サーブレシーブとハンバーガー②
たしかにその通りだった。
翌日の放課後校長室へ行くと、部屋の横に机が一つ入れてあり、その上に電話とノートパソコン、それに手帳と名刺一ケースが置いてあった。
「今日からそこが真路くんの席ね」
「ちょっ美衣さん、母に聞いた。まんまとハメられた」
「うん? なんのこと?」
「兵糧攻めの件」
「あ、あれっバレちった? ちっ、真帆のやつ。うん、まあそういうことよ」
「まあいいけどさ。にしても本格的。名刺なんて何に使うん?」
「遊びじゃないんだから名刺くらい当然よ。一枚出してみて」
トランプが入っていそうなケースから、まっさらな名刺を一枚出すとこう書いてあった。
『新雪学園高等学校 校長秘書 古口真路』
これを見ると、たしかに遊びではないんだなと感じる。身が引き締まった。学生の身分を飛び越えて立派な社会人になったみたいだ。うん、悪くない。
「きっと様々な場面で先生や先輩たちから、おまえは誰だ? 何様だ? 何やってるんだ? といわれる場面があると思うの。そんなときにはこの名刺を差し出すといいわ。名刺入れもらったんでしょ?」
私はうなずいた。
「今日教職員の朝礼で真路くんのことを話したけれど、残念ながら先生たち全員が諸手を挙げて賛成ってわけでもないし、わたしを毛嫌いしている人も少なからずいるの。だからみんながみんな真路くんに協力してくれるわけではないと思うけれど、その名刺があれば少なくても無下にはされない。真路くんは私の命で動いていることになるわけだから。責任は全部わたしが取るし真路くんは存分にやっていいわ」
深く考えていなかったが、なんかとんでもないことを引き受けてしまったのかもしれないと思い始めていた。
「じゃ、さっそく仕事お願いするわ。パソコンを立ち上げて」
そういうと美衣さんは自席を離れ、私の隣に立った。
「真路くん、お悩み相談室は知ってる?」
「知ってる。ガイダンスで聞いた」
新雪学園高校のサイトには『美衣校長のお悩み相談室』という、学園の生徒や先生なら誰でも校長に直接悩みや意見を送ることのできるページがある。美衣さんの本職は英語教師なのだが、臨床心理士の資格も持っているのでカウンセラーとしての仕事もしていた。
「この前ね、悩み相談が来たんだけど、ちょっと対応に困っていて真路くんに手伝ってもらいたいの。メール転送しておいたからこっちで開けるわ」
「見てもいいん?」
「大丈夫。了解はとってあるわ」
私は美衣さんから転送されたメールを開いた。
送信者[mihorinrin]
校長先生へ
三年C組の高木美穂莉と申します。こんなことを校長先生にお願いしていいのかわからないのですが、困っていることがあり、他に頼れる人もいないのでメールしました。
わたしは男子バレーボール部のマネージャーをしていますが、キャプテンの佐々木くんが精神的に追いつめられていてとても心配なのです。昨年佐々木くんがキャプテンになってからチームの状態が悪く、よい結果が残せていません。新年度になってからは佐々木くん個人の調子も最悪で、顧問の西川先生から毎日怒られています。
ほかの部員は佐々木くんが怒られていても見て見ないふりをして、わたしだけでもなんとか彼を励まそうとしているのですが、日に日にやつれていっています。このままでは不登校になったり、最悪自殺してしまうのではないかと思って気が気ではありません。
どうかお力になってもらえませんか。お願いします。
重いな――。私の第一感はそれだ。
昨日秘書の話を聞いたばかりなのに、いきなりこんなことをやるのか。普通自動車免許を取った人が、取ったその日に2トンロングのデコトラに乗るくらい無理がある。
「それでね、先週部活動の定期視察のふりをして男バレ見てきたの。佐々木くんたしかに苦しそうだった。西川先生にずっと怒られているし、誰も声をかけてあげないの。言い方は悪いけれど、ターゲットというか生贄にさせられているのね。見ていてつらかったわ。でね、西川先生にいったの。キャプテンに少し厳しすぎやしませんか? 叱るのはほどほどにしてくださいね、叱ることよりも生徒の自主性を育むことのほうが大事ですよ、生徒あっての学園なんですからね、といったの。そしたら、はい、もちろんです。ですが、もう三年生の最後の大会も近いですから、多少厳しいのは仕方ありません。それに佐々木はキャプテンですからアイツの出来いかんでこのチームの命運は決まるといっても過言ではないのです、と返されたの」
私は黙って聞いていた。簡単な話ではなさそうだ。
「まあ、西川先生のいうことももっともなのよね。ウチの男バレは全国大会へ行ったこともある強豪で、西川先生は指導者としての実績もあるし、バレーをやりたいと思って新雪に入ってきた部員も多い。勝ちたいと思っている生徒たちのことを考えたら、西川先生を顧問から外したり、この大会前の大事な時期に練習をゆるめろとはいいづらいし、してはいけないことだと思うの。それで最後に念を押すように一応特定の人、つまり佐々木くんだけ特別厳しいのはよくないという注意だけはしたんだけどねえ、うーん……真路くんどう思う?」
