恋に落ちたのは、私から
今日も夜の闇に蜘蛛の糸を張り巡らせる。
蜘蛛獣人である俺の手の先から出る糸は特殊なものだ。この糸には結界と、侵入者を知らせる検知器の機能がある。そして早朝には糸に朝露がつき、それは魔法薬の材料にもなる。
十分に糸を張れたことを確認し、俺は家に戻った。
この国には人口の六割ほどを占める人間以外に、多くの獣人が暮らしている。
種族間の差別はほとんどないが、蜘蛛の獣人は忌避される。理由は単純だ。見た目が気色悪いから。
俺が人型を解くと、上半身は人のまま下半身が蜘蛛になる。自分ではよく分からないが、はたから見ると怖いらしい。
「蜘蛛って気持ち悪いよね」
昔、そんな陰口を聞いてしまったこともある。俺は泣いた。父から「まぁー普通にキモイからな、俺ら」と言われ更に泣いた。
やはり数の多い猫や犬、兎など、見た目が可愛らしく親しみのある獣人たちと俺は違う存在なのだ。
……断じて僻んでなどいない! モフモフいいな、とか思っていない!
数人の親しい者を除き、俺は自分が蜘蛛の獣人であることを隠すようになった。俺は完全な人型になれるし、獣人であることは感づかれても、蜘蛛であると悟られることはまずない。
山のふもとに薬屋を開業して数年。辺鄙と言えば辺鄙な場所だが、冒険者たちがよく素材採集のために入る森へ向かう道中に位置するため、客には事欠かない。
俺が生成できる毒は組み合わせによっては薬になる。そこそこ評判もいい。蜘蛛で良かったかな、と思う数少ない特技だ。
早朝、糸に何かがかかり、目を覚ました。虫はよく引っかかるが、今回は人か獣人がかかったらしい。珍しいことだ。
俺の糸は侵入者向けの罠という役目もかねている。ひとたび糸にかかると、そうそう抜け出すことはできない。そのまま放っておくこともできず、俺は家の外に出た。念のため手に小型のダガーを持つ。空は白み始め、夜明けを迎えていた。
反応を感じた場所まで足を進めると、見たこともない女性が糸に絡まっていた。
(誰だ?)
茶色の色の髪の女性で、冒険者のようないで立ちをしている。不思議なことに体が糸に絡まっているというのに、もがく様子もない。
身動きが取れなくなったら抜けだそうと試みるのが普通の反応だ。もしかして意識を失っているのか?
「きれい……」
思わぬ単語が耳に入り、俺は足を止めた。
(きれい?)
彼女の目線の先に俺も目をやるが、朝露に濡れた俺の糸しか見えない。糸の向こうにある夜明けの空を指して言ったのか。蜘蛛の糸をきれいだと言う人間がいるはずもない。
「あんた誰だ。何が目的でここにいる」
「……」
俺の存在に気付いた彼女は俺をじっと見て黙り込んだ。いや、なんだよ。
「質問に答えろ」
「……あ、すみません。私はセナといいます。ギルドからの依頼で来ました」
セナと名乗った女性は、糸で動きづらそうにしながらも、ぺこりと頭を下げた。
彼女が言うには、俺が冒険者ギルドに卸している薬の在庫が減ってきたので、セナが依頼を受け、ここに来たということだ。正式なギルドからの依頼書も持っていた。
ギルドへの薬はこうして冒険者やギルド職員がウチまで取りに来るか、俺が街へ届けるかのどちらかの方法で卸している。顔見知りが店を開けている時間に来ることが多い。
不審者ではなく客人だと分かり、俺は彼女の周りの糸を切った。セナは突然自分を支える糸が外れてバランスを崩したものの、ひらりと一回転して着地した。
なにこの女。めちゃくちゃ運動神経が良いじゃねぇか。凄いな。
「俺はウェインだ。でもあんた……、セナだっけ。もっと常識的な時間に来るべきじゃないか?」
「すみません。早めに出発したらすんなり着いてしまいまして……戸を叩くのは日が昇ってからにするつもりでしたけどね。ここに見たことがない位大きな蜘蛛の巣があると思って近付いたら、うっかり引っかかってしまいました。これ、蜘蛛の糸ですよね?」
変な女だ。いくら何でも早めに出発しすぎである。今何時だと思ってるんだ。しかもうっかり引っかかるってなんだよ。何をどうしたらそうなる。
見たところ獣人ではなさそうだ。たぶん人間だろう。
「あぁ。糸の結界を作る魔道具で作った」
嘘である。自分が蜘蛛獣人だと知られないように、糸の結界について人から聞かれればそう答えるようにしている。
「この結界、凄く綺麗ですね」
セナは俺の蜘蛛の糸を見上げている。
俺はあまりのことに思考停止した。今、何を綺麗だと言った?
