宿の騒ぎ
街に到着し、宿をとる。空いている部屋数の都合で二人で一つの部屋を使うことになり、くじでルミリスはエメラと一緒の部屋になった。部屋に入るなりエメラはベッドに倒れこむ。
「ああー疲れたー!」
正直、外から来た恰好のまま寝るのはやめてほしい。せっかく清潔なベッドで眠れるのに、汚れてしまう。やんわりと彼女に注意する。
「エメラさん。お疲れだとは思いますが、一緒にシャワーを浴びに行きませんか」
「は?私が汚いって言うの?」
「いえエメラさんがというわけではなくて」
「あーうざ。これだから箱入りは」
ベッドから起き上がって、ルミリスを上から下まで眺め、ふっと鼻で笑った。
「教会で大事にされてたんだもんね~聖女様は。ぶっちゃけどうよ、これまでの旅は。土が付くとかしんどいんじゃない?王都に帰っても良いんだよ」
どうせ役に立ってないんだから、と耳元で言い、エメラは部屋を出て行った。
そんなことはない。自分はこのパーティに必要だと頭で思う反面、彼女の言葉を否定しきれない自分もいた。食事は他の人でも用意できるだろうし、皆の関係がぎくしゃくするのも今だけだ。旅を続けるうちに自然と打ち解けていくだろう。戦い以外で貢献しようとも、最終的な目標は魔王を倒すことなのだ。自分にはそのために必要な力が欠けている。
ルミリスは歴代聖女のなかで最も力が弱かった。傷を癒すのには時間がかかるうえに、魔族の弱点を突ける聖なる力もさほど威力がない。
「いけない。後ろ向きになっては駄目」
自分に与えられた使命をまっとうしなければ。他の誰でもなく、私を選んでもらえたのだ。弱さを理由に逃げるなんて許されない。
廊下に出ると、クライドとばったり会った。
「おや聖女様。どちらへ?」
「体の汚れを落とそうかと思いまして。それから、できれば聖女ではなく名前で呼んでください」
彼は少し意外そうな顔をした。にっこり笑って了承する。
「分かりました、ルミリスさんとお呼びします」
「クライドさんは外へ行かれるんですか?」
「ええ。夕食まで暇なので、散歩してきます」
クライドは手を振って別れ、階段を下りて行った。
夕食はとても賑やかだった。次々投げられるリクエストを受けては、クライドは曲を演奏する。周りの客たちも酒を片手に耳を傾けた。昔ながらの曲は一緒になって楽しく歌う。一通り演奏して、楽器を脇に置く。
「吟遊の兄ちゃん、もっと弾いてくれよ~」
「あはは、少し休ませてください。喉が渇きました」
クライドはテーブルのコップをとって口をつける。あ、そうだと付け加える。
「こちらの方がた、勇者様ご一行ですよ」
「ええ!?あんた勇者様か!こんなところで会えるなんて俺は幸運だな!」
「娘のためにサインを書いてくれないか?」
「お会いできて光栄だわ!」
どっと場が沸き、客たちの視線が全てこちらに向く。視界の端で、クライドがくすりと笑った。こちらが慌てている中、悠々と夕食をとっている。
もう夕食をとるどころではない。ルミリスは疲れを感じながらも律儀に受け答えをする。ルーシーは早々に部屋に戻った。カタリナとエメラは一緒になって酔っ払って、わりと楽しそうだ。エイベルは女性たちに囲まれて、口では困るなと言いつつもまんざらでもなさそうな顔をしている。
一滴も飲んでいないのに、段々頭がぼうっとしてきた。人の声が右から左に抜けていく。目を横に向けたとき、おじさんに絡まれているクライドが見えた。お酒をすすめられているようだ。
「兄ちゃんも勇者様の仲間なのか?」
「いえ私は偶然ご一緒しているだけで」
「飲め飲め、おごってやるよ!マスター!とっておきの出してくれよ!」
話を聞かない男たちはわいわい騒いで、カウンターの向こうの店主は棚からボトルをとった。
「ワインですか?」
「そうそう。先代勇者様の凱旋を記念してつくられたワインだ。この素晴らしい日にぴったりだろう?」
