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レイナ・クレイトンの長旅  作者: ニノマエツバサ
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Make it impossible

04.Make_IT_impossible_V1.02

 魔法使いレイナ・クレイトンは、同僚コリー・フェローと共に魔法具を使用した殺人事件の調査を始めた。なにかとレイナにちょっかいを出してくるベレッタ・バレットをあしらい、事件の整理を行う。レイナはコリーに事件のあらましと共に自分が担当になった経緯を話し、過去の事件の首謀者と、今回の犠牲者たちとの関係を探るように依頼する。

 学院に戻ったレイナは疲労のためめまいを起こす。倒れそうになったところをラルリーク導師に助けられる。幾つかの雑談をした後、レイナの元に二人の生徒がやってくる。彼らはラルリークの支持によるものだという。ラルリークのさりげない助力にレイナは感謝する。

 ラルリークの助力と、コリーの調査によって事件の全容を明らかにしたレイナは、一連の事件の犯人を捕らえるべく行動を起こす。レイナは狙われそうな魔法使い(リューデガー)に変装(魔法)して犯人を待ち、捕らえることに成功する。ことが終わったことを察して現れたリューデガーは、レイナを陥れようとするが、レイナはそれを看過し、逆にリューデガーを捕らえる。最後にやってきたコリーに指示を出すと、レイナは疲労に負けて眠りに落ちる。

 レイナが目覚めたのはラルリークの私邸で、ラルリーク夫人に介抱された。話を聞きたがる夫人の無言の誘いをさりげなく断りレイナは学院に戻る。裏で糸を引いていたのが学院長ではないか、と直接詰めよる。学院長はその返事の替わりに一通の手紙をレイナに渡す。レイナは、その手紙によって、今回の犯人が犯行を決意したことと、その手紙が友人によるものだとわかり、戸惑う。

 レイナ・クレイトンは激しく泣きじゃくる空を見上げてゆううつになった。雨は嫌いではなかったが、雨の中を歩くのは好きではない。目の前の屋敷は豪勢と言っていいはずだが、灰色の壁が灰色の空に溶け込んで陰鬱な感じをぬぐいえない。

 レイナは黒髪を左右に揺らして、纏わり付くような湿気を振りはらうと、決然として表情を引き締めた。半端な気持ちで臨んで良い仕事ではなかった。

 レイナは扉をくぐるときふと思った。屋敷の主は今頃天国の扉をくぐっている頃だろうか、と。


 重い扉を開けて部屋に入るとむっとする鉄の匂いが鼻についた。嗅ぎ慣れた血の匂いだ。

 レイナは青い目の端に苦笑を浮かべた。慣れるほど血をかいでしまったことに自嘲せざるをえない。

 部屋の中央には小柄な女性がうずくまっていた。その傍らには初老の男性が仰向けに倒れている。よほどの苦痛に見舞われたのか、顔はゆがみ、目は見開かれている。周囲のカーペットは赤黒く染まっていた。

「何かわかったかしら」

 小柄な女性は首を振って立ち上がった。彼女はレイナより若いが、年齢よりさらに幼くみられることが多い。レイナの元同僚の魔術師でコリーという。

 コリーは口に軽く手を当てて答えた。

「魔法の跡はありましたが、詳しくはわかりません」

「魔法によるものでまちがいないのね」

 コリーはうなずいた。普段は明るい顔に影が差している。レイナはコリーを下がらせて男の傍らに立った。よく見ると腕は奇妙な角度で、本来関節がない場所で曲がっている。胸から腹にかけてやけに平坦だった。慎重に男の腕を押し、手袋越しに伝わる感触に慌てて手を引いた。その感触は生者とも死者とも思えず、彼の皮の内側がどうなっているか想像し、吐き気を覚えた。

「ジャルランデル導師の事件からこっち、めっきり減ったと思ってたんですが」

「まったく、どこの誰だか知らないけど、迷惑を被るのは誰だと思っているのかしらね」

 冗談めかしてはいるが、魔法を使った犯罪が発生するたびに魔法使いへの不信感が高まり、魔法の恩恵より前に恐怖が先に立ってしまう。所謂、邪悪なる魔法使いが一掃されてすでに二百年が経過しているが、人々の深層に刻まれた魔法への恐怖は容易にぬぐい去れるものではないようだ。

 学院の創設によって魔法は生活のあちこちに広まりつつある。同時に、魔法を学んだ者による、魔法による犯罪も起こるようになった。厳しい制限、すなわち他が為の魔法、利己的使用に対する苦痛、という枷があっても、法というものは明文化されれば必ず抜け道が出来る。その抜け道を使う者がいなくなることはない。

「いやな事件ね、全く」

 ため息をつきながらレイナは部屋を出た。待機していた魔法使いに声をかけると慌ただしく部屋に入っていった。

「あれが、実戦部隊ですか」

 物珍しそうなコリーにレイナは頷いた。初動捜査は彼ら実戦部隊の手によってすでに終了している。彼らは、対魔法使いとして組織され、魔法による事件や事故を捜査、解決することを第一任務としている。もっとも、設立から日が浅く経験値が低い。そのためレイナは、私がつくまで絶対に死体にさわるな、と厳命していた。これから、男の死体は慎重に学院に運ばれ、彼らによって検死がおこなわれるだろう。あの異様な死体に立ち会った者のうち、今日の夕食を食べられるものが果たしているだろうか、とレイナはやや意地悪く思った。

 屋敷のホールではやや意外な人物がレイナを待っていた。レイナより年上で、夕日のような赤い髪の色の魔法使いベレッタ・バレットだった。

「相変わらず、学院一の才女はお忙しいようね」

 ベレッタの声は冷たい。

「ベレッタさんこそ、お忙しいのに、こんな所まで何のご用です?」

「私はこれでも遺跡管理局の次長よ? ここで魔法具による殺人が行われたって聞いたから飛んできたのよ」

「そうですか」

 レイナの対応は素っ気ない。ベレッタはレイナを目の敵にしており、何かにつけてちょっかいを出してくる。普段なら毒舌であしらうのだが、今のレイナには、相手をしている時間も、気持ちの余裕もなかった。

 ベレッタは反応がないことにむっとしてレイナをにらみつけていたが、何も言いだしそうにないことを悟ると、北風にとげを含ませたような声で言った。

「何かわかったの」

「捜査は実戦部隊が行っていますから、じきに彼らが報告書を提出するでしょう」

「つれないわね。何かわかったんならいいなさいよ」

 ちょうどそこに、二人の魔法使いがシーツで覆われた塊を運んできた。大きさと形からして、先ほどの男の死体だろう。地上から一フィートほどを浮上させながら器用に運んでいる。レイナはそちらの方を見ながらつぶやくように言った。

「話せば、しばらくプディングを食べられなくなりますよ」

 ベレッタは鼻を鳴らした。

「プディングがいやならオートミールを食べればいいじゃない。……それで、使われた魔法具は見つかったのかしら」

 レイナはベレッタに視線を戻した。

「いいえ、まだ見つかっていません。他の件と同じように」

「そう、それじゃ、魔法具の名前とか、効果はわかったの?」

「そちらも不明です」

 ベレッタは何度か頷くと、もう用はない、と言う風に去っていった。

レイナはあっけにとられた様子のコリーを促して屋敷の外に出た。雨は小降りになっていた。レイナは胃のあたりに不快感を覚えて手を当てた。考えを整理しようと空を見上げると、お腹が小さな声を上げた。考えれば朝パンを二口かじったきり、何も食べていない。

「コリー、お昼を食べましょう。あれを見た後に食欲があれば、だけど」

「あ、ああ、そうですね。そうしましょう」

 無理して笑っているのがわかる。私、この前おいしいお店を見つけたんです、レモンパイが絶品なんですよ、と努めて明るく振る舞っている。

 レイナは適当に相槌を打ちながら歩き出すと、思考の海へ潜っていった。


 ジノーヴィ・ジャルランデル。学院の高位導師であり、遺跡管理局局長であった。白髪に黒髪が混じったな五十代の男で、彼を知るものは口を揃えてあの嫌な奴、と言った。回りくどい発言と捻くれた返答が嫌われる要因だったが、本人はいっこうに気にした様子はなかった。

