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4.籠る憎悪



 場所は再び、柘榴石高校の校舎内。

「それで、『血洗』ってどんなやつなの?」

 無人の教室の中を探索しながら、寧守は言う。教壇の上に立って教室を見まわしながら、クノカが応えてきた。

「実際に見たことはないから、なんとも言えないわね。学校霊らしいけど」

「学校霊?」

「学校から学校を渡り歩く霊のこと。場所限定の浮遊霊ってことね。あるいは移動可能な地縛霊」

「ふうん。あ、だから今度は変な場所じゃなくて、普通の教室なんだ」

 気のない返事をしながら、寧守は教室の中をうろつく。新校舎一階のこの教室には死体もなく、荒らされた様子もない。だからなのか、今までになく緊張が途切れている。

「あまり油断しないようにね。『血洗』はすでに何人も取り殺してる、危険な邪霊よ」

「わかってるってば」

 唇を尖らせて、寧守はクノカに返事をする。

「やっぱり、なんらかの妨げで磁場をたどれない……いっちょまえに隠蔽なんてしてくれちゃって、腹立たしいわね。んー、このあたりで気配を感じたんだけど……」

 ぶつぶつ文句を言いながら、クノカがふわりと、当たり前のように宙に浮く。そのままぺたりと天井に足をついて、逆さまに歩き出した。金髪の少女が天井を逆さまに歩き回っている様はなかなかにシュールだ、と寧守は妙な感心を覚える。

 人間目線では探せない場所はクノカに任せ、寧守は他の場所を探すことにした。

 ふと、すすり泣くような声が聞こえた気がして、寧守は耳を澄ませた。

 声に導かれ、寧守は教室の隅に置かれた掃除道具入れのロッカーを開ける。

 毛先が緑色のプラスチックでできたほうきや、スチール製のちりとりといったような、ありふれた掃除道具が雑然と置かれたロッカー。その中に小柄な身を縮こまらせるようにして、その少女は居た。

 年頃は寧守と同じくらいだろうか。特徴のないグレーのブレザーに紺のスカート。なぜか頭からブリキのバケツを被っていて、顔は全く見えない。ロッカーの中、掃除道具に囲まれて膝を抱えている。生き残りの生徒が、邪霊たちから逃れてここに隠れていたのだろう。と、寧守は考えた。

「えっと、大丈夫? 立てる?」

 震えている少女に、寧守は右手を差し出す。

(あれ? ブレザーって……)

 ふと疑問に思った。柘榴石高校の制服はセーラー服だ。ブレザー姿のこの少女は、他校の生徒ということになる。だが、それならばなぜ、こんな場所に?

「そいつから離れなさい、寧守っ!!」

 クノカの叫びが聞こえた。ほぼ同時に、バケツを被った少女が動き出す。

 バケツの少女は、寧守の差し出した手を取らなかった。かわりに、彼女の腕を掴み、ぐいとロッカーの中にひっぱる。予想外の動きに寧守はバランスを崩し、狭いロッカーの中に倒れ込んだ――入れ替わるようにして、バケツの少女が立ち上がりロッカーの外へ――そして。

 バンッ! と、音を立てて、寧守の周囲の世界が暗闇に包まれる。どうやら、ロッカーの外から扉を閉められたらしい。

(と、閉じ込められた!?)

 そう気が付いた寧守が、助けを求めて声を上げる、よりも早く。

 周囲を包む暗闇から突き出された無数の『槍』が、寧守の全身を刺し貫いていた。



 寧守の閉じ込められたロッカーが、ガタンと大きく揺れる。次いで、ロッカー下部の扉の隙間から、赤い血が流れ出した。寧守のものだろう。

 ガタ、ガタガタガタッ!

「『血洗』っ……!」

 クノカは奥歯をかみしめ、ロッカーの傍らに立つ、バケツを被ったブレザー服の少女――『血洗』をにらみつけた。血洗の被ったブリキのバケツが、嗤うように、ガタガタと揺れる。

 ガタガタ、ガタタタタタッ!!

 だが、次の瞬間。バケツとは違う金属音が、教室の空気を揺らした。

 ざぎんっっ!!

