一目惚れされたけど中身は愛されなかった。
「君に一目惚れしてしまったんだ!! 私と婚約してもらえないだろうか?!」
知らない人に声を掛けれて振り返ると突然、そんなふうに告げられてしまった。
知り合いの誰かからの冗談か、嫌がらせ? かもしれないと思ったのだけれど、目の前の男性は至極真面目な顔をしているし周りの目も気にならないのか、わたくしが一言でも言葉を発したら、今にも跪くことも吝かではないという雰囲気を醸し出していた。
カロリーナはコクリと唾を飲み込んでほんの少しの時間稼ぎをしながら、なんと答えればいいのか考えていた。
一目惚れなんてありえない!! と私は思っていたからだった。
「あの、」
「はいっ!!」
勢いに負けて二歩後ろに下がってしまう。
「ごめんなさい。わたくし一目惚れを信じられなくて・・・」
「私もそうでした! ですが、あなたをひと目見て私の心はあなたに奪われてしまいましたっ!! お名前を教えていただけませんか?! 私はオルベルト侯爵家の次男。アイシュロットと申します。十七歳ですっ!!」
カロリーナは名前を告げていいものなのか悩む。
「あの、わたくし・・・失礼いたします」
「あっ、待って!!」
学園の中なので何人かの人にわたくしのことを聞けば、知っている人はいるだろう。
それをそのまま実践しているのか、私の背後を歩いてついてきている。
「彼女の名前を知っているか?」とすれ違う人に聞いて回っているのが恥ずかしくてしかたない。
そんな振る舞いが執着されてしまったかのような怖さを感じて怖くなってしまう。
ついに私の名前を知っている人がいたのか、カロリーナ・オグジュクトだと知られてしまった。
「お名前を知ることができました。オグジュクト伯爵令嬢! 正規の手段で婚約を申し込ませていただきます!」
えっ?! それは嫌だと伝えようと振り返ったときには、誰もいなくなってしまっていた。
カロリーナが家に帰ると既に婚約の申し込みが来ているかと思ったのだけれどそんなことはなく、一日、二日と時は経って、突然の一目惚れ宣言のことはあの時の気の迷いだと気がついたのかもしれなかったかのもしれないと、ほっと息を吐いた。
二週間後「アイシュロット・オルベルトから婚約の申込みが来た」と父から伝えられて、あのときだけの気の迷いではなかったのだと知ることとなってしまった。
父は悪い相手ではないと思っているようで、アイシュロットのことを調べるようにレイに指示していた。
「お父様本気ですか?」
「うむ。悪い相手ではないと思っているよ。表面的なことは釣り書に書かれているんだが、次男ということは婿入りしてもいいと考えているようだし、オルベルト侯爵は次男にも嫡男同様の教育を与えていると有名な話だしな」
「そうなのですか?」
「ああ。有名な話だ。カロリーナの助けとなる人物ならばありがたい話だと思っている。
だが、相手が呈示してきた話を鵜呑みにはできんからな。ちゃんと人物としてどうか調べてるよ。だからカロリーナが心配することはない」
「お父様。実は……」
一目惚れだと突然声を掛けられたことがあると父に話した。
「解った。何も心配することはない。カロリーナの幸せを一番に考えて相手は選ぶから」
「はい。……よろしくお願いします」
それからまた二週間程経ってから再び父に執務室へと呼び出された。
「オルベルト侯爵の次男坊と一度会っておいで」
「それはお父様がわたくしの婚約者として認めたということですか?」
「まぁ、そういうことだな。彼を拒否するする理由が見つけられなかったというのが正解だがな。カロリーナが嫌なら断るから、一度会って話をしてくるといい」
不承不承受け入れるしかなくて「解りました」と答えた。
翌週の土曜日に両親と一緒に初対面ではないけれど、初顔合わせすることになった。
侯爵家だからこそ押さえることができたのか、予約が取れないことで有名なレストランで会うことになった。
一目惚れしたと言ってきた勢いはなく、侯爵子息として折り目正しい態度での対面だった。
両親たちが話しているのを聞きながらアイシュロットを観察する。
互いに観察しているのだろうか? 時折視線が絡む。人好きのする笑顔を見せられて思わず視線を逸らしてしまう。
それから慌ててもう一度視線を合わせて薄らと微笑む。
第一印象が一目惚れ発言だったから少し色眼鏡で見すぎていたかもと少し反省して、前向きにこの婚約のことを考えようと気持ちを切り替えることにした。
