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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

虐げられた薔薇の乙女は、蘭の貴公子に溺愛される予定です

作者: 沢渡奈々子

「テレンス様、サーハン王国の田舎の教会に薔薇様(・・・)がいらっしゃったとの報告が入りました」


 厩舎で自ら愛馬の手入れをしていたテレンスは、ブラシをかける手を止めた。

 従者が手渡した幾枚かの紙に書かれた文言に目を滑らせると、眉をひそめてため息をついた。


「サーハンか。二つ向こうの国ではないか。どうりで長らく見つからないはずだ。……このこと、他の家には知られていないだろうな? ヴィクター」

「もちろんでございます。当バルビエ家の諜報部は、正直、王家の諜報を凌ぐほどの能力を持っておりますゆえ。おそらく当家以外の蜜家みつかには御落胤の存在すら知られていないのではないでしょうか」

「では、知られぬうちに俺が向かおう。怪しまれるようなら『放蕩息子がふらりと遊山に出た』とでも触れておけ」

「かしこまりました。しかしながら薔薇様は、あの国では『忌み子』と虐げられておられたようです。向こうに送り込んだ間諜がすでに保護しておりますが」

「確かあの国では、虹色眼(こうしょくがん)は凶兆と言われていたな。……薔薇様は虹色眼の持ち主ということか。……間違いないな」


 テレンスは使命感と慈愛に満ちた表情に、わずかな野心を滲ませて笑った。


「どうか、ウェントワース王国の薔薇様をあるべきところに戻してさしあげてください。……我が君」

蘭の家(オーキッド)の名誉にかけて、薔薇様を連れ戻す。留守は頼んだぞ、ヴィクター。……今回は少し長旅だが、つきあってもらうからな、頼むぞ? トバイアス」


 テレンスはブラシを従者に手渡すと、愛馬の腹を労るように撫でながら、話しかけた。


   ***


「おいおまえ、これも運んどけよ」

「……はい」


 背中を蹴られたクリフは、つんのめりながら野菜の箱を持ち上げる。

 彼を蹴飛ばした男は昼間から酒の匂いをさせているが、実は神官の端くれである。とんだ生臭神官もいたものだと、クリフはそっとため息をつく。

 隣国との国境付近の村にあるこの教会は、立地のせいもあり、恵まれた環境とはとても言えなかった。建物は老朽化しているが、修繕する費用はもちろんない。

 隣接する孤児院に住む子どもたちを食べさせるのも、一苦労だった。

 だったのだが。

 ここ最近、高額な寄付が舞い込むようになり、子どもたちの食事の質も上がった。ほんのわずかだが。

 いくら寄付の金額が釣り上がろうと、中抜きする輩を野放しにしていれば、末端まで届くはずもなく。

 子どもたちは大抵、いつもお腹を空かせていた。


「あの……野菜はここでいいですか?」


 孤児院の厨房に入ると、若いシスターがタバコを吸っている。


「……ちっ」


 舌打ちをすると、顎をしゃくる。

 指示された場所にそっと箱を置くと、シスターはタバコの吸い殻をクリフに投げつける。

 火は消してあるので、まだマシだ。


「忌み子の穀潰しのくせに」

「すみません……」


 痩せ細った身体には、あちこち傷がついている。顔を隠すように伸びた髪は、艶などまったくないくすんだ灰色。

 時折見え隠れする、オパールのような虹色の瞳――クリフが『忌み子』と呼ばれる所以だ。

 この国では、この瞳を持って生まれた子は不吉であると言われている。産めば呪われ、殺せば祟られると言い伝えられているので、迫害されているが、手にかけることすら厭われる。