 性格に問題があった彼が重用されたのはその非凡な能力による。

 古典に通じ、解析魔法に長じており、古い魔法道具の調査と解明に心血を注ぎ、多大な成果を上げていた。中でも、似たような魔法道具から同様の性質と異なる性質を抽出して分類整理するという手法によって魔法道具に対する研究を大きく進展させた。

 しかし、彼が真に求めていたのは過去の解明ではなく、過去の復権であった。魔法使いによる支配、と言う悪夢を再び蘇らせようとしていたのだ。

 ある日、彼は姿を消した。膨大な量の魔法道具とともに。

 即日、王家と学院に対して布告文が届けられた。内容を要約すると、次のようなものだった。

 王家は国の統治権を自分、ジャルランデルに譲渡すること。魔法使いを能力に応じて貴族階級へ編入すること。魔法を使えない者は魔法使いより一段下の存在であり、その生殺与奪の権利は魔法使いが有する……。と言った内容で、いわば古代の魔法使いが行っていたことを明文化したものであった。結びは、要求がいれられないときは、実力をもってする、と。

 この布告文は受け取った者の肝を冷やしたが、同時に彼の限界を露呈してもいた。すなわち、実力でもって制圧できないからこそ、指導者に対して脅しをかけてきたのだった。仮に、一言二言で人が殺せるなら、城に乗り込んで王を殺して、次はどいつだ、と言えばいいのだから。

 王家と学院はジャルランデルの潜伏先を少数の精鋭で急襲した。彼の持つ魔法道具はどれも強力で突入部隊は苦戦したが、不意を突かれた不利は大きく、最後には隠れていた遺跡とともに地中へ没した。

 ジャルランデルの死後、落ち着くまもなく学院の再編が行われ、各所に監査が入り、不正が摘発された。多くの犯罪も明るみに出た。中でも犯罪結社に魔法が流出していたという事実は内外に驚愕をもたらした。事件の後、魔法使いを狩る魔法使いを育成し、実戦部隊が作られた。これは魔法の軍事利用を促すとして反対意見があるが、犯罪者への対応が急務であるとして却下され続けている。


 レイナは鼻腔をくすぐった香ばしい匂いに意識を浮上させた。テーブルにはパン、野菜のスープ、チキンのフライなどが並んでいる。

「おかえりなさい」

 顔を上げるとコリーが笑みを浮かべていた。屋敷を出てから店に着き、料理が出てくるまでずいぶんあっただろう。考えると周りが見えなくなるのは悪い癖だと思いながら、レイナは口に出してはこういった。

「ただいま」

「何を考えていたんですか」

「ジャルランデル導師のことを、ね」

「……嫌な事件でしたね」

「そうね、もうすんだことだけど、だからこそ、これからどうするかを考えないと……」

 ジャルランデルの起こした事件が彼一人の問題だとはレイナは考えていない。根底にあるのは力への渇望であると同時に力に対する憎悪でもある。

 魔法使いは民衆を虐待した。その後、民衆は魔法使いを弾圧した。双方が相手の力を恐れている。ジャルランデルが魔法使いによる支配を望んだのは、再び狂気の弾圧を起こさせないためであったのだろうか。多かれ少なかれ、やらなければやられる、という気持ちがあったことは間違いないだろう。魔法使い、特にあの弾圧と失意の時代を乗り切り、地下で連綿と魔法を繋げてきた古い家系であればあるほど、あの古い記憶を見せられているはずだから。

「相変わらず、苦労性ですね」

「気をつけてはいるのよ、これでも」

 気をつけてはいるが、どうにもならないからたしなめられることになる。

 レイナは大きく息を吐くと、食器を下げられて広くなったテーブルの上で手を振りながら魔法語を唱えた。すると、次々に書類や本、地図などが現れた。レイナの独自魔法の一つで、自身が見たことのある文字を完璧に再現するという幻術だ。本であれば本のまま、ぼろぼろの紙片に下手くそな字でもそのまま現すことができる。難点は絵や図面などではやや精度が落ち、立体物はほとんど表現できないことだ。レイナ自身は覚えているのだが、表に出そうとするとぼやけてしまうのだった。

「今回の事件を整理していきましょう」

「いいんですか、こんなところで」

 コリーは周囲を見回した。十数卓のテーブルに座っているのは片手で数えられるくらいで、店内は閑散としていた。

「大丈夫そうですね」

 あきらめたようにコリーが言った。何もないテーブルの上でやりとりする姿は奇妙に映るだろう、と考えながら、レイナの話に耳を傾けた。

「じゃあ、おさらいで、背景から始めましょうか」

 魔法を使った犯罪は増加している。それはスリや空き巣などに使用される場合が多い。簡単な魔法、『三本目の見えない手』や『解錠』を使えば高い効果が得られるからだ。このような犯罪は証拠が残りにくく犯人の検挙が難しい。住民の防犯意識を高めたり、衛視による巡視を強化したりといった地道な活動がゆるやかに犯罪を抑制していく。学院としては犯罪に使われそうな魔法を検知する魔法や対抗魔法を教えている。

 一方、殺人をはじめとした重犯罪に対しては国より学院が敏感に反応する。魔法と魔法使いが民衆にとって危険であるという認識が高まれば、迫害と弾圧という苦い過去の再現が行われてしまう。

 この度の魔法を使った連続殺人は学院上層部の頭と胃に十分すぎるほどの痛みを与えた。さらにその被害者が全て魔法使いであり、かつ貴族または富豪であるという事実は王族と諸貴族を動かすに足り、国王の勅命によって他の事件に優先することが明言された。

学院は新設した実行部隊を動員しつつ、別の手を打った。すなわち、犯人に対抗できる魔法技能を持ち、知識と経験と正義感に溢れ、頼まれたらいやとはいえない性格の持ち主である高位導師に捜査を指令した。

「……なるほど、それでレイナさんなのですね」

「コリー、納得しすぎよ」

 レイナはたしなめたが、自分でも笑っているから説得力がない。実際、学院長から説明を受け、反論しかけたレイナに投げられた、「君以外の魔法使いに任せたとして、まともに事件が解決すると思うのかね」という一言には声を失った。学院の魔法使いたちを次々に脳裏に浮かべたあと、深々と息を吐いた。自分がやった場合より悪くなっても、良くなることはまずないだろう、と。

「相変わらずですね」

「そうね。でも、これ以上やらせるわけにはいかないから……」

 そういうところが学院長に乗せられる要因だろうとコリーは考えている。レイナは正義感と責任感が人一倍強い。無論、褒められる美点だが、今回のような重大事件を半ば押しつけられることが多いように思われる。

 事件の概要はこの十日の間に三人の魔法使いが殺害された。魔法が使われたことはほぼ確実で、どれも残酷な手段が用いられていた。

 彼らの共通項は初老から老境の男性で、魔法使いであり、少なからぬ資産があり、魔法具のコレクターであった。ポケットマネーか学院の金を使ったのか定かではないが、個人的に魔法具を収集していたようである。実際、彼らの屋敷にはいくつもの魔法具が保管されていた。

「それで、この中に手がかりがあるとお考えですか」

「まあ、そういうことね」

 テーブルの上には分厚い紙の束が表されていた。彼ら三人が保管していた魔法具のリストだ。学院が存在すら確認していなかったものもあり、研究対象として非常に興味深いが、今回注目すべきは、これらの魔法具がどこからきたのか、と言うことだ。

「遺跡や魔法具の全てが学院で管理されているわけではありませんし、出所が気になる理由があるんですか?」

「大ありよ。このリストに載っているもので、学院で管理されていたものがあるわ。保有リストと照らし合わせてみてわかったの。チェックを始めたばかりだからどれだけ流出しているか見当もつかないけどね」

 コリーはリストの一枚を手にとった。幻術であることを忘れるくらい精巧に出来ていて、いくつかに線が引いてある。それらはコリーも知っている魔法具で、彼女たちが遺跡から持ち帰ったものだった。

