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レイナ・クレイトンの長旅  作者: ニノマエツバサ
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It made by BRACKART

  It made by BRACKART




 レイナ・クレイトンは意識を精神の図書館から現実へと引き戻した。数度瞬きをして周囲を見回す。室内は天井付近から白い光に照らされている。吊られているのはランタンだが、中では炎によるものではない光が輝いている。レイナの右手の窓はカーテンが閉じられている。以前は開けることも多かったが、最近古書の類が多くなったので開けられなくなった。四方をうめる書棚には収まりきれず、床に整然と積み上げられている。

 重いものがぶつかるように、扉が叩かれた。

「どうぞ、開いていますよ」

「あ、あの、開けてください」

 弱々しい悲鳴のような声がした。レイナが扉を開けると、十数冊の本を抱えたコリーが立っていた。

「ありがとう、コリー」

「どういたしまして。それより、この本、どこに置けばいいですか?」

 三つある机のうち、二つはすでに置き場所がないほど本が置かれている。残り一つはがらくたとしか思えないものが積み上げられ、置き場所がない。床は人一人が通れる道を残して膝上から腰ほどの高さで積み上がり、中央に置かれた低いテーブルも同様だった。

「……とりあえず、その一番低い所に」

「はい、わかりました」

 コリーは小さな身体からは想像出来ないほど力がある。持ってきた本もおそらく二十ポンドはありそうだが、全く重そうに見えない。

「少し、整理が必要だと思いますよ」

 コリーはため息混じりに言った。

「そうね、今の仕事が終わったら片付けるわ」

 レイナは苦笑で応じた。この数日、レイナは自室にこもって調べ物をしていた。本を読み始めると寝食を忘れてしまうので、自分と飼い猫の世話をコリーに頼んであった。コリーのかいがいしい世話によって、レイナと猫は餓死しなくてすんだ。

「それで、いったい何を調べていたんです?」

 レイナは机に置いた箱を示した。表面には凝った装飾が施されている。一見すると複雑な模様だが、詳しく観れば魔方陣であることがわかる。中は絹が張られていて、中央にあるのは小鳥の卵のような大きさの石で、深い碧色をしている。

「成長する魔法具というものを知っている?」

 問いかけるレイナに、コリーは小首をかしげ、知りません、と首を振った。

「結構、有名な話なのよ。魔法使いの中では、だけど」

 レイナは椅子に座り直した。コリーも座ろうとしたが、あいにくソファは本で埋まっていたので、背もたれに飛び乗った。

「今から二百年ほど前、今のザインの元となったカウヴェルという小国に、二人の少年と一人の少女が居た……」

 レイナは続けようとした口を閉じると、天井を見上げた。コリーはその様子を黙ってみていた。まるで、街にきた語り部が話し始めるのを待つ少女のように。

「……さきに、当時の情勢から話しましょう」

 そして、かなり推測が混じるけれど、と前置きしてからゆっくりと話し始めた。


 二百年前のカウヴェルは人口一万人を越える大都市で、比較的温暖な気候と、陸路の要衝に位置していたため古代から発展してきた。古い都市だけあって水道も他都市に比べると整備が進んで住みやすい都市であった。難点を言えばその居住性の高さと重要性から人を呼び、人口増加が都市機能に負荷をかけ、限界を迎えようとしていたことだろう。

 再整備には金と時間がかかる。そこで、当時の国王は事態の打開を魔法に求め、近隣の魔法使いを招聘した。その裏に覇権の獲得という目的があったことはほぼ間違いない。史料に依ればカウヴェルの内政が次第に軍事色を強め、外交が高圧的になっていく様子が確認できる。

 しかし、カウヴェルは人口が二万に届く前に成長を止め、強力な魔法使いを擁した二つの大国に挟まれて衰退していく。皮肉なことに、隣国の魔法使いは双方ともにカウヴェルの出身であった。

 その二大国は、カウヴェルを挟んで勢力を拡大していったが、二百年前の大戦のおりに滅びさった。

 さて、当のカウヴェルはというと、大戦の戦禍をほとんど受けず、戦中戦後で巻き起こった、いわゆる魔法使い狩りが行われた記録もない。

 なぜなら、大戦直前時のカウヴェルには、魔法使いが居なかったのだ。




「アルフォンソス!」

 名前を呼ばれた少年は、振り向く前に盾の魔法を発動した。全身を叩くような衝撃が突き抜けていく。少年が、声のした方に目をやると、金髪の少年と栗毛の少女が駆け寄ってくるところだった。

