勘違い
ルミリスは折れた紐をまじまじと見た。植物を編んだ紐ではなく、赤い色のツタだ。結ばれているのではなく、そういう形として幹にくっついている。
「これはいったい……」
「いつから頼みの綱を間違えていたのか。もしかしたら最初からだったかも」
迷っているというのに、クライドは楽しそうだ。さあどうします、とにこにこしながら聞いてくる。眉を寄せて考え込んでいたルミリスは不意にぱっと顔を上げた。
「水の音。近くに川があるかもしれません」
音を頼りに向かうと、思った通り川があった。これを辿っていけば、とりあえずまっすぐ進むことはできる。
「川に沿って行きましょう。とりあえずこの森を出て、迂回したほうが良いと思います」
「そうですね。無駄にさ迷っていても仕方ありませんし。ただ、変ですよね。この森」
不気味な空気に加えて、そっくりの見た目の赤い蔦。まるで人をわざと迷わせているようにも感じられた。一つの可能性が頭に浮かぶ。
「魔物が、関わっているのでしょうか」
人の住む街の近くに巣をつくっているのであれば、早急に対処しなければいけない。クライドは軽い口調で答えた。
「さあ?もしそうであれば大変ですね。既に被害者もいるかもしれません。足を踏み入れたが最後、森の養分にされてしまう……」
恐怖を煽るような言葉のせいで、ルミリスは嫌な想像が頭から離れなかった。しばらく歩いて、おなかが空いたというクライドの言葉で休憩をとることにする。干し肉を一口かじったとき、ルミリスのお腹が鳴った。顔を赤くして縮こまる。クライドはコップに水を注いで言う。
「なんにも食べずに出てきちゃいましたもんね」
「全然、空腹なんて感じていなかったんですけど」
「気を張っていてそれどころじゃなかったんでしょう。もう少し軽い気持ちで追いかけた方がいいですよ」
「そうですね……」
早く追い付かないといけないと焦っていたが、体調を崩してしまってはそれこそ距離が離れてしまう。言われた通り無理しすぎずに旅をしようと決める。休憩を終えて立ち上がったときだ。ざわりと動いた気配を感じて振り返ると、来た道がふさがっていた。勘違いではない。木同士がくっついて枝を絡ませ通せんぼをしているのだ。一瞬ぽかんとして、状況を理解する。
「まさか、木に魔物が紛れているの。それとも、この森すべてが――」
予想を口にするより先に、ざざざざと葉擦れの音をさせて一斉に周囲の木が動き出した。
「おおっと!これはまずいのでは!?」
前方の道は閉じられ、密集した木が迫って来る。このままでは押しつぶされてしまう。さらに二人の後ろ、枝の先が蔓のように変化して、目にもとまらぬ速さで突っ込んでくる。
「かがんで!」
間一髪反応できたルミリスはクライドに叫ぶ。そして祈るように手を組んだ。展開された光の障壁が蔓をはじく。聖なる障壁は聖職者にしか使えない、対魔物に特化した守りだ。しかしルミリスはそれを長い間使うことはできず、また自分たちを覆うほど大きくは展開できなかった。全方向から攻撃されれば、防ぐすべはない。背中を嫌な汗が伝った。だが、周りの木々はそれ以上の攻撃をしてこなかった。むしろルミリスを恐れたように離れ始める。そして一本の道があけられた。
「そっちに行けということ?」
「従いましょう。邪魔する木を切り倒しながら進むのは現実的じゃありませんし」
クライドと共に警戒しながら進む。すると森の中にぽっかりとあいた空間に出た。中央には一本の古木がある。突然、覚えのない声が聞えた。最初は声というより音のようで聞き取りづらかったが、しだいにはっきりと言葉になる。
「ふう。人の言葉を話すのは久しぶりじゃ」
声は古木のギザギザな割れ目から発せられていた。ルミリスは小声でクライドに言う。
「木に擬態した魔物。書物で見た記憶があります。喋る個体もいるなんて」
古木は独り言のようにぼやく。
「まったく。引っ越ししたばかりだというのに、勇者がやってくるとは。だが運がいいとも言えるかの。勇者を殺せばわしの格もあがる」
勇者がここにいると勘違いしている?困惑するルミリスの横を古木の枝が指し示す。
「そやつが今代の勇者か。ふうむ。ろくに剣が振れなさそうな優男ではないか」
クライドさんが勇者だと思っているの?とんでもない誤解だ。彼を巻き込むわけにはいかない。
「あの、彼は勇者ではありません。訳あって別行動をしていて――」
「そうそう。私はただ同行しているだけの一般人です」
「何を言うか。勇者が聖女のそばを離れるわけがなかろう」
古木は信じる気がゼロだった。それでひとつの可能性に思い至る。先に森を抜けたはずのエイベルたちのことだ。もしかして、勇者パーティと気づかずに素通りさせた?