 耳をつんざくような金きり音を立てて、ロッカーが内側から斬り裂かれる。

 血洗は機敏な動きで、ロッカーとクノカの両方から距離をとっていた。薄いスチールが強靭な刃に斬り裂かれ、上下に分かれる。スクラップと化したロッカーの上半分を跳ね飛ばすようにして、寧守が中から躍り出てきた。全身血まみれで、体の数か所に棒のようなものが突き刺さっている。荒く肩で息をしているが、瞳には闘志が満ちていた。

「寧守!」

「大丈夫。クノカは隠れてて」

 そう告げながら、寧守は片手で体に刺さった棒を抜いて捨てた。クノカは自分に意識迷彩をかけて姿を隠しながら、投げ捨てられた棒に目をやる。寧守の血に染まったそれは途中で折れた木製の棒で、先端はとがっているというわけではなくむしろ丸みを帯びている。どんな力が働けば、人間の肌にこんなものが刺さるのか。

 ブリキバケツの向こうからこちらを見つめる邪霊に、寧守は、ゆらり、とカラキリをつきつける。

「人間かと思って心配してあげたのに、ずいぶんなご挨拶だね。……あなたが『血洗』?」

 にらみつけながら聞くと、血洗は肯定のつもりか、バケツをカタカタと揺らした。

 血洗が右手をすっと横に伸ばす。すると手品のように、いつの間にか『ほうき』がそこに握られていた。緑のプラスチック製の穂先が天井を向いている。

「ほうき……? それでどうするの?」

 寧守の疑問に応えるように、血洗が動く。

 ぶぉん、ぶぉんぶぉんぶぉんぶぉん!

 手にしたほうきを、高速で振り回す血洗。カンフーのように空をうならせて、ほうきが踊る。

 血洗は最後に、ビシィ! とポーズまで決めた。ほうきを右脇で抱え、左の掌を前に突き出した、「アチャー」という感じのポーズだ。二つの意味で。

 しばしの沈黙をはさんで、寧守がつぶやく。

「……この子、なんか、いろいろと勘違いしてない?」

《さっきも言ったけど、油断しないで。『血洗』はすでに何人もの人間を殺してる、危険な相手よ》

 テレパシーで寧守を戒めながら、クノカは血洗を観察する。血洗が持つほうきの、柄の端は丸い。寧守の体に突き刺さっていたのはこれと同じほうきの柄だろうとクノカはあたりをつけた。丸い先端が、どうやったら人間の体に刺さるのかはわからないが。

 血洗が、棒術のように構えたほうきの穂先を、寧守へと向けてくる。両者の間に不穏な空気が流れた。

(あれが『血洗』……ポーズはさておき、意外や意外、戦闘に慣れてるみたいね。邪霊としても学校霊としても珍しいタイプだわ)

 これはテレパシーではなく、クノカの胸中でのみのつぶやきだが。

 邪霊は、力の劣る相手を虐殺するのは得意だが、同格の相手と戦うのは案外慣れていないものが多い。だがこの馬鹿馬鹿しい見た目の邪霊『血洗』は、明らかにその手の戦闘能力を持ち合わせている。無論、かといって虐殺が不得意ということもなさそうだ。つい数刻前までただの女学生だった寧守が相手取るには、いささか荷の重い相手のようだが……

(さて……あなたが、どこまでやれるのか。見せてもらうわよ、寧守)

 これもテレパシーには乗せず、クノカは酷薄につぶやいた。



(来る……)

 寧守は、直感した。血洗の体から発せられる殺気が告げている。彼女は、寧守ひとりを敵として認めている。まっすぐにこちらへ向かってくるだろう。

 蜃気楼のように、血洗の姿がゆらいだ。肉体を得た邪霊が高速で駆け寄ってくるのを、強化された寧守の眼はかろうじて捉えていた。机や椅子といった障害物をものともせず、ふざけた見た目からは予想もつかない速度で地を駆け、回り込んでくる血洗。寧守はカラキリを抜刀し、横薙ぎに振るった。感覚的には、血洗が回り込む速度よりもやや早いタイミング。刀は血洗の目前で空振るはずだった。だが。

 ぎきぃんっ!!

 金属音と共に、カラキリの刀身が弾かれる。同時に、血洗が後ろに跳んで間合いを取るのが見えた。

(やっぱり)

 寧守は胸中でつぶやく。向かってくる途中で、血洗はさらに加速し、こちらのタイミングを狂わせようとしていたのだ。寧守はそれをほぼ勘だけで察知していた。だが、今、カラキリを弾き返したのは一体なんだ?

