第二章―09
「いやぁ、実にユニークな店員さんだったねぇ」
座敷に案内されてから、八嶋さんがにこにこ笑顔でそう言った。この人も大概、常識というものを弁えていない。僕が言うのも何だけど、僕の知り合いは変な人ばかりだった。
『あじすけ』には小さな座敷部屋がいくつかあって、テーブルの中央に鉄板が埋め込まれている。お好み焼きは出来たものを持ってきてもらうか、玉を自分で焼くかを選択できる。今回は出来たものを持ってきてもらうことにした。
「で、今日は何の用なんですか」
運ばれてきたお好み焼きを切り分けながら、対面の八嶋さんに尋ねる。八嶋さんはいつもシマらない顔を少しだけ引き締めて、
「単刀直入に言うけどね、結衣ちゃんの『無能探偵の事件簿』に映像化のオファーが舞い込んでるんだよ」
「は、映像化?」
「そう映像化。いくつか来てるんだけど、具体的にはドラマとか映画とかね。ま、売れてるから当たり前っちゃ当たり前だけどさ」
八嶋さんは自分の担当のくせに他人事のように言って、お好み焼きを頬張る。その後、熱かったのか水をがぶ飲みする様子は、仕事よりお好み焼きの方に興味があるように見えた。
確かに、草野ゆいの『無能探偵の事件簿』はいま注目のシリーズだ。謎解きの味付けもさることながら、一風変わったキャラクターが魅力的で評価が高い。もちろん、「若年の美少女覆面作家」という世間受けしそうなステータスのおかげもあるが、それだけじゃない地力を、草野ゆいは確かに持っている。
「結衣ちゃんの描く人間は、みんな独特の味わいを持ってるからねぇ。あれが癖になると、やめられない」
「それはきっと、結衣自身が独特の人間だからだと思いますよ」
いつだったか、結衣が例によって寝そべった姿勢で小説を書きながら、こんなことを言っていた。
「あのね、シュンちゃん。わたしの小説は、お好み焼きが作れない人の小説なんだよ」
「はい?」
また結衣が変なことを言い出した、と思った。そのとき僕は、パソコンに向かって結衣の原稿を打ち込んでいる最中だった。
「お好み焼きじゃなくても何でもいいんだけど、たとえばここに、お好み焼きすら作れないどうしようもない人がいるとするでしょ?」
「はぁ」
僕はテーブルに放置された大皿を眺めた。結衣がお好み焼きを話に持ち出したのは、ひとえにその日の昼ご飯がお好み焼きだったからに違いない。
「でさ、普通の小説だと最終的に、お好み焼きが作れない人はお好み焼きを作れるようになるじゃん。結局みんな、正しい人になっちゃうじゃん」
「うん……。それは何となく、分かるけど」
「でもわたしの小説ではね、お好み焼きが作れない人は、最後までお好み焼きを作れないままなんだよ」
「それじゃ、何のために小説を書いてるか分からない」
「でも最後に、お好み焼きが作れない人は気付くわけ。『あ、なんだ。お好み焼きが作れなくても、それなりに生きていけるじゃないか』って。わたしの書く小説っていうのは結局、全部それなんだよ」
あのときは結衣の言うことがよく理解できなかった。でも今からすると、あれは結衣なりに自分の人生に折り合いを付ける方法を語っていたのかも知れないと思った。
お好み焼きが作れなくても、それなりに生きていけるじゃないか。
それはきっと、普通じゃないものを引き摺ってきた雨宮結衣だからこそ、語れる言葉なんだろう。
「で、その映像化の話っていうのは、具体的にどんな感じなんですか?」
「いやいや」八嶋さんは苦笑してひらひらと手を振った。「まだ具体的に話を進める段階じゃないんだけどね。そんな話があったよーってことで、今日はお知らせだけ。結衣ちゃんにも伝えてあげてね」
「はぁ……。分かりましたけど、僕はあいつの保護者でも何でもないんですがね」
「いいじゃないか。きみは結衣ちゃんが唯一心を開いている人間なんだから。誰かに好かれるってのは面倒くさいけど、決して悪いことじゃない」
八嶋さんは軽快に言ってお好み焼きの切れを口に運び、やっぱりここのは美味いねと絶賛した。聞けば、この前ここのお好み焼きを出前で食べて、やみつきになったそうだ。この人、今日の目的の半分はお好み焼きを食べることにあるんじゃないだろうか。
「ところで、草野くんの方はどうなの? 公募、出したんだろ?」
「あ、はい……」あまり触れて欲しくない話題だった。「そろそろ前に出したやつの選考結果が出てくる頃合いです。まぁどうせ落選でしょうけど」
「いま書いてるやつはどうなのさ」
「えーと、高校を舞台にした青春ミステリ……なんですけど、筆は進まずって感じですね」
「ふぅん。ま、仕方ないね。きみは世界のことを語るには、いささか若すぎるんだよ」
「僕と結衣は同い年なんですけど、っていうのは禁句でしょうか」
「あの子は仕方ないよ。普通の人と見ているものが違いすぎるんだから、それだけで語ることは両手に溢れるくらいある」
「八嶋さん、さっきから仕方ないばっかりですね」
「そうだよ。人生なんて仕方ないものなんだよ」
八嶋さんはそこでグラスの水をクイッと飲み干した。本当ならビールの場面だろうが、お酒を飲むには外が明るすぎた。これもまた、仕方ないってやつなんだろう。
「あ、そうだ。仕方ないと言えばなんだけどね、草野くん」
「何ですか?」