 クリフは孤児だ。両親……とは言っても、育ての親だが、父と母は他国の出身で、血のつながりのないクリフを大切に可愛がってくれた。

 けれどクリフが十四歳の時、盗賊に襲われ殺された。自分はその前にこの教会に逃がされたので無事だったのだけれど。

 その頃はよかった。当時の教会の神官やシスターは優しい人で、クリフの虹色の瞳を見ても差別せず可愛がってくれた。

 しかし二人が老衰で亡くなった後に派遣された神官たちは、敬虔さの欠片もない奴らだった。

 神官は飲む打つ買う、シスターは着服した寄付金でタバコや宝石を買う。おまけにゴリゴリの差別主義者で、クリフを見るたびに暴言暴力の嵐。――本当に神職なのか? と、クリフはいつも疑問に思っていた。

 刃向かえばわずかな食事さえ抜かれてしまうので、我慢に我慢を重ねていたが、のっぴきならない事情がクリフに訪れた。

 だからそろそろ逃げだそうと思っていた。あの二人にバレたら絶対に悪い方向にしかいかないから。

 クリフは少しずつ、逃げる準備をしてきた。

 それなのに――


「クリフおまえ……女だったのか!」


 月のものが来ていたのに気づかず、汚れたズボンの臀部を見られてしまったのだ。

 初潮を迎えてから、ずっとこの日が来るのを恐れていた。だから女だと気づかれる前に逃げようとしていたのに――

 途端、神官の目が欲に塗れた。下卑た表情で、じりじりとクリフに近づいてきた。


「少しばかり貧相だが、見た目はそう悪くない。……その目は不吉だが、無料の娼婦だと思えば文句は言えないからな」


 ニヤニヤしながらクリフを組み敷き、服に手をかけてきた。

 この神官から陵辱されそうなのだと気づき、手足をばたつかせる。しかし、日頃からまともな食生活を送っていない身体はやせっぽちで、抵抗できるほどの筋力も体力もなかった。


「! や、やめろ……っ」

「おとなしくすれば、ちゃんとここで保護してやるよ。破落戸どもの慰み者にはされたくないだろ?」

「やだぁ……!」


 服を破かれ、胸をの膨らみを隠していたさらし(・・・)までをも剥ぎ取られそうになり、目をぎゅっと閉じた。

 次の瞬間、身体を押さえつけていた重みがフッとなくなったかと思うと、何かが壊れる音がした。


「……」


 そっと目を開いてみれば、神官は壁に激突したのか気絶していて、その代わりに見知らぬ男が立っていた。

 あまり目立つ容姿ではないが、品がある、一見して貴族と分かる壮年の男だ。

 その貴族然とした男が、自分の目の前で跪いたので、クリフは驚いた。


「お怪我はございませんか? ……クラウディア様」

「え……どうして私の本当の名前を……」


 両親が亡くなる直前、「身を守るため、男の振りをして生きろ。クラウディア……いや、クリフ」と告げた。

 本当の親がつけてくれた名前を封印するのは、本当に心苦しかった。けれど、クリフもまた育ての親がくれた名だ。それに、女のままではあっという間に穢されて売り飛ばされていただろう。

 現に今も、女だと分かった途端に、神官はクリフを犯そうとしたのだから。

 これまでクリフとして生きていたのは、両親の遺言どおり、自分自身を守るためだった。


「とりあえず、ここから出ましょう。あなたを保護するよう命を受けております。安全な場所までご案内いたしますので」

「え、でも……」


 いくら助けてくれたとはいえ、目の前の男をすぐに信用していいものか、今の自分には判断できずにいる。


「私はこの国の二つ向こう側にあるウェントワース王国の、バルビエ公爵家に仕えるワイマンと申します。主人の命を受け、あなた様を探しておりました、クラウディア様。あなた様の生国はウェントワース王国です」

「ウェントワース……」


 その国の名前は、両親から聞いてうっすらと知っていた。自分に縁のある国だとは聞かされていなかったのだが。


「とにかく、ここにいてはあなたの身が危ないです。あの男は、神官でありながら恐れ多くもあなた様を穢そうとしました。シスターともども、後で罰せられると思いますが、いずれにしても、あなた様のその瞳は、この国の民には神々しすぎます。決して悪いようにはいたしません。……私を信じて、どうか一緒にお越しください」