「こんなものまで」

「そう、国がひっくり返るとまでは行かないけど、社会的な混乱を引き起こすには十分すぎるわ。今、屋敷を探させているけど、このうちいくつかは見つからないでしょうね」

 レイナは額に手を当てた。このところ彼女は断続的に頭痛に襲われている。問題が大きくなるほど痛みも酷くなるようだった。

レイナは片手で頭を押さえて目を閉じた。しわの寄った眉間からは、痛みよりむしろ責任に耐えているようにみえた。

「それじゃあ、このリストの照会を?」

 顔を上げたレイナに、書類の束を相手ににらみ合っていたコリーが問う。やや腰を浮かせて、今にも飛び出していきそうだ。

「いいえ、それは私がやります。コリーには別のことをやってもらいたいの」

 コリーはきょとん、として首をかしげた。子供っぽい仕草だが、童顔と相まって違和感がない。レイナは笑みを浮かべた。

「殺された三人の屋敷で捜し物をしてほしいの。三人とジャルランデルの繋がり、その要となるアイテムを」

「それは、魔法具ですか?」

「ええ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。手紙かもしれないし、物として残ってないかもしれない。もしかしたらないかもしれないけれど、繋がりを示す手がかり、それだけでもみつけてほしいの」

 コリーは呆然としてレイナの声を聞いていた。一度きつく目を閉じ、数語つぶやいてから目を開けた時には決意を固めていた。

「わかりました。やらせていただきます」

「ありがとう。助かるわ」

 レイナは頭を下げた。コリーは笑顔で応じると席を立った。

「そうと決まればぐずぐずしている暇はありません。急ぎましょう」

 童顔に決意をひらめかせ、颯爽と歩き出したコリーの胸中には不安が渦巻いていた。

 ジャルランデルとその同志たちは、何を望んでいたか。世界征服という夢物語を本気で追っていたのなら、何を持ってそれをなすか。他人の意志を操る魔法を始め、世界中を支配できる、あるいはそう錯覚させる魔法はいくつかある。そのうちどれか、ということを調べてこい、とレイナは言ったのだ。すでに取り返しのつかない場合は、対抗手段を講じるべく手を打て、と。

 コリーは涙が出そうになった。レイナは自分が前衛に向いていないことを自覚しつつ前線にでようとする。今回の場合であれば、レイナは抑制と囮としての効果を考え、やや大げさに捜査をすることにしていた。もし、すでに犯人が世界を支配するに足る力を手に入れていた場合、目障りなレイナは殺されるか、精神を支配され、学院の敵となるだろう。

レイナは、コリーを危険にさらさないため、比較的安全な位置に置いたのだ。金のない家に泥棒が入ろうとするだろうか、ましてそれが、自分が盗みに入った家だったら。

コリーは悲しく思ったが、自分の力量をわきまえていて、戦闘においてはレイナの足手まといでしかない、ということを理解してもいた。

 ゆえに、コリーはレイナの提案をいれた。

 颯爽と去っていったコリーの背中を見送ると、レイナは静かに席を立った。払いを済ませて店を出る。陽光に目を細めながら顔を上げると、街のどこからでも見える三角の塔がそびえていた。

 レイナは全身に軽い緊張を感じながら、魔窟と揶揄される奇怪な塔へ向かっていった。




 学院に戻ったレイナは体に違和感を覚えて立ち止まった。いぶかしむ間に視界が白濁する。覚めた意識の中で体の自由が失われていく。魔法による攻撃を受けたのか、と思った。魔力を集めるために精神を沈めようとして失敗し、ぐらり、と身体が傾く。そこでようやくめまいを起こしていることに気がついた。そして、ここで倒れたらみっともないな、などと考えつつ、衝撃に耐える準備をした。

 だが、いつまでたっても背を打つ痛みも床の冷たさも襲ってこない。

「大丈夫かね、クレイトン導師」

 腹に響く低音が全身を叩いた。目を開けると、厳めしい顔つきをした老境の男性が岩のような顔をゆがめている。学院の高位導師の一人、ラルリークだった。

「ええ、大丈夫です。軽くめまいがしただけですから」

 レイナは礼を言って立ち上がった。やや足取りに不安を覚えたが気力と、ほんの僅かの魔力を足に込めてまっすぐ立った。

「その気力は賞賛に値するが、顔色が優れん。魔法を使って立つくらいだ。医務室へいった方がよい。不都合でなければ付き添おう」

 不都合だったので、レイナは丁重に断り、早々に休養することを約して、二人は並んで歩き出した。

 それにしても、とレイナは内心で舌を巻いた。先ほどの魔法は長い詠唱も複雑な動作もない、単音節の魔法であり、魔力の揺らぎもごく僅かであった。にもかかわらずこの巨岩のような魔法使いは明確に見抜いていた。もっとも、顔色の悪さは隠しようがないので、こちらが主要因かもしれなかった。

「そうそう、先日は急に代講をお願いしてしまってすまなかった。おかげで助かった。礼を言う」

 ラルリークは大きな身体を小さく折った。

「いえ、時間が空いていましたから。それで、奥様のご様態は」

「うむ。医者は、よくもっている、とそればかりでな……」

 ラルリークの顔に影が差し、レイナは太陽が山の陰に入ったような印象を受けた。

 ラルリークは、魔法使いより武人というほうがしっくりくる堂々たる偉丈夫で、老いてなお豊かな灰色の髪と同色の瞳が厳めしい顔を彩っている。背は高く、成人男性の平均をこぶし二つほど上回るレイナよりさらにこぶし二つほど高い。その全身を実戦で鍛え上げられた隆々たる筋肉が覆っている。武術に通じ、並の戦士では太刀打ちできない腕前で、学院の実戦部隊に格闘と棒術を指導している。

 一方、彼の妻は、背丈は彼の胸に届かないほど小柄で華奢で、良くも悪くも温室の可憐な花であった。周囲の人々は二人のことを美女と野獣と評したが、レイナの見る限り子猫を守る虎といった方が正しいように思えた。

 彼の妻は重い肺病を患っており、二ヶ月に一度は寝込む。倒れる度に覚悟を決めるように言われているが、二人が出会った当時は月の半分をベッドの上で過ごす状態だったことを考えると、快方に向かっていると思われる。夫の献身的な介護のおかげだろう。

 先日、彼女は町中で倒れてしまい、ラルリークは顔を青くして飛んでいった。動転していたはずだが、後の処理は怠らなかった。彼は濁流のような勢いでレイナの部屋に駆け込み、早口で事情を説明し、簡単だが的確に引き継ぎを行い、嵐のように去っていった。

 けたたましい音を立てた扉を見つめながらレイナは深々と息を吐いた。ラルリークはレイナの上司ではなく、本来なら学院長に言うべきところだが、正規の手続きを無視したことにはしっかりとした理由があった。学院長は現在、宮殿に足を運んで不在であり、彼の部屋から近く、まともと呼べる人物はレイナくらいしか居なかった。そこまで考えた後、黒髪の才女は重い腰を上げて部屋を出た。ラルリークが残した授業の時間が迫っていたからだった。

 レイナは顔を上げてラルリークを見上げた。彫りの深い彫刻のような顔が石のように堅くなっている。ラルリークは石でない証拠を示すように嘆息した。

「出会ったときはあと半年。結婚するときにあと一年。今は三年先はないと思え、と言われる。回復はしているのだろうが、言われる方はたまらんな」

「心中、お察しします。ところで、魔法薬エリクサの方は試されたのですか」

 ラルリークは太い眉を跳ね上げた。

「クレイトン導師、貴女は、あのテア・テッシェンに調薬を頼めと言うのかね。あの学院最高の錬金術師に?」

 その口調には賞賛とともに批判的な成分が含まれていた。レイナは苦笑を浮かべながら彼女でなくても、といったが、彼女以外の信頼できそうな者にはすでに診てもらっているだろう。

「悪い人ではない、と私も思う。知識と経験、実力とそれに伴う実績を持っている。……だが、いかんせん、なんというか、頼みづらくてな」

 常に率直にして簡潔を好むこの厳つい魔法使いが回りくどい表現を使うのにはわけがある。テア・テッシェンはレイナと同年代の魔法使いであり、自他共に認める錬金術の大家である。数百とも数千とも言われる魔法薬の材料のほとんど全てに精通しており、狙った効果をほぼ完璧に現すことが出来る。ただ、彼女には奇妙な悪癖があって、新薬の実験体として友人知人を使うのだった。生死に関わるようなことはないのだが、皮膚が緑色になったり、髪の毛が一日一フィートも伸びたりして、はなはだ不快な目に遭うのだった。