「ウチの息子さ、まだ高校生のくせに髪を金色に染めやがったんだよ」
「はぁ……」ええと、何と言うか。「要するに愚痴ですか」
「愚痴に決まってるじゃないか。溜まったものはね、吐き出さないと身体に悪いのさ。小便を我慢しすぎると膀胱炎になるのと同じだね」
「お好み焼きを前にして小便について語るのはやめて下さい」
「金髪の何が悪いってね、黒髪で大人しくしてれば手に入る幸せをみすみす投げ捨てているところだよ。寂しかったら友達を作れって教えたはずなのにさ、俺の教育が悪かったのかな」
「さぁ……。知りませんけど、黒髪で手に入るのが分かっている幸せに嫌気が差したから、金髪になったんじゃないですか?」
「む。きみは面白いことを言うね。確かに、手に入るのが分かっている幸せなんて面白くも何ともない。謎が何ひとつない小説と同じくらいつまらない」
「多分、金髪だからこそ得られるものもあるんでしょ。それはそれで貴重です」
「なるほどね。高校にも通わず小説家目指してニートしてる奴が言うと説得力があるよ」
「あなたは焼き子さんですか!」
「でもやっぱり、説教はしないといかんなぁ……」
八嶋さんがセルフサービスの水を注ぎ足し、啜りながらしみじみと言う。このときの八嶋さんはどことなく、お父さんの顔をしているような気がした。
「金髪は校則で禁止されてるみたいだからね。幸せどうこうは別として、関係ない他人に一方的に迷惑をかけるのは感心しないよ。と、良識ある社会人として言ってみる」
「他人に一方的に迷惑かけまくって生きている身としては、耳の痛い発言です」
「まぁまぁ。問題はバランスだよ。迷惑かけた分をきちんと還元できているかどうか」
「結衣の場合は出来ている気がしますけど……僕は出来てないですね。明らかに」
「いかんなぁ。それじゃあ地球が回らないよ」
「は、地球が回らない?」
「そうだよ。きみのせいで地球の自転が停まるんだ。大問題だよ」
八嶋さんは一人で言って一人で納得して、一人で笑っていた。それからグラスをどんとテーブルに勢いよく置いて、
「良し! 決めた。説教する。今日、説教するぞ」
「はぁ。まぁ、頑張って下さい」
「きみと話していたら決心がついたよ。俺の息子をきみみたいなポンコツにするわけにはいかんからな」
「おいコラ!」
「いやぁ、きみと食事が出来て良かったよ。目的達成というわけだハッハッハ」
「ここ、奢ってもらいますからね! びた一文、払いませんからね!」
「そういう言葉は自分で金を稼げるようになってから言うんだよニートくん」
「うるせーよ!」
また、その帰りに焼き子さんにもさんざん虐められたのだが、それはもう割愛。大人が意地汚いのはお金を稼いでいるからに違いない、と僕は確信した。
『あじすけ』の前で八嶋さんと別れて、その帰り道。
まだ午後なので太陽は高く、どこかの学校の前を通ると体育でもやっているのか、体操のかけ声が聞こえる。軒を連ねる商店街は営業中で、人通りも多かった。
八嶋さんと話しているときは会話のせいで余裕がなかったが、一人になって歩くと意識の隙間が生まれる。その隙間に、八嶋さんの「結衣ちゃんの『無能探偵の事件簿』に映像化のオファーが舞い込んでるんだよ」という声が流れ込んでいた。
どろどろと、身体の中に黒色の粘性の血液が巡っているような気がする。
自分の影を踏んで歩く度、僕の内側に嫌なものが煙のように充満していった。
「映像化ねぇ……」
声に出したその言葉は、遠い世界の出来事のように現実味がない。自分の描いた物語が動き出すときってどんな心境なんだろうなぁ、と他人事のように思う。
一応、僕も『無能探偵の事件簿』の制作には関わっているのだが、それでも何故か素直に喜べなかった。自分の好きなものが肯定されていくことに喜びを覚えている自分と、それとは正反対に肯定されるのが気に入らなくて苛立っている自分がいるような気がした。
脳裏に、結衣のだらしない笑顔が強く浮かんだ。
それを掻き消そうと、頭を振る。その度に、自分に対する嫌悪が降り積もっていく。
ふと気付くと、たまに利用する『元村書店』という本屋の前に来ていた。店の外壁に『バイト募集』と誰も反応しなさそうな手書きの紙が貼り付けてある。そのままウチに帰ったらどうしようもなくなりそうだったから、暇つぶしに中に入ってみることにした。
薄暗い店内には客の姿がまばらで、店員もここの経営主のおじさん一人しかいない。本棚の整理をして回っていたが、腰痛持ちなのかしきりに腰をさすっていた。
草野ゆいの『無能探偵の事件簿』は、やっぱり人気の本のコーナーで平積みにされていた。
どうしようもなく手が届かない著名な小説家たちの本と並んで、平積みにされていた。
その光景を眺めていると、またどす黒いものが体内に沈殿し始める。その本の山を突き崩してやろうかという衝動に襲われて、そのことでまた落ち込む。
分かっている。臆面もなく言ってやる。
僕は、雨宮結衣のことが好きだ。
頼られたり甘えられたり、一緒に話をしたり、べたべたしたり、そういう時間を愛していて、彼女がいなかったら生きていけないとまで言ってもいい。
でも、でもそれと同時に。
僕が雨宮結衣に対して、頭を掻き毟りたくなるほどの強い憎しみを抱いているとしたら。
僕は一体、どうやって生きていけばいいんだろうか。