 一瞬だけ距離を離した血洗が、跳躍しつつ斬り込んでくる――右手に構えた『ほうき』で。刃物のような威圧感を持って振り下ろされてくるほうきの柄を、寧守はカラキリの刃で受け止めた。想像以上に重い一撃に、寧守の体がかしぐ。

 連続で撃ちこまれるほうきを、寧守は必死でさばいた。ハンマーのように振り下ろされてくる穂先を刀で受け止めると、その感触に驚く。

(普通の素材じゃない――金属!?)

 プラスチックにしか見えない緑色の毛先、それが尋常でなく硬い。少なくとも、カラキリの刀と同等の硬度を持つ何かでできている。こんなもので生身の体をなでられたら、肉が削げ落ちるだろう。その様を想像してしまい、寧守は身震いした。

(穂先だけじゃない、ほうきの柄だって、何度も刃で弾いてるのに切り目一つつかない……見た目は木製でも、本来の掃除用具とはまるで違う強度を持ってる)

 ロッカーの中で寧守の全身を貫けたのも、この強度があってこそだろう。だが。

「……ふッ!!」

 気勢と共に、寧守はカラキリを握る右手に力を込めた。瞬間、ただでさえ軽いカラキリがさらに浮くように重みを失い、手ごたえもなく滑り出す。

 カラキリの刃が、ほうきの柄を切り裂いた。そのまま血洗の体にまで届くかと思えたが、ブリキの邪霊は一瞬早く体を退いて回避する。ブレザーが肩から腰にかけて裂け、薄く血が舞った。

(よし……柄の方は何とか、斬れる)

 カラキリは寧守の意思に応えて鋭さを増す。意識を極限まで集中させれば、その一振りは、空間そのものを切り裂く斬撃――『カラキリ』になる。今はまだ、居合切りの構えをとらなければ意識的に『カラキリ』を放つことはできないが。だが抜刀した状態であっても、意識を尖らせることで鋼以上の硬度のものを斬ることができる。

 ほうきを切り飛ばされ、武器を失った血洗へ、寧守は一気に跳びかかっていった。振り下ろされるカラキリを、血洗は頭に被ったブリキバケツの底で受け止める。バケツには傷一つ付かない――ほうきと同じく、いやそれ以上にバケツの強度も増しているようだった。が、寧守の攻撃の勢いにたじろいだ血洗が、よろめくように後ろへ下がる。

 バランスを崩し、後ろのロッカーに音を立ててぶつかる血洗。とどめとばかりに、寧守は横薙ぎで斬撃を繰り出した。バケツで防御されにくい軌道だが、たとえ防がれたとしてもバケツごと切り裂くつもりで振り抜く――

(……ロッカー?)

 疑問が浮かんだ時には遅かった。血洗のもたれるロッカーの扉が弾けるように開き、血洗を横に飛ばすと同時に、その中からほうきが飛んでくる。

「うあっ!?」

 避け切れずに、寧守の右肩をほうきの先がかすめて行った。鉄よりも硬いプラスチックの毛先が肩の肉に刺さり、その部分の服ごと、ぞりっと削ぎ落す――寧守は思わず傷口を凝視してしまった――白っぽい肉の断面がみえたかと思うと、次の瞬間、傷口全体から血が溢れ出した。

 寧守は激痛にうめきながら、血洗から距離をとった。つい先ほどまでと立場を逆転させて、血洗が寧守を追うように突進してくる。右手には、同じくロッカーから取り出したのだろうほうきが握られていた。

振り下ろされてくるほうきを、寧守はなんとか受け止める。右肩の傷は握力を失うほどではないが、剣を取り回すたびに走る痛みが集中を奪った。

 血洗はほうきの穂先と柄を交互に使い分け、自在な間合いで攻撃を放ってくる。まさに棒術の達人のごとくだ。必死に食い下がる寧守だが、重い攻撃を受け止め損ね、体勢が崩れたところで頭部にほうきの柄による一撃をもらう。衝撃に意識が朦朧として、足がもつれた。その機を見逃さず、血洗のほうきが袈裟掛けの軌道を描く――

 ざじゅっ!

「く、あああぁあっ!!」

 湿った音を立てて、寧守の胸の肉が斜めに削ぎ落とされる。噴き出す血が教室の床に溜まりを作った。

「っう、うぅぅう……っ!」

 ショックと痛みから膝をつきそうになるが、なんとか耐えてその場から離れる。

 血洗は追ってはこなかった。彼女は何を思ったか、寧守が床にこぼした血を、その手に持ったほうきで掃き始めている。多量の液体をほうきで掃除できるわけもなく、むしろ床に血を広げる結果となっていたが、血洗はおかまいなしに手を動かし、赤い模様を床に描き続けた。

 何をしているのかはわからないが――ともかく、血洗がこちらから注意をそらしているのは確かだ。寧守は後ずさりして血洗から離れ、傷の回復を待つ。背中に何かが当たって、寧守はふと疑問を覚えた。教室の壁まではまだ距離があるはずだが。

(まずいっ!?)

