突然
フクロウが鳴いている。柔らかい月光が降り注ぐ川で、ルミリスは夕飯の材料を洗っていた。ひんやりした水の中で、ハート形の葉がひらひらと泳ぐ。旅をしていると、どうしても保存のきくものばかり食べるようになってしまう。旅を始めてから数週間でそれが分かった。仕方のないことではあるが、健康を害しては旅を続けられない。そのためルミリスはなるべく食事に野菜を使うよう意識していた。食べられる野草を覚えていて良かったと思う。
そのとき草を踏む音がして、背後に気配を感じた。振り返ると、そこにいたのはリーダーのエイベルだ。よっ、と片手をあげる。
「今、ちょっといいか?」
「はい。何のご用ですか?」
手を止めて立ち上がる。正面から向き合うと、エイベルは言いずらそうに首の後ろに手をあてて、視線を彷徨わせた。涼しい風が二人の髪を揺らした。
「……あのさ」
「はい」
「好きだ。お前のことが好きなんだ」
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。空耳か、どういう意味の好きなのか、と頭の中で思考がぐるぐるする。
「急にごめん。けど、どうしても気持ちを伝えたくて」
「待ってください。好きって、どういう」
「仲間としての好きじゃなくて、彼女になってほしいって意味」
なぜ急に?行為を向けられた嬉しさよりも、困惑が上回った。そもそも自分はエイベルのことをよく知らない。彼と知り合ってから、4か月しか経っていないのだ。同じ使命を持つものとして仲間意識は持っているものの、それ以上の感情は育っていなかった。
「……ごめんなさい。私は勇者としてのエイベルさんを尊敬していますが、恋愛感情はもっていないんです」
「そんなに重く考えなくていいんだ。今は好きじゃなくても、付き合っている間に恋愛対象になるかも」
「いえ。私はエイベルさんと同じ分の気持ちを返すことができないと思うんです。もしお付き合いすれば、悲しい思いをさせてしまうこともあるでしょう。だから、ごめんなさい」
エイベルはさらに言葉をかけようとしたが、後ろを向いたルミリスを見て、口を閉じた。
気まずい雰囲気で皆のところへ戻る。焚火の横に寝転がって、魔術書を読んでいたルーシーが首をかしげて言った。
「どうしたの二人とも。何かあった?」
「いや、何もない」
「そう?」
ねぇー、と射手のエメラが不満げに言う。
「お腹すいたんだけど。早くしてよ」
「はい。すぐに作りますね」
夕食を作り始めるルミリスに、騎士のカタリナが私も手伝おうと声をかける。しかし一斉に皆から止められた。彼女は料理が苦手なのだ。以前手伝ってもらって、大変なことになった例がある。
「カタリナは座っていて。ルミリスに任せた方が早いんだから」
言われてカタリナは渋々腰を下ろした。彼女はいつもまかせっきりにしているのが申し訳ないのだろう。焚火を見ながら、ルミリスに時折居心地悪そうな視線を向けていた。
料理をとりわけて配り、皆で食事をする。エメラはぱくぱく肉を口に入れながら、野菜を端によけた。
「私この草嫌い。私のには入れないでって言ったよね」
「でも、栄養が偏りますから。もし食べられそうだったら、少しだけでいいので食べてみてください」
「無理。残す」
エメラはほとんどの野菜を食べようとしない。時間があるときは工夫するのだが、今日は急いでいてできなかった。カタリナがやんわり注意する。
「食材を無駄にしてはいけないぞ」
「は?その辺の草なんだからいいでしょ別に」
「ご飯のときに喧嘩しないでよ。不味くなる」
ルーシーがやや強めにそう言って、しばらく場は気まずい沈黙に包まれた。エイベルは目を逸らして黙々と食事をとっている。沈黙を破ったのはルミリスだった。
「カタリナさん。明日行く街ですが、以前訪れたことがあると言っていましたね」
「へっ?あ、ああ。そうなんだ。騎士団の遠征で立ち寄ったことがあってな」
カタリナは助かったというように笑顔になって、街のことを話す。場の雰囲気が柔らかくなった。エイベルも会話に混ざってくる。
「辺りの魔物はどういうのがいるんだ?」
「私が行ったときはイノシシがいたな。このくらい大きなボスがいたんだ」
カタリナは腕を大きく広げて、そのボスをどうやって倒したのか楽し気に語る。彼女の話に引き込まれて、エメラもすっかり機嫌を直した。
「それでそれで?どうなったの」
「私と先輩で協力してだな――」
ルミリスはほっとする。四六時中一緒にいるのだから、ぴりぴりした空気のままでいるのは良くない。
皆が寝静まった後、焚火を前に隣り合って座り、ルミリスとカタリナは夜の番をする。カタリナはちらりと横を見て、エメラが寝ているのを確認すると申し訳なさそうに言う。
「さっきはすまなかったな。エメラを怒らせてしまって」
「いえ、いいんですよ。私が口を出したのがきっかけですから」
「ルミリスは間違っていないさ。彼女を思ってのことだろう」
ふう、と小さく息をついて言う。
「エイベルがリーダーとして、びしっと言ってくれればいいんだが」
「……エイベルさんは、優しい性格ですから」
カタリナの言いたいことは、ルミリスにも分かる。エイベルはパーティ内で問題が起こると、自分に飛び火しないように逃げる癖がある。本来なら彼自身が割って入って関係を調整しなければならないのに。それでもいざというときは皆、エイベルの言うことを聞くのは、彼の人徳だろう。カタリナは腕を組んでううむと唸った。
「優しいだけではリーダーは務まらん。ルミリスばかりに頼っていては、この先やっていけないぞ」
「それは、そうかもしれません。でも、私はこれが自分の役割だとも思っているんです。戦いで役に立てない分、他の事で皆さんを支えないと」
「ルミリスは十分よくやっているさ。むしろもっと休むべきだ」
そのときエイベルが何か言いながら寝返りをうった。二人はぎくりと肩を跳ねさせる。幸い、目を覚ました様子はない、こちらに向いた顔はだらけきっていた。
「寝言?」
「あぁー、驚いた。ふっ、見ろあの顔を。どんな夢をみているんだ?」
むにゃむにゃ言っている声に耳をすます。9割聞き取れなかったが、ルミリスとだけ確かに聞こえた。
「夢の中でもルミリスに頼みごとをしているんじゃないか?」
呆れた様子のカタリナとは反対に、ルミリスはさっと表情を暗くした。立ち上がって、ずれ落ちた布をエイベルの肩に掛け直す。彼はまた寝返りをうって顔が見えなくなった。しばらくは彼と普通に話せそうにない。ごめんなさい、と心の中で呟いてカタリナのもとに戻る。カタリナはくあ、と欠伸した。
「お茶をいれますね」
「ふぁりがとう」