「引っかかってる間、あんまり綺麗で感動してしまいました。糸についた朝露に朝日が当たって、光が反射してきらきら……」
「そ、そうか」
「しかも一回引っかかるとしっかり動きを封じられました。見た目からは信じがたい強度です」
落ち着け。落ち着くんだ。
セナは魔道具で作った——と認識している——結界の性能に感心しただけ。俺が出した蜘蛛の糸を褒めているわけではない。
人が蜘蛛の巣を見て連想するもの。それは廃墟。手入れを怠った象徴。避けるべきもの。そういった後ろ向きのものだ。……あ、駄目だ、泣きそう。
「……薬、準備をするから、待ってろ」
「はい。お願いします」
俺はさっさと家に向かって歩き始めたのだった。
店の奥から依頼書にある薬を探し出し、セナを待たせている店内スペースへ戻る。まず依頼書にあった薬を入れた袋をセナに渡した。そして別で用意したものを取り出す。
「ほら」
「なんでしょう」
セナは不思議そうに首をかしげた。
「糸、べたべたして気持ち悪いだろ。服に残ったらこれを使って洗濯したらいい」
自分でも「もーべたべたしてウザッ」と思うのだ。彼女からしたらさぞ鬱陶しいだろう。セナは大きな目を真ん丸に見開いた。
「ウェインさん優しいですね。ありがとうございます」
俺は依頼書に依頼完了のサインをして、セナに手渡した。彼女は礼を言って、去っていった。
それからセナは定期的にギルドの依頼で店に来るようになった。
セナはよほど糸の結界が気に入ったようだ。
いつも彼女は結界から少し離れた場所で若草色の瞳を見開いて、じっと糸を眺めている。毎朝俺は店の開店準備で結界を解く。いつも彼女の来訪に気が付くのは、その時だ。
薬を渡した後は、彼女に茶を淹れ、色々な話をする。といっても、他愛もない話だ。セナが行った色々な場所の話や、俺が作る薬の話。
数回目の訪問から、セナは手土産を持ってくるようになった。
「ウェインさん、どうぞ」
セナが俺の手のひらに乗せたのは、透明な小石だった。それは青みがかった不思議な色合いで、十分宝飾品として通用しそうな美しさだ。
「うわ、キレーな石だな。ありがと。でもさ、何度も言ってるけど、土産なんていらねぇぞ」
「ふふ。私の気持ちです」
美しい小石や、精緻な刺繍が施された髪紐。果物や菓子など。俺が受け取るとセナはとても嬉しそうに笑うので、強く断れない。
セナは不思議な奴だ。どこか浮世離れしたような雰囲気がある。感心するほど博識だと思うところもあれば、あまりにも一般常識を知らないと感じるときもあった。
(外国人かもなぁ)
あまり踏み込んだ話はしない。俺だって聞かれたくないことはある。主に蜘蛛だとは知られたくない。うわっ気持ち悪……とか思われたくない。
いつの間にか、セナがいるかもしれないと、朝、玄関を開けるのが楽しみになっていた。
——変なことを考えるな。セナは依頼を受けてウチに来ている。俺に会いに来てるんじゃない。
◇
「よっ、ウェイン」
「……ルークか」
その日俺の家に来たのは、冒険者ギルドの職員ルークだった。
彼に会うのは久しぶりだ。以前は良く来ていたが、セナが来るようになってからは来なくなった。
「そんなにがっかりすんなよ。別に俺でもいいだろ」
「何の話だよ。今は客がいる。その辺で待ってろ」
ルークは「はいよ」と雑に答え、店の隅に置いている椅子に腰かけて足を組んだ。
店の中には数人、薬を選ぶ客がいた。彼らは皆冒険者で、突然出現したルークにぎょっとしたような顔をした。ルークはギルドの職員をしているが、元冒険者で、それなりに名の知れた人物である。
彼の頭からは狼獣人の特徴である耳が生え、尻からはふさふさとした尻尾が生えている。可愛い兎獣人の嫁までいる。くそ、羨ましい。
ルークとは割と古い付き合いだ。俺の薬をギルドに卸すようになったのも、こいつの紹介である。
しばらくして薬屋の客が途絶えると、ルークは顔を上げた。
「ウェインよ。やっぱり、ここは遠いな」
「だからわざわざ取りに来なくとも、送るって言ってるだろ」
「そんなつれないこと言うなよ」
ルークは椅子から立ち上がると、俺が作業をしているカウンターまで来た。カウンターに肘をつき、ギルドの依頼書を懐から出す。俺はそれを受け取り、内容を確認した。店に在庫があるものばかりだから、問題なさそうだ。
