サーブレシーブとハンバーガー③
放課後、私はそうじ当番だった。
ハードボイルドの世界にそうじなど存在しない気がするのだが、やらないというわけにもいかないので、ほうきを持って隅をはく。ちなみにハードボイルドと母の手作り弁当というのも汚辱的に合わない。というか私など自分でも弁当つくっているし。まあ、食べるけど。
「失礼しまーす」
「はーい、どうぞ」
そうじを終えてから校長室へ行くと、女子生徒が美衣さんの席に座っていた。
「お勤めごくろう。今日もわたしのために働いてくれたまえ、秘書くん」
「はいがんばります、校長先生。って美衣さんは?」
「校長会でどこかに行ったよ。今日は帰らないみたい。だから今日は私が校長代理」
「はいはい」
座っているのは美衣さんの娘の岩崎奈緒、私の幼なじみだ。光沢ある髪と素直そうな顔でまわりからは話やすい優等生と思われていて、まあおおよそ間違ってもいないのだが、私の前では何か面白いこと(たいてい面白くはないが)を披露しようとしたがるふしがある。
「で、どうなの秘書は? 順調?」
「どうもこうも始めたばかりだからな」
私はパソコンを立ち上げ、高木さんからのメールを確認すると、昨日付でメールが来ていた。
「わかりました。では明日の夜七時に駅前のハンバーガーショップでお待ちしています」
携帯電話のメールアドレスも書かれていた。
「高木さんからメール来てた?」
「ん? なぜそれを知ってる?」
「さあ、なんででしょう?」
「知ってるの美衣さんしかいねえから」
「私も手伝うからね」
「断る。遊びじゃねえんだって」
私は万年筆を取り出し、電話の横にあるメモ帳におもむろにしたためる。
『遊びじゃない 遊びじゃない 本当のことさ』
「えっ何その万年筆? カッコいいね」
「親父の形見。入学祝いにもらったんだ。嵯峨天皇みたいだろ?」
「さがてんの? 下がってんの? 成績?」
「まだテストやってねえよ」
「とにかく、わたしもウチではママの秘書みたいものだから、いってみればわたしは真路の先輩よ、先輩。だから後輩の業務の進捗状況を聞くのは当然の権利であり義務だと思うの。先輩特許よ」
くっ先輩特許とは、奈緒にしてはなかなかうまい。仕方ないな。
「メールきてた。あとで会ってくる」
「私も行く」
「お、う、いっ、生徒会は?」
奈緒は生徒会に入っていた。
「今日は休み」
「だか――」
「行くから」
「マジかよ」
強引だな、まったく。奈緒はみなの前と私の前ではずいぶんとキャラが違う。ゆるキャラ本体と、休憩中に弁当をほおばる中の人くらい違う。だが、本人は特に意識してやっているわけでもないようだからなおさら手に負えない。
「昨日男バレの練習見てきたんでしょ? わたしにも聞かせてもらおうか、その話を」
「へいへい」
「あとその万年筆貸して」
「丁重に扱えよ」
「真路の顔描いてあげる」
「いえ、結構です」
これまでの経緯を話したり、万年筆でのらくがきで時間をつぶしてから駅前のハンバーガーショップへ行くと、入口前に新雪学園の女子生徒が立っていた。予想通り昨日の練習時に目星をつけていた人だった。髪が長く色素が薄いというか全体の印象が淡い感じで、近づくと目が合ったので会釈する。
「高木さんですか?」
「はい」
「一年の古口です」
「あの、秘書さん? 一年生なのですか?」
「はい。ま、秘書といっても小間使いみたいもんですが、生徒じゃないとできないこともあるし、校長もいろいろと忙しいので仕事を手伝っています。もちろん内容は校長に報告しているんで信用してもらえれば」
「といっても正直なかなか信用できないと思います。目つきは悪いし、ダジャレも面白くないし。そこで監視役としてついてきました。わたしは一年A組の岩崎奈緒です。校長の娘で、いまは生徒会に所属しています。私も同席させていただいてもよろしいでしょうか。失礼とは思いつつもお話聞かせていただきました。わたしもぜひ先輩方のお力になりたいんです」
奈緒ができる保険外交員のような話しぶりで割りこんできた。うっとうしい。
「あ、校長先生の……。はい、よろしくお願いします」
奈緒はニッと母親譲りのしたり顔を見せると店の自動ドアを開けた。しゃあーしゃあーとしてやがる。