「腕を上げたじゃないか、アル」

 金髪の少年は髪をかきあげ、にやりと笑った。

「私は止めたのよ。でもベルナルドは聞かなくて」

 栗毛の少女が困ったように笑う。アルフォンソスは唇の端を上げて肩をすくめた。

「まあ、いつものことだし、ばればれだよ。不意打ちならもう少し上手くやるんだね」

 アルフォンソスとベルナルドは互いの顔に危険な笑みを見出した。次第に緊張の水位が上がった。

「いいかげんにしなさい、二人とも」

 二人の少年は腰に手を当てる少女を見つめ、同時に肩をすくめた。少女はそれをみて頷く。

「もう、今日はけんかは無し。アルのお祝いなんだから」

 アルフォンソスが首をかしげた。少女が愉快そうに笑う。

「いったい、何のことだい、ベル?」

 少女には教える気がなさそうにみえたので、アルフォンソスは仕方なくベルナルドに聞いた。ベルナルドは軽く息をつき、右手を出して不敵に笑った。その奥には多くの感情が渦巻いているようだった。

「おめでとう、アルフォンソス。今日から君も、宮廷魔法使いだ」

 アルフォンソスは戸惑っていたが、少女に促されると、ようやくベルナルドの手を握った。




「宮廷魔法使いですか?」

「そう、彼らは十二才か、遅くとも十五才で宮廷魔法使いになっている。当時のカウヴェルにおける宮廷魔法使いの平均年齢はだいたい五〇才くらい。最年少で三十八才だったから、本当に異例だったのよ」

 宮廷魔法使いとは、単に王国付き魔法使いを指すだけでなく、一定以上の能力を持った魔法使いであることを国から認められたということを意味する。在野の魔法使いとは比較にならないほど金を、人を、権力を行使できる。金と人が使えると、さらに高度な研究が行えるから、魔法使いたちは、俗世の権勢、あるいは魔法そのものを求め、宮廷魔法使いになることを望んだ。

「でも、彼らは子供だったのよ」

 レイナの声にかすかな笑いを、コリーは感じ取った。

「こんな文章が残っているの。『登台セシ三名ノ児童、王ノ前ニ立礼ヲモッテ応エル』とね」

 コリーは意味がわからず、曖昧な笑いを浮かべたまま、次の言葉を待っていた。




 謁見の間の天井は高く、三〇フィートはありそうだった。明かり取りのガラスから陽光が落ちて、室内を明るく照らしていた。扉から王座までは七〇フィートほど、その手前に階があり、数段高いところから国王が居並ぶ高官達を睥睨していた。

 鐘の音と共に扉が開き、一人の少女と二人の少年が入室した。毛織りの絨毯の上をゆっくりと歩いていく。

 中央を歩くのは栗毛を長く伸ばした少女。名はキアーラ。下級貴族であり、彼女の家系で魔法使いであるのは彼女と彼女の母だけだ。

 キアーラの右側にいるのはベルナルド。くすんだ金髪に青い瞳、古くから続く魔法使いの家系で、自他共に認める秀才である。

 キアーラの左にはアルフォンソス。暗い茶髪に同じ色の瞳をした少年。平民であり、旅をしていた彼の師匠に魔法の才を見出され、今に至る。

 三人は階の手前で立ち止まった。キアーラは軽く膝を曲げ、アルフォンソスとベルナルドは腰を軽く折った。立礼であった。

「ぶ、無礼な! 国王の御前であるぞ!」

 鋭い声を上げたのは、絨毯の左右に並ぶ高官の一人で、豊かな髭をたくわえた初老の男性であった。三人をはじめ、その場の全員が男を見やる。

 ベルナルドが目を細めた。口元に薄い笑いを浮かべると、ゆっくりとした動作で男を指さした。そこへ重厚な声が降ってきた。

「やめよ」

 国王は表情のない顔で言った。青い目の奥には夜のように深い闇がたゆたっているようだった。

「呼びつけたのは私の方だ。敬意を求めようとは思わん」

 その声にベルナルドは小さく鼻で笑った。それを咎めたわけではないだろうが、国王は目の中の闇を深くしていった。

「だが、誰にも屈しないという生き方は、いずれ争いをうむだろうな」

 それ以上国王は何も言わず、また誰も口を開かなかったので、沈黙が謁見の間を押しつけていた。

「貴殿ら三名を宮廷魔法使いに任じる」

 唐突に、国王の声が降ってきた。

「やってもらいたいことは多々あるが、当面の課題は、水だ。カウヴェルの住民、一万余が飲むに困らぬ水を用意せよ。期限は…、次の満月までだ。以上、さがって良い」

 

