手紙
朝食を終え食器を洗う――私はまだ警察官を続けている。美樹を死に追いやったアイツに復讐する――それが原動力となっていた。ハコ長にあっさりと見破られ、それがなくなった今はただ惰性で働いている。
「辞めるのはいつでもできる。もう少し悩め」とハコ長に言われてなんとなく、続けているのだ。私はどうしたらいいんだろう――まだ答えは出ていない。
支度をしているとスマホが鳴った――
美樹の母からだ――こんな時間にどうしたのだろう。「はい。長谷川です」
「真琴ちゃん。忙しい時間にごめんなさいね。これからお仕事?」
「はい――お母さん、すみません。私まだどうしたらいいか悩んでいて。これから仕事なんです」
「全然いいのよ。それに、あれは私のワガママだから聞き流してくれて構わないのよ。あの時は私もどうかしてたわ……真琴ちゃんの人生に私が口出しするようなこと……悩ませてしまってごめんなさいね。それで、今日はお仕事何時まで?真琴ちゃんに渡したい物があるの」
「今日は早番なので、夕方……う〜ん。夜になっちゃうかもしれません」
「うふふ。残業ありきだものね。こちらはどんなに遅くなっても構わないし、真琴ちゃんがお休みの日でもいいわ。ただ、できるだけ早く渡したいの」
「わかりました。今日、伺いますね」
「ありがとう。お仕事無理のないようにね。元気な顔を見せてちょうだい。今日待ってるわ」
「はい。またそちらに向かうときに電話します」
真琴はそう伝え電話を切った。渡したいものって何だろう……
あれから佑は毎晩歌をうたってくれる。今日は何の曲を歌ってくれるのだろう。選曲も良くて――そのおかげでよく眠れるようになった。やっぱり人間は睡眠が重要だ。寝ないと思考がおかしくなる。佑がなんとなくよそよそしくなったような気がしないでもないが……
「佑――仕事行くよ――」本を読んでいる佑に声をかけ一緒に出勤する。
今日も惰性でなんとか頑張るのだ。
やはり定時には上がれなかった……時計の針は18時を過ぎている。まずまずだ。美樹の母に電話をかけた――
「お母さん、真琴です。遅くなってすみません。これから向かいます」
「真琴ちゃん、お勤めご苦労様。急がなくていいから。待ってるわ。そうそう。夕食はぜひ、うちで食べて行ってね」
「ありがとうございます」真琴は美樹の実家へと向かった。
インターホンを押す――
「こんばんは。真琴です」
「真琴ちゃんいらっしゃい」美樹の母があたたかく迎えてくれた。
「疲れているところ来てくれてありがとう。急に呼び立てて悪かったわね……真琴ちゃん、ハグしてもいいかしら?」
「もちろんです」私たちは抱き合った。美樹の母はあの日以来、更に痩せていた。
「そろそろ座ってもらったらどうだ」美樹の父がリビングから声を掛けた。
「真琴ちゃん、座って」美樹の母は嬉しそうだ。私の両親はすでに他界しているから、母の温もりというものを久しぶりに味わった気がした。美樹はご両親に本当に大切にされていたのだ。
美樹の仏壇に手を合わせる。写真は警察官の制服姿だ。また、涙が溢れた……
「真琴ちゃん――」美樹の母に呼ばれ、テーブルについた。たくさんのご馳走が並べられている。
「すごい。お母さんこんなに⁉︎」真琴が涙を拭いながら驚いていると
「少し張り切りすぎたかしら?余ったら持って帰ってね」美樹を失ってから食事も喉を通らなかった。最近まともな食事をとっていないのだ。こんなに食べられるかな……
美樹の子どもの頃のこと――ずっと刑事に憧れていたこと――警察学校でのこと――刑事になってからのこと――美樹のことをたくさん話した。
美樹に会いたい――
「美樹の部屋を片付けていたらね。手紙を見つけたの。その中に真琴ちゃん宛の物もあったわ」
美樹の母がそっと手渡してくれた。薄いピンクに桜の花が散っている――綺麗な封筒だ。
