サーブレシーブとハンバーガー④
私は自宅に帰ると、フロリダの名門ゴルフコースのまるいアイランドグリーン的ホットケーキを食べてから、自室にこもってノートパソコンでつぶやき系SNS『つぶやっきー』のアカウントをつくった。
佐々木さんに受け入れられるであろう人物像を思い浮かべた結果、近隣の白紫女子高に通う架空のバレーボール部員『みう@フェイントLOVE♡』ちゃんが誕生した。アイコンは女性らしく動物がよいと思い、うさぎの画像にした。なかなかチャーミングだ。
つぶやっきーは基本的に読みたい相手の『読者になる』というところを押せば、簡単にその人のつぶやきを読むことができるのだが、特定の人だけにしか見せたくない場合には、カギをかけて許可した人にしか見せないように設定することもできる。佐々木さんもこのケースで、読むほうが読者になりたいと申請したあとに、つぶやくほうが申請OKを出してはじめてつぶやきを読むことができる。
読者申請する際にメッセージはつけられないので、申請された側、つまり佐々木さんはプロフィールとこちらのつぶやきだけを見て許可するか却下するかを決める。そのためプロフィールがとても大事になる。私は何度か書き直して、名前はちょっとバカっぽいけど中味はいたって真面目、ギャップ萌えな女子像を思い描いてプロフィールをつくってみたが、そもそも佐々木さんがどのような女子が好きなのかわからないので、正直そこまで自信はない。
『白女二年のバレー部員です。センターをやっていますが、得意技はフェイントです。練習は大変で指や手や腕があちこち痛いし、クラスのみんなより背は高いし、いろいろ悩みはつきませんが、それでも毎日を楽しむように心がけています。気楽にからんでくださいね♪』
読者の数は公開されているためゼロのままでは佐々木さんへの狙い撃ちがバレてしまう。まずは読んでくれる人を適当に募ることにする。ただし白紫女子の生徒や関係者には実在しない生徒だとバレてしまうのでその辺には細心の注意を払った。
女子高生というのと、気楽にからんでくださいねというのがいいのか、大抵の人はこちらが読者になると、読者になり返してくれる。あっというまに読者の数は三十名を超えた。とりあえずこれだけいれば怪しまれはしないだろうし、老若男女問わず読者になっているので、みうちゃんは手当たり次第読者申請を送る人という印象を与えることができる。とにかく他意を勘繰られることは避けたい。
最低限の準備ができたところで本丸、佐々木さんのアカウント『ササッタワー』に読者申請を送り返答を待つ。
その間にいろいろつぶやいておく。
『そろそろお風呂に入んなきゃ』
『お風呂のあとはストレッチタイム♪ 明日も練習だ』
『ブロックに入るタイミングがなかなかうまくならない(泣)誰かコツを教えてくれないかなー?』と佐々木さんチラッチラッという内容も交ぜ込んでおく。
最後に『みなさんおやすみなさーい』と書いて私も床についた。
翌朝起きてすぐに佐々木さんの反応を確認したが、申請に対する承認も否認もまだだった。
帰りのショートホームルームが終わると、るみちゃんが近づいてきた。
「古口くん、校長先生のひ――」
「とっー」
別に秘密にしているわけでもないが、クラスのみなにはいまのところ秘書のことは教えていないので、私は手で制してるみちゃんの耳元でささやいた。
「秘書だけにひしょひしょ話」
「ふふっおもしろーい」
ちょうど校長室へ行くところだったので職員室へ行くるみちゃんに同行した。
「古口くんって校長先生の知り合いだったんだね。聞いたときびっくりしちゃった。秘書ってどんなことをしているの?」
「まだ始めたばかりだからなんとも。雑用とかかな」佐々木さんのことはいわないほうがいいだろう。「秘書のことって先生方はみな知ってるわけ?」
「朝礼で校長先生がいったからみんな知ってるよお。だから古口ってどんな生徒なんですか? っていろんな先生からよく聞かれるの。担任だからね」
「なんて答えるわけ?」
「入試をトップ合格した優秀な生徒ですが、言葉づかいは乱暴、態度もぞんざいで、うなぎみたいにつかみどころがなくってわたしも何考えているのかよくわからないんですが、ホントすっごくいい子なんですうって答えてるよ」
「なんかあちこちひっかかる答えだな……。ニシンの塩焼きかよ。うなぎって高級とか見た目はともかく、食べるとうまいっていうこととかけているわけ?」
「うんそう、かけているよ。両方とも香ばしいって意味でね、うふっ」
「いうなあー」
「古口くんほどじゃないよーっと」
校長室には美衣さんがいた。
「頑張ってるみたいね」
「そりゃまあ」
「で、どうなの? その後」
「奈緒にはどこまで?」
「高木さんに会ったときのことは聞いたけど」
「結局こうすれば解決するっていう道筋はつけらなかった。西川先生や佐々木さんをやめさせたりするような強硬手段でないと、スパッと解決というわけにはいかないと思ってはいたけど、やっぱり高木さんはそういうやり方には反対だった。そうなるとこれといった方法が見つからない。たとえば、佐々木さん本人にどうしたらいい? と聞いたって、本人もどうしたらいいのかわからないんじゃないかなって思うんだ」