 王との謁見は短時間で終わり、その後すぐに歓迎の宴となった。主役となった三人の少年少女は、会場を訪れた人々からやや遠巻きにされ、好奇の視線に突き刺されていた。

 ベルナルドは慣れた様子で、キアーラも末端とはいえ貴族であるので、それほどうわついてはいない。一方アルフォンソスは平民の出なので、パーティーの経験は無かった。

「しっかりしなさい、別に取って食われる訳じゃないんだから」

「まったく、だらしないなアルフォンソスは」

 二人の言うとおり、気にする必要はないのだが、慣れないものはどうしようもなく、アルフォンソスはきょろきょろと辺りを見回し、おろおろと歩き回り、完全に浮き足立っていた。周囲から時折聞こえてくる嘲笑と中傷は、強い酒よりもアルフォンソスの精神をむしばんでいた。

「すこし、風にあたってくる」

 バルコニーに出ると、夜の冷たい風がアルフォンソスを包んだ。遥か下には街の灯火が輝いて、まるで光の海のようだ。

「いい風ね」

 いつの間にか、キアーラが横に立っていた。髪をかき上げながら顔を向けたキアーラは美しく、アルフォンソスはどきりとした。

「ねえ、アル。あなたはもう、宮廷魔法使いなのよ」

 アルフォンソスが黙っていると、キアーラはため息混じりに言葉を継いだ。

「あなたはあのホールにいた人たちのほとんどを顎で使える立場になったの。私も、それからベルもね。だから、そんなにびくびくする必要はないのよ。堂々としているべきだし、そうしなければいけないの。そうじゃないと、人を従わせることなんて出来ないわ」

 形の良い眉を寄せ、人差し指を立てて、口をとがらせる。アルフォンソスをしかり飛ばすとき、キアーラはいつもそうする。

アルフォンソスは出会ったころから少しも変わらない幼なじみを見つめると、ゆっくりと首を振った。

「がらじゃないよ」

「がらじゃないとか、そんなこと言っている場合じゃないでしょ」

 キアーラは声を高めた。聞きつけた幾人かがホールからバルコニーへ目を向けた。続けようとしたキアーラは視線を感じて口を閉じた。二人は気まずいまま見つめ合っていたが、どちらともなく街の方へ向き直った。

 二人の間を冷たい風が吹き抜けていき、アルフォンソスにはホールの喧噪が酷く遠くに感じられた。

「わたしは、あなたが素晴らしい魔法使いになると信じているわ。ベルナルドなんて及びもつかない、それこそ、南の炎武帝や北の雪の女王くらいに強い魔法使いになるって、ね」

 アルフォンソスが振り向いたときには、すでにキアーラはホールへ歩き出していた。


パーティーの翌日、新米宮廷魔法使いの三人は、与えられた課題に対し、まずそれぞれの意見を述べることにした。

真っ先にベルナルドが口を開いた。

「簡単だ、雨を降らせればいい」

「ダメね」

「だめだね」

 異口同音に言う二人にベルナルドは理由を問うた。

「天気を変える魔法は制御が難しい」

「どこから雨雲を運んでくるの? 作る為の水源はどこにあるの? そもそも、雨が降ってもほとんど地面に吸われちゃうじゃない」

 ベルナルドが憤然として黙ったので、キアーラが手を挙げた。

「今ある川の水量を増せばいいわ。具体的には川幅を広げるか、川底を深くすればいい。流量は各所に水門を作れば調節もできるわ」

 得意げに胸を張るキアーラだったが、残りの二人は首を横に振った。

「ここから水源地まで何マイルあると思ってるんだ」

「川幅を広げたからと言って単純に水量が増える訳じゃないし、それに、水源からの供給量が増えるわけじゃないから、使用量が増えれば水不足になるのは自明だよ」

 二人の言い分は正しかったので、キアーラも戦うことはしなかった。

「アルの番よ」

「まさか考えてないとは言わないな」

 アルフォンソスはかすかに笑い、静かに告げた。

「浄水槽を造る」

 驚く二人を当分に眺めやりながら、アルフォンソスは説明を始めた。

 カウヴェルは比較的上下水道が整備されており、上水は川や井戸から汲み上げ、下水は下流の川に流している。この下水の一部を浄化し、生活用水として再使用する。

「……そうか、飲み水は今まで通り井戸を使い、それ以外を浄化した水を使うんだな」

「下水道にはいくつか溜り場があるから、そこに造ればいいわね」

 水に含まれた汚物や異物を除去する魔法はいくつかあり、三人とも知っていた。ただ、発想はともかく、実行には大きな壁があった。

「でも、どうやってそれを維持するのよ。常時魔法使いを配置しておく訳にもいかないでしょ」

 キアーラのもっともな問いに、アルフォンソスは含み笑いで応えた。




 レイナが顔を上げると、きょとんとしたコリーが目に入った。どうやら説明が足りなかったようだと思い、レイナは付け足すように言った。

「当時の魔法具と言えば杖や錫、宝石といったものに魔力を込めて、使用者の魔法を増幅する働きを持つ物のことだったの。今と違って、魔力を注げば効果が現れる、と言うものは稀だったのよ」

