二話 道中
道すがら、暗かった空が白み、貫く日差しが厳狼丸を照らす。
「もう、朝か」
厳狼丸は鬼を斬ってから今まで山の夜道をひたすら進み、天示の都、天城を目指していた。日が昇ってさらに速度を増して都に向かう。昼時には山を一つ越えて、対河の国を出て、隣国の阿嶋に入った。
山沿いの道を進んでいると、その道中、小さな村が見えてきたので厳狼丸は足を止めた。
「参ったな」
容姿が特異な厳狼丸にとって、普通の人間の前を通るのは苦痛であった。
姿を見られたらば妖だ化け物だと罵られ、石や木の枝を投げつけられたり、運が悪いと鍬や槍を持ち出してくる農民達がいる。
もちろん、ちょっかいを出さず平伏して許しをこう農民達もいるが、結局化け物に見られている以上、厳狼丸には複雑なものだった。
仕方がないとは理解しているが、やはり心は傷付く。だから人とは極力会わないようにしたい厳狼丸にとって、村などは行きたくない場所であった。
地図を広げると、この道以外は山の中を通る必要がある。それを見て厳狼丸は溜息をついた。
「この道が都への最短の道だったんだがな」
仕方ない。迂回しよう。
そう思い、厳狼丸は山の中に入り、木々を渡りながら都へ向かおうとした。だが、その村の横を通る際、肌に嫌な気を感じた。
「これは、妖気?」
木々の枝に茂る葉を隠れみのに、村の様子を伺う。
すると農具を持っているものの、腕や腹にだらしなく肉をつけた農民達の姿が見えた。これに厳狼丸は首を傾げる。農民に、太るだけ食える食べ物があるのか?
「いや、いばち様は今回もお喜びになられたなあ」
「ああ、これでまたしばらくは豪勢に暮らせるな」
「畑だ田んぼだ、作るのなんか馬鹿らしくなっちまうね」
いばち様? また豪勢に? 何なんだこの村は。
大声で笑う農民達が歩き去ってから、厳狼丸は村に入り込んだ。そして、更なる情報収集のために、一軒の家の裏に忍び寄り、中の様子を覗き見る。
中では、中年の男と、若く美しい女子が食事をしていた。恐らくは家族だろう。
その食事は、この戦国の時代の農民が食べられるような代物ではなかった。白い米、色とりどりの野菜、酒、さらには鯛のおかしら付きと、まるで貴族が食べるような豪勢で贅沢なものだった。
男はそれらを美味そうに平らげていくが、娘のほうは手に箸と椀を持つものの、その食事を口に運ぼうとはしていない。その様子を見て、男が笑顔で飯を進めた。
「ほらお良! 白米だぞ。鯛もある。一生に一度食えるか分からん品だ。美味いから食ってみろ!」
「……いらない」
お良は箸と椀を置いて膝の上に両拳を置き、強く握り締めた。その言葉に、男は眉をひそめる。
「なにを言ってんだ。この美味いものを食わないなんて、罰が当たるぞ!」
「父ちゃん、いばちって奴は、仏の使いでも、ましてや人間でもないよ! あれは妖だ。私ら、化け物に化かされてんだよ! そんな奴にもらった食い物なんて、食えるもんか!!」
その言葉に父親は立ち上がり、お良の頬をぶった。
「なんてことを言うんだ! もしもいばち様や、この村の人に聞かれたら、大変なことだぞ!」
男の顔は見る見る青ざめ、焦っている様子で、何度も額の汗を拭きながら自分の娘を中傷する。
ここで厳狼丸は覗くのをやめ、思考した。
どうやらいばちという奴がいて、村人がそいつに何らかのことをすることで、この豪勢な食事を提供してもらっているようだ。
あのお良とかいう娘は、いばちに関して何かを知っている様子だ。いばちが本当に化け物だというのなら、放っては置けない。
考える途中、何かが開く音がして、男の怒号が響く。
「この親不孝者の馬鹿娘が! お前には二度とこの飯は食わしてやんねえからな!!」
どうやら、お良が出て行ったらしい。ちょうどいい機会だ。
厳狼丸は静かに、お良の後を追った。
川のほとりですすり泣くお良の背中に、黒い影が映る。初めは泣いていたお良だが、徐々にその気配に感づいたのか、身を硬直させた。
身を強張らせて、正面を向いたまま固まるお良に、一歩、また一歩と人影が近寄る。意を決したお良が背後を振り向くと、そこには白髪に、赤目。加えて背に大太刀を背負う、不気味な気配を放つ青年が立っていた。
その様子から人ではないと思ったのか、お良は叫ぶことも出来ずに立ち尽くしている。
「あ……あ」
「怖いか? だが安心しろ。俺はお前を捕って食いはしない」
「な、なら体が望みですか? それともまさか、いばちの使い?」
「どれも違う。いばちとやらの話を聞かせてくれ。見たとおり、俺は表立って人と話すのが難しくてな」
「い、いばちの? 聞いてどうするのですか」
「そいつを斬りに行く」
それを聞いて、お良は目を見開いた。
「そ、そんなことが……」
「出来る。だから教えろ。奴について知っていることを」
お良はたじろぎながらも、その目に希望の光を灯した。
「……いいわ。でも、ひとつだけ教えて。貴方は、何者なの?」
「俺か? 俺は、鬼を捜して妖を狩る、化け物にして人間だ」
薄く笑みを浮かべる青年の目は、空で煌々と輝く太陽とは違い、大地の上で暗く真っ赤に燃えていた。