「ではとりあえず中に入りましょう。好きなもの頼んでくださいね。じゃあわたしはなんにしようかなー。期間限定のクイーンバーガーのセットがいいかなあ」
いちばん高いセットとは、奈緒はまったく遠慮というものを知らない。
みなそれぞれセットメニューを頼み、美衣さんからもらったお金で支払った。普段捨てるレシートを忘れず財布に入れて席につくと、私はブレザーの内ポケットから名刺を出した。
「あらためまして、校長秘書の古口真路です」
「あ、はい、男子バレーボール部のマネージャーの三年C組高木美穂莉です。よろしくお願いします」
「わたしにもちょうだい」
奈緒にも名刺を一枚やりつつギュルル顔で威嚇した。じ・ゃ・ま・す・る・な。
「用件については校長から聞きました。それで昨日、男バレの練習を見てきたんだけど、佐々木さんたしかに大変そうだった。いつもあんな感じなんだ?」
「昨日? どこで見ていたのですか?」
「体育館の放送室」
「ああ、あれ古口さんだったのですね。西川先生あのような感じの先生なのでみんなに厳しいのですが、佐々木くんはキャプテンという立場上真っ先に怒られることが多いです。試合に負けたときはもちろんですが、全体的に気がゆるんでいるとか、ランニングのタイムが遅いとか、そんなときでも佐々木くんが代表して怒られてしまいます」
「ふむ。レシーブ練習でボロクソに怒られてたけど、佐々木さんってレギュラーなんでしょ?」
「はい。センターってわかりますか? ブロックとか速攻とかを中心に行うポジションなのですが、そこをやっています。センターは後衛のときは守備専門のリベロと交代するケースが多いのですが、ウチには佐々木くんよりもレシーブが苦手な選手がいるので佐々木くんもサーブレシーブに入ります。ただ佐々木くんもレシーブは得意ではないので、それでよく怒られてしまうのです。相手チームもサーブで佐々木くんをねらってくることが多くて……」
「チームのウィークポイントってことか。でもなんで佐々木さんがキャプテンなの? 失礼かもしれないが、そう引っ張っていくタイプには見えなかったけど」
「ウチの部は部員の話し合いでキャプテンを決めているのです。部の慣例でもあるし、意外かもしれませんが、西川先生そういうところは生徒の自主性を尊重するのです。いまの三年生部員は自分のことだけで我関せずの人が多いですし、キャプテンになると西川先生に怒られるのはみんなわかっているので、まわりに押し出されるような感じで佐々木くんになったのです。彼こういうの断れないから」
「なるほど」
「それでも佐々木くん、はじめは頑張るって意気込んでいたんです。でも、去年の秋の新人戦まさかの一回戦負けで、それで一気に部内の空気が悪くなったのです。その負けた試合で佐々木くんのミスが多かったのもあって風当たりも急に強くなりました。それからです。佐々木くんが暗い表情ばかりするようになったのは。この春も何試合か練習試合をしたのですが、チームの調子も、佐々木くんの調子も、最悪といっていいような状態で……」
「そっか……。でも三年生は最後の大会までもう少しでしょ? 引退すればバレーボールのことで悩むこともなくなるだろうし、ほっといてもなんとか頑張れるんじゃないの?」
「たしかに来月の大会で負けると引退なので、その通りなのですが……」
高木さんはバッグからスマートフォンを取り出し、操作し始めた。
「佐々木くん『つぶやっきー』というつぶやきサイトやっているのですが、これを見てください」
高木さんは端末を反対向きにし、テーブルに置く。それを私と奈緒が覗き込む。奈緒の顔が近くて、ほのかなシャンプーの芳香が鼻腔をくすぐる。いや、そんなことはどうでもいい。問題は佐々木さんのつぶやきだ。
[sasattower]
5月××日 練習試合、格下に負け。サーブカットのミス3、レシーブミス3、サーブミス2、スパイクアウト2、クイックの連携ミス2、ブロックアウト3、ボロボロ。完全に俺が足をひっぱってる
5月××日 先生もみんなもあきれてる。自分自身もあきれている。いっそのことメンバーから外してくれたらどんなに楽だろう