 アルフォンソスらがいた時代はちょうど魔法が全盛期をむかえるところで、各地で優れた魔法具が生まれるのは少し後になり、その頃には城が空に浮かんでいた、という記録が残っている。

「ですが、そんなに大規模な魔法具があっても魔力はどうするんです」

 魔法が発明されて以来、魔法使いに避けて通れない問題がある。魔法を行使するためには魔力が必要で、大きな魔法を使うためには膨大な魔力が必要だ。一般的に魔法は規模が大きくなるほど必要とする魔力が増大する傾向にある。そのため、同じ炎を作り出すとしても煖炉の火よりロウソクの火の方が作りやすい。

「私もね、ずっと疑問だったのよ。カウヴェルの浄水槽だけじゃなくて、天空城とか、他の大規模な魔法具のほとんどは人の手に余るのよ。南の炎武帝みたいな化け物ならまた別だけど、当時の記録に鑑みて、どう考えても複数の魔法使いが居なければ成立しない」

 レイナは深い碧色の石を眺めながら大きく息を吐いた。

「あの時代、力ある魔法使いが協力する、ということは皆無だった。だから、嘘ではないにしろ、誇張だと思っていたの。これをみるまでは、ね」

 レイナは箱に入った碧色の石をなでた。




 広場の大きな噴水が盛大に水を噴き上げ、子供たちが水を掛け合って高い声を上げていた。

アルフォンソスは広場の端に座って噴水を眺めていた。溢れる清涼な水が汚水であったことを知るものはほとんどいない。知っているのは彼と、彼の仲間と、国王とその側近数名だけである。

「上手くいったわね」

 音もなく現れたキアーラがアルフォンソスの横に座った。二人はしばらく黙って噴水を見つめていた。

「どうやって魔力を確保したの」

 現れたときと同じように、唐突にキアーラが問いかけた。アルフォンソスは困ったように笑った。

「言っただろう、秘密だよ」

「……まあ、それはいいわ。それで、わざわざ外に呼び出したのはどういう理由?」

「うん、渡すものがあってね。ベルナルドも来るから、もう少し待とう」

 キアーラは頷くと、アルフォンソスの手に自分の手を重ねた。驚いたアルフォンソスが栗毛の少女を凝視すると、凝視されたほうは涼しい顔をして噴水と戯れる子供達を眺めていた。

「遅くなってすまない。宮殿を出るときに大臣に捕まってしまってな。散々いやみを言われたので黙らせてきた。一週間くらい口をきけないだろうな。……ところで、二人とも、どうかしたのか」

 顔を赤くして振り向いたアルフォンソスは、すでにキアーラの手が離れていることに気がついた。

「いや、別に」

「それで、用はなんだ」

「ああ、そう、渡すものがあってね」

 アルフォンソスが袋から取り出したのは、透明な石のようなものだった。石やガラスと違い、手に取るとほのかに暖かみを感じる。キアーラは掲げ持って日の光に透かした。

「何よ、これ」

「魔法具さ」

「そうは見えないんですけど」

「ただの石、ではないのはわかるが、わざわざ呼びつけるようなものとは思えないな」

 キアーラとベルナルドは渡された石をいじりながら言った。二人の視線を受けたアルフォンソスは軽く目を閉じた。

「こいつは、成長する魔法具さ」

 アルフォンソスは驚く二人の顔を等分に眺めると立ち上がった。服のほこりを払うと、大きく伸びをした。

「そいつは、使えば使うほど、使用者の性格と性質に合わせて変化し、より強力な魔法具へと成長するのさ。……そいつがどうなるかは、君たち次第さ」

 アルフォンソスは軽く肩をすくめると、二人から遠ざかるように歩き出した。


 浄化槽を造った三人は急速に力を増していった。特にキアーラとベルナルドの成長は凄まじく、数年で近隣諸国から恐れられるまでになっていた。彼らの傍らには常に魔法具があった。彼らが成長するにつれ、キアーラの手にした錫杖は複雑で荘厳な装飾が増えていき、ベルナルドの長い杖は奇妙に拗くれていった。

 彼らと共に、カウヴェルの勢力もまた、隆盛を極めていった。強力な魔法使いの力を盾に、周辺の小国を併呑していった。人口は増加し、経済は発展し、気がつけば周りに並ぶものもない大国へと成長していた。