 危険を感じて、寧守は身を屈めるようにして前転した。立ちあがって振り向くと、そこには鼠色の、掃除用具を入れるためのロッカーがあった。背中に当たったのはこれだろう。ロッカーの扉がひとりでに開いていく――否。内側から開けられているのだ。

 ゆっくりと開かれた扉の奥から、血洗が歩み出てくる。手には、先端を赤く染めたほうきが。そして――

 どがががががっ!!

 轟音と共に、教室内に無数のロッカーが乱立する。まるで地面から生えてきたかのように、激突音と同時に鼠色のロッカーが、椅子や机を押しのけるようにして一瞬で現れた。このロッカーの内部を、血洗はどうやら自在に移動できるようだ――あのスチール製の直方体は、彼女の武器庫であり領地なのだ。

(扉……)

 寧守はクノカの言葉を思い出していた。人の魂は、扉を開く力を持っている。邪霊とは、その力の遣い道を誤った人間のなれの果てなのだと。

 ロッカーの扉、その一つを素早く開き、血洗がその中へと姿を消した。次の瞬間、寧守の間近のロッカーが開き、ブリキの邪霊がほうきを持って飛びかかってくる。傷の痛みに耐えながら襲い来るほうきをかわして、寧守は斬り返した。が、カラキリの刃はロッカーの扉に阻まれる。血洗が姿を消したそのロッカーを、寧守は気合を入れて斬り倒した。だが、中には掃除用具しかない。

 背後から攻撃。刃で受け止め、反撃に転じる。が、またしてもロッカーに跳ね返される。

(クノカ! 血洗は!?)

 脳内で金髪少女に呼びかけると、すぐに答えが返ってきた。

《ロッカーの中を、空間跳躍しながら高速で移動してる!》

(瞬間移動ってこと!? じゃあ、血洗が今どこのロッカーにいるかって、クノカでもわからないの!?)

『気配を察知することはできるけど、動きがランダムで速すぎて、対応できない! まずあのロッカーをなんとかしないと――』

「なんとかって……できるんならやってるってば!」

 思わず口に出しながら、寧守は教室を逃げ回る。攻撃の気配を感じて、打ち落とそうとカラキリを振るが――

 がぃんっ!

「っ!?」

 予想以上の重い手応え。衝撃に、カラキリが大きくはじかれる。寧守の頭めがけて飛んできたそれは、ほうきではなくスチール製のちりとりだ。

(ほうきだけじゃない、掃除用具すべてを自在に操れるの!?)

 刀を弾かれ、がら空きになった寧守の体に、血洗の箒が襲いかかる。

 どすっ!!

「か、あっ……!」

 鉄以上の高度を持ったほうきの柄が、寧守の腹部にめり込んだ。内臓にまで達する一撃に寧守はめまいを起こしてよろめく。血洗のほうきが、ひゅん、と空を切る音が聞こえた。

(追撃が来る――)

 涙でにじむ視界の中で、寧守は必死で血洗の姿をとらえようとする。すぐ間近で、ブリキの邪霊がほうきを振り上げて、今まさにとどめを放たんとしているのが見えた。とっさの判断で、寧守は血洗に体当たりをする。接触した状態では血洗のほうきは届かない。それは寧守のカラキリも同じだが。

 小柄な寧守が、めまいをこらえながら体当たりをしたところで大した威力はないが、攻撃に出ようとしていた血洗の体勢を崩す程度の効果はあった。またロッカーの中に逃げられる前に、と寧守は血洗の被っているバケツに手を伸ばした。これを脱がせれば頭への攻撃が通る。一瞬でそこまで考えたわけではないが、寧守の体は自然と動いていた。

 だが、寧守の指先がバケツに向かって動いた瞬間、カタタタッ! とバケツを揺らして、血洗が後ずさる。その反応に、寧守の脳裏にある考えがひらめく。顔をすっぽりと覆うあのブリキバケツ、あれは単なる防具ではないのか?