5月××日 でも実際にメンバー落ちしたら、それはそれで絶望するんだ
5月××日 練習試合で格下に負けたせいか、士気が上がらない。みんなヤル気なしって感じ。原因は俺。どうしてこんなことになったのか。俺だって悪いことなんてしてないのに。たんに俺が下手なだけ
5月××日 先生からは毎日同じことを怒られている。レシーブでコースに入るのが遅い。だから姿勢が整わないままのレシーブになってミスる。ダメな点はわかっているのに足が一歩前に出ない。もう自信がない。
5月××日 練習行きたくない。体育館に某国のミサイルや隕石でも落ちればいいのに
5月××日 M県で高校生が自殺。いじめ。方法は首つり。首つりっていまいちやり方がわからない。俺は学校での飛び降りか電車への飛び込みだな
5月××日 明日がくるのが怖い。死にたい、死にたい、死にたい
5月××日 もういいんじゃないか。特にこの先希望もしたいこともないし。むしろこんなにたくさんの人が平然と生きているほうが不思議でならない。
5月××日 この世が滅びればいいと思うけど、残念ながら滅びてはくれない。それならば自分が滅びるしかない。
読んでいて息苦しくなった。ここまで思いつめているとは思わなかった。奈緒の顔からも血の気が引いている。
「佐々木くんのこのつぶやきを読んでいる人は三人だけなのですが、残り二人は佐々木くんを知らないので、実質わたし一人です。ときどき佐々木くんのつぶやきにコメントするのですが、佐々木くんがそれに返信してくれたことはありません。つぶやきの詳細ってところをクリックしてみてください」
いわれた通りクリックしてみると、たしかにいくつかコメントのついているつぶやきがあった。mihorinrinというのが高木さんのアカウントだ。
5月××日 練習試合で格下に負けたせいか、士気が上がらない。みんなヤル気なしって感じ。原因は俺。どうしてこんなことになったのか。オレだって悪いことなんてしてないのに。たんに俺が下手なだけ
mihorinrin@sasattower 全体的にミスが多かったし、佐々木くんだけが悪いわけじゃないのだから、そんなにひとりで背負いこむ必要はないよ。まだ大会まで時間あるし、うまくいかなかったところを修正していこうよ。
5月××日 明日がくるのが怖い。死にたい、死にたい、死にたい
mihorinrin@sasattower おねがい、死にたいなんていわないで
「コメントしているのは私だけなので、なんとか佐々木くんを励まそうと思うのですが、全然反応してくれないのです。見てくれてはいると思うのですが……。コメント内容もこれでいいのかわからないし、もうこれ以上どうしていいのかわからなくて、困って、どうしようもなくて、校長先生に相談したのです」
高木さんの瞳は涙でうるみ、下を向いてしまった。高木さんもつらいだろうなというのはこれを読むだけで十分わかった。
沈黙が訪れる。そこに頼んでいたハンバーガーが来た。とても、わっおいしそうと食べられる雰囲気ではないし、私自身もいまいち食欲がわかないのだが、ここはいったん小休止しようと思った。
「とりあえず食べてから考えよう」と私が切り出すと、「うん、そうだね」と奈緒がクイーンバーガーを手に取った。
美衣さんからもらったお金だったので、私も普段よりリッチにトリプルループバーガーというフィギュアスケートのジャンプのようなハンバーガーにした。パテ三枚にチーズ、輪切りのトマトとオニオン、レタス、アボカドがふんだんにはさんであって、アメリカの太っちょのおばさま的重量感のあるハンバーガーだった。ボリューミーなパテから沁み出る肉汁と鮮度の良い野菜エキスが混然一体となり口の中にうまみが広がっていく。こいつは、うまい。
このアメリカンなハンバーガーにはバドワイザーとミラー、クアーズ、どのビールが合うんだろうかと想像してみるが、もちろんどれも飲んだことないのでわからない。成人後の研究課題としよう。
高木さんはタルタルフィッシュバーガーを頼んでいた。私と奈緒が食べ始めたのを見てからようやく手に取った。包装紙からバーガーを出す手つきが袱紗から香典を出すように重々しく見える。いや、そんな辛気くさいたとえはよくない。
