第二章―06
*俺
進路希望調査の白を埋めることが出来ないまま数日が過ぎていた。元村の奴に尋ねると、
「そんなの、迷ったら『進学』って書いとけばいいんだよ。それで万事解決だよ」
と身も蓋もないことを言われるのだが。しかし、そう書こうとする度に脳裏に父親のくたびれた背広姿が思い浮かび、シャーペンを握った指が躊躇する。『進学』の先にあの背中があるんだと思うと、どうしてもそう書くわけにはいかん! と思ってしまうのだ。
だからってまぁ、他に何がやりたいとか、そういうことは全然ないんだけどさ。
要するに俺は、典型的に駄目な人間なのであった。
「不良なら駄目で当たり前でしょーが!」
青空の下、大声とともに白球がこちらに飛んでくる。河西は女子のくせにキャッチボールがなかなか上手い。グラブを構えて、ボールと衝撃を吸収する。
合同体育の授業で、男女それぞれソフトボールをやっていた。
久々に授業に出たら、教師の「はい、じゃあ二人組でキャッチボールねー」の指示で俺は当然のようにハブられた。というより、自主的にハブられに行った。元村が気に掛けるような素振りを見せてくれたのだが、俺の事情に関係ない友人を巻き込むのは申し訳ないと、自ら孤独の道を選んだのだ。
そうしたら、女子の方で銀髪河西も俺と同じようにハブられていた。
だから余り者同士で、キャッチボールなんてものをやっているわけだ。
「開き直ってどうすんだよー!」
俺も大声をソフトボールに乗せて、河西へと投げ返す。が、ちょっと飛びすぎたようで、白球がジャンプする河西の頭上を飛び越えていった。
「飛ばしすぎだよ! ばかやろー!」
「ごめん!」
ところで、いまだにキャッチボールをやっているのは俺と河西だけである。他の連中は既にチーム分けして、ソフトボールの試合に移っていた。さっきから体育教師がグラウンドの隅にいる俺たちをチラチラと目障りそうに気にしているのだが、まぁ気にしない。どうせ俺が黒髪集団に混ざっても、バットで空振りする度に互いにどう反応していいか分からない微妙な空気しか生まれない気がするし、そこは相互利益の実現ってやつだろう。
「てゆーか、開き直んないとやってけないよ! 世の中!」
河西が俺にボールを投げる。それをグラブで受け止めて、投げ返す。
「確かに、河西は開き直ってるって感じがする!」
「当たり前でしょ! だって、そっちの方が格好いいじゃんか!」
河西が投げてきたボールを掴み損ねた。グラブで弾いて、白球が地面を転々とする。
向こうにいる河西が怒ったように「ちゃんと取れよー! ばかー!」と叫ぶ。その声に試合をしていた女子チームのメンバーがぎょっとしたように河西の方を見やるも、河西は涼しげな表情で腰に手を当てているだけだった。
そういう様子を見ると、やっぱり河西は格好いいなぁと思う。だいたい銀色とかいう、世間に真っ向からケンカを売る態度の髪色をしているあたりからも、その片鱗が窺える。そういえばさっき、キャッチボールのペア決めで取り残されたときも、河西は不機嫌そうに腕組みして突っ立っているだけだったっけ。
進路希望調査の空欄ごときで時間を食い潰している俺は、河西みたいに格好良く存在できていないような気がした。
「でも、どうなんだろうな!」
白球を握り、河西に向けて投げ返す。
「何がだよー!」
「開き直らずに悩んでる奴と! 開き直って堂々としてる奴と! どっちが偉いんだろうな!」
「そんなの知るかよ!」
考えるような時間さえ取らず、河西は自らの無知をボールに乗せて投げ返してきた。試合をしている連中の方から、ボールを金属バットでぶっ叩く小気味のいい音が響いてくる。誰もが空腹を堪える四時間目の青空に、白球が舞う。
「でもさ!」
グラウンドの隅で、河西が怒鳴った。
「どうせバカで、みんな同じバカなら! 自信がない奴より、自信がある奴の方が偉いに決まってるよ!」
「確かに、河西はいつでも自信満々だな! その自信に、根拠もないのに!」
「当たり前でしょーが! 根拠のある自信なんて、卑怯だよ!」
河西が腕を振りかぶって、白球を思いっきり投げ返してくる。今度は俺の頭上を越えていったボールを、走って追いかける。
昼前の青空の下で、仲間外れにされた金色と銀色がグラウンドを駆け回る。
結局、授業が終わるまでずっと河西と二人でキャッチボールしていた。最後の挨拶だけクラスメイトの群れに混ざってこなし、それが終わって体操服の集団がばらばらと教室に帰り始めると、また何となく河西と合流する。グループで談笑しながら歩く人群れの最後尾で、一人でつまらなそうに歩いていた河西に近寄ると、「何で来るのよ」と横目で睨まれた。でも、追い返されはしなかった。
