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失恋バレンタイン

「ううぅぅぅ先輩のばかぁぁぁぁああ!」

 公園のベンチに座る僕の隣で、真琴さんはひたすら泣きじゃくっていた。

 泣いているとは言っても、そんな風情のある様じゃない。

 初めて見たかもしれない泣き顔は、確かに見方次第で色っぽくないでもない。

 でも左右の手に持ったハンバーガーに交互に齧り付くその姿は、とても失恋したばかりの女子高生には見えなかった。

「……あんまり、泣かないで」

 つぶやくけれど、多分聞こえてはいないだろう。

 真琴さんとの付き合いは、そろそろ丸二年になる。

 初めて出会ったのは高校に入学した日。席が隣同士になったのが始まりだった。

 何となく話をする機会が増え、消しゴムの貸し借りをしたり、勉強を教えてあげたりするようになって。

 そうして、僕たちは段々と親しくなっていった。

 二年生になってもクラスが同じだった時、これは運命じゃないかと思った。その後も付き合いは続き、今では一番の友達と言っていい関係になっている。

 はっきり言う。

 僕は、ずっと真琴さんのことが好きだった。このままゆっくり関係を暖めて、告白して、お付き合いして、いずれはささやかだけれど温かい家庭を作るんだ、なんて、もうほとんど確信といえるほどに信じきっていた。