私は食べ終えると、万年筆と手帳を出して考えを整理することにした。だが、手帳を開いた瞬間「その手帳わたしが選んだんだよ。あ、なんか書いてある。ちょっと見せて」と奈緒に取られてしまった。
「えっなにこれ、ポエム? 『男バレを のぞき見するが ホモじゃない』だって。うわっあ、なにこれ恥ずかしい。バ、バカすぎる」
やめろおおおおらと思ったが、間髪入れずに読みあげやがった、こいつにはデリカシーというものがないのか……。
とにもかくにも奈緒がぷっと笑ったので、高木さんもつられて笑ってくれればいいなと思ったのだが、見ると完全にひいていた。
「万年筆の試し書きだよ、試し書き。ちょっ返せよ」
奈緒から手帳を取り返した。
すると「お二人仲いいのですね。あの、おつきあいとかされているのですか?」と高木さんが聞いてきた。
「えっ? いや――」と私は否定しようとしたが、「そ、そんなわけないじゃないですか。高木さんいやだな、もう。真路とわたしは幼なじみなんです」と奈緒が横から割って入ってきた。
「へえ、幼なじみなんですね。どうりで。なんか自然な感じがしたので」
高木さんも少しは落ち着いたようだ。だが一方で奈緒の落ち着きがなくなっていた。バッグの中をしきりに漁っている。
高木さんが食べ終わったころを見計らって私は切り出した。
「佐々木さんの状況はおおよそつかめたから、これからどうするかをみなで考えていこう。奈緒、紙くれないか?」
私は奈緒からルーズリーフをもらい万年筆で書いた。
目標:佐々木さんをいまの状況から救い出す
「目標というか、最終的に成し遂げるべきことは、佐々木さんにいまの鬱屈した状況から脱してもらうことだと思うんだ。そのうえで、前向きな気持ちで最後の大会にのぞんでもらえたらベスト。このことに異議はないと思うけど、どう?」
二人とも無言でうなずいた。
私は目標の上に丸をつけ、次に「対応策」と書き、二人に示した。
①西川先生の排除、あるいは対応の改善
「では、目標に向けて具体的にどうするかを考えていこう。佐々木さんの鬱の最大の原因はおそらく西川先生だと思うんだ。だからまず先生をどうにかしようという案。西川先生さえいなくなれば、佐々木さん立ち直ると思うんだけど、美衣さん、校長ね、いわく男バレにはバレーをやりたい、勝ちたいと思って入った生徒も多いんだから、佐々木さん一人のために西川先生を顧問から外したり、この大会前の大事な時期に練習をゆるめろというのはよくないということだった。高木さんはどう思う?」
「校長先生のおっしゃる通りだと思います。わたしも佐々木くんにはもちろん立ち直ってもらいたいですが、佐々木くんだけの部ではないし、この時期に西川先生がいなくなったらみんな困ります。先生を好きという部員は少ないかもしれないですが、それでもみんな西川先生だからウチの部は強いと思っています。いまチーム状況は最悪ですが、みんなバレーが好きですし、全国に行きたいと思ってつらい練習をしてきました。だから西川先生を顧問から外すのはやりすぎです。それに佐々木くんだって、もし西川先生がいなくなったら張り合いがなくなると思うのです。先生が大きな原因なのは間違いないですが、一方で先生に認めてもらいたいと思って頑張ってきたはずなので」
高木さんの声に熱がこもっている。この案はダメといいたいのだろう。
「うん、わかった。私もこの案を是が非でも通そうとは思っていないから。あくまで一つの案として検討しようと思って。ちなみに西川先生の指導の仕方というか、怒り方って毎年こんな感じなわけ? それとも佐々木さんだけ特別厳しいわけ? 去年とかはどうだった?」
「西川先生のやり方というか指導方法自体は特別変わっていないと思います。ただ今年はチームの成績がよくないので例年より苛立っているようには感じます。あと毎年キャプテンとチームの弱点となる人は別々なので怒られる回数もそれなりに分散するのですが、今年の場合は両方佐々木くん一人に集中してしまったというのはあります」
「なるほどね。そういえばこの前美衣さんが練習見に行ったの知ってる?」
「はい。わたしのメールを見てきてくれたのだと思っていました」