 テッシェンも生死がかかった仕事で遊ぶとは思われないが、敬遠したくなってしまう気持ちは分からないでもない。

 ラルリークが足を止めた。いつの間にかレイナの部屋の前まできていた。厳つい魔法使いはしかめ面で灰色の髪をかき上げると、遠くを見つめて考え込むようだった。それはごく短く、灰色の目に走った閃きは瞬間的であったが、レイナは見逃さなかった。

「また、何かしら頼み事をするかもしれんが、よろしく頼む」

 ラルリークは深々と頭を下げると、大股で歩み去っていった。

 残されたレイナは書籍で埋もれた部屋に入った。部屋の中央に置かれたソファに腰をかける。最近、必要に迫られて購入したものだ。仕事が増えて何かと人に会う機会が多くなり、本の山を介しての会話は、主に相手の不快感を誘ってしまい、仕方なく応接セット導入した。そのために本を置く場所が減ってしまってレイナは残念に思っている。

 三人掛けのソファに、低いテーブルを挟んで一人掛けのソファが二つ置かれている。三人掛けの後ろにレイナの、一人掛けの後ろにコリーの机が置かれ、右手はがらくた置き場と化している。

 レイナは机に置かれた分厚い紙の束に目を通し始めた。魔法具の名と効果、保管場所、確認時の日付、管理者などが記されたリストだ。まとめた時期によって何冊もあり、正直辟易していた。読むのは苦にならないが、数百に及ぶ物品の確認を含めた作業を思うととてもじゃないが手に負えない。

 気合いを入れるために飲み物でも用意しようと席を立つと同時に、戸が叩かれた。

「失礼します、クレイトン導師?」

「はい、なにかしら」

 小柄な少年が頭を下げた。

「シェイクといいます。こっちは」

「ネオンだ。シェイクの保護者だ」

 ネオンはシェイクよりさらに背が低く、童顔も手伝って少年と言うより幼子に見える。実年齢は三二で、子供扱いするとやや不快な顔をする。

 二人は居心地が悪そうにソファに座り、四方の壁を物珍しそうに眺めていた。

「ところで、用件は何でしょう」

「ああ、ええっと、ラルリーク先生からこれを渡すように、と」

 シェイクは手紙と、薄い封筒を差し出した。

 手紙には角張った字で堅苦しい表現が並んでいた。

 曰く、提出された論文の検証を行っているが、自分は専門外なので、深い知識を持つレイナにも検証を頼みたい。同時に、所用があって数日間都を離れなければならないので、不肖の弟子たちにも教えてやってほしい。必要な作業があれば構わず使ってくれ、と。

 同封された論文に素早く目を通したレイナの顔が奇妙に歪んだ。確かにラルリークの専門外ではあったが、わざわざ他者に頼むほど難解なものではなかった。すると、弟子をよこした理由は何であろう。

 レイナはラルリークの思考を読んだ。

 ラルリークはレイナに対して借りがある、と思っている。そして、同等かそれ以上の礼を持って返さなければならないと考えている。現在、レイナの抱えている、魔法使いの連続殺人事件は重要かつ緊急で、下手に手を出せばかえって足手まといになりかねない。かといってレイナの指揮下に入ろうとすれば、レイナの性分では目上のものを使う気にはなれないだろうし、格式や形式を重んじる者たちからも忌まれる。

 それゆえ、ラルリークはレイナが断れず、周囲を納得させるのに十分な理由を持つような援助をするだろう……。

 レイナは三つほど数える間にそれだけのことを考えると顔を上げた。厳つい魔法使いの苦悩の結果が、目の前に二人いる。

 レイナは黙ってラルリークからの手紙を二人に差し出した。彼らが読み終わるのを待ってから、出来るだけ悠然とした口調で言った。

「ラルリーク先生は、私にあなたたちの指導を依頼されました」

 小柄な二人はお互いの顔を見合わせ、そろってレイナに視線を向けた。

 レイナは、穏やかに見えるだろうか、と思いながら微笑を浮かべた。

「取り立てて成績が悪いというわけではないようですが、総合的に鑑みて、魔法具に関する知識にやや不足がみられますね」

 レイナは机に置かれていた分厚い束を取り上げると二人に示した。

「これは現在学院が保有している魔法具のリストです。魔法具の名称と簡単な説明が書かれています」

シェイクは束を受け取ると数枚めくり、顔色を変えた。

「もしかして、これを……?」

「ええ、保管庫にいって現物を確認してきてください。全部見て、ちゃんとチェックをつけること。それから、特に気になった魔法具に関して調べてレポートすること。以上を明日の正午までに、できますか」

「どうする、シェイク、数百はあるよ」

 シェイクはちらりとレイナを見た。視線が合うと、何かを理解したように頷いた。

「やろう、ネオン。見てまわるだけならそんなに時間はかからない。それに……」

「それに?」

「……それに、ラルリーク先生のお仕置きはキビシイからね」

 諦めたような笑いを浮かべるシェイクを横目に見ながら、ネオンは顎に手を当てて考え込んだ。つぶやきは声にならなかったが、どうやら学院中のトイレ掃除とどっちが楽か、と言ったようだった。

 シェイクは立ち上がってラルリーク仕込みの敬礼をすると、少し困ったような顔をした。

「一つ、質問があるのですが」

「なにかしら」

「保管庫に入るためには、許可が必要ですか?」

 レイナは頷くと、引き出しから紙を取り出し、二人の入庫許可証を書き上げた。




 夕日の弱い光が室内に差し込んでいる。開いた窓からは緩い風が入り、遠くからかすかに喧噪が聞こえてくる。夜へと向かう一瞬を意識し、レイナは軽い疲労を感じた。

「何かわかりましたか」

 扉が開く音とともに、コリーが入ってきた。レイナは書類から目を上げ、眉間のあたりを軽く揉むと、自然、息が漏れた。

「ええ、まあね。あまりうれしくないけれど」

 羊皮紙には現在学院が管理している魔法道具がリストアップされていた。厚い書類の束は三つあり、一つはジャルランデル事件前のもの、もう一つは事件後のものだ。事件前後で項目から消えているアイテムはジャルランデルが横領し、隠蔽のため削除したのだろう。三つ目のリストは事件後に回収された魔法道具が並んでいる。

 レイナは三つ目のリストをコリーに示した。項目のほとんどに黒線が引かれている。黒線が引かれていないアイテムは、回収されたと報告があったにもかかわらず指定された保管場所になかったものである。今朝方、シェイクとネオンの二人が眠そうな顔を揃えて現れて、どこを探しても見つからなかった、と言っていた。

「回収して隠したんですね。」

「そう、それを見て、何か気がつかないかしら」

 コリーは小鳥のように首をかしげ、リストに視線を戻した。読み進めるうちに表情が曇っていく。

「酷い魔法ばかりですね」

「そうね、酷い魔法なのだけど、これを使って彼らは何をしようとしていたのか」

 コリーは腕を組み、左手を顎に当てた。

「殺人、でしょう」

「そう思った理由は?」

「このリストにある魔法具のほとんどが、人を殺すためのものだからです」

 人を切り刻む魔法、内側から焼く魔法、全身を麻痺させ動けなくする魔法。彼らが隠匿した魔法具は、抵抗できなければ、あるいは魔法が解除されなければ死に至る、残酷な効果を発揮する。

「でも、即死ではない」

 レイナが言った。コリーは一瞬、何のことかわからなかった。やがて、レイナの言わんとすることが理解され、顔が蒼白になっていく。震える手で口を押さえた。

「まさか、そんな」

 コリーは懇願するようにレイナを見た。嘘だといってほしい、と目が訴える。

「これらは、見せしめとしての殺人を目的に作られている」

 レイナは目を閉じた。コリーの視線に耐えられなかったのではなく、自分の考えの正しさと、彼らの非道さに耐えられなかったのだ。

「彼らは、恐怖による支配を目論んでいた」

 レイナは瞑目したまま続ける。

 圧倒的な魔法による武力支配は現状では望めない。過去の偉大な魔法使いのような膨大な魔力を持たないことが第一の理由だが、組織化されつつある魔法使いたちが抵抗するだろうし、そうなれば世界中を巻き込んだ戦乱となり、特権という美酒を飲む前に、戦いと勝利に敗北の恐怖を混ぜた険しい道を歩まねばならない。それは彼らの望むところではない。

