第4章 松浦明日香はまだ友達でいたい(2)
土曜日の朝6時、明日香は渋谷マークシティの通路からスクランブル交差点を見ながら1か月半前の姉さまとのやり取りを思い出していた。潤と焼肉屋で別れた後、姉さまと二人で話したことを・・・・。
姉さまが案内してくれたお店は、カウンターとソファ席が二つだけのこじんまりしたバーだった。窓際のソファ席に座り、カクテルとナッツだけを頼むと、姉さまはさっそく切り出した。
「単刀直入に聞くけど、明日香、潤のことが好きなんでしょ。」
「あっ。ええ?・・・ああ・・・。はい。まあ、さすがにわかりますよね。」
「うん。去年、わざわざ浪人してまで同じ大学に追いかけてきたから、あれっもしかしてって思ってたんだけど・・・でも、あの時、そんな話を聞くのは酷だったし・・・・。」
「ああ・・・そうですね・・・。ハハッ・・・。」
3年だけでもいい、潤と同じキャンパスで大学生活を過ごしたいという一念で、辛い浪人生活を乗り越え、1年で偏差値を15も上げて難関の入試を突破したのだ。しかし、入学早々、初めてキャンパスで潤を見つけた時、厳しい現実を知ってしまったのだ・・・。潤にあいつを彼女と紹介された時の足元が崩れるような絶望感は今でも鮮明に思い出せる。
「いったい、いつからそんな話になってたのよ?」
「いや・・・実は・・・姉さまにいうのは恥ずかしいんですが・・・潤と一夜を過ごしたことがきっかけでして・・・。」
「えっ?つまり、実は潤と付き合ってたってこと?あの子なんにもそんなこと言ってなかったわよ。あらまあ・・・明日香も水くさいわね。」
「いや、付き合ってたことはなかったんですけど・・・。」
「じゃあ、付き合ってもいないのに、明日香にそんなことを・・・?そんなふしだらなことを潤が・・・。わたしの教育が間違っていたのかしら・・・説教だわ!!!」
スマホを取り出し、すぐにメッセージを送ろうとしたので、明日香は慌てて制止する。
「いや・・・姉さまの思っているような話じゃないんです。あれは・・・その・・・。」
「詳しく話を聞かせてちょうだい。もし必要なら腕のいい弁護士も紹介するわよ。」
姉さまが真顔になっている。冗談で言ってるわけではなさそうだ。これは急いで誤解を解かないと大変なことになる。
「あれは、小学校5生年のときの話なんですけど・・・。」
「なんてこと・・・!そんな小さな子どもに・・・。まさか家族にペドな性犯罪者がいたなんて・・・。」
姉さまはハンカチを取り出し、口に当てた。
「いや、落ち着いてください。その頃は潤も小5です。しかも、おそらく想像しているような話じゃないんです。あの日、あたしは親とケンカして家を飛び出して森林公園のタコの遊具の中に閉じこもってたんですけど・・・。」
「ああ、森林公園にタコの形のアスレチックがあったわね。なつかしい。」
「正直、ここに隠れてれば、心配した親が探しに来てくれるだろうって軽く思ってたんですけど、全然探しに来てくれなくて、そのまま日も暮れて来て、寒くなってきて、ああ自分は親にとってもどうでもいいんだなって寂しくなって・・・。」
「ああ、明日香のご両親は共働きで忙しくしてたから。それとも森林公園は広いから探しても見つけられなかったのかしら・・・。」
「で、そこに潤が来たんです。探してたとかじゃなくて、たまたまだったと思うんですけど。でも、あたしが泣いてるのを見て、そのままずっと隣に座っててくれたんです。何も言わなかったけど軽く触れた潤の肩が温かくて・・・。」
「あの子はそういうところあるわね。何も言わないし、表情にも出さないけど、ただ寄り添ってくれるってところが・・・。」
ウンウンとうなずく姉さま。明日香もうんうんと同意。
「その後、すっかり日が暮れて夜になってもずっといてくれて、だから真っ暗になったけど全然心細くなくて、一緒に見た星がきれいだなって思える余裕があって・・・。深夜にやっと探しに来た親に見つかって二人でがっちり怒られたんですけど、潤はあたしをかばってくれて・・・。」