「あのとき特定の人だけ、まあ佐々木さんのことだけど、厳しくしないようにといったみたいなんだけど、効果ないよね?」
「うーん、はい……。特に変わった様子はないので……効果はなさそうです」
「まあ私も昨日見た感じで効果ないとは思ったけどね。西川先生の指導をどうにかするっていうのは難しいのかな」
そうはいったものの、やはり西川先生が改心しないかぎりは真の解決にはならないのではないだろうかという思いも残った。
だがまあ、とにかく次へいこう。
②キャプテンを替える。あるいは佐々木さんをバレー部からやめさせる
「この案の場合、佐々木さんがどう思うかが鍵かな。キャプテンを替えたり、バレー部をやめさせるっていうのは平たくいえばクビってことだからね。プレッシャーからは解放されるだろうけど傷つくな、たぶん」
私は高木さんを見た。
「キャプテンを替えるというのは一つの案だと思いますが、たしかに佐々木くん余計に落ち込む可能性はあります。それに替わりに誰がやるかとなると、三年生でほかに向いてそうな人がいないのです。それに誰もやりたがらないと思います」
「西川先生に、佐々木の負担を減らすため○○がキャプテンをやれって指名してもらうのはどうだろう?」
「そのためにはキャプテンを替えるように西川先生を説得しなければならないですよね。先生頑固だし、大会前だからそう簡単には納得しないと思います」
「あのつぶやきを見せたらどうだろ?」
「きっと先生、キャプテンだけではなく試合のメンバーから佐々木くんを外すと思います。あれを見るととても試合で戦えるような精神状況には見えないですから」
「まあね。じゃあ部活をやめさせるのは?」
「佐々木くん頑張ってきたんです、これまでずっと。その姿を間近で見てきたので、わたしからやめろとはとてもじゃないですがいえません。佐々木くんもきっと深く落ち込むと思います。もう立ち直れないくらい。つぶやきを見ると、佐々木くん死にたいとはいっていますが、キャプテンや部活、バレーボールをやめたいとは一度もいっていないんです」
「そうなんだ。なるほど、うーん……」
私は腕を組んで先ほどから一言も話さない奈緒を見る。奈緒も「困ったね……」という視線を送り返してくる。
この二案は高木さんに拒否されるような気はしていた。高木さんは西川先生の優れたところも、佐々木さんの努力も見てきたわけだし、最後の大会を前に自分主導で二人に酷なことはできないだろう。
高木さんも、はじめ見たときは印象の薄い顔をしているので意志も薄弱なのかなと思ったのだが、いうべきことはしっかりいう人のようだ。さすが唯一の三年生マネージャーだけはある。きっと高木さんも部を切り盛りするのにいろいろ苦労してきたのだろう。
ただ本音をいえば、私としてはこの二案のどちらかでいきたいと思っていた。案はもちろんほかにも考えてきたのだが、この二案と違いアバウトなのでうまく解決まで持っていける気がしない。
そうはいっても、こう否定されてしまっては仕方がない。
私はルーズリーフに次の項目書いた。
③気分転換で気持ちを前向きにさせる
「次は佐々木さんの気持ちをなんとか前向きにさせるって案だが……」
「うん、それがいいよ」と奈緒がいうと、高木さんもうなずいた。
「いやでも、さっきの二案なら美衣さんの校長権限でどうにかできると思うんだが、この案に関してはどういう方法を取ったらいいのか見当がつかないんだ。高木さん何か思い浮かぶ?」
高木さんは少し考えたあと首を横に振った。それを見て奈緒がいった。
「趣味とか好きなことを存分にさせてあげるってどうかな? それで部活のことを忘れてもらうの」
「佐々木さんって何か趣味あるん?」
高木さんを見た。
「バスケットボール、NBAが好きです。Tシャツとか何枚も持っています。なかでもデュラントって選手が好きらしいのですが、知ってますか?」
「ケビン・デュラントか。バレーじゃないんだ」
「あとハンバーガーとポテトとコーラが死ぬほど好きって自分でいってました」
「じゃあNBAを観に行って帰りにウェンディーズで食事すればいいね」と奈緒がさも名案を思いついたようにいった。