 そうであれば、精神的な支配を考えるだろう。対象を意のままに操る魔法は存在するが、様々な制約があって実用に耐えない。十分に使える威力があるものは魔力足りず行使できない。それが可能な魔法具は、記録にあるものは破壊されるか失われるかして存在が確認されていない。

 では、直接ではなく、間接的な精神支配はどうであろう。長い苦痛と、確実な死。この二つを持って恐怖を植え付ければ支配は可能ではないか……。

「ですけど、そんなことしたら他の魔法使いに反対されますよ」

「だから、彼らは学院を乗っ取ろうしたのじゃないかしら」

 実際、ジャルランデルが学院に反旗を翻す前、王国内外で頻繁に魔法による事件、事故が相次いだ。学院長は対応に忙殺され、管理の不備や体制の問題点をつかれて窮地に立たされた。

「魔法使いの評判を落とすのは、彼らにとってもよくないんじゃないですか」

「いいえ、彼らは恐怖による支配を考えていた。だから、魔法が恐れられることはむしろプラスに働くわ。それに、制御可能な脅威を蒔いて、自分たちで刈り取れば、学院長の評判を落として自分たちは名声を得られる」

 レイナは目を開けてコリーを見た。うつむき加減の彼女は、絞り出すように言った。

「屋敷で手紙を見つけました」

 レイナは差し出された手紙を一読すると表情を曇らせた。

「コリー、あなたの解釈は」

「直接的じゃないですが、何かを誰かに渡すように指示しているように読めます」

 レイナにもそう読めた。指示したのは誰かというと、ジャルランデルで間違いないだろう。「何か」と「誰に」の部分も現在、闇に流れる魔法具の存在を鑑みれば自明だった。

 証拠はほぼ出そろった。当時から現在にかけて魔法具を管理する立場にいた者が張本人だ。

「でも、当時はジャル導師がほとんど独占的に管理していましたよね。すると、彼の一味か、当時ジャル導師の下についていた人というと……、まさか、ラセリアさんっ!?」

「いやいや、彼女じゃないでしょう」

 自分の発言に驚くようなコリーを軽くたしなめるようにレイナは言った。

 セルフェネス・ラセリアは黒髪黒目の魔法使いで、レイナやコリーとほぼ同年齢だった。彼女は当時、ジャルランデルの手足となって働き、魔法具の回収や彼にとって邪魔な存在を排除していた。もっとも、彼女はその境遇をよしとしていたわけではなく、最後にはジャルランデルを裏切ってレイナ達と共にジャルランデルが地中に没するのを眺めていた。

「彼女が消えてどれくらい立つと思ってるのよ?」

 笑いながら言うレイナにコリーは赤面し、この街に居ない人物、しかも友人に嫌疑をかけたことに恥じ入っていた。コリーの脳裏に真っ先に浮かんだ人物がラセリアだったので驚いて口にしてしまった、と言うところだろう。

「だから、今の管理者一番怪しいのよ」

「今の管理者ですか。ええっと、確か……」

 言いかけて、コリーは「あっ」と悲鳴にも似た声を上げた。

「そう、ベレッタよ」

 二人は顔を合わせた。一方は相手の顔に驚きと困惑を、他方は疲労と怒りを見た。


 ベレッタ・バレットはレイナより五最年長の二七歳で夕焼けのような赤い髪にくすんだブラウンの瞳を持つ、遺物管理局次席局長。

「彼女は夢見る少女なのよ」

 ベレッタについて問われたレイナはそう言った。いつか白馬の王子様が助けに来てくれると信じている、と。

 彼女は髪の色や少々病弱だった体質によって幼少時は周囲から有形無形の悪意を受けていた。コンプレックスと復讐心を入れたカップに魔法を垂らした結果、いつかすばらしい魔法が助けてくれるという願望を抱くようになった。自身の魔法の才に見切りをつけたと言うより、高める努力することを放棄したように彼女は魔法具にのめり込んでいった。

 何の代償もなく、苦労もなく、自分の願望が叶う、という魔法道具を探し求めた。過去の文献をあさり、保管庫のアイテムを研究し、遺跡を回った。

その情熱が別の方向を向いていたらよい結果が得られたかもしれないと、レイナは思う。ベレッタの魔法具に対する情熱は凄まじいものがあり、賞賛すべきものではあるが、いかんせん、中途半端なのだ。ベレッタの報告の結びはたいてい「以後継続研究を要する」か「研究する価値なし」である。前者は依頼されて調べた時のもので、後者は自発的に調査を始めた時のものだった。依頼されたら体裁上報告せねばならないがもとより興味がないため手が抜かれていて、興味を持ったものでも効果が期待できないとわかると投げ出してしまうのだった。

 ベレッタの求めてやまない、「望んだものが手に入る」魔法が見つかれば彼女は狂喜し、今まで以上に心血を注いで研究に打ち込んだだろう。だが、そんな魔法はない。

 何かにつけてぐちが多く、最後までやり遂げようとしないベレッタに対するコリーの評価は、悪い人ではない、というあいまいなものだった。レイナはうなずいたが、賛同したのではなく単なる相槌だった。彼女の目にはほとんどのひとが良い人に映るのであまり当てにならないのだ。

「でも、ベレッタさんが一番怪しいですが、彼女は人殺しなんてする人じゃないですよ」

「そうね。私もそう思う」

 ベレッタは現状への不満は多くても、実力で打破するような気力があったとは思いにくい。虚栄心や嫉妬心で犯罪に走るほど、愚かでもなかったはずだ。

「そうすると、誰かにそそのかされたのでしょうか」

「そう考えるのが妥当かもしれないわね。その、ベレッタをそそのかした人物がわかれば、苦労しないのだけどね」

 レイナは苦笑した。川の向こうに道があるのに橋がない。コリーも困ったような笑顔で応じた。

「ラセリアさんならわかったかもしれませんね」

「そうね、あの人ならわかったかもしれないわね」

 レイナはラセリアを思った。初めて正対したときのことを思い出す。闇のように深い瞳の奥でなんと言っていたか。彼女の残した少ない記憶と、僅かな記録を頼りにラセリアを構成していく。

 殺すべきか、どうか。

 おそらく、ラセリアはそう言っていた。彼女にとって相手の生死は自分の生死に直結していたのだろう。彼女にはまず目指すところがあって、人の命というのはその次だ。目標を達成するために、誰を殺し、誰を生かすか……。

 レイナは、ぞわり、という音を聞いたように思った。全身に鳥肌が立っている。

 なぜ? なぜ私はこんなにも震えている?

 理解が閃きに追いつくのに深呼吸を三回もしなければならなかった。そして、理解した瞬間、自分の考えに怯え、レイナはきつく目を閉じた。青い血を流したように真っ青になった。全く身じろぎもしない姿は、黒い髪と相まって、沈痛という題名の白黒の絵画のようだった。

「レイナさん……?」

 コリーの声にもレイナは反応しなかった。聞こえてなかったわけではない。自分の思考を整えるのに精一杯だったのだ。

 ややあって、レイナが目を開くと、エメラルドの瞳の奥で決意の炎が揺れていた。コリーは迫力に気圧されて息をのんだ。

 レイナは立ち上がり、愛用の杖を取ると言った。

「行くわよ、コリー、この事件を終わらせるわ」




 ランプの中で淡い光が室内を照らしている。炎ではない、魔法によって作られた冷たい光だ。

男はソファに座り、視線をさまよわせて時折大きく息を吐いた。所在なさそうに白髪交じりのブラウンの髪をなでつけた。

 窓の外は雨だ。濁りのないガラスを雨滴が小気味よい旋律を奏でながら叩いている。

 男は静かに目を閉じて動きを止めた。身じろぎ一つせず、色のついた彫像のようだった。

 男が顔を上げ、窓を見据える。雨音に異分子が混じっていた。ノックのように明らかなリズムを持って叩かれる。男が立ち上がって窓を開けると、とたんに強い風が吹き込んできた。思わず目を閉じて呆然としていたが、ずぶ濡れになった体を見て苦笑して窓を閉めた。