「美衣さんの言葉にどのくらいの効果があるかってこと? それはあんまり変わらない気がする。いっそのこと佐々木さんをキャプテンから外すなり、バレー部をやめさせるように西川先生にいってみては?」
「ねえ、真路くん。本当にそれでいいと思う? そんなことしたら佐々木くん傷つくと思わない?」
「まあそれはそうだけど、背に腹はかえられないし、そっちのほうが手っ取り早いかと」
「佐々木くんだって三年間必死にバレーボールをやってきたんだし、キャプテンになってうれしかったかもしれないでしょ? それにそんなことしたらかえって絶望してしまうかもしれない。佐々木くんがキャプテンなり部活そのものをやめたがっているというのならその方法はありだけど、その辺どう思っているのかをもう少し探ってみないと」
「まあ、たしかに」
「あとこれがいちばん大事なことだけれど、どの程度事態が差し迫っているのかを見極めることね。男バレの三年ももう少しで引退のはずだから、佐々木くんがもし最後まで頑張れるのなら見守るだけでいいと思うの。つらいことを乗り越えられたのなら、その経験は今後の財産になるし。逆にダメそうだったらまわりが素早くタオルを投げてあげることも必要だわ。なかなか自分でギブアップともいいづらいだろうし。まずはメールをくれた高木さんと会って話を聞いてみて。佐々木くんのために何をするのが最良なのかを彼女と考えてみるといいわ。高木さんにはわたしの代わりにイケメン秘書が担当するといってあるから、真路くんから直接メールしてみて」
「イケメンとか……。そのハードル上げに何の意味が?」
「メールしたらこのあと第一体育館いってくれば? ちょうどいま男バレ練習しているから。わたしはこれから職員会議だから戸締りお願いね。これ合鍵だから持っておいて。あと経費ね。食事とか交通費とか必要なときに使っていいから。ただしレシートはちゃんととっておいてね」
そういうと美衣さんは校長室の鍵と茶封筒を置いた。封筒を開けると、中には一万円札が入っていた。
おおっ一万円だ。すげえ。なら高木さんとは外で会ってもいいということか。
というかいつの間にかすべて私がやることになっていないか、うん?
その疑問に答える間もなく美衣さんはさらさらお茶漬けを流し食うように支度をして出ていった。
まあ仕方ない。秘書を引き受けたわけだしやるか。私はメールを送った。
「校長の秘書で一年B組の古口真路といいます。佐々木さんの件で詳しいお話を伺いたいので、明日の練習後にでもお会いできないですか? 場所や時間は高木さんに合わせますのでお返事お願いします」
これでよし。詳しい話は会って聞けばいいので用件だけのシンプルな文にした。メールを送ったあと、戸締りをして私は第一体育館に向かった。
新雪学園には体育館が二つあり、今日は男女のバレーボール部が第一体育館を使っていた。
扉の前に近づくとボールが床で弾む音とシューズのキュキュッという音が聞こえてくる。直方体という言葉がぴったりな体育館に入ると、手前で女バレ、奥のステージ側で男バレが練習していた。
部員のほか誰もいないので何人かが私をチラ見してくる。
これじゃ目立ちすぎる。どうする?
少し考えたあと、私は体育準備室の戸を叩いた。
「すみませーん。第一体育館の放送室のカギ借りたいんすけど」
「どうした?」
名前の知らない若い男性教師が出てきた。
「放送部ですが、機材とってこいって先輩にいわれて」
「うん? そっか。じゃこれ、終わったらそこに返しておけよ」
「へい」
拍子抜けするほどあっさり鍵を借りることができた。
男バレを横目にステージ脇の階段から放送室に上り、小窓から練習をのぞく。誰が何に使ったのかわからないが、机にオペラグラスがあったのでそれを使うと、探偵ぽくなってきた。
私は先ほどもらった手帳を開いてペンケースからモンブランの万年筆を取り出した。このモンブランマイスターシュティック一四五は親父の形見で、高校の入学祝いに母からもらったものだ。一四五はインクカートリッジも使えるので初心者にも使いやすい。
私はまっさらな手帳に一筆したためた。
『男バレを のぞき見するが ホモじゃない』
手帳にしたためる発句がこれでは、さしものモンブランも泣くが、ブルーブラックインクで書くとどうでもいいことでも七割増しでうまく見える。
男バレはサーブ練習をしていた。コートには三人のレシーバーとセッター役のマネージャーがいて残りの部員が反対コートから次々とサーブを打っていく。ジャンプサーブを使う部員も多く、かなりのスピードでボールが飛んでいく。さすが全国レベルというだけはある。
佐々木さんはどれよ? と探すと、西川先生の「佐々木おらっー」という大声が飛んだ。どうやらレシーブ側コートの真ん中にいる長身の部員のようだ。
全身のシルエットは棒状で、顔は細長い楕円の米菓を思わせる佐々木さんに集中的にサーブが飛んでいく。正面にくるサーブはきっちりマネージャーに返っているが、前後左右動いて返す球にはミスもあり、そのたびに西川先生の怒号が飛ぶ。
