クレオパトラの科学と顔面劇的ビフォーアフター 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜
これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――
※
「うわあああ! なんだこれ……終わった……」
月曜日の朝七時。
洗面所から、小学五年生の俺、匠の絶望的な叫び声が響いた。
鏡の中に映っているのは、どんよりと澱んだ顔色の少年。
目の下にはクマができ、頬や小鼻の周りはカサカサに乾燥して真っ赤に荒れている。
まるで茹で上がったタコのような、あるいは生気を吸い取られた亡者のような顔だ。
「昨日の夜、調子に乗ってゲームやりすぎた……よりによって今日、クラス写真の撮影があるのに!」
一生アルバムに残る記念写真。
それがこんな顔で記録されるなんて末代までの恥だ。
俺が鏡の前で頭を抱えていると、背後からズズズ……と重たい足音が近づいてきた。
「……うるさいわね。朝からギザのピラミッド建設でも始まったの?」
現れたのは、姉の真綾だった。
しかし、その姿は俺以上に凄まじい。
ボサボサの髪はメドゥーサのように逆立ち、顔色は土気色。分厚い眼鏡の奥の目は虚ろで、パジャマのままふらついている姿は、発掘されたばかりの土偶そっくりだ。
「姉ちゃんもひどい顔……ゾンビ?」
「失礼ね『冥界からの帰還者』と呼びなさい。昨夜はツタンカーメンも愛した世界最古のボードゲーム『セネト』を一人でプレイしていて、明け方までオシリス神と対話していたのよ……」
真綾は大きなあくびを噛み殺しながら、俺の顔をじっと覗き込んだ。
「……で? その茹でダコみたいな顔はどうしたの。ナイルの氾濫(夜更かし)による泥害(肌荒れ)かしら」
「うっ……そうだよ。今日写真撮影なのに、こんな顔じゃ学校行けないよ」
俺が肩を落とすと真綾の虚ろな瞳に鋭い光が宿り、彼女は何かを閃いたようにドレッサーへ向かうと、ガサゴソと引き出しを漁り始めた。
「……赤ら顔? それなら、ナイルの叡智を借りるまでよ」
真綾が取り出したのは、小さな瓶に入った怪しげな『緑色の粉』と、現代の化粧品らしき『緑色のチューブ』だった。
「何それ? ペンキ?」
「違うわよ」
真綾は眼鏡を外し、バサリと前髪を上げた。
そして、土偶のような顔でニヤリと不敵に笑う。
「いい? エジプトのメイクは科学なの」
「か、科学?」
「そう。古代エジプトでは、有名な黒いアイライン(コホル)よりも先に、目の周りに『緑の孔雀石』を塗っていたわ。
これには微量の銅が含まれていて、眼病を防ぐ殺菌作用があったの。でも、現代における最大の効能は『色彩学』よ!」
真綾は緑の粉を指先に取り、自信満々に語り出した。
「光の三原色において、緑は赤の『補色』にあたるわ。つまり、この緑の粉は肌の赤みを打ち消して透明感を生み出す、魔法のフィルターなのよ!」
「補色……? 図工の授業で習ったような……」
「論より証拠。まずは私が証明してあげるわ」
真綾は手際よく緑の下地を顔に広げ、さらにマラカイト風の緑のアイシャドウと、漆黒のアイラインを目元に入れた。
その手つきは、さっきまでのゾンビぶりが嘘のように洗練されている。
――――数分後。
真綾が「完成よ」と言って振り返った瞬間、俺は息を呑んだ。
「えっ……誰!?」
そこにいたのは、土偶でもゾンビでもなかった。
肌のくすみや赤みは完全に消え去り、透き通るような白磁の肌が輝いている。
切れ長の目元はアイラインで強調され、ミステリアスで神々しいオーラを放つ、絶世の美女が立っていたのだ。
「姉ちゃん!? めちゃくちゃ美人じゃん! 魔法!?」
「ふふん。だから言ったでしょう、これは科学よ。色彩の魔術と、光を操るハイライトの技術があれば、人は誰でもクレオパトラになれるの」
真綾は妖艶に微笑み、パチリとウィンクした。
いつもの変人姉貴とは思えないその美貌に、俺は思わずドキドキしてしまう。
「信じた? さあ、次はあなたの番よ」
真綾が手招きする。
さっきまでなら「余計なことすんな」と言って逃げていただろう。
でも、目の前の圧倒的な結果を見せつけられては、従うしかなかった。
「お、お願いします……ハトホル様!」
「よろしい。顔を出しなさい」
真綾は俺の顎をクイッと持ち上げると、いつになく真剣な眼差しで施術を始めた。
「男の子だから、化粧っぽくならないように調整するわね。小鼻と頬の赤みをこの緑でピンポイントに消す。そして眉を整えて、ハイライトで骨格を立たせる……」
冷んやりとしたクリームの感触と、姉ちゃんの指先の体温。
鏡の中で、俺の顔がどんどん変わっていく。
茹でダコのようだった赤みが消え、肌色が均一になり、なんだか顔全体がキリッと引き締まっていく。
「よし、完成。目を開けてごらんなさい」
恐る恐る鏡を見た俺は、思わず声を上げた。