 その頃、首都カウヴェル市では、人口増加に伴い魔法使いが減少していた。三人の宮廷魔法使いの力は衰えるどころか、さらに増していたが、彼ら以外の魔法使いは次第に簡単な魔法すら操ることが困難になっていた。多くの人々は気にしなかったが、魔法使いたちは他国へと移っていった。

 周りの国々は、カウヴェルから流出した魔法使いを競って呼び集めた。カウヴェルのもつ強力な魔法の一端でもわかればよし、それでなくてもカウヴェルという大国に対抗するために、一人でも多くの魔法使いが必要とされていた。

 そして、二人の魔法使いにも別の国から使者が訪れた。


 アルフォンソスの部屋を訪れたキアーラは、いつもの快活な様子が想像できないほどむっつりとして黙り込んでいた。アルフォンソスが事情を聞いてもキアーラは曖昧な相槌をうつばかりで喋ろうとしなかった。アルフォンソスは仕方なく、隣に座って黙っていた。

 やがてキアーラは小さく息を吐いた。

「私のところにも使者が来たわ。うちに来ないか、って。ここより待遇をよくしてやるって」

「いい話じゃないか」

 と、言おうとしてアルフォンソスは思いとどまった。喜んでいないのは明白だった。

「昨日の晩……」

 キアーラは明後日を眺めながら、何でもないように言った。

「昨日の晩、ベルナルドがきたわ。一緒に行こう、向こうにいって二人で暮らそうって」

「……それで?」

「断ったわ。ベルは理由を聞いたけど、そんなの、わかりきっているじゃない。ねぇ」

 キアーラはアルフォンソスを見つめた。アルフォンソスはわからない、と言うように肩をすくめた。

 キアーラのため息が、部屋に響いた。

「アル、私と一緒に来ない?」

 それが求婚だとわからないほど、アルフォンソスは鈍くなかった。同時に、その一言にどれだけの想いが込められているのかを察するほど、鋭くはなかった。それ以上に、彼はその想いを受け止められるほど強くなかった。

 それ故、アルフォンソスは黙って首を振った。

「……そう、わかったわ」

 キアーラは立ち上がった。出口へ向かう間、アルフォンソスと目を合わせようとしなかった。扉に手をかけたところで立ち止まったキアーラはわずかに肩をふるわせた。

「また、来てもいいかな」

「もちろん、歓迎するよ」

 振り返ったキアーラは、泣いてはいなかった。その代わり、満面に作り笑顔を浮かべていた。アルフォンソスと目があった刹那、キアーラの心の堤防に亀裂が入り、頬を一筋の雫が流れ落ちた。それが合図のように、キアーラは飛び出していった。

 アルフォンソスはぼんやりとしながら、窓を叩き始めた雨の音に耳を傾けていた。


 それからまもなく、キアーラとベルナルドがカウヴェルを出奔、前後するように、アルフォンソスと残った魔法使いたちは、その力を失った。

 カウヴェルの東に位置するキアーラを擁した国と、南西に位置しベルナルドを迎えた国は急速にその勢力を拡大、衰え初めたカウヴェルの版図を削り取った。しかし、首都カウヴェル市とその周辺部には手を着けなかった。

 そして、カウヴェルの南東部で境を接すると小競り合いを繰り返し、慢性的な戦争状態へと突入していった。それでも、三人の交流はあったようで、たびたびカウヴェル市で顔を合わせていたという。

 しかしながら、その交流もある日を境に失われた。三人の微妙な三角関係が原因と思われるが定かではない。

カウヴェルでの三人の会合が行なわれなくなって数ヶ月後、キアーラとベルナルドが大規模な戦争を行ない、キアーラが敗北した。このとき使われた魔法は、それまでベルナルドが使用していたものとは比較にならないほど強力だった。


 キアーラはアルフォンソの襟元をつかみあげ、壁に押しつけた。

「いったいあれはなんなの! 説明して!」

 キアーラの激しい怒りで目から炎が吹き出るようだ。アルフォンソは息が詰まったが、わずかにゆるんだすきにようやく一言絞り出した。

「とりあえず、離して」

 キアーラは手を離すと一歩下がった。アルフォンソは膝をついて息を整えると、ゆっくりと立ち上がった。

「説明して。ベルナルドは、何をしたの」

 アルフォンソは目を伏せた。キアーラが求めているのはベルナルドの魔力が数ヶ月前、最後に三人で会った時と比べて格段に大きくなった、その理由だ。一般に個人が扱える魔力は多少の増減はあっても生涯を通じてそれほど変わらない。訓練によって精度を高め、回復力を上げ、効率的な使用法で消費量を減らし、使える量を相対的に増やす事は出来る。だが、魔力そのものを増やす方法は少ない。