「石田くんにも渡しておいてくれる?」石田の分もあるのか――あいつ喜ぶだろうな――
「手紙にね、警察官になることを許してくれてありがとうって書いてあったの。最高の人生だったって――もし、私たちが反対して何か違う道に進むことになっていたら、私たちを恨んだかもしれない。だから、感謝しているってね。私たちを残していってしまったけれど……あの子の手紙を読んで、ほんの少し救われたわ……」美樹の母は泣いている。でも、葬儀の日の涙とはまた違う涙を流している。
「みんなで前を向いて生きていきましょう。あの子がそう望んでいるわ――」
この手紙を読めば報われるのだろうか……美樹のいない現実をただ突きつけられるだけではないのか……
「真琴ちゃん、時々こうやって私たちに顔を見せてくれないかしら」真琴が驚いて顔を上げると、美樹の両親が微笑んでいる。
「――もちろんです」真琴は一生懸命笑ってみせた。顔は涙でぐちゃぐちゃだ……
「約束よ――」美樹の母が確かめるように呟いた。
「すっかり遅くなっちゃったわね――食事詰めるから、少し待ってて」美樹の母は慌ただしく席を立った。
「真琴ちゃん、気をつけて帰ってね。それで、またいつでも遊びにいらっしゃい」
「ごちそうさまでした。また、伺います」
美樹の母はまた真琴をぎゅっと抱きしめた。真琴もそっと美樹の母の背中に腕を回す。
「離れ難いわ――」美樹の母がお茶目に笑った。
「お邪魔しました。ご飯美味しかったです」
美樹の両親はいつまでも真琴を見送ってくれた――
家に帰ると、真琴は美樹からの手紙をテーブルに置きジッと眺めている。
「読むの怖いな……この手紙を読んで、自分がどうなるのかがわからない」震える手を自分で強く握り押さえた。
「もしかしたら、前に進めるかもしれないよ。もし、それが前ではなかったとしても……今この場から動けるきっかけになるかもしれない。読んでみたらいいんじゃないかな。僕がここにいるから――」なるほど。そうかもしれない。永遠にここに留まり続けるよりはいいのかもしれない。佑に背中を押され封を開けた。
真琴へ
まさか、退官したりしてないよね⁉︎
私がいなくなってメソメソしてるんだろうけど、そういうのいらないから‼︎
きっと、私のことだから、犯人と差し違えてしっかり逮捕もされてるだろうし悔いは全くないよ。タダでは死んだりしないからね‼︎
それでね。真琴にお願いがあるんだ。
どうせ私たちは結婚できないんだからっていつも話してたでしょ?
だから、私の意志を継いで日本の平和を守ってちょうだい。ってこんな大それたことじゃなくていいんだ。たった一人でも救えたら……私たちのやってきたことって物凄くクールだと思わない⁉︎
真琴がこっちに来たらまたいっぱい話聞くからさ‼︎
それまで頑張ってほしいな。警察官続けてほしいな。
私は警察官である真琴が大好きなんだ。
尊敬してる。
よろしくね。
見守ってるからね‼︎
美樹より
なんだか拍子抜けしてしまった……もっと泣かせるようなことがビッシリ書いてあるのかと思ったら――美樹のワガママがただ綴られているだけじゃないか――
「なんだかなぁ……」
でも、真琴にはこれで十分だった。ハコ長の言っていたのはこういうことだったのかもしれない。美樹らしい最高のエールだ。そうだ。底抜けに明るくてよく笑う美樹が大好きなのだ。その明るさにいつも救われていたのだ。今だって――美樹ありがとう。美樹のために続ける。いいじゃないか。うん。悪くない。私、警察官続けるよ。明日、石田にも手紙渡してやらなきゃな。
「佑――今まで心配かけてごめんね。私もう大丈夫かも」佑に笑いかける。
「うん」僕は頷いた。真琴が前を向けた。やっと真琴が笑った――僕も心から嬉しい。
「天国に行ったらまた美樹に会えるの?」
「僕はまだ天国に行ったことはないんだ。まだ、成仏してないから……」