四話 白刃の園
部屋の壁が破壊され、広い外に出ると、厳狼丸といばちは交戦する。
自在に動く三十以上の刃を避けながら、厳狼丸は幻を斬り続けていた。
「また幻……!」
斬れども斬れどもすぐに湧いてくるいばちに苛立ちを覚えながら、厳狼丸は苦戦していた。
「さあさあ、次で何体目でしょうね?」
甲高い笑い声がどこからともなく響き渡る。
視界の端に常に映る刃に反射的に反応してしまうが、幻には実体がないために、太刀をすり抜けてしまう。その幻を防いでいる隙に本物の刃で斬られ、厳狼丸は翻弄される。
大半の刃が幻だとはわかっていても、もしも本物であればと考えると、厳狼丸はそれを防がないわけにはいかなかった。
「くっ!」
小さいながらも、いばちに斬られた傷は増えていく。
一匹のいばちが牙を剥いて特攻してきたのを見て、厳狼丸は策を講じた。突っ込むいばちを縦斬りで真っ二つに斬ると、斬った後に煙のように消えさる。厳狼丸はそこでわざと、太刀を振り切り土にめり込ませた。それを好機と見たか、いばちは一斉にその鋭い刃の切っ先を突き出してきた。
素早く太刀を上段に構えると、厳狼丸は一か八の賭けに出る。太刀を構えながらその中に飛び込むと、無数の刃は厳狼丸をすり抜け蜃気楼のように揺らめいた。幻の刃の中、わずかに太刀に硬いものが触れ、少し太刀の構えがずれる。
「そこか!」
厳狼丸は大太刀で周囲のいばちをなぎ払うと、切っ先がようやく手ごたえのあるものを切り裂いた。
「ぐうああ!?」
悲鳴と共にいばちの幻が消え、右前足に傷を負った白狐が厳狼丸を睨む。
「化かすのが貴様の十八番だろう? 化かさないのか?」
「よもや刃の中に飛び込むとは……! 恐怖心がないのですか?」
厳狼丸はそれに答えず、太刀を握り締めていばちに斬りかかった。いばちは斬撃をかわし、四本の刃で厳狼丸に対抗した。
手数ではいばちが勝っており、四本の尾を巧みに使って厳狼丸の攻めを封じるが、力では厳狼丸が勝っている為、どちらも一瞬の隙があれば状況を変えることが出来た。
厳狼丸が力を込めて薙ぐと、いばちの尾が防ぎきれずに弾かれた。それを機とみて厳狼丸は一気に襲い掛かるが、だがいばちは幻を作ってその攻めの勢いを削いだ。再びいばちの攻めとなり、勝負は拮抗したまま進行しない。
「……さすがは白髪鬼。見事なものです。どうですか? 私と手を組みませんか」
「断る」
「それは残念ですね。しかし、我々の力は拮抗しています。このまま戦い続ければ、不利なのは貴方では?」
いばちは鋭い牙の並ぶ口を裂けんばかり吊り上げ、勘に障る笑みを見せた。確かに、体力ではとても妖に敵わない。だが厳狼丸は太刀を構え、じりじりといばちと距離を詰める。いばちもまた尾の刃を振りかざし、来るべき斬撃に備えた。
「本当に愚かな男ですね。……人間なのか、妖なのかも分からない。貴方はいったい何なのですか?」
「化け物さ」
そのまま一気にいばちに迫ると、いばちは刃を厳狼丸に振り下ろした。しかし、厳狼丸はそれを防ごうとはしなかった。
「何!?」
刃を受けながら、厳狼丸は右手に握った太刀でいばちの尾を叩き斬り、そのままいばちの左前足を斬りおとすが、いばちに右腕を噛まれ身動きを封じられる。
「グッ……この、どこの馬の骨とも知らぬ下郎がああ!!!」
そのままいばちは右腕を噛み千切ろうとするが、突然顔を歪めて苦しむ。厳狼丸は逆手で腰の刀を抜き、そのままいばちの腹に刃を食い込ませていた。
その傷口からは血が滴ると同時に煙があがり、いばちの肉が蒸発しているのがわかる。
「な、何だ!? 何なんだその刀は!?」
「霊刀、宝生天光。妖を殺すための刀さ」
「お、のれええええ!!」
いばちは厳狼丸の右腕を放し、少し腹を裂かれながらも天光から逃れると、息を荒げて厳狼丸と距離をとった。