魔力を増やす簡単な方法は、心に穴を開けて混沌の海から水を引いてくることだ。だが、これには混沌の海に溺れる、すなわち狂気に侵される危険が伴う。ベルナルドは自分の心を賭けて魔力を増やすことはしないだろう。

 アルフォンソはそこで言葉を切った。キアーラも幾分か落ち着いたのか、先ほどの勢いは失われている。ただ、火が消えたわけではない。

「茶でもいれるよ、座って」

 キアーラはおとなしく従ってテーブルについた。

 アルフォンソは茶を入れる間、自分の考えを明かすべきかどうか迷っていた。言えばキアーラはベルナルドが行なった事と同じことをやるだろう。しかし、言わなければ、ベルナルドはさらに魔力を増幅し、手に負えない存在となってしまい、この地方を虐殺の赤い嵐が吹き荒れることになる。現在、ベルナルドを凌駕できる可能性があるのは、キアーラだけだった。

 アルフォンソがいれた茶は、程よい香気を立ち昇らせていた。キアーラは香りを楽しむ余裕もなく、一口だけ口をつけるとカップを置いた。

 アルフォンソと目を合わせると、黙って促した。

「……僕たち三人が持っている魔法具は、使用者の魔力を吸い取って成長する」

 キアーラは眉をしかめた。

「より正確に言うと、あの魔法具は、使用者、あるいは、触媒を提供した魔法使いの魔力を吸い取って、自己の内部に蓄積し、ある特定の方向性をつけることで、強化する」

 キアーラは顔をゆがめた。言っている意味がわからないのではなく、その裏に含まれた邪悪な意図を感じ取ったからだった。

「そして、触媒を提供する魔法使いは、複数でもかまわない」

 机をたたいて立ち上がったキアーラは、先程おさめたはずの炎を噴出した。

「じゃあ、ベルは他の魔法使いの魔力を奪ったというの!?」

「今、あの国に魔法使いはベルナルドしかいないよ」

 キアーラは目を伏せた。何かに耐えるように、必死に考えていた。追い打ちをかけるように、アルフォンソスが告げた。

「……さらに言うと、触媒を提供するのは、別に魔法使いでなくても構わない」

 顔を上げたキアーラの目には怒りと悲しみが混じっていた。

「他が為の魔法、か」

 キアーラの発した声はかすれていた。

「あなたは、もう、魔法を使えないんだったわね」

「……ああ、そうだよ」

 キアーラは寂しそうに笑うと、部屋を出て行った。さよなら、という声は、ともすればアルフォンソの気のせいかと思うほど小さいものだった。




 コリーは目を丸くして言った。

「そんなことがあったんですか」

「まじめに取りすぎないで。ほとんど推測の域を出てないのだから」

 レイナは苦笑するしかない。

残された文献と、当時の状況を鑑みて、出来るだけ可能性の高い仮定を作り上げた。だが、当時の生き証人はいないし、残された書物もでたらめかもしれない。

「それでもそこまで推測できるんだから、凄いですよ」

「……ありがとう、素直に喜んでおくわ」

「でも、その話と、その魔法具の関係は?」

「これは、アルフォンソスの持っていた魔法具だと思うの」

 キアーラ、ベルナルドについては、比較的多くの記録が残っている。生い立ち、能力、持っていた魔法具。他国に対する牽制の為に誇張している分を差し引いても、正しいと思われる。しかし、残るアルフォンソスに関して書かれている書物はほとんどなく、彼の持つ魔法具に関しては記述されたものは皆無と言ってよい。

「無くなった、ではなくて?」

「隠蔽した、と言うほうがいいように思うわ。残された資料も、改ざんされたか、故意に残されたか、とにかく、作為的な感じを受けるのよ」

「そんなことする必要があるんでしょうか。魔法使いは自分の業績は記すでしょう」

 魔法使いは、詳細は省いて、自分の造りだした魔法を誇示する。自分の存在価値を高める数少ない機会をみすみす逃す者はそういない。

「そうね……、今の話は少し置いておいて。……コリー、もし、魔法を無効にする魔法があったら、どうなる?」

 コリーは少し首をかしげ、眉を寄せて小さな笑みを浮かべた。

「困ります」

「誰が?」

「魔法使い、が。それに、魔法の恩恵を受ける人たちも。今はまだ魔法使いは多くありませんが、一般化する手法も出来つつあります。魔法は生活に浸透してきていますし、魔法なしで行なうには難しいことだってあります。魔法なしには戻れません。だから、困ります」

