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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
二章 聖教侵仰篇
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閑話 天泣に頬は濡れて、戸惑うも遠く2

 ――國天洲(こくてんしゅう)五月雨領(さみだれりょう)

 洲都、廿楽(つづら)


 瘴気溜まりに帰還の足を奪われながらも、連翹山に建つ雨月の屋敷に不破(ふわ)直利が辿り着いたのは、盆も明けようとする葉月(8月)中旬の昼下がりであった。


 未だ日天も高いというのに、幾人かの陪臣が足音を立てて直利の前を過ぎていく。

 外玄関に消えてゆくどの者の顔にも一様に、焦りの感情(いろ)が浮かんでいた事実が直利の不安を掻き立てた。


 そこには出立前の和気藹々とした雰囲気は欠片も残らず、まるで戦支度と云わんばかりの物々しさが屋敷の内部を占めていた。


「――九戸(くのへ)殿」


「これは、不破(ふわ)殿。

 漸くの御帰還、ご無事で!?」


 過ぎる一団の中に仲の良い陪臣の一人を見止め、挨拶と交わす。

 温厚な人柄で知られる九戸は、浮かない顔色に安堵の感情を見せて一礼を返した。


「何とかですが。瘴気溜まりに足を取られて、思った以上に遅れました。

 ――この騒ぎは一体?」


「ここ最近は、瘴気溜まりの浄化に陪臣全員で出払っておる。

 陰陽師の頭数(かず)が足りなくなるなど、この一帯では初めての事態で御座(ござ)いますな」


「それほどに……」


「然り。既に日夜の関係なく、(ケガ)レが市井にまで侵入(はい)りこんできよる。

 今年の刈り入れは、覚悟せねばならんのう。

 ――颯馬(そうま)さまの栄達を目前に控えての失態。義王院(ぎおういん)さまに面目も経たんと、御当主さまも酒匂(さこう)さまと連日の会合よ」


現在(いま)も、で御座(ござ)いますか」


「うむ」


 九戸の首肯に、直利はその足を屋敷の東へと向けた。

 屋敷の東端(ひがしはずれ)にある天山の書斎に立ち、障子の外から声をかける。


「御当主さま。不破(ふわ)直利、帰還いたしました」


「――入れ」


 矢張りと云うか許可に返る声色にも、何処か精彩が欠けている。


 努めてそのことに意識を登らせないように障子を開ける。書斎の中央で天山と颯馬(そうま)、そして陪臣第一席の酒匂(さこう)甚兵衛(じんべえ)が車座に座っている光景が飛び込んできた。