「あ……ひょっとして……最近この教会の寄付金が増えたのは、あなたのおかげなのでしょうか……?」


 ふと思いついたことを尋ねてみる。


「正確に申し上げれば、私の主からの寄付金でございます。……しかし、神官とシスターが着服していたようですね。その点でもしっかり罰してもらわねば」


 ワイマンの口調から、抑えきれない憤りが感じられた。


(この人は信じてみてもいいのかもしれない……) 


 どうせここにいたところで、いつかは穢されて殺されてしまうだろう。それならこの貴族(ワイマン)について行く方が大分マシだろうと、クリフ――クラウディアは、ひとまず彼に従うことにした。



 見た目は地味だが質のいい馬車に乗せられた。前にはワイマンが座り、隣にはメイド姿の女性がいる。クラウディアは先ほど服を破かれてしまったので、きれいな布で包まれていた。全身の汚れが酷すぎて、そのままではとても新しい服など着せられないし、馬車の座面にも座れなかったからだ。


「少しの間、ご辛抱ください」


 メイドに優しく言われ、クラウディアはこくりと頷いた。

 窓の外に目をやると、移りゆく景色が、徐々に知らないものに変わっていく。


(これから、どうなってしまうのかしら……)


 自分を待ち受けているものが分からず不安を抱えたまま、クラウディアは渡された水を飲んだり、果物を摘まんだりしていた。

 数時間の旅の末、連れて行かれたのは大きな宿場街だった。その中でも一番高級な、おそらく貴族向けの宿に案内されるや、ワイマンが優しく告げた。


「まずは湯浴みをなさってください。とてもではありませんが、今のままでは部屋をお使いいただくわけにはまいりません」


 言われるがまま浴室に一人で入ろうとすると、全力で止められた。振り返ると、メイドが三人並んでいた。先ほど馬車にいた女性もその一人だ。


「すべて私どもにお任せください」


 完璧な笑顔が少し怖くて、クラウディアはこくこくと頷いた。

 まずはボロボロの服を捨てられた。裸にされたクラウディアの首元には、少し傷の入ったペンダントが。育ての親が「本当の親の形見だ」と言って、いつも身に着けているよう教えてくれた。

 そのペンダントヘッドに刻まれた紋章を見て、メイドたちが息を呑み、そして頭を下げた。


「よくぞ今日まで、ご無事……とは言えないのかもしれませんが、こうして五体満足で生きていらっしゃいました」


 感激したように告げられ、クラウディアは困ってしまった。これまで、そして今この瞬間も、この紋章の意味を把握していないのだから。

 どうやらワイマンたちは、この状況に至った経緯をまだちゃんと教えてはくれないらしい。

 頭の中を疑問符でいっぱいにしたまま、クラウディアはメイドたちに身を委ねた。

 汚れがこびりついた髪を丁寧に櫛で梳かれた。髪を解しながら「なんとおいたわしい……」と、悔しそうに呟く声がしたが、あえて聞こえない振りをした。

 それから、いい香りのする石鹸で全身を洗われると、垢と埃に塗れた泡が湯船に溜まった。何度も何度も洗われて、ようやく泡が汚れなくなった頃には、垢だらけの身体はすっかりきれいになっていた。