(クノカ。協力して)

 遠巻きに、こちらを警戒するようにほうきを構える血洗。その姿を見ながら、寧守はテレパシーでクノカに話しかけた。

《何? 悪いけどわたし今、あなたの戦闘力向上と傷の回復にほとんどの魔力を費やしてるから、大した助けはできないわよ》

(血洗の動きを止めて。一瞬でいいの。その間に私が『カラキリ』を撃つ)

 ロッカーの間を自在に瞬間移動し攻撃を仕掛けてくる血洗に、溜めの必要な『カラキリ』を遣うのはリスクが大きい。だが、クノカが血洗の意識をそらしてくれれば、その隙に当てることができるはずだ。

 再びロッカーに隠れての攻撃を始める血洗。その攻撃を避けながら、寧守はクノカに思いついた策を伝えた。逃げ回ることに集中しても、血洗のほうきは次第に正確に、寧守の動きを先読みして追いついて来る。

《……いいわ、その作戦でいきましょう。ただしわかっていると思うけど、二度は通じないわよ》

(うん)

 クノカの返答に、寧守は刀の柄を握り直した。足元を狙ってくるモップとちりとりを跳んでかわし、視界を奪おうとする濡れ雑巾を手で払い、開いたロッカーからランチャーのように飛び出してくるほうきを刀で打ち払う。背後から、殺気。転がるように前に飛んで、振り向きながら立ち上がると、死角から迫っていた血洗のほうきが教室の机に突き刺さるところだった。机の天板を粉々に砕き、その下の鉄部分に突き刺さったほうきが、一瞬動きを止める。

 ガタタッ!?

 次の瞬間、血洗は飛び上がってほうきから手を離し、被っているバケツを両手で抑えつけた。

 さぞ驚いたことだろう、見えない手でいきなりバケツを脱がされそうになったのだから。

 クノカの持つ能力、『意識迷彩』は、対象の視界ではなく意識から自分の存在を隠す。今現在、寧守にも血洗にも、クノカの姿は見えている。だが、それを意識することができない。人混みの中で、知り合いでもない人間を意識できないように、そこに居るはずのクノカを意識することができないのだ。

 バケツを両手で押さえたまま、きょろきょろと見えざる手の持ち主を探していた血洗が、ハッと気が付いたように寧守を見る(いまさらだが、どうやって見ているのだろう?)――居合の構えをとったまま、寧守は、ふっ、と血洗に笑いかけた。慌ててロッカーに逃げ込もうとする血洗、だがその扉が閉まるよりも速く――

『カラキリ』。

 妖刀の居合切りが、教室内の空間を、上下に断絶していた。

 全周囲を切り裂く横薙ぎの一撃。乱立していた全てのロッカーが、真ん中より少し下で切り裂かれ、そこからずれ落ちるように倒れていく。

 血洗の敵意が消えたことを感じて、寧守はふう、と安堵の息をついた。

「上手くいってよかった。タイミングばっちりだったね」

「あのね……」

 と、汗をぬぐう寧守の傍らに、なぜか不満げな表情の金髪少女が現れる。クノカは半眼で寧守を見上げながら、低い声でうなった。

「あなた、『バケツを脱がせて、その後すぐに伏せろ』って言わなかったっけ? わたし、抵抗されたもんだから、けっこう粘って脱がそうとしてたんだけど」

「そ、そうなの? あ、だから血洗、ずっと両手でバケツを押さえてたんだ……。で、でもタイミング的には」

「えーえー、ばっちりだったわよ! ばっちり頭蓋骨がスライスされる寸前だったわよ!! ばっちりっつーかもー、ばっつりとね!」

「ええと、その」

「わたしの頭蓋骨をご開帳してどうするつもりよ!! わたしが寸前で、やばいこれお構いなしに居合いが来る、って気が付いてしゃがまなかったら完っ璧にすっぱりいかれて脳みそ剥き出しになってたわよ!? こんな幼女の脳みそを露出させて嬉しいわけ!? この変態! ロリコン!」

「い、いやロリコンじゃないしよくわからないけど、ロリコンの人からしても脳みそ剥き出し幼女はノーセンキューなのでは……」

「上手いこと言ってんじゃないわよ!! あと性癖に関しては世界の広さ舐めてると痛い目見るわよ!!」

 ぎゃあぎゃあと騒いでから、クノカは急にスイッチが切れたように、ふう、と肩を落とした。

「……まあ、いーけど。勝てたんだから」

「ご、ごめんなさい」

「もういいってば。戦ってるのはあなたなんだし……実際、大したものだと思うわよ。バケツを脱がされるのを嫌がるなんて、よく気づいたわね」

「うん。私が脱がそうとした時の反応が、なんだか過剰に見えて……単に防具を失いたくないってだけには思えなくて。結局、なんで素顔を見られたくなかったのかはわからないままだったけど……」