 想像通り、その表情も陪臣たち以上に沈んで見える。


「遅くなり申し訳ございません。

 ――不破(ふわ)直利。只今、帰還いたしました」


電報(しらせ)は受けている。 ……災難だったな」


「こちらに比べれば何ほどでもなく。

 ――私も浄化に立ち会いたいのですが生憎と精霊器を日垂ル神に掴まれまして、打ち直しを求めねばなりません」


鍛冶司(かぬちのつかさ)に依頼は出しておく。

 其方としても腰が落ち着かんだろう、代わりの精霊器を預けておこう。

 ――其方が戻ってきてくれて、丁度良かった」


 貴重な精霊器を預けることに躊躇をしていない事実から、抜き差しなっていない事態が如実に窺えた。

 膝行で書斎に進み、車座の一端に加わる。


「丁度良かったとは?」


「……その話は後だ。

 直利が巻き込まれたものと同様に、現在、瘴気溜まりが五月雨領(さみだれりょう)で群発しておる。

 しかも、怪異(上位の穢レ)が数体、山稜辺りを彷徨(うろ)ついている始末だ」


「そこまで……」


 気休めすら口にできずに、直利は続けようとした二句を失った。

 土地の記憶そのものでもある怪異は、十分な瘴気さえあれば再び現世に顕れる生きた災害だ。


 当然にして、強大な存在。しかもそれが複数。

 百鬼夜行が起きたとしても頷ける、雨月始まって以来の有事であった。


「ご安心召されよ。御当主さまと颯馬(そうま)さまの御出陣で、怪異は総て討滅していただいた。

 あの類がこれ以上、生まれるとも考え難い。一先ずは安心できるだろう」


「なら良いのですが。怪異が複数とは、尋常ではありません。

 ……まるで、伝承に聴く荒神堕ちのような、」


「しっ! 滅多なことを口にするものではない」


 雨月陪臣の第一席として永く座る酒匂(さこう)甚兵衛(じんべえ)が、顎髭を触りながら直利の焦りを掣肘(せいちゅう)する。

 酒匂(さこう)は、(かつ)て天山の教導を務めたこともある、雨月からの信頼も篤い重鎮だ。

 そんな老人からの取り成しに、直利は渋りつつも追及の手を下げる。


 ……雨月一党の内部に()ける不破(ふわ)直利の立場は、非常に不安定なものである。


 直利は雨月に婿入りした身ではあるが、不破(家名)の返上を玻璃院(はりいん)と雨月の双方から断られたからだ。


 雨月の末席に座っているが、直利が永く客将の立場に甘んじてきた理由である。

 そのため直利の発言力は、雨月陪臣の中堅辺りと同じ程度に留まっていた。


「……父上。

 5日後に予定しております、天領(てんりょう)学院への帰還を遅らせることは出来ますが」


「駄目だ。

 其方の戦力を借りたいのは山々だが、他家に雨月の動揺を晒すわけにはいかん。

 ただでさえ、義王院(ぎおういん)さまのご不興が続いているのだ。

 休暇明けを遅らせるなど、恥ずかしいだけの失態を御前に晒すわけにはいかん」


「……はい」


 思い余った様子の颯馬(そうま)が、天山へと膝を向けて言上した。


 ……颯馬(そうま)の実力は、現時点で義王院流(ぎおういんりゅう)の奧伝まで到達している。

 並の衛士では比肩すら烏滸がましいほどの才気は、この難事にあって確かに貴重な戦力ともいえた。


 だが迷うことなく天山は、颯馬(そうま)の提案を言下に却下した。


義王院(ぎおういん)さまのご不興? 婚約は通らなかったのですか?」


「――うむ。

 どうにも静美さまは、穢レ擬き()を殊の外、気に入っていただいておられたようでな。

 あれの死を耳にするや、素気無く我らの登殿を中座される始末よ」


「何と。

 ――雨月の勝手を咎められたのですか?」


「廃嫡は醜聞であろうが、それなりに聴く出来事でもあろう。

 何故にあれほど、あれ如きに拘るかは分らぬが」


「手続きに問題があったのでは」


「廃嫡自体は当家の勝手だ。

 人別省の動きが妙に鈍かった以外は、それほど問題なく進んだしな」


「それは知っていますが……」


 義王院(ぎおういん)との婚約が通る事自体は、直利とて疑っていなかった。

 それが断られた事実を見るに、晶の死を知った義王院(ぎおういん)の激怒は想像に難くない。


 ちらり。視線を颯馬(そうま)に遣ると、座す颯馬(そうま)の両拳が激発せんばかりに震えている。

 当然だろう。才気煥発と持て囃されてきた颯馬(そうま)は、それ故に、他者から否定される経験が皆無であったからだ。


 ふと、晶の呪符が行使できた事実を思い出す。


「先日に回生符を手元から喪う事態に陥りまして、

 ――御守り代わりと持っていた晶くんの回生符に手を付けました」


「行使えぬのでなかったか?

 ……あぁ、其方が精霊力を籠めたのか」


「いいえ。精霊力を籠める必要なく、呪符は燃えました。

 ――晶くんは、精霊力を行使できていたようです」


「精霊無しが精霊力を行使できる訳が無かろう。

 何かの間違いではないのか?」


「行使は確かに。それに晶くんには、回生符を100枚続けて書かせていました。

 であるならば、彼は少なくとも陰陽師20人分の精霊力を保有していることに……」


「――莫迦莫迦しい」

 言い募ろうとした直利の言を、酒匂(さこう)が横から断ち切った。

「精霊力は不破(ふわ)殿が籠めたのであろう?

