第二章―05
別に、結衣と一緒にいることが嫌いなわけじゃない。
中学卒業と同時に社会不適合者となった僕は家族に空気同然の扱いを受けているし、かといって気晴らしに遊べるような友達がいるわけでもない。だから現時点では、雨宮結衣は僕にとって一番近しい存在だった。結衣と一緒に過ごす時間は、僕が人間であるための大切なものを恵んでくれているような気がした。
ただ、結衣と一緒にいると自分のどこかが磨り減っていくのを実感する。
心のある特定の部位がやすりに掛けられたように、だんだんと削り取られていくのだ。その度に僕の人生は色を失い、鈍く錆び付いていくように感じる。いつか自分を保てなくなるまで磨り減ってしまうんじゃないかと、そのことだけが怖かった。
さっきの焼き子さんとの会話でも、その心の摩耗を感じた。
「シュンちゃん、どしたの? 難しい顔してるよ」
「え?」
はっと我に返ると、お好み焼きの切れを手にした結衣が、僕の顔を覗き込んでいた。何でもないよ、と曖昧に答えて、僕も自分のお好み焼きに手を伸ばす。
「ふぅん……。でもシュンちゃん、最近そういう顔すること多いよ。世界の不条理について考えてます、みたいなの」
「そうかな」
「そうだよ」
結衣は断言してお好み焼きを口に運び、それからじっと僕の目を見つめた。そのまま沈黙し、僕の心に不安定なものが生まれる頃になって、おもむろに唇を動かす。
「……ねぇシュンちゃん。シュンちゃんはわたしのこと、好き?」
「キミはいきなり何を言い出すんだね」
「ねーねーどうなのー?」すりすり。
「そりゃまぁ、好きだよ」
「ほんとに? なんか嘘くさいなー」
「ホントだって。昔からずっと」
「ふーん。ならいいけどね」
結衣は納得したのかよく分からない反応を寄越して、ごろんと床に横になった。結衣の分のお好み焼きはまだ四分の一ほど残っていたが、「それはシュンちゃんが食べていいよ」と僕のところへ運ばれてきた。
結衣は天井のライトに眩しそうに手をかざして目を細め、それから何の前触れもなくこんなことを言った。
「あのね、シュンちゃん。世界は愛とお好み焼きと小説で出来ているんだよ」
「…………はい?」
「世界のこーせーようそ。愛と、お好み焼きと、小説」
「それがどうしたのさ」
「どうもしないけどね。今、なんとなく思った」
「あっそ、う」
結衣は時々意味不明なことを口走る。他者と交流する機会が極端に少ないせいか、自分の中で色々と完結しすぎちゃっているんだと思う。
「そういえばさ、シュンちゃんがいない間に八嶋さんから電話あったよ。一度会いたいって」
八嶋さんというのは小説家・草野ゆいの担当編集者さんの名前だ。
「会いたいって、誰に。結衣か、それとも僕か」
「わたしが外に出て行けるわけないじゃないかー!」べしっ。覇気のない蹴りを入れられた。
「僕と一緒に行くって手もあるけど。僕と一緒なら、外出も平気なんだろ?」
「まぁシュンちゃんとなら平気だけどね。でもやだよ、人間に会うとか」
「きみはとりあえず、その極端すぎる引き籠もり癖を治そう」
「いいじゃないか。わたしは一生小説を書いて暮らすんだー」
「……まぁそういう人生もあるかも知れないけど」
「分かったらシュンちゃん、よろしく。八嶋さん、また後で連絡するって言ってたから」
「はいはい」
緩く同意して、僕の方もお好み焼きを食べ終わり、結衣の横に並んで寝転がる。それを待っていたかのように結衣が転がってきて、例によって僕を抱き枕とした。
「あぅわー。やっぱシュンちゃんの隣は落ち着くね。このまま眠っちゃいそうだよ」
「小説家さん、仕事しなくていいんですか。平日の午後ですよ」
「いいのいいの。ちょっと昼寝するだけだから」
「そろそろ僕、自分の小説を書きに戻りたいんだけどね」
「だいじょうぶ。シュンちゃんは小説なんて書かなくても、抱き枕になってるだけでいいんだからー」
「……………………」
何となく、どう返していいか分からなくなって黙り込んでしまった。
平日の昼下がり、胃の中のような生温さに包まれながら、結衣に抱かれたまま眠気に襲われる。
一切の欲望が満たされていて、手を伸ばせば届く範囲に全てのものがあるような状態。
それは水を飲み過ぎたときの苦しさと、どこか相通ずるものがある気がした。
あぁ、やっぱり駄目だ。
磨り減っていく。
僕の中の大切なものが、がりがり、がりがり。