そう考えてよく見てみると、父が言うようにアイシュロットは優しそうだし、見た目も悪くない。
それに私につきまとって口説くのではなく、父を通してくれたことは誠意ある対応だと思える。
父がいい相手だと思っていると言うのだし、結婚相手としてはいい人かもしれないと考え直した。
この顔合わせに私が少し前のめりになると、それに気が付いたのかアイシュロットが嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔に微笑み返すとアイシュロットは弾けるかのような笑顔をした。
「御子息を伯爵家に婿入りさせてよろしいのですか?アイシュロット令息なら引く手あまたでしょうに」
「今まで婚約や結婚に興味を示さなかった息子が是非ともとカロリーナご令嬢と婚約したいと言い出しましたので、息子の思いを叶えてやりたいと話し合ったのです」
皆の視線が自分に集まったことに気がついてカロリーナはほんのりと頬を染めた。
カロリーナは小柄で線が細いけれど薄い身体ではなく、出るべきところは出ていて、豊満な体つきをしている。
そそられる身体といえばいいのか、男なら征服したいと思わせるような雰囲気を持っている。
男の手の平一つでつかめるほど頭が小さく、ふっくらした唇に自分の唇を押し付けたいと欲情を掻き立てられると言われたことがある。
言われた時はすぐに逃げたけれど。
姿態の全てで男を誘っているかのように男の視線を集めるけれど、カロリーナ自身は貴族令嬢として模範的な性格をしていた。
男たちにそういう目で見られるからこそ貴族令嬢として逸脱しないようになったとも言える。
友人たちに見た目とのギャップが有りすぎて最初は戸惑ったわと言われる事が多い。
男性からの視線が嫌で、カロリーナは成長とともに護衛を付けずに行動することは無くなった。
両親からも「護衛を必ず連れて歩きなさい」と言われるし、自分でも護衛が必要だということは理解していた。
両親たちが席を外し、アイシュロットと二人になる。
とはいってもどちらも侍従、侍女はこの場にいるので二人っきりではない。
「今日は来てくれてありがとう。初めて声を掛けたときに逃げられてしまったから、婚約の申込みも拒否されるかもしれないと不安だったんだ」
「……正直なところを申しますと、お断りしたいと思っておりました。ですが父が一度会うだけも会ってから判断しなさいというので……」
「そうですか。だったら嫌われないようにすることが今日の私の目標ですね」
「わたくしのほうが見た目と中身が違うと嫌われてしまうかもしれません」
「ではカロリーナ嬢も私に嫌われたくはないと思っていただけていると思ってもよろしいですか?」
「えっ……っと、人に嫌われたいと思う人はいないと思います……」
二人は当たり障りない話をしながらも、その日は無難に交流して、次に会う約束をして別れた。
それからは学園の中、外で交流を深め、二ヶ月後にやっと婚約することに双方が合意した。
それからの二人はとても仲睦まじく、付き合っていた。
ただ二人でいる時にアイシュロットが時折黙り込んで首を傾げる仕草をすることがカロリーナは気になっていた。
学園を卒業し、結婚式の準備が整い始め、結婚式まで指折り数えられるようになった時、カロリーナは「時折首を傾げるのはどういう意味があるのですか?」と尋ねた。
アイシュロットは濁すように話題を変えようとしたが、あまりにも気になったのでカロリーナは再度問い詰めた。
「いや、私が思うカロリーナと反応が違うことがあって・・・それが不思議でつい」
「想定外の返事をするということですか?」
「う〜ん……まぁ、そうかな? 外見と中身が違うのでたまに混乱することがあるんだ」
「友人にもたまに似たようなことを言われます。……アイシュロット様は私の外見と中身のどちらをお望みなのですか?!」
「も、勿論両方だよっ!! 外見は一目惚れするほど好きだし、性格は貴族として正しくあろうとする姿勢にはいつも感心している」
少しだけ納得行かない気もしたけれどそれ以上問い詰めるとよくないような気がして、この話はこれ以上することはできなかった。
結婚式が無事終わり、初夜も問題なく終わり、夫婦の生活が始まった。
アイシュロットは王城勤めなので、朝出勤して夜になると帰って来る。
その間、カロリーナは爵位は父がまだ握っているが、父の仕事を手伝って引き継ぐ仕事を少しずつ増やしていた。