「ずいぶんと無礼じゃないか。せめてマントの水を払おうとは思わなかったのか」

 男は振り返らずにいった。背後で黄色い笑い声がした。

「次に来るときは正面から来るわ」

 男はゆっくりと振り返った。視線の先に夕日のように赤い髪、琥珀の目をした女が立っていた。窓から飛び込んできたのだと思われるが、服はほとんど濡れていない。

「久しいな、ベレッタ・バレット」

「お久しぶり、リューディガー」

「できれば会いたくはなかったのだがな」

 ベレッタは声を上げて笑った。

「今日の用件が終われば二度と会わなくてすむわ」

 リューデガーは鼻を鳴らして、おっくうそうに言った。

「それで、用件とは何だ」

「ジャルランデルの残した魔法具を出してくださいな」

「知らんな」

「うそね」

 ベレッタは切り捨てるように言った。琥珀色の目に鋭い光が走った。杖を構えると全身からにじむように殺気があふれた。

「力ずくって、あまり好きじゃないの」

 リューディガーはあきれたように首を振った。

「あんなものを手に入れてどうしようというのだ」

 ベレッタははじめ目を見開き、ついで理解できない相手を見るように目を細めた。

「あんなものですって。あれがあれば何だってできるわ。それこそ世界を手に入れることだって出来る」

 熱っぽく語る少女にリューデガーは冷ややかな目を向けていた。ため息と共に目を伏せる。

「無理だな。あれにそんな力はない」

 ベレッタの顔からは驚きが消え、怒気が満たされていた。杖を構えた手が小刻みに震えている。リューデガーは今にも爆発しそうな赤毛を、あわれんだ目で眺めていた。

「魔法具も魔法と同じだ。魔法は万能だが全能ではない。私は万能ですらないと思っているがね。できないことはできない」

 ベレッタの杖を握る手にさらに力がこもった。

「じゃあ、見せてあげるわ!」

 そういうとベレッタは杖の先に意識を集中した。心の中にある混沌の泉から魔力を汲み上げて杖に注ぐと、杖に込められた魔法が活性化していく。極度に限定され、だがそのため強化された魔法が発現する。

「ベレッタ・バレットがリューデガーに命じる、導師ジャルランデルが集めし魔法具を速やかに献上せよ」

 ベレッタは声高らかに呪文を唱えた。

「……遅い」

 リューデガーは右手を挙げてベレッタに向けた。蠅を払うように手を払うとベレッタの杖に束ねられ、今まさにリューデガーめがけて飛び出そうとしていた魔力がほつれるように消えていった。

 ベレッタは杖を掲げたまま凍り付いた。そんなばかな、と言う思いがよぎる。何かの間違いだ、いや、魔法具の力が弱っていたのだ、と考え直し、杖を投げ捨てると懐から大きなメダルを取りだし、歌うように呪を唱えだした。

 リューディガーは落ち着いて手を合わせ、慎重かつ高速に魔力を汲み上げると呪文を唱えた。

「氷は水に、水は湯に、湯は蒸気に」

 ベレッタが掲げたメダルの前にはこぶし大の氷の塊が出現していた。ベレッタの目に確信された勝利の色が浮かぶ。

 氷塊が発射された。矢よりも速く宙を飛び、リューディガーの胸に吸い込まれようとした。だが、その前には彼の両手があった。男の両手をすり抜けたその瞬間、必殺の一撃は霧散していた。

「古い魔法だ。氷を溶かす魔法も、水を湧かす魔法もある」

 リューディガーは片方の眉を上げ、効くと思ったのか問いかけるような視線を投げた。その動作に赤毛の魔法使いは違和感を覚えた。

何かがおかしい。リューデガーはこんな魔法を使えたか?

一度芽生えた猜疑の芽は急速に葉を茂らせた。そして彼女自身が自覚せぬまま、幻術という甘い罠から救い出していた。

「あなた、リューディガーじゃないわね」

 男は笑った。自嘲とも冷笑ともつかない笑い方は深い疲労を感じさせた。それは野心的な男のする笑いではなかった。

 ベレッタは怒りと驚愕に震える手を懐に入れて一枚のカードを取り出した。複雑な幾何学模様と魔法文字が書かれている。

「正体を見せなさい」

 数語の魔法語を唱えるとカードは光を放って秘めた魔力を解放した。強力な解呪の魔法が発動した。

 魔法に晒された男は抵抗のそぶりすら見せず打たれるままになっていた。表面を覆っていた幻は鱗がはがれるように落ちていった。一枚落ちるごとに黒い髪、白い肌、見上げるような長身のわりにほっそりした体つきがあらわになっていく。エメラルドの瞳を見たとき、ベレッタの口からその人物の名がこぼれ出た。

「レイナ……」

「久しぶりね、ベレッタ」

「なんで、あんたが、ここに」

 ベレッタの声は驚きのために震えていた。レイナは軽く肩をすくめた。

「仕事よ、忙しいもので」

 レイナは冗談を言ったようだが、ベレッタにはわからなかった。

「わたしをつかまえるつもり」

「お茶を飲みにきたのではないわよ」

 ベレッタはその言葉に過剰に反応した。魔法具を取り出して魔法を発現させた。そして発動した直後、レイナの魔法によって打ち破られた。

「なんで、効かないのよ」

「それは、あなたの魔法ではないからよ」

 レイナは教師の口調になっていた。ベレッタの記憶にある教師たちとそっくりだった。彼らは言う。

魔法とは自己の研鑽の結果であって、努力なしに得られるものではない。魔法具に頼っていると魔法はおろか自己の本質すら見失いかねない。日々のたゆまぬ努力こそ、魔法を極め、世界を理解する、たった一つの道なのだ、と。

「うるさいっ」

 ベレッタは駄々をこねる子供のように叫んだ。彼女はそんなお題目を聞きたくて魔法使いになったのではなかった。王子さまがこないから、呼びつける魔法を求めていたのだ。

 レイナは深く嘆息し、幼児のように泣きわめくベレッタに杖を向けた。

「ベレッタ。あなたには夢を見る時間が必要よ」

もう十分見たと思うけど、とレイナは心の中で思った。

「次に私がおやすみと言ったら、次におはようと言うまで深い眠りの中で夢を見なさい」

 レイナの杖の先から細く練り上げられた魔力が針のように飛び出した。ベレッタは赤毛を振り乱して抵抗した。ありったけの魔力を汲み上げて最大の速さで練り上げて、防御の魔法を編んだ。だが、レイナの魔法はベレッタの防御を易々と貫き、突き刺さった。

 ベレッタは、ひっ、と声を上げた。始めは怒りと憎しみを込めたような目をしていたが、すぐに陶酔の表情へと変わっていく。目の焦点がぼやけ、足下がふらつく。重くなったまぶたに必死に抵抗していたが、睡魔との戦いに敗れると糸が切れたように倒れた。レイナは駆け寄って抱き留めると、顔をしかめた。