「そういえばあの頃、潤が帰って来なくて近所総出で探したことがあったわね。あの時だったのね。」
「それで、それをきっかけに潤のことを意識するようになって、教室でも通学中でも、いつの間にか潤の姿を探して目で追うようになって・・・。そしたら、潤はいいやつじゃないですか・・・。あんまり感情を表に出すことはないけど、頼られると必ず助けてあげるところとか、手を抜かず一生懸命頑張るところとか、決して人を傷つけるようなことは言わないところとか・・・。中学の修学旅行の時とか、ちょっとハブられてる子をさりげなく同じ班に誘ったり。そういう潤のいいところがどんどん見えて来て、いつの間にか好きになって、しかも好きな気持ちがどんどん大きくなって・・・。」
「まあ・・・、そんなに一途に想っててくれたのね。あら?わたしが明日香と出会ったのは、明日香が中1でバレー部入った時じゃなかったかしら。ということは、あの頃はもう既に・・・?」
「はい。謝らなければいけないと思ってたんですが、実はバレー部に入ったのも潤に近づくためでした。潤のお姉さんが在籍してるって聞いていたので、仲良くなって、潤の家に遊びに行ったりして、潤との距離を縮められればって思って・・・。」
「それはショックだわ・・・。てっきり後輩に慕われているとばかり思ってたのに・・・。」
「いえ、きっかけはそうなんですが、あたしが姉さまを慕ってるのは本当なんです。かわいがっていただくうちに、本当の姉さまの妹になりたいとも思うようになって。それで、ますます潤を落とさなければ・・・と。」
「姉に向かって弟を落とすって・・・。でも、潤も鈍いわね。こんな美女に好かれてるのにぼんやりしてて・・・。ごめんなさいね。」
「あたしから告白しようと何度も思ったんです。高校の卒業式は、それこそ最後のチャンスだと思ったんですが、大学落ちてる身分ではとてもそんなこと言い出せなくて・・・。」
姉さまは、なるほどねっとニヤニヤと納得した表情で腕を組んだ。
「わたしも、明日香が妹になってくれたら嬉しいわよ。もっと早く相談してくれたら・・・。」
「ほんとですか!えへへへ~。」
相好を崩す明日香に、姉さまは真剣な表情に戻って語りかけた。
「わかりにくいかもしれないけど、姉から見ればわかるわ。正直なところ、潤は、他の女の人とは違って、明日香だけは憎からず思っていると思うのよ。」
「ホントですか!!」
明日香は、思わず大声を出してしまい、カウンターのマスターから厳しい視線を投げかけられてしまったので、周囲に謝りながら声を小さくする。
「その割に、いつも塩対応なんですけど・・・。」
「あの子は、もともと気持ちを表に出すこと、特に好意を示すことが苦手なのよ。しかも異性にあまり心を開かないで可能な限り距離を取ろうとするところがあって、心配だったのよ・・・。」
「ああ、昔から感情を失ったモンスターみたいなところありますよね。正直、付き合い長いあたしでも何を考えているのかわからないことが多いし・・・。」
「でも、潤は、決してモテるわけじゃないけど、特定の層の女性に異常に人気があるじゃない?」
「ああ、それはわかります。普段無口でおとなしめな女子に優しくして、無自覚に思わせぶりなこと言って期待させて、好きになられて、気づいたら依存されて、粘着される感じですよね。中学の修学旅行のときのアイツも結局、恩を仇で返す真似を・・・!しかも中高とクラスに一人はそういった潤を狙ってるヤバい奴がいたから。いつもそいつをシメ・・・潤を守るのに大変でした。」
「あなたそんなことしてたの・・・・・?まあいいわ。わたしが知ってる範囲でも、高校の頃も、大学に入ってからも、明日香の目の届かないところで、潤がそういう相手に好意を示されることは何度もあったんだけど、潤は興味を示さないというか、むしろ自分から壁を作って距離を置いたりすることがあって・・・。そんな中でも、明日香にだけには、比較的心を開いてる気がするのよ。あのコミュ障の潤も明日香の前では素の感情を出せてるようだし。」