 それでも全身に亘る細かな傷は残ってしまったが。

 その後、髪と身体に香油を擦り込まれながらマッサージされた時には、あまりの気持ちよさにうとうとしてしまった。

 バスローブを着せられた後は、今まで見たこともない立派な椅子に座らされ、髪を切られた。とは言っても、見栄えをよくする程度に手を入れられただけだが。

 今までは伸びっぱなしの髪を後ろにくくっていただけだったし、瞳を見られれば罵られるので、目を隠すように前髪を伸ばしていた。


「クラウディア様の瞳が厭われるのは、サーハン王国だけです。でも宝石のようにとてもお美しいので、お見せしない手はございませんよ」


 優しく言ってくれる女性たちは、ワイマンがウェントワース王国から同行させたメイドだそうだ。

 着慣れないドレスを着つけられ、髪を結われ、顔に化粧を施されながら爪の形を整えられ――身繕いから解放された時には、数時間が経っていた。


「さぁこちらへどうぞ、クラウディア様」


 手を取られ連れられたのは、大きな姿見の前。


「わぁ……」


 そこにいたのは、見た目だけなら完璧な淑女だった。

 艶のある銀の髪は絹糸のようで。

 この国で散々忌み嫌われてきた虹色の瞳は、装いを変えてみれば、こんなにも印象が一変してしまうのか――メイドが喩えたとおり宝石のように輝いて見える。

 日焼けしていた肌には白粉がきれいに塗られており、頬とくちびるには双方桃色の紅がさされていた。

 ドレスは動きやすいシンプルなものだが、クラウディアが見ても上質なものだと分かる。濃いブルーに銀糸とオレンジの糸で精緻な刺繍が施されたそれは、うっとりするほどきれいだった。


「こんなに素敵なドレス……私が着てもいいのでしょうか」

「我が主からの贈り物ですので、是非お受け取りください。とてもお美しいですよ、クラウディア様」


 いつの間にかそばにいたワイマンが、ニコニコしながら褒めそやした。


「ありがとうございます……あの、ワイマン様」

「『様』は不要です。ワイマンとお呼びください」

「でも……」

「子細は我が主からご説明がございますが、クラウディア様は本来、今ここにおります誰よりも身分の高いお方です。必要以上に謙る必要は一切ございません」

「そう、なんですか……?」

「とはいえ、クラウディア様はこれまで平民以下の生活をされてこられ、教育もままならない環境におかれていらっしゃいました。これからは淑女教育を受けられることになると思われます。ひとまずは、我が主がここに到着するまでの間、基本的なマナーを覚えてまいりましょう」


 ワイマンが優しげな笑みを浮かべた。

 それから五日ほど。クラウディアは、ワイマンやメイドから貴族のマナーを教わった。挨拶さえ覚束なかったクラウディアは、筋肉痛に見舞われながらも、泣き言一つ言わずにすべてを吸収した。

 暴言を吐かれ、暴力を振るわれ、食事を抜かれ――これまでの虐げられた日々と比べたら、天国のようでさえあったから。

 厳しくマナーを叩き込まれながらでも、毎日美味しい食事がいただけて、知識を与えてくれる人がいる。ワイマンやメイドたちは講師としては厳しかったけれど、そこには悪意などはまったくなくて、むしろ温かささえ感じた。

 それだけで、クラウディアは幸せだと感じることができたのだ。

 元々学ぶこと自体、嫌いではなかった。むしろ知識欲は人一倍ある方だ。両親や前の神官やシスターから文字の読み書きは教わったし、教会にあったいろんな本を読ませてもらってはいたから。


「クラウディア様は、元々の地頭がよくていらっしゃるので、私たちも教え甲斐がございます」


 貪欲に学ぶクラウディアを見て、ワイマンたちはますます講義に力を入れた。

 こうして過密スケジュールをこなしたクラウディアは、半ばつけ焼き刃ではあったものの、ある程度の淑女の所作を身につけたのだった。

 日数の短さを考えれば、上出来な仕上がりだった。


「クラウディア様、我が主が到着いたしました。ご準備ください」


 ワイマンの言葉に、クラウディアは背筋を伸ばした。レースがあしらわれた薄紅色のドレスは、儚げな印象を与えるクラウディアの見目に、可愛らしさを添えている。

 宿に用意されている応接室を借り、クラウディアを助けてくれた人と会う。


(どんな人なのかしら……)


 ドキドキする。なんだか落ち着かない気持ちが全身を巡る。口の中と手首、そして身体の奥が疼いてきた。


(何……?)


