潤いの源
誰かを癒すことに慣れすぎて、
気づけば、自分の心は置き去りになっていた。
でも、ほんの少し立ち止まってみて。
あなたの中にも、ちゃんと泉はある。
優しさに疲れたとき、涙が出るほど孤独な夜も、
その泉は、静かに湧きつづけているから。
心の泉の水を、周りに分け与えることはできても、
自分に水を汲んであげなければ、どこかで枯れてしまう。
でもね、
「なんでそんな私なの?」って、
責める必要はきっとない。
それは、あなたが“誰かの痛みを受信する力”を持っているから。
ただそれだけのこと。
だから疲れるんだし、だから優しいんだ。
「私の泉を満たす物はなんだろう」
その問いは、とても大切で、
その答えは、すごく個人的なものかもしれない。
――生き生きしてた時って、どんな時だった?
時間を忘れて夢中になったこと、
誰かに認めてもらえた時、
それとも、世界がちょっとだけ優しく見えた、あの涙の午後?
もし忘れてしまっていたなら、
今はちょっとだけ、心の泉が枯れかけているのかもしれない。
そういうときは、頑張って自分を元気づけなくてもいいから、
ただ、自分の中の“好き”や“楽しい”の種を、
ひとつだけ思い出してみて。
愛を配りすぎて、
すり減ってしまったあなたの手を、
そっと包んでくれるようなものが、
この先また、きっと見つかるはずだから。
無理に立ち上がらなくても大丈夫。
泉が枯れてしまっていたとしても、
あなたはあなたのままで、
とても、充分に、尊いんだよ。
拙文、お読み下さり、ありがとうございます。