7話 巡るは央都、万華の如く1
華蓮の騒動が一応の終結を見た一週間後、央都中心街の天領駅に晶たちの姿は在った。
重く軋む音が過ぎて、黒鉄の巨躯が排煙混じりに過ぎていく。
煤が焦げつく臭いに咳き込みながらも、晶と奈切迅は肩を揃えて伸びをした。
「――や、ぁあっと着いた。汽車は速いが、寝るに不自由なのがきついよな」
「全くだ。宿が取れないってのが、また不便極まりない」
ぐちぐちと不満を口にする若輩二人の背中で、呆れたように年輩二人が肩を竦める。
三十路を数えているはずなのに、此方は疲労が一切感じられないのが対照的であった。
「この程度の旅で音を上げるな、晶。情けないぞ
……今後も央都には足を運ぶかもしれんのだ、今のうちに慣れておけ」
「迅もだよ。
君は央都の旅に慣れているだろう? 晶くんの先導くらいに土地勘は育っているはずだ」
「「……………………」」
阿僧祇厳次と弓削孤城。自身の上司となる腕利き二人の言い草を、半眼で流し見る若輩二人。
見事に肩を揃えた、師弟たちの組み合わせである。
「「何だ?」」
「「いえ、別に」」
持てる者に持たざる者の気持ちは一生判らない。
弟子たちの本音は、白けた空気に散って消えた。
だがまぁ、旅慣れていない晶もそうだし、迅も仕方の無い面がある。
迅の故郷である奈切領は、伯道洲の突端、央洲と珠門洲の端境に位置しているからだ。
伯道洲の洲都とも比較的に近く、金子の事情を横に置けば、割と気軽に往来できる距離しかない。
中継駅を幾つも跨ぐ旅程は、迅をして初めての経験であった。
溜まる疲労もそこそこに、4人は駅の改札を通り抜ける。
その途端、整然とした街並みが晶の視界に広がった。
「――どうだ、華蓮とはまた違う趣があるだろう」
僅かに動く晶の頤だけが、彼の同意を示して終わる。
背中から掛かる厳次の声に、少年は返す言葉を持てなかった。
三方を囲むように、山稜が遠くに窺える。
――遠くの山が明確に見えるという事は、意識しない程度に陸地がすり鉢状に傾斜していることを意味していた。
見える限りの街並みに華蓮のような高層建築は僅かしか無い。駅中心の都心部でこれなら、周辺は歴史を辿るような街並みしか無いことは容易に想像がつく。
だが、新陳代謝の著しい華蓮のような雑多さは少なく、晶の目にはどこかのんびりとした人の営みが感じられた。
「さて、先ずは央都の守備隊に顔を出すとするか。央都への滞在許可は……」
「――藤森宮に顔を出す予定がありますので、私たちが代わりに願い出ておきます」
厳次の呟きを拾ってか、4人の背中から嗣穂が語尾を継ぐ。
背中に側役二人を引き連れて、珠門洲の継嗣たる少女はふわりと微笑んだ。
「は。お手間をおかけいただくこと、感謝いたします。姫さま」
「物の序で、気に止む事は有りません。
守備隊本部への説明、良しなにお願いしますね」
「――そちらはお任せいただければと」
軽く肯いを返して、嗣穂は視線を巡らせる。
男どもを一巡したそれを、言葉を控えて立つ弓削孤城で止めた。
思惑を探ろうとしたのか、穏やかに微笑むだけの刹那が両者を行き交う。
しかし結局は、意図も読めないままにすれ違って終わった。
「……晶さんは近衛か守備隊に身を置いて貰おうと考えていますが、阿僧祇に希望は無いかしら?