 得体の知れない身体の反応に、クラウディアはクラクラした。けれど倒れるわけにもいかず、なんとか足を踏ん張った。


「失礼する」


 甘さを孕んだ低い声が聞こえると、クラウディアの身体はますます反応した。

 扉が開き、背の高い美丈夫が入ってきた。


「ようやく薔薇様とご対面だな……、っ!」


 男は室内で一歩足を踏み入れて、クラウディアを認めた瞬間、目を大きく見開いた。


「……っ!」


 クラウディアもまた、彼を見た瞬間、身体に稲妻が走ったようにビリビリと震えてしまった。

 たった今、初めて会ったというのに、何故だか強烈に惹かれてしまう。

 決して真っ白ではないけれど、あまり焼けていない肌に、艶々とした黒髪。透き通るような薄紫の瞳は、切れ長でキリリとしている。

 鍛えられた体躯は、クラウディアより一回りも二回りも大きい。

 逞しい雰囲気を持っているのに、ほんのりと色気の漂う品の良さを纏っている。

 どこからどう見ても、高貴な身分の美丈夫だ。

 けれど、クラウディアが惹かれたのは、決して見た目だけではない。とにかく、心が鳴くのだ。


 ――この男性は、自分のものなのだ、と。


 お互い見つめ合ったまま、瞬きすら忘れていた。


「テレンス様、どうかなさいましたか? この方が薔薇様……クラウディア様でございますが」


 普通ではない二人の様子に、ワイマンも少々動揺しているようだ。


「……連理だ」

「はい?」

「俺の運命の相手……連理だ」


   *** 

 

 ウェントワース王国の貴族には時折『身体から甘い蜜を生む女』と『その蜜を必要とする男』が産まれる。

 蜜を生む女を『生蜜種(きみつしゅ)』と呼び、蜜を啜る男を『蜜食種(みつしょくしゅ)』と呼ぶ。

 この二種の人種は併せて『花蜜類(かみつるい)』と称される。

 蜜を摂取した蜜食種は良質な魔力を得ることができ、また吸われた方=相手の唾液を体内に取り入れた生蜜種もまた、全身に良質な魔力を溜める気が巡る。

 

 生蜜種と蜜食種には、相性というものが存在する。四種類のタイプが存在しており、蜜食種は同じタイプの蜜しか受けつけない。

 主な種類は三つ――『(オーキッド)』、『百合(リリー)』、『牡丹(ピオニー)』。

 花蜜や体臭がそれぞれの花の香りを持つことから、こう名づけられた。

 各花蜜類の頂点に立つのが三大公爵家――蜜家と呼ばれている。


 蘭の家(オーキッド)のバルビエ家。

 百合の家(リリー)のオーブリー家。

 牡丹の家(ピオニー)のクラッセン家。


 この三蜜家には上下の区別はない。それぞれが目を見張るほどの発展を遂げ、確固たる地位を築いている。

 テレンス・ヒューゴー=オーキッド=バルビエは、蘭の家(オーキッド)の嫡男として生まれ育った。髪の先からつま先まで、由緒正しい高貴な血が流れた公爵令息だ。そしてもちろん、蘭の蜜食種でもある。

 知の声を聞くバルビエ家――その異名のとおり、知識・情報収集を家是とし、国内外のあらゆる情報を収集、時には振り分け、時には売り、家を反映させてきた。

 とある田舎の村で五つ子が生まれた、というローカルな出産報告から、国王が勃起不全になり悩んでいるという、王家の超機密事項まで。バルビエ家の諜報員は、どんなところにも潜んでいる。

『バルビエ家の諜報部は、王家の諜報を凌ぐほど』と謳われる所以だ。

 しかしそのバルビエ家でも、なかなか掴めなかった情報がある。

 現国王の落胤の存在と、その行方だ。

 