新婚だからなのか、アイシュロットに毎晩求められるのは悪い気はしないが、仕事で疲れている日は拒みたいと思う日もカロリーナにはあったけれど、夫の求めを拒んでいいのか解らなくてされるがままに任せていた。
アイシュロットは夫婦の会話より身体の交わりを求め、カロリーナが性に関して奔放に振る舞うことを強く望んだ。
けれどカロリーナは性生活よりも心を通い合わせたいと思っていたし、奥手なカロリーナにはベッドの上で奔放に振る舞うことはとても難しかった。
会話の中で首を傾げることが多かったアイシュロットがベッドの中でも首を傾げるようになり「そうじゃない」と言うようになっていった。
結婚して半年もするとベッドの中で求められることに応えられなくなっていき、ついには「そんなことできないわ」とカロリーナは拒むしかなくなっていった。
カロリーナは体を求められることが怖くなり、夫婦の寝室へ行かなくなっていった。
何度か話し合おうとしたがアイシュロットは「今は夫婦生活を楽しもうと決めたのに、私の望むことがなぜできない?」と言うばかりで話し合いにならなかった。
仕方なくカロリーナが折れて寝室へ行くと、やはりカロリーナでは想像もできないことをアイシュロットは求め、望んできた。
カロリーナがもう無理だと思ったのは後背位でお尻を叩かれながらカロリーナを貶めるようなことを言ったたときのことだった。
恥ずかしかったが父にアイシュロットにベッドの中で暴力を振るわれると告げた時、父は微妙な顔をした。
父は夜の生活を専門に教えている家庭教師を呼び、カロリーナにその授業を受けさせた。
「本当に皆こんなことをしているのですか?」
と思わず尋ねたくなるようなことが多くて、カロリーナにはとてもではないけれど夫の求めには応えられないと思いながら色々なことを教えられた。
家庭教師は「夫婦で望んでいるものが違う場合はどちらかが我慢するか、ご主人にそういうことを許す誰かを充てがう他はないですよ」と言って帰っていった。
「あなたが私に望んでいることを今日知りました。けれどわたくしには受け入れられそうにもありません。どうするか話し合わなければなりません」と夫に伝えた。
「そんなに男を唆る身体をしているのだから私の望みに応えて欲しい」
「見た目で判断されても、私には受け入れられないのです」
「男好きするのは見た目だけなのだな。がっかりしたよ」
酷い言われようだと思ったけれど、カロリーナは反論を呑み込んだ。
「教えてくださった方がどちらかが我慢するか、アイシュロットが誰かとそういうことをするのを許す以外の方法はないと言われました」
「他の誰かとしたいのではない。カロリーナとしたいんだ」
「ですが、私には・・・理解できないのです。あなた以外のものを受け入れろと言われても受け入れられないと心が悲鳴を上げますし、目隠しされれば恐怖に心が縛られます。ベッドに縛り付けられたときは恐怖のあまり気を失ってしまいました」
「ああ・・・あのときは驚いた」
それでもアイシュロットは意識がない私を喜んで手も足も動かせないように縛り、行為を続けていた。
意識が戻った時、どれほど衝撃を受けたかアイシュロットは考えてもくれないのだろう。
「離婚するしかないのかもしれません……」
「離婚は大げさだろう?!」
「ですが、私には無理です!!」
「私も少し我慢するからカロリーナも少し我慢して、折り合いをつけていこう」
そう言われて互いに我慢する約束をしてその日の話合いは終わった。
暫くは目隠しされたり、腕を縛られたりするだけだけど、回数を重ねる度にカロリーナが受け入れられる範囲を超えていってしまう。
カロリーナは我慢を超えた行為をするのが嫌で避妊することを止め、妊娠に逃げることにした。
アイシュロットも流石に妊婦に酷いことをすることはなく、カロリーナが許せる範囲の求めだけで済んでいたので妊娠中だけ、心の安寧を持つことができた。
子供を産んでしまうとまた同じことが繰り返され、カロリーナは六人の子供を産んで自分の身と心を守ったが、これ以上無責任に子供を生むことはできなくなっていた。
夜になり寝室でアイシュロットの求めに応え続ける。
心と体が悲鳴を上げ、アイシュロットに「許して」と懇願する。
アイシュロットにとってはそれも楽しみのひとつなのか嬉しそうにカロリーナの限界を超えていく。