貴方ほどの腕前があれば、どこでも歓迎されると思いますが」
近衛とは、藤森宮が直轄する央都の防衛組織である。
高天原の中枢を守護する役目を一手に担い、その実力と権限は八家の武名に比肩すると名高かった。
一時的であってもこの組織に身を置いていたという看板は、衛士にとって充分過ぎるほどの箔であり、どこの守備隊であっても決して無視はされない。
近衛に所属していたという事実が厳次にとっても、決して無駄にならないことは明白であった。
――しかし、
「望外の提案は有り難いのですが、自分は守備隊の隊長が精々にございます。
央都の守備隊での自由を口添えいただければ、そちらの方が有難いですな。
……晶も中伝に片足を突っ込んでいますが、未だ初伝の身。近衛の方々からすれば、失笑は免れないでしょう」
折角の提案を断られたことに気分を害した様子も無く、嗣穂は肯いだけを返す。
「良いでしょう。藤森宮から守備隊に許可が下りるように願い出ておきます。
――晶さんも、それで良いかしら?」
「はい」
巡る視線を晶と絡める。声を掛けたい思いはあったが、結局、口に出すことなく嗣穂は迎えの車に乗り込んだ。
「……嗣穂さま。少し晶さまに冷たくありませんか?」
「仕方ないでしょう、伯道洲の目が傍に有るのよ?
――私だって、もっと話したかったのに」
大路を中央に向けて進む車中。責めるような新川奈津の眼差しに、嗣穂は口を尖らせて応じるだけに留めた。
どうやってかは判然としないが、晶に何かあると孤城が疑念を抱いたのは確実だろう。
第8守備隊の屯所や央都に向かう汽車の中でも、孤城の目を避けて晶と言葉を交わす機会が無かったのは偶然とも思えない。
出立は遅れるだろうが、指定個別車両を用意すれば良かったと、内心で悔やんだ。
「弓削孤城。武名は噂に名高いですが、政治の勘所も良いとなれば厄介ですね」
「……寧ろ、あの御仁の本領は政治方面よ。
余り知られていないけれど、自分の武名を貸し付けて他洲の有力者と繋がることを得意としているの」
嗣穂がぼやいた通り、足の軽さに任せた伝手の豊富さが弓削孤城の強みである。
築かれた人脈は多岐に渡っており、伯道洲を越えて全国に友人がいるとも噂されていた。
無論、武名に偽りがある訳でなく、剣の冴えは一層に磨きが掛かっているとも云われている。
取り逃がした悪神を追うにあたり、望める協力としてはこれ以上無い人材だが、陣楼院の比翼でもある相手と晶の距離が近すぎる事が気掛かりであった。
「小一時間ほど問い詰めてやりたかったけど、此方の言質を取られてしまうなら本末転倒よ。……せめて、神無の御坐であるなんて露見しないように誘導しないと」
「是に御座います。
――残る懸念は、天領学院にいるだろう雨月颯馬ですが」
「……和音。雨月颯馬にそれとなく張り付くことは出来る?」
視線を受けて、もう一方の側役である名張和音は双眸を伏せた。
嗣穂の云わんとするところは理解している。だが、天領学院では男女が左右の棟に分かれている構造上、女性が男性の行動範囲を正確に追う事は難しい。
更には全国の有力者が一堂に会して学ぶ手前、どうしても地方同士の派閥で固まってしまうのだ。
珠門洲出の女性と云う時点で、雨月颯馬に近づくのは至難の業である。更に加えて言及するならば、晶と云う事情を知悉している協力者が女性しかいないという点も問題であった。
――その点に於いて、輸入雑貨で財を成した名張財閥の令嬢と云う顔を持つ和音なら、立場上の無理は利く。
「多少、金子は掛かりますが、舶来ものの流行品を優先して融通してみます。
國天洲は荒神堕ちで荒れていますが、体裁を取り繕うためにも購入に気前は良くなっているかもしれませんし」
「お願い。最悪、晶さんとの接触を避けられるなら、それで構わない。
出来るならば、難癖をつけてでも國天洲に戻しておきたいくらいよ」
「……畏まりました」
未だに、晶が雨月に感情を残している事は気付いていた。
それを責める心算は無い。しかし、心に瑕疵を残したまま悪神と相対するならば、生死に直結する最悪を呼び込む可能性が在る。