「……まったく、王子がどうのいう前に、少しはやせなさいっての」

 眠り込んだベレッタをソファにおろすと、レイナは杖を拾って握り直した。

 ノックの音がした。

「終わったかね、クレイトン導師」

 扉越しにくぐもった男の声がした。

「ええ、終わりましたよ、リューデガー導師」

 白髪交じりのブラウンの髪をなでつけながら、リューデガーは幸せそうに眠るベレッタを見た。

「さすがは学院一の才女、見事なものだな」

 嫌みであるのはわかりきっていたが、レイナは恐縮です、とつぶやいて頭を下げた。

「やれやれ、連続殺人犯がこんな小娘とは、世も末だな」

 リューデガーは珍しそうな顔をしてベレッタが投げ捨てた杖を拾った。しげしげと眺めていたが、興味を失ったように目を上げた。杖を持ったままふらふらと室内を歩き回る。

「何かお探しですか、リューデガー導師」

「いや、なに、先ほどの騒ぎでなにか壊れていやしないかとね」

「壊れて困るものがおありですか」

「そんなものは別にないのだが……」

 言いながらリューデガーは一つの棚の前で足を止めると、古ぼけた瓶を取り出した。

「どうかね、学院の者が来るまでまだ時間がある。事件の解決を祝って一杯やらないか」

 レイナは黙ってグラスを受け取った。赤い液体が注がれると芳醇な香りが鼻をくすぐった。ワインの良し悪しに詳しくないレイナでも上質なものだとわかる。

「二十年もののビンテージだ。あの年は当たりでな、良くできている」

 リューデガーはワインの芳香を楽しむと軽くグラスを掲げ、一口あおった。嬉しそうな視線でレイナを促した。

 レイナはグラスを持ったまま黙っていたが、曖昧な表情で静かに告げた。

「支配者の血、という魔法をご存じでしょうか」

 リューデガーは眉根を寄せて、なんだねそれは、と言った。だが、その前の一瞬の硬直をレイナは見逃さなかった。

「自分の血を混ぜた液体にこの魔法をかけると、飲んだ者の精神を支配することが出来ます」

 より正確に言うなら、本来は魔法薬に分類され、意識を朦朧とさせるある種の麻薬も混ぜる。飲んだ者はぼんやりとした状態となり、術者からの魔法に対する抵抗力が下がる。そのため、他の魔法を併用することでこれ飲んだ者は術者の意のままに操られることになる。

「ほう、そんな魔法があるとは、知らなかったな」

 リューデガーは感心したように吐息を漏らした。さすがは学院一の才女だ、と言いながら視線を動かす。その先にはベレッタの捨てた杖があった。

 レイナは唇の端を軽くつり上げた。グラスに空けられたワインに視線を落とすと一気に煽った。驚くリューデガーに向かって吐き捨てるように言う。

「効きませんよ」

「なに?」

「テッシェン導師から対抗薬を調合してもらいました。支配者の血は、私にその効果を及ぼすことはありません。お持ちの杖に対する魔法も私は知っています。おとなしく裁きを受けてください、リューデガー導師」

 リューデガーは一声叫ぶと魔法を編み始めた。鉄をも溶かす炎を発生させる強力な攻撃魔法だ。レイナは一息で間合いを詰め鋭い突きを放った。。リューデガーは身体を折り曲げて苦悶の表情を浮かべ、息も出来ない。間髪入れずにレイナは身を寄せるとリューデガーを投げ飛ばした。

 背中を強打して激しく咳き込むリューデガーを、レイナは黙って見下ろしていた。彼女はすでに魔法を編み終えていた。

 リューデガーの息が整うのを待って、レイナは問いかけた。

「一つ、伺います。ベレッタさんをけしかけたのはあなたですか」

 リューデガーの顔には疑惑が浮かんでいた。なにを言っているのか理解できていないようだった。

「おやすみください、リューデガー導師」

 レイナは穏やかにいうと魔法を発動させた。リューデガーに強力な睡魔が襲いかかる。あっさりと眠気に負け、音を立てて床に崩れ落ちた。

 レイナは疲労を感じた。指先が震えるような感覚と共に、こめかみのあたりに鈍痛が走った。よろめいて、ソファの背に手をかけたとき、慌てた様子でコリーが姿を現した。

「レイナさん、大丈夫ですか!?」

「まだ大丈夫よ。ベレッタとリューデガー導師はおやすみ中。キーワードを言うまで起きないから慌てなくてもいいわ」

 ソファに腰を下ろすと急激に眠気がレイナの意識を埋め尽くしていった。レイナは気力を振り絞ってコリーに指示を出した。

「部隊が来るまで現状確保を優先して。捜査は彼らがかってにやるからあなたがすることはないわ。そこに転がっている杖は危険物指定で報告しておいて。それから、そこの瓶は」

 レイナは大きくあくびをした。もう上下のまぶたはくっついて離れようとせず、視界は真っ暗になっていた。

「窓から投げ捨てて。今すぐ」

 レイナはそれだけ言うと、深い眠りの中へ落ちていった。

 残されたコリーは夢の世界に埋没した三人を当分に眺めやると、自分の上着を脱いでレイナにかけた。そして、テーブルの瓶を手に取ると窓に歩み寄った。下にひとがいないことを確かめると、言われたとおり投げ捨てた。ややあって、ガラスの割れる音が当たりに響いた。血のように赤い液体は、雨に洗われ、すみやかに地面に吸われていった。




 鳥が軽やかに歌っている。清潔なシーツの中でレイナは目を覚ました。室内は薄暗く、時刻は判然としない。どれだけ寝ていたのか見当もつかず、見覚えのない天井を見ながら呆然としていると、鈴を鳴らしたような綺麗な声がした。

「お目覚めですか、クレイトン導師」

 レイナは半身を起こして一礼した。線の細い華奢な体つきの女性であった。レイナの記憶にある人物だったが、とっさに思い出せなかった。だが、主人がお世話になっております、という一言で思い出した。

「こちらこそ、ラルリーク導師にはいつも助けていただいています」

 レイナはもう一度頭を下げた。改めてみるとラルリーク夫人は以前会ったときより血色も肉付きも良く、別人のようだった。

 ラルリーク夫人によると、リューデガーの屋敷で睡眠不足と過労で倒れたレイナは、そこに部隊を率いてあらわれたラルリークによって、ここラルリーク邸に運び込まれた。揺すっても叩いても起きず、今は翌日の午後、夕刻と呼ぶには少し早い時間だという。ほぼ丸一日寝ていたことになる。

 事件の方はラルリークが処理を引き受けているようだが、詳しいことは夫人も知らなかった。

レイナはベッドを降りた。

「事件のことは心配せず、あなたはゆっくり休むと良い、と申していましたが」

「いえ、十分休ませていただきました」

 夫人は微笑を浮かべた。

「そう言われると思っておりました。お止めしませんが、どうかお体に気をつけて」

 夫人にそう言われると、レイナは是非もない。健康で多少の無理がきく身体を心の中で感謝した。

 レイナの着物は洗濯され、きちんとたたまれていた。レイナは夜着に着替えさせたのが誰か聞こうとしてやめた。もしラルリーク導師であったらあの厳めしい顔を正視出来そうにない。

 着替えたレイナは確かめるように軽く身体を動かした。突き、蹴り、体さばき。絶好調とはいかない。それでも先日より格段に良くなっていることを自覚し、自分が疲れていたことを改めて思い知らされた。

それをみる夫人の目は健常者に対する嫉視というより、同性として生まれながら違う道を歩くものに対する賞賛であった。

「……クレイトン導師」

 去り際、門まで見送りにきた夫人が思い詰めたように言った。しばらく言葉を探していたが、上手く見つからなかったのか首を横に振ると朗らかな笑顔をひらめかせた。

「またいらしてくださいね。今度は、夕食をご一緒しましょう」

 レイナは、是非、とだけ言うと一礼し、門を出た。夫人の視線を感じて一度だけ振り返ると、門の脇に立った夫人が手を振るのが見えた。軽く手を挙げて応じる。

 どうやら、貸した以上に大きな借りを作ってしまったようだった。夫人は、自分とは違う人生をいくレイナに話を聞きたいのだろうか。だが、上手くしゃべる自身は全くなかった。

「そうだ、コリーを一緒に連れてこよう」

 レイナは知らず、自分の考えを口に出していた。彼女なら家庭を持っているし話も合うことでしょう。

 レイナは今の考えに付箋をつけて心の書棚にしまった。すぐに別の書を引っ張り出す。それは、今回の事件に対する彼女なりの解釈であった。何通りか書かれた解釈のうち、最悪の場合でないことを確かめるためにレイナは学院へと向かっていった。




 レイナが通されたのは学院長の私室の一つで、重厚な机と低いテーブルに、それを囲むソファの他には大きな窓しかない。机の上にもなにも置かれていないので、普段使っていないのだろうか、とレイナは思った。

学院長とレイナの面会は予定されていたが、レイナは少々待たされた。王宮へ上がった学院長の帰りが遅れた、それが理由だった。今回の事件について報告に行ったのだろう。まだ解決とは言い難いが、犯人の確保だけでも報告しておけば面目は立つ。