 御守り代わりと云うなれば、肌身に離さず持っていたはず。

 空の呪符をそうやって持っていれば、自然と漏れ出る精霊力を吸収するのは偶に聴く話だ」


「そうでしょうか……」


 空の呪符が自然と行使できるようになって命拾いをした話は、直利とて確かに聴いたことはある。

 だが、酒匂(さこう)が口にした前例は、最下位の回気符を長年、身に着けた結果の漸くであったはずだ。


 酒匂(さこう)の断言を受けても尚、引っ掛かるものを覚える直利であったが、反論の言葉を持つこともできずにその場を退いた。


 まあ良い。場に(わだかま)る疑念を払うように膝を叩き、天山は話を戻した。


「……静美さまは、晶との再会に歓楽極まっていたのだろう。

 あれの死に哀情を強く覚えられたようでな、一時の激情に流されたであろうが強いお方だ。直ぐにでも現実に目を向けて、颯馬(そうま)との縁を望まれるであろう」


「そこは間違いないでしょう。

 ……でなくば、御当主さまを拘留もせずに、五月雨領(さみだれりょう)へと帰還(かえ)すことを赦した筋が通りません。

 腹立ちはあるが、雨月の言い分を理解はされているというところでしょうな。

 ――ですが此処(ここ)まで拗れた以上、颯馬(そうま)さまには早急に学院へと赴いて、直接に静美さまを説得していただく必要はあるかと」


「仕方があるまいな。

 ――颯馬(そうま)よ」

 酒匂(さこう)の進言に、天山は颯馬(そうま)に柔らかく微笑みを向けた。

「儂の不甲斐なさを押し付けるようで気が引けるが、学院で静美さまとの会談を取り持て。

 何とか静美さまのお気持ちを、其方に向けていただくのだ」


「……はい。五月雨領(さみだれりょう)の難事に、離れなければならない私をお許しください」


「ふ。儂を何だと思っている?

 其方の器に劣るであろうが、雨月当主としてまだまだ現役であるぞ」


「父上のお心遣い、有り難くあります。

 静美さまとの会談は、必ずやお任せいただければ」


 天山の応えに安堵した颯馬(そうま)は、学院に向かう支度のためと書斎から退席する。

 消える颯馬(そうま)の背を三人が見守る中、入れ違いに手伝いの女性が慌ただしく入ってきた。


「失礼いたします。

 西の街道から穢獣(けもの)の群れが溢れたと、今しがた伝令に届きました」


「何!? あそこには保久(やすひさ)を向かわせていたはずだ。

 息子はどうしたか!」


「も、申し訳ありません!

 伝令の傷も深く、詳報は……」


「ええい、埒が明かん。儂が直々に問い質す、案内せよ!

 ……御当主さま。申し訳ありませんが、火急の用にて中座をさせていただきます」


「良い。急げ、甚兵衛(じんべえ)


