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落第ラプソディ!  作者: こよる
第三章 誰かさんの失ったもの色々
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第三章―03

 *僕


 草野ゆいの『無能探偵の事件簿』の映画化が決定したその日、僕は雨宮結衣の部屋で彼女の髪を切っていた。

 別に会見があるから見栄えを整えるとか、そういうんではない。

 というか草野ゆいは覆面作家だし、そもそも結衣が人前に立つプレッシャーに耐えられるとも思えない。

 ただ純粋に、伸びすぎたから切っているだけだ。

 僕と一緒に美容院に行くことも提案してみたのだが、

「やーだー! わたしは人間と五秒以上接触すると死ぬのー!」

 と幼児退行気味に反論されたので、あっさり諦めた。ついでに、さりげなく僕は宇宙人であると認定されてしまった。

 元々小柄な結衣は、椅子に座らせてバスタオルを巻くと中にすっぽり収まってしまう。いわゆるてるてる坊主の状態だ。

 しなやかな黒髪をハサミでざくざく切りながら、結衣に話しかける。

「でもねぇ、結衣も僕なしで生活できるようにならないと困るよ。将来とか」

「将来? シュンちゃんが寿命でわたしより先に死んじゃった場合とかかな?」

「いやいや」この生活、どんだけ長引かせるつもりなんだ。「そうじゃなくて、もっと近い将来。たとえば結衣がどんどん有名になったら、いずれ人前に出てかなきゃいけないときが来る」

「そのときはシュンちゃんが代わりに、お願いね」

「だからそうじゃなくて……」

 チョキチョキ。髪の毛と一緒に、僕の何かも切られて床に落ちていくような気がする。

「とにかく、これから有名になったら大変なんだから。つらくても、一人で人前に出られるようにしないと」

「なら、」結衣は平然と答える。「有名になるのをやめましょう」

「はぁ……そうスか」

 駄目だ。この子には何を言っても通じないような気がしてきた。

 その「有名」を得るために色々と賭けて必死になっている奴がいると、結衣は知っているのだろうか。

 多分知っているけど、理解できていないんだろうな。

「で、シュンちゃんの方はどうなの。小説、書いてるんでしょ?」

「え? あぁ、うん」結衣が僕の小説のことを話題にするのは珍しいので、少し戸惑う。

「ショーとか、獲ったの?」

「賞? いや朝ご飯食べたみたいに訊くなよ。獲れてないよまだ」

「ふぅん。いつ獲るの?」

「今でし……いや、未定。今回のも多分落選だし」

「シュンちゃんには小説が欠けてるんだね」

「は?」

 ハサミが止まった。てるてる坊主な結衣は正面を向いたまま、なんてことないように言う。

「世界の構成要素。愛と、お好み焼きと、小説。シュンちゃんには愛とお好み焼きがあるけど、小説はないよね」

「どういう意味さ、それは」

「そういう意味。まぁ、シュンちゃんには人間としてちょっと欠けた部分があるよねってこと」

「結衣はどうなんだよ。全部、持ってるのか?」

 少しむっとして尋ねると、結衣は「そりゃもちろん」と言って笑った。確かにこの子は全部を持っているけど、持っているもの全部が歪んでいるような気がした。

 それって、欠けているのとどっちがつらいんでしょうねぇ。

 一つ言えるのは、僕も結衣も人生の落第者であるということだろうが。

「はい、散髪終わり。僕は新聞紙を片付けるから、結衣はバスタオルを片付けてくるように」

 結衣の肩を軽く叩いて、椅子から降りるよう促す。下に敷いていた新聞は丸めてごみ箱に突っ込んだ。

 ずっと中腰でハサミを振るっていたせいだろうが、腰に鈍い痛みがある。フローリングに俯せに寝転んでいると、バスタオルを片付けてきた結衣が「とぅりゃー」

「げぶはっ」背中の上に重なられた。「何しやがるんだお前は! オンブバッタの真似か!」

「そういえば、バッタの雌って交尾の後に雄を食べちゃうんだってねー」

「いや、それカマキリですから」

「がじがじ」「おい喰うなよ!」

 首筋を甘噛みされた。唾液の感触に鳥肌が立つ。

 どうしてこう、この子は僕に甘えたがるんだろうか。

 父親の代わり、ってことなのかな。雨宮結衣を虐待しつつ、それでも彼女のことを愛していた父親は、十年前に事故死しているから。

「小説家さん、お仕事して下さいよー。売れっ子なんでしょー?」

「そんなのどうでもいーいー」ふわふわ。

「小説の仕事、来なくなっちゃいますよー」

「それもどうでもいーいー」ぐずぐず。

「僕も来なくなっちゃいますよー」

「それは困る……けど。もうちょっとー」べたべた。

「あぅわー……」

 何だかもう、駄目だ。

 自分の輪郭がどんどん溶けてなくなっていくような、どうしようもない気分にさせられる。 削り取られて、削り取られて。

 僕が欲しいものを結衣は全部持っていて、そのくせちっとも大切にしてないんだからさぁ。

 結衣を虐待した父親の気持ちが分かる、なんて言ったら、この子は怒るだろうか。

 自分の背中に乗っている愛すべきものを滅茶滅茶に壊してやりたいという衝動に駆られ、そんな衝動に駆られた自分自身に絶望する。

 もう限界だよ、と身体のどこかが訴えていた。

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