「待たせてすまなかったな」

 声と共に入ってきたのは激しく波打ったブラウンの髪と同色の瞳を持った男性で、四十代くらいに見える。学院の創設時も四十代くらいに見えたそうだから、外見年齢は当てにならない。彼の実年齢を知るものは、彼以外にいない。

 学院長がソファに座ると、間を置かずに十代後半の女性が入ってきた。手際よく食器を並べ、茶と菓子を置いて出て行った。

 レイナは茶に口をつけてから、報告を始めた。

 ベレッタが今回の事件の犯人であったこと、殺害された魔法使いとジャルランデルの繋がりを示す手紙をみつけたこと、彼らが魔法使いによる支配を望んでいたこと、流出した魔法具の名称と効果が判明したこと、などを順序よく説明した。

 学院長は、すでに報告を受けていたこともあって、支配者の血がかけられた酒の処遇を訪ねた以外口を挟まず黙って聞いていた。レイナが話し終えると沈黙が場を支配した。レイナには一気にしゃべったので喉を潤す時間が、学院長には聞いた話を吟味する時間が、それぞれ必要だった。

 学院長が肺をからにするように大きく息を吐いた。

「ひとまず終わったな。魔法具の回収が残っているが、きみの作ったリストと彼らの手紙があれば時間の問題だろう。ご苦労だった」

 学院長は軽く頭を下げた。だが、レイナとは目を合わせようとせず、窓の外へ視線を向けた。レイナは茶を一口飲むと、カップを持ったまま、液面に映るぼんやりとした自分の顔を眺めていた。カップをさらに戻すとき、やや大きな音が鳴った。

「これで、静かになりますね。……邪魔するも居なくなりましたから」

 レイナが仕掛けた攻撃を、学院長は無言で受け止めた。レイナはその横顔を睨むようにして続けた。

「殺害された人たちは、今の学院のやり方に否定的でした。魔法使いによる支配を望む、というよりは、魔法使いが権力を掌握すべきだ、と言う声も小さいものではありませんでした。王宮や民衆からの風当たりが強かったのも事実ですし、ジャルランデルとの関わりがあったと、当時から言われていました。事件後、追放されなかった、いいえ、出来なかったのは彼らの功績と能力が巨大だったからです。事件後の混乱を乗り切るには彼らの力が必要だった」

 レイナは学院長の言葉を待つように間を置いた。学院長は相変わらず窓の外を眺めている。

「でも今は違います。学院と王宮は協調体制に入って、魔法に対する民衆の理解も深まった以上、彼らは反動でしかなく、学院と魔法の発展に取って障害になりつつありました。そして、彼らが魔法具を隠匿しているのは半ば公然の秘密で、放置しておけば危険になったでしょう」

 レイナは膝の上に置いた手を握りしめた。わずかに声が震える。

「ですが、こんなやりかたは卑怯です」

 そこで初めて、学院長はレイナを見た。完全に表情を消し、なにを考えているか読み取ることは出来ない。

「ベレッタさんの仕事ぶりは稚拙で、目に余るものがありました。ですが、過剰な罪を着せて処分する必要があったとは思えません。彼女が遺跡管理局次長の地位に就いたのは能力と適正、それ以上に事件後の混乱のせいです。彼女はジャルランデルとなんの関係もありません。なにも知らない少女を扇動し、邪魔な人物を殺害し、それで体制の安定をはかる、それが学院の、あなたのやりかたですか!?」

 学院長は居住まいを正すと、レイナに座るよう促した。激したレイナは思わず腰を浮かせていたのだった。

「……あなたがやったとは思いたくありません。しかしながら、動機があって能力を伴うのはあなたしかいません。ベレッタさんを扇動して三人を殺害させたのは、あなたですか」

 学院長は腕を組んで考え込んでいた。隠していることを話すべきか、迷っているようだった。水が湯になるほどの時間が流れた。

学院長は立ち上がり、なにもない壁の前に立った。戸棚を開けて何かを取り出す動作をすると、その手には紙束が握られていた。レイナの驚いた視線に気づいた学院長は、幻術だよ、と言って笑った。

 差し出された紙束を受け取るべきかどうかレイナは迷った。

「安心したまえ、これは幻術ではないから」

 釈然としないままレイナは書類を受け取った。先ほどの問いの答えがこの中にあるのだろうか。目を通すうちにレイナの顔が青ざめていった。驚愕に、怒りと恐怖が混ざっていく。学院長が黒幕でなかった、という事実は安堵をもたらしたが、それ以上の衝撃を受けた。

 それは、ベレッタ・バレットへの手紙だった。

 ベレッタの性格を、本人以上に読み取って、言葉巧みに彼女の心理を誘導している。そこに魔法は一切なかった。文章だけで、彼女に魔法使い三人を殺害させるということを、この手紙を書いた人物はやってのけた。

 レイナは全身の震えを押さえることが出来なかった。手紙の字には覚えがあった。文字と文章に関しては、彼女の記憶に間違いはない。彼女の知る人物の中で、敵に回したくない人の一人だ。

「西の方が騒がしくなっているのは知っているな」

 突然、学院長が言った。ロマールと、ロマールに征服されたレイドの残党との対立は日々激化している。ロマールのレイド侵攻に手を貸したファンドリアは、現在沈黙を保っているが、レイド側としては動きを封じたいところである。そのため、ファンドリアとその周辺において破壊活動が続いている。

「西には犯罪を生業とするものを統括する組織が二つある。そのうちの一つはファンドリアにある。それとジャルランデルが繋がっていたとしたら、どう考えるかな」

 レイナの脳裏にいくつかの考えが浮かんでは消えていく。

ジャルランデルの死後も、繋がりが細っても残っていたとしたら。レイドとしてはジャルランデルの残党を先に打つのではないだろうか。火種を投げ込めば後はかってに燃え上がり、さらに自分の所へ飛び火する前に学院が消化してくれるのであれば、やるだろう。

「それが、答えですか」

 学院長は頷いたように見えた。動きは僅かで、レイナの気のせいかもしれなかったが。

 先ほどの女性が入ってきて、学院長に何か耳打ちした。どうやら面会の時間は終わりのようだ。

 レイナが立ち上がると学院長がその背に声をかけた。

「ところで、きみの父上から手紙が来ていてずいぶんと心配していた。休暇をやるからたまには実家に帰ったらどうかね」

 レイナは身構えた。彼女の実家は古い魔法使いの家系で、レイドやファンドリアより北に位置するが、西方世界に属する。そして、ファンドリアは旅程にも依るが通り道にある。

「それに、学院の魔法使いが二人ほど、西の方に遊びに行ったきり戻ってこない。音沙汰もないので、ついでに調べてきてくれると大変助かる」

 レイナは学院長の言わんとするところを正確に理解した。西方の魔法使いとの関係強化、ファンドリアに対する牽制、失踪した二人の魔法使いの足跡調査と生存確認。引き受ければ長い旅になる。持って行くには大きすぎ、置いて行くにはしのびないものを、レイナは多すぎるほど抱えていた。

「少し、考えさせてください」

「期待しているよ、クレイトン導師」

 部屋を出て行くレイナの背に、学園長の声がかかったが、レイナは振り向かなかった。

 いつも過剰な期待を受けているような気がしてならない。その期待に答えようとする自分が、このときのレイナには疎ましかった。

 引き受けることになるだろう、とレイナは思った。これまでと同じように、分不相応なにを背負うことになる。

 レイナは敬愛する黒髪の魔法使いを思い浮かべた。彼女と過ごした短い時間の中では、彼女を救ってやることは出来なかった。否、手をさしのべることすら出来なかった。そのことはレイナの心に重くのしかかっていた。

 今度こそ助けたい。せめて、足手まといとは言われないくらいに。

だが、場合によっては戦うことになる。一つの可能性としてのレイナ自身、コインの裏表のような存在であり、あらゆる能力で上をいかれ、思考の冷徹さにおいて追従を許さない、氷原のように冷たい魔女、セルフェネス・ラセリアと。

「あの人と、戦う」

 すでに日は暮れて、空には星が浮かんでいた。

レイナの心は、星の瞬きのように揺れていた。


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