後ろから俺たちを追い抜かしていった体育教師に、変な目で見られた。不良同士、付き合っているとでも思われたのだろうか。
体育の着替えは男子が教室で、女子が更衣室で行う。しかし校舎に入った河西は、更衣室とは反対の方向に歩き始めた。
「なに河西。着替えないの?」
「あっちーんだもん。それより購買でなんか買って、体育館裏のとこでお昼にする。あそこ、風が涼しいから」
「ん、そか」
「きみも一緒に来る?」
何気ない調子で、河西が俺に視線を流してきた。その拍子に何故だか心臓の鼓動が一瞬だけ乱れて、
「っ、うん」
と返事が一拍遅れた。河西は「そう」と淡泊に応じて視線を前に戻し、それきり黙ったままで購買に向かう。
余談だが、ゴールド×シルバーで押しかけたら、購買のおばちゃんが腰を抜かし掛けていた。何だか申し訳ないことをしてしまった。
体育館裏のウッドデッキに着くと、河西がまず壁にもたれ掛かって座り、その横に俺が座る。河西の昼食は総菜パン一個とクリスタルカイザーだった。それを眺めて、水ってところが河西っぽいよなぁとしみじみ思った。
「やっぱ、あっついね。一時間もキャッチボールしてると」
河西が靴下を脱いで足を投げ出し、体操服の胸元をぱたぱたする。河西は起伏の少ない体型だが、さすがに体操服になると年相応の膨らみが見て取れるわけで……そこについ目が行ってしまうのは生理現象の一種なのだろうか。体育の後の、男子とは違う何とも言えず心の躍る匂いが鼻腔をくすぐって、むず痒い。
「ってこら、きみ、いま変なこと考えてたでしょ」
「……え、いや」
「あのね。言っとくけど、そういうの結構分かるから。気をつけた方がいいよ」
「あー……うん」
ごめん、って謝ろうかとも思ったが、それはそれで変な感じになるよなぁと思って、結局曖昧に頷くだけになる。でも露骨に視線を逸らしすぎるのも、逆に意識しちゃってる感じがして嫌だなぁと、思春期らしい悩みを持て余した。
ざぁっ、と風が吹いて、俺と河西の身体を撫でていく。汗が退いていく涼しげな感覚を楽しみながら、しばらく互いに無言でパンを囓る。昼休みの校舎の喧噪は遠くてここまで運ばれてこず、せいぜい表の道路を車が通り過ぎる音がたまに聞こえるくらいだった。
のんびりと平和な昼下がりに、つい心の留め金が緩む。
だからつい、気になっていたことを訊いてしまった。
「あのさ、河西」
「ん?」
「河西って、その……進路とか、どうするつもり?」
「進路って?」
「だからその、何かやりたいこととか、あるのかなーと思って」
「ん。やりたいことか……」
河西は囓りかけのパンから口を離し、しばらく宙に視線を彷徨わせた。
「まぁ、やりたいことは特にないかな。勉強とかは勘弁だし、かといってスポーツやりたいってわけでもないし。……でも、」
「そっか。じゃあ、俺と同じだな」
「え、なに。同じって」
「俺も特に、やりたいこととかないから。で、いま何をやろうか悩み中ってわけ」
「ふぅ、ん……」
河西は気のなさそうな目を俺に寄越し、総菜パンを一口囓り、それから「やりたいこととやることがイコールな人生って幸せだよね」とよく分からないことを言った。
俯いてパンを口に運びながら、どこか安堵している自分に気付く。
それはきっと、河西が俺と同位置にいると分かったことに対する安心感なんだろう。大丈夫、置いて行かれてないと思うと、河西との仲間意識がまた微妙に深まったような気がした。
多分それは、他人との仲の深め方としては最悪の部類に入るものなんだろうけどさ。
「八嶋くん、五時間目どうする? 出る?」
「どうしようかなぁ。どうせ出ても寝てるだけだし、サボろうかな」
「そっか。なら、わたしもサボる」
昼寝しよーっと、と河西が宣言して、ウッドデッキに横になる。両手を重ねて枕として、寝顔を見られることに恥じない無防備な寝姿だ。河西は理屈をこねくり回すのが得意な愛想のない奴だと思っていたが、その寝顔にはどこか幼さが残っていた。体操服のショートパンツから伸びる健康的な素足に、何となく目が行ってしまう。
そのうち河西は本当に眠ってしまったのか、静かに寝息を立て始めた。
その息遣いを感じられるほど河西の近くにいるという事実が、俺に身体の底まで染み渡る安心をもたらしてくれるようだった。




