35、だが、もう遅いのだ
ゼクセン公爵は、眉間に深いしわを寄せて難しい顔をした。そして、自分たちを注目する会場中の貴族へと声を返した。
「当時、我が娘ユーディトには多数の求婚があった。カッセル伯爵は中でも熱心で将来有望であり、幼い頃から二人は親しくもあったのだ。敵国にやるよりは、安心だと思った」
ディリートは、父であるカッセル伯爵と母ユーディトが「派閥の結束を強めるため」に結婚したのだと聞いていた。そして、父は母を病死に見せかけて毒殺したのだ……。
「その男は、ユーディトを殺害したのだ。私は、友好にあたってまず、その男の断罪を望む」
黒太子は憎々しげにカッセル伯爵の罪を暴いた。その紫の視線がイゼキウスに向くと、イゼキウスは「その通り」と肯定した。
「殿下!」
カッセル伯爵が悲鳴をあげ、イゼキウスにショックを受けた様子の表情をみせた。
「私はあなたに尽くしてきたというのに」
悔しげに声がこぼれると、イゼキウスは「し、知らんっ。お前となんか協力してない」と微妙に墓穴を掘っている。
(イゼキウスは、カッセル伯爵という駒を捨てたのね)
ディリートが見守る中、カッセル伯爵はやけを起こした様子で喚いた。
「亡き妻ユーディトは、黒太子と密通していた。姦通だ。不義だ。子供を孕み、私の子だと言い張った。思い出しただけで気が狂いそうになる……私は愛していたのに! 私は優しくしたのに!」
「だから、憎悪に駆られて妻を殺害したのだな」
「ああ――そうだ! そうだが、何か? 断罪するなら、するといい。だが、妻にも罪はあったのだ。みな、ユーディトが純真で貞淑だと褒めそやしていたが、全くそうではなかったのだ。あの妻は、あの妻は……純真で貞淑な皮をかぶって、その真実は……!」
醜聞だ。
貴族たちは、眉をひそめつつ目を爛々とさせて聞き入り、時折親しい者とささやきを交わした。
この国の貴族社会では、心の伴わない夫婦関係や、不倫は珍しくない。しかし、配偶者が不倫をすることを快く思わない感情はやはりあって、発覚するとこういった修羅場を繰り広げたり、教会が介入して間男が姦通罪に問われたりする結末にもなるのだった。
「お気持ちはわかりますけど、殺めてしまうとは……」
「そして、子供を虐待したということか」
ざわざわとした非難の声と視線の中、ディリートは夫であるランヴェール公爵が奇妙な目をカッセル伯爵に注いでいることに気が付いた。
「妻を責めたり害するような気持ちは理解しませんが、他の男との関係に嫉妬する気持ちには共感できるような……」
とても素直な声色でランヴェール公爵が感想を口にする。とても小さな声だったが、ディリートにはしっかり聞こえた。
「うっ」
良心が痛む。ディリートは過去の自分を遠い目で振り返り、反省するのであった。
「あ、あなた……」
「しかし、私は気が狂ってもそなたを殺めることはありません。その点は、誓いましょう」
「し、嫉妬させないように気を付けますわ」
夫は誓約書でも書きそうな雰囲気だ。ディリートは慌てて夫を宥めて、カッセル伯爵を巡るやり取りの続きを見守った。
カッセル伯爵は、開き直った様子で周囲の非難の視線に立ち向かっている。
「私を裏切った妻が、敵国の男と関係して不義の子を産んだのだ。自分の立場ならどうだ? 愛せるわけがないだろう。妻にだんだん似ていく娘を見て、私がどんな気持ちだったと思う。だが、私は育てたぞ。自分の娘として育てたとも……!」
しかし、そんなカッセル伯爵へと、黒太子は首を振った。
「伯爵は勘違いしている。ユーディトが産んだのは、私の子ではない。なぜなら、私はユーディトにあくまで片想いであって、想いは通じなかったからだ。彼女は私を拒絶して、ブラント・カッセルを愛すつもりだと告白した。夫への不貞は働かないのだと、それはもう一途で清純な瞳で言ったのだ。……だから、そんな彼女を信じることなく殺害し、自分の娘を他人の娘だと思い込んで迫害した伯爵が許せないのだ」
声は、冷ややかだった。
その言葉に、会場中が息をのんでカッセル伯爵を見つめた。
「な……」
カッセル伯爵は目を限界まで見開いて、真っ青になった。そして、ブルブルと震えて――膝をくたりと折って、床に崩れ落ちた。
「うそだ」
喉から絞り出された声は、そのショックをありありと物語る。
「うそだ……嘘だ。ユーディトは、浮気をしたのだ。私を裏切ったのだ……」
「裏切っていない。彼女は浮気をしていない」
「嘘だ! ユーディトは、私を愛していなかったのだ」
「ユーディトは、自分を愛してくれる伯爵を愛しく想っていると言った。愛していると言った」
嘘だ、嘘だ、と繰り返すカッセル伯爵の双眸から、涙があふれる。
駄々をこねる子供のように現実を拒否して頭を振るカッセル伯爵は、痛々しかった。
「妻を殺害した罪は償うべきだな? 連れて行くがよい」
皇帝はそう言って罪人を捕えさせた。
「私に娶らせていればよかったのに」
黒太子は残念そうにゼクセン公爵に不満を告げた。
「私に嫁がせれば、戦争はその時点で終わっていたのに。私は彼女を愛していたから、彼女の心が自分になかったとしても優しい夫として尽くしたのに……せめて形見の指輪があれば心が慰められたものを。指輪の奇跡で、彼女との出会いからやり直しできたかもしれぬのに」
そんな黒太子の恨み節に「だが、もう遅いのだ。やり直しの指輪もない様子だし」と皇帝は機嫌を取るように声を挟んだ。
「秘宝がなくなったのであれば、なおさら人の命は惜しいもの。カッセル伯爵についても、その家族まで罪に問うことはせぬし、情状酌量はするゆえ、安心せよ」
皇帝はそう言って、言葉を続けた。
「さて、ナバーラ国と我が国は、これからひとつの新生国家を作ろうと話し合っている。今日よりのち、未婚の帝国皇族はナバーラ国の未婚王族と婚姻を命じる。生まれた子供は、新生国家の新王族の第一世代となる。当代は余が治めるが、次代は黒太子が治める。その次の代からは、新王族が治めていくのだ。国名は……新生ナバーラ帝国(仮)である!」