「すげえ……! 赤みが消えてる! それに、なんか俺……サッカー部のエースみたいにカッコよく見える!」
「当然よ。それが『色彩学』と『古代の知恵』の融合だもの。これなら写真撮影も完璧ね」
「ありがとう姉ちゃん! すごいよ!」
俺は鏡の中の新しい自分に、何度もガッツポーズをした。
◇
その日の学校は、まさに俺の独壇場だった。
クラス写真の撮影ではカメラマンさんに「いい表情だね!」と褒められたし、女子たちからは「ねえ匠くん、なんか今日雰囲気違くない?」「肌きれいー!」と噂されて、モジモジした。
友達のユウトにも「お前、なんかオーラあるな。いいことあった?」と聞かれ、俺は一日中、鼻高々だった。
すべては、姉ちゃんの「科学的エジプトメイク」のおかげだ。
◇
「ただいまー!」
上機嫌で帰宅した俺はリビングに駆け込んだ。
「姉ちゃん、ありがとう! 写真、バッチリだったよ!」
リビングでは、真綾がソファで紅茶を飲んでいた。
まだメイクを落としていないらしく、朝の「絶世の美女モード」のままだ。優雅に脚を組み、本を読んでいる姿は、どこかの国の王女様のようにも見える。
「ふふん、当然よ。弟の危機を救うのもファラオの務めだからね」
真綾は本を閉じると、足元で寝ていたミニチュアダックスの『きなこ』に手を伸ばした。
「さあ、きなこ。私を称えなさい。今日は特別に高級なジャーキーを……」
「きなこ〜 ただいま」
俺もきなこを撫でようと近づいた、その時だった。
「ワンッ!!」
きなこが弾かれたように飛び起き、真綾に向かって激しく吠え立てたのだ。
「えっ?」
真綾の手が空中で止まる。
きなこは尻尾を丸めて後ずさりし、ソファの下に潜り込むと、そこから「グルルル……」と真綾を睨みつけている。
明らかに、不審者を見る目だ。
「ちょ、ちょっときなこ? 私よ、飼い主よ? 真綾よ?」
真綾が焦って近づこうとすると、きなこは「誰だお前! 近寄るな!」と言わんばかりにさらに激しく吠えた。
「ワンワンワンッ!!」
「な、なんで……? いつもなら飛びついてくるのに……」
ショックで硬直する美女(姉)を見て、俺はハッと気づいた。
今の姉ちゃんは、見た目が違いすぎるし、化粧品の匂いもする。
「あーあ。姉ちゃんが綺麗すぎて、きなこには『飼い主の服を着た不審な女』に見えてるんだよ」
俺が冷静に指摘すると、真綾は雷に打たれたような顔をして、その場に膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……。私が美しくなったせいで、絆が引き裂かれるなんて……」
真綾は悲劇のヒロインのように床に突っ伏し、震える声で呟いた。
「……美しさは罪……いえ『聖獣』には理解できない高次元の概念だったのね……」
「いや、単に化粧の匂いがキツイだけだと思うけど」
結局。
きなこに「知らない女」認定された真綾は、半泣きになりながら洗面所へダッシュした。
バシャバシャと豪快に顔を洗い、いつもの眼鏡にボサボサ頭の「土偶スタイル」に戻ってリビングへ帰還する。
「ほら! 私よ! きなこ、私だってば!」
すっぴんの顔を近づけると、きなこはようやく「クンクン」と匂いを嗅ぎ「あ、なんだ真綾か!」と尻尾を振って顔を舐め始めた。
「よかったぁ〜! 思い出してくれたのね〜!」
きなこに顔中をベロベロに舐め回されて喜ぶ残念な姉を見て、俺は呆れつつも笑ってしまった。
せっかくのクレオパトラも、きなこには敵わないらしい。
「……ま、感謝してるけどね」
俺は洗面所の鏡に向かい、まだうっすらと残る「魔法の緑」を確認して、ニカっと笑った。
本作をお読みいただきありがとうございます。
お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。
連作短編『うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい』シリーズは複数公開していますので、そちらもご一読いただけましたら幸いです。
次回は01月31日(土曜)17時30分に投稿いたします。
【匠の「その後」の物語はこちら!】
本作で匠が学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?
匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!
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ぜひ合わせてチェックしてみてください!
『転生式異世界武器物語』
https://ncode.syosetu.com/n3948lb/
※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。