「わからない。わかりませんよ! 貴方は妖気を持っている。だが人の匂いもする。半妖かとも思いましたが、だとすればその妖殺しの刀は貴方にとっても毒に違いない。一体、貴方は何なのですか!?」
「……この大太刀は幾千の鬼を斬り、その力を宿した妖刀、滅鬼。俺はこの太刀を抜き身で持っている間はその鬼の力を使える。だからこれを持っている間は、力も容姿も妖に近くなる。だが――」
厳狼丸が太刀を土に突き刺して手を放すと、見る見るうちに髪と目が黒に染まる。
「これを放す時、俺は完全に人に戻る。つまり、俺は人の範疇にいるから、この刀を使うことが出来る」
いばちは驚愕の目で厳狼丸を見つめて、不適に笑い始めた。
「なるほど。妖気は太刀から、人の匂いは貴方から流れていたわけですか。ならばああ!!」
いばちは鋭い爪を伸ばし、厳狼丸に襲い掛かる。厳狼丸は人にしては早いが、先ほどまでの動きに比べると非常に遅い動作でそれをかわす。だが連続して襲いくる爪をかわし切れず、胸から腹にかけて肉を裂かれた。
加えて、いばちは先端部を斬られた尾を出し、鞭の如くしならせ、厳狼丸を地面に叩きつける。
厳狼丸は天光を手から放さないものの、そのまま動かなくなってしまった。
「ははははは! 馬鹿な男だ。わざわざ自分の秘密をばらした挙句、命綱とも言える妖刀を手放すとはな!」
いばちは近づき、厳狼丸の頭を掴む。厳狼丸は鼻と口から血を流し、目を閉じている。いばちは死んだと思ったのか、舌なめずりをして大口を開けた。
厳狼丸の頭がいばちの口に入ったとき、いばちは血の味を覚えた。それはいばちの口の中に入ってきているもので、間もなくいばちは激痛に悶えた。
それと同じくして、厳狼丸はいばちの口から出る。厳狼丸を掴んでいた、いばちの腕が煙を上げながら地に転がり、血を盛大に血を吹き上げる。
「ぎいいいいい! 貴様生きていたのか!? まさか私を間合いに入れる為にわざとやられて……!?」
「お前の敗因は、自分が逃げられないほど俺を近づけたことだ」
厳狼丸は血に塗れながらも黒目をはっきりと開き、たじろぐいばちの足を斬り落とすと、いばちは地面に倒れた。さらに厳狼丸はいばちの頭を踏みつけながら、その血を浴びた白い尾を掴んで切り取った。
「いいい痛い痛い痛い!!」
もがくいばちの腹に天光を突き立てると、いばちは痛みで身を震わせ、悲痛な泣き声を上げる。いばちがそれで抵抗をやめたことを確認し、厳狼丸は天光をいばちの腹から引き抜いて、いばちの首元に向ける。
「……獄炎鬼を知っているか?」
「し、知っている、いや、知っています! 妖の中でも上級に属する大鬼でしょう? 噂では巨大な妖の軍勢を持っているとか。確か今は天城の地にいると聞きました。ど、どうです? それなりに情報は持ってますよ? なんなら、食料も、金も女も用意しましょう! こんな中級、あいや下級の妖を殺したところで、貴方の刀が汚れるだけですよ。なんでもします。だからどうか命だけは……!!」
厳狼丸は無言で天光を鞘に収め、いばちから離れる。いばちは助かったと思って安堵の溜息をついたが、突然発せられた妖気に硬直した。
その妖気の方向へ首を向けると、光を反射する白髪に、殺意が篭り、いばちを焼き尽くさんと言わんばかりに燃える赤目の男が、不気味に光る大太刀を左手に握っていばちに歩み寄ってきている。
「ひぃっ!? お願いです、話せばわかる。いい思いをさせますから。ねっいや待て、頼む、まっ待ってく」
有無を言わさずに、厳狼丸はその刃を振り切った。いばちの首は刎ね飛び、ごろごろと玉のように転がっていくと、仏像の方を向いて止まった。その目は見開き、口は血を吐きながらも何かを喋りそうに開いているが、言葉を放つことはない。
厳狼丸は太刀を布に包み紐で適当に巻くと、背負って歩み出す。
「最後まで、よくもまあ喋る……」
厳狼丸はいばちが死んだことを確認すると、おぼつか無い足取りで寺を後にし、お良のいる村に歩いていった。