「そうかしら。本人もわからないというのは違うと思うな。どうしたいかっていえばきっとバレーボールで理想のプレーをしたい、勝ってみんなで喜びあいたいと思っているんじゃないかな。ただそれがうまくいかない、果たせないからもどかしい。そしてうまくいかない原因はすべて自分にあると考えているから、自分が嫌になって悪いほう悪いほうへ思考がスパイラルしていると思うの」
「なるほど」
うーん、やはり美衣さんは明晰だ。そう明快にいわれると、その通りなんだろうと思わざるをえない。
「でも佐々木くんは心のどこかでもう無理だと考えていると思うの。全国というか、勝って喜べる成績を残すことは。だからもう勝つための手段というよりは責任の取り方ばかりを考えている。その最たる例が自殺ね。佐々木くんの考えるような自殺はただの逃げでしかない。自殺を免罪符にしようと考えているわけね。でも、こんなつまらないことで未来ある若者、この学園の生徒の命を奪われてたまるものですか。“あなたの命はあなただけのものじゃない。あなたを産んでくれた両親のものでもあるし、この学園にいる以上その長であるわたしのものでもあるの。だからそんな愚行絶対にゆるさない”。あっこれ、わたしの決めゼリフだから佐々木くんにいっておいて」
「はっ? はあ? 自分でいえば」
「平時にいっても効果はないわ。しかるべきときにいうから効果があるのよ。決めゼリフってそういうものでしょ」
「では、どうしろと?」
「とりあえず今いったことをメモって」
「……」
冗談と思いきやマジで手帳に書くハメになった。「あなたの命はあなただけのものじゃない。あなたを産んでくれた……」と、おかげでなんとなく覚えてしまった。
「で、結局つぶやきサイトを監視することにしたわけね?」
「そう。まずはそこから始めようと」
「それでいいわ。状況はこのあと刻々と変化していくはずだからそれを見逃さないで。自殺への一時的な欲求が消えて何事もなく収束していけば見守るだけでいいし、逆に悪い兆候があったらすぐに連絡して」
「了解」
「では、会議に行くからあとよろしく」
そういうと美衣さんは書類をまとめて出ていった。
放課後は職員会議が多い。教職員全体のもののほか、学年ごと、教科ごと、行事や担当部署ごとなど毎日どこかでやっている。また新雪学園は高校のほかに大学、短期大学、付属中学、付属幼稚園とあるのでそちらとの会議や地域および役所との会議会合もある。
美衣さんはすべての会議に出ているわけではないが、主要なものにはだいたい顔を出しており、多忙をきわめている。以前から並はずれた能力の持ち主だとは思っていたが、実際に仕事ぶりを間近で見るようになってから、彼女のスペックの高さと無尽蔵なエネルギーにはあらためて感嘆させられる。
美衣さんがいなくなったところでつぶやっきーを開くと、佐々木さんから読者承認が出ていた。これで彼のつぶやきが見られる。よしっ。
何かをつぶやくか、あるいは佐々木さんへメッセージを送ろうかを考えたが、みうちゃんは設定上、放課後は練習していることになっているのでいまはやめておいた。
代わりに高木さんに、みう@フェイントLOVE♡ちゃんは私であり、佐々木さんのつぶやき読者になることができた旨を伝えて、明日の練習試合の時間と場所、さらには今後必要になるかもしれないので、西川先生とセッター加藤さんの携帯番号・メールアドレスを教えてほしいという内容のメールを送った。
その後学内LANにアクセスして佐々木さんの自宅住所を調べた。学校内の情報の見方はすでに美衣さんから教えてもらっていた。
私の秘書用アカウントでどこまでの情報にアクセスできるのかはわからなかったが、このくらいの情報は容易に手に入るようだ。住所を入手し地図で調べると、学校から地下鉄で四駅離れたところだった。帰りに佐々木さんをつけて自宅の場所を確認することに決めた。
その後私は自殺に関する情報を集めるなどして時間をつぶし、部活が終わるころ校門前の物陰で佐々木さんが出てくるのを待った。
男バレはみな同じスポーツバッグを持っているので出てくればすぐにわかるのだが、最初の部員が出てきてからも佐々木さんはなかなか姿を現さない。どこか別のところから出たのかもしれないという疑念を持ちながらも待ち続けていると、下校の放送がかかったところでようやく佐々木さんが出てきた。
間近で彼を見るのははじめてだったが、近くで見るとやはり大きい。一九〇センチはあるだろう。おかげでかなり遠くからでも見失うことはなく、動物園からコンビニへ行くため逃げだしたキリンを尾行するくらい楽だった。
ただ頬がこけているというか、顔色はよくない。普段どうなのかはわからないが、あんなつぶやきをするくらいだから、当然かもしれない。
佐々木さんは日が沈む方角へ向けてひとり歩き始めた。他の男バレ部員は数名のグループで帰っていたのでなんだかさびしい。