俺はルークに背を向け、依頼の品を棚から取り始めた。たまに後ろから世間話をふられ、適当に答えながら、袋へ詰めていく。
ルークは社交的な奴だ。誰とでもすぐ親しくなれるのは、性格もあるけど、こうして話題が豊富なこともあるだろうな。そんなことを考えていると、ぽつりと、感心したような声でルークが言った。
「お前、本当に擬態が上手いよな。何の獣人か全く分からん。でも四六時中それで疲れないか」
「いやぁ? もう人型も慣れた」
「別に楽な姿で過ごせばいいじゃねぇか」
ルークは俺が蜘蛛の獣人だと知っている数少ない人物だ。彼も必要なときは人型に擬態するらしいが、疲れるらしく、普段は獣人の特徴を隠していない。
「蜘蛛は気色悪いだろ」
「俺は別にそう思わんけどなぁ。別に蜘蛛だからって何てことないだろ。そんな男前なツラして、死ぬ程モテてるくせに」
それはない。断じてない。可愛い嫁がいるルークから言われるとイラっとする。こいつは狼だからピンとこないだろうけど、蜘蛛というだけで「ちょっとね」と避けられるんだぞ。泣くしかない。自覚はあるので、俺からも女性には近寄らないけど。
「で、セナとはどうなんだ?」
「どうって何が」
「あいつ、ウェインの薬屋の依頼を独占してるんだぞ。依頼が張り出された瞬間にセナが奪取するんだ。もう一種の名物だよ!」
これはお前に話を聞かねばならんと思って今日は俺が来たんだと、ルークはどこかワクワクとした表情で言った。俺は思わず呆れ顔になる。
「何を勘違いしてんだ、お前。セナはただの知り合いだ」
「うそだろ。本当に何もないのか?」
「一切、ない!」
俺は薬が入った袋をルークに押し付けた。期待外れだったのか、先ほどまでゆらゆらと揺れていたルークの尻尾が静かになる。
「セナは仕事でここに来てるだけだ。薬屋に行ってギルドまで薬を運ぶだけ。アイツにとってはいい仕事だろ。それ以上でもそれ以下でもない」
◇
ただの知り合い。
他でもない自分が放った言葉に、傷ついている自分に気付く。
自覚はしていた。俺は彼女に惹かれている。
夜、糸を張る度に。朝、結界を回収する度に。ふとセナのことを思い返してしまう。俺の一部である蜘蛛の糸を「きれい」だと言ってくれたから。我ながら物凄くチョロくて単純な男である。
でも、だからこそ、余計に俺は彼女に打ち明けられない。
蜘蛛の糸がきれいだと思ったからといって、俺のことまで受け入れてくれる保証がどこにあるんだ。
セナは人間だ。蜘蛛は苦手だろう。
たまに会って、何でもない話ができる関係であることに満足するべきだ。
夜半、家の外から、ガタガタと音がする。
ふと目を開けたと同時に、糸に反応を感じた。俺は起き上がり、ダガーを手に外へ出た。
糸の結界には、大型の魔物がかかっていた。魔物の下に、羽根が散乱している。
(ハーピー!)
鳥型の魔物だ。この辺りでは大型の魔物をあまり見なかったので、俺は目を剥いた。
正直俺は魔物の中でも鳥型の奴らが苦手だ。鳥は蜘蛛の捕食者である。普通に怖い。もちろん魔物ではない普通の鳥は平気だが。
ハーピーは超音波のような奇声を出した。不快な音に、思わず俺は耳をふさぐ。
あいつを仕留めるには、毒が必要だ。俺は人型をとき、体内で毒を生成する。ダガーに毒を纏わせている間に、ハーピーがついに糸から抜け出した。
「くそっ! 馬鹿力め!!」
飛び上がったハーピーに俺は投擲のように糸を投げるが、奴が素早く飛び回るため、中途半端にしか引っかからない。空から速度を上げて俺に向かってくるハーピーにダガーで応戦する。数度刃が届くも、致命傷は与えられない。鋭い爪が上から振り下ろされ、一度、二度かわした。しかし三度目は避けきれず頬に一筋くらってしまった。
たらりと流れた血が頬から顎を伝うのが分かる。このままだとまずい。しかし逃げることもできない。
俺が再度ダガーを握りなおし、構えたそのとき、突如ハーピーがぼうっと燃え始めた。
「は?」
俺は何もしていない。なのに、なんであいつは燃えてるんだ。
何が起きたのか分からず、俺は立ち尽くした。
炎に耐えきれなくなったハーピーが地面に落ちる。ハーピーが浮かんでいた場所に、女性が見えた。
(セナ……?)
