森の中で
翌日、一行は森へと入っていた。ここを抜ければ街へ着く。ルーシーが疲れた顔をして言う。
「はぁ、早くお風呂に入りたい」
「もう少しです。頑張りましょう」
急に辺りの木から鳥が飛び立ち、ざわざわと葉擦れの音を立てる。空気が変わった。全員気を引き締めて、正面を見据える。枝を折る音と地面を踏み荒らす音が近づいてきていた。剣を構えたエイベルとカタリナが前に立つ。カタリナが僅かに首をかしげる。
「……これは人間の声か?」
叫び声だ。どんどん近づいてきたそれは、茂る草からばっと飛び出した。
「うわぁあああ!!」
若い男だ。そのすぐ後ろに現れる巨体。人の背丈をゆうに超えるイノシシは荒ぶる鳴き声をあげた。エメラが叫ぶ。
「はあっ!?アンタあれ倒したの!?」
「まさか!私が倒したのはもっと小さかった!」
追いかけられていた若い男は、勇者一行に気づくとぱっと顔を明るくする。
「ああっ!そこの君達、助けてくれ!」
「うわこっちに来るな!」
エイベルが叫ぶが男は全力で走って来る。木の根をスライディングで潜り抜けてパーティの中に飛び込んできた。
追ってきていたイノシシは根に躓き、逆立ちのように後ろ足が持ち上がる。その体は空中で反転した。逃げろと誰かが叫ぶ。全員一斉に道のわきに飛んだ。
地面が揺れ、イノシシは苦悶の声をあげる。仰向けになってバタバタともがいている。ルミリスははっとして辺りを見た。あの男の人は大丈夫だろうか。
「ひいー。危なかったですね」
彼はすぐ後ろにいた。よっこいせと立ち上がって、反対側に避けたエイベルに言葉を投げる。
「剣士様、チャンスですよ!奴は今動けません!」
「はっ?」
先に衝撃から立ち直って動いたのはカタリナだ。周りを駆け抜けながらイノシシを切りつける。しかし巨体のために大したダメージになっていない。続いて離れた位置からルーシーが炎の魔法を放つ。火に体全体が飲まれて表面が焦げる。イノシシは何とか起き上がろうと体をよじった。
「下がれカタリナ!」
エイベルはイノシシを正面に見据え、近づきながら聖剣を抜く。刀身が陽の光を受けて白く輝いた。
「はあっ!」
下から上へ、イノシシの体を剣が通り抜ける。一瞬の後、イノシシは真っ二つに分かれた。チン、と剣を鞘に納める音が聞こえ、森は静まり返る。
呆然としていると拍手の音がすぐそばで起こり、ルミリスはびくりとした。
「凄い!あなた方はいったい何者ですか!?」
若い男はエイベルに歩み寄る。エイベルは褒められて気をよくして答えた。
「あーまあ、勇者だとか呼ばれている者だ」
「なんと!あなた方は勇者様ご一行なのですか!」
男は羽の付いた帽子を脱いで、興奮した様子でパーティメンバーの面々を見た。
「申し遅れました。私は吟遊詩人のクライドと申します。どうか街までご一緒させていただけませんか」
「皆、どうする?」
「いいんじゃない?またこの人魔物に絡まれそうだし」
街までの間、吟遊詩人がパーティに加わることになった。
クライドは勇者パーティの話を聞くのが楽しくてしかたないらしく、会話が途切れることがない。和やかな空気が流れていた。昼頃になり、休憩をとる。ルミリスは先程解体したイノシシの肉を使って昼食を作り始めた。
「ちょっともったいないよねー。ほとんど置いて行くなんて」
「持ち運べないから仕方ないわね」
エメラとルーシーは倒木を椅子がわりにして足を休める。切り株を調理代替わりにして、ルミリスが食材を切っていると、隣に影がさした。
「手伝いますよ」
「え、いえクライドさんは休んでいてください」
断ったがエメラが軽い調子で言う。
「いいじゃん手伝ってもらえば。アンタの料理ばっかりじゃ飽きるし」
「それなら……パンにはさめるようにお肉を切って焼いていただけますか?私はスープを作りますから」
「分かりました」
クライドはにっこり笑って、手際よく調理を始める。彼は自身のリュックから調味料を出してそれで味付けをした。見たことがないものもある。
「たくさん調味料を持っていらっしゃるんですね」
「料理が趣味なんですよ。一人旅だと退屈で、最近覚えました」
出来上がったサンドイッチは好評だった。
「うまっ!なにこれ食べたことない味!」
「うん、スープもよく合う」
「クライドさん料理上手なんだな」
ルーシーは褒めなかったが、口に運ぶ動きが止まらないのを見るに、気に入ったのだろう。クライドは照れくさそうにはにかんだ。
「ところで、ちょっとお尋ねしてもいいですか?」
「なんだ?できるかぎりで答えるぞ」
エイベルは胸を張って嬉しそうにそう言う。短い時間ですっかり気を許していた。クライドはさらっと何でもないような口調で尋ねた。
「どうしてエイベルさん以外、皆女性なんですか?」
「……あー」
エイベルは言葉に詰まった。確かにルミリスも最初、不思議に思った。教会で聖女が選ばれ同行するのは昔からの決まりだったが、他の仲間がこうも女性で揃うものだろうか。顔合わせのときに聞いた話では、優秀な人を集めたらこうなったということだった。ルーシーがスープの器を置いて言う。
「エイベルが候補の中から選んだのよね」
「そうだったな。勇者の仲間に選ばれるのはとても名誉なことだ。感謝しているぞ、エイベル」
「一番優秀な人を指名したら、偶然今のようになったのですか?」
「ああ、そうなんだよ。実力第一で決めたかったからな」
エイベルは、はははと笑う。
「そうでしたか。歴代の勇者様とは違うようなので、不思議に思っていたんですよ。いやー、話してみるととても魅力的な方々だ。ぜひともあなた方の活躍を詩にしたい!」
よろしいですかと聞かれ、エイベルは二つ返事で了承した。
「ありがとうございます!お礼に一曲奏でましょう」
荷物からリュートを取り出した。演奏したのは古くから人々の間に伝わる曲だ。穏やかな低い声が、旅する龍の物語を歌う。演奏が終わったとき、ルミリスは自然と小さく拍手していた。
「ご清聴ありがとうございました」
この物語は、ルミリスが最も好きな話だった。幼い頃、教会を訪れた楽師が演奏していたのをよく覚えている。龍の物語は全部で4つの詩があるが、自分は最初の1つしか聴くことができなかった。聞き惚れていたのをシスターに見つかって、怒られてしまったんだっけ。
過去に飛んでいた意識は、エメラの称賛する声で戻って来た。
「めちゃめちゃ上手いじゃん!もっと聴きたい!私王妃様の物語が好きなんだけど、それは弾けないの?」
「一番人気の話ですね。もちろん弾けますよ」
喜ぶエメラの肩を軽くたたいて、カタリナが立ち上がる。
「水を差すようで悪いが、そろそろ休憩を終えなければ。森を抜ける前に夜になってしまうぞ」
「ええ~?いいじゃん少しくらい」
「駄目だ。大猪のように強力な魔物が他にいないとも限らない。明るい内に行動したほうがいい」
宿に着いてからお願いすればいいだろうとルーシーに言われ、エメラは渋々荷物を持った。