6つのグラスをテーブルに並べてワインを注ぐ。グラスを差し出されて、ルミリスは小さく首を振る。
「すみません。お酒はちょっと。お気持ちだけいただきます」
未成年であるうえに、聖職者は祭りの日以外の飲酒を禁じられている。エイベルも同じく未成年のため、飲むことはないだろう。見るとクライドは飲み干すそばからワインを注がれてげんなりしていた。
「もっと飲めー!」
「一気、一気」
よくない飲まされ方をしている。酔いで顔をが赤くなるどころか、むしろ青くなっているように見える。クライドは口をおさえる。
「うぷ。気持ち悪くなってきた」
見ていられずルミリスは席を立つ。おじさんたちに謝ってクライドを連れだした。
廊下に出るとすう、と頭が冷えてきた。酒に浸されていない空気が肺に入って来る。肩を借りて歩きながら、クライドはぐったりとして言った。
「ありがとうございます。あんなに飲まされるとは思わなくて」
「大丈夫ですか。お水を持って来ましょうか」
「いえ、大丈夫ですよ。送ってくださってありがとうございます」
部屋のドアを開け、青い顔色で笑って片手をあげた。
「それでは。おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
食堂に戻りながら、ルミリスは欠伸する。自分も部屋に戻ると伝えよう。休めるときにきちんと休んで、体力を回復させたい。ふらりと廊下の先に人影が現れる。近づいてきたその人物は、エイベルだった。顔が赤い。
「エイベルさん、お酒を飲んだのですか?」
「うーん?ここで何してるんだ、ルミリス」
「私はクライドさんを部屋に送ってきたんです。……エイベルさん?」
詰め寄られて後ろに下がると、壁に背がぶつかった。エイベルは真顔でじっとルミリスを見下ろす。なんだか少し怖い。
「ルミリス」
「はい?あの、私疲れてしまったので部屋に戻りますね」
エイベルは壁に片手をついて行く手を阻む。そして独り言のように言った。
「好きなんだ。俺じゃだめなのか。ああいうちゃらついた男の方が好きなのか?」
「一体何を言っているんですか」
「俺は勇者なのに。聖女なら俺一筋のはずだろ」
肩に手をかけられ、ぐっと顔を近づけてくる。ぎょっとして振り払うと、エイベルはよろめいて睨むような目をした。
「ああ分かった。お前は肩書が目当てだったんだな。聖女になりたいだけで、俺はどうでもいいんだろ」
「そんなことはありません!どうしてそんな酷いことを言うんですか。私が……告白を断ったからですか」
何がまずかったのか、それを聞いてエイベルはさらに目を鋭くした。
「俺が器の小さい男だっていうのか。純粋ぶって、俺を騙しやがって。戦うときだっていつも皆の後ろにいるよな。力が無くて悪いと思わないのか」
戦えないルミリスを気づかって、後方にいるように言ったのはエイベルだ。正面切って戦うのは自分に任せろと、そう言ってはつらつと笑った顔が頭に浮かんだ。
目の前にいるエイベルは、ルミリスへの不満を矢のように浴びせかける。何も言えなかった。視界が滲んで、涙が頬を流れる。はっとしてエイベルは言葉を止めた。
「待ってくれルミリス!」
彼の呼ぶ声を振り切って、その場を逃げ出した。勢いのまま外に飛び出す。向かいの酒場から出て来た客が何事かとルミリスを見た。その視線から逃れて馬屋に身を隠す。中には体を休めていた馬が2頭いた。首だけこちらに向けて、また目を閉じる。
「ごめんなさい。少しだけ、ここにいさせて」
こんな顔で宿には戻れない。同室のエメラは自分を笑うだろうか。彼女に弱さを見せるのは嫌だ。はー、と息を吐く。藁の上に腰を下ろすとどっと疲れを感じた。膝を抱えて顔を伏せる。大丈夫、エイベルは酔っていたんだ。明日になればまたいつもみたいに戻れる。