一瞬、やった!と表情が崩れかけたが、すぐにある事実に気づき一気に落ち込んだ。
「でも・・・あの元カノいたじゃないですか・・・やっぱりあいつだけは特別ですよね・・・。」
「う~ん、わたしも元カノさんに会ったことないから正確なところはよくわからないんだけど・・・潤を見ている限りでは、潤は元カノさんを恋愛対象としてよりも、別の理由で交際してたんだと思うのよ。」
「そうなんですか!!!」
また思わず大きな声を出してしまったので、すぐに機先を制して周囲に頭を下げ、ヒソヒソ声にする。
「じゃあなんで潤はあいつと・・・?まさか!押し倒されて既成事実を作られて、責任を取るよう迫られたとか・・・?」
姉さまはかぶりを振って、それから首をかしげるようにした。
「潤が元カノさんと一緒に同人誌を制作して販売しているのは知ってるかしら?潤は大学1年のときに彼女のマンガに惚れ込んで、それを世に出したいと思ってずっとプロデュースとか宣伝とかしてきたのよ。彼女に才能を感じた~ってずっと言ってて。」
「ああ、なんか潤に見せてもらったことあります。ヤンキー女と真面目な男が教室でえんえんと話す話ですよね。販売会でも最初は、まったく売れなかったけど、潤が頑張って宣伝とか広告とかして、最近ようやく売れるようになったって自慢してました。」
「そう。潤は頑張ったのよ。それでもほら、いくら潤が頑張って尽くしても、結局マンガを描いているのは元カノさんだから、もし元カノさんが自信つけて、一人で制作も販売ができるようになって、もう潤のサポートなんて必要ないなんて言われたら、潤はお役御免になっちゃうじゃない。少なくとも潤はそう思っちゃったみたいで・・・。それで、元カノさんを繋ぎ止めておくために、恋人として付き合うって形をとったみたいなのよ。」
姉さまは、大きなため息をついた。
「・・・つまり、ビジネスパートナーとして元カノさんを繋ぎ止めるために、潤は文字通り身を投げ出して好きでもないのに付き合ったってことですか・・・。歪んでんな・・・あいつ・・・。」
「もちろん、あえて付き合うという形を取ったんだから元カノさんに対して少なからず好意も持ってたと思うんだけどね・・・。わたしも潤が選んだことだから口を出さないようにしてたけど、そんな打算というか政略結婚みたいな話は潤にとっても、元カノさんにとってもよくないと思って心配してたのよ。しかも、潤は真面目なところあるじゃない?付き合う以上は形だけじゃなくて、彼氏らしいことして、元カノさんを満足させなくちゃって思い込んで、やれ記念日、やれデート映えスポット、やれプレゼントとか、わがままにも全部応えてあげなきゃとか、理想の彼氏像を必死で演じてて、ちょっと痛々しい感じだったし、ガラにもないことして最後は過労気味だったのよ。だから、別れたって聞いて少し安心したの。やっとつらい義務から解放されたって。」
「そうだったんですね・・・・。」
「姉としては、潤が本当に好きになれる人を見つけて、その人と結ばれて、添い遂げてっていう普通の幸せを見つけてほしいのよ・・・。それで、他の人では難しいけど、きっと明日香だったら大丈夫だと思うのよ。今は潤も塩対応に見えるかもしれないけど、明日香は何年もかけて潤の心を開かせてきてくれたし、明日香だったらきっと潤に本当に人を愛するということをわからせてくれるんじゃないかしらって・・・。勝手な期待ばっかりして申し訳ないけど、潤のことをよろしくお願いします。」
そう言うと姉さまはローテーブルに手をついて深々と頭を下げた。
「いや、やめてください。あたしが好きで潤を追いかけてくれているんです。むしろ姉さまが応援してくれて心強いです!姉さまの本当の妹になれるよう頑張ります!」
この晩の誓いを、あたしはずっと忘れないだろう。姉さまのためにも必ず潤を落とすと誓ったことを。