「さあ、覚悟はよいか勇者よ」
「まったく良くないです」
クライドは両手を上げて降参だと言うが無視される。地面がボコボコと盛り上がり、古木の根が現れた。根は鞭のようにしなってルミリスたちめがけて叩きつけられる。必死に飛んで回避しながら叫ぶ。
「クライドさん!何か武器はありませんか!」
「武器!?ありません!あ、調理ナイフならあります!」
「貸していただけませんか!」
ナイフが宙をくるくる回って飛んでくる。足ぎりぎりの地面に刺さった。それを抜いて両手でしっかり持つ。武器の扱いは習ったことが無い。絶望的な状況だったが、ルミリスにはある考えがあった。
聖女の力を直接あの古木に注ぐ。聖なる力が魔物にとって毒であるという事実は、ルミリスが聖女に選ばれてから最初に学んだことだ。もちろん、そんな戦い方は教会で習っていない。どうしようもなくて思いついた無謀な方法だった。
四方から襲い来る根を避けながら本体に向かって走る。逃げてばかりだった獲物が急に突っ込んできたことで、古木の反応が遅れる。足をかすめた根が薄い皮膚に切り傷をつくった。ルミリスは痛みを感じて顔をしかめたが、足を止めずに走り続ける。根の下をくぐって古木の目の前に出たときだ。
根が脇腹を打って一瞬意識が遠のく。ガクッと膝が沈んだが気合でぐっとこらえ、伸びきった根の隙に飛び込んだ。幹のギザギザの口にナイフを差し込んで九十度にねじる。そしてそこに手を突っ込んだ。
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ひゅうとクライドは口笛を吹く。森は元のように静まり返っていた。古木の傍にはルミリスが倒れている。
「やりますね。こんな捨て身で戦う聖女は初めて見ましたよ。大丈夫ですか」
返事はない。脈を確認して、意識が無いだけだと分かる。古木は水分が抜けきったように表皮がしおしおになって、枝からは葉が全て落ちている。枯れかけのそんな状態でも、死んではいなかった。クライドは正面に立って話しかける。
「あっけなく負けてしまいましたね。今どんな気持ちですか」
「勇者……」
「じゃないです。人の話はちゃんと聞きましょうよ」
戦いを回避することもできたのに、こちらを侮って倒そうとしたからこうなったのだ。
「それに、長生きしてそうなわりに俺の正体に気づきませんでしたよね」
「……?」
理解できないでいる古木の幹に片手をあてる。
「いいですよ、分からないならそれで」
手が触れているところから、黒く焦げていく。じりじりと炭になりながら古木は絶叫した。
「熱っあついあつい!!やめてくれ!!」
しだいに言葉を発することもできなくなり、言葉にならない音を細く漏らす。表皮全体が黒く燃え尽きると同時にその音は消えた。
さて、とクライドはルミリスを担ぎ上げる。本体が死んだことで、周りの木々が枯れ始める。ひょろひょろになったそれらの間を通って、クライドは北西に向かった。
同じ時、エイベルたちは森の異変に気が付く。
「何だ!?」
「木が枯れていく……」
コンパスの針は一回転し、先程までとは違う方向を指し示した。