「はっ!」


 己の後継と可愛がっていた保久の安否だけに、酒匂(さこう)甚兵衛(じんべえ)の顔色が一変する。

 焦りの表情に胸中を察した天山の許しを得て、慌ただしく酒匂(さこう)は退室した。


 一気に静けさを取り戻した書斎の中央で、直利は天山の正面に座り直す。


「大事が無ければよいのですが」


酒匂(さこう)保久も手練れである、穢獣(けもの)の群れ如きでは早々に後れを取るまいが……。

 とはいえ、西の街道は洲鉄の線路に沿っている。

 ――直利よ。急ぎ代わりの精霊器を用意させる、酒匂(さこう)の焦心を安堵させてやれ」


「畏まりました」


 大量輸送を可能とする洲鉄は、山に囲まれた五月雨領(さみだれりょう)と外界を繋ぐ重要な交易手段だ。

 生鮮食をはじめ燃料や木材の取引と、五月雨領(さみだれりょう)の生活を支えている。


 洲鉄の線路を守ることは、五月雨領(さみだれりょう)を維持する上で蔑ろにする訳にはいかなかった。

 帰還したばかりとは云え洲鉄を護る要請に否やも無く、直利は叩頭で受け入れる。


「ああ、それと先刻の話だが。

 昨日の遅くに、不破(ふわ)家から赤便(速達)が届いた」


不破(ふわ)? 不破の当主(兄上)からですか?」


「うむ。このような状況故に済まぬが、内容は検めさせてもらった」


 差し出された書簡を受け取り、素早く文字に目を走らせた。

 書かれた内容に、直利の表情も曇る。


「……この騒動。どうやら壁樹洲(へきじゅしゅう)にも響いているようですね」


「ああ。浄化に回せるだけの陰陽師が足りなくなったと。

 此方の状況も逼迫していたからな、陰陽師の派遣を渋っていたことに痺れを切らしたのであろう」


 それも有るだろうが、ここ最近の雨月は交渉事に強気一辺倒の姿勢で臨むことが多かった。


 義王院(ぎおういん)との縁組に憂いが無くなり、何かと物入りを焦った結果だが、此処(ここ)まで短期に物の都合を強請れば、周囲からの反感もそれなりに買うはずだ。


 ――事実、天山は読み取らなかったようだが、書簡の随所から雨月に対する不満と直利の置かれた状況を案じる隠語が重ねられている。

 手紙に隠せるだけの表現でこれだ。壁樹洲(へきじゅしゅう)鬱憤(うっぷん)はかなりのものになっているだろう。


 不破家当主(兄上)は温厚な性格だが、直接に顔を合わせたら相当な愚痴を聞かされるだろう事は想像に難く無かった。

 二重の気鬱に襲われて、直利は内心だけで慨嘆する。


「分かりました。

 西の街道を掃除した後、陰陽師を幾人か引き連れて鈴八代(すずやしろ)へと赴きます」


「頼むぞ。

 ――あぁ、そうだ直利」


「はい」


 天山の頼みを受けて、直利も退席すべく立ち上がった。

 廊下に続く障子に手を掛けた時、思案に暮れていた天山の声が背中に投げかけられる。


「其方、かんなのみくら(・・・・・・・)という名称()を聴いた事があるか?」


「……いえ、寡聞にして存じません。

 何方(どちら)からの名称でしょうか」


「静美さまが中座される際に、儂に問うてきた。

 正直、他愛もない問いかけと思うが、どうにも気になってな。

 雨月の書物を紐解いても、それらしき言葉も見当たらんかったが……」


 問われて、直利も記憶の底をひっくり返す。

 しかし、思い至る単語は存在しなかった。


 ややあって、直利は降参とばかりに頭を下げた。


「思い当たるものはありませんが……。

 事が一段落したら、此方でも書物を探してみます」


「うむ。頼んだぞ」




 ガラリ。玄関を開け外に一歩。

 途端に晴れた空から大粒の雨が数滴、直利の頬を濡らした。


「天泣か」


「まぁまぁ。廿楽(つづら)の街までご不便でしょう。

 傘を用意いたします、暫くお待ちくださいな」


「頼みます」


 慌ただしく屋敷の奥に走り込んだ家人を余所目に、直利は今一度天を仰ぐ。


 晴れた空から落ちる雨粒は、狐の嫁入りと称するには冷酷たく硬い。

 まるでそれこそ天が泣いているような不穏さだなと、直利は独白に零した。


 陽光に降り頻る中、受け取った和傘を広げ雨の中へと踏み出す。

 正門へと向かう直利の眼前で、山風が一陣、雨足を大きく波立たせた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「神無の御坐」が当主への口伝でしか残さず、可能な限り隠さないといけないんですよね? そういう状況で主人公を雨月嫡男として、領内で大事に育てる方法が気になりました。 「神無の御坐」が…
[一言] お返事ありがとうございます。 第一話にある「この国は五柱もの神々が五つの洲を知ろしめす島である。」という記述や、法理と至心の関係から考えると、高天原は連邦国家で中央は管理者としての役割が強い…
[気になる点] 晶が最初の百鬼夜行で高揚感で奥伝使ってたので上位精霊がいれば出来ると思ってたけど、もしかして余り遣い手いないのかな? 神無のみくらとただ人の差はものすごく大きい?
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