 バルビエ、オーブリー、クラッセンの三蜜家を上回る蜜家――それが王家。

 王族の血を引く者にも、花蜜種は当然ながら存在する。それは王家に嫁いだ三蜜家の人間もいるが、生粋の生蜜種がいる。

 『薔薇(ローズ)』――ウェントワース王家の血を引く者の中には、薔薇の香りの蜜を生む王女が誕生することがある。

 薔薇(それ)はとてもレアで、どのタイプとも相性がいいとされている。

 『薔薇(ローズ)』には生蜜種(きみつしゅ)――つまりは王女しか存在しないため、各貴族は薔薇姫が生まれれば、降嫁先に選ばれようと必死になる。

 この三十五年ほどは薔薇の生蜜種は生まれていない。最後の薔薇王女は現国王の妹で、百合の家(リリー)のオーブリー家に降嫁していた。

 ――国内の上位貴族に与えられた王家の花蜜種情報はこんなものだ。



 実際には、十六年前に国王――当時の王太子とメイドのスザナとの間に、子が生まれていたのだが、これを知る者はほとんどいなかった。

 生まれた子――クラウディアは王家の直系にしか出ない虹色こうしょく眼を持っており、さらには薔薇乙女だった。

 苛烈な性格の王太子妃・ヴィルマにばれれば母子ともども葬られてしまうと危惧した王太子は、二人を臣下の子爵家に預けた。高位貴族だと目立ってしまうので、王都の端にタウンハウスを構える子爵家に頼んだのだ。

 王妃にも知られてはならないため、このことは極秘中の極秘で、知る者は極々少数だった。そのため、バルビエ家すら情報を掴めないでいた。

 スザナ母子は、しばらくは平穏に暮らしてきた。

 スザナはクラウディアを愛情を込めて育てていたし、クラウディアも大きな病気をすることなく、すくすく成長した。

 その平和な生活が脅かされたのは、クラウディアが四歳になった頃。

 王太子とメイドの間に虹色眼の薔薇王女が生まれていたと知ってしまったヴィルマが、刺客を送ってきた。

 その前に情報を得ていた王太子は、上手く二人を逃がすことに成功する。スザナ親子と護衛は隣国へ逃げ、追いつかれそうになっては逃げ――それでも追いつかれかけたスザナは、護衛の縁者だった平民夫婦へクラウディアを託した。王族の証として王太子から贈られたペンダントを子の首にかけて。

 スザナと護衛は刺客に襲われた後、行方不明になった。


 平民夫婦は、隣国のさらに反対側の国境そばの村で、ひっそりと、自分の子のようにクラウディアを育ててくれたが、十年後、追っ手はやはりやって来た。

 夫婦とクラウディアが国境を越えて逃げた先は、サーハン王国だった。この国が虹色眼を厭う国だと知らないまま、入国してしまったのだ。

 刺客に追いつかれる前に、クラウディアの髪を短く切り、男児の服を着せてクリフと名乗るよう教え、彼女の身柄を教会へ送り届けた。

 そして罠をしかけた場所に刺客を引きつけ、始末した。残念ながら相打ちになり、育ての親は亡くなってしまったが。

 それからのクラウディアは、クリフとしてひっそりと生きてきた。どれだけ虐げられても、どれだけ屈辱的な目に遭わされても、ひたすら我慢した。

 生きるために。

 でなければ、命を賭して逃がしてくれた両親たちに申し訳が立たないからだ。

 身体中が傷だらけになっても、垢だらけになっても、男として過ごし、なんとか純潔は守り抜いた。

 それも危うく奪われそうになったものの、間一髪のところでワイマンに助けられたのだ。


 バルビエ家がクラウディアの存在を知ったのは、彼女がウェントワースを出てからだ。知の声を聞く家にしては後手に回ってしまったが、王妃にさえ気づかれてはならなかったことを鑑みれば、致し方ないのかもしれない。

 それでも他の蜜家が知らなかった落胤の存在と、王家すら掴めていなかったその所在地を、どこよりも先に手に入れられたのは、バルビエ家の面目躍如、といったところか。

 もちろん、下心なしではない。むしろ大いにあった。王家に恩を売り、あわよくば、薔薇の乙女を蘭の家(バルビエ)に降嫁させようと目論んでいた。

 三十五年前の薔薇の乙女は、オーブリー家に嫁いだ。婚姻の相手は百合(リリー)の蜜食種である公爵令息。薔薇(ローズ)の生蜜種の王女を娶った令息は、神の加護を得たかのように才覚を見せ始め、今では一族の王として不動の地位を築いている。