カロリーナの心の中の何かが少しずつ壊れていく。
夜が怖いけれどアイシュロットは結婚した頃と同じようにカロリーナを求め続ける。
「他の誰かと・・・」と口にしたこともある。
けれどアイシュロットは「カロリーナ以外の女に触れたいと思ったことはない」と言う。
愛されているのだと思うとそれは嬉しいと素直に思えるが、会話をするよりも肉体的接触をしている方が多い。
アイシュロットは仕事で家を留守にしているか、ベッドの中にいるかだった。
カロリーナの中身には興味が無いようで休日も子供たちとは楽しそうにしているが、カロリーナとは必要以上に会話を持とうとはしなかった。
一番上の子が成人してカロリーナはふと思ってしまった。
アイシュロットがいなくなれば楽になれると。
綺麗な水の中に一滴の汚水が落とされたかのように心の中にその思いが巣食っていく。
夜を迎える度にまた一滴とまた一滴と汚水が混じりこみ、今ではもう真っ黒になってしまった。
それでもアイシュロットがカロリーナを求める手は緩められることがない。
夜を迎え寝室の扉を開くとアイシュロットに差し出される真っ黒な皮で出来たベッドの上だけで着る衣装が差し出される。
縛られ、吊るされ、素肌を叩かれることはなくなったけれど、鞭で衣装の上を叩かれる。いつ素肌に当たるかと恐怖しながらただひたすらアイシュロットが満足するのを待つ。
アイシュロットの形を模した物を入れられることにも慣れた。
人の体が広げられない限界に挑まされるのにも慣れた。
何かに慣れる度に心は殺意という色に染まっていく。
カロリーナは嘘か真かも解らない、眠るように死を与えるという薬を苦労して手に入れた。
何度も自問自答した。どちらに使うのかと。
死は怖い。それでもアイシュロットと離れることにしか希望を持てなかった。
毎日毎晩アイシュロットを殺すことを、自分を殺すことを夢に見た。
一番下の子の成人の祝いをした夜、アイシュロットは嬉しそうに私の自由を奪って吊るした。
それを嬉しそうに「綺麗だ・・・」と長い時間眺めていた。
羞恥は感じなくなっていたけれど、吊るされると色んな場所に負荷が掛かって痛くてたまらない。
カロリーナの我慢の限界をまた一つ超えた。
もういいのではないか?
これ以上は耐えられない。
カロリーナは夜の事後に飲む水のグラスの一つに薬を入れた。
どちらがどちらを飲んでもいいと考えた。
どちらにしろ自由になれるから。
自分でも解らないようにグラスを何度も入れ替えて、ナイトテーブルの上にいつものように置いた。
酷い責め苦を受けぐったりしている私にアイシュロットはグラスを差し出し「今日も素敵だったよ」と言った。
私は躊躇せずグラスの中身を飲み干した。
アイシュロットもグラスの中身を飲み干して、私に口づけて眠りについた。
私は一度二つのグラスを見て、目を瞑った。
翌朝、私はいつもより早い時間に目が覚めた。
アイシュロットは眠っているのか死んでいるのか? ピクリとも動かなかった。
鼻に手をやり呼吸していないことを確認すると呼吸していなかった。
寝間着を開けて胸に耳を当てたが鼓動は聞こえなかった。
私は「ほう」と安堵の息を吐き出しこれで安心だと思った。
そしてもう一度眠ろうと目を閉じた。
いつもの時間になりメイドがそっと寝室の扉をノックする。
入室の許可を出していつも通りの行動を心がける。
起きないアイシュロットに声を掛けるがアイシュロットは目を覚まさない。
メイドも不審そうにしている。
「あなた。朝よ」
顔を洗って声を掛けるけれど返答がない。
ベッドに近寄って身体をゆすぶってみるがやはり起きない。
「あなたっ!」
体に触れると既に体温が奪われていた。
メイドに「お医者様を!!」と叫んで「あなたっ!! アイシュロット!!」と声を掛け、その場に座り込む。
両親がやって来て「どうした」と聞かれ「アイシュロットが目を覚まさないっ!!」と叫ぶと父がアイシュロットの息を確認した。
父が首を横に振り、私は「アイシュロット!!」と叫び声を上げた。
それからはバタバタと子供たちが入れ替わり立ち替わりやって来て、医者がきて死亡確認がされた。
アイシュロットが私に使うために集めた品々を棺に収めて、お通夜、葬儀と瞬く間に過ぎ去り、埋葬された。
子供たちに何度も「大丈夫?」と聞かれ「大丈夫よ」と力なく答えた。
夜になり夫婦の寝室ではなく私室で眠った。
とても素敵な夢を見て清々しい朝を迎えた。