「いいねって簡単にいうけど、NBAって何か知っているのか? 中野ブロードウェイのアニメショップでも内藤のばあちゃん朝ごはん何食べたの? でもないからな。しかもなぜにウェンディーズ……?」
奈緒の本気だかボケだかわからない発言にとりあえずツッコんでおいた。わりと律儀なのだ、私は。
「まあでもたしかにアメリカに行ってしまえば、こんな日本のちっぽけな部活の悩みなんて忘れるかもしれないけどな」
「ねっ」
「ねっ、じゃねえーよ。無理だろ、日程的にも金銭的にも」
「ま、そうだけど。じゃあテレビで見れば」
「いや、見ているだろ、好きならすでに。だいたいサクッと気分転換して前向きな気持ちになれるのなら自分でとっくにやってると思うんだ」
「ねえ、真路。正解」
「……」
やはり奈緒は連れてくるべきではなかった。
④チームの調子を取り戻すことで気持ちを上向かせる
「結局チームの負けが込んでいるから雰囲気も思考も悪いほうへいってしまうんだ。でも、佐々木さんの調子が悪いからチームが弱いのか、チームが弱いから佐々木さんの調子も上がらないのかどっちだろ?」
「どっちもだと思います」
「にわとりが先か、たまごが先かみたいものだよな。チームの調子が上向けば自ずと気分も上向いていいプレーができるとは思うんだけど、でももう大会前だからな。大会前に試合ってある?」
「最後の練習試合が今週の土曜日にあります」
「相手は強いとこ?」
「二チームとやりますが、両校とも実力的にはウチのほうが上です」
「じゃあ大勝しても気分は変わらないか」
「勝てばそれなりに勢いはつくと思うのですが……」
「勝てるかどうかわからない?」
「いまの調子では五分五分だと思います」
「うーん。でも私らは所詮部外者だし、チームを勝たせて勢いづかせる方法なんてまったく思い浮かばない」
「わたしも勝ってほしいとは思うのですが」
⑤部員に佐々木さんを盛り立ててもらう
「佐々木さんはいわば負のすべてを自分ひとりで抱えているような状態なんだと思う。これをチームメートのみなと分かち合うことができれば、少なくても佐々木さんだけが暗黒面に落ちることは避けられると思うんだけど。ただな、これもどうやったらみなが積極的に佐々木さんを盛り立てようという気になるのかがわからない」
私は意見を求めるように高木さんを見た。
「すみません、わたしにもわからないです。ただ三年生は佐々木くんを入れて全部で七人いるのですが、決していがみ合っているとか仲が悪いわけではないのです。ただなんというか必要以上に他人に干渉しないというか、誰も何もいい出さない状態というか、だから何かきっかけがあれば変わる可能性はあると思うのです」
「きっかけが必要ってことか。たとえば佐々木さんがみなにSOSを発信するというのはどうだろう? 助けを求められれば仲間として無下にはできないのでは?」
「いい案だとは思いますが……佐々木くん意外と頑固で負けず嫌いで自分から助けを求めたりはしない性格なのです。もしそれができるんだったらこんなふうにひとりで悩んだりしていないと思うのです。それに仮に佐々木くんが、つらいんだ、助けてくれないかと誰かにいったところで、いわれた人も困ると思うのです。情けないことにわたしも結局何もできなくてこうして校長先生に相談したわけですし」
「そうかもな。私たちもこうして悩んでいるわけだし、佐々木さんから直接どうにかしてくれないかといわれてもたぶんどうしていいかわからない」
「佐々木くん自身だって、きっと何をどうしたらいまある苦しみから逃れられるのかわからないと思うのです」
「うーん……。でもとりあえず佐々木さんのつぶやきをほかの頼りになりそうな部員に話して協力してもらうというのはどうだろう?」
「わたしもそう思ったので佐々木くんとわりと仲のよいセッターの加藤くんにつぶやきのことを話してみたんです。加藤くんすごく心配してくれて佐々木くんを励ますようなこともときどきそれとなくいってくれているみたいなのですが、それ以上どうしたらいいのか加藤くんにもわからないみたいで」
「じゃあ思い切ってつぶやきを部員みなに見せるというのはどう? 全員ならなんとかなるかもしれないし」