 レイナが質問すると、コリーはいつも生徒の口調になる。本人は気づいていないようだが、指摘するのも気まずいので、レイナは黙っていた。

「そうね。確かに困るわね」

「それに、矛盾してますよ。魔法を使えなくなるなら、その魔法自身も無効になってしまうじゃないですか」

 コリーは笑った。レイナも笑いながら、次の質問をぶつけた。

「じゃあ、その効果が制御できるとしたら?」

 コリーは笑いを収めた。

「Aという魔法使いは魔法を使えなくなって、Bという魔法使いは魔法を使える、というように」

「……他の魔法使いを支配できますね」

 コリーの声はわずかに震えていた。

「それが、これ、よ」

 碧色の石は静かな光を放っていた。

「そして、これはあなたの予想の上をいっている」

 かけられた魔法を無効化し、かけた魔法使いの魔力を吸収する。そして、魔法の無効化と吸収を繰り返し、際限なく肥大していく。

「そんな、冗談ですよね」

「本当よ」

「証拠を示してくださいよ。そうじゃなきゃ納得しませんからね」

 レイナの口真似をしながらコリーが言う。

「証拠は、この部屋よ、コリー」

 言われたコリーは室内を見回した。積み上げられた大量の本。

 コリーは首をかしげた。レイナはよく本を読む。戻す前に次の本を取りに行って読みふけるから片付けるのはコリーの仕事だった。それも、学院の本をあらかた読み尽くすと、部屋が本で埋まることも無くなった。それというのも、レイナは一度読んだ本は寸分違わず覚えているので再読の必要が無いからだ。

 しかし、今この部屋には以前のように大量の本で埋め尽くされている。

「……魔法、だったんですか?」

 コリーがつぶやいた。

「そうみたい。私の、文字や文章に対する記憶力は、どうやら無意識で魔法を使っていたみたいね」

「何をやったんですか」

 ため息混じりの問いかけに、レイナは苦笑を浮かべた。

「普通の魔法だと反応もしなくって。破壊覚悟で分解型魔法解析を使ったのがまずかったのね。魔法を打ち消されたあげく、魔力の大半を持って行かれたわ」

 肩をすくめるレイナに、コリーは息をのんだ。

「ここには魔法使いがたくさんいる。拡大すればこの都市丸ごと、下手をすればこの地方で魔法が使えない状態になりかねない。それで、慌ててこの箱、黒箱に入れたのよ」

 黒箱は箱の外と内を魔法的に完全に分断する事が出来る魔法具だ。何が起こるかわからない魔法具を保管する為に用いられることが多い。

「落ち着いてみたら魔法は使えないし、本の内容も上手く出てこないし、それで記憶力は魔法のようだと気づいたの。魔力が回復したあとも、箱に入れてあってもこの石の側で魔法を使うのは怖くてね」

 仕方なく資料を持ってくるしかなかったのだ、とレイナは言った。コリーは髪を揺らしながら首を横に振ると、盛大にため息をついた。

「レイナさん、今の話が本当なら、国どころか世界中が大混乱ですよ。……それで、どこまで本当なんです?」

 レイナは、冗談ですませたい、というコリーの想いがわかった。

「石の来歴に関してはほとんどが推測と仮定だけど、私の身に起こったことは事実よ」

 箱に入れたことで効力が弱まったのか、石はおとなしくしている。ただし、強力な、例えば石を破壊するような、魔法をかければ再び覚醒する可能性はある。

「報告書には解析不能、とだけ書くわ」

 レイナは彼女自身もわからない理由によって、学院長へ報告することを避けた。能力はあり、信頼も出来る男だが、最後の一線で心の交流を許すことができない。コリーも同様のようで、黙って頷くとソファの背から飛び降りた。

 レイナは箱を閉じて鍵をかけた。静かに立ち上がると大きく伸びをし、その拍子に思わず息が漏れる。

 ほぼ同時に、コリーの腹の虫が盛大に不満の声を上げた。

「……食事にしましょうか」

「あ、はい」

 部屋の片付けと報告書は明日で良いだろう。今日くらいやすまないと、心と体が持たない。レイナはそう言って部屋を出た。

 廊下の窓から昼の光がゆっくりと入ってきていた。昼休みのざわついた空気を肌で感じながら、レイナはずっと疑問だったことを口にしていた。

「それにしても、なぜアルフォンソスはあの魔法具を使わなかったのかしら。あれは、おそらく彼なら制御できたはずなのよ。世界すら支配できたのに、彼はそれをしなかった」

 隣を歩くコリーがうめき声を上げた。レイナの独り言を試験だと思ったようだ。

「きっと、怖かったんじゃないでしょうか」

「怖かった?」

「そうです。魔法使いの多くは、残念なことに強力な魔法を得ると人が変わったように暴力的になります。彼の友達だった魔法使いも、国の覇権をかけて戦っていたわけでしょう。しかも幼なじみだったひと同士で。友達でも魔法を得たら変わってしまう。自分も変わってしまうだろう、って。それが怖かったんじゃないでしょうか」