顔はたしかにセナだ。しかし彼女の背中には小さな羽根がついていた。
セナは地面に落ちたハーピーのところへひらりと降りた。まだ息があるハーピーは弱弱しく鳴いている。
そのままセナは流れるように剣を振り、ハーピーを一刀両断した。その様は舞っているようにも見えた。
あれは本当にセナか?
彼女の茶色い髪は今、なぜか銀色に光り、若草色の瞳は金色にきらめいている。その目線が俺を捕えた。
「ウェインさん。怪我」
少し厳しい表情で彼女が言った。
「……あ? あぁ。大した傷じゃない。それより、助かった。ありがとう」
「いえ。ウェインさんに怪我を負わせてしまいました」
「何言ってんだ。そいつにやられたんだぞ。それにこの程度すぐ治る」
いや待て。傷とか以前に、俺は今……。今、蜘蛛だ。しかも、ばっちりセナに見られてるし。完全にやらかしている。どう考えても手遅れだ。
「お、まえ……、俺が、気味悪くないのか」
「? ……あぁ。初めて私に獣化の姿を見せてくれましたね。嬉しいです」
ふわりとセナは笑った。想定外の反応に、俺は言葉を失う。
「本当は私、最初からウェインさんが蜘蛛なこと知ってましたよ。私だっていつもと違うでしょ。お互い様です」
破顔したセナの口には、鋭い牙がある。
淡く光る銀の髪が夜空にたなびいていた。月と同じ色の金色の瞳が宿す光に、俺は釘付けになった。その身をつつむ空気には神々しささえ感じる。
空恐ろしくなるほど、美しいと思った。
(知ってる? 最初から? は?)
もう、なにがなんだか分からない。
ざっと風が吹き、夜空に枯葉が舞う。
なぜセナが今ここにいるのかとか、彼女は何者なのかとか。キャパオーバーな俺は一旦考えるのをやめた。
◇
退屈な日々だった。
竜人の寿命は長い。成体になると体は強く、もう自分を脅かすものなど殆どない。ふらふらと各地を巡り、美しいものがあれば収集する日々。
ある時、綺麗な男を見つけた。夜の闇に蜘蛛の糸をかける男。
艶のある黒髪。人形のように整った造形。しかし切れ長の赤い瞳はいつも物憂げだ。
どうして? そんなに綺麗なのに、何が憂鬱なの。
不思議に思った私はこの男を観察するようになった。
彼の名はウェインというらしい。常に人型に擬態している。
(なぜ?)
私は見るだけで相手の種族を判別できる。だからウェインが蜘蛛だということもすぐに分かった。
人里から離れた場所で一人、本来の姿を隠して巣を張り、薬を作って、客人を待つ男。
なぜか無性にあの男が気になった。
客を迎えるとき、ふと見せる微笑みが蠱惑的だ。あの巣も美しい。毎朝彼が回収するのが惜しい気がするほどに。
こんなに特定の何かが気になることは初めてだった。
——客になれば、ウェインと話ができるだろうか。
私は、薬屋の客人の大多数を占める冒険者というものになることにした。
ただ竜人は数が少なすぎる上、竜人というだけで寄ってくる煩わしい連中もいる。気は進まないものの、自分の姿をこの国の半数を占める人間の外見に寄せることにした。
冒険者として適当に依頼をこなし、ウェインの話を集める。
私の耳は遠くの囁き声でも拾える。予想通り、冒険者ギルドでは時折ウェインの話をしている者がいた。薬が良く効くとか、案外優しいとか、その程度だが。
(彼が蜘蛛なことは知らないのね)
ウェインは自身が蜘蛛獣人であることを周囲に隠しているらしい。
ギルド内で軽口を交わす程度の顔見知りが増えた頃。私は大体の推論を立てた。
どうもウェインは、自分が周囲から忌避される存在と思い込んでいるようだ。
確かに人間には虫という先入観から蜘蛛獣人を嫌がる者もいる。愚かな者がウェインを拒否したか、そうでなければ聡い彼がそれと悟ったのだろう。
その日、私の耳がギルド職員のルークの声を捕えた。
——あ、解毒薬が切れそうだな。そろそろウェインのとこの依頼を出すか。
私は依頼ボードの前に立つ。しばらく待つとルークがウェインの薬屋への依頼をボードに貼り付けた。と同時に私が依頼書を取る。ルークが驚いたように私を見た。
「セナ、お前ウェインに会ったことあるか」
「いえ」
「驚くぞ。すげぇ男前だ!」
ウェインが美しいことはよく知っている。私は頷いた。
彼はウェインの親しい友人らしい。ウェインが蜘蛛であることも知っているようだ。人の良さそうな笑みを浮かべるルークに私もつられて笑った。
朝露が光を反射し、複雑な模様の巣を空に浮かび上がらせていた。この糸はもう少しすればウェインが回収してしまうだろう。
今日どうせ彼と知り合いになれるのだ。別にいいのでは?