晶は未だ意識に薄かったが、ここは央洲。朱華の加護が届く珠門洲では無いのだ。
今回の戦いで、晶と相対する最大の敵は滑瓢ではない。加護も無く、神気も尽きれば無力を強いられる不自由さ。
――これまでは願えば与えられた無尽の力、それが無い現実そのものであった。
♢
労苦も知らなさそうな繊手が、壁に掛けられた電話の受話器を取り上げて耳に当てた。
慣れた口調で、受付に呼び出した交換手に電話番号を告げる。
――暗がりの伸びる通路で待つこと暫し、やがて、繋がった相手に軽く声を上げた。
「――声を交わすのは暫く振りだね、姉さん。何、電話は嫌いってあまり触ってこなかったでしょ。
信条を曲げた理由を聞きたいな?」
『苦手って云うのは事実だけれど、嫌いって云うのは語弊があるわね。
信じていないだけよ。貴女も周囲も、こんな盗聴が簡単そうな機械を気軽に使えるわね』
電話向こうの相手、玻璃院翠の不機嫌そうな返答を、妹である誉は苦笑で応じた。
洲を越えた長距離で繋がる電話の回線は数が少ない。
盗聴の危険性はそれだけ高いことも理解しているが、それを踏まえたとしても尚、時間差も無く会話が交わせる利点は無視できない。
その事実だけでも、誉にとっては万金を賭ける価値を有していた。
まぁ、頭でっかちの玻璃院当主に理解してもらおうとも思ってはいないが。
「これからの通信は電話だよ、姉さん。
米や呪符の相場師を見なよ、一秒早い情報の仕入れに血眼だ。
……ああはなりたくないが、見習う必要も無いとは思わないね」
『利点は理解している心算よ。重要な情報を預ける訳にはいかないと思っているだけ』
「ふぅん」
翠の返事から、誉は内容の重要度に内心で赤く線を引いた。
彼女の本題は重要度でかなり高く無視もできない。だが、時間も無いため、止むを得ず誉との連絡に電話を利用したと云うところか。
「……まあ、四方山話で時間を潰したくも無いだろう? 用件は何?」
『――央洲の北境にある呪符組合を、虱潰しに回って欲しいの。出来るなら、手勢は口の堅いものを厳選して』
「また、酔狂な真似を要求するね。
つまり、隠す必要はないけれど、大事になるのは避けろって事?」
脳裏で項目に挙げていた予想を裏切る内容に、誉は肩透かしを覚えた。
央洲の北境に限定されているとはいえ、そこまでくると呪符組合の支部はそれなりに多い。
数日でも終わる気配は無いなと、誉は自身の予定を脳裏で白紙に戻した。
『話が早くて助かるわ。
……探して欲しいのは、子供の符術師』
「うん?」
突拍子もない内容に、誉の咽喉が奇妙に鳴った。
思考の奥で隠し子やら何やら、三文記事の題目が飛び交う。
――姉の?
一瞬、思考に浮かんだ可能性を、直ぐ様に捨てる。
貞淑には定評のある、頭の固い姉にそんな真似ができるとも思っていない。
と云うか、玻璃院の血統が出来よう筈も無い。
ならば、それ以外という事か。
玻璃院翠の夫は、設立間近の海軍で要職を務めようという男性だ。
色男だが、女性の影はちらつかなかったので安心をしていたが。
『――雅号は玄生。年齢は今で13辺り、……どうしたの?』
「姉さん、義兄さんも男なんだ。寛容を以って接すれば、きっと判ってくれるさ」
『何の話よ』
「子供に棘を向けるなって話だよ。
大丈夫、言葉を尽くして道を糾せば、人倫にもとる行為に手を染める必要もないと僕は思っている」
『だから、何の話よ!?』
「義兄さんの隠し子だろって話だよ。
気に病むことは無いって、玻璃院の汚点にはならないから――」
『~~!! 違うわよっ、話をちゃんと聞きなさい。
貴方に探して欲しいのは、玄生という雅号の年齢13の男子!』
「おや? 13なら、 、 、計算が合わないね。
……じゃあ、誰の子供」
したり顔で宣う誉に、受話器越しの翠が声を荒げた。
男子と云うからには、玻璃院も論外として、13という数字に、素早く脳裏で逆算する。そこまで遡れば、義兄は未だ適齢も至らない学生身分だ。
そんな醜聞、間違いなく向こうの家が黙っていない。
『貴女、三流雑誌の風説に毒されていない?