 コリーは採点を待つ生徒の表情でレイナを見上げた。教官となるべき人物は、驚きの表情を浮かべていた。

「そうね、そうかもしれないわね。……怖かった、か」

 妙に納得するレイナを不思議がりながら、コリーはレイナの半歩後ろを歩いていた。すれ違うの魔法使いの目をさりげなくうかがう。こぼれる光は希望だけではない。嫉妬、欲望、怒りといった負の感情も垣間見える。彼らの瞳をコリーは恐れていた。魔法の神秘を探る時、魔法使いはあらゆる犠牲をいとわない。他者だけでなく、自らの命も省みない。

それ故、コリーは魔法を極めるという道をおりた。自分も変わってしまうかもしれないということが怖かったから。

前を歩く人はいったいどこまで行くのだろう、そんなことを考えていると、一つの疑問がわき起こった。

「レイナさん、その、カウヴェルにいた三人はどうなったんです?」

「ああ、キアーラとベルナルドは青の剣士に殺された、とされているわ。アルフォンソスに関しては、死んだとも殺されたとも書かれていないの」

 ベルナルドが桁違いの魔力でキアーラを駆逐した数ヶ月後、今度はキアーラがベルナルドの軍勢を襲い、壊滅させている。二つの国を飲み込んだキアーラは次第に暴君として振る舞うようになった。その一年ほど後に、魔法の効かない青の剣士が現れ、キアーラは死んだ。

「じゃあ、アルフォンソスさんはどうなったんでしょう」

「……ベルナルドを倒したキアーラは、カウヴェルに近寄らなかった。けれど、青の剣士が現れる時期と前後するように、カウヴェルを訪れたという記述がある。そして、さっきあなたが言った、彼の心にあった恐怖心。それらを推察すると、きっと最後はこんなところよ」




 アルフォンソスはキアーラを抱きかかえて座り込んでいた。彼の身体は疲労で満たされていた。血に濡れた手や服も、不快な臭気も気にならなかった。ただ、ここまでやる必要があったのか、という思いが頭から離れなかった。

 怒声とも歓声ともつかない叫びが、風に乗って届いてくる。物が焼ける匂い、煙の匂い、血の臭い。様々な臭いも彼の元に届いていた。それが、自分の行いの結果だと、彼は知っていた。

 金属の鳴る、重い音がした。それはゆっくりとアルフォンソスの元へ近づいてきた。

「その女は、死んでいるのか」

 男とも女ともつかない声だった。アルフォンソスが顔を上げると、青い鎧が立っていた。

「……うん、僕が殺した」

 青い鎧は、そうか、と頷いた。手にした剣は赤く染まっていた。

「あなたのおかげだ。礼を言う」

「僕は何もしていないよ」

「あなたの魔法具がなければ、彼らを倒すことは出来なかった」

「殺す、だろう。言葉は正しく使えよ」

 アルフォンソスは肩を振るわせて笑った。青い鎧はかぶとの中で少々鼻白んだようだ。

「あなたの魔法具のおかげで、魔法使い達を殺すことが出来た。感謝する」

 かぶとの中からため息が洩れた。アルフォンソスは笑いをおさめると、俯いてキアーラの髪をなでた。

 青い鎧は暫く遠くの音に耳を傾けているようだった。何かを考え込むように何度か頷くと、アルフォンソスに向き直って、言った。

「私と一緒に来ないか」

 アルフォンソスは顔を上げなかった。

「あなたの力があれば、より多くの魔法使いを殺すことが出来るだろう。そして、彼らに虐げられている人々を救うことが出来る。あなたはここで朽ち果てるべきではない。私と一緒に来て欲しい」

「そして、最後には僕も殺すのか?」

 アルフォンソスの言葉は、とげとげしい、と言うには激しさを著しく欠いていた。

「行けよ、青い剣士。魔法使いを殺してしまえよ」

 青い剣士はじっとアルフォンソスを見つめていた。そして、アルフォンソスの心が変わらないことを悟ると去っていった。

民衆の声は、先ほどより大きくなっていた。城の中に入ってきたのだろう。ここへ来るのもそれほど時間はかからないだろうな、とアルフォンソスは他人事の用に考えた。

 いつしか、アルフォンソスは歌を歌っていた。彼ら三人の故郷の歌。春の風、夏の日差し、秋の実り、冬の寒さ。四季それぞれの楽しみと、それを味わえる幸せを喜ぶ歌だった。

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