 だからこそ、今回は遅れを取るわけにはいかなかった。それが知の声を聞く(・・・・・・)バルビエ家の矜持だった。

 そしてそれは、次代の公爵であるテレンスの悲願でもあった。

 国内外に情報網を張り巡らし、ようやく掴んだ落胤の情報。王女であり、しかも薔薇の乙女と聞いたテレンスは、全身が総毛立った。


 予感がした。

 それが何か分からないが、衝動のまま、とにかく動いた。


 馬を駆って五日ほど――ようやく辿り着いた宿に足を踏み入れた瞬間、予感は確かな存在となった。それは、彼女の部屋に近づくにつれ大きくなり。

 クラウディアの姿を認めた刹那――予感の正体にようやく気づいた。


「……連理だ」


 蜜食種と生蜜種の間には、唯一無二の相手である『連理』というものが存在する。蜜の種類は関係なく結ばれる絆で、本能で惹かれ合う。

 そして、お互いの蜜と唾液を交換すれば、体内は大きく美しい魔力で満ちるという。

 連理の魔力は、彼らの体内を浄化する。また彼らの魔力を流した魔導具は、性能が格段に向上するという。

 連理を見つけた花蜜類は、幸せと成功を約束されたも同然で。

 バルビエ家にとっては、繁栄をもたらす幸運の女神を手に入れたと言える。

 けれどクラウディアを目にした瞬間、ここに来るまでに頭に描いていた利益や打算など、すべてが吹き飛んだ。

 家の名誉や王家への恩もどうでもいい。


 とにかく、目の前の運命の女性を手に入れたくて、愛したくて、結ばれたくて、全身が溶岩のように熱くなった。


   ***


「あ……」


 高貴な美丈夫に見つめられ、クラウディアの身体が熱を持つ。


「あなたも感じますか?」


 男は一歩二歩と進み出て。クラウディアの手を取り、甲にくちびるを落とす。

 触れられた部分から、灼熱の粘液が流れ込んでくるようで。


「っ」


 心臓が大きく跳ねた。

 何故か分からないけれど、この男性(ひと)がキラキラと輝いて見える。こんなことは初めてで、困惑してしまう。


「私は、ウェントワース王国、バルビエ公爵家嫡男、テレンス・ヒューゴー・バルビエ。……あなたの『連理』です」

「れん……り?」

「運命の相手、です。あなたも私に惹かれているはずだ」

「惹かれ……」


 確かに、クラウディアの全神経がテレンスに向かっている。彼の一挙手一投足を逃さないよう、つぶさに見つめている自覚もある。


(これが……惹かれるということ……?)


 お互い、少しも視線を外さずにいると「テレンス様」と、傍らから極めて冷静な声が聞こえた。


「クラウディア様が『連理』というのは、誠でございますか?」

「嘘なんて言うはずがない。俺の中の蘭が咲き誇っているのが分かるし、力が満ちてきている。クラウディア様の薔薇も綻んでいるだろう」


 訝しむワイマンに自信に満ちた言葉を返したテレンスは、同意を促すようにクラウディアに視線をずらした。


「私……テレンス様を見ると、なんだかドキドキして。胸の中で焼けた石を抱いているように熱くて……どうしてしまったのでしょうか」


 赤らめた頬を両手で押さえるクラウディアを目にしたテレンスが「なんて愛らしいんだ……」と、うっとり呟く。


「でしたらテレンス様。まずは大神殿で連理の証明をいただきましょう。それとともにクラウディア様を王城にお連れした方がよろしいかと。クラウディア様を確実にバルビエ家にお迎えするには、隙のない準備をなさってください」


