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初出勤

「おはよう」

「おはよう――ございます」

 いつもと変わらない朝だ。こいつがいることを除けば……

 私の日課は出勤前にひとっ走りすること。

「ちょっと走ってくるけど、一緒に行く?」

「はい」佑は頷いた。なんというか……とても陰気臭い奴だ……

 私は朝のヒンヤリした空気が好き。とても気持ちが良くて、元気が出る。神経が研ぎ澄まされる。といった感じだ。今日も一日頑張れそうだ。いつものコースをさらっと流し家に帰ってシャワーを浴びる。しっかりと朝食を食べ、いざ出勤。家をでる前に確認しておきたいことがある。

「そういえば、佑のことが見えるのって私だけなんだよね?他の人には見えないんだよね?」

「はいっ。他の人には見えません」佑は答えた。

「そう……あのさぁ。敬語やめない?家の中でもそれって疲れるよ。それと、職務中は話しかけてこないでね。周りの人に一人で喋ってるって思われると嫌だから。あと、くれぐれも変なことしないでよ」

「わかり……っ。えーっと、わかった。」何ともぎこちない。本当にわかったのか……思わず苦笑いだ。

「じゃあ、出ようか」一抹の不安を抱えながら玄関のドアを閉めた。

 私は交番に勤務する警察官。大変なことも多いけど、やりがいを感じている。なんとなく、自分にも合っていると思う。おばあちゃん子だった私は祖母と過ごすことが多く、祖母は刑事ドラマが大好きでよく一緒に観ていた。

 祖母は近所の交番のおまわりさんとも仲が良く、おしゃべりしによく交番に寄っていた。私が警察官になったら、祖母が喜んでくれるんじゃないか。そう思って警察官を志した。夢を叶える前に祖母は亡くなってしまったけれど、きっととても喜んでくれていると思う。

「ここが私の職場。着替えてくるから、待ってて」

「ハコ長。おはようございます」

「おう。おはよう〜」

 真琴は上司らしき男性に元気に挨拶をして、交番の奥へと入っていった。

「警察官なんだ。すごいな……」佑は思った。多くのことから逃げ続け、最後には自分の人生からも逃げ出した。自分のことで精一杯だった僕とは全く違う。自分の情けなさに泣きそうになっていると、制服に着替えた真琴が出てきた。僕の顔を一瞬見て、視線を逸らせた。泣くのを堪えていることを気づかれてしまったかもしれない。それで、呆れたのかも……昨日からしっかりと僕を見て話してくれたことが嬉しくて少し調子に乗っていたのかもしれない。「僕にはそんな価値は無い」改めて自分自身にそう言い聞かせた。


「おはようございます。真琴ちゃんいらっしゃる?」ニコニコしながら、お年寄りが立っている。

「喜代さん。おはようございます。ちょうど今出勤したところで」真琴がにこやかに答えた。

「その頃かなと思って。時間に合わせて来ちゃったわ。うふふ」

「さぁ、どうぞ。入って」真琴はお年寄りを招き入れた。

「お邪魔しますね。横田さんもおはようございます」喜代さん。というそのお年寄りは迷いなく、パイプ椅子に腰掛けた。

「おはようございます。喜代さん」真琴が「ハコ長」と呼ぶ男性もにこやかにそう答えた。

「麦茶どうぞ」真琴もお年寄りの向かいに腰掛けた。

「まぁ。ありがとう。だいぶ涼しくなってきたとはいえまだまだ暑いわね。これだけ暑いとあなた達も大変でしょう。梅干しでも差し入れしてあげたいけれど、受け取ってもらえないし……残念だわ」

「喜代さん。お気持ちだけで充分です。大変ですけどね。私たち丈夫なので――それにしても暑いですね。天候はどうすることもできないしなぁ」真琴がいらずらっぽく笑った。お年寄りもとても楽しそうだ。