しばらくしてサーブ練習は終わり、先生のもとに部員が集まる。佐々木さんが何かいわれているようだ。高木さんの話から推測するにいつもこんな調子なのだろう。とりあえず美衣さんの特定の人に厳しくしないで、という遠回しの忠告はまるで効いていないようだ。
『西川氏 いったことまるで 聞いてない』と手帳に書き留めた。
いや、五七五にすればいいってわけじゃないのはわかっている。たんに万年筆を使いたいだけなのだ。私が『GO! GO! 575』のアニメを録画して繰り返し視聴していることとはなんの関係もない。
次にスパイクレシーブの練習が始まった。台に乗った西川先生がネット越しにスパイクを叩きつけていく。かなり強烈な練習だ。佐々木さんの番になり、次から次へとボールを浴びせられる。連射だ、連射。顔面にも一発もらった。佐々木さんは心なしか泣きそうな顔をしているようにも見える。たしかに見ていてこちらまでつらい気分になってくる。
『佐々木さん 顔にスパイク 雨あられ』
マネージャーは四人いた。新雪学園は上靴に入っているラインが学年ごとに違う。三年生の赤いラインの上靴をはいているマネージャーは一人だけだった。彼女が高木さんだろうか。
彼女は西川先生の横で次々とボールを渡している。髪は長そうだが、髪留めでまとめている。おとなしそうな感じで顔色がさえないように見える。佐々木さんのことをいまこの瞬間も心配しているのだろうか。
そのとき、下から足音が聞こえた。誰かが放送室の階段を上ってくるようだ。それも一人ではなく複数だ。マネージャーを見るのに集中していたせいですっかり油断していた。
おふっ。
現れたのは男バレ一年生三人衆だった。さすがにバレーボール部だけあって背が高い。みな一七五センチの私より上だろう。彼ら三人は横一列の単横陣を組んで私と対峙した。潜水艦攻撃でもするつもりか?
秘書の名刺を出してこの場を切り抜けることは簡単だが、そうすると西川先生や佐々木さん、高木さんにもバレることになる。水戸黄門や遠山の金さんがいきなり身元を明かすようなもので、方策としては下の下の鬼太郎だ。
「おまえずっと練習監視してたな。スパイか?」
三枚のブロックの右がしゃべった。
「もしも私がスパイなら……この時点ですっぱいだな」
とりあえず私は華麗にジョークでかわしてみることにした。ただのダジャレだけど。
「はあ? なめてんの?」
どうやら怒らせてしまったようだ。作戦すっぱい。
「いや、そうじゃないんだ。実は先生に頼まれて、ここの機材を取ってくるようにいわれたんだが、男バレのマネージャーがかわいいって聞いたから、どの子のことかなって見てたんだ。まあよくある話さ。だいたい同じ学校なのに何をスパイするんだ?」
我ながらなかなかの嘘だ。
「マネージャーって誰のことだ?」
「名前は知らないが、一年生」
「並木のことかな?」と三人が顔を見合わせる。ここでようやく私は三人の顔をじっくり見たのだが、一人同じクラスのやつがいることに気づいた。明かりをつけていなかったので薄暗かったし、まだ入学して一カ月ちょっとなのですぐにはわからなかった。
「昭島だよな?」
私は左側のふとんたたきのようなのっぺり顔のやつにいった。
「ん? あ、おまえ同じクラスの……マロンか」
「つか昭島、男バレなんだな」
「おう。なんだ、おまえだったのか、気がつかなかった。何やってるんだ?」
私は適当にごまかして、なし崩し的に会談は終了となった。セフセフ。私も目的は果たしたし、そろそろ頃合いだと感じていたのでそそくさと切り上げることにした。
翌日の昼休み、昭島にあらためて話を聞いてみることにした。
「昨日はどもな。ちょっと話いいか?」
「マロンか、なんだ?」
クラスの一部ではマロンという呼び方が定着しつつあった。私はほかの人と積極的に会話するほうでもないので、いつ誰がそう呼び始めたのかは知らないが、気づいたらそう呼ばれていた。ハードボイルドキャラだというのに栗扱いだ。
「男バレの佐々木さんってどんな人?」
「佐々木さんってキャプテンか?」
「そっ」
「入ってまだ一カ月ちょっとだし、練習も俺ら一年は別メニューが多いからそんなによくは知らないんだが、佐々木さん基本おとなしいというか、積極的にまわりに話しかけるような人ではないな。あとよく西川先生に怒られている。あの先生こえーんだよ」
「なんで佐々木さんばかり怒られてるんだ?」
「なんでだろな。たぶんキャプテンだからだと思うけど。あと怒りやすいっていうかそういうのもあるかもしれん。ミスもそれなりにするほうだとは思うけど、佐々木さんのブロックはパネェよ。これが超高校生級かってはじめて見たときそう思ったな」
「ふーん、三年生のマネージャーって全部で何人いる?」
「三年は一人だけだな」
「名前は?」
「高木さん。話したことはほとんどないけどな」
「そっか」
「おまえ昨日から何調べてるんだ? 並木のことじゃないのか」
「ま、いろいろとな。ありがと」
「ああ」