あなただけでも
美樹の葬儀にはたくさんの警察官が訪れている。外は雨。しとしとと振り続ける雨がこの気持ちを一層深く落としていく。美樹の両親は気丈に振る舞いたくさんの参列者に頭を下げていた。葬儀が一通り終わると美樹の母に声を掛けられた。
「真琴ちゃん。今日はありがとう」真琴は深々と頭を下げた。美樹の実家にも何度か遊びに行ったことがあり、ご両親とも顔見知りだ。
「真琴ちゃん。美樹は刑事として本当によく頑張ったと思うの。仕事に誇りを持っていた。いつか、こういう日がくるかもしれないって覚悟はしていたわ。でも、やっぱり悔しくて……警察官なんてやっぱり辞めさせておけばよかった……」美樹の母が私の手を優しく包んでくれた。その手は震えている……
「お母さん、すみません。私……本当に何と言ったらいいか……美樹と配属は違ったけど、一緒に頑張ってきました。美樹がいたから頑張れたんです。だから、この先どうしたらいいのか、どうするべきなのか答えが見つかりません……」真琴は美樹の母の手を握り返した。
「真琴ちゃん。私が美樹に言えなかったワガママをあなたに伝えてもいいかしら?」何だろう……真琴は顔を上げた。
「警察官を辞めてほしいの」真琴は美樹の母の目をしっかりと見つめる。一語一句逃したくない。
「美樹と同い年で、一生懸命市民のために尽くすあなたが、美樹と同じように……犠牲になってしまったら……だってあなたたちまだ、24歳なのよ……たった24年しか生きていないのに……あんな奴に……美樹が……私……もう……どうしたらいいのかわからないの……」美樹の母はその場にしゃがみ込んで、泣き崩れてしまった。私も美樹の母を抱きしめ一緒に泣いた。私たちはこれから、どうやって生きていけばいいのだろう……美樹を失い、それぞれが途方に暮れていた。
美樹の葬儀を終え翌日から私は仕事に復帰した。親友の死を乗り越えて、これからも頑張っていこうと考えた訳ではない。答えはまだ出ていない。ただ一つ、真琴にはやるべきことがあるのではないか……そう考え戻ってきた。
真琴が仕事に戻った。いつも通りとはいかないが、さすが真琴だ。そつなくこなしている。時々ボーッとして何か思い詰めた表情をすることと、射撃場に通うようになったことを除けば真琴はいつも通りだ。どうして射撃場に通うのかと聞いたときは
「腕が鈍るといけないから」と言っていたが、本心なのか。僕は誰よりも真琴の側にいるけれど、今、心は遠く離れている。真琴は心を閉ざしてしまった。寂しさと歯痒さがただただ募っていく。
今日は珍しくハコ長に飲みに誘われた。全く気がすすまない。
「ハコ長に酒は飲むなと言われて、きちんと守ってます。このまま守らせてください」と断ってみたが
「これは命令だ」と言わてしまった。
ハコ長の行きつけだという居酒屋に着くと石田が座って待っていた。石田もハコ長に呼ばれたらしい。益々帰りたくなった。
「今日もお疲れ様」3人はビールで乾杯した。みんな黙っている。周りの客の声がザワザワと聞こえる。
「酔わないうちに話しておこうかな。君たちも上司の話を長々と聞くのは嫌だろうしね」ハコ長がそう切り出した。
「私も同期であり、親友を殉職で失っている。一人や二人じゃない。長くこの仕事をしていると、そういったことには本当に多く出くわす。その度に石田くんの様に休職したり、長谷川くんの様に復讐を考えたりした」真琴はドキッとした。ハコ長は全てお見通しだったのだ。
「もちろん、退官も何度も考えた」
ハコ長は続けた
「再逮捕が何度も行われ、裁判所に護送されるまでかなりの日数がかかる。それまでにその復讐心は消えることになると思うよ」真琴には信じられない。
「というか、亡くなった友がそれは間違いだ。お前は警察官であり続けろって伝えにくる。様々な形でね」
「今は無理に前に進もうとしなくていいんだ」