そこからそろそろ離れて頂戴。……それに、もう遅いわ』
「遅いって。……真逆」
「ええ、死亡は確認しているの。
時期は文月の上旬。貴女に探して欲しいのは、その子の遺品よ」
何があったかは知らないが、随分な結果だけに後悔を浮かべた。
知らなかったとはいえ、軽薄な話題に変えるべき内容ではない。
「それは、……お悔やみを」
「壁樹洲には関係ないから、気にする必要は無いわ。
でも殊更、話題にしてほしくないのは判って頂戴」
――成る程、訳ありね。
言い触らす心算も無いが、知られるのも面白くないと云うところか。
姉の言葉から用件の根底を類推するが、肝心の情報が抜けているため繋げることができない。
辛うじて、出身が壁樹洲ではないと判ったのが収穫か。
「まぁ、手間はかかるけど、子供の符術師なんて珍しいものが話題にならないはずも無いし、直ぐに見つかるよ。
――いい機会だ。僕からも報告がある」
『……何かしら?』
僅かに身構える姉の気配に、誉は鳴りそうになる喉奥を堪えた。
流石に言葉で遊び過ぎたか。
反省はするけど、止める心算も後悔も無い。それが誉の信条だから。
「大した事じゃない。
雨月颯馬に話を訊いたけど、どうにも雨月と義王院の関係が決定的に悪くなっている。天耳通で探ってみたけど、婚約の解消は避けられそうにない状況だね。
――両家とも神嘗祭をどう乗り切るのか、それが周囲の関心になってる」
三宮四院八家。高天原を支配する上位貴種が一堂に会するこの祭事は、上位のみならず多くの華族に対する決め事を更新する一面も担っている。
後に巡る一年のみならず、華族の今後を決めかねない大斎。三宮四院の婚姻に汚点を残すという結果を、容認できるはずも無い。
大した事は無いと口にしつつ、誉は翠が慌てるだろうと確信も抱いていた。
……だが返る応えは、冷淡な響きに満ちていた。
『でしょうね』
「あれ、知っていたの?」
『当然の結果よ。
――何、大した事ないって、貴方も云っていたでしょう』
「そうだけど。……まぁ、いいや。
準備に数日は掛かるから、出立は二日後を見といて。
遺品を確保したら連絡するよ」
『何か引っかかるけど、お願いね。
見つかったら、直ぐにでも教えてちょうだい』
笑いながら請け負う誉に不安も覚えているのか、疑念を口の端に浮かべながら翠は電話を切った。
言葉が途切れた事で、誉の口元から笑みが消える。
今回、頼まれた内容について、少しだけ判った事があるからだ。
探す子供は死んでいる。結果は変わらないのに、玻璃院当主は慌てていた。
――つまり重要だったのは生きている子供であって、死は不都合な結果という事だ。
「國天洲の瘴気騒ぎもそうだが、いったい何が起きているのかな?」
姉の頼みを聞きつつ自身が有利となる立ち回りを思い浮かべる。
ややあってから思考に整理をつけたか、誉は日光の当たる方向へと廊下の床を少し鳴らした。
読んでいただきありがとうございます。
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