 連理が連理であることを他人に知らしめるには、大神殿で運命の相手であると証明してもらわなければならない。神具を使った祈祷により、それが分かるのだという。

 クラウディアがテレンスの連理であると証されれば、バルビエ家への降嫁が確実になる。

 しかしそんなことよりも、テレンスは一刻も早く二人が連理であるとウェントワース中に知らしめたかった。まだお互いのことを何も知らないというのに。

 出逢って間もないこのか弱い女性に、すっかり心を奪われてしまっている――テレンスがこのように今の心境をすっかり打ち明けてくれるものだから、クラウディアは顔が真っ赤になってしまう。


「あの、ワイマンさん。王城(・・)に連れていく、というのは、どういうことなのでしょうか……?」


 ワンマンの言葉の中に、自分には縁遠い単語が聞こえた気がしたので、テレンスに対するものとはまた別なドキドキが、クラウディアの心を騒がせた。


「ワイマン……クラウディア様に何も話していないのか?」

「テレンス様からお伝えした方がよろしいかと判断いたしましたので」

「そうか……」


 テレンスは大きく一息ついて。それからクラウディアの前で跪いた。ワイマンやその場にいたメイドも続いて跪く。


「あなたはウェントワース王国第二王女、クラウディア様であらせられます。胸に掛かるペンダントの紋章こそが、あなたの出自を示すもの。どうぞ、私たちとともに生国にお帰りください」

「わ、たしが……王女?」

「あなたのご母堂は正妃ではございません。しかし間違いなく、王の血を引く姫であります。ウェントワース王家の血を引くお方は皆様、必ず虹色眼をお持ちです。あなたのその宝石のように美しい虹色の瞳は、ウェントワースではこの上なく高貴である証明――その眼で生まれたことを、どうぞ誇りになさってください」


 テレンスが語る言葉を、クラウディアはぼぅっとしながら、どこか他人事のように聞いていた。

 今までこの国で平民以下の扱いを受けてきたというのに、実は王女だったと聞かされても、おいそれと信じられない。

 けれど、持って生まれたこの眼が忌むべき存在ではないというその国に、行ってみたい気持ちを抑えられなくなった。


「私……自分が王女だなんて、未だ信じられません。でも、この眼でいても許される国なら、是非行きたいです」

「それは重畳。……そして、私があなたの運命の相手であることも、少しずつでかまわないので、受け入れていただけませんか? あなたを生涯大切にすると誓います。それに、あなたが私を信頼し受け入れてくださるまでは契らないことも誓います」


 契る――それはまさしく心だけでなく肉体も結ばれるということだ。それを聞いて、クラウディアの心が大きく鳴った。赤らんだ頬が、ことさら濃く染まる。


「……はい、分かりました。まずは、お互いを知ることから始めさせてください」

「これから嫌というほど知っていただきますので、覚悟なさってください」


 クラウディアは決めた。つい先日まで置かれていた地獄のような環境よりも悪くなることなんてないはずだ。だから、自分の運を信じて飛び込みたい。

 それに、テレンスを絶対に離したくないと……心が叫ぶ。


(この方が私の運命というのは、間違いないのだわ……)


 テレンスが差し出した手に己のそれを載せた瞬間、クラウディアの運命の歯車は回り始めたのだった。


 

 


という感じで長編を書きたいと思っています。

これはほぼほぼプロローグ+αってところでしょうか。

連載するとなるとR18になりそう。


花蜜類はオメガバースの亜種ですかね。名づけて「ネクタルバース」。

※ネクタル=蜜 ネクターバースにしようかと思いましたが、ネクターだと某社の飲み物を連想しちゃうのでね……。

いろいろ細かい設定はあるのですが、それはおいおい出したい(連載するようになったら)

現代物としても通用するよう設定を決めているのですが、現代版だと「ネクタルバンク」なるものが存在する世界線。献血みたいに献蜜し、データ化して自分に合う蜜を出してもらう、という。

いろいろ考えるのは楽しいです。

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