その考えが頭をよぎり、私はウェインの糸に乗った。引っかかったらどんな心地か、ずっと気になっていたのだ。瞬く間にウェインの糸が私を絡めとる。人間や普通の魔物であれば動きを封じられるだろうが、竜人である私には容易く抜け出せる強度だ。しかし……。
(素晴らしいわ)
何て幻想的な光景だろうか。私はぼんやりと糸が作り出す美しい空を見上げていた。白みかかった明けの空と、ウェインの糸。
「きれい……」
それは心の底からでた感嘆の言葉だった。
その後家から出てきたウェインと初めて言葉を交わす。彼の赤い瞳が私を映していると思うと、喜びが沸き上がる。
私のことは人間だと思っているらしい。それは当然だ。私は漏れ出る魔力を限界まで絞っている。普通の人間にしか見えないだろう。
(可愛い男)
その整った容姿からは想像もつかない気軽な態度。自業自得で糸に絡まった私を気遣う優しさ。遠くから見ているだけでは分からないことだった。
ウェインの薬屋への依頼は私が全て受けることにした。
依頼がでる日は大体ルークが教えてくれたし、会話も聞こえるから難しいことでもない。
訪問回数を重ねるごとに、ウェインの態度は確実に変わってきた。私を見つけたときの表情、脈拍と心拍数の変化からも明らかだ。
この男は私に懸想している。
悪い気はしない。私も土産と称して自分の鱗を彼に渡す。
これは竜人にとっての求愛行動だ。鱗というものは龍人の誇りだから。
しかしどうしたことか、ウェインは一切私に求愛しない。明らかに私を好いているくせに、態度を変えない。
なぜ?
私は毎回毎回ウェインに贈り物を渡し、好意を伝えているつもりだ。
次の一手を考えあぐねていたとき、ハーピーがウェインを襲った。私は常にウェインの家を警戒範囲の中に入れている。すぐに薬屋へ向かった。
ハーピーを燃やし、ウェインを確認する。彼の頬に伝う鮮血を認め、自分の頭に血が上るのが分かる。
(お前は絶対に手を出してはいけない相手を狙った。あの世で後悔しなさい)
放っておいてもその内死ぬだろうが、それ以上息をすることも許さない。私は愚か者を一刀両断した。完全に絶命していることを確認したところで、自分の擬態が若干解けていたことに気が付く。感情が高ぶりすぎたようだ。
ウェインは困惑したように私を見ていた。
彼もまた、いつもの擬態を解いていた。思った通り、蜘蛛だろうが彼の美しさは変わらない。
さて、何から話そうか。
竜人であること。前から見ていたこと。あれは小石ではなく私の鱗だということ——。
何よりもまず彼に伝えるべきことがある。
「ウェインさん。私、あなたが好きです」
「えぇ!?」
ウェインの声は若干裏返った。
待っていては始まらないのだ。彼は巣を張り、ただ獲物を待つ蜘蛛なのだから。
「まっ、待て、早まるな、セナ。何で髪も目もそんなキラキラしてんのか知らんが……いや、ハーピーになんかされた? あの超音波クッソうるさかったけど、実は精神錯乱の効果があったとか?」
「あんな小物では、私に傷一つつけられません。精神攻撃などなおさら、無意味です」
「おぉ……それ、その小物に殺されかけた俺に言うか?」
「ふふ。でも既にあなたは私の弱点です」
ウェインの心拍数が上がった。戸惑うように私を見ている。
「ウェインさん。私、あなたの罠にかかってしまったの」
私は既に彼の糸にかかった。彼に心を奪われた。
彼は真っ赤になり、ただ口をぱくぱくとさせるのだった。
最後までご覧いただきありがとうございました。