌いじゃない。
話し相手がいなくても、ぼくは想像するのが得意だから、色んな物語を頭で捻って暇つぶしが出来る。そう言うとお母さんは「学校じゃ、そういうのやめてよ? お友達とお話してよ?」と困ったような顔をするけど。
でも大丈夫、ぼくにだって友達がいる。
たとえば、近所に住んでいる結衣ちゃんとか。結衣ちゃんも本を読むのが好きなので、ぼくとはよく話が合うのだ。最近は『エルマーのぼうけん』を読んでいると言っていた。ぼくはまだ読んだことがないから、本屋さんに売っていたら買ってみたいと思っている。
ただ、結衣ちゃんがウチに遊びに来ると、お母さんはちょっと嫌そうな顔をするけど。
理由は分からない。結衣ちゃんが時々、身体に痣を作っているからかも知れない。この間はお母さんが、「警察に相談した方がいいんじゃない?」とお父さんに話していた。その理由も、ぼくにはよく分からなかったけれど。
そんなことを考えながら歩いていると、すぐに『宮田書店』の前に到着してしまう。頭で何か考えているときって、どうしてこんなに時間が早く進むんだろう。
『宮田書店』の前の横断歩道を、左右確認して渡る。あとは駐車場を横切ってお店に入るだけ。 そのときだった。
ぐおぉん、というもの凄い唸り声が、ぼくの後ろから聞こえた。低くて不気味なその音が、あっという間にぼくに接近してくる。
その物体がぼくの脇を掠めていったのは、ほんの一瞬の出来事だった。
黒色の大きな何かが、まるで猫のような俊敏さでぼくの身体の横を通り抜けていった。切り裂かれた空気が遅れて突風を巻き起こし、ぼくの髪を散らす。
その黒い物体は、『宮田書店』めがけて突進していき、そして本当に突っ込んでしまった。何かが爆発するような、もの凄い音がした。
お店の正面玄関に突き刺さった物体が黒い車だと気付くのに、しばらく掛かった。
ぼくの周りで悲鳴とか怒声とか、色んな人の声が騒いでいた。
ぼくはその場に立ち尽くしたまま、これじゃお店に入れないじゃんか、と変な方向に怒りを覚えた。