「それは……。加藤くんみたいに心配してくれる人はいると思いますが、大げさだなと思う人や何被害者ぶってるの? というような冷たい反応をする人もいるかもしれません。でもそれよりも、佐々木くんにみんなに教えたことが知られるのがわたしはこわいです。佐々木くんわたしのことを信用してつぶやいているのに、わたしまで裏切ったと思われたらそれこそ佐々木くん絶望してしまうのではないでしょうか」
「うーん……」
私は腕を組んだ。高木さんのいう通りだと思う。この案もうまくいきそうにない。
「ねえ」と会話が行き詰ったところで奈緒が切り出した。「佐々木さんと直接話してみるっていうのはどうかな?」
「ん! それは」
「でしょ?」
「残念、いい案というとでも思ったか。いったい何話すんだよ」
「まずはあいさつしてそれからなかよくなるの。真路が佐々木さんと友だちになるのよ。そして悩みを聞いてあげる。その悩みを解決する。どう? 完璧すぎるでしょ」
「まあ友だちになるというのはありといえばありだけど」
「でしょ?」
「でもな、接点がないのに近づくのは不自然だし、第一切羽詰まっているこの状況でやるには時間がかかりすぎる。やるのなら単刀直入に何かを話にいくしかないと思う」
⑥佐々木さんと直接話をする
「ただ佐々木さんと話すとなると、どうしても高木さんから聞いたってわかっちゃうと思うんだけど」
「わたしはかまいません。部員みんなにいうのは困りますが、校長先生や古口さん、岩崎さんにいったとわかってもきっと大丈夫だと思います。いい顔はしないかもしれないですが、心配して相談したのだろうと佐々木くんもわかると思うので」
「けれどやっぱり何を話すかだ」
私は奈緒を見た。
「陽気に話かけてみればいいんじゃない? ジャマイカの人とかと話したらこっちまで陽気になって悩みまで忘れると思わない? レゲエやラップ調で話かけてみるとか」
「ん? それマジでいっているのですか、奈緒さん?」
奈緒はときどき本気なのかジョークなのかわからないことをいう。
「本気にきまってるでしょ」
「こんな感じか?」
私は両手をキツネの影絵みたい形にして少しのけぞり気味の体勢をとり、私の思い描くラッパー調でいった。
「HEY YOU CRY暗いYO 元気出そうZE にっこにっこにー☆」
「なんか違う。センスも古くさいし。それじゃジャマイカの人じゃなくてただの邪魔な人だよ」
「ネタふったの誰だよ……。高木さんは佐々木さんと直接話すとしたらどんなこと話したらいいと思う?」
「ごめんなさい、それはわたしが知りたいです。つぶやきを見るようになってからわたしもかえって佐々木くんとは無難なことしか話せなくなってしまいました」
「うーん。佐々木さんがこうしてほしいと答えてくれればやりやすいんだけど。たしかに高木さんがいったように、佐々木さん自身もわかっているかどうかあやしいもんだ」
⑦佐々木さんを監視する
「抜本的な対策にはならないけど、やっぱりこれかな。何かありそうな場合には美衣さんや西川先生にすぐ報告できるように、監視というか見守るというか。最悪の事態だけは避けないと。とりあえず私もつぶやっきーをやって動向を見ようと思うんだけど、どうかな?」
「そうですね、当面はそれがいいと思います。ただ佐々木くんのつぶやきはロックがかかっているので承認してくれないと見られません。だから新雪学園の古口さんとして承認申請するよりも、誰かわからないアカウントでやったほうが可能性は高いと思います」
「オーケー。では、まずはそういう形でいこう。そこで様子を見つつ今後どうすることが最善かを探っていくことにしよう」
だが、結局は対処療法にすぎず、解決への道筋を示すことはできなかった。私としては不本意だ。
「高木さん、せっかくいろいろお話聞いたのに明快な解決策を示せなくてすみません」
席を立つとき私は謝った。
「いえ、こちらこそこんな大変なことに巻き込んでしまって本当に申し訳ありません。でも、みなさんだけが頼りなのです。どうかよろしくお願いします」
高木さんは深々とおじきをした。
「いえ、おかまいなく。ドーンとまかせてください。この真路がきっとご期待にお応えしてみせます」
この無駄なハードル上げ、やはり岩崎母娘は似ているところが多い。