駅に着きホームに降りると、佐々木さんは郵便受けに入っている手紙を出すくらい、ごく自然な感じで、電車が入ってくる側のホームの端に立った。
そのとき私は気づいた。そこは最も電車の勢いがある位置、つまり自殺する人がその目的のために好んで立つ場所だと。しかも白線より前に立っている。
焦った。いや、焦ったなんてもんじゃない、青ざめた。慌てて早足で佐々木さんのうしろに近づいた。存在を気づかれてもおかしくない位置だったが、そうこうするうちに電車が来た。警告のホーンが鳴り響く。ぐっと息を飲んだところで空気が巻き上がって電車は通り過ぎた。
佐々木さんはそこに立ったままだった。
飛び込まれたら間に合わなかった――。
厳然たる事実だ。
電車が止まったところで私は佐々木さんに気づかれないように別のドアから電車に乗った。
両手が震えている。動悸がやまない。
このときはじめてわかった。
佐々木さんは本気だ。本気で自殺する覚悟がある。
いまのは予行演習だ。
これまで佐々木さんのつぶやきを見ても、所詮気をひくためだとか、自己憐憫だと正直思っていた。リストカットする女子中学生のようにどこか本気ではないとたかをくくっていた。
だが、そうではなかった。誰も見ていないところで予行練習するなんて本気で自殺を考えている人以外には考えられない行為だ。
先ほど部活が終わるのを待っているあいだ、私はふと気になって自殺の統計を調べていた。現在十代の自殺者は年間五、六百人程度で、年間三万人ほどいる日本の自殺者全体から見れば少なく感じるが、それでも毎日一人以上の命が失われている計算になる。
つまり今日も日本のどこかで若者が命を絶っているのだ。統計を見ても遠くに感じていたが、佐々木さんの姿を見てまさにその現場が自分の目の前にもあることを悟った。
『真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ』
これはフランスの作家アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』の冒頭の一節だが、このあとに続く文章で、自殺とはどのような意味のある行為なのか、自殺すべきかどうかをどのように判断すべきなのか、あるいはこの世が生きるに値するものなのかどうか、そういったことについて考えることこそが哲学上最大の問題だとカミュはいっている。私も自殺へ至る心情に漠然と興味は持っているが、これまで深く考えたことはないし、正直まだわからない。
でもだからこそ思う。まだ人生についてろくにわかってもいない十代で死ぬという、巻き戻せない結論を下すことは明らかに間違っている、と。
思うところは違えど、自殺なんてさせないという結論について私と美衣さんには一寸の違いもない。幸か不幸か偶然か宿命か、私だけが佐々木さんの間違いを正すことができるわけで、私がなんとかするしかないのだ。
私はこのとき堅く決意した。
佐々木さんは自殺させない。
地下鉄は何もなかったように進んでいく。佐々木さんは席に座ってただ下を向いていた。佐々木さんの自宅の最寄駅に着くと、彼は改札を出ずに反対ホームに降りた。そして先ほどと同じようにホームの端に立ち、電車が入ってくるのを待った。自宅の最寄駅でもう一度自殺のシミュレーションをするようだ。ただ不思議なほど悲壮感はなく、淡々と下見しているように見える。それが余計に不気味だった。
佐々木さんは電車が入ってきてもそれには乗らず、発車するのを見届けると引き返して改札を出た。出口を出ると夜の帳が下りていて、西の空には太陽のかけらだけが残っていた。
ここは郊外のターミナル駅で、駅前には大型スーパーやパチンコ屋などが立ち並んでいるが、三分も歩くと静かな住宅街になる。佐々木さんは十分ほど歩いたあと、一軒家が立ち並ぶ路地にある青い三角屋根の家に入っていった。
その光景だけを見ると何事もなかったかのようなごくありふれた帰宅だった。
その日の夜、佐々木さんはつぶやいた。
sasattower 今日も疲れた。明日は大会前最後の練習試合。どうせ明日もダメだろう。もうわかりきっている。今日予行練習をした。やろうと思えばいつでもできる。
これに、みう@フェイントLOVE♡はこうコメントした。
miufeintlove@sasattower はじめまして、みうと申します。読者許可していただきありがとうございます。わたしもバレーボールやっているんで、いろいろ教えてもらえたらうれしいです。よろしくお願いします!
返信がもらえたら佐々木さんのつぶやき内容にも触れるつもりだったが、いきなりツッコんだことを聞くのもおかしいと思い、無難な内容にした。
だが予想通り、このコメントに対する佐々木さんの返信はなかった。
佐々木さんを救うにはどうしたらいいか?
いまだに考えがまとまらない。つぶやきを見るかぎり明日の練習試合には出るつもりみたいなので、今日明日ということはないと思えるが、猶予期間は確実に残り少なくなっている。