「ハコ長はなぜ今も警察官を?」石田が尋ねた。
「う〜ん。なぜ……だろうね。これは私の意思であって、そうではないって言うのかな。結局いつもアイツらが背中を押してくれてる。なすがままにってやつだよ」
わかったようなわからないような何とも掴みどころのない話だ。
「道に迷ったお年寄りを保護したことがあってね。その老人は認知症が進んでいてかなりボケていたんだ。その人に。警察官になるだなんて変わっている。しかし、この仕事は変わり者にしかできないのかもしれない。君みたいな変わり者が世の中を支えているんだ。いつもありがとう。そして、これからもよろしく。と言われたんだ。仲の良かった同期を亡くしてすぐのことだった。退官を考えていてね。もう辞めるんだから全てどうでもいいと思いながら働いていたんだ。自分の名前もわからないような老人が、急にハッキリとした口調で私の目を見ながら語り始めたから驚いたよ。ああ。アイツが辞めるなって止めに来たんだなって思ったんだ。不思議な話だけど、その後もいろんなことがあったよ――」
ハコ長は寂しそうだ。こんなハコ長見たことない……。
「さあ、食べて帰ろうか。明日も早いからな」
食事を終え、ハコ長は帰っていった。
「長谷川くん、明日も待ってるよ」と真琴に声を掛けて。
「ハイ……」
方向が同じ石田と並んで歩く。石田がポツリ――ポツリと話し始めた。
「俺も考えてた。復讐――」
「休職していれば拳銃を持たずにすむからな。お前の気持ちよくわかるよ……」
「何で俺、こんなキツい仕事選んじゃったんだろうな。ハハハ」
「石田はthe警察官って感じだもんな。なるべくしてなったんだろ」私はぶっきらぼうに言った。
「美樹も警察官であることに誇りを持ってた。優しくて強くて……」そこまで言いかけてやめた。また、涙が溢れてしまう。
「まぁ、お互い犯罪者にならないように気をつけなきゃな。高坂が悲しむだろ。それじゃ、おつかれ〜」石田はトボトボと帰っていった。その背中があまりにも小さく見えて驚いた。
家に帰るなり、真琴はソファに転がってしまった。何か話したいけれど、何も思いつかない。真琴は復讐を考えていたのか……僕には真琴を救うことができないのだろうか……真琴の側にそっと腰掛ける。ただ、そばにいること。僕にはこれしかできない――
真琴の手が僕の頭に触れた……気がした。振り向くと「やっぱりすり抜けちゃうね」真琴が悲しそうに微笑む。
「最近、佑と全然話してなかったなって思って。なんか自分のことでいっぱいいっぱいで……ごめんね」
「いいんだよ。寂しくないって言ったら嘘になるけど……いや……うん……寂しい。正直に言うよ。真琴が遠くにいってしまったみたいで寂しい。僕に何かできることはないかな?」どんなに考えてもわからない……素直に聞いてみることにした。
――真琴は何も言わない。
僕はそっと真琴の唇にキスをした。もちろん、触れることはできなかったが……真琴が驚いている。
「えーっと……何?」
僕はもう一度キスした。僕が側にいるから。だなんて軽々しく言えない。ただ、こんなにも真琴を思っていることを伝えたかった。誰よりも真琴の幸せを願っている。だから、もう泣かないで……
「――佑 歌うたえる?」少し考えてから真琴はこう言った。僕は少し驚いたけれど、歌は嫌いじゃない。少し緊張するけれど……恐る恐る歌い始めてみた。
真琴はどんな顔をしているんだろう――
「私好きだよそのうた。もっとうたってほしいな」
良かった……真琴が喜んでいる。僕は続けた――
澄んでいてとても綺麗な歌声だ。悲しみで満ちていた心が少しずつ解けていく……なんだ、佑にもあるじゃないか。素晴らしい才能が。瞼が重くなってきた。美樹が亡くなってから、眠れない日が続いていた。佑の歌声に包まれて――真琴は深い眠りに落ちた。
「佑――大好き」