 クノカに答えながら、寧守はふと気が付く。そうだ、初めて血洗に遭遇した時――ロッカーの中で震えている姿を見た時から、なんとなく感じていたことがある。あの邪霊は――

がだんっ。

 音を立てて、切断されたロッカーの一つから、上半身だけになった血洗が転がり出てきた。カラカラ、と、未だに被っているバケツが揺れる。

 上半身だけの血洗は苦しげにもがいていたが、かたわらに一つだけロッカーを出現させると、両手だけで動いてその中に逃げ込んだ。

「まだ動けるのね。まあ、もう戦う力はないでしょうけど。とどめをさしておきましょう」

 クノカにうながされ、寧守はロッカーの前まで来てカラキリを構えた。が、刀を振り上げようとして、躊躇する。

「どうしたの?」

「……悪魔の肉を取り出す方法ってさ、殺すしかない?」

「………」

 寧守の質問に、クノカは目を細めた。それだけのことで、クノカの子供っぽい顔立ちから、得体の知れない気配が漂う。

 先ほどよりもさらに低い声で、クノカはささやいた。

「あなたが戦っている間に、磁場情報をたどって『血洗』の魂の出所を調べてみた。敵の正体を知れば有利になることもあるからね。『血洗』は、いじめられていた女生徒の霊よ。自殺に見せかけて責め殺され、それを怨んで邪霊になった」

 でも、と一拍置いてクノカは続ける。

「そのいじめていた生徒を、『血洗』はとっくに殺しているわ。それだけでは満足できず、彼女は――見て見ぬふりをしていた同級生、同じ学校であるというだけの関係の薄い生徒、と次々に手を出し――ついには、まったく無関係な他校の生徒にまで殺意を向けるようになった。正気なんてとうの昔に無くした妄執の塊。学校から学校を渡り歩き、ただ学生であるというだけでなんの関係もない人間に、もはや正当性を失った怒りを押しつけてきた。あなたも経験した、あの凄惨なやりくちでね。血と肉を削ぎ落とし、洗うように床になすり付ける。ゆえに『血洗』――同情の余地はないと、わたしは思うわよ」

「……そうだね」

 クノカの言うことが正しいと、寧守は素直に認めた。そもそも、殺されかけ、殺しかけた間柄だ。同情をする義理もない。このままロッカーごと、今度は細切れになるまで刻んでやればいい。それが安全で確実だ。

 だが、寧守はロッカーを開けた。上半身だけになった血洗が、ロッカーの中で震えている。

「出ておいで。終わりにしよう」

 寧守は手を差し出した。当然といえば当然だが、血洗は怯えてその手から逃れようとする。

「もう決着はついた、だからもう攻撃しない。あなたの保有する悪魔の肉を渡してくれたら、クノカに、あなたの体を治すよう頼んであげる」

 クノカの了承は取っていないが、このくらいの我がままなら通るのではないかと、寧守は考えていた。静かに呼びかけると、どうやら血洗にもこちらの意思は伝わったようだ。おそるおそる、右手をのばしてくる。

(そうだ……戦ってる間も、感じてた。この子、なんだか、私に似てるんだ)

 今度こそ、寧守は血洗の手を取った。半身だけになった彼女の体を、寧守は右手で抱え上げる。迷える邪霊の体から、微かに……体温のようなものを、感じた気がした。

 その時、血洗のバケツから、赤い塊がこぼれる。床に落ちる寸前で、血洗の左手がそれを受け止め、寧守に差し出してくる。赤くどろっとしたゼリーのような塊。悪魔の肉だ。

 血洗から受け取った悪魔の肉を、寧守はかたわらの精霊少女に手渡す。と、血洗を抱える右手が、ふっと軽くなった。

 カラン、と乾いた音を立てて、ブリキのバケツが床に転がる。血洗の姿は、跡形もなく消えていた。

「……間に合わなかった……?」

 寧守の小さなつぶやきに、「いえ」とクノカが首を振った。

「たぶん、逃げるだけの力は残してたのね。したたかな奴だわ。言ったでしょう寧守、同情の余地はないって」

 怒ったようなクノカの言葉は、あるいは寧守に気を遣った、彼女なりの優しさだったのかもしれないが。

 それに答えることもできず、寧守はただ、床に転がるバケツを見つめていた。



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