「昨日は面白いテレビがやっていて」とか「朝食には何を食べた」とか延々喋っているのを真琴が「うんうん」と聞いている。真琴は聞き上手だ。

 ひと通り喋り終えた後

「さぁ、そろそろお買い物に行かなくちゃ。真琴ちゃん、いつもありがとう」

「また、元気なお顔見せてくださいね。明日もこの時間にいますので」

 お年寄りの顔が更に明るくなった。

「ありがとう。また来るわ」交番の外に出て真琴はいつまでも見送っていた。

「さてと、何から始めようかな」真琴が席に着くと同時に電話が鳴った。

「長谷川君、本庁でヘルプ要請だよ。行ってあげて。虐待児保護したって」

「わかりました」真琴はパトカーに乗り込む。やっと真琴と二人きりになれた。何か話さなきゃ。

「すごく忙しいんだね」気の利いた言葉は全く出てこない。佑は改めて自分自身に呆れた。真琴は前を向いたまま。しっかりとハンドルを握っている。人差し指を口元に当て「シーッ」とポーズした後フロントガラスの上の方を指差した。ドライブレコーダーだ。ここでも真琴に話しかけることはNGだ。やはり仕事中は黙ってついていこう。少し寂しいけれど。

 本庁に着き、廊下を歩いていく。前から大柄な男が歩いてくる。だんだんこちらに近づいてくる……真琴の知り合いかな?あっ危ない‼︎危うくぶつかるところで真琴が避けた。何とも軽やかだ。ホッとしたのも束の間。なんとその男は

「なんで女がこんな所にいるんだ?あぁガキのお守りか。女にはピッタリだな。ガッハッハ」と何とも嫌味ったらしく言った。

「何がおかしい。オマエは自分の横幅を考えろ。それとも真っ直ぐ歩けないのか?」真琴はその男をキッと睨んでから何事もなかったかのようにまた歩き出した。

 男は顔を真っ赤にしている――


 真琴はドアの前に立ち一呼吸置いてからドアをノックした。

「失礼します」ドアを開けると窓際に置かれたパイプ椅子に座る少女がいた。小学校高学年……5年生ぐらいだろうか。身体は驚くほど細い。着ている服も…ボロボロだ。窓の外を見ているのか。こちらには全く見向きもせず、挨拶も無い。

 少女の背中に向かって真琴は話しかける。

「はじめまして。長谷川です。諸々の手続きが終わるまで私がここにいます。何かあったら遠慮なく言ってね」

「……」少女からの返事は無かった。

 真琴は部屋の隅に置いてある机で、パソコンを打ち始めた。

コンコン。ドアをノックする音。

「はい」

 年配の女性が入ってきた。

「長谷川さんお疲れ様です。何か飲み物を持って来ようと思うのだけど、何がいいかしら?」

 「ありがとうございます。では、麦茶を二つお願いします」

「麦茶二つね。わかりました。お待ちくださいね」その女性はにこやかに返事をしてからドアを閉めた。

 部屋には真琴がパソコンのキーボードを叩く音だけ。年配の女性が持ってきてくれた麦茶はもう氷が溶けてしまった。何か話さなくていいのかな……僕はずっと窓の外を見ている少女が気になって仕方なかった。

 そこでようやく真琴が話始めた。

「そろそろ、迎えが来る頃だと思う。私から少しだけいいかな?」

 少女は外を見つめたままだ。

「真里ちゃんだよね。今まで本当によく頑張ったね。今はまだ何も信じられないかもしれないんだけど、世の中には真里ちゃんみたいな子を救う制度がたくさんある。これからはその制度の元、私たち大人が真里ちゃんを全力でサポートする。ただ、真里ちゃんからのSOSが無いと大人は動くことができない。今回、真里ちゃんが勇気を出して自分自身を救ったんだ。素晴らしいことだと思う。これから先も色々なことがあると思うんだけど、真里ちゃんの気持ちを正直に話していってほしい。それだけは約束してほしい。それで、世の中案外捨てたもんじゃないなって思ってくれたら嬉しいな。何かあったらいつでも連絡して。私はここにいるから」

 真琴は「真里ちゃん」の目線に合わせ片膝を着き名刺を差し出した。真里ちゃんはゆっくりと本当にゆっくりと真琴を見つめ名刺に手を伸ばした。

 僕はハッとした。この子……子供の頃の僕と同じだ……

 ただ、僕と決定的に違うことがある。僕は周りに助けを求めることができなかった。その勇気が無かった。それともう一つ……1番苦しいときに真琴と出会えなかった。真里ちゃんはきっと大丈夫だ。僕は強くそう思った。

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