 ちら、と真琴さんに視線をやる。僕のことなんて気にもしないで、ただひたすらハンバーガーを口の中に押し込んでいる。

 本当にもう、食べているというよりは『詰め込んでいる』という勢いで。

『どどどうしよう! 私、好きな人ができちゃった!』

 あの日。

 真琴さんのいきなりの告白に、僕は飲んでいた紅茶を噴き出していた。

 『血でも吐いたのかと思った』と真琴さんは冗談で言っていたけれど、口の中に鉄の味がしていたことを、僕は今も鮮明に覚えている。

 転校してきたばかりだというその先輩は、……とにかくカッコよかった。

 外見だけじゃない。真琴さんと同じ部で、前の学校ではかなりの成績を残しているらしい。

 噂を聞いたのと遠くから観察したのとだけだけれど、性格だって多分悪くない。

 文句なんてつけられるところがない。この人なら、きっと真琴さんを幸福にしてくれるだろう。

 なによりも、真琴さんが好きになった人なのだ。

 ……応援する以外の、どんな選択肢があっただろう。

 がさがさ言う音に視線を向けると、真琴さんは新しいハンバーガーの袋を開けていた。多分これで6つ目。男の僕でも無茶だという数になっている。

「ねぇ、真琴さん。もうそろそろ止めた方が……」

「いいの! もうダイエットだってする必要ないんだから!」

 あの日から、真琴さんは本当に頑張った。

 ダイエットだって頑張ったし、勉強だって頑張ったし、僕にはわからないけれど、部活だって頑張っていたみたいだった。

 それも全て先輩のため。先輩に相応しい女の子になって振り向いてもらうという、ただそれだけのため。

 その様子を、僕は一番近くで見てきた。

 ダイエットメニューだって考えたし、勉強だって教えた。

 ……真琴さんを、先輩の彼女にするために。

 きっと、それは僕が覚悟するための時間だったのだと思う。

 頑張っている彼女を近くで見る事で。

 彼女の想いの強さを知ることで。

 僕が、自分の想いを整理するための時間。

「ごめんね……あんなに応援してくれたのに」

 いつの間にか、真琴さんの手が止まっていた。

 多分お腹がいっぱいになったんじゃない。きっと、胸がいっぱいになったんだ。堅く閉じた彼女の瞼の間から、涙の滴がぽろぽろと零れ落ちていたのだから。

 間違ってる。こんなのは間違ってるよ。

 だって、真琴さんは本当に頑張ったんだ。これだけ頑張った人が報われないなんて、そんなのは間違っている。

「僕はなんにもしてないよ。……ううん、出来なかった」

 本当なら、もっと出来る事があったのかもしれない。彼女のために何かをしてあげられたのかもしれない。

 でも、僕は自分の心の整理をするので手一杯だった。心の底から応援しきれていなかった。手を抜いたつもりはないけれど、結果的にそうなっていた。

「う……う、ううぅ……」

 両手のハンバーガーを潰れるほどに握り締めながら、真琴さんは肩を震わせて泣いている。僕は……何と声をかけて良いのかわからなかった。

 表面だけの言葉ならいくらでも出てくる。でも、それじゃ真琴さんを慰めることなんて出来ない。真琴さんの心に通じる事なんて出来ない。

 だって、僕はこの状況を、……心のどこかで喜んでしまっていたのだから。

 喜んでいる僕が、悲しんでいる真琴さんを慰める事なんて出来ない。

 笑っている僕が、泣いている真琴さんの心に届く言葉なんて使えるはずがない。

 何よりも……真琴さんが振られたのを喜んで、真琴さんが泣いているのにつけこもうとしている自分が許せなかった。

「ごめんね、泣いたりして。困らせちゃったでしょ?」

「ううん、全然」

 こんな時なのに、僕なんかに気を使ってくれる。

 いいのに。

 もっと泣いてもいいのに。

 もっと僕を頼ってくれてもいいのに。

「……私、君のことを好きになれば良かった」

 心臓を鷲みにされた。

 『弱みにつけこんで何が悪い? それで彼女が元気になって、最終的にしあわせになれるのなら、それは正しい方法なんじゃないか?』

 そう。半端な気持ちじゃない。一生かけて真琴さんをしあわせにしたいと思っている。

 真琴さんのしあわせのためなら、僕の罪悪感や、ちっぽけなプライドなんて……どれほどの意味があるだろう。

 僕ひとりが罪を背負えば、真琴さんはきっとしあわせになれる。してみせる。

 破裂しそうな胸で息を吸った。

 僕は一世一代の勇気を振り絞る。チャンスは一度。今しかない。

「だったら……僕たち、付き合わない?」

 秘め過ぎた想いは心の一番奥からなかなか出てきてはくれなかったけれど……なんとか絞り出す。

 怖くて顔を逸らしそうになるけれど、必死で押さえる。他所を向いて告白なんて、そんな適当な気持ちではなかったから。

「ありがと。優しいね」

 一瞬、歓喜の声を上げそうになる。

 けれど。

 彼女の視線は僕の方を向いてはいなかった。

 もうすっかり暗くなった空の上を向いている。きっと、その先にいるのは先輩だ。多分、今の僕の言葉もきちんと受け止められてはいない。

 ……それは、そうだ。

 『好きになれば良かった』は『好きじゃない』ということ。

 『良い人』『優しい人』は、お前は恋愛対象じゃない、という意味。

 ……でも、それでいい。

 やっぱり振られた弱みに付け込むなんてよくない。

 僕は真剣なのだから、真剣に想いを届けなくてはいけない。真琴さんに、振られてヤケになって好きでもない人と付き合った……なんて思わせたくない。

 今までどおり時間を重ねて、でも今までよりは積極的になって、関係を育んでいこう。最初からの予定通り。

 何より、一番親しい男友達という地位は、まだそのままなのだから。それを延長していけば。

「真琴!」

 不意の叫び声に、真琴さんが立ち上がった。

 呆然とした表情で、膝の上のハンバーガーが転がり落ちたのにも気付かない。

「せん……ぱい?」

 確かに、それは先輩だった。

 でも、髪は乱れ、顔は汗だくで、息切れした肩は激しく上下してる。まるで、ずっと全力で走りまわってでもいたような風情だった。

 それは普段のきっちりとした先輩ではない。表情も、どことなく必死の形相をしていた。

「先輩……どうして……?」

「告白を断った後、何故か胸が痛くて、苦しくて仕方なかった。お前の泣き顔を思い出すたびに自分を殴りたくなった。それで、やっと気付いたんだ」

 真琴さんが目を見開いて口元を覆う。

 僕は未だに何が起こっているのか把握できない。いや、したくなかった。

「今度は俺から言う。お前の事が好きだ。……俺と、付き合って欲しい」

 その言葉が終わると同時に、真琴さんは先輩に抱きついていた。

 必死にしがみつく真琴さんの肩を掴み、先輩は身を離して……

 キスをした。

 熱烈な、多分舌とか入ってる情熱的なキス。もう二人を引き離せるものは何もないんだとでも言うかのような。

「……ごめん。俺が自分の気持ちに気付くのが遅くて、お前を傷つけた」

「駄目です、許しません。……ずっと一緒にいてくれなきゃ、許しません」

 話をする僅かな時間も惜しいとばかりにキスを繰り返す。

「これからデートしよう。随分時間を無駄にしちゃったけど、今日のうちはまだバレンタインだから」

「……はい。今日は、ずっと一緒にいたいです」

 なんだこの超展開。

 寄り添いあったまま、二人は街へ姿を消して行った。

 僕は何も出来ない。しようがない。

 二人は……真琴さんは、僕の方になど視線も向けなかった。僕のことなど気にもしなかった。意識の埒外にいる。路傍の石以下の存在。

 それでようやく気付いた。

 僕は、もう。

 真琴さんと一番仲の良い男性なんていう、何の意味もない肩書きすらも失くしてしまったのだと。

「……おしあわせに」

 本当は、ちゃんと聞こえるように言ってあげたかった。

 祝福の言葉を受け取って貰うことで、僕たちの関係をきちんと断ち切って欲しかった。

 でも、二人だけの世界を邪魔してまでそうする事が、ただの自己満足に過ぎないんだなんてことくらいはわかっていた。

 そもそも、これは僕の一方的な想いだ。

 だったら、これは僕だけで断ち切らなくてはいけないものなんだ。

 ……きっと、真琴さんが告白したその場でOKされたのなら、きっとこんな気持ちにはなっていなかったのだろう。その時には、心の準備が出来ていたのだから。

 期待して、夢を見て、それを一度に取り上げられた。

 僕は今、きっと何が起こったのか、きちんと理解できていない。

 だから、こんなにも冷静でいられている。

 家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、布団に入った頃に、きっと腑に落ちてくる。

 そうして、きっと今夜は枕を濡らす事になるのだろう。

 きっと明日からは、魂の抜けたような人生を送る事になるのだろう。

 だから、その前に。

 何が何だかわからなくて、冷静で居られている今のうちに。

 おめでとう。……どうか、おしあわせに。

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